アンナプルナサーキット

2017年03月12日

LAST DAY バックパッカー

最終日はジャガット村から一気にベシサハールという町までいく

今日は2016年11月20日
トレッキングを始めて16日目だ

15日目もジャガット村で静養したボクは
薬も一日3粒以上飲まないようにして
おかげで どうにか歩けそうだ
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道も大分広く ポカポカした下界の空気を感じる

しかし振り返ってみると‥‥
なんでもなかったような山歩きだったようで

すごく 大変なトレッキングだったようで‥‥

疲れたといえば 疲れたし そうでもないと言えば
そうでもない

結局のところ ボクが手にしたものは何だったのか‥‥

自信か
自慢か
達成感か‥‥ボクはそんなものが欲しくて歩いてきたのか

ただお腹が痛くて 歩きたくなくなったから終わらせたい
と思うボクに達成感などあるもんか

自慢するほどスゴイことなど何もしてないじゃないか
世界にはボクなんかよりもっと偉業を成し遂げた人達が沢山いるし
アンナプルナサーキットを完歩した人も山ほどいるし
高山病にかかることなく楽しんで山歩きをする人達も沢山いる

自分の限界を超えて 幅を広げたという意味じゃ自信にはなったけど
そんなもの取り立てて書くほどのネタにはならない‥‥じゃなんだ
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中国の企業がこのダムを造ったようだ 

ボクの知り合いに旅行作家の嵐よういち という男がいる
世界中の危険地帯に足を運び 危ない目に遭って
どうやって切り抜けたかを本にしているバカ野郎だ

だがこの男 決して命を粗末にしているわけじゃない
むしろ 他の誰より命の大切さを知っているんじゃないかって思う

彼ほどじゃないが ボクも今まで何度かの危険を味わってきた

だけど本当の危険ってやつはいつだって すぐ近くで
或いは スゴク遠くで待ち構えていて その距離感をつかむことは
難しいもんだ

大抵は危険でもないのに ヤバイと思い込む主観的思考の中に
存在する危険信号が 一足踏み込む前に点滅して
防衛本能が働いてしまうから 本当の危険を知らないまま
多くは危険と思っているだけのような気がする

本当の危険は危険を体験しないと
つまり 痛い目を味わって 苦しかったり 悔しかったり 泣いちゃったり
もう生きているのがイヤって思ったり
神様に中指立てて さんざん罵ったりして
少しずつ体にしみこませ 深層意識にしまいこんで
危険に対する直感力を培っていかないと 近づけないものなのだろう

そうしてその直感力で 危険と安全の境界線の
ギリギリのスレスレの所で 引き返せることが出来るようになった時
人は命の大切さや ありがたさを知る事が出来るようになる

それが嵐よういち という男で バカ野郎で ボクが愛すべき部類の男だ

そんな彼もボクも 結局のところ 最後に手にするものは
自慢でも達成感でもなく

命に尽きるのだろう(本人確認はしてないが)

大げさだと 人は言うだろう
オレは いつだって 死ねるぜ なんて言う人もいるだろう

でも人間 生きている限り 最後に命が大事だってことは遅かれ早かれ
気付かされる

誰だっていつかは死んじゃうけども
それまでの命は やっぱり大事なものだから

何気ない一日の繰り返しの中でも
生きていられた ということへの感謝は必要だ
そして最後の瞬間には やっぱり感謝して死にたいものだ
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大学院で数学を勉強しているというイギリス人と少し一緒に歩いたが
話がかみ合わなくて仲良くなれなかった だってこの人 輪廻転生全く
信じてないんだ

ボクも嵐よういちも 深い所では そういう具合で繋がっていると思ってる

普段の生活じゃ 気が付かないから わけもなく 危なっかしいことをしてしまう
そして 生きててよかったと 思う瞬間を味わうため また愚にもつかない事を
おっぱじめる

人生なんて所詮綱渡りのようなもんだ

どれだけ安心や保障に囲まれたって 不幸や危険を完全に
振り払うことなどできやしないし
生まれた以上 病気と老化と死をまとって歩かなけりゃならない
何か問題が起きたらその時考えりゃいい

