A&D 全てが混在するブログ

このブログは何をやっても中途半端な管理人が色々ぶちまけるブログです。 興味があるという奇特な方は是非ともご覧になってください。
ブログ整理完了。

自論

存在意義

今日も夢見ました。
なんかバトロワっぽいのに参加してて対主催の一角で頑張ってたんですけど、トップマーダーに襲われ、私が囮となって散り散りに。
私危うし、と言った所ですが、基地外じみた機動力でトップマーダーを振り切り、忍者屋敷の隠し部屋(特定の認可がなければ入れない)でくつろぐ所で終わり。
あの隠し部屋は一通り篭城できる備えがあって、しかも見つかりにくいという最高の場所でしたねぇ。
ちなみに、トップマーダーはフランドールっぽかったような。
因幡の白兎よろしく、流木がある川を渡って凌いだから、フランでは追いついて来れなかったか。

話は変わって、存在意義の話。
どういう繋げ方だ、って突っ込み入りますと、バトロワなんて死が隣り合わせのものを感じるとどうしても自分の命題について考えざるを得なくなるという感じです。
我が人生の命題は「人間の存在意義」です。

とりあえず、ちょろっと検索したらこんなものがありました。
人生の意義
読んでみると頷ける所が色々あります。

最近は、誰かに何かを残す事が存在意義なんじゃないかと思い始めてます。
自分が生きた証を残す事、これも存在意義なのかなぁ、と。
やがて人間が行き着く果てに向けて、何かを残す。

まぁ、行き着く果てが破滅であるのは分かってます。
それでも、人類自体が後に何かを残す事ができれば、存在意義として成り立つのかと。
こちらから意義を求めるのではなく、元々何かを残す為に生まれてきたっていうのなら、それが存在意義となりうる。

そういえば、KOFのイグニスがこんな事言ってるのも考えさせてくれますね。

「人は何かを成す為に生を受け、成し終えた時死んで往く」

では、この辺で。

天才の定義

という訳で、やりましょうか。
天才(もしくはそれに準じる何か)を語る上で、それを感覚でわかるような人でなければ理解できません。
要するに、天才的思考回路の人しか天才は理解できない。
そういう事です。
それを踏まえて自称天才の道から踏み外した男・近衛が書きましょう。

実を言えば、随分前に天才がどういうものかの結論は出てるわけで。
その前に参考リンク。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%89%8D

で、私の考えをつらつらと。
一般的定義としては「先天的に常人よりはるかに優れた才能を持つ人」らしい。
理には適っているが、あまりにも大雑把過ぎる。
私としてはもっと簡単にまとめたい。
まず、頭がいいってどんな人かって事。
自らの経験則で行くと「どんな事でもコンパクトにまとめて考える事が出来る人」だと思う。
別に容量が大きいわけじゃなく、入れる時に圧縮してる。
さらにその圧縮したものを普通の人より正確に引き出せるから記憶力もいい。
それを踏まえて考えると、
天才ってのは「極めて合理的思考を持つ人」だと思う。
全てにおいて合理的に考える。
それこそが天才の第一条件だと思う。
幼少エジソンが何でもかんでも疑問に思ったのは合理的思考を持ちたいが為。
合理的に考えるということは物事の最短ルートであり、その人たちにとっては全て簡単に処理していけるようになる。
要はいかに短くまとめるか、というのを考えるんだよね。
私も勉強の仕方はかなり特異で暗記などせずに筋道立てて考えるだけでしたからね。
それができない英語とかはムリポだったんですけど。

天才の定義はこんなもので、結局何が言いたいかといえば、幼少の頃の教育はかなり大事だという事。
私は幼少時の基盤だけで結構な頭になってますから。
一流の人たちっていうのはやっぱり子供の頃から色々やってるもんです。
卓球の福原愛とか将棋の羽生善治とか、やっぱり子供の頃からやってます。
別に受験とか目指してではなく、子供の自主性を大事にしつつ、色んなことに興味を持たせる。
これが、天才じゃなくても頭のいい奴育成の基本じゃなかろうか。
私が言いたいのは先天的云々じゃなくて子供の頃に頑張れば人より上にいけるって事。
それに途中からでも変わる事は出来る。
よく学校とかで「あいつは頭がいいから」なんていってる奴には反吐が出る。
できないというのは考える事を放棄しているだけにすぎない。
私もよく言われたものだが、よく見て欲しい。
授業はちゃんと聞いてるわ、腑に落ちなければ休み時間も粘ってるわ。
少なくとも私と同じくらい努力した奴が言えと。
ま、途中から私事になってしまったが。
では、この辺でノシ

