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三国志

三國志14PK・戦記制覇五丈原司馬懿S編

司馬懿の方もSを取れたので書いていくが、ほぼwikiに頼った攻略になった。
私が固執していた子午谷ルートもやろうと思えばSを取れるのかもしれないが、求められる要素が多すぎる。
その点陽平関ルートは負けることはほぼないので、ただ早くクリアできるかどうかが鍵。

やることは単純で司馬懿、司馬師、司馬昭、司馬孚、王元姫の司馬一族と夏侯覇、杜襲の補佐持ちと単純に優秀な郭淮を引き連れて陽平関前の山道に布陣。
敵を迎え撃ちつつ連鎖ボーナスを狙う。
連鎖ボーナスも+1000が最高なので5連鎖や4連鎖が数回出るとそれで最高点になる。
陽平関や漢中自体は官職で兵数を上げた胡遵の衝車でぶち抜く。

ただSを取った時は敵が本隊ではなく漢中へ子午谷を通って侵攻してくるという魏延現象が起こったため、wikiにない自分のアドリブで対応した。
敵が長安を狙ってきたときには本隊を陽平関の眼前まで進める(攻防が一回減ったものとする)
長安は方円持ちの羊徽瑜に官職を与えて子午谷の出口に陣取らせる。
あと楽奏持ちの游楚を1ターン目の呼寄の際に含めておいて長安にいるなら、羊徽瑜の後ろに陣取らせて士気を回復させるといい。
他は特に変わらず漢中攻略までほ同じ。

これで25ターンクリア、10300程度。
攻防が1回少ない分、ターン数の削減に繋がった。
ようやく初期にあるシナリオを全陣営でS取れた。
司馬懿だけは他人の解法を見てしまったのが痛恨の極みだが、子午谷に固執していた身としては正直視界が広がった感覚だった。

では、この辺でノシ

三國志14PK・戦記制覇五丈原諸葛亮S編

諸葛亮の方はSを取れたので、若干解説してみる。

開始イベントで出てくる司馬懿ら4部隊は陽平関の魏延鋒矢と漢中の呉懿雁行、董厥雁行で対処。
魏延を前面に出すのは接敵直後のイベントで混乱している間に反骨刃で戦法ダメージを稼ぎたいため。
呉懿と董厥は補佐持ちなので連携狙い。
その戦闘中に士気を整えた漢中から諸葛亮雁行と姜維鋒矢、梓潼から兵を入れた陽平関から馬岱投石と張嶷投石を出す。
司馬懿らを倒した魏延を筆頭とした大半は赤岸から陳倉へ出て長安を目指し、姜維だけ興勢を経由して長安へ向かう。
二路に分ける理由は長安への攻撃時に高確率で天水から東進してくるので、仮に陳倉を取られても兵站を維持できるようにするため。
足の遅い投石隊を待ちつつ長安から3マスの距離で待機していると長安から夏侯覇と胡遵あたりが出てくるので采配で諸葛亮の固有を打って長安もろとも混乱掛けながら全軍突撃。
夏侯覇らを倒しつつ長安を落としてクリア。

これで18ターンクリア、10400程度。
どうせ投石が遅いから陳倉のあたりで軍楽台築いて士気回復させても良かったかもしれないが、元々子午谷を抜けるよりは士気減らないしなくて良さそう。
あとこの後に司馬懿でやって9400ぐらい取った時にも思ったけど戦法ダメージ最大狙いの時に采配を使う必要はないかもしれない。

では、この辺でノシ

三國志14PK・戦記制覇五丈原戦略

三國志14PKの戦記制覇をSコンプしようと思い立って数日。
五丈原以外のSランクは達成して残るは五丈原のみ。
現在の状況は
諸葛亮:9638(A)
司馬懿:7271(B)

以下、項目ごとに考察していく

・クリアターン数
他に比べて苦戦している理由はこれ。
五丈原はリミットが57ターンだが、他は84〜93ターン。
つまりおおよそ30ターン程度は短い計算になり、しかもこのターン数の短さは1ターン毎のターン数スコアにも響いてくる。
具体的には他のシナリオより五丈原は1ターンあたり40ほど多くスコアが減る。
20ターンというかなり早い時期にクリアしても他に比べて800もスコアが低い状態になる。
800を他のボーナスで挽回するのはかなり難しい。
これが五丈原のSを難関たらしめている要素であることは間違いない。
目安としては半年18ターンでおおよそ+7650程度。
最悪でも7ヶ月の21ターンで+7250程度を確保しないと話にならない。
だから234年5月になった時点でSはほぼ無理。

・命令書使用回数
これは割合でスコアが付く。
20ターンだと司馬懿が240で諸葛亮が220。
だから20ターンで+800取るなら司馬懿は48回、諸葛亮は44回まで命令できる。
施政は陣形効果、士気上限、訓練効果増加のみに絞り、都市内政は前線以外無視。
他は全部出陣と輸送に回す感じで。
下手したら募兵もなしで上手く回したほうがいいか。

・戦法ダメージ最大値
ダメージ/10がスコアになる。
司馬懿なら兄弟連携付き夏侯覇の突撃。
諸葛亮なら補佐連携付き魏延の反骨刃。
この辺が最大ダメージを狙えるだろうか。
采配に入れておいたほうが良さげ。

・連携発生数
他で取りにくいのでかなり重要な要素。
5連鎖で+500、4連鎖で+250、3連鎖で+100、2連鎖で+20で合計+1000。
これを狙う上では個性「補佐」が非常に重要。
司馬懿軍:夏侯覇、杜襲
諸葛亮軍:呉懿、句扶、董厥
この辺が補佐持ち。
司馬懿なら司馬懿+司馬師+司馬昭+夏侯覇+杜襲か、夏侯覇+夏侯威+夏侯恵+夏侯和+杜襲
諸葛亮だと補佐持ちがいないと2連鎖がやっと。
呉懿・董厥は雁行持ちで比較的使いやすいのでこれを後方に起きつつ3連鎖以上を稼ぎたい。
ちなみに5連鎖できそうならロードしてでも狙いに行ったほうがスコアを稼げる。

・部隊の壊滅数
敵が壊滅したら+100、味方が壊滅したら-100。
合計+1000まで。
どっちみち10部隊も壊滅させる事態がまず起きない。
初っ端の競り合いで4部隊、拠点攻めの最中に2〜3部隊程度が標準。
だから+600〜+700取れれば上々。

・拠点と府の制圧数
拠点は落としたら+300、落とされたら-300。
府は落としたら+20、落とされたら-20。
ここはほぼ固定みたいなもの。自領の府さえ落とされなければ変わらない。
司馬懿は漢中制圧で+620、空白の府で+80の合計700。
諸葛亮は長安制圧で+700。

・采配、提案使用回数
1回ごとに-100。
采配は諸葛亮、司馬懿の固有による混乱狙いか、最大ダメージや連鎖狙い以外では使わない。
司馬懿なら司馬懿か夏侯覇のみ、諸葛亮なら諸葛亮か魏延のみ使うのが良いか。
提案はできれば1回も使わない方が良い。
ここはかなりスコアが厳しいのでせいぜい1回が限度。

・ロード回数
1回ごとに-200。
ロードするほどしくじったなら最初からやり直したほうが良い(断言)
他のシナリオなら余裕があるが、ここだとそんな余裕はない。
例外として4〜5連鎖狙えるならロード込みでもいい。

・イベント発生ボーナス
諸葛亮なら大火計(+250)のみ。
司馬懿は軒並み不利になるようなイベント起こすぐらいならさっさとクリアしたほうが良い。

以上。
18ターン、命令書2割、敵部隊壊滅7回、采配2回、提案1回を基準にすると、
諸葛亮:7650+800+700+700+250-200-100=9800
司馬懿:7650+800+700+700-200-100=9550
つまり、戦法ダメージ+連携発生で諸葛亮は+200、司馬懿は+450以上は稼がないといけないということになる。
しかも采配・提案・ロードをさらに使ったり、攻略が長引くとしたらなおさら。
多連携の発生は大事すぎるな、本当に。

