国内旅行

2012年10月16日

縁を結ぶウサギ

もともとは源氏の別荘だった宇治平等院なのに
金に物を言わせて買い取っちゃった(多分)藤原氏
ゴージャスに極楽浄土を再現したのは藤原氏の手に渡ってからだそうだ

源氏と言えば源氏物語をすぐに思いつくボクは 光源氏と呼ばれた超イケメンが
この別荘で平安の美女から美女へ お嬢からお嬢をウインク一つで落として
黄金伝説を作っていたのかと想像せずにはいられない

男冥利に尽きるってもんだ 抱いた女の数知れず 振られた美女は俗世間を絶って
尼さんになったっていうんだから

光源氏様のいない世界に何の未練もござりませぬ・・・ってなもんだなぁ

一体何者だ?
美女を骨抜きにしちゃう光源氏とは?
源氏物語なんか読んだことないボクだけど相当面白いなんて話を聞くとやっぱり気になる

藤原氏がその名を欲しいままにしていた平安時代の最中に
この作品は紫式部という女の人によって書かれたという源氏物語
しかも紫式部は藤原一族と結婚している藤原側の人間なのに
この世界最古の長編小説は源氏を舞台にした
かくも美しい物語だというのだから

そんな物語を書いておきながら あの嫉妬深い藤原一族になんの文句も
お咎めも 発禁もされることなく この現代まで語り継がれてきたのだからますます気になる

そこにはきっと美女を口説き落とす奥義が語られてあるに違いない
これであなたも明日から光源氏みたいな

そんな物語読んだらジャッキー・チェンの映画を観て自分も強くなってしまったと
勘違いする恥ずかしい小学生みたくなっちまいそうだから
もう少し大人になってから読むことにしよう

平等院を後にして 近くの宇治神社と 宇治上神社へむかう
祭神は菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)という 古墳時代から
この辺で暮らしていた王族のひとらしい

元々はウサギの道と書いた うじさんの暮らしていた場所が
いつしか今の宇治と書いて うじと呼ぶようになったんだそうだ
宇治神社と 宇治上神社は 上社と 下社の関係で 1セットになっている
上社の宇治上神社は世界文化遺産に登録されている
132
宇治上神社
 126 129
ウサギが水を吐きだしているぞ(宇治神社)   
131
創建不明の神社はいつだれが作ったのか・・・とにかく日本一の古さらしい

ムムム・・・またしてもウサギとは 神話的に言うと ウサギは神様の使い
神使(しんし)と言われているようだが そもそもはウサギに導かれて
この場所に住むようになった菟道稚郎子が感謝して自分の名前にウサギをつけた・・・?

それとも最初からウサギの字を名前につけていたから
ウサギがやってきたのかわからないが
因幡の白ウサギの話の時もウサギによって縁を結んでもらったし
昔から月にはウサギがいて餅つきをしているなんて
話も聞いてきたボクだから やっぱりウサギはグレイタイプの宇宙人かもとますます思う

神っていうのは要するに 人間よりもずば抜けて文明も 知能も 高い知的生命体なのさ
そんな宇宙人がはるか昔から地球にやってきて ピラミッドとかの作り方を教えたり
高度な天文知識を教授したり 飛行滑走路なんか作らせたりしたんだろうけど
まさかウサギちゃんから何もかもを教えてもらっていたとはトホホって感じもするなぁ
多分この宇治上神社もウサギちゃんに作り方を教わったのだ・・・

コトリップの終わりに古い友人とあった とても古い友 生まれる前から知っている
そんな繋がりを感じずにはいられない因縁
(彼こそエゴイズムの朋祐だ)

日本のパワースポット京都だからこそボク達は再会を果たせたのかもしれないよ

そんな京都は真心込めてボクをもてなしてくれたのだ  
134
一瞬の中に広がる永遠のハーモニーって感じやね


とりあえず終わり

京都はいつもいい
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2012年10月10日

平等院

平等院・・・立派な建物だ スケールが違う 世界遺産に登録されている
十円玉の裏側(表?)にも刻まれてる物凄く日本を代表する建造物だ
この平等院が長らく修復工事に入ると言う事で見納めにやってきた
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鳳凰堂から阿弥陀如来坐像の顔がちらっと見えてる
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鳳凰堂から阿弥陀如来の目線で見たら大体こんな感じだろう
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2014年3月まで修復工事は続く
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広い庭 広い池 昔はこの壮大な敷地にお堂や塔がいくつか建っていた
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ぶっ潰される前までは・・・

