2009徒歩の旅
2012年04月09日
ミクロダイナミック
サハラ砂漠のどこかで突風が吹いて
砂漠の民とラクダの大きな瞳に涙が止まらなくなるほどの
砂を巻き上げていったとして

例えばシャンゼリゼ通りのどこかのカフェで
愛を語る恋人同士が 一生破られることのない
誓いのキッスを交わしたとして

或いはアマゾンのジャングルのどこかで激しく
降ったスコールの終わりに目を奪う美しい

大空に掛かったとしても
翌日の0時丁度に全く同じ風が吹くことはないし
同じ大きさの同じ色の 同じ厚さの虹が空に掛かることはないし
同じキッスを同じ恋人同士が交わすことはない
毎日全く同じと思っているならそれは大きな気のせいということだ
ボクが考える神っていうのは絶対に滞らない清純な流れであり
同じものを創らない力だと思っている
その純粋性が創ったこの地球にボクは生きていて歩いていると完璧だと思える瞬間の
足運びも全く同じ動きを繰り返す瞬間は二度とやってこないのだろうなと感じつつ
自分がとんでなく尊いものを創造しているような気持にもなる
歩くというのは何かを創造して ちょっとキープしてその後でぶち壊してまた創造する
ような行為だから神様に近づいた気持にもなって 最後はやっぱり神様っているのだと
感じずにはいられなくなるのだ
まぁ 神様なんて信じようと信じまいとどっちだっていいのだよ
神様を信じていないからダメとか信じているから立派だとかくだらない
神の奇蹟も天罰も思い込み 神という存在は しかし想像を超える純粋性で絶え間なく流れ
創造と破壊を繰り返しているのだろうね
おわり
絶え間なく押せ
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旅路の果てに佇む場所
やっぱり都会だからだろうか
公園で寝袋や服なんか全部だして天日干しする 水分がなくなると随分荷物も軽くなった気がした
14日目は愛知県豊川を目指す やっぱり寒い 夜中に公園で目を覚ましたら
夜露がびっしり寝袋に 足なんか寒さで感覚ない
翌日岡崎城までやってきたら急に眠たくなって歩道に設置してあったベンチで丸太のように寝た
昼寝て夜歩く方がいいんじゃないかと思いながら記憶が飛んだ

起きて元気になったボク
再び目を覚ましたらもう15時半になってた
足は全然ボクの意志に反して言うことを聞かない 惨めだ‥‥
自分がはりつけにされる十字架を背負って
死刑台へと歩くイエスは神の子であり 人々の様々な病気を癒し
教えを広めるために遣わされた救世主だった
それなのに最後はその神に見捨てられたのだ
イエスの度重なる呼びかけにも答えない神を
最後までどう思って死んだのだろうか‥‥
そんなことを考えると ボクが見た夢なんて
何の意味もなかったのだ ボクはイエスの鼻毛ほども尊くなく
選ばれてもいない どんよりした気持ちで歩く
15日目は焼け付く日差しの中を 浜名湖に沿って歩いた
姫街道と呼ばれる傾斜のあるルートで
みかんで有名な静岡県三ヶ日のみかん畑を抜けて歩いた
もうどうやって歩いてもうまくいかない自分がいる
16日目浜松駅から少し離れた公園で起床
目をつぶると何も考えられなくなって3秒後には意識が飛ぶ
これはこれで素晴らしい だが起きると体が言うことをきかない
2時間も歩くともうヘトヘトさ
グッタリするボクの向こうから元気そうな男が近づいて
東海道を歩いているのですか?と声をかけられた
見ると大分年配の方だ 立ち止まって話をした
65歳のその方は京都の三条を目指して
東京の日本橋から歩いて来たのだそうだ
定年退職してからの念願で東海道徒歩の旅を満喫しているのだ
と話すその元気あふれる姿にボクの中の何かが目を覚ました
時間にしたらほんのわずかだが人間の体は面白い 人はパンのみで生きることはできないと
言ったイエスの言葉は本当だ
食べ物だけじゃ補給できないエネルギーが
充填され ボクはまだまだ歩けると そう思わせ始めたのだ
人の出会いは本当にすごい あの人はココしかないというタイミング
でボクの所にやってきた神の使いじゃないだろうか?
でもきっと二度と会うことのない夢のような出会いだ
本当に彼が存在していたのかどうかさえもうわからないけど
きっとどこかで念願の夢を果たせた喜び一杯で歩いているんだろう
16日目はそのまま掛川目指して歩いていた
掛川の日坂バイパスの途中に道の駅があって
とても便利が良いから帰り道も目的地に設定していた
実は往路でボクはこのバイパスを歩いて警察に捕まった
よく覚えていないのだけど気がついたら高速道路みたいな道を歩いてる
歩道はなく 車はものすごい勢いでボクのすぐ横を通り抜けていく
ダンプカーなんかボクをひき殺しかねない勢いだ
背中に殺気を感じつつ 道の駅まであと100mを残したところで後ろからサイレンが
ウーウー(柳沢慎吾ちゃん風で) おい 君 そこの君
とまりなさい