我在る、故に我在り

どうも、近衛@フィロソフィアです。
何か今日は突然悟りを開いたような心地です。
それを一言で表すならば題名の言葉となります。
一見意味分かりませんが、単純にして何とも深さを感じます。
とりあえず、知ってる人もいるかもしれませんが私の人生の命題とは「生きるとは何か」「自分の存在意義」を模索する事です。
やけに哲学です。哲学大好きです。

で、今日は自分の存在意義なんかを帰ってくる時にボーっと考えてました。
ふと自分が死ぬ間際の病人だったら、と思い至ったら上の悟りを開きました。
人は儚い、故に美しい→人の人生そのものが美しい?
と仮定するならば、存在している事それ自体が奇跡であり美しいものだといえる。
ならば存在に意義はないのでは?と思いつく。
そもそも私は無神論者ですから、存在する事に意義があったのかと思い巡らせばそんな訳ではない。
神なんていないのだから誰かの考えによって左右されたりはしまい。

まぁ、意義をあえて考えるならばそこに存在している事自体が理由になるのではないかと思う。
だから「我在る、故に我在り」となる。
まとめると「自分はこうやってここにいる事に明確な理由はない。ただ、ここにいる事がここにいるという理由である」という事。
もっと簡単に言えば「ここにいるんだからいる」という単純明快な話。
ま、これも1つの真理でしょう。
もっと他にもちがう真理があるはずですからもっと思い馳せて行きますけどね。
では、この辺でノシ

「萌え」

学校での話。
昨日紹介した隣の人の誕生日の件。
それに関連して今日もまたなんかもらってた。
で、見てみたらFateの団扇。
(ちょまwwwwww)
とか思いつつ様子を伺うことに。
そしたら、なんか他の男やら女やらが「これって萌え?」とか言い出す始末。
甘い、甘すぎる……!!
萌えの何たるかも知らずに口にするとは片腹痛いわ!!

そんな訳で、今日は自説「萌えとは何か」を展開してみる事にする。
あ、それに合わせて新カテゴリ「自論」追加。
自分でもたまに何か書こうと思いますが、何か私に書かせてみたい「お題」でもあれば書きこんでください。
余裕があれば(もうすぐ夏休みだし)書こうと思います。
では、追記より論文開始。
※くだらない事を真面目に語ってますが笑わないように。続きを読む

物書きの考え

ここも平和ですね。
・・・たまに業者が来る以外は。
それはさておき。
オジオンさんとこのコメント欄で小説のパーフェクトなキャラ云々の話が出てたので、私が昔ざっと覚えた知識からそれについて書こうかな、と。
まず、第一に小説を書く上で一番大事なのは何か。
それは設定のほか何もありません。
世界観やらストーリーやらキャラ設定やら・・・決めておくに越した事はありません。
私なんかは設定を書こうとしても途中で飽きて書き始めるタイプですけどね^^;

で、小説として大成させたいならある要素が必要不可欠です。
それは何かと言えば、「キャラが勝手に動く」事です。
漫画家や小説家でたまにいますよね。
長くやってるとキャラが勝手に動くって人が。
その領域まで行けばあとは書きつくすだけですからね。

まぁ、ここで本題の「パーフェクトなキャラの是非」ですが。
是か非かと問われたならば、曖昧です。
初心者が書くなら非で、ある程度書きなれた人なら是で構わないでしょう。
「完璧なキャラ」の問題点としては一人で問題を動かせるからバランスが崩壊してしまうわけです。
初心者だとそれでも構わずにあらゆる問題をそいつで解決させるから面白みがない。
書きなれた人は完璧なら完璧なりに他の究極な弱点とか入れたりしてバランスをとるわけです。
小説ではありませんが、フェイトの凛なんかはその典型ですね。

だから、是か非かといえば曖昧。
使いこなせればそれでいい、という感じです。
ま、私なんかは使いこなせないから極力使いたくないですけど。
・・・ゲームの能力とかは別として。
世間的にはまあ初心者的な人が多い事で。
見てて痛々しいSSが何個もありますからね。

特に顕著なのは「Kanon」の「相沢祐一」が登場するときです。
良く分からないが、このキャラは神格化されてます。
戦闘ものなら最強で、恋愛ものなら他作品のキャラからも惚れられたり。
正直アホかと。
戦闘ものの件はかなり無理して目をつぶるにしても、他作品のキャラ寝取るのはいただけない。
そっちの作品の経緯が全く無視されることになるし。
上手く作品をあわせるのはいいけど、それは駄目だと思いますね。
例の「シン・アスカと白河ことりが交流するスレ」でもそれの論争がありましたけど。
ま、今回はこの辺ですかね。
大部分はどっかからの受け売りだったと思いますけど^^;
では、この話題も機会があったら他の部分を掘り下げていきますね。

お題:ボランティア

帰ってきました。
いつもより早いのはHGの機転のおかげ。
マジでHGは頼もしい。
他の先生も何となく気さくな人が多そうだし、ここに入ってよかったかも?

