刑務所訪問2011

2012年04月17日

Is what a forign bird think in the cage ?

面会時間は40分間と決まっているみたいだった
にもかかわらず誰も止めに来ないし
気づけば1時間をとっくに過ぎている

タケサワさんは 知らない人とはいえ
やっぱり日本語で話ができる相手に飢えていたのだろう
ずっとしゃべりっぱなしだ ボクはうんうんとうなづくだけで
結局9時から11時までうなづき続けていた 苦痛混じりで

もう刑務所はコリゴリだ‥‥なんて思ったり
あくびをこらえたりして

君の話つまんないからさ じゃあ帰るね

といえない自分を憐れむ
2時間の話しときたら同じことの繰り返しで 本人全然反省の色ないし
むしろ刑務所ライフエンジョイしてる感じなのだ

もちろん強がりもあるだろうし
ボクに弱音を吐いた所でどうにかなるわけでもないことは
本人が一番よく知っている それが余計に不憫に思えて
言葉を飲み込むボクは全く素直に気持ちをぶつけられたら
どんなに素晴らしい人生だろうねと思いを巡らせる

‥‥やりたいように 思うように 自由に気持ちを 感情を 湧きあがる情熱を
まっすぐぶつけることができるならと考えるのだけども

それをやっちまったのが目の前のタケサワさんじゃないか 

と思い知るのさ 我慢はやっぱり大切だ 我慢があるから自由ある

元々はまじめな人だったらしいよ タケサワさん
栃木の工場で いわゆる期間工ってやつなんだけど
飲み込みもいいし 勤勉だし 素直だし っていうんで社員登用されて
結婚もして(2度結婚しているタケサワさんの奥さんは2人ともタイ人)
離婚も経験したけど幸せな人生だったそうだ

仕事があって愛する人がいて 愛されていたんだもの
それを幸せといわずしてなんというのだ‥‥幸せだ

それなのにいつからか歯車が狂い始めた タケサワさんいわく
それはあの阪神淡路大震災からだという 元々神戸のタケサワさん
一番被害の酷かった長田区に実家があって もちろん家は全壊
お母さんは無事だったらしいのだけど 地震のショックで病気になった
認知症で もう一人じゃ生活できない状態 タケサワさんが面倒を観ることになって
栃木で一緒に暮らし始めた

のはいいのだけど 今度はタイ人の奥さん鬱になって出てった
義母の認知症の大変さに疲れちゃったんだ

その頃のタケサワさんは もう工場辞めて自営業を始めている
工場勤めじゃ認知症のお母さんの面倒は見られない
それでタイからの輸入業を始めたそうだ
栃木の工場付近は 出稼ぎでタイからの労働人も多く
知り合いも多かったのだろうタケサワさんはそこに目を付けた そして‥‥

きっとタケサワさん本人も疲れちゃったのだろう
それで薬に手を出して つらい現実から逃げたのだ

お母さんまだ生きてるみたいだけど どうしているのだろう
だれが面倒を見ているのだろう 全てのしがらみから
ある意味解放されたタケサワさんに
刑務所で母親を心配する気持ちがないはずはない‥‥

訊いときゃよかった疑問が今頃になって湧いてる
ただその時のボクはあくびを押し殺すのが精一杯で 頭の中はショッピングや
観光や残り少ないバンコクライフをエンジョイする計画で一杯だった
1100
サイァームスクエアーと呼ばれるショッピングエリアには
沢山のデパートやレストラン スーパーマーケットに若者中心の店が
立ち並ぶ ココはサイァーム・パラゴンデパート
1098
おにいちゃん会えてよかったよぉ



つづく


オレ達スパルタンX
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photon_5d at 16:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年04月16日

What am i here for...?