午後9時の高速道路を横断していたんだな

あの頃は若かった(ほんの10日前の話だが)‥‥
通りの向こうから叫んでいる警官2名に向かって冒険野朗(ボク)が発した言葉
おれのことか?
お前しかいないだろうバカヤロウ(バカ野郎は脚色した)って言われた
あと少しで道の駅に着くからこのまま歩かせてくれと
お願いしたけどお巡りさん許してくれない
捕まえに行くからそこを動くなだって
そっちの方が危ないだろうと思ったけどいう事を聞いたよ
大人だから
結局捕まってパトカーに乗った 久しぶりに
で話を聞いたら走行中の車が通報したらしい
ちなみにボクは道路交通法違反で逮捕と思いきや保護だそうだ

17日目は静岡に向かっていく すこぶる調子は良かった
415号線なる道を脇にそれて
旧東海道の小夜の中山峠なんか歩いてみたり
ここはものすごく勾配がきつくて
茶畑を縫うようにくねくね坂を登る
昔の人も随分難儀した場所らしい
というのもここら一帯は山賊が多かったらしく
身包みはがされたり命を落とした場所でもあるそうだ

危険だった辺り
中山峠を過ぎると今度は石畳
旧東海道の金谷坂と呼ばれる 昔ながらの道が残っている
その坂道を登ったあたりで電話がかかってきた
夢に出てきた友達からだ
峠を下るとSL蒸気機関車がはしる金谷駅が見えてくる
また電話がかかってきた
どうやらもう歩くのを止めさせてボクと遊びたい様子だ
その日は3連休の真ん中で土曜日だった
友達は沼津の駅で待っているから今すぐそこから電車に乗れという
それ以外にもボクに歩くのを止めさせる多方面からの圧力があって調子が出て
東京まで歩ける力が出てきたところだったが
流されるままのボクは大井川を渡り島田駅から
電車に乗って第1回目の伊勢参詣を終了させたのだった
もしかしてちゃんと歩いたら
神からのメッセージを受け取れるのではないかという期待をどこかに残して
おわり
次こそがんばりますから
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エム
鈴鹿の辺りは鈴鹿山脈と呼ばれる山から吹き降ろしてくる風で特に寒いのだ

