2005年06月05日

フェリー

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いつの間にか2ヶ月が過ぎ去ってしまった。

ミンダナオ島ナシピットからセブに行くために、フェリーに乗った。

一晩、ホテルのような部屋に泊まり、気がつくとセブに着いていた。


フェリーに乗るのは、下関−釜山の「関釜フェリー」以来だった。

かつて日本で活躍していた船が今フィリピンの海を走っている。


60年前、フィリピンの海には日本の船(軍艦)が多く沈んでいる。平和な時となった今、日本の中古船がその上を走っている。

暗い海を見ながら、ひとり感慨にふけっていた。


(今、日本に潜伏中です。)


  
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2005年04月07日

雨のカテドラル

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4月は「夏」の季節。学校も夏休みに入った。年中「夏」のような気がするが、確かにこの時期は暑い。

写真は、「セイント ジョセフ カテドラル」。その前にあるリサール公園と合わせて、ブトゥアンの「中心」に位置する。

個人的見解では、交差点にある「ジョリビー」がブトゥアンの中心のような気がする。(注:一応、ブトゥアンにもリサール公園がある)


太陽の熱射に映えるその姿は、南国の教会らしさをかもし出しているが、雨の教会も趣がある。

特に、フィリピンに来てから、「雨」が好きになった。
雨の洗礼によって、濁った空気が清められ、ホコリやらゴミなどが洗い流されていく。

フィリピンでは「普通」の出来事によって、ここ最近気が沈んでいた。
心にある「埃」も洗い流してほしいが、これは無理らしい。

むしろ、激しい暑さによって「思考停止」に自然と追い込まれ、雑念が蒸発していくのがここのスタイルらしい。言い換えれば、暑さで「ボーッ」として深く考えることがオックウになる。それでいい。


夏休みと共に、学校では「卒業式」の時期となった。
どうやら、私も「卒業」の時がきたようだ。
(タイトルをそろそろ変えなければ...)

  
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2005年03月23日

終業式

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どうやら、そんな時期になったらしい。幼稚園、小学校と立て続けに終業式があった。「RECOGNITION」ということなので、「表彰式」(?)が正解なのだろうか。

妻に何時から始まるのか尋ねた。
「1時から」

何時に家を出るのか尋ねた。
「1時」
「?」

聞き間違えたと思い、もう一度尋ねた。
「1時」

会場は、小学校の近くの教会。トライシクル → ジープニー → トライシクルと乗り継いで、ここからは30分以上かかる。

結局、出発したのは1時半だった。

会場について納得した。雑然と式は始まっていて、1年生から6年生まで、成績優秀者が順番で呼ばれ、校長から紙で出来た「ワッペン」を授与されている。

成績だけではなく、「勤勉」「親切」・・・何かと「理由」をつけて表彰する。

子供たちの「プライド」はこういうところで、くすぐられ、積もっていくように感じる。とにかく、ほとんど全員が何らかの表彰を受けることになる。その他にも、学年ごとの出し物があったりして、時間がかかる。

受け取った子供とその親は写真を撮ったりして、すぐ退散。

日本人的感覚から見ると、ダラダラと時間が過ぎているように見えるのだが...。「式」という全体的なまとまりと、「けじめ」を求める日本の終業式とは違い、あくまでも「個人」に重きをおいているように感じる。


自由な雰囲気の中でマッタリとセレモニーは続く。

入り口では、アイスクリーム屋、お菓子屋、おもちゃ屋が出現。
当然のことながら、全部買わされた。

表彰のあと、子供の胸には「紙のワッペン」、右手に「アイスクリーム」、左手に「おもちゃ」。楽しい1日だったのに違いない。
  
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2005年03月17日

共存への道

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雨が少ない。台風が来ているので、当然雨も降るものと期待していたが、運んできたのはいつもと変わらぬ「風」だった。

そのせいか最近、「水圧」が弱くて、タンクに水が上がらない。断水状態が続いている。そして停電も歩調を合わせたようにやってくる。

なれない自分にとって、断水と停電が「同時」に起きるとダメージは大きい。日本にいる時の体験では、断水と停電が一度に来たのは、1978年の宮城県沖地震の時ぐらいだ。

しかし、妻をはじめ、こちらの人は、そんなことではビクともしない。平然としていて、いつもと変わりない。たくましい。


たくましいと言えば、こちらの生き物たち。

部屋には、ヤモリ(こちらでは「ブテギ」と呼んでいる)がいる。窓には全て「網」を張っているのに、いったいどこからやってくるのか。

蚊取り線香と殺虫剤、連日の攻撃にもかかわらず「蚊」もやってくる。飲みかけのジュースなどを置いておくと、いつの間にか「蟻」の大群に征服される。

そして、とうとうネズミの進撃が始まった。この厳重な包囲網をどうやって突破したのか。おそるべし、フィリピンのネズミたち。

しかし、
「沈没する船からネズミは逃げる」と言われている。ということは、この部屋にネズミがいる限り、「安全」だということなのか。

だが、ここは船ではない。


(写真はヤモリと同居人の犬。さすがにネズミの写真は載せられないので同居人に登場してもらった。)
  
