なさばな

2019年01月22日

夢と現実のギャップ 3

光陰矢の如し‥‥全く月日の経つのはあっという間だ
時間を有効に活用できる者だけが‥‥成功するのか?
或いは‥‥っていうか成功ってなんだ?
或いはこう言い直してみよう
時間を有効に活用してこそ人生は豊かで満喫できる

ボクが小学生だった頃 毎年夏休みに入る時
沢山宿題や課題が押し付けられた 中でも憶えているのは
自分で夏休み中の時間割を作らなきゃいけなかったことだ
紙に大きな丸が印刷されていて 円周には数字があった
(要するに時計ってことだ)
そこに自分で起床から就寝までの予定を作るわけだ
ゴハンの時間 勉強の時間 お風呂の時間から 遊びの時間
その予定に従って時間を有意義に過ごすことを学校は教えようと
していたんだな 学校や社会は時計仕掛けの人生こそ真っ当な
人間を育成すると考えていた

ってことは真っ当でない人間がここにいる
時間を有効に活用することも時間割通りに日々を
過ごすことも出来ず 登校日の前日になって慌てふためく
ボクは おかげでこんにちまでそんな人生を送ってる

振り返ってみればネパールで過ごした日々も全くその通りだ
この国で何かを残したいと考え努力もした だけど
何を成し遂げたのかと訊かれると 何一つ残ったものはない
上手く行くと思ったけども 成し遂げられなかったのは
他人のせいにすることも出来るけど やっぱりボク自身の努力が
足りなかったという問題に至る

月日は瞬く間に過ぎるけど成功か失敗かは別として 
それでも人生は素晴らしく豊かで有意義だとボクは思っている

ボクは時々悲しい夢を見る 一生懸命働いているんだけど
みんながボクを追い出そうとする夢だ
君はここでは役立たずだからどっか行ってくれ
君の居場所はもうここにはないんだ っていわれる夢だ

多分ボクの中のどこかでは みんなと同じような真っ当な
社会人として生きて 役に立ちたいと思っている所が
あるからなのだろう けど夢から覚めたボクはこうも思う

ボクは全然役立たずじゃない この地球で生きてる限り地球の役には
立っていると
人生は短い 短い人生なら幸せに暮らしたいボクが感じる幸せは
お金持ちになる事でもなく有名になる事でもなく 偉い人になる事でもなく
自分らしく生きる事

偉業を成し遂げようだなんて思っちゃいない 環境破壊から
地球を救おうなんて大それた思いもない これからも時間を無駄に
使っていくだろうし くだらない日常を書き連ねていくのだろう
けど いつか自分で読み返した時 そこに自分らしさを見つけて
満足できる生き方だと思えることがあればそれでいいのだと思ってる
IMG_8077
マヘンドラとボクは将来ここでカフェを始める計画を立てた
ボクはそのためにこの絵を描き マヘンドラは改築工事を始めた

IMG_8078
マヘンドラのレストランにボク達の夢は続く ネパールに行く人は
見に来てね


おわり

人生なんて暇つぶしよ
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photon_5d at 08:46|PermalinkComments(0)

2012年04月05日

回想してみた初めての伊勢神宮

日本各地に神宮と名のつく場所は沢山あるが
伊勢神宮は別格だ
そこには歴代天皇の祖先に当たる天照大御神が祀られているからだ
日本の歴史を紐解くと 何も神様の始まりが
天照という訳ではないようだが
天上界の神様を代表して 地上の日本を治めよと
命じたからそういう事になっている

神宮は神社とも違う 格が違う 
そして伊勢神宮はザ・神宮といわれるくらい
神宮の中の神宮で ダントツの 圧勝の
キング・オブ・神宮なのだ

聖書に書かれているようなことも 日本書紀や古事記なんかも
どこまでが本当なのか疑いだしたら切りがない
全部しっかり読んだわけでもないし
解釈しようとしたりすれば
それこそ何通りにも読めたりしてますますわからない

