九州に残る勢力も今や島津と大友を残すのみとなり、覇権を巡る争いが激化していく。
島津家の一軍団長となった小蒔も肥前から兵を進めるのだった。
前回肥前の大半を手中に収めたが、一旦戦いをやめて領地に戻った。
消耗戦を続けていると兵士の練度がとてつもないほど落ちてしまう。
練度が落ちると基礎攻撃力と基礎防御力に悪影響が出る。
練度を上げるには最大兵数まで兵士を回復させてからさらに時間を置かなければならない。
その時間も兼ねて今は内政に専念していく。

島津家は他に戦う敵もいないため、そのまま安穏と過ごすことが出来る。
対して大友は毛利とも関係が悪いので島津家の攻勢が終わったと見るや毛利に攻撃を仕掛けていた。
こっちにとってはありがたいことだ。期せずして漁夫の利を得られるからな。

練度も安定してきた所で再度大友への攻撃を開始する。
まずは遥か遠くの佐敷城から兵を北上させて友軍の出兵を促す。
期待通りに島津諸将も動き始めたのだが、その狙いはこちらが動いている肥前ではなく豊前の府内城だの岡城だのだった。
これに呼応するかのように敵も動き出し、一気に大混戦に陥っていく。
肥後豊前戦役
大友宗麟本隊は5000なんて引き連れていて厄介だ。
まぁこの場は友軍に任すとして、我々は肥前の村中城や筑後の柳川城を狙う。
肥前筑後戦役
練度も高く数も多い我々が負ける要素はない。
ほどなくしてこの二城も落ちる。

勢いに乗じてさらに北東へ進軍。
肥前最後の大友領・勢福寺城の他、筑前の岩屋城、秋月城などに攻めかかる。

津軽為信に並ぶ名声
そんな最中、また名声が上がったことを告げられる。
津軽為信と同程度って具体的にどれくらいなんだ。

岩屋城は敵城の中でも特に発展していて落とすのに難航。
そこを義久率いる島津家本隊に任せ、小蒔はその周囲にある秋月城、鷹取山城、立花山城を連破。
一気に筑前を切り取っていく。
難航していた岩屋城も強攻で突破し、筑前も平定。

最上義光と並ぶ名声
再度名声が上がる。
最上義光と同じぐらいって具体的に(ry

現在の状況。
1587年初めの九州北部
佐敷城と岩屋城をトレードして肥前・筑前・筑後の三ヶ国の主になった。
ただ、拠点16もあるのに武将も16しかいないのが困りどころ。
最悪一つの城に一人誰かいればいいんだけどさ・・・。

あと、最近「所領が働きに見合っていない」とかいう理由で忠誠がマイナスになってきてるんだよね。
どうも役職が部将以上になると地位が城代以下で無条件で不満を持つみたい。
そんなこと言ったって軍団長には城代以上を任命する権利なんてないんだけど。
必要忠誠ギリギリのやつとかだと城代以上に出来ない軍団長じゃどうしようもないんだが。
この辺ちゃんとテストプレイしてんのかなあ?

ちなみに初美の忠誠はこうなってる。
なんか色々付与されてる
凄まじいまでのプラスで草生える。
確か巴が+19、霞さんが+15で他二人が+18だったかな?
霞さんだけ部将になってしまっているので所領〜でマイナスになってしまっている。
まぁこの辺の面子ならともかく、龍造寺隆信とか必要忠誠が高すぎて怪しいんだよな・・・。

気を取り直して、現在の有力大名など。
1587年初めの有力大名一覧
大友家を全力で叩き潰し、石高上は二位まで上り詰めた。
そういえば数値的には100倍で見れば良いのかな。
そうすると織田家が550万石で島津が300万石程度になるかね。
まぁ九州のほぼ大半と考えればこんなもんかな?
ちなみに小蒔軍団はその計算だと116万石の大大名クラス。
そりゃ三ヶ国も持ってればそのぐらいにもなるか。

それにしても、1587年とか史実だったら秀吉の九州攻めが行われてる頃だぞ。
島津の侵攻速度は史実のそれとほぼ同レベルだが、他はちんたらやってるようだ。
未だに武田家も滅亡してないし。
ただ、九州で仁義なき抗争を続けてる間に他の勢力は拠点の兵力1万越すようになってたりするし、ちょっとまずいかなという思いもある。
大友を倒したら再度内政に力を入れる必要があるかもしれない。

では、この辺でノシ