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2005年03月12日

奇跡の椰子の実

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フィリピンの孤島、ミンダナオに生活していて、日本と連絡できる手段といえば、手紙、国際電話、そして電子メール。便利な世の中になったものだ。時間と空間を超越して、日本のみならず世界の人と連絡がとれる。

写真はブトゥアン市内にあるポストオフィス。自筆の手紙や現物の写真、そしてクリスマスカードなどを送るには、やはりここを利用することになる。

最初に利用したときは、正直言ってホントに日本に届くのか疑いの思いを抱いてしまった。というのは、かつて日本からフィリピンに向けてクリスマスプレゼントを贈ったのだが、着いたのは半年後の5月のことだった。どうせなら、もう半年ずれて届いてほしかった。

そのような経験から、フィリピン国内での郵便物の扱いに疑問を抱かざるを得ないという先入観がつくられてしまった。

しかし今、何度か日本に手紙やカードを送っているが、今のところ問題なく届いている。

職員の中にも知り合いができて、とても身近な存在となった。電話やネットがもし使えない事態となれば、やはり「手紙」が日本と繋がる最良の方法となるのだろう。


話は飛ぶが、かなり前の新聞で、戦時中の昭和19年、フィリピンから日本の妻のもとへと「椰子の実」の便りを流し、31年ぶりに届いたという内容を見て、一人感動した記憶がある。実際、その実物を見に靖国神社の「遊就館」を尋ねたこともある。「奇跡の椰子の実」として展示されている。

そのことを思い出し、自分もミンダナオのブトゥアンから椰子の実を流してみようかと思った。しかし、問題が二つあった。

一つ、「いったい誰宛に流すのか?」そしてもう一つ、「この場所から流した場合、インド洋に流れて行きそうだ」ということ。
  
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2005年03月09日

インランドリゾート

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3月7日、いつもは平穏な空に「ヘリコプター」の音がうるさい。
そしていつもより、飛行機の音が近くに聞こえる。何かあったのかと少し不安がよぎった。
義理の弟が警察官なのだが、そのあたりの事情が漏れてきた。
どうやらアロヨ大統領が来ているらしい。

3月8日に南アグサン州で、先住民族(この辺はマノボ族らしい)へ「土地」の「贈与」?「貸与」?「返還」?(詳しくは分からなかった)のセレモニーがあるとのこと。

そのため、ブトゥアンには不釣合いなリゾートホテル、「インランドリゾート」に大統領が宿泊することになった。

1泊2,450ペソ、スウィートは2,950ペソ。娯楽施設も整っており、泊まらない場合でも、プールは1日100ペソで入れる。

1度だけ宿泊したことがあるが、なによりも部屋に「蚊」がいないのに感動した。密かに蚊取り線香を持参したのだが、その必要はなかった。

そしてここは自家発電にもなっており、いつもブトゥアンで起きている「停電」とは無縁の世界になっている。


最近は雨が降らず、ここ1週間ばかり、水圧が弱くてシャワーは浴びられない。停電も当然のように何度かある。おまけに、DSLもこの付近一帯の「接続機器」の故障とかで1日中使えなかった。

「土地」の問題もさることながら、水道・電気等の「インフラ」の問題も何とかしてほしい。しかしこれは贅沢な要望なのだろうか。

決して「停電」はしないインランドリゾートにいる大統領に向かって、心の中で無駄なお願いをしてみた。
  
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2005年03月03日

エレメンタリースクール

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ここは、マウグというバランガイのエレメンタリースクール(小学校)。
長男が1年生の時にお世話になった。今は引越しをしたので、市内の私立学校に通っている。

ここは、田んぼと椰子の木で囲まれたのどかなところだ。

毎朝、長男は愛犬と一緒に登校していた。日本にいる時は仔犬でも怖がっていたのに、ここでは友達のように仲がいい。友達というより「保護者」となって、登下校時にそばについている。

この愛犬は、授業中は学校で静かに待ち、学校が終わると、長男と一緒に帰ってくる。同級生がふざけて長男にジャレついた時は、攻撃されたと思って、同級生に噛みついていく。完全に保護者になっている。

長男もあれほど犬が嫌いだったのに、フィリピンでは野生児のごとく、動物達とすぐに友達になってしまう。フィリピンは不思議なところだ。


市内の学校は厳重に門で囲まれ、入り口には警備員が立っている。しかし、田舎の学校は実にのんびりとしていて、自然に溶け込んでいる。

学校自体の設備は乏しいが、子供達はのびのびと勉強している。
校庭は石ころだらけだが、このような自然環境の中で、「知識」だけではないものを学んでいるのだろう。
  
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