だけど行ってみればいいさ あそこには確かに神がいるぜ
そしてボクは神という至高の存在を信じてる
信じてなきゃ歩いて行こうなんて思わないよ

それだけにあの頃は 裏切られたという気持ちで一杯だったね

伊勢神宮ってナンなんだよプンプン 
 
2009年と2010年のボクは 酷く腹を立てていた
文句ばかりを言っていた

「西遊記」という 有名な中国のお話がある
苦しむ多くの人を救うため 
一人のお坊さんが 天竺というとても遠いところへ
大変パワフルでありがたい経典を
取りに行く壮大な物語だ
桃太郎もそうだったが お供に三匹の動物がついていた
サルと 豚と 河童の妖怪動物とでも言うのだろうか
ちゃんと読んだことがないので
こまかい所は分からないけど
最後はちゃんと経典を貰って沢山の人々を救ったようだ

とんでもない年月を費やして 数々の困難を乗り越えて
何度も断念しかけ何度も死にそうな危機を乗り越えて
ようやくだと思う もうヘトヘトでクタクタで
やめちまおうかなんて何度も思ったり
途中でものすごい美人なんかに出会って
もうここでこの娘と一緒に暮らそうなんて考えたりも
したことだろうと思う

それでもお坊さんやっぱり凄い なんとしてもワタシが救う
他に誰がやるっていうんだ
ワタシがやらなかったら誰もやらないじゃないかって
気持ちが天竺へ導いた そしてお坊さん
ちゃんと帰ってきて沢山の人々に明るい道を示したんだね

思うに‥‥例え天竺に経典がなかったとしても
紐解いた経典の中身が真っ白だったとしても
お坊さん十分に衆生を救える力をつけたね
もはや経典なんか重要じゃない
過酷な修行を完成させたのだもの
新幹線や飛行機に乗って 取りに行った経典じゃないんだから
宅急便の午前指定受け取り希望したのとも違う
本当に望むものはいつだって困難な道の上にあって
大変な苦労をしなければ手に入らないと言うことなんだとボクは思う

かつてのk-1チャンピオン魔裟斗もいってた
一番困難な道を選択することが成功への近道だぜ

ちきしょーかっこいい男は言うことが深いよ

ボクが歩こうとする理由もこの辺にある
ボクはただ神様に会いたかったのだ
本物の神様っていうやつに近づきたかった
そして苦労しているのだからきっと
神様は誰よりもボクを 温かく迎えてくれるだろうなんて決めていたのだ
悲しいほどのエゴまみれ

そんなボクが 日本の神様について考えるようになったのは
外国での長い旅を終えて日本に帰ってきてから

長いといっても2年半で
向こうに居れば瞬く間に過ぎてしまう時間

2005年の10月から2008年の5月までを
ボクは彷徨うように知らない場所から
知らない場所へ移動していた
知らない場所で知らない人達と出会う

他の人はどうか知らないけど
ボクの旅の途上で縁があって出合った外人は
日本のことを知りたがっていた
日本の様子や 日本の音楽や言葉や文字や
箸の使い方や 文化や しきたりだ
中にはボクなんかより日本に詳しいやつもいたなぁ

修験道や 山伏について訊かれたときは 本当に困った
それから古武道のマスターの本を出してきて
説明を求められたこともあった
彼らと語り合い 仏陀やキリスト モーゼに始まる
聖書の偉大な預言者たち
様々な宗教に思いを巡らした
そういう事をひとしきり話していくうちに 仲良くなる
結局 仲良くなるには 個人の信念や信条を
出していかなければならないのだろう
仲良くなって 心を広げ合った人間達は
何かとても大切な言葉を届けに来てくれたようだ