オレンジの三角旗を掲げているのが急行という意味なのだそうだ
それもコーディネーターの人から教わった
所要時間は約30分でノンタブリという隣の県まですっ飛ばしてくれる
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このボートは黄色の三角旗で超特急  朝のラッシュ時のみ運行

船着き場を降りてまっすぐ歩いて 大通りを左に曲がってさらに歩くと
もう刑務所っぽい壁が見えてくる
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この壁に沿って歩いていくと刑務所の入口が見えた

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この写真を撮った直後に警官が出てきて怒鳴られ
カメラを取り上げられそうになった

おっかねぇ‥‥英語なんて誰も話さないところが余計にこわい
どこをどう進んだらいいのかわからず
止められるまで壁の向こうに行けそうな道なき道を
ずけずけと行くしかない そしたらまた怒鳴られた

そうしてようやく受付が 通りの向かい側にあるということを
知ることができた
(もちろん身振り手振りと向こうの怒鳴り声から察して)

なんでこんなに怒られなきゃならないのだ
というくらいの怒鳴られ方にボクの心は
少なからず傷ついた だって何一つ悪いことなんかしていないのだ
(かなりの不審者に見えるかもしれないが)

受付にもおっかなそうな刑務官がいた 顔をしかめていて神経質そうな番犬
しかも 他の世界のことはしらねぇがここじゃ俺様が法律よ

みたいな顔で睨みを利かせているじゃないか

幸い物腰の柔らかそうな女性の刑務官を見つけるも
彼女は受付の奥で事務処理をしていて 声をかけようにも遠い‥‥

窓口にいる2人のうちの イライラしているやつを避けて
とりあえず熟練のにおいが漂う太陽にほえろ
の長さんタイプの方に並んで説明を聞くことに

ところがこの人もあまり英語が通じないようで
あるいはボクの英語がよくないのかで
もたもたしていると
長さんはボクの心を読んだのか女性の刑務官を呼んでくれた

流れがこっちに向かってきているのを感じながら
日本で集めた情報の中の言葉を投げてみる

ビルディング2にいる日本人に会いたい

そういうと彼女は説明をはじめた パスポートをコピーし 申請書に添付し
面会したい人間の名前を書いて出す所までこぎつけた

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申請書とパスポートのコピー

他にも収監されている日本人がいるならば会いたいのですがと尋ねると
誰に会いたい? と聞き返されたので
誰でもいいと答えると案外あっさりOKが出て
女性刑務官は事務所のファイルからリストを見て
ボクに同行した大学生の男の子と 彼女のために面会を整えてくれた

その日は水曜日で1週間の中で 水曜日が一番面会できる確率が高いと
コーディネーターの人は言っていたが 本当かどうかは分らない

ただ想像していたよりも面会に訪れる人の数は多かった
タイ人の家族もいたし 外国人の面会人もいた

9時になってベルが鳴り みんなの後をついていくと
朝一番で乗り込もうとした方向へ向かっていく

なるほど受付も済まさず 面会時間の9時前に乗り込もうとした
ボクが怒られるのも当然だ‥‥などと思いながら どんどん中に入っていく

刑務所の中は どういうわけか長ズボンをはいていないとダメだった
半ズボンのボクに 刑務官は
これをはけ とタイパン(日本の袴のようにゆったりしたタイの民族伝統的衣装)
を貸してくれた

寺や王宮なんかも基本は半ズボン禁止のタイランド
同じように刑務所も神聖な場所なのか‥‥それとも囚人がムラムラするから?

刑務所は割と自由なようだ 懲役30年以下の囚人はみんな ボクが面会した
ビルディング2という建物の中にいる 1区画の鉄格子の中に
だいたい30人のクラス編成だそうだ そこでは煙草も酒も
ドラッグも女(オカマちゃんだけど)さえ 金さえあれば自由にできる
刑務所の食事はとてもまずいので お金がある人は
自炊して食べることもできるのだそうだ

しかし禁固刑となると別で 施設内のビルディング4には死刑が確定した
日本人の囚人が1人いる そいつはタイで日本人を殺害し
金銭を奪ったバカ野郎だそうだ
どんな理由があるにせよ そんなことをしてまで金が欲しかったのかといいたいね
ボクが面会したタケサワ ツネオさんは
そいつはちょっとおかしな奴だ と話してくれた

