続・混沌の廃墟にて

雑記はどこまで行っても雑記なのだ。ちょっとIT寄りな話もあるかも。

3月14日のBLOGOSのに、元大阪府知事の橋下さんが書いた「橋下徹"これが財務省書き換え問題の真相"」という記事が掲載された。この記事は PRESIDENT Online の配信したもので、「プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(3月13日配信)」からの抜粋とのことだが、私はこのメールマガジンを見ていないので、そのための誤解があるかもしれないことを予めご了承願いたい。

前半部分は特に異議はない。おおむね同感だ。特に安倍総理の不用意な発言が引き金になったという説はその他大勢の人達も指摘していて、私も同感である。

ところが、後半になって政治家の名前が消された話が出てくる。そのあたりから細かく考えてみたい。



そうであれば、政治家からの不当な働きかけはなかったという佐川氏の答弁に合わせるためだけに、このような形でしか名前が出ていない安倍さん、麻生さんの名前をわざわざ消す必要はない。そのままにしていても本来何も問題はない。

同感である。

しかし財務省はスーパー忖度して、安倍さん、麻生さんと森友学園との関係が一切疑われないように、安倍さん麻生さんの名前を完全消去したのだ。

同意できない。スーパー忖度したという根拠が全くないからである。その可能性は否定できないが、根拠がなければ、これは橋下さんの妄想に過ぎない。

鴻池祥肇参議院議員サイドが2013年8月、森友学園の件で陳情していることが消されている。しかし不当な働きかけをしたわけではない。そうであれば佐川氏の答弁と整合させるために消す必要はない。

書いてある内容には異議はない。消されていることも、不当でないことも事実である。答弁と整合させるために消す必要がないのも事実である。ただ、その意味でいえば安倍昭恵さんの名前も消す必要はなかったのではないか。

鴻池氏は、麻生派の有力議員である。ということは麻生さんへの忖度であろう。
同意できない。何の根拠もない。単なる想像に過ぎない。

これら安倍さん、麻生さん、鴻池さんの名前の消去は、まさに安倍政権への忖度そのものだ。

記事の前半を読んで感じたのだが、橋下さんは忖度がお好きなのかもしれない。忖度を肯定しているという意味ではなく、忖度という行動に対して関心を持っているという意味でだ。しかし、世の中は忖度だけで動くものではない。本当に重要なのは損得だ。事件の解明に必要なのはそのような曖昧な心理ではなく、もっと直接的な利害関係の理解だ。

この時点で分かっているのは、佐川さんの答弁に合わせるだけなら、安倍総理、麻生さん、鴻池さんの名前は消す必要がないということだけだ。では何故消したのか。橋下さんは忖度が理由と考えているが、仮にそれが一因だとしても、他にも理由がある可能性は捨てることができない。

さらに消された政治家の名前には、中山成彬衆議院議員、杉田水脈衆議院議員、三木圭恵元衆議院議員、上西小百合前衆議院議員もある。

同意する。

しかし、これらの者は森友学園問題で特段何らかのキーパーソンになっているわけでもない
同意できない。橋下さんは私の知らない情報を知っているのかもしれないが、私の知る限り、これらの人達がキーパーソンではないという証拠はない。

一般論としては、法に触れることを承知で文書を書き換えるのだから、名前が消された人たちはこの問題で何かの意味でキーパーソンになっていると考える方が自然だ。この解釈をする場合、その意味が明らかになっていないだけだ。

その記載も「学園に来訪した」というどうでもいい事実である。

同意できない。本当にどうでもいい事実なら消す必要はないと考えれば、消したのは何か特別な理由がある可能性を捨てられない。よって、

ゆえに

同意できない。

佐川氏の答弁に整合させるために、その者たちの名前をわざわざ消す必要もない。

その点は同感である。

にもかかわらず、なぜあえてその名前を消したのか。

私としても謎だと思う。

それは後に続く安倍さんの奥さんである昭恵さんの来訪記録を消すためである。

来訪記録というのは何のことだろうか。書き換えられた文書のうち、調書の、「学校法人 森友学園」の概要等の中に、次のような消された記述がある。

(参考)森友学園への議員等の来訪状況
平成20年11月 中村成彬議員(衆・維・比例九州)講演会
平成25年9月 平沼赳夫議員(衆・維・岡山3区)講演会
平成25年12月 日本維新の会女性局(三木圭恵議員、杉田水脈議員、上田小百合議員(いずれも衆・維・比例近畿) 等)視察
平成26年4月 安倍昭恵総理夫人、講演・視察