何と言っても見どころは 645年の大化の改新以降 日本の実権を影で握り
平成の時代になった今でも その力を衰えさせることなく操り続けている藤原一族の
寺院というところだろう

日本の歴史って いやどこの国もそうなのかもしれないけど
調べていくほど 不思議というか疑問を感じるところがある

元々は 人間が生活を営んできた 確固たる歴史が存在している
それは間違いない
だけどそれがあんまり昔のことになると 確かだった歴史も
あいまいになって 神話や伝説に変わっていく

それはあんまり昔のことだから きちんとした資料とか文献なんかが
あったとしても途中でどこかへ行ってしまったり 災害で燃えてしまったり
途中で誰かが書き換えたり
全く偽物の歴史に塗り替えたりも どこかであって
分からなくなっちゃうところがあるんだとボクは思っている

今ある日本の正統な歴史書たちだって 藤原氏の 不比等 という とてもとても
頭のいい男が プロデュースして作られたものだ

その内容にしたって 元々手本にした歴史書があったようだけど
どこまで日本の歴史を正確に説明しているかははなはだ疑問だ

大体 天皇という日本のトップがいて 天皇家は神の住む天上界から降りてきて
この国を治め その時一緒に空からやってきた 御付きの神様の子孫の内の
1つが藤原氏というのだから
こうなると どんだけボクらのような普通の普通が 頑張ったところで 藤原氏くらいの
権力も 地位も 財産も獲得することが出来ないシステムがとうの昔に宣言されて
今現在も それは 絶対に変わっていないという事を 平等院が教えてくれて
なんだか虚しく思うよ ちょっぴりね

運命のように この世には決まっている事があって
変えられない事があるという事にね

でもやっぱり この国には 軸となる天皇制や
藤原氏のようにずうっと昔から天皇を補佐してきた
誰かが必要不可欠なのも わかる
そんな人間は 人間である以上誰がやったって
ボクが代わりに藤原氏になったとしたって
結局は同じことをやってしまうんだろう
それもわかる

でも 天皇も藤原氏も 空からやってきた神様の子孫っていうのは ちょっとねぇ
どうなんだろうねぇ まぁ そんな単純に信じることはできないやな

多分藤原氏のルーツは大陸からやってきた渡来人だとボクは思っている
でアメリカ的な征服欲の強い民族 戦いも大好き 歩かないから短気 定住するための米と
定住した土地を守るだけの武器を持って海を渡ってきた

こういっちゃなんだけど相当悪い事をしてきたんだと思う 貴族だもの
スーパー金持ちだもの 日本中を力と計算で制圧していったんだもの
悪いことだって一杯やってきたんだろう
でも歴史書には真実なんて書きはしないよ
まぁ 大体人間なんて生き物は 自分だけは美しく清く正しく 他人の前では
どうしたって格好良く見せたい悲しい生き物なんだから
仕方ないと言えば仕方ないかもしれないけど
やっぱり しでかした過ちから逃げることはできない

だからこんなに壮大な寺院を建立したわけだ 創建当時の平等院は
ピッカピカでキンキラで 最高の技術の粋を集めて極楽の世界を作って
そこで癒されるための目的で作られた そして癒されるには当然のことながら
相当なお金が必要だ

日本の頂点に登りつめた藤原氏 その藤原氏が抱える相当なプレッシャーとストレス
を癒すための極楽浄土の再現 平等院
そして藤原一族の陰に もっと大きな とてつもなく大きな勢力が隠れていて
藤原一族でさえもコマのように動かしている闇の秘密結社のことを
ボクは平等院を観ながら思っていた

つづく

最近統合失調症かなって自分で思ってる人達へ

ボクと一緒だね
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photon_5d at 18:21|PermalinkComments(0)

