信長の死、徳川家滅亡。
戦国の世の中心で在り続けた織田徳川連合も新たな波に呑まれていった。
東を一時的に安定させた小蒔は旧主・義久に対し、本腰を入れて指揮に臨む。
前回の約1年に及ぶ戦いで島津は領地の1/3、兵力の2/3を失っている。
ここは休む暇を与えずに攻め続けるのみ。
もはやダイジェストに近い島津攻略の様子をお送りする。

肥前統一
1607年1月、肥前制圧。
こちらは肥前方面、肥後方面、日向方面の三路侵攻が軸で、さらに物量で圧倒。
各地で戦いになるが、敵で相手になるのは島津義弘ぐらいなので負ける要素がない。

島津歳久死す
ここで島津歳久が死亡。
島津四兄弟が再び揃うことはなかった。悲しい。

肥後統一
1607年4月、肥後制圧。
この辺になると島津の総兵力が6万程度まで落ちきっており、こちらの動員数を遥かに下回るようになる。
必然的に攻略していく速度も増す。

島津本拠調略さる
薩摩まで侵攻していくと島津の本拠・内城が長宗我部の手に落ちていた。
人が表立って攻めている時にどさくさ紛れで調略するとか・・・。
長宗我部、次はお前だ。

日向制圧
1607年8月、日向制圧。
日向は縦に広くて進軍に手間取るね。
制圧するのが面倒な国ではある。

薩摩制圧
1607年10月、薩摩制圧。
これで島津の領地は大隅一国まで減少。
無論、手心を加える気はない。

上野戦役勃発
ここでふと東に目を向けると上野のあたりで伊達と織田が大規模な戦いを始めていた。
最上は最上で春日山城まで取って越後を統一しているし、目論見通り織田を削ってくれているが、必要以上にやらせるわけにはいかんな。

島津終焉の時近し
島津との戦いもこれで終わりだ。

島津滅亡
島津家滅亡。
1605年1月から戦っているから2年9ヶ月といったところか。
ここまで粘るなら大したものだ。
仮にも旧主殿だ、丁重にもてなそう。

さて、ここいらで西日本を誰かに任そう。
もう内政は飽き飽きだ。

小蒔「春、頼んでもいいですか?」
春「・・・分かった」

西日本を丸々渡す
小蒔軍団:拠点63、武将100
春軍団:拠点104、武将146

どっちが本家かわからないんだよなあ・・・。
まぁ春は忠誠補正+21で裏切る要素0だから全く問題ないが。

現在の東の様子。
東日本への突入の時来たれり
最上が攻めてきたら面倒だったから一時的に結んでいたが、ここまでかな。
まず織田を潰して、その後は武力介入タイムだ。

現在の有力大名一覧。
1607年終わり頃の有力大名一覧
残りの勢力が一遍に掛かって来たとしても負ける要素がない。
島津軍の捕虜100前後や織田を取り込めばさらに盤石。
伊達最上が最後の抵抗勢力になりそうだな。

では、この辺でノシ