おそらくこれのことだろう、という想定で話を進めよう。

つまり昭恵さんの来訪記録だけを消して、その他上記4名の来訪記録を残してしまうと、昭恵さんの来訪記録だけが記載されていないことがかえって不審に思われる。

同意しない。1人だろうが全員だろうが、来訪記録を消したらどうやっても不審以外の何物でもないからだ。

なぜ1人だけ消したら不審で、全員消した方が自然という奇天烈な発想が出てきたのか?

推理小説には、真のターゲットを隠すために関係ない人を殺すというストーリーがある。そうすることで、誰を消そうとしたのか分からなくなって、動機がバレないようになるだろう。それが目的だ。

しかしこれは殺人事件ではない。全員の名前を消したところで、橋下さんのように、安倍昭恵さんの名前を消すのが主目的だと勝手な解釈をする人は絶対にいるはずだ。むしろそう曲解しようとするのが自然だろう。ならば、全員消す必然性も自動的に失われる。

ゆえに上記4名の人物の名前とともに昭恵さんの名前を一括で消したのである。

詭弁にしかみえない。少なくとも単なる想像であることは明らかだ。

すなわち、佐川氏の答弁に整合させるために消したのではない。

これは単純に、論理としておかしい。「逆は必ずしも真ならず」を理解していない人と同じレベルの低レベルの間違いである。

仮に安倍昭恵さんの名前を消すのが目的だったという想像が事実だったとしても、それ以外の理由がないということにはならない。複数の原因が重なる事件はいくらでもある。そんなことは弁護士なら経験的によく理解していると思うのだが。

従って、

それは、昭恵さんの名前をとにかく消すために、一括で消した

この結論は今までの内容からは単なる妄想・想像でしかない。最大限に善意に解釈したとしても推理だ。真相とは程遠い仮説だ。

これは2017年2月17日の「私や私の妻が関係していたなら私は総理大臣と国会議員を辞める」という安倍さんの発言を忖度したにほかならない。

そこまで発想が飛ぶと、むしろ何かオモチロイ

この内容のどこが「私や私の妻が関係していたなら」と結びつくのか意味が分からない。報道でも不思議がっている人が続出しているが、元の文書のままでも何の問題もないのである。後述するが、それどころか、削除の結果、安倍総理が関与していない証拠を隠滅しているからだ。消す必要もなく、消さなければ安倍総理の関与を否定する証拠になる文言を書き換えることが、一体何の忖度になるのか。

本来の文書の2014年4月28日の欄では、森友学園元理事長の籠池泰典氏側が「本年4月25日、安倍昭恵総理夫人を現地に案内し、夫人からは『いい土地ですから、前に進めて下さい。』とのお言葉をいただいた」と発言した、と記載。その上で、「森友学園籠池理事長と夫人が現地の前で写っている写真を提示」とも付け加えられていたが、この記述が削除された。

これは事実である。ただ、安倍首相によれば、安倍昭恵さんはそのようなことは言っていないという。

安倍昭恵さんの名前が消された箇所は、もう一つある。2015年1月8日の産経WESTの記事だ。

H27.1.8
産経新聞社のインターネット記事(産経WEST 産経オンライン【関西の議論】)に森友学園が小学校運営に乗り出している旨の記事が掲載。
記事の中で、安部(ママ)首相夫人が森友学園に訪問した際に、学園の教育方針に感涙した旨が記載される。

