自分たちも実は全く気付いてなかったのですが、ララバイブラザーズは結成15年目に突入しております。2010年に入って活動が少なくなっており、もう忘れられていると小職ピアノララバイは思っているわけですね。実は、「ピアノララバイ」よりも本名「中西崇文」のほうがググって、たくさん記事が出てくる今、もうステージネームも本名でいいかなと思ってたりもしているんですよ。
というふうな具合で、ララバイブラザーズというユニットがあったんだ(解散したわけではないが)という立場で、15年を振り返ってもいいとは思うんです。名もないかもしれないが、それなりに面白いことをやっていた気がするんだ。
まずは、「ララバイブラザーズ」とはという定義をしなければ始まらないだろう。
ララバイブラザーズは、ギターボーカルを担当するギターララバイ(西野良)とピアノコーラスを担当するピアノララバイ(中西崇文)の二人組のユニットである。
2001年に二人が「くず」というユニット名でステージに余興として立ったのがスタートである。もちろん、現在でも大活躍の「ゆず」をもじった名前であることは語るまでもないだろう。しかし当時、タレントの山口智充さんと宮迫博之さんが「くず」というユニットを結成して、スマッシュヒットを出してしまったのだ。ということで、ユニット名を考え直す会議をギターララバイ宅で行われた。「スーパーマリオブラザーズ」のようなでもダサいというところで、最後の最後でギターララバイが出した「ララバイブラザーズ」で合意をした。当時、ララバイという言葉は今以上にダサい言葉だったと思える。最近はまた、歌詞などにララバイが登場している。80年代は「ララバイ」がついた楽曲もたくさんあった。そのような時代錯誤感を意識したはずだった。
ギターララバイ、ピアノララバイというありえないステージネームも上記のようなセンスである。もう一つ付け加えるとしたら、リハの際に音響の方から「ギターさん、音お願いします」と頼まれることから、ギターララバイ、ピアノララバイとしておけば、自分の名前を音響さんに読んでもらえるという逆転の発想も入っている。
ララバイブラザーズは自主制作盤を含め、5枚のアルバムをリリースしている。2008年までは1〜2年に1枚と今考えるとインディーズバンドとしては非常に早いリリーススピードであった。
楽曲のサンプルは下記のページで視聴可能だろう。
http://lullaby.jp/music.html
クレジット上、作詞はギターララバイ7割、ピアノララバイ3割、作曲はピアノララバイ7割、ギターララバイ3割としているが、それは今考えると嘘に近い。ほぼギターララバイだったと言ってもいいだろう。クレジットされているのは、初期からの慣習上、アイデアを最初に持ってきた方がクレジットされるという感じである。それでリハを重ねることにより、アレンジを煮詰めていくというスタイルだ。作曲と編曲の間に作業の隔たりがなかった。
ララバイブラザーズの創作活動は、ピアノララバイがアイデアの種を持ってきて、ギターララバイがそれを翻訳し、形にしていくというのが真実である。
さらに、ララバイブラザーズをブランディングするべきコンセプトアウトは誰がキーを握っていたのか、、、ギターララバイである。小職ピアノララバイは少々のバランシングはしたが、ほとんどのコンセプトアウトはギターララバイである。
ララバイブラザーズは、一応全国ツアーをやっていた時期がある。特に2005年から2008年にかけては非常に活発に活動していた。
今なんでやらないって?疲れたんだね、歳とったんだよ。
結構ララバイブラザーズの演奏を維持するのは小職的にはアスリート的だった。合格点のライブなんてほとんどなかった。ハプニングだらけだった。これは、今だから言える。エンターテイナーとしてオーディエンスを喜ばせるというのは一番の基本ですからね。あの当時は演奏を失敗してもエンターテイナーとしてどのように楽しませるか、そのために自分が何ができるかを考えるので精一杯だった。
という意味では、今ライブやったら、肩の力が抜けた結構いい演奏できると思う。そしてもう少しいいエンターテイナーになれたと思う。
昨年(2014年)、実はピアノララバイ名義でMUSIQUAのバックバンドに一部参加させていただいていた。そのときに、何らかの形で音楽に関わることはできないのかと思うようになった。
で、2015年から少しずつはじめようと思っている。まだ形は言えない。
このような背景から、自分がやってきた音楽活動のコアというべき「ララバイブラザーズ」を振り返ってみようと思ったんだ。はっきりいう、ララバイブラザーズは今聞いても、全然古ぼけていない。もし今聞きたいと思ったらAmazonなどで手に入れて欲しい。