では、この辺でノシ

三國志14PK・戦記制覇編

とりあえず全部1回クリアはしたので、記事でも書いておく。
基本的にクリアまでのターン数が短いことが重要。
半年ぐらいで+8000以上は行くので、そのぐらいが狙い目といえば狙い目。
10ヶ月ぐらいがSまでのリミットかな。
采配戦法、提案、ロードは1回毎にスコアが減るので極力使わない。
とはいえ、采配戦法は大きく有用な時は使っていい。
提案は五丈原で兵糧徴発で使うぐらいか。
ロードはなし。

・反董卓連合
袁紹使用、スコア10682(S)、クリアターン数37
特に言うことがない。
袁紹サイドだと攻略する過程でイベントを次々起こすことができる。
割とターン数は掛かったが、イベントは全部こなせたし他のボーナスも達成しやすいので、戦記制覇初手でもSが取れた。


・官渡の戦い
曹操使用、スコア11857(S)、クリアターン数17
開幕イベントで袁紹の大軍が攻め寄せてくるが、史実同様そこまで緊急ではない。
濮陽への攻撃は割と早いため、濮陽は程┐蕕諒円を水際に立たせて迎撃させる。
それと同時に小沛に軍を派遣してこれを落とす。
陳留は曹操、徐晃、張遼あたりで水際の港辺りまで急行。
小沛が落ちるあたりには許攸が降伏してくるので、淳于瓊を優先して倒す。
また、関羽が仲間になったら突出してくる顔良に向かわせてイベントで倒す。
最初の大部隊が壊滅する頃には敵の戦力はボロボロなので、さっさと勝利条件を満たして終わり。


・赤壁の戦い
周瑜使用、スコア11462(S)、クリアターン数28
海戦では負ける要素がなく、イベントをこなしつつ適当に敵を釣りだして倒す。
劉備も勝手に攻めていって敵を引きつけてくれるので、その間に襄陽まで落として勝利。


・荊州争奪戦
呂蒙使用、スコア10500(S)、クリアターン数18
今回、龐徳や于禁がまともに関羽と戦わず、イベントがほぼ発生しなかった。
イベントがないと関羽軍は普通に撃退されるため、戦力が減った江陵を全軍で攻撃して勝利。


・五丈原の戦い
司馬懿使用、スコア6039(B)、クリアターン数42
まぎれもなく最難関。
一回の攻防に数ヶ月かかることがざらなので、ターン数の消費が激しい。
おまけに行軍が長引くことで兵糧の消費も激しい。
行軍が長引くとイレギュラーへの対応がしづらいのでノーロードとしてもきつい。
序盤に強引に攻めようにも漢中・陽平関ともに兵力がかなりあるので難しい。
おまけに最も強い司馬懿を向かわせるとかなり不利になるイベントが発生するので、使い難い。
かといって出陣させなくても不利になるイベントは発生するが・・・。
キーパーソンは郭淮。山戦と長蛇持ちで能力も高い。
他に前線に立たせる価値があるのは司馬兄弟、夏侯兄弟、楽綝・張虎コンビ、杜襲(山戦・長蛇持ち)あたりか。
興勢、赤岸、武都、陰平あたりを取ると姜維・馬岱・王平・呉懿あたりが1部隊15000程度で攻めてくるのでこれを司馬懿抜きで上手く倒すことが課題。
地形的にラインを切ること自体は難しくないので、上手くラインを切ってさっさと殲滅すればターン数削減できそうではある。
殲滅してもその後の采配をどうするかは問題だが。
陽平関を抜くと時間がかかるので、やはり子午谷ルートが正規になるのだろうか。
こっちから進攻すると司馬懿を使っても大丈夫なので、司馬懿主体がいいか。


では、この辺でノシ

西晋における司馬一族の大身・西晋建国〜統一編

前回の記事では各家のそれぞれの詳細をまとめ始めたが、それとは別に西晋の各時期における司馬一族の要職についていた者について網羅していく。
今回は西晋建国から西晋による統一の時期、つまり265〜280の話。

・品秩視点
司馬孚(〜272):上公(265〜272)
司馬望(〜271):三公(265〜268)、上公(268〜271)
司馬攸(〜283):二品(265)、一品(266〜276)、三公(276〜282)
司馬亮(〜291):二品(265〜270)、三品(270〜275)、二品(275〜277)、一品(277〜282)
司馬伷(〜283):三品(265〜269)、二品(269〜277)、一品(277〜283)
司馬駿(〜286):二品(265〜276)、一品(276〜286)

西晋統一までに一品までたどり着いたのは上記6人(だけのはず)。
司馬懿世代ではそもそも生き残ってるのが司馬孚のみで、司馬孚。
司馬師・司馬昭世代では最年長の司馬望と司馬炎から見て叔父の司馬亮、司馬伷、司馬駿。
司馬炎世代では伯父の後継で弟の司馬攸。
司馬孚・司馬望の親子が別格であって、他は司馬懿直系が上位に来ている構図。

-司馬孚(司馬懿の弟)
魏の時代から太傅(上公)で、西晋建国後は太宰(上公)に移った。

-司馬望(司馬孚の次男)
司馬炎が晋王になってすぐに司徒(三公)となり、まもなくして太尉(三公)になり、呉軍撃退の功績で大司馬(上公)に上り詰めた。

-司馬攸(司馬昭の次男)
司馬攸は魏の時代に衛将軍(二品)で、西晋が建国されると衛将軍ではなくなりどんな職に就いていたかは不明。
266年に王沈が亡くなると、その後任として驃騎将軍(二品)になり開府儀同三司(一品)を加えられる。
270年に孫秀が降伏してくると、鎮軍大将軍に移る。
西晋による統一時は司空(三公)になっていた。

-司馬亮(司馬懿の三男)
魏の時代に鎮西将軍(二品)で西晋建国後も継続するが、胡烈戦死の責で平西将軍(三品)に降格。
その後は撫軍将軍(三品)、衛将軍(二品)を経て277年に鎮南大将軍として開府(一品)。
西晋による統一時には撫軍大将軍となっていた。

-司馬伷(司馬懿の四男)
魏の時代に征虜将軍(三品)で西晋建国後は撫軍将軍(三品)となった。
それから鎮東大将軍(二品)となり、277年か280年か282年に開府儀同三司(一品)を加えられた。

-司馬駿(司馬懿の六男)
魏の時代に安東大将軍(二品)で西晋建国後も継続。
司馬亮が降格すると後任として鎮西大将軍(二品)となり、276年に征西大将軍(二品)になると同時に開府儀同三司(一品)を加えられた。


・都督諸軍事視点
司馬孚(〜272):中外諸軍事(265〜272)
司馬望(〜271):大都督諸軍事(268)
司馬亮(〜291):関中・雍・涼諸軍事(265〜270)、豫州諸軍事(277〜278)
司馬伷(〜283):徐州諸軍事(269〜280)
司馬駿(〜286):豫州諸軍事(265〜268)、揚州諸軍事(268)、豫州諸軍事(268〜270)、関中・雍・涼諸軍事(270〜286)

都督諸軍事とは西晋時代における地方指揮官であり、つまり地方で大軍を指揮できる権限を持つ職。
軍事的才能もさることながら裏切らない確信がある人物が適任と言えるだろう。
西晋初代皇帝である司馬炎のときは一族がよくまとまっており、才能ある司馬一族をつけておけば問題ない状況だった。

-司馬孚(司馬懿の弟)
建国から死に至るまで都督中外諸軍事となる。
中外諸軍事は魏の時代からの最高権力者の伝統職のようなもの。
魏の時代では曹真、曹爽、司馬懿、司馬師、司馬昭が就いていることからもそれが明らか。
建国時の司馬一族で最も権威のある司馬孚がこの職に就くというのは妥当と言えるだろう。
司馬孚の後、八王の時代に至るまで中外諸軍事は登場しない。
皇帝がきちんと権力を持っているときには必要ないということだろう。

-司馬望(司馬孚の次男)
建国当時は諸軍事ではないが、中領軍であり司馬孚の補佐みたいな立ち位置と言っていい。
268年、孫呉の侵攻に対して大都督諸軍事となる。
おそらく荊州・揚州を統括する臨時職か。
大司馬石苞が召還された後、そんな職を全うできるのは太尉の司馬望か大将軍の陳騫ぐらいなもの。
その後も孫皓の謎の動きに対応するなど南方対応に回されている。