こんなものを消す意味がどこにあるのか? 既にマスコミが報道した内容である。隠す意味が分からない。



「森友学園問題は、首相夫人の昭恵さんが学園と関係が深く、その後名誉校長に就いたことが、土地の大幅値引きに影響したのではないかというもの」

同感である。

安倍さんは森友学園問題が浮上した直後の2017年2月に「私や妻が関係していたなら私は総理大臣と国会議員を辞める」と国会で言い切った。

事実だ。

この安倍さんの発言を受けて、財務省がスーパー忖度し、この記述を削除したとしか考えられない。

同意できない。

橋下さんは弁護士だから言い方がウマいが、もしかしたら自分に分からないことは世の中には一つもないと思っているのかもしれない。あるいは、職業柄、分からないものも理屈を付けて説明するのが正しい行動だと思っているのかもしれない。事実は違う。分からないものはただ分からないのだ。

橋下さんが考えられないという意味なら、同意も何もない。橋下さんがそういうのなら、橋下さんがそれしか思いつかないというのは事実で間違いない。しかし、それは単に橋下氏の想像力の限界を示しているだけであって、他に事実がないことの証明にはならない。



蛇足しておこう。では私はどうなんだ、という人もいると思う。私の解釈だと、この文書の書き換えにはどんな意味があることになるのか。

橋下さんがやり方を先導してくれたから、実にやりやすい。何の根拠もなく勝手な妄想をしてもいいわけだ。そういうのは私の得意分野だ。

さて、今の時点で間違いないのは、文書が書き換えられた、あるいは複数存在するということである。なお、私はまだ提示された2種類の文書のどちらかが原本だとは断定していない。両方とも書き換えられたものである可能性があるからだ。だとしても、明白なことがある。最初に国会議員に提示された文書は、内容が削除された側だということだ。

つまり、都合の悪い内容は、削除されなかった文書側にあるはずだ。

妄想してみよう。安倍昭恵さんに関する内容など、消しても意味がない。消さなくても問題ないようなことしか書かれていなかったのだから。

では消したのはなぜか。橋下さんが思いついたカモフラージュという発想は、実はいい線いってると思うのだ。つまり、本当に隠したかった内容は、議員の来訪ではなく、全く別のところにあるのではないか。そこはまだ誰にも非難されていないだけで、実はこの中に決定的にマズい事実が含まれているのではないか。

橋下さんは、議員の名前が全て削除されたことに違和感を持った。報道でも、名前が消されたことばかり力説して記事にしているようだ。

しかし、消されたのは議員の名前だけではない。むしろ議員の名前の記述なんて本当に微々たるもので、消された大部分はそれとは関係ない内容なのである。

いくら何でもカモフラージュしすぎではないか。

特例承認の決済文書②「普通財産の貸付けに係る特例処理について」(平成27年4月30日)の「別紙1)」に書かれている「これまでの経緯」には、H25.6.28 に森友学園理事長が来所したところから始まって、H27.4.28 まで、33個の日付にわたって経緯が示されている。

日付を列挙すると次のようになる。参照しやすくするために、先頭に番号を付けておく。

1 H25.6.28
2 H25.7.8
3 (H25.8.13)
4 (H25.8.21)
5 H25.9.2
6 (H25.9.12)
7 (H25.10.30)
8 (H26.2.3)
9 (H26.4.15)
10 (H26.4.28)
11 (H26.6.2)
12 (H26.6.30)
13 (H26.8.29)
14 (H26.10.2)
15 (H26.10.7)
16 (H26.10.15)
17 H26.10.31
18 (H26.12.17)
19 (H26.12.18)
20 (H27.1.8)
21 (H27.1.9)
22 (H27.1.15)
23 H27.1.27
24 (H27.1.29)
25 H27.2.10
26 (H27.2.12)
27 (H27.2.16)
28 (H27.2.17)
29 (H27.3.13)
30 (H27.3.26)
31 (H27.4.2)
32 (H27.4.17)
33 (H27.4.28)

()を付けたのが削除されたものだ。33件のうち27件が削除されているのである。ちなみに10番目のものが、籠池氏が言った「いい土地ですから」であり、28番目のものが、産経WESTの報道である。

