タイランド
2012年04月18日
俺の道
みんな手に入れようと懸命に伸ばしたもんだ
星の数ほどの夢を抱えていた だけど何でもよかったんだよ
金さえあれば‥‥
叶わないってのは地獄さ 孤独で 誰一人信じられなくなる
世界は醜く歪んで 心はねじれ 断末魔の叫びに体を震わせる
だけどそれは 自分の心が投影されているだけなのさ
この世界は純白の巨大スクリーンのようなもので
そこに自分が見たいものだけを映している
事実だ 真実だと自分ばかりが思うものを切り抜いて張り付けて
フィルムにして 誰もが体裁を整えた自分だけの物語を作って
プレミアムシートに座って涙を流したり 大笑いしたり
イライラしては よりよい物語にしようと作り直している
人間はみな自分の人生を より良いものに作り上げるアーティストなのさ
個人が自身に重大な責任を負って生まれてきた
まだ若かりし頃のボクの目に映っていたものは
幸せになるための物語を作るために
他人を踏んづけて 蹴散らして 不幸にしている地獄絵図だった
苦しめて 苦しんで 競争を繰り広げている戦いだ 生き残るためには
振り向いちゃならない‥‥
そんな厳しい戦いに敗れ 宇宙で一番不幸な男というタイトルの物語の
主人公を演じていたボク
ボクはそういう世界しか見ることができなかった
そしてそんな世界で生きるのが嫌でたまらなかった
現実や戦いや 計画的な人生や 安定や保障や夢や未来の1つ1つを捨てながら
生きるということから逃げていたのかもしれない
落ちるところまで行ってみると 格好やプライドで築かれていた夢は
風化していく石造物のようにもろく崩れ 風が砂を巻き上げた後で
ただ一つの道が広がっているのが見えた
俺の道だ

道は 探すまでもなく 産まれた時から(もしかしたらもっと前から)
あったと気づかされた
その道が見えるまで ずいぶんと長い時間無駄に生きてきたな
でも 無駄なことなんて何一つない とも言える
いや もしかしたら自分の生きてきた人生を 否定したくないためだけの
無理やりな理屈やこじつけで あるいはそれにしがみつき 支えられ
信じているだけのものなのかもしれないが
そんな風にネチネチ考えるボクの作品は
一言で言ったら 意外と暗い

Sさんと綿密な打ち合わせを 残りのバンコクで費やし ボクは帰国するや
さっそくシナリオっていうのを書き始めた
もう流れが完全に来てるのをひしひし感じながら
本屋で 月刊シナリオ教室 なる本を買って 見よう見まねで書きまくったのさ
完成まで一気に書いてやろうと思いながら書き進めていくうちに
本当にこれでいいのか???
っていう葛藤が生まれてきた 打ち合わせ通りに書いているつもりなんだけど不安だ
打ち合わせって言っても Sさんと決めたのは大まかな流れで
ドラマらしく 毎週1話で全12話完結 1話ごとにテーマがあって
大体40分くらいの話を作る
映像を思い浮かべながら頭の中で時間を計りながら作っていく
細かなセリフは 当初Sさんが担当するから ボクはストーリーの骨組みを
作っていくはずだったが Sさん忙しいのか最終的にはボクに丸投げだ
こうなったら自分を信じて 良いと思えるものを書いていくしかない
睡眠時間を削って第8話のところまで書いてまた思った
うーん‥‥本当にこれでいいのか???
ボクはペンを置いて(実際はパソコンで打ってる) とりあえず一部を添付して
送信することにした チェックしてもらわないと
全部書いた後で全然違うって言われたら
むなしいからね
自信はあったさ シナリオ教室を手本にして書いたしね ただね
帰国後ボクは Sさんと 3度打ち合わせをしているんだ
インターネットのスカイプを使って
その間に大きなズレが生じてきた 簡単にいうと
Sさんのイマジネーションが暴走して
一番最初に打ち合わせた骨子がグラグラしてきたのだね
Sさんはバンコクでであう旅行者から
色んなラブストーリーのアイデアを聞き出していて
そのうち最初の筋から大きく逸れて 簡単に言うと何をどうしたいのか
よくわからなくなってきたのだ だから作品としての自信はありながら
Sさんの思うラブストーリーになっているのか心配だった
そして帰ってきた返事は
話が暗いね