-司馬亮(司馬懿の三男)
建国当時の関中・雍・涼諸軍事というのは西晋重要職の一つで司馬一族でも皇帝の近親しかなれないと明記されるほどの職。
魏の末期に司馬望が就いてから蜀討伐のために鍾会・艾らが就いた後、司馬亮が全てまとめて兼任することになる。
だが、司馬亮には軍事的才能がなく、胡烈が戦死するに及んで免職となる。
それからしばらく中央にいたが、司馬孚・司馬望親子が相次いで死亡したので一族の最年長となり、宗師として扱われるようになる。
豫州諸軍事として地方軍権持ちに復帰するが、結局中央に戻って中央における司馬一族の筆頭となる。

-司馬伷(司馬懿の四男)
建国して少しの間は中央にいたが、それから徐州諸軍事となる。
青州・徐州・豫州の三州の諸軍事も比較的司馬一族が担当することの多い重要職。
おそらく魏の時代から反乱が続く淮北の監視を踏まえての人事だろうか。
孫呉討伐時も討伐軍の一方面を担った。

-司馬駿(司馬懿の六男)
建国してからひたすら地方で諸軍事を司る。
268年には石苞更迭に伴うワンポイントリリーフとして起用され、降格処分となった司馬亮の後任として関中・雍・涼諸軍事になった。
この点から見ておそらくこの時点の司馬一族で最も軍事的才能を持っていたと思われる。
武帝紀においても(敗北ばかりの司馬亮とは正反対に)度々敵を打ち破った記述がある。


・まとめ
この時期の司馬一族の中心人物は6人。
司馬孚・司馬望の魏の時代から司馬一族を支えた親族親子。
皇弟の司馬攸。
皇叔兼実兄弟の司馬亮・司馬伷・司馬駿。
中央を司馬孚、司馬望、司馬攸が固め、地方を司馬亮、司馬伷、司馬駿が固めるような体制となっていた。
だが、司馬孚、司馬望親子が270年代前半に亡くなり、この後に他大半も280年代半ばに死亡し、この中で唯一能力不足が露呈している司馬亮のみが残ってしまうことが後の禍根に繋がるのだった。


・この時期に亡くなった主要人物の評
-司馬孚(司馬懿の弟)
司馬八達の中では最も長生きどころか子供も孫も先に逝きまくる。
享年93というこの戦乱の時代に一世紀近く生きた超人の一人。
当然のように一族の長老として敬われ、司馬師が大将軍を三公の下に置くような特例措置を取ったり、司馬昭が曹髦の葬儀に関して司馬孚らの意見を通すなど、発言力はかなり高い。
魏の忠臣とは言うが、おそらく司馬氏が取って代わること自体には反対していなかったんだろうな。
司馬氏にも1人はこういう役どころが必要だということで、司馬孚・司馬望らがそれを担う立場にあったんだろう。
西晋建国以降は太宰・中外諸軍事という軍政の頂点となったが、ほぼ親族の取りまとめに終始していた。
司馬炎は100まで教えを乞いたかったとか無茶なことを言うが、仮にあと7年長生きしてもさほど後の趨勢に関わることはなかっただろう。

-司馬望(司馬孚の次男)
司馬孚の実子にして司馬孚の兄である司馬朗の家の家督。
八達世代の一世代下の司馬師・司馬昭世代では最年長。
そして司馬孚ほどではないが長生きした。
魏の時代では父に似て魏寄りだったが、父のように真っ向から司馬師たちに反抗するほどの力はなかった。
それでも西方の指揮官として姜維と渡り合うなど、能力は低くない。
西晋建国以降は中領軍として中央軍を率いたり、孫呉の侵攻には大都督として出陣したりと軍事面のトップとしての働きが目立つ。
魏の時代から自分の采配自体で敵を撃退したことはないが、麾下の将軍たちが敵を撃退しているのを見る限り、夏侯惇のような「将の将」タイプの将軍だったと言える。
271年に死亡し、享年67。
司馬孚に比べると短命だが、この時代としてはよく生きたほうだろう。

曹魏から西晋における司馬一族の調査・司馬朗家編

最近三国時代近辺では八王の乱に興味を持っている。
八王の乱では司馬一族が入り乱れて戦うことになるが、誰がどういう立場で行動していたのかいまいちわからないので、各家の司馬一族がどういう道のりを辿ったのか簡易的に書いていきたいと思う。
とりあえず司馬八達の家ごとに書いていく。
といっても一族が隆盛するのはおおよそ司馬朗家、司馬懿家、司馬孚家なので、その他はまとめて書いていくかもしれない。
では、まず司馬朗家から。
記述期間は司馬一族が曹魏に仕え始めた190年代後半から永嘉の乱で洛陽が陥落する311年まで。

・司馬朗(1)
字は伯達。
生没年は諸説あり、没年217は確定として生年は享年から逆算した171か仕官時の年齢から175前後と見られる。
司馬一族では最も早く曹魏に仕える。
もっぱら地方の県令を歴任し、丞相主簿を経て兗州刺史まで登った。
217年、濡須口の戦いに従軍した際に疫病で死亡。
実子の司馬遺と養子の司馬望が後を継いだ。

・司馬望(1-1)(初代義陽王)
字は子初。
生没年は205〜271。
元々は司馬孚の次男だが、司馬朗の養子となった。
おそらく実子がもう望めないと思って養子を迎え入れたが、その後に実子が生まれたパターン。
251年、司馬懿が王凌を討伐するとそれに従軍した功績として永安亭侯となる。
おそらくこの時点で司馬遺は病床にあるなどで家督の任に耐えられず、一族の長である司馬懿の命によって司馬望が家督を継ぐことになったのではないだろうか。
だからこそ「三国志」「晋書」両方において司馬望は司馬遺からではなく司馬朗から継いだとあるのではないかと推測する。
魏の末期には衛将軍、驃騎将軍、司徒などの高官を歴任。
265年、西晋が誕生すると義陽王となった。
食邑1万戸は司馬懿直系を除くと父の司馬孚に次ぐ多さ。
西晋では太尉や大司馬といった軍事最高職に就き、呉の侵攻にも大都督として対応した。
271年、病死。享年67。諡は成。
ケチで蓄財家だったため、死後に見つかった財産の貯蓄量から批判された。
後継は先に死んだ息子2人を経由して最終的に孫の司馬奇となった。

・司馬奔(1-1-1)
司馬望の長男。司馬望の後継とされたが、司馬望より先に死んだ。
生没年は弟の司馬洪の生年が236年より前なので生年は当然236年より前。
同じく後継とされた弟の司馬整が死後王になっているのに比べ、司馬奔には何もない事から没年は265年より前ではないだろうか。

・司馬奇(1-1-1-1)(2代義陽王、初代棘陽王)
司馬奔の長男。祖父の司馬望に似て強欲で勝手に交易を始めた。
288年、義陽王と司馬望の後継を剥奪され、三縦亭侯となった。
301年、義陽王を継いでいた司馬威が誅殺され、司馬望の後継に復帰し棘陽王となった。
以降不明。

・司馬威(1-1-1-2)(2代河間王→初代章武王、3代義陽王)
字は景曜。
司馬望の次男・司馬洪の長男。
276年に司馬洪の後を継いで河間王となり、277年に章武王に移った。
288年、司馬奇が後継を剥奪されると、司馬望の後継となり義陽王を継いだ。
301年、司馬倫に媚びへつらい恵帝から璽綬を取り上げ、司馬倫敗亡後にそれを恨んだ恵帝の命により処刑された。

・司馬整(1-1-2)(初代随王)
司馬望の三男。司馬奇の次に司馬望の後継とされたが、司馬望より先に死んだ。
死後に義陽国の中の随県を追封された。諡は穆。
生没年は不明だが、上と下が司馬炎との生年順に異なるということは236年付近。
没年は死後王にされていることから265年よりは後。

・司馬邁(1-1-2-1)(2代随王)
司馬整の子。司馬整を継いで随(県)王になる。
288年、同じく義陽国の平林を封地として追加され随(郡)王となった。
以降不明。