というふうな具合で、ララバイブラザーズというユニットがあったんだ(解散したわけではないが)という立場で、15年を振り返ってもいいとは思うんです。名もないかもしれないが、それなりに面白いことをやっていた気がするんだ。
まずは、「ララバイブラザーズ」とはという定義をしなければ始まらないだろう。
ララバイブラザーズは、ギターボーカルを担当するギターララバイ(西野良)とピアノコーラスを担当するピアノララバイ(中西崇文)の二人組のユニットである。
2001年に二人が「くず」というユニット名でステージに余興として立ったのがスタートである。もちろん、現在でも大活躍の「ゆず」をもじった名前であることは語るまでもないだろう。しかし当時、タレントの山口智充さんと宮迫博之さんが「くず」というユニットを結成して、スマッシュヒットを出してしまったのだ。ということで、ユニット名を考え直す会議をギターララバイ宅で行われた。「スーパーマリオブラザーズ」のようなでもダサいというところで、最後の最後でギターララバイが出した「ララバイブラザーズ」で合意をした。当時、ララバイという言葉は今以上にダサい言葉だったと思える。最近はまた、歌詞などにララバイが登場している。80年代は「ララバイ」がついた楽曲もたくさんあった。そのような時代錯誤感を意識したはずだった。
ギターララバイ、ピアノララバイというありえないステージネームも上記のようなセンスである。もう一つ付け加えるとしたら、リハの際に音響の方から「ギターさん、音お願いします」と頼まれることから、ギターララバイ、ピアノララバイとしておけば、自分の名前を音響さんに読んでもらえるという逆転の発想も入っている。
ララバイブラザーズは自主制作盤を含め、5枚のアルバムをリリースしている。2008年までは1〜2年に1枚と今考えるとインディーズバンドとしては非常に早いリリーススピードであった。
楽曲のサンプルは下記のページで視聴可能だろう。
http://lullaby.jp/music.html
クレジット上、作詞はギターララバイ7割、ピアノララバイ3割、作曲はピアノララバイ7割、ギターララバイ3割としているが、それは今考えると嘘に近い。ほぼギターララバイだったと言ってもいいだろう。クレジットされているのは、初期からの慣習上、アイデアを最初に持ってきた方がクレジットされるという感じである。それでリハを重ねることにより、アレンジを煮詰めていくというスタイルだ。作曲と編曲の間に作業の隔たりがなかった。
ララバイブラザーズの創作活動は、ピアノララバイがアイデアの種を持ってきて、ギターララバイがそれを翻訳し、形にしていくというのが真実である。
さらに、ララバイブラザーズをブランディングするべきコンセプトアウトは誰がキーを握っていたのか、、、ギターララバイである。小職ピアノララバイは少々のバランシングはしたが、ほとんどのコンセプトアウトはギターララバイである。
ララバイブラザーズは、一応全国ツアーをやっていた時期がある。特に2005年から2008年にかけては非常に活発に活動していた。
今なんでやらないって?疲れたんだね、歳とったんだよ。
結構ララバイブラザーズの演奏を維持するのは小職的にはアスリート的だった。合格点のライブなんてほとんどなかった。ハプニングだらけだった。これは、今だから言える。エンターテイナーとしてオーディエンスを喜ばせるというのは一番の基本ですからね。あの当時は演奏を失敗してもエンターテイナーとしてどのように楽しませるか、そのために自分が何ができるかを考えるので精一杯だった。
という意味では、今ライブやったら、肩の力が抜けた結構いい演奏できると思う。そしてもう少しいいエンターテイナーになれたと思う。
昨年(2014年)、実はピアノララバイ名義でMUSIQUAのバックバンドに一部参加させていただいていた。そのときに、何らかの形で音楽に関わることはできないのかと思うようになった。
で、2015年から少しずつはじめようと思っている。まだ形は言えない。
このような背景から、自分がやってきた音楽活動のコアというべき「ララバイブラザーズ」を振り返ってみようと思ったんだ。はっきりいう、ララバイブラザーズは今聞いても、全然古ぼけていない。もし今聞きたいと思ったらAmazonなどで手に入れて欲しい。
「ララブラデモ」2002/7/16 残念ながら完売
「ララバイブラザーズの空中大宴会」2003/5/16 残念ながら完売
「禁煙紳士の逆上がり」2004/11/02 発売中(Amazonサイトへ)
「ミンナの忘れモノ」2006/06/12 発売中(Amazonサイトへ)
「三枚目のダイアローグ」2008/08/10 発売中(Amazonサイトへ)