箱庭のような通路を背にして 一直線に並んでいる椅子の1つに腰掛ける
強化プラスチックのような分厚い窓が1枚 目の前に張られて その向こうに
大人がようやく通れるくらいの空間があって 鉄格子が張ってあって もう1枚
プラッチックの窓があって その向こうが囚人という頑丈なつくりだ

会話は手元の受話器を使う 映画やドラマに出てくる見たことのあるやつだ
タケサワさんは60近いおじさんで 喘息持ちの痩せた人だ
タケサワさんこそ ここバンクワン刑務所で最も刑が重い日本人 懲役30年
しかもまだ4年か5年目とは先が長い

生きて刑務所から出るために タケサワさん外務省や タイの王様に充てて
手紙を書いたりしているが効果なし なんかの条件がそろえば減刑されるらしいのだが
電話の声は聞き取りにくくてよくわからなかった

それに正直そんなに知りたい話でもなかった 詳しく知りたい人はタイの情報誌「DACO」
に載っているそうだ もう3年近く 刑務所から発信しているタケサワ日記は
読まれて初めてその印税で 生活できる唯一の仕事だ
他の囚人はお金を稼ごうと思ったらとっても大変なのだ
よっぽどギャンブルが強いか
よっぽど盗みがうまいか 体を売るかしないとお金は稼げない それが現状だ

日本の刑務所なんかより全然居心地がいい

と 話すタケサワさんの笑顔の奥に翳りが見える 自分は仕事もあって3か月に1度は
編集部から差し入れの荷物も届いて その商品を刑務所内で売りさばいて
お金を稼いで 割と悠々自適な生活を送れている と強調するが

どんなに余裕な顔して見せても そりゃやっぱり強がりだよ
だけど突然訪れた見ず知らずの訪問客に
見せることのできる顔って言ったらやっぱりそれしかないんだろう

タケサワさんどこで道を踏み外しちゃったのだろうね
なんでも10数回タイから日本へ麻薬を密輸したんだそうだ

最初はドキドキ でも2回 3回 全然検査しない
誰もなんにも気にしていない 4回 5回と だんだん罪悪感が薄れていく
次第にやっていることが密輸だと思わなくなってくる
すごい値段で薬が売れる みんなその薬を欲しがっている 
6回 7回 8回‥‥沢山のお客が待っている
自分が薬を持ってくるのを期待している
使命感が湧いてくる 9回 10回 だんだん量も増えてくる
一度にできるだけたくさん入れちまおう どうせ誰も見ちゃいないんだ
初めの頃は普通にズボンのポケットに入れていたそうだ
ボディチェックなんて全然されなかったそうだ

それで少しずつポケットが膨らんで行って 12回目だか13回目で
両ポケットと 膝の下の所にテープで巻きつけて

ヤバーと呼ばれるタイのドラッグを密輸ようとした所
初のボディチェックを受けて捕まった

このヤバーというドラッグは タイで製造されているのか
どこで作られているのか知らないけど
比較的簡単に手に入るタイじゃ有名なドラッグ
錠剤でその成分は ほんのちょっとの覚せい剤と睡眠薬

飲んだらどうなる?
眠らせようとする成分と 起こそうとする成分が戦うんだから
わけわかんなくなるのは必至だ

タイ語で ヤ は薬を意味し バー は馬鹿 狂人を指すらしい
もうおかしくなっちゃう薬なんだね

そしてこのバンクワン刑務所に収監されている半分は
このヤバーがらみで捕まった人たち タケサワさんはこの時1000錠くらいの玉(錠剤)
を密輸しようとしていた

確信犯じゃん ボクね 話聞きながら
あれ 何しに来たんだっけ? って考えちゃったよ
思い起こせば始まりは一枚のビラだった

もう6年以上も昔 インドのバラナシで見かけた1枚のビラには
無実の罪で収監されている日本人がいるって書いてあった
だからこうしてやってきた だけどそういう人たちは
とっくの昔に刑務所を出てしまっていたらしい
そしてここに今残っている人たちは 本当の犯罪者ばかりだった

いやいやいや‥‥ボクは一体どうして
どういうわけでこのバンコクに来てしまったのだろう


つづく


振り回されるのが人生よ
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photon_5d at 20:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)