・司馬楙(1-1-3)(竟陵王)
字は孔偉。
司馬望の四男。
生年は不明だが、司馬炎から見て従父弟なので、236年よりは後。
265年、西晋が誕生すると東平王となった。
八王の乱では度々敗者側の陣営に属したが、上手く立ち回って処罰を逃れた。
306年、懐帝が立つと竟陵王に移った。
311年、洛陽陥落時に殺害された。

・司馬遺(1-2)
司馬朗の実子。司馬望よりは歳下。
226年、曹叡より昌武亭侯に封じられる。
この点から少なくともこの時点では司馬朗の後継は司馬遺と見做されていたことがわかる。
この後の事績は不明だが、251年に司馬望が列侯されていること、254年の曹芳廃嫡時の昌武亭侯が荀廙となっていることからこの前後に死亡したと思われる。

・司馬洪(1-2-1)(初代河間王)
字は孔業。
司馬望の次男。
生年は不明だが、司馬炎から見て従父兄なので、236年よりは前。
司馬遺の養子となり、後を継いだ。
斉王紀によると昌武亭侯にはなっていないが、264年に五等爵が復活すると襄賁男になっている。
他の親族の例から亭侯相当とは思われるため、斉王紀が間違っているか他のなんらかの亭侯になっていたと思われる。
265年、西晋が誕生すると河間王となった。
276年、病死した。諡は平。
後継は初め長男の司馬威が継いだが、司馬威が義陽王(司馬望)を継ぐ事になったため、次男の司馬混が後継となった。

・司馬混(1-2-1-1)(2代章武王)
司馬洪の次男。
司馬威に代わって司馬洪の後を継いだ。
311年の洛陽陥落以前に死亡している。
洛陽陥落時に司馬混の息子たちは全員囚われ、後に末の子の司馬滔のみが東晋に帰ることが出来た。

-代表者-
家督:朗(〜217)→遺(217〜251?)→望(251?〜271)→奇(271〜288)→威(288〜301)→奇(301〜不明)
補佐筆頭:望(217〜251?)→洪(251?〜276)→楙(276〜311)
※補佐筆頭は家督以外の家の年長とする。


-総括-
司馬朗家と言いつつ、大半は養子の司馬望の一族。
司馬朗の後継周りは若干謎を感じないでもない。
司馬朗の実子の司馬遺が当初後継と見做されていたであろうことは226年という列侯の早さから伺える。
にも関わらず251年には司馬望が列侯され、おそらくこの時点で司馬望が司馬朗の後継だと確約された。
家を繋げるだけであれば、ただ司馬洪に継がせて司馬望は別の家という扱いで良かっただろうに何故かこういう処置をとった。
これは251年というまだ司馬一族が盤石でない中で司馬懿の余命が残り少ないという時勢が関係していたのかもしれない。
最初は兄の血統が司馬師たちの邪魔になるからでは?と考えたが、何もなければ絶えるだけだったことを考えると、司馬朗家という家を潰すのが司馬一族にとって不利だったからと考えるのが妥当だろうか。
司馬望は司馬師世代では最も年長であり能力も低くないので、一族の補佐を務めさせるには適任だった。
故に司馬朗家の家督として改めて定め、司馬一族の一翼を担わせることを狙ったというのが実情か。
もっとも司馬望は曹髦と仲が良かったので司馬師たちとの確執を恐れて西に逃れている。
それでも西の地方軍を押さえていたというのはプラスか。

最終的に父・司馬孚に次いで大身となった司馬望は、当初の計画通りに司馬懿直系の補佐を見事に勤め上げたと評価していいだろう。
宗室伝巻末の賛には登場しないことから、晋書の当時は宗室の中で取り立てて言うこともないと思われていたのかもしれないが。

司馬望以降の子孫たちで八王の乱に直接関わったのは司馬威と司馬楙ぐらい。
とはいえ、どちらも従属するにとどまる程度。
西晋司馬一族の中では最上位に位置する司馬望の子孫でも権力的には従属するに留まることを考えると、司馬懿直系以外で八王に連ねた二人は他の支流と比べるとよっぽど優れていたのだろうと思わされる。

三國志14能力再考査・蜀末期上級将軍編

題名通り、三國志14の武将の能力を再評価していく。
今回は諸葛亮の北伐開始以降に一定のランクの将軍位に就いた武将が対象。
将軍位の一定ランクについてだが、某所に蜀漢の将軍位の序列考察がある。
それをまとめると、
1:大将軍(上公)
2:驃騎将軍・車騎将軍・衛将軍(比公)
3:撫軍・輔国・輔漢の大将軍
4:四鎮大将軍
5:鎮軍大将軍
6:四征大将軍
7:四方将軍
8:撫軍・輔国・輔漢の将軍
9:四鎮将軍
10:鎮軍将軍
11:四征将軍
で、11番の四征将軍以上になった武将限定。
だから張嶷などは今回考査の対象外。
また、司令官路線の蔣琬・費禕・姜維、中央で尚書担当兼将軍の董允・陳祗・諸葛瞻・董厥などは色が違いすぎるので今回考査の対象外。

そして該当する連中を年代順+序列にまとめるとこんな感じ。
-北伐開始頃-
1:李厳
2:魏延
3:趙雲
4:陳到
-李厳失脚頃-
5:呉懿・呉班
6:高翔
7:輔匡
-諸葛亮死後-
8:芝
-240年代前半-
9:馬忠・王平
10:句扶
-240年代後半-
11:胡済
-250年代-
12:張翼・廖化
13:宗預
14:閻宇

ここに入ってきてる武将は蜀漢で高位の将軍になっているということであり、その年代では統率に優れているはず。
にもかかわらず、ちょっと弱すぎない?みたいのが散見されるので、その辺の強化を図っていく。
以降長くなるので続きへ。
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【三國志13PK】エイプリルフールに間に合わなかったネタ

中華の剣
199年、中華は戦火の炎に包まれた!
城は壊れ、村は燃え、漢帝国は滅亡したかのように見えた。
だが、漢帝国は滅亡していなかった!
皇叔・劉玄徳が立ったのである。
選ばれし10人の雀士がこの地に舞い降りたのである。
彼女たちの目的は中国大陸の統一。
そのためにそれぞれ周囲の異民族に戦いを挑む。
その中の1人、池田華菜は敬愛する福路美穂子と共に自らも異民族を攻めんとした。

しかし。
逆襲の池田
出遅れるにもほどがあり、なんと他の雀士たちが周辺の勢力を全て倒し、そのまま乗っ取ってしまった。
池田たちはその辺の空白地での旗揚げを余儀なくされるのであった。

麻雀戦士サキ〜逆襲の池田〜

20XX年公開予定

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夏侯淵の息子の生年を考えてみる

題名の通りだが、なんでこんなこといきなりやるのかと言えば、三國志13PKの姜維北伐における適当な武将配置に不満を覚えてイベント編集で没年253以前の人物を軒並み死亡扱いにしてる時に夏侯威を見かけたから。
そして、13PKの没年は結構いい加減な事に気付いたから。
孫魯班と孫魯育がどっちも没年252ってどうなってんだ。

話を戻すが、演義とかコーエーのゲームにおける夏侯淵の息子は覇・威・恵・和の4人だが、正史によると他にも衡・称・栄の3人がいる。
そもそも夏侯覇の字が仲権、夏侯威の字が季権という時点で、字の命名に伯仲叙季幼を使ってるのは明白。
そりゃ長男と三男が抜けてるのがやすやすと分かる。
なんで演義でいないのかって言うとさっさと死んでたりとか、全く活躍してないからだろうか。
ちなみに息子の順番は衡・覇・称・威・栄・恵・和の順。これは字からも分かる。

で、本題である息子どもの生年について。
13PKでの夏侯覇たちの生没年は以下のようになっている。
夏侯覇:202〜262
夏侯威:204〜253
夏侯恵:206〜242
夏侯和:207〜265

しかし、五男の夏侯栄は13の時、定軍山(219年)で死んだとあり、当時は数え年であるので207〜219が生没年となる。
となるとコーエー設定の六男の夏侯恵と七男の夏侯和の生年はすでに破綻している。
夏侯淵の息子で唯一生没年がはっきりしているのがこの夏侯栄なので、その兄が207以前の生まれ、その弟が207以降の生まれというのがはっきりする。