できる時にやりたいことをやる
気のすむまで やりたいようにやる

それがボクで バックパッカーと呼ばれる旅人の考えだ(基本的には)
バックパッカーは守らず攻め
危険を楽しみながら 命を落とさないことを生業にする

こんな大バカ野郎を 世間は現実逃避の社会不適合者と呼ぶ


トレッキングおわり

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トレッキング前のボク
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腹痛をこらえながら最終日を歩くボク

ワイルドになれました
  ↓

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先日嵐よういちのポッドキャストにゲストで招かれた時の模様

第439回 海外ブラックロード カセイのせかい(前)
第440回 海外ブラックロード カセイのせかい(中)
第441回 海外ブラックロード カセイのせかい(後)



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2017年03月11日

DAY 14 未来の子供たち

全国の女子高生のファンのみなさ~ん

カセイのせかい は・じ・ま・る ぞー

なんて

酷い痛みにもかかわらず明るく振る舞ってみたのは
心配かけまいと思ってのこと‥‥(誰も心配してねぇよ)

今まで黙って14日間頑張ってきたんだ‥‥

原因は6日目まで ワイルドに水道水をガブガブ飲んでたせいだ

9日目には口外炎ができ始めた
どうもお腹の調子が良くないぞって 思い始めたのがこの辺りだ

この痛みは食べる量に比例して 激しくなり
痛すぎて眠れないなんて夜もあった

不安とモヤモヤしたお腹を押さえながら
歩いてきたのだけど ここにきてとうとう歩くペースも落ちて
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本日白丸のジャガット村まででグロッキー

ピンクで囲ったチャムジェ村に着いた時
お茶を飲んで休憩していたカップルのトレッカー
に助けを求めた

お腹が痛くて歩くこともままならない
水が原因だと思うのだけど 何か薬を持ってはいないだろうかって

そのスイスからの旅行者は ボクのお腹を心配してくれて
バッグの中から薬を出すと沢山持ってきてこう言った

こいつはネパールの薬だけど水でお腹を壊した時は
この薬が一番いいと勧められたやつだから大丈夫だろう
但し 一日三粒以上は飲むんじゃないぜ

なんて心優しい人達なのだろう
ボクには君たちが 神様によってこの世界の苦しむ人たちを
救うために 送られた 特別な人たちに見えるよ

とボクはお礼を言って 一日三粒飲んでも5日分くらいはある
量の薬をもらい すぐに一粒飲んで

少し話をして また歩くことにしたのだけど
そんなにすぐに痛みは治まらず
カタツムリにでもなったように進まないから
2時間ほど(ノロノロペースで)下ったジャガット村に着いた時
これ以上今日は歩くのを止めることにした

標高1300mほどの小さな村に
走り回る子供たちの元気な声が響く
それに負けないくらい元気な怒鳴り声を出す母ちゃんの声も聞こえる
旅行者は殆ど通り過ぎていく(多分一つ手前と一つ先が大きい村だから)
ジャガット村を見下ろす一泊200円の古い木造アパート造りの
二階の角部屋へ続く通路兼ベランダに置かれたプラスチックの椅子に座って
手すりに足を放り投げ 目を閉じたボクは
あと少しで山の向こうに隠れてしまう
黄昏の村の声に耳を傾けていた‥‥

日が暮れて 子供たちが家に帰っていくと
家々は 鍋に蓋をかぶせるみたいにガタガタ戸締りをする

どの家もみんな あばら屋ってやつだ
壁のあちこちから 板と板のあいだから 光りが漏れて

それが闇の中にうっすら浮かび上がる姿は
山の中で自然に生えた不格好で不揃いなかぼちゃをくり抜いて作った
提灯のようで 漏れ出す話し声は湯気に混じって
小降りの雨音みたいに聞こえた

全く子供達っていうのは 本当に眠る直前まで元気なんだ
今日の出来事や 明日の予定で話が尽きないのだろう
いつまでも遊んでいたい気持ちも外に零れてる

思い出すなぁ‥‥ボクもあそこにいた

貧乏で おんぼろアパートで 食べていくのがやっとで
家族4人身を寄せ合って暮していたけど
貧しいなんて思いもしなかったあの頃‥‥ボクは確かに幸せで
人生を楽しんでいた