2012年09月25日

地蔵盆

広隆寺を出る頃には空に重たい雨雲が集まっていた
少し歩いて嵐電帷子ノ辻駅に着いた途端にドシャッと雨が落ちてきた

雷もドカドカ落ちた

嵐山駅についてもやむ気配は一向なく 駅の中は雨宿りの人たちで一杯だ

なかなか止まないので駅の構内にあった足湯場(有料150円)で
ホッコリしながら雨が止むのを待った

夕方になって少しずつ空に明るさが戻ってきた
084
虹が架かった
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雨上がりの渡月橋

なんだかんだで1時間ほど駅で待ち続けたが 結局雨に濡れることもなく
時間的にもこれから始まる 化野(あだしの)念仏寺での地蔵盆に
間に合う時間となって結果オーライ

094090

095

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日が暮れて街道の両脇に地元小学生が作った灯篭や 提灯に明りが ともって
幻想的な美しさに包まれる ここ化野は六波羅蜜寺周辺鳥野辺の無常所同様
昔々の死体集積所だったそうだ

そんな死体を供養したのが弘法大師空海さん ここ化野念仏寺には8000体もの石仏や
仏塔が並んでおいてある 昔々の平安時代からこの場所に集めて
白骨化するまでほったらかしの 死体を供養するために作られた石仏や仏塔が
いつしか埋まって 明治時代になって掘り起こされて
集めたら8000体見つかったんだそうだ

その無縁仏を弔う地蔵盆は 今年8月23日と24日の2日間で行われた
元々地蔵盆は 関西では知名度が高く お地蔵さんのお祭りとして
各地で大体同じ時期に行われている

禿げ頭の子供みたいな顔して 笑っているのを なんの抵抗もなくお地蔵さんとして
認識しているだけだが お地蔵さんて一体なんなのか本当に知っているのか
と言われると殆ど何にも知らないボク

母なる大地の懐で 生きとし生ける全てが優しく護られるように
全ての悩み苦しむ人々を包み込んで救うのが地蔵菩薩
地蔵の地は大地の地 地蔵の蔵は包んで護るという意味
そんなお地蔵さんに日頃の感謝をするのが地蔵盆

そんでついでに沢山の無縁仏も一緒に お地蔵さんに救ってもらう
念仏寺の8000体の石仏・仏塔には この日お参りに来た人の手で
ろうそくが灯される 千灯供養 が行われ それはそれは美しい明かりで満たされるそうだ

(千灯供養費1000円だったので断念したボク もっとお金持ちになったらやる予定)

また地蔵菩薩は もっとも弱い立場の人々を救うところから
いつしか子供の守り神(菩薩)になって
だんだん顔も子供っぽく愛嬌のある顔になっていった

六波羅蜜寺の地蔵菩薩はキリリとした涼しげな大人顔だった

そういう流れで地蔵盆は 子供が主役のお祭りでもあるんだそうだ
そういやあ沢山子供がいたし 提灯も 灯篭も 小学生の手作り感が満載だった
地元の芸術大学生達が協賛して ナイトマーケットを開催したり 地元のお店も協力して
毎年ちょっとずつここ化野念仏寺の地蔵盆は知名度を上げている


つづく

おまけプレミア映像(ちょっと映像ぼやけて泳いでるけど気にするな)
 

お地蔵さんいつもありがとう 合掌
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photon_5d at 14:30|PermalinkComments(0)

2012年09月20日

ロマン

地主神社を後にして次に向かったのは六波羅蜜寺 時は951年・・・

鳴くよ(794)ウグイス平安京の 平安京遷都から157年後の京都はデカダンス
破滅に向かう過程の病的で 享楽主義的文芸の風潮の中にあり
貴族どもは狂ったようにお祭り騒ぎ
吐いては食って 飲んでは吐いて 唄って踊って快楽に溺れて
現実逃避しまくりだったそうだ・・・

その一方 現実の京のみやこには鳥野辺(トリノベ)の無常所(墓地)という地があった
今の六波羅蜜寺辺りは昔 あの世とこの世の境界と言われた場所で まさにここが鳥野辺の
無常所の入り口だった

絢爛豪華に浄土の極楽世界をこの世に出現させた宇治の平等院鳳凰堂も
お金と地位と名誉がある一部の貴族だけに許されたもの
108
ほぼ正面から見た平等院 お堂に安置されている阿弥陀如来像が夕日に
映えて輝きを増し 極楽浄土からお迎えに現れたように美しく輝くそうだ