次に話題にするのが、張飛の妻・夏侯氏。
この夏侯氏が夏侯覇の従妹であることが正史には書かれている。
そして、この夏侯氏は200年の時に13〜14ほどとされているので、生年は187〜188。
従って夏侯覇の生年もそれ以前という事になる。
コーエーの設定とやたら離れてないか?とも思うし、この後黄初年間(220〜226)までなんら官爵や将軍位を得ることがないので怪しいんだが(曹丕が皇帝になってから官爵任命してるだけで、そうでもなきゃ曹真や曹休とかそういうクラスで漢中攻防前後に任命なんだから特になくても問題なさそう)、三男・夏侯称が187年生まれの曹丕と身分を越えた親交があったと記されていることから年齢もそこまで変わらないだろう。
それを考えると夏侯覇が187年以前の生まれというのもある程度納得できる。
また、これは信憑性が薄いことで定評のある魏略の記述だが、兗州・豫州で大乱があった時(おそらく黄巾の乱)、飢饉の中で自分の子を捨てて死んだ弟の娘を活かしたとある。
捨ててるのに夏侯淵死後も生存確定してる長男の夏侯衡なのかどうか微妙だが、少なくともこの時期に一人は子供がいたのならこの後200年代まで子供が全くいないとは考えづらい。

そんな訳で、夏侯衡・夏侯覇・夏侯称の3人に関してはおそらく180年代の生まれだろうと思われる。
魏略の幼子が夏侯衡なら180年代前半、夏侯衡でないなら夏侯覇と合わせて180年代半ば、夏侯称は180年代後半になる。
そこで次の話題が四男・夏侯威の生年。
五男の生年が207年なので夏侯威は180年代後半〜207年までのどこかが生年となる。
また、方技伝によると夏侯威の享年は数え年で49らしい。
70まで生きて天子の後見役になる、というのを真面目に考察するのであれば、この天子というのは司馬炎ではなかろうか。
夏侯威は羊祜を通じて司馬氏とも縁戚関係にある。
265年の晋成立時に70だとすると生年は196年。
まぁ推測としては悪くない位置ではないか?
って、70が寿命だとするならもうちょっと早く晋成立しないとダメだろうから190年代後半って所か。

そして、夏侯威・夏侯恵・夏侯和は太和年間(227〜233)に揃って関内侯になっているので、夏侯栄以降の2人もそこまで遅い時期の生まれではないだろう。

結論。
夏侯衡:180年代前半〜220年代前半?
夏侯覇:180年代半ば〜259年
夏侯称:187年前後〜204年前後
夏侯威:190年代後半〜240年代半ば
夏侯栄:207年〜219年
夏侯恵:208年〜244年
夏侯和:209年〜275年以降

没年についてもちょいと解説入れていく。
・夏侯衡
あまりにも事跡が少ない。
その割には夏侯淵死後まで生きていることはわかってる。
夏侯覇が黄初年間(220〜226)に色々授かってる時に何も沙汰がないし、夏侯覇が戦に登場する230年とかにも何もないから220年代には死亡している可能性が高い。

・夏侯覇
趙雲伝での記述を見る限り、陳祗死後(258年)かつ関羽らが追諡される(260年)前に死んでいることが分かる。
また、259年に廖化と張翼が夏侯覇の就任していた車騎将軍を左右に分けて就任していることから、259年に車騎将軍に就任したまま没したと見るのが一般的。
コーエーの262年は演義に準拠したもの。

・夏侯称
18歳で若くして死んだとあるので、生年を曹丕前後とするなら204年前後になる。
また、夏侯称の死が後半3人を毎年のように誕生させるきっかけになったのではないかとも思う。
夏侯衡が事跡に何も残らないほど冴えない長男で、夏侯称は若死に、夏侯威もまだまだ未知数で夏侯覇ぐらいしかまともに働ける息子がいないという危機感があったからこその血族増やしなんじゃないかと。
さらに言うなら夏侯惇の方の息子もちょっと酷いのもあるし。
そうだとするなら夏侯称は189〜206ぐらいが一番それっぽいかも。

・夏侯威
前述の通り、49で死亡。
まぁ方技伝っていわばオカルトの類だからどこまで信じるべきかって所ではあるが・・・。

・夏侯栄
ここははっきりしてるのでスルー。

・夏侯恵
37で死亡。

・夏侯和
何もかも不明だが、司馬炎が重病になった時も生きている。
司馬炎が重病になったのは統一の5年前の275年なので、死んだのも275年以降。
それ以上のことは分からない。

夏侯淵の息子は短命とかいう意見もあるが、これを見る限り本当に短命なのは夏侯称ぐらいだ。
夏侯衡や夏侯恵もやや短命だろうが、夏侯覇や夏侯和は長命だし、個々によるといったところだろうか。

では、この辺でノシ

三國志13PK・その2

じゃあ今回はアプデが来てない初版での不満点でも語っていこうかと思う。
ちなみに、現時点でやったのは侠客と商人プレイでクリアと、他ちらほら程度。

・不具合について
関羽の死イベントで長沙が劉備軍以外の場合、長沙にいる武将が全て成都に拉致されて劉備軍になる(3/10アプデで解消)
史実武将を編集して再起動すると性格が小心になる(3/10アプデで解消)
一騎討ちや舌戦において女性汎用グラが出てくると極端に重くなる(2/23アプデで解消)
采配戦闘中に異常終了することがある
合肥の戦いが219年シナリオでも発生する(3/10アプデで解消)

現状気になってる明らかな不具合はこんな感じ。
特に上3つはきちんとデバッグしてればすぐ分かる不具合だと思うんだが、なぜこんなことになるのか。


・プレイ中の不満点
大国を相手取ると延々と部隊を派遣し続けてくるので休む暇も何もない。
無印では出てきた部隊で一旦攻勢が終了して間が空くが、今回はそういう事がない。
武将プレイとかやってるような余裕がまるでない。

軍勢士気というシステム自体はいいが、回復があまりに大きすぎるせいでかなり遠方からでも出撃できたり、してくるのは如何なものか。
しかも平均を取られているのか、一部隊は士気が高いのにもう一部隊は士気が低いままとかもあった。

都市を攻め落とした直後に敵部隊が到着すると「○○近郊の戦い」となって都市で迎撃が出来ず、戦ってる間にその後に来た敵部隊によって都市を落とされることがあった。
無印だったら普通に近辺にいるだけで都市防衛になるのにPKはなぜこうなるのか。

同志を作ると一般武将の任務志願がなくなるのが微妙。

シナリオの配置もよく見ると変だったりする。
孟達が寿春にいたりするのはおかしい。
姜維北伐に至っては253年スタートの割に孫権が生きているし、強端みたいな制作側が没年230にしているような武将が生きていたりする。
架空は架空でももう少しそれっぽくする努力をしてほしい。


・イベント編集の不満点
(発生条件編)
「主人公が○○でない」がないため、死亡イベントが作りづらい。
登録イベントを発生済みイベントに出来ないので、連続したイベントを作りづらい。
所属勢力が主人公か○○系しかないため、主人公が所属していない新勢力などを発生条件に出来ない。
※○○系は英雄集結に存在する勢力+張楊・袁譚・区星・張挙
結果に○○が所属する勢力が指定できるんだから条件にもそれを入れて欲しい。
身分・絆・威名・官爵などに一致だけでなくそれ以上、それ以下も欲しい。

(登場人物編)
せめて10人使用可能にして欲しい。

(内容編)
人名や地名の文字の色を変えられるようにして欲しい。
あと(1)とか入れると入れてないのと比べて一文字誤差が出たりするのをどうにかして欲しい。
武将の立ち絵で戦闘グラを使えるようにして欲しい。
武将の一言ボイスも入れられるようにして欲しい。
ってか、公式で表現できるのを全部できるようにして欲しい。

(結果編)
官爵を変更できるようにして欲しい。
勢力の独立を出来るようにして欲しい。
都市の所属を空白に出来るようにして欲しい。
数値の割合変更を出来るようにして欲しい。
未発見の武将を仕官出来るようにして欲しい。

こんな所だろうか。
イベント編集は改善して欲しい所がかなりあるので、どうにかならんものか・・・。

では、この辺でノシ

三國志13PK・その1

PKの歴史イベント全部埋まったよ! わーい!