そりゃ君 お金の事 考えなくてもよかったからだよ
なんて声も聞こえるけどね

親が人生を楽しんでいなけりゃ 子供だって楽しくならないよ
お金があったとしても なかったとしても
大人が元気なら 子供だって元気

ネパールは貧しい国で 山の暮らしはもっと貧しいけど
山の人達の心は豊かで元気だ

ボクは 以前 どうして山の人達は都会のポカラやカトマンズで暮らさないのか
マヘンドラや 他の友達 達に訊いたことがある

その理由として 都会で暮らすお金がないから とか 先祖代々そこで暮らしてきた
から離れたくても離れられないと 彼らは教えてくれたけど

やっぱり 山で暮らし続ける人達は 山での暮らしが好きなんだと思う
お金なんてなくても 自給自足で満足しているからだと思う
お金じゃ買えない幸せや喜びがあることを知っているし
お金が必ずしも人を幸せにしないことを 山の人達は知っているのだと思う
ボクにはそう聞こえる

確かにあの子供たちもいつかは 大きな町へと 出て行ってしまうかもしれない
けど 残る人達もいれば 戻ってくる人達もいるから 村は続いているのだ

あの元気な子供達だって 色んな世界を見て きっと最後は
ここにまた 戻って来るに違いないんだ

どんなに時が経っても ここで過ごした日々を覚えているかぎりは


つづく


ネパールは貧乏国じゃない
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2017年03月10日

DAY14 ワイルドだろう

標高2000mを切ったダラパニ村まで来ると いよいよ
終わりが見えてきたって感じがする
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早朝のダラパ二村付近

振り返ってみると
歩いていて楽しいのは2500mくらいまでだろう
草花や緑に囲まれ 鳥たちの鳴き声が聞こえ
ポカポカして生命の躍動を感じれるのはいいもんだ

だけども(場所にもよるのだろうけど)2500mを超えてくると
とにかく寒みぃ 自然の厳しい面が顔を覗かせ始めるとでも
言うのだろうか‥‥3500mから先は嘘みたい
住んでる人々に敬服しちゃう なんでこんなとこで暮らしてるのか
意味わかんないなんて思い始める

昔 南米のペルーという国に行った時標高3400mのクスコという街には
沢山人がいて 賑やかで それほど生きていく厳しさのようなものは
感じられなかったけど やっぱり地域が違い気候が違うと同じ標高でも
人間の営みも随分変わってくるのだなぁとしみじみ感じた
地球万歳だ
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丸した所に人がいる 酷い崩落だ

だが4000mから先は‥‥素人のボクには全くいい勉強をさせてくれた
おっかない先生が教える授業を受けたような気分だった
厳しいばかりじゃなくて 深い愛情を奥底に持ってるとでもいうのだろう

懲りずにまた来いよ って言われた そんな気がしたから
次回はちゃんとピークで記念撮影できるくらいの余裕を持った
トレッキングにしようと思う(また行く気かっ)
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いつ崩れてきてもおかしくない道ばかりだ

って

締めの感想に入っちゃってるけど14日目のボクはそんな気分だったんだ
今回のトレッキングはもう終わった
今日1日 いや あと2日歩けば ベシサハールという順当コースの登山口の大きな町
につける距離にボクはいる

そこでこのトレッキングを終わらせ そこからバスに乗って
ポカラに戻る

そんなことを考え始めていた

本当は歩いてポカラまで行く予定だったんだ
そのつもりで始めたトレッキングだった

でも それは無理だと思い始めていた

だって

だって

お腹が すげぇ痛いんだもん


つづく


押してくれたら治るかも
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2017年03月09日

DAY 13 ふざけた嘘

嘘って ついちゃいけないと思うんだ
って思う時のボクは決まって 嘘で嫌な思いをしたり悲しい思いをした時だ

必ず返すから とか 上手い話があるんだ 何倍にもなるんだ
なんて言われて失った金は結構で
騙されやすいボクは過去に何度も悲しくて 嫌な思いを味わい尽くしてきた
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本日の工程 チャメ村から青丸のダラパニ村まで

もちろん嘘がバレて悲しむ人を見るのも嫌だ
どうせなら嘘ついて感謝されるようなやつがいい

世の中には沢山の種類の嘘があると思う

嘘でも 真剣で命がけのやり取りがある嘘八百の大芝居なんていうのは
却ってスッキリしていいもんだけど

殆どの嘘は いい加減で 適当で その場しのぎで 真剣さのかけらもない
から 人は嫌な思いをしてしまうんだろう
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羊飼いと羊たち 追い抜くことが出来ない‥‥
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あくびをする牧羊犬
 