何とか四日市まで歩くも ここにきて足が痛みだす
右足小指の先にできたマメが潰れてできての繰り返しで
体重をかけることができなくなっている だけど右足をかばうと左足への負担が
大きくなって今度は左が痛みだす 一度バランスを崩すと 修正するのが大変なのだ
その間は頭を使って色々な歩き方をするから疲れも大きい そしてイライラする
スポーツ選手が抱えるスランプ状態だ
苦しまずに 悩まずにバランスのとれた理想の歩きができたなら
その時めくるめく快感にボクは包まれちゃうだろう脳内麻薬ってやつが溢れ出して
ボクを完全にこの世界から切り離すのだ
脳内麻薬っていったら聞こえは悪いけど
これは人間にとってなくてはならない大切なものだ
何かに没頭している時 楽しんでいる時の喜びや
驚きや 興奮 恋する時のドキドキなんかも
脳内麻薬のおかげで感じられる なかったら人生つまんないぞ
こういう脳内物質は20種類くらい確認されているそうだ
脳内麻薬のイイ所は外部から取り込むどんな強力な麻薬の比にならず
常にベストクォリティーを適量適切に供給してくれるところだ
外部から麻薬を摂り楽しもうと思わず強力な麻薬はお金を払わずとも自分の
中に初めからあったのだ 今こそ扉を開こう もっと自分を痛めつけて