大半のイベントは軽く集められるんだけど、一部やたら厳しいものがあったんでようやくって感じ。
というか、中華ツールとPKの編集機能をフル活用してなんとか起こせたイベントが一つある。

じゃあとりあえず無印と同じように解説していこうと思う。
その前に無印の記事へも誘導しておこう→無印のイベント条件解説

無印と同じく続きから。
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三國志のシナリオについて

歴代のコーエー三國志(1〜13)において採用されているシナリオの年を調べてみた。
多い順にランキングしてみる。
といっても184〜234まで毎年ある8を考慮し、8以外で複数採用されている登場3回までとする。
6における短期シナリオなどは除外。PK追加シナリオ、DLCは考慮。
あくまで全国統一を目的とし、全勢力使用可能な史実シナリオに限る。

1位:10回 184年(3、5〜13)
2位:9回 189年(1〜8、10)、194年(2〜4、6〜11)、200年(5〜13)
3位:8回 207年(6〜13)、208年(1〜5、8、12〜13)
4位:6回 201年(1〜5、8)、211年(7〜12)、219年(5〜6、8〜9、12〜13)
5位:5回 190年(8〜9、11〜13)、234年(5〜9)
6位:4回 195年(1、8、12〜13)、198年(8、11〜13)、217年(7〜8、10〜11)、221年(3〜4、8、10)、223年(6、8、12〜13)、225年(7〜9、11)
7位:3回 192年(6〜8)、214年(8、12〜13)、215年(1〜2、8)、227年(7〜8、10)

上の方に来るのは当然の話だが、テーマがはっきりしている年のものが多い。
184年は黄巾の乱、189年は反董卓連合、194年は群雄割拠、200年は官渡の戦い、207〜208年は三顧の礼・赤壁の戦いなど。
初代三國志からのシナリオ1は反董卓連合で黄巾の乱は5から本格的に追加されたものだが、反董卓連合はシリーズによって190年1月だったりすることも多いので2位に留まった。

近隣の年と統合して1からずっとあるのは、
189〜190年(反董卓連合)
194〜196年(群雄割拠)
200〜201年(官渡の戦い)
207〜208年(赤壁の戦い)
の4箇所ぐらい。
これらの年代以外でランキング上位に連ねているのは211年、219年、234年あたり。
211年は潼関の戦い、219年は定軍山もしくは樊城の戦い、234年は五丈原の戦いがテーマだろうか。
特に219年は劉備軍最盛期として設定されることも多い。

逆に言うと、これ以外の年のシナリオというのは8にしかないぐらい貴重なものと言える。
185〜188年の散発的な反乱期とか、202〜206年の袁家の内ゲバとか、228〜233年の諸葛亮北伐中とか普通なら採用されないようなレアさがある。

さて、13PKでは223年シナリオが追加されることになったわけだが、この先DLCかなにかで追加されるとしたらどの年が来るだろうか。
現状は184年、190年、195年、198年、200年、207年、208年、214年、219年、223年とまぁ数だけは揃ってる。前期シナリオに関しては。
ここから追加されるとしたら211年、227〜228年、234年シナリオが濃厚か?
それ以降で採用したことがあるのは235年(諸葛亮死後)、241年(芍陂の役)、249年(司馬懿クーデター)、253年(姜維北伐)、257年(諸葛誕の乱)、263年(蜀滅亡)あたり。
このうち253年は仮想シナリオとして採用されたからまず史実シナリオとしての採用はない。
そもそも234年以降のシナリオが早々作られるかという話だが、末期の武将がこれだけ揃ってるような三國志も滅多にないから作れるなら作って欲しいというのが心情。

では、この辺でノシ

三國志回想

13もやるべきことがなくなってPK待ち。
シリーズの集大成を謳ってるわけだし、ここらで個人的なシリーズのまとめでも書いていこうか。
シリーズで明らかにプレイしたことがないと言い切れるのは6と12。
プレイしたと言い切れるのは1、2(ツクール)、5、7、8、9、10、11、13。
3は多分プレイしてない。画像を見ても何一つ思い出せないし。
4はパッケージに既視感があるが、プレイ画像を見ても思い出せない。
UIが5とほとんど変わらないのもその一端ではある。5は強烈に覚えてるから。

そんな訳でプレイしていないであろう3、4、6、12以外のシリーズについての話をしていく。

・初代三國志
物心ついた頃には家にあった。
まぁこのゲームのFC版が出たのは私が生まれた年なんで、そりゃそうなんだが。
ファミコンソフトと言えば通常紙のパッケージみたいなのに入ってるが、初代三國志はなんかえらいごてごてしたプラスチックパッケージだった。
値段いくらくらいしたのか分からないが、FC版三國志2が11800円らしいので初代もそれなりに高いソフトだったと思われる。

私の三国志との出会いはまさにこのソフトだったわけだが、それなりにプレイした。
反董卓シナリオの初手呂布・賈ク登用とか、囲んで火攻めとか。
捕まえると即仲間に出来たりするのがいまとは違う所。
当時は孫堅ばかり使っていたような気がする。
BGMもかなり印象に残ってるね。当時が当時だからそんな長い曲調を収録できるわけじゃないし。


・三國志2
私は三国志ツクールでしか知らない。
ということで、この作品のプレイ自体が去年と相当最近の話。
まぁ今時になってプレイするゲームとしては流石にシステムが古すぎるというのは感じる。


・三國志5
三國志シリーズでも名作に推されることが多い作品。
グラフィック、BGMも進化してきてるし、新君主も作れるようになった。
武将がいればいるほどに便利になり、特技や陣形などで個性もある。
武術大会などの飽きさせない工夫、名声で将軍位授与とか埋伏、修行とか色々思い出せることが多い。
この頃の三國志の攻略本はユニークなものも多く、それを読んでいるだけで面白かったりする時期でもあった。
今でも通用する名作だとは思うが、9をやり倒してるとさすがに一種の物足りなさを感じないこともない。


・三國志7
個人的には最もプレイした三國志の1つ。
BGMがいいし、初の武将プレイということで配下武将の立場でやりまくった。
劣勢でも条件が揃えば数倍の敵を跳ね除けるのが容易だったりするのも個人的には爽快感があっていい。
グラフィックもこの頃の淡いようなイメージは悪くないと思う。
今の写実的なのが悪いとは思わないけど。


・三國志8
7に続いての武将プレイ。
特筆すべきは184〜234まで毎年シナリオがあることだろう。
その全てのシナリオでオープニングがある上に、一部の勢力では追加で掛け合いがあったりとこれだけでも凄まじい労力だったろうというのが伺える。
内容としてもまぁ悪くないのだが、7をやり通した身としては戦争が3ヶ月毎にしかできないのが非常に不満だった。
時間に縛られてる感があってしょうがなかった。
このゲームで最も記憶に残っているBGMは最初のメニュー画面の曲。
シナリオとその説明とか見てるだけで相当時間かかるからね。
IFが多彩なキャンペーンシナリオもかなり印象に残っている。
樊城の戦いとかあったな・・・。


・三國志9
8までとはえらく趣が異なるゲーム。
プレイ動画数は他を寄せ付けないほど圧倒しているだろう。
それほどゲームとしては良い出来だったと言える。
9の最大のウリはそのゲームシステムも然ることながら、シナリオが充実していることだろうか。
末期シナリオと武将がこれだけ充実しているのは9ぐらいだろう。
まぁ蜀滅亡と蜀滅亡後の鐘会の乱シナリオがあるぐらいでそれ以外は五丈原までなのは変わらないのだが。
ただ、263年というのはこれ以降を合わせても最も遅い時期のシナリオで、それによってこの後には出てこないような武将まで収録されている。
孫休の息子とか。

というか、これ以降のシリーズが末期シナリオ出さなすぎなんだよね。
各シリーズの最も遅い史実シナリオの年数(PK込み)を比べると、
1(215)-2(220)-3(235)-4(235)-5(234)-6(234)-7(257)-8(263)-9(263)-10(253)-11(225)-12(214)-13(214)
せめて五丈原ぐらいは入れられないのかよ!
11以降は酷すぎる。
10もPKがなかったら227が最後だけどさ・・・。
シナリオに関しては8と9がそれぞれ違った意味で優れていると言える。

