2017ネパール

2018年09月08日

ディポックのせかい その2

ボクがネパールに戻って来たのは2015年
でマヘンドラと初めて会った2005年のあの頃のネパールは‥‥
まぁいいや長くなるから

当時ボクはまだ36歳でマヘンドラは32歳になっていた‥‥
奴はバーを経営していて奴自身も多少お酒をたしなんでいた
と思う
だけど2015年の10年ぶりに再会を果たしたマヘンドラは
かなり重度のアルコール依存症になり果てていた

どうしてそんなことになってしまったのか
原因は母親の死が引き金だと思っていたのだけどどうも
そうじゃないらしい
マヘンドラは母親の死よりもっと前からすでに相当な酒を
カッ食らっていた(ディポック談)
その原因は結局のところ誰にもわからない‥‥

2005年つまりボクが出会った頃 ディポックはまだマヘンドラと
知り合っていない ディポックがマヘンドラと出会ったのは
マヘンドラが経営していたバーを閉めて 貸店舗にして
パラグライダーのライセンスを取得し 自由に空を飛びまわっていた
頃の事だそうだ

今ではすっかり定着したネパール ポカラのパラグライディングツアー
だけどマヘンドラがライセンスを取得した頃はまだ
パラグライダーは少なかった マヘンドラはネパールの
パラグライディングの先駆者だったんだな
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ボクを空に連れて行こうとして準備をしているディポック
いやだって言ってるのに毎年バカ(マヘンドラとディポック)は
ボクを無理やり飛ばすんだ そしてついにこの日ボクは空で吐いた

その頃のディポックはマレーシアへ5年ほど出稼ぎにでて
帰って来たばかりだった 5年も働いていたのに帰って来た
時は無一文で職探しをしている時マヘンドラに出会い誘われ 
そのテクニックを手取り足取り教わった ディポックにしたら
マヘンドラは命の恩人でもあった‥‥大げさかもしれないけど
本人はそう思ってる そう思うほど当時のディポックは
困っていたんだ 村に帰って農作業を手伝うなんてできなかった
奴の実家は村じゃちょっとした土地持ちで 家系と言ったら
マヘンドラよりもハイカーストの出身でいわゆる祭祀を執り行う
ブラフマン ディポックは当然それを継承しなきゃならない身だった
のだけど 何しろ若い時から誰からも恐れられていた暴れん坊で
隣村 隣隣村まで奴の恐ろしさは知られていたほど
売られたケンカは全部買い取る 相手が何人いようと全員ボコボコに
してしまうほどの荒くれ者で大酒のみでケンカ無敗のヤクザ者
ブラフマンなんかくそくらえってな人生をまっしぐらだった

だから怖くて誰も奴の世話をみる人もいない
親にも呆れられて孤独の中でネパールを飛び出した‥‥
再び帰って来た時ディポックは25歳になっていたんだけど
真っすぐ実家には帰れず国を転々と放浪していたそうだ
両親の反対を押し切って飛び出したんだ 無一文じゃ
あまりに格好悪い 何でもいい どんな仕事でも金が必要だった
ディポックはマヘンドラのしていた危険な仕事に飛びついた
そしてそこから師弟関係が生まれた‥‥

マヘンドラとディポックの師弟関係というか兄弟の契りは
話を聞く限り血のつながりより濃いと思う まさにヤクザの
兄弟関係でどこに行くにも 何をするにも一緒 兄貴が黒と言えば
それが例え白であったとしても従うのがディポックという男だ

その関係があったからマヘンドラはアル中から立ち直って
今じゃ一滴の酒も飲まなくなった

一体どうやってディポックは地獄の底からマヘンドラを
救いだしたのだろう‥‥


つづく


マヘンドラもディポックも本当は恐ろしかった
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photon_5d at 06:03|PermalinkComments(0)

ディポックのせかい その1

2017年11月16日に日本を発ったボクは 沢山のお土産を
抱えてネパールに帰って来た
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ただいまポカラの顔フィッシュティルは何度見てもイイ

その殆どが親友マヘンドラとその家族
特に一人息子のプランジョルは今年小学校に入学するから
文房具なんかいいんじゃないかと思って色々買い込んだ

それから去年世話になったマヘンドラの友達にも
いかにも日本っぽい和柄のTシャツを 特にお世話になった
6人分揃えたりした

中でも喜んでくれたのがディポックという33歳の男だ
ディポックを一言で紹介すると任侠映画に出てくる
高倉健を彷彿させる(例えが古いか

ボクがあげた長袖の昇り龍がデザインしてある黒のシャツを
ずっと身に着けてくれるイかした男

そのてんマヘンドラは全くの正反対で一度も着てくれない
まぁ 好みの問題だからしょうがない
ボクだって好みの合わないシャツをもらっても嬉しくないもん

ディポックは強さや義理を重んじる性格もヤクザに近いと思う
自分の考えを頑固なほどしっかり持っていて
絶対に曲げないし 違う考えを持った奴らには狂犬のごとく
噛みつくし ぶっ飛ばす
きれいな奥さんもいて かわいい3歳の息子もいるけど
怒りだしたら ちゃぶ台をひっくり返す星一徹
(アニメ巨人の星の飛馬のオヤジ)
のごとく嫁さんをひっぱたく
大酒のみで でも絶対に酒にのまれないタフガイがディポック
という男だ