逆に心の狭い人間というのは どうしても自分の事で一杯だから
人の話なんかどうだっていい 社交辞令で 愛想を振りまいても
本当に興味を抱いているのかいないのかなんて
すぐに分かってしまう
だけどそんなのを悪いといっているのではないよ
たまたまボクに対してそういう態度を
取っただけかもしれないし ボクだって
自分の心が広いとは思わないけど
それで自分が悪いとも思わないからお互い様なのさ
 
日本人は 無心論者が多いから
ボクは神様ってやつがよく分からないなんて
最初は言ってたけど それじゃ話が続かないし
心を閉ざしているのと同じだ 信じていないなら
どうして信じないのか 心を広げて話さなきゃならない
そんなのも 最初は面倒でね なんかもう
「ほって置いてくれよ」 なんて思ったりもした
ところが旅をしていくと
生きている事が不思議に思える瞬間がある

絶体絶命と思えるピンチがやってきて
まるでピストルの弾が耳元を掠めて
あっという間に遥か後方のブロック塀に
乾いた音を立てて穴ぼこを開けるような 
身動き一つ出来ない状態に息を呑む
暫くして危なかったことに気がつく(気がつかされる)

そして思うのだよ あー神様ありがとうって

どうして?ボクは生きている?(生かされている?)
考えてみれば 人生なんてほんの一足違いで
とんでもない結末に書き換わる
信号1つ待たされたばっかりに 1本電車を待っただけで
そしてちょっと気分を変えて知らない道を選んだばっかりに
大きくズレたりするんだよ

そんな事を考え始めたら
今度は自分の力を超えた流れを感じるようになる
もう最初っから どうにもできない力で出合う人
行く場所 越えなければならないハードル
なんかが予め用意されているのではないかって考えもする

だからじたばたしたってしようがないのだ
腹をくくって神に祈って その足を前に踏み出そうって
思うしかなくなる 全て最初から決まっていることなのか
それとも全て自分で切り開くものなのか
‥‥ボクはそうやって
神というものをあれこれ考えるようになっていった

神って一体なんだ? そう考える前に外人がボクに聞く

「お前の国の神様はナンなんだ?」

知らない ボクは何にも知らない
神ってナンだ? 仏って? 仏陀って悟りを開いたのは
聞いたことあるけど じゃあ悟りってナンだ?
何で日本人は神社におまいりするのだ
その上お寺にもおまいりするねぇ
どっちもお賽銭上げて どっちもお願いするけど
違いってナンだ?
 
ボクは日本人代表として 日本のことを何も知らなかったのだね 
日本にいるだけなら問題ないのだよ
のほほんと楽しくやってられる

だけど外国じゃそうは行かなかった
 
なんだか外人に おまえつまんないやつだね
と思われたみたいで悔しくなる
何しろやつらは おしゃべりが上手いからね
おしゃべり大好きなんだよ
色んな話をして 常に最新の情報を交換している
それがどれだけ大切か知っているからなんだ
人生を楽しくするも つまらなくするもみんな情報なんだ
イコールおしゃべりなのだ

しかし忘れるな 話の半分は嘘だぞ
‥‥いや嘘と言ったら怒られるから
大げさでドラマチックとしとこう

ともあれ そんなおしゃべりで
随分外国の神様について知ることが出来たよ
聖書なんかとっても面白い物語だと思う
そして彼らは本当に物語を事実だと信じて疑わない

この「信じる」というか「思い込む」力がすごい
日本人にはちょっと敵わない力だ
全く気持ちがいいくらいさっぱりと
きっぱりと信じているのだ(悪く言ったら超頑固
信じようが信じまいがどうだっていいよ オレは信じる
それだけ 単純で格好いい
ようするに他人にどう思われようと 関係ないんだよ
君は君で信じた道を行きなさい
ボクはボクの信じる道を行く じゃあね みたいな感じ