話を戻して、内容としても今までとは全く違った趣向でありながらかなり面白い。
ストラテジーの部分をかなり強化している。
弱い武将でも役目がそれなりに多いのもある。
血族なら連鎖しやすいから公孫瓚なんかがかなり強かったりするし。


・三國志10
今になって思うと三國志版太閤立志伝だったな、という印象。
三國志としては悪名高い都市強制移動も太閤立志伝5ではよくあることだったし。
問題は太閤は本拠が変わろうと大した問題ではないと言うか、合戦とか内政にそこまで力を入れた仕組みではなかったという点だろうか。
三國志としては噛み合わせが悪かった。
私が三國志プレイヤーとしては最盛期を迎えていた時期であり、攻略サイトで積極的に攻略に取り組んでいた時期でもある。
あの当時、蜀滅亡のイベントスチルを取るのが至難の業だった。
なにせ227年シナリオが最終で、後でわかった条件が異常に厳しすぎる(死亡必須がいたり)
まぁ最終的にはシナリオ改造で9を参考に263年の設定にして条件を判明させた訳だけど。


・三國志11
10の評価が芳しくなく、その流れで出された11。
その出だしは最悪。
守りに入りすぎるAIが低評価だった・・・かと思えばパッチで一転して脳筋攻勢に出るようになるという通称逆ギレパッチ。
極めつけは密かにぶち込まれていた「ふんげいそうらん」。
これが決定打となってシリーズの評価は地に落ちた。
まぁPKで各種改められ持ち直すことには成功した。
私は無印のみでやったことはないので無印に関してはよく分からん。やる気もない。
11PKに関してはまぁ確かに遊べる出来ではある。


・三國志13
集大成としては・・・まぁ・・・うん・・・。
色々惜しい作品ではある。
配下武将での辛さは私も咲10周年記念和プレイで堪能してる。
まぁこの前英雄十三傑で配下プレイした時はアップデートでの改善を感じられたけども。
PKには期待したい所。
とりあえず、上級でも兵糧カツカツで自滅していく敵のAIをもうちょっとどうにかした方がいいんじゃないかな。
あと単純に下の方だとやることが少ないというか、在野なんて何もできないし。
市民からの要請もアップデートで追加されたものだが、金が手に入るだけなのも味気ない。


こんな所だろうか。
13PKの評価はどうなるかね・・・。
とりあえず、末期シナリオの確保は「姜維北伐」ってシナリオがあるから大丈夫かな。

では、この辺でノシ

三國志13PK発表

これぞ原点にして頂点!がテーマである三國志13のPKの発売が発表された。
はいはい分かってた分かってた。
ちょっと前のアンケートで「PK前提の仕様で不快だった」って送ったけど、まぁ出さざるを得ないよね。
本編で見れないムービーとかイカンでしょ。

せっかくだからザッと現在判明してる新要素でも洗ってみるか。

・威名システム
名声を入手して称号を獲得するシステム。
称号を得るごとに個別で出来る行動が増えるとか。
暗殺とかも出来るみたい。

大系統としては侠客・官吏・軍師・将軍・商人と不明で計6個。

侠客系統は
遊侠-侠者-大侠客-義侠烈士
            -雲龍風虎
   -賊徒-賊将-賊王
       -刺客-暗殺者

官吏系統は
小吏-官吏-能吏-宰相
       -官僚-執政
           -奸臣
   -使節-大使-完璧
       -扇動者-妖言惑衆

軍師系統は
弁士-策士-参謀-神算鬼謀
       -謀将-怜悧狡猾
          -機略縦横
   -顔没-名士-国士
          -巨魁

というルートが有るのは判明。
・・・顔没だけ意味がよくわからない。

その他威名固有コマンドに応じたイベントもあったりするようだ。


・戦略
集落に城塞を建設することができるようになる。

また、軍勢に指揮システムが導入され、行軍していると士気が減って戦闘力も落ちる。
士気は集落上の要塞などで待機すると回復するとか。
まぁここは必要ではあるだろうな。
無印は普通に一番南から兵を派遣して一番北まで行けたりするし。
といっても回復できるならあまり変わらないような気もするが・・・。

君令とかいう各君主に応じた戦略方針を示すものもあるようだが、これの詳細は不明。


・戦闘
戦闘開始前に軍議が開かれ、戦術をそれぞれの地点に設置することが可能。
戦術は設置した地点や陣を制圧すると使用可能。
攻撃や回復など様々な効果がある様子。

それと戦場の広さが約4倍になったとか。
これは守備側有利になると思うがどうなんだろう。


・その他
結婚、子育て、災害、異民族、放浪軍などのイベントが追加。
結婚自体はあったと思うけど子供イベントはなかったな、そういえば。
とはいえ、この辺は旧作にあったからな。
シリーズ集大成を謳うなら入れておけって話だよ。

三國志末期をはじめとする新シナリオが追加。
少なくとも、潼関の戦い・劉備入蜀・合肥の戦い・樊城の戦い・夷陵の戦い・劉備の死・五丈原の戦いはムービーが存在するのだからそのイベントはある。
まぁ211年、219年、225年、227年、234年のうちどれかはあるだろ。
武将が100人新規追加されるようなので、それ以降がある可能性もなくはない。
武将の話も一緒にしておくと、新規武将100人とグラフィック変更される武将もいるみたい。
今の所、新規は董白・蔡邕・杜氏、グラ変更が曹仁・曹洪・高順・陳宮・呂玲綺。
董卓・呂布陣営主体の紹介になっていた。
グラ変更は12から変更がなかった武将かね。

新要素が体験できる英傑伝ステージを追加。
史実の追体験は終わってるわけだけど、中華ツールに先んじて掲載されていたステージの追加があるんだろうか。
結局なかったのは関羽千里行、定軍山、街亭あたりだったかな?

編集機能はいつものことだから割愛。

シリーズ初のイベントエディタ実装。
うーんまぁ、ないよりはあったほうが良いんだろうけど、戦国立志伝の方のエディタの出来がクソすぎたからなぁ・・・。
期待できる要素がないな。

と、現状はこんな感じ。
今冬発売・・・無印から1年も経たずに発売するのか。
あんまり早すぎると「それ、無印に入れられたんじゃないですかね」ってなるんだけど、どう考えているのやら。

では、この辺でノシ

三國志13・その6

三國志13最後の英傑伝「英傑夢幻」クリア。

長安→弘農→曹爽軍4都市→ギョウまで落とせばクリア。

きついのは弘農攻略ぐらいで他は采配すらほぼ取ってない。
手順としては初手長安出陣で長安を取り、弘農を狙う。
弘農は当初2万しかいないが、長安を取ると6万まで増える。
ただ、弘農西の湖で弘農の部隊のみ討ち減らすことが可能なので、敵を疲弊させるのが効果的。
弘農を取ると弘農に向かって計7万7千攻めてくるが、弘農攻略部隊がそのままいるのでそれを使って叩けばOK。
弘農にも兵士が3万増えるので、さらに余裕あり。

次いで、魏から独立した曹爽軍4都市(宛・許昌・新野・汝南)を攻略する。
初手新野攻めするとゲームオーバーになるのはこれが原因だろう。
まぁ曹爽軍は所属武将が雑魚すぎるので多少こちらの兵士が少なくても采配でさえ普通に勝てる。
私は弘農迎撃直後の5万強の姜維軍勢でそのまま4都市占拠。
曹爽を滅ぼすと劉禅軍団のほとんどの都市(成都・武威・金城以外)が姜維軍団になる。
ここまで来たらクリアも同然だろう。
私は孫権領を通って東の都市を次々陥落させ、済北に姜維5万強を駐屯させて敵を引きつけた。
その間に今度は西の洛陽だの陳留だのを攻略し河北以南は全て奪取。
そのままギョウも落としてクリア。
最後まで魏の都市を落として終わらせるのも十分可能だったが、さすがに時間制限が厳しかったかな。

さて、これで英傑伝は終了か。
追加されたムービーは潼関・劉備入蜀・合肥・関羽死亡・夷陵・劉備死亡・五丈原。
この辺のイベントはPKで追加になるんだろうな・・・江陵取って終わりとか言うのは中途半端すぎる。
さすがにこれは未完成だと思わざるをえない。
せめてシナリオがある三国鼎立のところまでイベント入れとけよ・・・。
PKが定番になっているとはいえ、PKありきが許されてるわけじゃないんだぞ。

では、この辺でノシ

三國志13・その5

信義なき者共よ、近衛の刃に果てよ!