真剣勝負の嘘っていうと ハリウッド映画の「フェイク」なんか最高だ
FBI特別捜査官によるマフィア潜入の話で捜査官の手記を基に映画化された実際の話だ
こいつをみればボクの言う真剣勝負の嘘がどんなものかわかるってもんだ

逆にいい加減で人に嫌な思いをさせる嘘っていうのは‥‥まぁ聞いてくれ

チベタンブレッドにアリンコはちみつを食したボクは強い日差しの照りつける
トレッキングルートを歩いていた

一軒のさびれた商店を通り過ぎようとした所で誰かが叫んでいる
声はすれども 辺りに人はいない
商店にもいる筈の人が見当たらない‥‥

そのさびれた商店はトレッキングルートの
へりにかろうじて引っかかっているようにして建っていた
道からはみ出した部分の小屋は急斜面の下から突きあがった
柱によって支えられている

京都の清水寺の舞台を想像してくれたら分かり易いだろうが実際はあんなきちんと
した柱じゃなくてただの丸太棒2本で支えているだけだ

声はどうも下の方から聞こえるから覗き込んでみると
急斜面の中腹で ネパール人の男女が泥まみれで何事か叫んでいた

こりゃ事件だ誤って道から転落したネパール人が救助を求めている
と最初はそう思ったボクだけど どうもそうじゃないようだ

ボク「おーい だいじょうぶかぁ(もち日本語)」

男「すまんが その柵を開けてくれ(もちネパール語)」

それはボクの目の前にあった 竹で組んだガードレールみたいな
やつのことを指していた

なるほど この太い丸竹を抜き取って開放してやればいいのか
まるで馬場の埒みたいな囲いの竹を抜き取ると男はウンと大きく頷いて
白い歯を見せた

ところが女の方はというと半狂乱になってわめき散らし泥まみれで
泣き叫んでいる
物凄い絶望感と悲哀感が伝わってただ事じゃないのが分かる
それは転落して体に傷を負ったようなものじゃない
もっと精神的な痛みによるものが彼女を悲しませているのだ

2人とも年の頃なら40くらいだろうか‥‥
ネパール人は見た目老けてるから40手前かも知れない‥‥
一体何があったというのだ‥‥

男はボクをまるでネパール人と思い込んでいるようで
何かを訴え続けていた
どうも ここまで降りてきて女を一緒に引き上げて欲しいと
言っているようだ

えーまじでぇ めんどくさいなぁ
と思いながらも 背負ったバックパックを地面に降ろし
斜面を下ろうとすると 女の方が一層狂ったように声を上げて
手振りでボクが来るのを阻んでいる

髪を乱し声を上げ 着ている服も泥んこで その手で握った泥団子を男に
投げつけながら泣きわめくのを見ているとボクはそれ以上足を動かせなかった

男は助けてくれとボクを呼び 女を抱きかかえようとするも
女は触られるのも嫌なようで 地面にべったり座り込みその手を
振り払い泣き叫び続ける

ボクが再び降りようとすると 女はボクに向かって手を合わせて
どうかほっておいて欲しいと懇願していた

その時だ 女は偶然掴んだ警棒サイズの丸太棒で
男の頭めがけ振りおろし パカーンとかち割った‥‥

男はその場で卒倒し勝負はついたのだ
女の圧勝だ 男のいい加減でその場しのぎで 真剣さのかけらもない
嘘が完敗した瞬間だった

思い返せば男の顔には どこか決まりの悪そうな
にやけ顔で 真剣さのかけらも見当たらなかった

そして女はそんなふざけた嘘をついた男を許せなかったのだ
そして勝つ 当然の勝利だ

その場を離れて再び歩き出したボクの脳裏に去来した浮気の文字

間違いないだろう‥‥
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ゴレパニ村からの眺め


つづく


嘘でもいいから押してくれ
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2017年03月08日

DAY13 となりの虫

虫が嫌いって言う人多い‥‥
ボクだって好きか嫌いかって言われたら 嫌いな方だけど
どんなにきれいにしたって 殺したって 虫は絶対にいなくならない
と悟ってから 虫に対する認識は随分変わってきたように思う