ガーン

どうもイメージと違うらしい
Sさんはまだバンコクで忙しいが 自分のイメージがどんな風なのか
伝わるように 出だしの部分を書いて下さることで話がついた
ボクはその原稿を一応待っている‥‥だけども
なんか流れが消えた それとも流れ過ぎて 本流から外れてしまったのか
Sさんからの連絡は全然ない 淀みの中でやっぱり人生は
そんなに上手くいかないようだと 感じながらボクは新たな展開を待っている
でも本当は Sさんがボクにくれたビッグチャンスなのかもしれない
だってやっぱりあのシナリオは面白いと思う せっかく書いたんだからいつか
シナリオコンクールに そっと応募してみようと思っているボクは 転んでも
タダでは起きない人生を作り続けるアーチストなのだから
つづく
俺にゃぁもうこのボタンしかないのよ
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2012年04月17日
Better you say i can do even if you can't in the end
2011年8月3日(水) 午後から買い物にいそしんだサイァームの日が暮れた
残すところバンコクライフも明日一日のみ 帰国便は明後日金曜日の早朝で
5時には空港に向かわなければならない
だけども買って帰ろうと決めていたシャツも シンキングボールも
値段を見ながら探し回ってなかなかいいのが見つからない
これが噂のシンキングボール 日本で買うとこのサイズで2千円以上するが
タイで買ったら900円くらいだった
結局欲しいものはみんな 拠点にしているカオサン地区で買う方が
安いと判明した
さすがバックパッカーの溜り場 最後のチャンスを明日に託して
午後8時にカオサンのホテルに戻ってきたボクと彼女は
シャワーを浴びて晩御飯を食べに再び外に出る
カオサンエリアの夜
お腹一杯になって彼女が 例のおじさんの所にあいさつに行こう
と言い出した
親切にいろいろ教えてもらったんだから 感謝の気持ちを伝えに行くのも当然だし
業界の話を聞きに行きたいというのも当然だし っていうのが彼女の気持ちだ
ボクの彼女は猟奇的におっかないけど いわゆる普通の女の子なのだろう
もしかしたらスターに会えるかもしれないなんて考えてワクワクしているのだ
そういうテンションはボクにはない もちろん親切にしてくれた人に対して
感謝の気持ちはあるし 礼儀だってわきまえているつもりだ
ただ また会いに行こうという発想が基本的にない 感謝の気持ちは
その時で済ませるのがボクの考えだ
逆の立場でそんなことされたら変に勘ぐったり
恥ずかしくて背中がムズムズしてくる
人が好きじゃないのかも
いやいや そんなことはないだろう
でも新宿とか 渋谷とか行くと異常に疲れるからめったに出かけない
彼女がいなかったら絶対携帯電話なんて持たないだろうし‥‥
だからボクには友達がいないんだ たとえ仲良くなってもその人が
今どこで何をしているのか全くわからない
連絡先の交換なんか自分からはしない
そのくせエンターテイメントには割と情熱を燃やす
彼女のそういう所を見ながら あぁ あの人今頃何しているんだろうなぁ
‥‥連絡先きいときゃ良かったなぁ
‥‥なんて思うときもなくもない でもそれもまた良い思い出なのだ
ただうらやましく思ったりするよ 自分にないものを持っているから
魅かれるのだろう ボクは彼女のそういう所が好きなんだ
そんな彼女に導かれるままおじさん(以後Sさん)のところにやってきた
とっても物腰の低い人でね 話もとっても面白いSさん元暴力団だったらしい