ボクは典型的な日本人だから 真っ先に他人を気にして
これでいいのかあれでいいのか
オロオロするところが多々あるから
そういうのすごく憧れちゃって‥‥

それで色々話を聞くうちに
ユダヤ教なんかいいんじゃないって思った
だってさ ユダヤ教って
神様が教えたたったの十個の誡(いまし)めを
ちゃんと守れば幸せになれますって約束してくれているんだ
それ簡単そう‥‥
ボクもユダヤ教徒になろうなんて考えたりしたけど
やっぱり日本人として生まれたんだから
ちゃんと日本の神様っていうやつを
勉強してから決めようって思った

それで日本に帰ってきたボクは
伊勢神宮の存在を初めて知ったのだ
そこは日本人の魂を揺さぶる聖地で
もうずっと昔から沢山の日本人達が
命を懸けて参拝している歴史のある場所
なんだという事を知った

なんということだ 新幹線も高速道路もない時代から
人々ははるばる歩いて参詣していた 危険な行程を
道は険しく 夜は真暗 盗賊も山賊もいるし
盗人も詐欺師も一杯いる
トレッキングシューズもない時代だ
足を滑らせて崖から転落するような厳しい峠もあり
イノシシだってクマだって 山猫だって
狼だってお腹を空かせている(いくら何でも夜は歩かないと思うけど)

きっと沢山の人の夢が 半ばで潰えたことだろう
そう思うとボクの足元に
彼らの想いが残って 留まっているような気持さえしてくる

それほどの危険を冒して彼らが求めたものはナンだった?
考えてみれば日本人だって 一昔前なら外人に負けないくらい
強く強く信じる気持ちを持っていたということだろ

ボクはそんな日本人にありがとうを言いたいよ
ボク達だって負けちゃいないのだ 格好いいじゃないか
ボクは格好いいと思う 大儀があったんだよ

かつて三島由紀夫が 人間は自分のためだけに生きて死ねるほど
強い心を持っていないといった 人間はそういう自分勝手なところを
どこかで卑しく感じているのだと 自分のためだけに生きて死ぬよりも
理想を持ち 何か他のために尽くす気持ちを本当は持っているのである
即ちこれが大儀である こういうの好き

昔の日本人はそういう人間で一杯だったのだろうか
そうでなきゃ歩いて危険を冒して
伊勢神宮なんかに行きはしないよ
でもそんな信仰心の強い彼らを襲撃する悪漢もいる
まぁ 善がある限り悪もあるんだね どちらか片方だけになることはない
善が強くなれば悪も強くなるのがこの世の常だ

ボクが思うに彼らはね 命を懸けて感謝しに出かけていたんだと思うんだ
たった一言 神様に無事で生きていられることを感謝するため
歩いていたんじゃないのかなって思う

そしてこれから先も感謝できるようにお願いしていたんだ

ボク自身何度かの命を繋ぎとめたその度に やっぱり感謝した
生れてきたことや 生きている事を 自力と考えた事もあったけど
やっぱりお父さんお母さんが 産んでくれたからボクがいるわけで
それは先祖代々ずっと続いてきたから今があるわけで
ずっとずっと遡って行くとやっぱり神様に辿り着く
この体も半分はボクのものだけど
半分は神様とご先祖と両親から頂いたものなのだと分かる
大事にしなきゃなんないもので
いつか返さなければならない借り物で
いつの時も感謝すべきだ

ところが実際のボクはプリプリして
怒鳴りそうなくらいにカリカリしていたね

初めて歩いた2009年 出発して2時間ばかり歩いたら雨になった
一日で藤沢まで歩き 最後は過呼吸で 雨の国道に倒れこんだ夜の9時
ポンチョを被って歩いたせいで 中で蒸して異常に汗が出て
それが外気の寒さですぐ冷たくなる 手足が痺れてきて
へたり込んで近くに住んでる友達に助けてもらった
まだ3月のくそ寒い時期だった‥‥



つづく


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photon_5d at 18:28|PermalinkComments(0)