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平等院のハスの花

平安時代の宗教はお金持ちの人たちだけに与えられた心の拠り所で
普通の人々は死んだらみんな京都五条から七条の間の鴨川の東岸一帯(鳥野辺の無常所)に
穏亡(オンボウ)と呼ばれた被差別部落出身者の手によって運び込まれ捨てられていたのだそうだ

そして死体は異様な臭気を放ち 犬や猫のエサとなり カラスについばまれ うじ虫の養分となり
朽ち果てていく 死んじまったらそれで終わりなのさ そんな声が聞こえてくる末法の世

そんな時代に自ら彫った十一面観音像をリアカーに乗せて 地獄絵図のような死体の中で
念仏を唱えながら白骨を拾い集めて供養していた男がいた
その男こそ六波羅蜜寺を創建した空也上人だ

ボクはこの空也上人に会いたかった そして口から六体の阿弥陀仏を吐きだし
虚空を見つめる空也上人像に会えた 日本のイエスキリストといっても過言ではない
この空也上人は 念仏を唱えながら夢も希望もない貧しい人々と共に生き 共に悩み
共に苦しみ 共に喜び合った末法の世の救世主だった・・・
075
お昼ご飯を食べた後のデザート

あんまり暑すぎて西の空がゴロゴロしだす頃広隆寺に着いた

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広隆寺南大門の仁王像

広隆寺・・・その歴史は古く山城国(京都南部)で最古の寺院がここ 
そしてこの広隆寺を建てたのが豪族の秦氏(ハタウジ)

秦氏と言えば 失われたイスラエル12士族の中の 1士族である
その彼らが遠い昔にイスラエルから 日本にやってきて 日本人となって生きている
その秦氏が聖徳太子に命ぜられて立てたのがこの広隆寺だそうだ

古代ユダヤ人は歴史上4度に渡って日本にやってきた(らしい)
秦氏はその4度目で 当時推定600万人の日本人口において
19万という大群で渡ってきたと伝えられている

更に昔々・・・イスラエル12士族と呼ばれた民族は 日本の豪族システム同様
1人の族長にまとめられて イスラエルで平和に暮らしていた・・・
この族長は旧約聖書によれば アブラム(のちのアブラハム)の血筋から12人の子孫に
受け継がれたと書かれている

アブラムは イスラエルじゃ 言わずと知れた男だ
この男の名前を ユダヤ教でもないボク達がイスラエルで 気軽に口にするのは危険だぞ
なにしろ 旧約聖書の中でもっとも神に近く 神に愛され 認められ選ばれた男なのだから
神を強く信じる彼らにとってみれば あまりに 馴れ馴れしく 不躾だ

ボクはイスラエルに行ったことないけど イスラエル人の親友がいる
奴との出会いは インドのゴアという南の州の リゾート地でだった
そいつが経営していたカフェアンドレストランで 昔に働いていたことがあって
そいつを中心に みるみる イスラエル人の友達ができて そんな彼らと
2年近く 過ごしているうちに 随分イスラエルという国のことや そこで暮らす人々の
考えなんかを聞いたもんだ

色んな問題を抱えている国だけどね 世界中から嫌われている民族の烙印を押されている
ような所もあるけど 付き合ってみると どうしてそんなに悪い人達じゃあないよ

そもそも ボク達は 遠い昔に イスラエルからやってきた人達と すでに
ずうっと一緒に暮らしてきたんだから 今更イスラエル人と出会ったところで
何の違和感も感じないんじゃないだろうか
彼らとボク達ニッポン人の間には 似通ったところが沢山ある
 
言葉や文字の中にも共通のものがあったりする
日本語で意味の分からない言葉なんかは古代イスラエル人が使っていた言葉で
意味を成したりするんだ
民謡なんかには多く残されている ヤーレンソーランとか エッサホイサとか
みんなイスラエルの神を称える言葉らしいぞ