チベットなんかじゃ どんな生き物も絶対に殺したりしないそうだ‥‥

命は姿形を変えながら生まれ変わり続けると信じ
亡くなった人達が生まれ変わってミミズになったり コバエになったり
青虫になったり アリンコになることもあると信じているからだそうだ

でもそんな事言われても ピンとこないボク達は 殺虫剤や農薬で虫を追い払う
スリッパや丸めた雑誌で バチン なんてやっつけちゃったりする所や
ネズミ取りを仕掛けて 体長20㎝を超えるドブネズミが籠の中でドタバタ
暴れている光景を子供の頃はよく見ていたもんだ

キャベツには青虫が 枝豆なんかプチンと弾くと鞘の中から茹で上がって
丸まった幼虫が飛び出してきて東京暮らしとはいえ 昔は空き地や畑ばっかりで
ボクのような一昔前の古い人間には虫に対する免疫力が いまどきの人達よりも
あるだろうことは 間違いない

要するに虫がいたって だからどうした っていう考えが染み付いているのだろう
そのくらい虫は身近で 虫が食べるなら人間も食べれるという
指標になる存在でもあったような‥‥個人的には

ところが今の人達は 食べ物にハエがたかったり
蛾が止まったりしただけで捨てちゃったりする

そんなことぐらいでお腹を壊したり病気になったりしないよ‥‥

多分世界はきれいになり過ぎて 人々の表層意識の世界の中(または仮想現実)
に虫は存在しなくなりつつあるからなのだ

それゆえ 突然現れた小さな虫に 過剰な拒否反応を示してしまうのだ

子供たちに大人気の 宮崎アニメ「となりのトトロ」に出てくるような
田舎の自然が 人々の頭におかしな自然を植え付けてしまった
ということは監督自身も示唆していて

あんなもんは何度も観るなと監督自身ぼやいている

アニメーションは現実を超えた スーパーリアルな世界だが
そのスーパーリアルな世界に本当の意味で到達するには 現実の世界で
虫に対する認識について今一度見つめなおす必要があるだろう

現実とは 蛍光灯の周りに虫や蛾がぶんぶん飛び回っていて
時々ボトリとご飯やみそ汁の上に落ちてきて
しょうがないんで ハエ取り紙 なんてベタベタした紐みたいなやつをぶら下げて
畳を横切るゴキブリを丸めた新聞紙でバチンとやりながら 家族全員そろって
夕食を頂くことだ

その現実を享受して ボク達は宮崎ワールドの入り口に立つことが出来る‥‥

なんてことを考えたのはお昼を過ぎた所でふと立ち寄った青空食堂で
注文したチベタンブレッドと はちみつと レモンティーが
座席に運ばれてきた直後だった

何か軽くてお腹に優しいものを食べたくなったボクは
7日目のトゥクチェの宿で出会ったフランスじいちゃんが
おいしそうに食べていた はちみつがけチベタンブレッド
を思い出し どうしても食べたくなってお店に飛び込んだ
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チベタンブレッドとは 揚げパンのことだ

チベット人のパンの食べ方が 揚げて食べるからなのかどうか知らないが
軽食にはもってこいだ 揚げパンと言ってもそんなに油っぽくないし
なによりはちみつはお腹によさそうだし
レモンティーも一緒に注文して 座席に着いた

と言ったって 馬鹿でかいニワトリがつがいで歩き回る田舎の庭に
ビーチパラソルが刺さった丸いテーブルが2つあるだけの お店だ
お店というより 街道沿いに建つチベット母ちゃんの経営する
ゲストハウスの敷地のオープンカフェ的な場所だが

平たく言えば 人んちの庭というイメージでしっくりくる
その場所で照りつける強い日差しを遮るパラソルの下で チベット母ちゃんは
ボクが注文したブツを運んできた

はちみつは汚い容器に入っていて 開けるとアリンコが沢山溺れている
結晶化したはちみつの中で化石化したようにアリンコは成仏していた
きっとありんこも満足して幸せな最期だったことだろう

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美味しくワイルドに頂きました


つづく


チベット人はネタも運んでくる
  ↓

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