ディポックと初めて出会ったのは去年だったか‥‥
いや2015年だ 財布を忘れてネパールに来た時だ
あの時はまだ ディポックの事はよく知らなかったんだ‥‥

いつもマヘンドラの傍にいて アル中になっていた彼の世話を
している男と認識しているくらいで特に話も自己紹介もしてなかった
目つきの鋭い奴だったから
その次の年も ボクは殆ど1カ月アンナプルナサーキットトレッキング
山の中にいたから やっぱりよく知らないままだった

やつの本当の凄さを知ったのはこの年だ
プレゼントしたTシャツがボクとディポックの距離を
グイグイ縮めたんだと思う


つづく

真っすぐに押せ
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photon_5d at 01:07|PermalinkComments(0)

2018年06月07日

決まりのない旅の始まり2017

2015年は財布を忘れた旅だった
2016年は5412mの山に登って死にそうになった
2017年の旅は‥‥
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11月のポカラから見える霊峰フィッシュテール

11月にネパールに入国したボクは
元々インドのヴィシャーカパトナムという街に行く目的を持っていた
友達と約束したんだ日本で 

彼が初めて日本にやってきたのは2014年だったっけか‥‥
その3年後に再訪日した彼が年末にインドに帰省するというから
2017年6月ボク達は約束というほどのものではないけど
会えたらいいなとそんな話をして別れた

同時にその頃 朧げなこの先の人生を見つめる時期にボクはいた
半世紀を生きた男の余生ってやつだ

これまで3度ネパールにやって来た‥‥その度おもった
もっと長くネパールにいられたら と
だから今回は3カ月のビザを取った
最大あと2か月延長できる するつもりだ
ボクは今回ネパールに5カ月 そしてインドに3カ月
そのあとはヨーロッパを通ってポルトガルかアフリカのどこかから
サウスアメリカに行く‥‥

振り返ってみると‥‥ボクの人生何一つとして確かなものはなかった‥‥
約束された未来で安定が望める人生はボクを無視して何度も何度も
通り過ぎた
案外無視していたのはボクの方だったかもしれないけど
いつだってボクは 先の全く読めないふざけた物語に心を惹かれる
ふざけたっていうよりは 
面白おかしい物語で一級の特上のプレミアムなレベルのジョークと
言えば割と伝わるんじゃないだろうか(わかんねぇよ)

そんな物語はふざけてちゃ生まれないし作れない
真剣でハッキリ自分の進む道が見えていなきゃ話にならない
真剣っていうのは迷いのない心だ 成功しても失敗しても
泣いても笑っても 生き延びても死んじゃっても
誰のせいにもできない心だろう
そういう物語がたまらなく好きだから
そんな感じで目の前のことで一杯一杯くらいの旅をしてみましょうか
って自分と話していたんだ
何事もキッチリ決めないのがボクのスタイル
まずはネパールに行く ボクは今回も大量の物資を担いできた
前回世話になった友達への土産物と マヘンドラの息子への入学祝の文房具と
日本食品 調味料など
これを捌かない事にはどこに行くことも出来やしない

そのあとインドの友達に会いに行く
楽しい旅が始まるぞ 一緒に南インドのジャングルクルーズに行く
そんな話もしたんだ

3カ月のインド旅行を終えたらネパールに戻る
5カ月間滞在しながら何ができるのかじっくり考える
何が必要なのか調べが必要だ

そのあとはヨーロッパを通って南米の親友マティアスに会いに行く
やつもとうとう結婚した 結婚式の日ボクはネパールにいたよ
必ず会いに行くよとビデオレターを送っておいた

必ず会いに行かなきゃ‥‥なんとしても‥‥でも今を楽しもう

だって予定なんて何一つ実現しやしないんだ
もう最初にネパールに入った時点でおかしくなっていた
いや 日本にいる時からすでに始まっていた‥‥天敵インドにだ

できることなら日本でインドのビザを取っておきたかったボクは朝も
早くから東京九段下のインド大使館にビザを申請しに足を運んだ
でも申請はたちまち却下された
理由は航空券がないということ

ボク「そうですボクは今回ネパールから陸路でインドに入国するんです」
受付「それはご苦労様です でもインド行きの航空券の提示が必須なので」

ふうぅん変なの だからインドはいやなんだ
全く面倒をふやしてくれる
大体ネパールで申請したらインドビザが下りるまで10日くらいはかかると
本に書いてあったし 3回くらい通わないと発給されないとも書いてあった
しかも申請場所はカトマンズのみ
ボクがいつも行くのはポカラという西の町でカトマンズからバスで7時間は裕にかかる
距離だ