10代の頃 途方に暮れているところを拾ってくれたのが組関係の人で
以来10年間裏街道まっしぐらで生きてきた その話もまた面白い
(裏事情なので詳しく話すことができません)
山○組が全国統一を果たす頃 Sさん足を洗って関西のY興業に入った
今まで沢山おっかないことをやってきたから今度は面白いことをやりたいんだと
それで放送作家になって頭角を現した
夢は自分で映画を作ること 映画監督の資格を取って
原作脚本監督全部自分でやって
傑作を世に出したいんだと 子供のような無邪気な笑顔で話す
元暴力団とは思えない穏やかで優しい顔だ
このSさん業界に足を踏み入れてからドラマ 映画 ドキュメンタリーを含めて
制作されたやくざ番組に多かれ少なかれ殆どかかわっているらしい
裏世界を語らせたら恐らく右に出る者はいないご意見番で大御所なのだろう
そのくらい向う見ずな生き方をしてきた人のようだ
話を聞いているとそういう感じがする
当時山○組と □和会の全面対決で 日本列島がグラグラと揺れていた頃
Sさん□和会系の組長やってて それはそれは有名人だったらしい
なにしろあの難○○○○ミ○○○○王の誕生は
このSさんの話がモデルになってる(らしい)のだ
最終的には袂を分けた山○組から 引き抜きを持ちかけられていたにもかかわらず
(よっぽど仕事が出来たんだね)
お笑いの世界に入っていったSさん
やっぱりすごい人はどんな環境でも成功するんだろう
そのSさんが手がけてきた作品はどれも有名で あっと驚くものばかり
ボクはいつしか夢中で聞いて 気が付くとノートとペンを握っている
するとSさん突然こう言った
S「あんたぁ物書きか?物書きの臭いがするなぁ」
ボク 「まぁ大したことはないんですけど本書いてます」
S「ほう どんな」
ボク 「えっと まあ空想的な話とかラブストーリーとか」
S「お?ラブストーリー書けるんか」
ボク 「まぁ 大したことないですけど 昔小さな賞を出版社からもらったこともありました」
S「わしな 裏の世界は得意やねんけどな ラブストーリーはあかんねん
いつか書きたいと思っているねんけどな ようかかれへん」
Sさん人生どっぷり裏街道だったから 純な恋愛というものがよくわからないらしい
そして物書きとは そういうわけのわからないものに強く惹かれるのだ
Sさんおっかない顔で話を続ける
S「今度やるドラマはもう脚本ができて明日届くんや
あとはTV局から予算が降りてくるのを待つだけや」
Sさんそのドラマが終わったらラブストーリの純愛ドラマを作りたいんだと
それでボクにやけに丁寧にこういった
一緒にドラマ作りませんか?ラブストーリーの どう?シナリオとか書いたことある?
こう聞かれたボクは言ってやった
(シナリオなんて書いたことも見たこともないけど)全然かけますよ。エッヘン
この一言で流れはみるみる速くなっていくのだった
つづく
後先考えずに飛び込むバカ
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Is what a forign bird think in the cage ?
にもかかわらず誰も止めに来ないし
気づけば1時間をとっくに過ぎている
タケサワさんは 知らない人とはいえ
やっぱり日本語で話ができる相手に飢えていたのだろう
ずっとしゃべりっぱなしだ ボクはうんうんとうなづくだけで
結局9時から11時までうなづき続けていた 苦痛混じりで
もう刑務所はコリゴリだ‥‥なんて思ったり
あくびをこらえたりして