13番目の削除された内容は、

大阪府が森友学園の設置計画書を正式受理し、平成26年12月定例私立学校審議会での本件詰問に向けて事務を薦めることと決定。

となっている。安倍昭恵さんの名前を消すのが目的なら、なぜこれを削除する必要があったのだろうか。

これに対して、17番目は削除されていない。

大阪府が森友学園の設置認可申請書を正式受理。

このようになっている。私はこれが残されたということに、もっと違和感がある。なぜ13番目は削除したのに、こちらは削除しないのか。

話を少し戻そう。橋下さんは議員の名前が全て削除されたことを力説した。しかし、それ以外の内容が大量に削除されていることには触れていない。なぜだろうか。

実は、その他の内容というのは、近畿財務局と大阪府に対して、籠池氏がゴネまくっているというものだ。

もしかすると、そこを精査すると、近畿財務局と大阪府にとって何か困った問題が出てきてしまうのではないか。大阪というともちろん橋下さんの地元である。活動拠点だ。それはちょっと困るから、そこから目を逸らすために、安倍昭恵さんの削除をごまかすための全員削除という珍説を作り上げたのではないか。と考えれば、これはこれで見事に辻褄が合うだろう。

報道では、夫人が働きかけたので籠池氏が安く土地を買えた、というような話になっているようだ。確認のために時系列を見ると、次のようになる。

10番目の「いい土地ですから」発言が出てきたのは、H26.4.28。なお、この発言は新聞紙で札束を作る能力を持っている籠池氏による伝聞に過ぎない。安倍昭恵さんが本当に言ったと思い込んでいる人が大勢いるようなので、蛇足しておく。

この後10月になって、近畿財務局が大阪府に審査基準を紹介している。14番目だ。このときは基準を満たさないので土地が購入できないという結論になっている。そこで15番目、財務局が森友学園に収支改善できないかと問い合わせた。16番目で森友側が「無理やわ」という回答をしている。その次の17番目が、先ほど紹介した、

大阪府が森友学園の設置認可申請書を正式受理。

これなのだ。これは削除されていない内容である。

何か流れがおかしくないか?

受理したという事実は消しようがないということかもしれないが、その直前に、

大阪府「審査基準満たしてないよ?」
財務局「収支改善できないの?」
森友「無理やわ」

というやりとりがあるのに、なぜ申請書を正式受理したのだろうか。何かこの行間に、書くことができない秘密があるような気がするのである。

さらに19番目、H26.12.18に、大阪府は小学校設置計画の審議を継続することを決めている。20番目が最初に紹介した、産経WESTの記事である。まだ審議中なのに、小学校を設置する計画だとニュースに出てしまうのだ。これが H27.1.8。

21番目は翌日9日、近畿財務局が森友に国の貸付額の概算を伝えて、22番目では副大臣に面会したいと要請して断られている。

そして、次の削除されていない23番目。1月27日。これは、小学校設置が「認可適当」という答申なのだ。

これも流れが不自然である。お金がなくて審査基準を満たせないという状況なのに、なぜ認可適当という話になるのか?

24番目、これは答申の後なのだが、ここで平沼さんの名前が出てくる。財務省に「何とかならないか」と相談するのだが、「ならない」という回答だった。ちなみに、安倍昭恵さんは既に3回登場していて、この後は名前が出てこない。

この後、鳩山邦夫議員秘書からも「何とかならないか」という相談をしているが、これも「ならない」という回答で終わっている。政治家の力がどれだけ無いのかが分かる。

そして、3.13に、見積もり合わせが不調に終わる。ないものはないから仕方ないが、この後H27.3.26 に突然出てくるのが、昨年10月に実施したボーリング調査結果だ。話が違うじゃないか、というのがここで出てくる。その後、ビックリの安値で土地が取引されることになる。



話をもっと最初に戻そう。忖度よりも損得が重要だ、というのが私の主張だった。では、先のような内容を隠して損をするのは誰で、得をするのは誰なのか。橋下さんの言うように、