ま、それはさておき。
今日はこれについて語りましょう。
お題「ボランティア」
帰ってくる時にも募金やらなんやらやってましたね。
まず、私個人の考え方から。
ボランティアなど無駄・無益、そして無価値。
別にやってる人に喧嘩売ってるわけではありません。
その通りだと思ってますから。
いや、正確には「一般人にとって」です。
私が無価値と思えるのは「普通の人が何故援助なんて事が出来るのか」という根底に基づいてます。

だって、そうでしょう?
大体の人は自分の生活だけで他に余裕なんてほとんどありはしない。
それなのに、どうして援助なんて出来ようか。
故にボランティアとは「金持ちの道楽」と言える。
そもそもボランティアで得られるのは自己満足のみ。
「貧しい人に援助するなんてやさしい奴だな、私って」と自分に酔ってるだけ。
大体、ボランティアの募金なんかで貧しい人を救えるなんて事はない。
せいぜい暮らしをちょっと楽にさせるだけ。
金が入ったところで、貧しい体制は変わらないのだから、意味がないわけで。
本当の意味で救いたいなら他に方法を取るべき。
体制を変えるような方法を。
だけど、皆は自分の方が可愛いわけだから、無茶な事はしない。
故にボランティアとは自己満足の域を脱しない。
金持ちの道楽だし、本当の意味では救えない。
だからこそボランティアなど無価値。
やるべきでもない事なのである。
ま、自己満足したい人は勝手に募金でもしてなさい、という話。

・・・とまぁ、こんな感じで。
適当に考え付いたままに書いたので突っ込みは入れまくれそうですけどね^^;
とりあえず、この辺でノシ

タイムマシン論

どうも、今日は戦国2からちょっと離れてマターリしてました。

で、昨日から書こうと思ってた議題について取り上げてみようかと。
タイトルにある通り「タイムマシン」について。
完全に個人的主観ですので、本気にしないでください。
まぁ、タイムマシンについてはとりあえず↓参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%B3

まずはタイムマシンの存在の是非について。
専門的な事は分かりませんけれども、私は在ると思っています。

で、よく言われる一般論がありますよね。
「タイムマシンがあるなら今現在に未来人がいないのはおかしい」と言う奴。
私はその問題に対して考えを重ねて結論を導きました。
それは当たり前の事である、と。

上のウィキペディアの参照ページに「ティプラー・マシン」という物があります。
あれこそは私が考えうるもっともタイムマシンに近いものだと考えます。
要するにタイムマシンという物は「特定の機械が作られた以前には戻れない」という特性があると見ています。
それならば、その「特定の機械」が作られていない現在に未来人が来れるはずがない。
極端に言えば、2006年現在よりも過去には絶対に行く事が出来ない、と。

そして、もう一つの問題点についても論じておきましょう。
そう、「タイムパラドックス」についてです。
タイムパラドックスっていうのは直接的に訳せば「時間の逆説」という意味。
つまり、現在の人間が過去に行って歴史を変えてしまったら現在と矛盾してしまうじゃないか、という逆説。

これについても言及しましょう。
そもそも、まだタイムマシンが作られてないので仮定の話になりますけど。
ちなみに、上のウィキペディアの参照ページからタイムトラベルの項に行くとタイムパラドックスについて書いてあります。

結論で言えば、私は「タイムパラドックスはありえない」と考えています。
ウィキペディアの文章を引用するならば「意図的にタイムパラドックスを起こそうと努力しても、その行動は必ず妨害されタイムパラドックスの成立が阻止される」の部分が私の考えと一致しています。
仮に私が過去に行って現在も生きている誰かを殺そうと試みた、とします。
でも、この説が正しければ何らかの理由によって必ず殺害はできない。
むしろその殺害しようと試みた事実すら過去の歴史に残っていたものだ、というのがタイムパラドックスに対する反論とします。

以上が私のタイムマシンに対する大まかな考えです。
駄文ではありますが、皆さんのタイムマシンに対する考えの参考になってくれると幸いです。
では、今回はこの辺で。
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