君の話つまんないからさ じゃあ帰るね


といえない自分を憐れむ

2時間の話しときたら同じことの繰り返しで 本人全然反省の色ないし
むしろ刑務所ライフエンジョイしてる感じなのだ
もちろん強がりもあるだろうし
ボクに弱音を吐いた所でどうにかなるわけでもないことは
本人が一番よく知っている それが余計に不憫に思えて
言葉を飲み込むボクは全く素直に気持ちをぶつけられたら
どんなに素晴らしい人生だろうねと思いを巡らせる
‥‥やりたいように 思うように 自由に気持ちを 感情を 湧きあがる情熱を
まっすぐぶつけることができるならと考えるのだけども
それをやっちまったのが目の前のタケサワさんじゃないか

と思い知るのさ 我慢はやっぱり大切だ 我慢があるから自由ある

元々はまじめな人だったらしいよ タケサワさん
栃木の工場で いわゆる期間工ってやつなんだけど
飲み込みもいいし 勤勉だし 素直だし っていうんで社員登用されて
結婚もして(2度結婚しているタケサワさんの奥さんは2人ともタイ人)
離婚も経験したけど幸せな人生だったそうだ
仕事があって愛する人がいて 愛されていたんだもの
それを幸せといわずしてなんというのだ‥‥幸せだ
それなのにいつからか歯車が狂い始めた タケサワさんいわく
それはあの阪神淡路大震災からだという 元々神戸のタケサワさん
一番被害の酷かった長田区に実家があって もちろん家は全壊
お母さんは無事だったらしいのだけど 地震のショックで病気になった
認知症で もう一人じゃ生活できない状態 タケサワさんが面倒を観ることになって
栃木で一緒に暮らし始めた
のはいいのだけど 今度はタイ人の奥さん鬱になって出てった
義母の認知症の大変さに疲れちゃったんだ
その頃のタケサワさんは もう工場辞めて自営業を始めている
工場勤めじゃ認知症のお母さんの面倒は見られない
それでタイからの輸入業を始めたそうだ
栃木の工場付近は 出稼ぎでタイからの労働人も多く
知り合いも多かったのだろうタケサワさんはそこに目を付けた そして‥‥
きっとタケサワさん本人も疲れちゃったのだろう
それで薬に手を出して つらい現実から逃げたのだ
お母さんまだ生きてるみたいだけど どうしているのだろう
だれが面倒を見ているのだろう 全てのしがらみから
ある意味解放されたタケサワさんに
刑務所で母親を心配する気持ちがないはずはない‥‥
訊いときゃよかった疑問が今頃になって湧いてる
ただその時のボクはあくびを押し殺すのが精一杯で 頭の中はショッピングや
観光や残り少ないバンコクライフをエンジョイする計画で一杯だった

サイァームスクエアーと呼ばれるショッピングエリアには
沢山のデパートやレストラン スーパーマーケットに若者中心の店が
立ち並ぶ ココはサイァーム・パラゴンデパート




つづく
オレ達スパルタンX
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2012年04月16日
What am i here for...?
それもコーディネーターの人から教わった
所要時間は約30分でノンタブリという隣の県まですっ飛ばしてくれる

このボートは黄色の三角旗で超特急 朝のラッシュ時のみ運行
船着き場を降りてまっすぐ歩いて 大通りを左に曲がってさらに歩くと
もう刑務所っぽい壁が見えてくる

この壁に沿って歩いていくと刑務所の入口が見えた

この写真を撮った直後に警官が出てきて怒鳴られ
カメラを取り上げられそうになった
おっかねぇ‥‥英語なんて誰も話さないところが余計にこわい
どこをどう進んだらいいのかわからず
止められるまで壁の向こうに行けそうな道なき道を
ずけずけと行くしかない そしたらまた怒鳴られた

そうしてようやく受付が 通りの向かい側にあるということを
知ることができた
(もちろん身振り手振りと向こうの怒鳴り声から察して)
なんでこんなに怒られなきゃならないのだ
というくらいの怒鳴られ方にボクの心は
少なからず傷ついた

(かなりの不審者に見えるかもしれないが)
受付にもおっかなそうな刑務官がいた 顔をしかめていて神経質そうな番犬

しかも 他の世界のことはしらねぇがここじゃ俺様が法律よ
みたいな顔で睨みを利かせているじゃないか

幸い物腰の柔らかそうな女性の刑務官を見つけるも
彼女は受付の奥で事務処理をしていて 声をかけようにも遠い‥‥
窓口にいる2人のうちの イライラしているやつを避けて
とりあえず熟練のにおいが漂う太陽にほえろ
の長さんタイプの方に並んで説明を聞くことに
ところがこの人もあまり英語が通じないようで
あるいはボクの英語がよくないのかで
もたもたしていると
長さんはボクの心を読んだのか女性の刑務官を呼んでくれた