つづく
押せば次の扉へ

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2012年04月08日
夜更けのフードコート
歩いていて楽しいと思うこと
それを最初に感じたのは三重県の県庁所在地である
津の辺りを参詣を済ませて歩いていた時のこと
国立だと思うけど三重大学を通過して
更に2㌔ほど歩くと国道沿いの
大きな複合施設に辿り着く
色んなお店があってそこにはスーパー銭湯も
第1回目のくそ寒い時期 とりわけ夜道を歩いていたボクには
ありがたいオアシスだった
夜は人間誰しも心細くなるものだ ボクなんかとっても淋しい
そんな時とてもありがたいのが光だ 闇の中に光が灯っているというのは
心に火が灯るくらいに温かい
そしてついつい虫のように引き寄せられていく
深夜まで営業しているスーパー銭湯を発見したボクは
まずは腹ごしらえをしようとその複合施設に引き寄せられた
24時間営業のスーパーマーケットもあるけど
パンや弁当を食べるより もっと温もりのある食べ物をと
フードコートの中に入っていった
フードコートって 食券買って ささっと作ってもらって
あとは好きな席で食べたら食器は返却口に戻してね
っていうフリースペースだ
ボクが入った時 もう殆ど片付け始めていたから
食べられるものっていったら
もう残り物しかない 食べたいと思う美味しそうなカレーや
カツどんや チャーシュー麺や天丼はもう売り切れ
みんな食べる物って大体決まっているということだね
それで天ぷらうどんの 天ぷらももうない状態だから
天ぷらうどんの天ぷらなしを頼んだ食べてるやつなんてボク独りしかいない
何時まで開いているのか訊いたら
あと15分くらいだという 外は猛烈に寒いから
荷物を降ろしてゆっくりお茶でもすすっていようと
思ってもそれも出来ない
食べ終わった食器を下げてちょっと訊いてみた
女の人が一生懸命厨房内で片付けと掃除をしていて
年の頃なら30歳手前くらいかな
ねぇ お姉さん この先の道について訊きたいのだけどね
四日市に向かって行くと
この先24時間で開いているお店なんかあるだろうかね
例えばマクドナルドみたいな
お姉さんボクの顔見て車なの? っていうからちょっとった
だって大きなバックパックが目の前にあって汚い恰好でしょ
きっとお姉さんの人生には ボクのようなタイプの人間は存在しない
謂わば宇宙人的なボクが とても普通の地球人と急接近して
会話していることに笑いがこみ上げてきたのだ
歩いていると言い返したら 目を丸くして驚いたお姉さん
その表情がドン引きじゃないからカワイイ
本当に何も知らないまま過ぎていくはずの 彼女の人生に
変な刺激を与えてしまったことが
良かったのか悪かったのか分からないけど とにかく出会ってしまった
ボクは食器返却口のカウンターに肘を付き 彼女は手を休め
気がつけば30分も話が止まらない
道を聞くはずが いつの間にかボクは 彼女の人生相談というか
人生そのものに触れていたんだ
人の人生なんて30分そこそこで語り尽くせる
ものじゃないのは分かっているけど
ボクは彼女の話をただ頷いて聞き
彼女はボクに自分の人生の一端を物語る
あれはまるで映画のシーンのようだった
ボクら以外に誰もいない 音もない
静かでだだっ広い空間に 彼女の人生が言葉となって広がっていく
地球のどこかの 陸地の一地点に 人と人が出会ってそんな風景を創造する
ハッキリいってボクは自分の事なんて一言も喋らなかった
だけど それでも彼女にはボクの人生がどんなものなのか伝わっていたね
彼女の想像もつかない人生で 彼女の想像を超えた経験をしているとね
彼女はそれを感じ取っていたんだと思う だから自分がごくごく普通に
生まれた土地から一度も離れることなく過ごし 高校時代の同級生を恋人に持ち
結婚するのかしないのか分からないまま10年以上付き合い 同棲して
その彼の仕事を一緒にしている それがこのフードコート内のお店で
経営は大変でこのまま変わらず生きていくことにも
新しい人生と呼べるような冒険も出来ずに迷っていることを話したのだ
ボクはそんな不安や迷いを黙って聞き 時々頷き そして微笑む
悩んだってしょうがないよと微笑む
彼女は少なくとも今 目の前にある仕事や 環境に向き合って
毎日を懸命に過ごしている
なのにボクみたいなホームレスが 満面の笑みで 今夜のねぐらを探して
目の前に現れてしまったものだから きっとそれは土台がグラグラと
ずれちゃうくらいの震度だったんだろう
多分 あれれ 人生ってナンなの?って
思ったことだと思う
きっとボクに話をした後で
悩んだり苦しんでいたのがバカらしくなったんじゃないだろうか
或いはボクのような生き方に興味を抱いたか‥‥それはないな
お姉さん最後に残り物のおにぎりを二個くれた
本当はこんなことしちゃいけないんだけど‥‥ってこっそりと
なんかとても悪いことに手を染めてしまったような気持ちでいたのかな
彼女の精一杯の冒険だったのかもしれない
それがボクの 初めての伊勢参詣帰り道でもらった親切
歩いていて楽しいと思えた瞬間だ おにぎりを貰ったことじゃないよ
知らない人と出会える瞬間
人生を豊かにするのは出会いなんだと思えた瞬間
それから第2回 3回と ボクは地図を持たない
心を広げていれば地図は必要ない
世界には助けてくれる人が沢山いるからだ
そんな彼らと触れ合うためボクは地図を捨て町に出る
つづく
迷ったら押そう
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大好きレトロ
ねぐらを探して商店街の入り口に行き着いた
そこはなんだが懐かしく 輝かしい昭和の香り漂うアーケードだった
建物が一続きになっていて 小さな店が寄り集まって大きな家族のよう
醤油や味噌を借りに 隣から隣を駆け回るのが当然だった昭和
自分と他人の区別なんてなかったような‥‥それは偏見に満ちた
ボクだけの世界だったのか‥‥隣の家も その隣も 二階の家も軒先も
裏の梅林も駐車場も 雨も雪も熱帯夜も 涼風も鈴虫の鳴き声も
助け合って一つの世界を共有していた昭和
テレビやラジオや機械なんか叩いて直っちゃう時代だった
余計なことに余計なお金は使わない
あらゆるものがそんなに複雑に仕上がってなかったから
大人はみんなそれなりの技術でそれなりに修繕修復したものだ
そうしてあらゆるものは不細工であり 大雑把であり 軋んで歪んでいて
心があって なんとも愛おしいものだった
何でも壊れたらすぐ買い換えるような時代でないのが昭和だ
ボクの覚えている昭和は 沈み行く地平線の向こうの爛れた太陽が
空を金色に染め上げていた僅かな間だった‥‥
その僅かな瞬間に生まれることが出来たのはある意味奇蹟だ
嬉しい奇蹟だと思う
恐らく全長にして1キロはある長い長いアーケード だけども商店は
殆ど営業していない様子 珍しい店もあったが やっているのかどうかわからない
きっと昔は活気に満ち溢れていたのだろうな‥‥あ 今日


アーケード内のミツグ結納店 何を扱うお店なのか気になる‥‥
おわり
叩くように押してみて
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