森友学園問題は、首相夫人の昭恵さんが学園と関係が深く、その後名誉校長に就いたことが、土地の大幅値引きに影響したのではないかというもの

なのである。しかし、この時系列をみれば、安倍昭恵さんが土地の大幅値引きに影響していないことが明白だ。

H26.4.28 「いい土地ですから」と安倍昭恵さんが言ったと籠池氏が言う。
H27.1.8 産経WEST に安倍昭恵さんさんの感涙記事が出る。
H27.1.15 値下げ交渉したい森友学園が副大臣の面会を断られる。
H27.1.29 平沼議員の秘書が財務省から断られる。
H27.2.17 鳩山議員の秘書が財務省から断られる。
H27.3.13 金額交渉不調
H27.3.26 ボーリング調査結果を持ち出す
H27.4.17 ボーリング調査結果で貸付料の修正を検討するとの回答。
H27.4.28 見積もり合わせ実施。

「いい土地ですから」とは昭恵さんは言ってないらしいが、仮に影響力があったのなら、この時点で大幅値引きになっていないとおかしい。しかし、実際はそうなっていないし、それから半年以上の経った後の産経WESTの報道があった後も、まだなお値引きはされていない。

実際に大幅値引きで売却されたのはH28.6.20 のことなのだ。「いい土地ですから」から2年以上後のことなのだ。ということは、森友学園問題の「影響したのではないか」という疑問への答は No ということになる。



では、文書の書き換えで得をするのは誰か。

一つ考えられるのは、近畿財務局である。高値で売れるはずだった土地を、瑕疵があったために安値で売らざるを得なくなった。これは失態だ。法的にどんな問題なのかは知らないが、こんなことが文書として残るよりは、削除してあった方が得だといえるだろう。あるいは、認可すべきではない学校を認可することになった大阪府はどうなのだろう。条件を満たさないからお金の動かし方を工夫して条件を満たしたことにしよう、というのは素人目にはかなりヘンな話のように見えるのだが。

削除された内容の大部分は、議員の名前とは何の関係もない、森友学園と近畿財務局や大阪府とのやりとりなのである。だから、そのやりとりを隠すのが目的だ、と考えるのは最も自然な発想ではないか。そして、隠すのだから、そこに何か不都合なことが書いてあるのではないか。

そして、これを隠すことで損をするのは誰だ。

もはや明白だろう。安倍総理、そして安倍昭恵さんだ。土地の値引きに関わっていないという証拠を隠されたために、昨年あれだけややこしい話になったのである。

もう一つ指摘するといえば、安倍総理を叩く材料を手に入れて得をする人達がいる。野党や安部叩き派のマスコミだ。まさか、その人達が裏から文書の書き換えをさせたとは思えないが、そもそもこの事件自体が、あり得ない話と妄想のオンパレードなのである。まだ一度も出てきていない恐るべき黒幕がいたっておかしくはない。

続・混沌の廃墟にて -5-
(C) Phinloda 2018

Yahoo!知恵袋にたまに…いや、頻繁に回答を投稿しているのだが、「予備校に行った方がいいですか」とか、「添削を受けた方がいいですか」みたいな FAQ がある。実際、この種の質問は本人の能力や財力【謎】、ターゲットのレベル等によって最適解が変化するから、なかなか難しいことではあるけど、とにかくよく出てくる質問なのだ。

これに対して、私がたまに書く回答には、こんなのがある。「とりあえずやってみて、必要ないと思ったらやめたらいい」

この発想、普通はしないものなのだろうか。予備校みたいなサービスは年単位で支払う必要があるのかもしれないが、その昔、私が行ってた塾は月払いだったし、家庭教師をしていたときも月謝でお金をもらっていたような記憶がある。添削はZ会を受講していたのだが、これも月単位で支払っていたはずだ。だから、いつでも止めることができたのである。もちろん、入会費みたいなのは戻ってこないし、一括払いよりは月払いが少し高めのお値段になってしまうデメリットはある。

そう思って考えてみれば、「塾に行っているけど役に立っていないので、やめてもいいだろうか」という質問、これも多い。お金を払うのだから、当然、役に立たないのならやめた方がいい。なぜやめないのか、そこが理解できない。もちろん、本当に役に立っていないかどうかは分からない。塾に行っても成績が上がらないという人がいて、それが事実だったとしても、もしかしたら塾に行っているから現状維持できているのであって、やめると大惨事になってしまうかもしれない。