流れがこっちに向かってきているのを感じながら
日本で集めた情報の中の言葉を投げてみる
ビルディング2にいる日本人に会いたい
そういうと彼女は説明をはじめた パスポートをコピーし 申請書に添付し
面会したい人間の名前を書いて出す所までこぎつけた

申請書とパスポートのコピー
他にも収監されている日本人がいるならば会いたいのですがと尋ねると
誰に会いたい? と聞き返されたので
誰でもいいと答えると案外あっさりOKが出て
女性刑務官は事務所のファイルからリストを見て
ボクに同行した大学生の男の子と 彼女のために面会を整えてくれた
その日は水曜日で1週間の中で 水曜日が一番面会できる確率が高いと
コーディネーターの人は言っていたが 本当かどうかは分らない
ただ想像していたよりも面会に訪れる人の数は多かった
タイ人の家族もいたし 外国人の面会人もいた
9時になってベルが鳴り みんなの後をついていくと
朝一番で乗り込もうとした方向へ向かっていく
なるほど受付も済まさず 面会時間の9時前に乗り込もうとした
ボクが怒られるのも当然だ‥‥などと思いながら どんどん中に入っていく
刑務所の中は どういうわけか長ズボンをはいていないとダメだった
半ズボンのボクに 刑務官は
これをはけ とタイパン(日本の袴のようにゆったりしたタイの民族伝統的衣装)
を貸してくれた
寺や王宮なんかも基本は半ズボン禁止のタイランド
同じように刑務所も神聖な場所なのか‥‥それとも囚人がムラムラするから?
刑務所は割と自由なようだ 懲役30年以下の囚人はみんな ボクが面会した
ビルディング2という建物の中にいる 1区画の鉄格子の中に
だいたい30人のクラス編成だそうだ そこでは煙草も酒も
ドラッグも女(オカマちゃんだけど)さえ 金さえあれば自由にできる
刑務所の食事はとてもまずいので お金がある人は
自炊して食べることもできるのだそうだ
しかし禁固刑となると別で 施設内のビルディング4には死刑が確定した
日本人の囚人が1人いる そいつはタイで日本人を殺害し
金銭を奪ったバカ野郎だそうだ
どんな理由があるにせよ そんなことをしてまで金が欲しかったのかといいたいね
ボクが面会したタケサワ ツネオさんは
そいつはちょっとおかしな奴だ と話してくれた
箱庭のような通路を背にして 一直線に並んでいる椅子の1つに腰掛ける
強化プラスチックのような分厚い窓が1枚 目の前に張られて その向こうに
大人がようやく通れるくらいの空間があって 鉄格子が張ってあって もう1枚
プラッチックの窓があって その向こうが囚人という頑丈なつくりだ
会話は手元の受話器を使う 映画やドラマに出てくる見たことのあるやつだ
タケサワさんは60近いおじさんで 喘息持ちの痩せた人だ
タケサワさんこそ ここバンクワン刑務所で最も刑が重い日本人 懲役30年
しかもまだ4年か5年目とは先が長い
生きて刑務所から出るために タケサワさん外務省や タイの王様に充てて
手紙を書いたりしているが効果なし なんかの条件がそろえば減刑されるらしいのだが
電話の声は聞き取りにくくてよくわからなかった
それに正直そんなに知りたい話でもなかった 詳しく知りたい人はタイの情報誌「DACO」
に載っているそうだ もう3年近く 刑務所から発信しているタケサワ日記は
読まれて初めてその印税で 生活できる唯一の仕事だ
他の囚人はお金を稼ごうと思ったらとっても大変なのだ
よっぽどギャンブルが強いか