どうしよう‥‥カトマンズに10日ほどビザ申請のために滞在して発給後にポカラの
友達の所に行く‥‥か とにかくポカラにいってクソ重たい物資を降ろして みんなに
挨拶してからカトマンズに戻ってビザを申請するか‥‥

そんなことを考える頃 ボクはすでに飛行機の中にいて
ネパール国上空を飛行している

国際空港で一通り審査を終え 荷物を見つけて外に出た時
時刻は真夜中だった
とりあえずホテルを探そうとタクシーに乗り
ツーリストエリアに降り立っても閑散として人気もない
閉まっている 眠って起きない
起きてもめんどくさがって取り合ってくれない
しょうがないから広場で寝ようと思ったら
野良犬に吠えられて 外の寝場所探しもなかなか楽じゃない
総重量30キロの荷物が老いさらばえた体に重たくのしかかる

疲れちゃって祠の近くで寝そべっていたら 酔っ払いがやって来た
4人もいる 絶対かまってくるな‥‥めんどくさいな‥‥

やっぱり絡んできた めんどくさいな
でもその内1人が日本語少しだけ話すんだな
よく訊くと日本で現在働いているみたいだ
休みが取れて帰省しているんだそうだ
そいつのお兄さんは一番酔っぱらって一番絡んでくるんだ
必死で訴えているんだ オレたちは怪しいものじゃないって言うんだ
それで自分の免許証をボクに渡してこれをお前に預ける なぜなら
オレは怪しくないから だって
分かってるよ 君たち酔っぱらってるけど全然危険なにおいがしない
で油断してたらタクシーに詰め込まれて カトマンズ一番のホットなクラブ
デジャヴに連れてかれた
で油断してビール飲んで踊って気が付いたら知らない人のうちにいる
兄弟のお兄さんのお家だ お兄さんは学校の先生で同時に通学バスの
運転手もしている 結構裕福そうだ カトマンズの市街地に3階建て
屋上付きの豪邸でボクは一晩をタダで過ごすことができた
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ゴージャスなおうち

翌朝彼らの家で朝食をごちそうになってからタクシーを捕まえ
ポカラ行きのバスターミナルまで移動する
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とても親切だった兄弟(右が兄)と美人な兄のワイフ どうもありがとう
もらった電話番号すぐになくしましたすいません

ボクはこの時カトマンズでインドビザを申請する選択があることを
忘れていた 目の前の荷物の事が頭を一杯にして
心は早く友達に会いたいとワクワクするばかりだったんだ

あの時もしもカトマンズでゲストハウスを見つけてビザ発給されるまでいた
らどうなっていただろう‥‥
それが一番いい選択と言えるかどうか‥‥
あの時期丁度ネパールは政治を大きく変える選挙で国民も国自体も1つになって
いて 公共機関も休業するほどの注目選挙だったんだとか
元々ネパール人は時事ネタを日常会話にしてるから政治や選挙は好物というし
とにかく国全体が選挙モードだった
そういやぁ 2015年の時もこんなお祭り騒ぎだったっけか‥‥
この団結感に人々は興奮する‥‥お祭り民族‥‥っていうか世界中どこも
そういうのってあるか

それのおかげでボクはインドビザをゲットするまで40日も待たされたことになった
ひどいショックだどこにも怒りをぶつけられないじゃないか
こんな風に客観的に書けるまで6カ月もリハビリの日々だった‥‥

どうやったら40日も待たされなければならなくなるのか何度も考えた
確かに選挙で銀行も省庁も公休しているのは分かった でも本当は
カトマンズでなくポカラの代理店を使ったのが良くなかった
友達にビザの話をチョットしたらたちまち代理店に連れてかれて
友達の実兄の代理店ということで断る理由もなく話が進んでしまった
悪いことは重なるもので代理店は勤務怠慢だしビザ申請は初仕事のようだった
やっぱりカトマンズでやっとくべきだった‥‥なぜ思い出さなんだ
老いるってそういうことなんだろうな

でもカトマンズでやったとして やっぱり普通より時間がかかったのは間違いない
下手したら1カ月のビザの半分以上待たされてもおかしくないほどの選挙だった
そしたら友達と会う時間減っちゃうから それもやだな
結局インドが悪い(一件落着)ネパールもだでも本当は自分のせいだ
それで最終的に2週間延長特別ビザまで取得して3千円くらい払って
ようやく去年のクリスマス前にパスポートを手にし
急いでインドに向かいバラナシまでやって来たものの そこから先
ビシャーカパトナムという友達の家のある街までは まだまだ遠く
列車の予約も早くて1週間先 10日先という状況だった
その列車を仮に予約してもビシャーカパトナムまではまだ乗り換えが必要で
次の街で何日か待つ必要も出て‥‥ある時バラナシから電話をして
行けそうにないと謝った 
それからのボクは行きたい場所へ行きたい時間に出発し
次の町が見つかるまでのんびりする旅を始めた
バラナシからゴア ゴカルナ ラジャスタンからカシミール
インドの山奥に入り2018年3月19日 ビザの切れる1日前に
ネパールへ戻った


つづく


ラオスからだと1年間のインドツーリストビザが取れるらしい
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