プログラムを書くときには、とりあえずやってみて、ダメそうだったら修正する、そのような進め方で開発することが案外よくある。いいかどうか分からないから、まずやってみるのだ。でないと、先にすすめないうちに納期になってしまう。

もしかしたら、そのような発想がプログラマー特有のもので、世間一般では、やるかどうかを確実に悩んでから決めるような石橋を叩くようなメソッドが普通なのかもしれない。

続・混沌の廃墟にて - 4 -
(C) Phinloda 2017

このブログの記事に自動的に footer を付加するプログラム、絶賛開発中【謎】なので今すぐ紹介したい、と書きたいところだがサクっとできそうなのに案外コーディングが終わらないのでもう少しかかります。すみません。ちなみに python と selenium でやろうとしているのだが、HTMLパーサーどれがいいんだとか、そういうレベルで迷ってるからお話にならない。

今日はYahoo!知恵袋のとある質問に投稿した回答について、微妙に気に入らないので、もう少し考えてみたい。

質問の趣旨はこういうこと。

「x-1≦0のとき、|x-1|はなぜ -(x-1) なのか」

数学が分かる人ほどこの質問の意図が分からないのではないかと思うのだが、実数の絶対値の定義は、高校ではこうなっている。

A≧0 のとき、|A| = A、A<0のとき、|A| = -A
(新課程チャート式数学1+A、第4刷 平成18年4月1日発行、p.64)

だから、x-1≦0なら、|x-1|は、

x-1=0 のとき x-1
x-1<0 のとき -(x-1)

このように場合分けしないといけないのではないか、と考えたらしい。

そこで、知恵袋の回答には、実は次のように考えてよい、ということを書いた。

A≧0 のとき、|A| = A、A≦0のとき、|A| = -A

だって A=0 のときは 0 = -0 だからね、ということで、ようやく本題に入るのだが、気に入らないというのは、ここは、

A>0 のとき、|A| = A、A≦0のとき、|A| = -A

このように書いた方が良かったのではないか、と悩んでいるのである。推敲ってこういうことなのか。どうでもいいような話に時間を使うこと、みたいな。冗談はおいといて、先に書いたような表現になったのは、後半の条件に単純にイコールを追加したからだ。思考の順序としては、そこから先に一歩進んだ方がよかったのかな、ということになる。回答道って、なかなか難しい。



数直線を1点で区切る場合のまさにその1点ってどうよ、と考えてみるとデデキントの切断も思いつくけど、プログラミング的な感覚でいえば、条件が重複するとどちらで処理されるのか考えたりして評価順序とかややこしい話が出てくるのもイヤだし、とりあえず基本的に重複は避けたい。

if (a >= 0) {
    // 正か0の場合の処理
} else if (a < 0) {
    // 負の場合の処理
}


あるいは、

if (a > 0) {
    // 正の場合の処理
} else if (a <= 0) {
    // 負か0の場合の処理
}

これならスッキリする。もっとも、この場合なら後半の else に条件を付けないで、

if (a >= 0) {
    // 正か0の場合の処理
} else {
    // それ以外
}

あるいは、

if (a > 0) {
    // 正の場合の処理
} else {
    // それ以外
}

こうした方がバグも避けられるし漏れが生じる余地もないからいい。プログラムとしては

if (a >= 0) {
    // 正か0の場合の処理
} else if (a <= 0) {
    // 負か0の場合の処理
}

としても何も間違ってはいないのだけど、何となく「あなたは一体何したいの?」的な違和感が残る。0のときに値が同じになるのならまだいいが、違ったりするととても悩ましい。



ちなみに、負から判定するというのはアリだろうか。

if (a < 0) {
    // 負の場合の処理
} else {
    // 正か0の場合の処理
}

これは、aが負の場合が圧倒的に多いのであればいいと思う。正、負の順の方が readability という視点では自然かもしれないが、頻繁に行われる処理が先、という基準も一理あるのだ。そのような条件がないのなら、やはりちょっと違和感があるかもしれない。

続・混沌の廃墟にて -4-
(C) Phinloda 2017

↑このページのトップヘ