よっぽど盗みがうまいか 体を売るかしないとお金は稼げない それが現状だ
日本の刑務所なんかより全然居心地がいい
と 話すタケサワさんの笑顔の奥に翳りが見える 自分は仕事もあって3か月に1度は
編集部から差し入れの荷物も届いて その商品を刑務所内で売りさばいて
お金を稼いで 割と悠々自適な生活を送れている と強調するが
どんなに余裕な顔して見せても そりゃやっぱり強がりだよ
だけど突然訪れた見ず知らずの訪問客に
見せることのできる顔って言ったらやっぱりそれしかないんだろう
タケサワさんどこで道を踏み外しちゃったのだろうね
なんでも10数回タイから日本へ麻薬を密輸したんだそうだ
最初はドキドキ でも2回 3回 全然検査しない
誰もなんにも気にしていない 4回 5回と だんだん罪悪感が薄れていく
次第にやっていることが密輸だと思わなくなってくる
すごい値段で薬が売れる みんなその薬を欲しがっている
6回 7回 8回‥‥沢山のお客が待っている
自分が薬を持ってくるのを期待している
使命感が湧いてくる 9回 10回 だんだん量も増えてくる
一度にできるだけたくさん入れちまおう どうせ誰も見ちゃいないんだ
初めの頃は普通にズボンのポケットに入れていたそうだ
ボディチェックなんて全然されなかったそうだ
それで少しずつポケットが膨らんで行って 12回目だか13回目で
両ポケットと 膝の下の所にテープで巻きつけて
ヤバーと呼ばれるタイのドラッグを密輸ようとした所
初のボディチェックを受けて捕まった
このヤバーというドラッグは タイで製造されているのか
どこで作られているのか知らないけど
比較的簡単に手に入るタイじゃ有名なドラッグ
錠剤でその成分は ほんのちょっとの覚せい剤と睡眠薬
飲んだらどうなる?
眠らせようとする成分と 起こそうとする成分が戦うんだから
わけわかんなくなるのは必至だ
タイ語で ヤ は薬を意味し バー は馬鹿 狂人を指すらしい
もうおかしくなっちゃう薬なんだね
そしてこのバンクワン刑務所に収監されている半分は
このヤバーがらみで捕まった人たち タケサワさんはこの時1000錠くらいの玉(錠剤)
を密輸しようとしていた
確信犯じゃん ボクね 話聞きながら
あれ 何しに来たんだっけ? って考えちゃったよ
思い起こせば始まりは一枚のビラだった
もう6年以上も昔 インドのバラナシで見かけた1枚のビラには
無実の罪で収監されている日本人がいるって書いてあった
だからこうしてやってきた だけどそういう人たちは
とっくの昔に刑務所を出てしまっていたらしい
そしてここに今残っている人たちは 本当の犯罪者ばかりだった
いやいやいや‥‥ボクは一体どうして
どういうわけでこのバンコクに来てしまったのだろう
つづく
振り回されるのが人生よ
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looking for the bill...
2011年8月2日(火)夕方から情報収集を開始した
せっかく持ってきた重たい本や
お菓子をまた持って帰るのだけは勘弁だった
また自分で食べるのも 現地の古本ショップに
タダ同然で置いて帰るのも何だか虚しい
だからちゃんと渡せて ちゃんと話ができるようにと
念には念を入れて探し回ったのさ
ところが どこを回っても張り紙一枚ない
今どきの学生旅行者に尋ねてみても
だれもそんな張り紙のことを知る者はいない
おいおい もしかして情報が古かったのか