地名なんかもイスラエルの言葉がなまって そこに適当な漢字を当てはめて作られてる
出雲も 伊勢も イスラエルの部族の名前がなまって漢字がはめられたもので
京都の祇園も イスラエルの地名からきているし
おんなじ祭りが同じ時期にイスラエルにもあるそうだし
イスラエルを日本語に訳すと ボクが何度も訪れているあの伊勢神宮に行き着くそうだ
イスラエルとは 伊勢に栄光を と訳す研究者もいるんだって

また太秦なんて ウズマサと読むにはあまりに強引だ
これも景教とよばれる唐の時代の中国で広まっていた古代キリスト教を
秦氏が日本に持ち込んだためこうなった(らしい)
中国ではこの景教の教会を 大秦寺と呼んでいた(太秦の字の太の点がなくなってるだけ)
そしてウズマサとは イスラエルの言葉で 光の賜物という意味
つまりイエスキリストの事を指している

さらに君が代(日本の国歌)も残念ながらイスラエルの言葉で作られたものらしい
もう聖徳太子が生きていた時代は 日本ではイスラエルの言葉が標準語だったとも言われている
イスラエルのヘブライ語が ひらがなや カタカナで隠されるように置き換えられ
訛りも手伝って万葉集なんかもできたみたい

万葉集は マンニエフシフという ヘブライ語が訛ったもの
で 意味は確か・・・神様からの語り

信じるか信じないかは君次第

もうこうなると日本人としてのアイデンティティーなんかありゃしない

話が飛んでしまったが ボクが外国で イスラエルという国と人に
ただならぬ親近感を覚えたのは言うまでもない

歴史を探っていくと 行き着く先はいつも ロマン
どこからなにが始まったのかなんて 結局誰にも分からない
授業で教わった歴史だって 全て正しいなんて思ってないよ
ボクは ボクのロマンチックな歴史を追いかけるんだぁ

12士族は神様が与えてくれた場所を12分割して そこで暮らして人間を増やしていったが
やがてケンカやもめ事や 外国からの攻撃にあってバラバラになって
そして12あった士族が 突然聖書の物語から姿を消してしまった
キリストが生まれる700年も前の出来事

彼らは散り々になって ユダヤ教の神様と神様が授けてくれた十誡という教えと
もしかしたら契約の箱と呼ばれるアークを担いで 秦氏がくるずっと前に
すでに日本にやってきたのではないかと言われている
本当だったら すてきだね

結論をいうと日本に伝わってきた仏教の中にも それから日本独自の神道の中にも
ユダヤ教や キリスト教が深く関わっていて ボク達の信じる神様は ユダヤのヤーウェであり
イエスが説いたキリスト教でもあるということだ

しかしまた 他方で 仏教 神道 ユダヤ教 キリスト教以前の
もっと古い時代にさかのぼると日本にいた元々の民族が
世界最古と言われるシュメール文明を築いて再び帰ってきた
ともいわれている ロマンチックだ・・・
もうそうなるとグチャグチャで 何だかよく分からない世界だな

でも 確かなことは ボク達の住むこの国の ニッポン語が
世界で最も言語数の多い言葉であることだ
つまり それだけ 歴史があるという事なのだ
歴史があるという事は この国こそが 世界の始まりだともいえるんじゃないだろうか

あぁ ロマンチックだなぁ・・・
014
広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像の右手の印は 中指と親指がくっついて
影絵で狐の顔になるような形になっているが これもキリスト教の
三位一体(父と子と聖霊)を表す形なのだそうだ


つづく


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photon_5d at 00:34|PermalinkComments(0)

2012年09月12日

新幹線に乗って京都

最近何してたって? 全然ブログが更新されてないじゃないか
もう一か月も音沙汰なしだぞ
なんて声が聞こえてきたら それはそれでブロガー冥利に尽きるってもんだ
だけどボクなんかブログ更新したってしなくたって誰も気にも留めないさ