という事で、ようやく次の英傑伝DLCが来た。
おそらく最後の英傑伝追加になるだろう。
内容は魏文崩御、呉帝即位、臥竜天昇、英傑夢幻の4つ。

臥竜天昇をクリアしたので、それの攻略っぽい感想から。
このステージは232年スタートで234年の終わりが時限。
内容は武都陥落→天水陥落→天水・漢中防衛の3つに分かれる。
武都8万、天水10万、天水侵攻軍16万・漢中侵攻軍6万5千を相手にする。

一方、諸葛亮軍団は初期で兵士が4万いないどころか兵糧が全てで1000しかないという攻めるとか言う以前の問題を抱えている。
その辺は農業を増やしつつ兵糧購入などでしのぐ。

ここまでクリアしてきた人ならすぐ気付くと思うが、最初に攻めるべきは武都ではなく上庸。
上庸にも10万の兵が篭っているが、在城しているのが三流武将4人しかおらず、他の都市からの救援もない。
ここをサクッと取るだけで兵士・金・兵糧が一気に潤う。というか、ここを無傷で取れなきゃこの先がきつい。
武都は上庸の10万を軸に攻める。
このステージは最初の上庸攻めと最後の天水防衛以外は采配なしでOK。
安全策で行きたいなら無論采配取って損害少なめで抑えたほうが良いけど。
最後の敵の進軍が天水を取った直後になるので、時間に余裕もあるし武都の兵士を軸に天水を取って上庸の兵士を漢中防衛に回すのもありかな。
私は天水に8万かき集めて采配取って、漢中に6万強集めてぶつけておいた。
漢中は4部隊しかいないので自動戦闘でも普通に削ってくれるみたい。
天水は数が多くても武将が大したことないので4万程度の兵力差でも楽に勝利。
ぶっちゃけ夷陵の方が格段に難しかった感がある。

さて、このステージの最後に五丈原及び晋が統一したとかいうダイジェストムービーが流れる。
コレクションで確認したら英傑伝EDになってたから歴史をなぞった英傑伝はここでラストになる。

最後の英傑伝「英傑夢幻」は239年開始で、諸葛亮死後に姜維が神速で西北を占拠した状況のようだ。
IFステージってことだな。
とりあえず開始してみたが、諸葛亮の遺言を無視して魏延と仲違いしたように見せて魏軍に油断させてその隙に西北を取るとか言ういきなり荒唐無稽なスタートだった。
姜維が軍権は魏延にあるとかいいながら当の魏延は成都にいるとかいう謎仕様。
そして将軍位は姜維が大将軍で魏延が征北将軍なので、やっぱり姜維が上に見えるという。

ただ、時限まで6年ある上に孫権とは無期限停戦なんだよね。
孫権の領地通って新野から攻めればいい。
新野・宛・汝南全て武将1人の上に物資豊かとかエサ以外の何物でもないんだが。
まぁ一旦寝てから再開しますかね。

では、この辺でノシ

三國志13・その4

どうも定軍山はなかったっぽいけど、他は名前が違えどあるみたい。
今回は樊城の戦い・関羽の「武神重囲」と夷陵の戦い・陸遜の「夷陵炎上」があるみたい。

武神重囲はこれまででの英傑伝でも最高といってもいいぐらいの難易度。
とにかくひたすら敵と戦い続ける。
開始早々、龐徳勢(32000)と野戦→新野で曹仁勢(30000)相手に攻城戦、新野に攻め寄せる徐晃勢(57000)相手に籠城戦と続く。
ここまで倒すと襄陽が陸遜に取られてさらに敵が湧く。
まず、新野に曹操軍が攻め寄せるのでそれを迎撃する。
相手が槍しかいないからといってこっちを全部弓にするのは駄目。
最初の軍勢と戦ってると都市の上にいた軍勢が次々向かってきて、なおかつ兵科が騎馬オンリーとか弓オンリーの軍勢も混じってるので、結局こちらの兵科もバランスよく入れないといけない。
確か全部で5軍勢ぐらいいて、1軍勢あたり3万程度いるのでおよそ15万を迎撃する。
これがこのシナリオ一番の難所で、取ったばかりの新野だから耐久も回復しておらず、傷兵も抱えっぱなしだったりする。
徐晃と戦う時に後を見据えて編成し、その後は解散せずに迎撃に出て本陣で傷兵回復を図ったほうが効率がいい。
この時に後方支援を持っている馬良を部隊長にした部隊を出しておく。
後方支援は部隊の傷兵の1割を回復させる効果があり、これがなかったら100%負けてたと思う。

なんとか曹操軍を倒し、陸遜も倒すと今度は南に孫権軍がワラワラ出てくるが、こっちは最初の陸遜軍6万と戦っても援軍はこない。
倒すそばから1軍勢ずつ来るだけで、しかも騎馬オンリーが2軍勢いるだけなので楽勝。
最後に襄陽の糜芳・傅士仁ら55000と戦うが、陸遜隊(11000)・周泰隊(3000)が途中参戦してくる。
まぁ武将の質があまり高くない敵なのでそこまで大したことはない。

襄陽を落とすとこのシナリオはクリア。ムービーもある。

で、今は夷陵炎上を始めた所だが、劉備軍全体より兵力が多い軍団を指揮しているので、どう見ても楽勝な気がする。
まぁ武将が言う事聞かないとかそういうイベントがあるのかもしれないけど。

では、この辺でノシ

三國志13・その3

新規英傑伝DLCも終了した。
その際、本編にないムービーが3つあり、「潼関の戦い」「劉備入蜀」「合肥の戦い」だった。
ムービー鑑賞にも追加されていたが、本当なら本編でも見れて然るべきムービー群なんだがなぁ。
207年シナリオから214年シナリオまで江陵以降のイベントがないからな。
考えられる限りでも劉備と孫尚香結婚、潼関の戦い、周瑜死亡、曹操魏公になる、益州の戦いとかあるし。

で、英傑伝もある程度解析が進んでおり、この先あるものも大体分かっている。
いつものアレによると、残っている英傑伝タイトルは以下の通り。
老当益壮:蜀軍・定軍山の戦い。主人公黄忠?
武聖陥困:蜀軍・樊城の戦い。主人公関羽?
夷陵之火:呉軍・夷陵の戦い。主人公陸遜?
涙斬馬謖:街亭の戦い。主人公は馬謖、諸葛亮もしくは司馬懿、張郃か?
臥龍昇天:五丈原の戦い。主人公は諸葛亮か司馬懿?
英傑無常:おそらくラスト。イベントか蜀漢滅亡のどちらか?
漢朝滅亡:イベント系? 曹丕が献帝から禅譲を受ける
蜀漢建国:イベント系? 劉備が皇帝となる
桃園彼岸:イベント系? 劉備死亡(エンディングにそれらしきムービーあり)
討伐南蛮:イベント系? 蜀が南蛮平定
魏文駕崩:イベント系? 曹丕死亡
呉帝即位:イベント系? 孫権が皇帝となる

今の所、6ステージ追加、4ステージ追加ときてるから、あと2回か3回に分けてくるかな。
順番的には老当益壮(219年)→武聖陥困(219年)→漢朝滅亡(220年)→蜀漢建国(221年)→夷陵之火(222年)→桃園彼岸(223年)→討伐南蛮(225年)→魏文駕崩(226年)→涙斬馬謖(228年)→呉帝即位(229年)→臥龍昇天(234年)→英傑無常(?)という感じかな。

3月の終わりぐらいまでには全部配信するのかな?
それにしても、現状でも結構戦いが厳しいんだよな・・・これからさらにきつくなるかと思うと途方に暮れそうだ。

余談だが、義絶千里とかいうタイトルのものがあるが、義絶はゲーム内に説明がある通り関羽なので関羽千里行のことだと思われる。
入ってないのは謎。
後で関羽を使うからなくしたのだろうか。
曹操は2回動かしてるけど。

では、この辺でノシ

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