もはや収監されている日本人の囚人なんていやしないというのか‥‥
途中で一人の大学生が ボクも連れてってください 刑務所にいってみたいです!
なんて 桃太郎が仲間を集めて鬼ヶ島に行くみたいに お供ができたのはいいけど
本当に囚人と会えるのかな‥‥
腹をすかせながら 知っている限りの日本人が集まっていそうな安宿を
片っ端から回っていると ちょうど安宿の玄関先に椅子を広げて
道路の端で談笑している2人組のおじさんに遭遇した
1人のおじさんはビールを飲んでいて だいぶ出来上がっている様子だ
もう1人のおじさんはマルボロを吸っていて
コーラを飲んでいて 全く素面の様子だった
すいませ~ん ちょっとききたいんですけどぉ って近づいて
ボクはその張り紙について質問した
2人ともやっぱしその張り紙のことは知っていなかった
がっ

酔っていないおじさんが やけに刑務所に詳しい
バンコクじゅうの刑務所を知っているうえに
行き方から バスの番号まで記憶している日本人だ 何者だ

よくよく聞いてみるとTV制作会社の人だった
タイと日本をまたにかける感動巨編ドラマを
制作するための取材でもう1か月近く滞在しているとのこと
そんなわけで刑務所取材に何度も
足を運んでいるのだそうだ
つまりおじさんの作ろうとしているドラマはそういう類の犯罪者や
やくざや ピストルや 殺人や 爆発なんかがてんこ盛りのドラマということ
TVでタイの刑務所を再現するために
細かいところから全部頭に詰め込むのだそうだ
なぜなら写真撮影は一切禁止だから
でも実際そういうことをする記憶力の良い人は別のところにいて
いわゆるコーディネーターという係の人だそうだ
おじさんは宿の前に椅子を並べて座って話して
時々電話で指示をするだけ
そしてすべての状況を把握している どうやら偉い人だ
そのおじさんがポケットから携帯を取り出して
素早くコーディネーターのところに電話する
あーもしもし わしや と関西弁をだす 2言3言会話して
よっしゃ 話しいや‥‥と ボクに電話をくれた
電話の向こうから またまた関西弁の声が聞こえた
それでボクが行こうとしている刑務所の行き方を 細かに説明してくれている
それから今 現在どのくらいの日本人が入っているのか教えてくれる
さらに DAKO(ダコ) なるタイに関する日本人のための情報誌があって
そこには現在服役している囚人が刑務所から発信している
南獄日記 というコラムがあって 囚人の名前までわかると教えてくれた
名前が分かれば面会申請もしやすいだろうといいう親切だった
ボクは わかりました 探してみます というと
待て待て 探すのは意外と大変だから
(大きい本屋にいかなければ見つけられない)
ワシが調べといたるさかい あと1時間後に電話してくれ という

その間にご飯を食べる これはパッタイを作っている屋台
タイ風焼きそばで1人前が40円くらい

好きなおかずを選んでご飯を注文して後ろのテーブルで食べる屋台
どれも安くておいしくて 何となく地元に溶け込んだ
ベテラン旅行者気分になれる

お店で働く恋人同士か 或いは夫婦か 黄色のシャツの男が
右の肩を押さえて痛みをこらえている
手前の彼女か奥さんに思いっきりひっぱたかれた直後を撮影
その原因は日本人の女の子2人組の旅行者に片言の日本語で話をして
デレデレと鼻の下を伸ばして仕事をさぼっていたから

なんとなく距離が開いた2人
一時間後その辺で暇そうにしているタイ人から携帯電話を借りて電話する
内容は日本を発つ前に集めた情報とほとんど変わったところがなかった
ただ面会日が月 水 金と週三回あるのが本当で
金曜日は第4棟に収監されている囚人と面会できる曜日で
月 水は 第2棟の囚人と面会できる曜日と分けられているそうだ
ちなみに第2棟は雑居房で 第4棟は独居房 2011年8月2日現在
第4棟には日本人が1人だけいる
彼は極刑を言い渡されたいわゆる死刑囚だ
ボクが明日会うことの出来るのは
雑居房にいる日本人で彼の名前はタケサワ ツネオ
*日本で調べた情報では名前なんか知らなくても会えると書いてあった
本当かどうかは定かでないので できれば知っといたほうが無難だ
おじさんに丁寧にお礼を言うと わからんことがあったら
この番号に電話してくれたらいいよと とても親切だ
翌朝 刑務所行きたいという若者を連れてバンクワン刑務所に出発
9時から面会受付が始まるので それに間に合うように1時間前にバンコクの
チャオプラヤー川の船着き場からボートに乗る
隣の県 ノンタブリまで高速ボートは快調に進んでゆく
つづく
あとじゃなくて今押して
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