今年の2月から始めたブログだけど
いまだにアクセス数なんて2桁にも満たないし‥‥

カセイのせかい超おもしれえよ

なんて声が聞かれるのは生きてる間がいいけれど
・・・そんな具合で一か月ほど無気力でした・・・

なんてうそ

カセイは書きたいときに書くぜ 書きたくないときは書かないぜ
誰も読まなくたって関係ないぜ
何があったってへこたれないぜ それがカセイのせかいだぜ

この前京都に行ってきた 新幹線に乗ったぜ 速かったぜぇ~
びっくりするくらい早かったぜ

歩いたら13~14日かかるけど 新幹線だから2時間とちょっとだ 歩く気なくすぜ
新幹線の片道東京-京都間が12000円くらいだったか‥‥

それでもしも東京から京都まで13日かけて歩くとすると
かかる費用は単純計算で1日千円使ったら
もうそれで新幹線より時間もお金もかかることになるわけだ
何だかバカバカしい話だし
そう考えると新幹線の料金はうまく設定されていると思う

最初の頃は気付かなかったけど 結構お金使っていることに気づきだしてから
ボクの旅はどこにも泊まらなくなって(完全野宿)
お風呂も入らなくなって(川があったら川で水浴び)
洗濯もしなくなって(川があったら川で洗濯)
一食コンビニのおにぎり2個で 喉が乾いたら湧水か清流の水を飲み
できるだけうまい水はペットボトルに入れて歩く旅に変わっていった
ワイルドだな

西友とか スーパーで閉店間際に駆け込むと(西友は24時間営業だから夜遅く)
半額になっていたりして 3日分くらい買い込んで節約しながら歩く
(あんまり買いこんだら荷物が重たくなるから気をつけろ)

でも寒い夜なんかに ふとホットコーヒーなんかで暖まりたくなる夜って
あるんだよ そういう贅沢は許してる

まぁそうでもしないと歩いて京都にゃいけないよ
020
車内からの富士山は雲に覆われて殆ど見えない・・・

030033
鴨川の川床とその下で食べ物が落ちてくるのを待つ夕闇のサギ
038
先斗町のお好み焼き屋さんで食べたこれはサクサクのフワフワで美味かった

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(左)東寺の池と (右)講堂前にて 講堂内には大日如来を中心とした立体曼荼羅が安置されている
曼荼羅っていうのは要するに完璧な世界 そんな世界この世にはないから当然死なないと
いけない世界となる だからこの講堂に入ると言う事は 死んじゃうという事だな
ちょっと死んでみたいという人はどうぞ東寺の講堂へ もちろん撮影禁止
058
スカッとする夏空と 三十三間堂 堂内には千手観音像が1001体も整然と並んでる
観音様っていうのはよ 何だか知らないけどものすごぉくあったかいお方
悟りを開くための修行の身でありながら
ボクらのようなどうしようもない馬鹿どもを浄土に
導いて下さろうと 千の手と千の目で常につぶさに見つめて気にかけてくれている
自分だけいい思いをすればいいなどとは決して思わない 観音菩薩はバカども
全員救うまではと 自分の修行も次に進めない所で優しく諭す
信じなさい 私に任せなさい 私を信じてくれたら
あなたを決して見放しませんよとね 三十三間堂の1001体の
千手観音菩薩は確かにそう言ってました

061066
清水寺(左) その奥にある地主神社(じしゅじんじゃ)(右)の神様は恋愛成就の神様
でわんさか集まる乙女たちの願いを叶えてくれる

067
これは因幡の白ウサギと 袋を担いだ大国主(おおくにぬし)さんの後ろ姿
縁を結んだのはこのウサギだ 一説によるとグレイタイプの宇宙人だったらしい
・・・よく見てみるとぽいな 目赤いし

065
中央少し下に石の塊がある この塊ペアになっていて人ごみの向こうの方にもある
目をつぶって塊から塊に行きつくことが出来たら恋の願いが叶うというが・・・
お前ら全員邪魔 この石よく調べたら地主神社の建つ前からここにあったらしい
そしてこの地主神社は日本国が建国される以前からあったのこと
とするとそれより前にあった石の塊はどんだけ昔なのだ
まだ京都盆地が湖だったころの話
この辺も完全に水の中 縄文時代の頃から縄文人を呼び寄せる石の塊がこれだ
ん~全員縄文人に見えてきた

071069
(左)はらえど大神(おおかみ)水晶玉に触って厄をはらう
(右)どんな願いも一つ叶えてくれるおかげ明神の使いの白い二匹の蛇


世界文化遺産に登録されている地主神社 こんなに若者が多い神社ってなかなかないぜ

つづく

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photon_5d at 15:05|PermalinkComments(1)