August 26, 2012

Blogの引っ越しをします。
livedoorさん、長い間お世話になりました。

皆さま、宜しければ下記の新「nanonano光年」も宜しくお願いします。
http://keytamura.tumblr.com/

約1年と3か月。
前回のブログ記事からの期間です。

その間に、私を取り巻く環境もずいぶん変化しました。

26歳男性、無職、預金5万円@Ikebukuro, Tokyo
              ↓
27歳男性、営業/キャリアコンサルタント、預金ほどほど@Singapore

Blogは変われど、基本的スタンスは変わりません。

これからも、「遊び」続けます。
これからも、「逃避」し続けます。

貧弱な肉体とチンケな脳みその鍛錬もそこそこに、
誰も見たことのないちっちゃな景色を求めて、
そこで出会える人たちやコミュニティを引っ掻き回しながら、

行雲流水の如く。

また、皆さまの未来の街角でお会いできれば嬉しい限りです。

(04:00)

April 30, 2011

その日は、会社に顔を出す最後の日だった。

貸与されていたものを返却し、離職証などを受け取る手続きのために永田町にある会社に向かう。ふと、貸与されていた赤いボールペンを無くしたことを思い出した。100円もしないようなものだから、きっと誰も気にしないのだろうが、何だか後味が悪いので一駅前の麹町で降りて文房具屋に入る。店内をグルグルと探しまわったのだが、結局同じものは見つからなかった。

ボールペンはあきらめたつもりだったが、コンビニが目に入り、軽い気持ちで入ってみた。文具コーナーを覗いて、すぐあきらめて店を出ようとしたとき、ふと見覚えのある顔の男性とすれ違った。

まぁ、広い東京だ。似た顔の人間くらい何人もいるだろう。それに頭に降ってきたその顔は、もう約5年も会ってもいない大学の先輩の顔だったのだ。

振り返った顔をすぐ戻すが、やはり気になってもう一度振り返る。その男性も、同じように振り返った。自然と言葉が出て来た「○○さん...」すると「タムラケイ君だよね。」と以外にもフルネームの問いかけが帰ってきた。

しばし話す。大きな病気を煩い、ようやく闘病生活を終え社会復帰されるという話は、SNSを通して何となく知っていた。

名刺をもらう。「この個人事業主の名刺を渡すのは今日が最後だよ。ちょうど今さっき、ある外資系の企業に内定をもらったところなんだ。」「そうなんですか。私はちょうど今日、退職した会社に最後に顔を出す日なんですよ。」そんな会話を交わし、その場は別れた。

世界有数の大都市のコンビニで偶然再会した二人は、偶然にも離職と就職という節目だった。

僕は、この先輩が大好きだった。父親以外に出会った初めての「知の巨人」だった。周りの友人が活動的で、かっこいいライフスタイルを実践している先輩に惹かれる側で、僕はこの少しネクラでオタクの匂いのする、アイドルからビジネス、サブカルから哲学までを語れる先輩に惹かれていた。大学一年生の僕に大前研一を教えてくれたのも、フォン・ノイマンを教えてくれたのも、マーシャル・マクルーハン『グーテンベルクの銀河系』を教えてくれたのも、たぶんこの先輩だっと思う。

僕は、自分をどんな人間か、よく知らないのだけれど、自分が好きな人、尊敬する人との付き合いは苦手だ。何の引け目か、いつも疎遠になってしまう。

中島敦が紡ぎ出した言葉が僕の頭からは離れない。

「進んで師についたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。」
「わが臆病な自尊心と、尊大な羞恥心の所為である。」

最近は、自尊心も奥病になるほど大きくもないので、羞恥心を隠すことも少なくなった。

先輩にメールしてみようと思う。会ってくれるかな。また、色々と教えて欲しいのだ。

そうそう、私田村啓は、4月をもって2年間お世話になった会社を退職いたしました。今後については、【付録】をご覧下さい。これからも、変わらずよろしくお願いします。


【付録】タムラケイのこれから(つまり未定)

現在、フリーターです。
仕事はもちろん、探しています。(探してから辞めろーなんて言わないで。)
預金は5万円です。(ほんとなんです。)
友人が、一日だけのアルバイトや、ちょっと美味しいお話を持ち寄ってくれてます。
もう、涙がこぼれるほど嬉しいです。うっうっうっ。

半年後には、東京から生活の拠点を移したいと考えています。
夢見がちな少年のごとく、海外目指して。(もういい歳なのだけれど。)

なんと、これについても友人が美味しい話を持ち寄ってくれてます。
うっうっうっ。
みんなも、何かお話があれば宜しくお願いします。

GW明けからはしばらく東北に。
その後はほぼ未定ですが、自由大学に通ったり、とにかく必死で急流下りを楽しみたいと思っています。

時間はあるので、ぜひご連絡下さいね。
東京に来る用がある方は、コミュニティ・シェアハウス Tsuchi Lab.はいつでも無料で泊まれますので、
ぜひご連絡を。
keytamuraアットマークgmail.com

(18:06)

November 28, 2010

気が付くと、もう12月目前。
早いね。
秋って、こんなに短かったかな。

何かしら更新を、と思うので、最近おもしろいと思ったことを一つ。

先日ある大学院の学生さんが僕の会社を訪ねてきた。
イラン人の女性で、日本の大学を卒業し、今は都内のある大学院で
イランにおける観光開発を研究しているらしい。
まぁ、イランの旅行を扱っている僕の会社にインタビューに来た、という話。

彼女から面白い言葉を聞いた。
「イスラミック・ツーリズム」。
耳慣れない言葉なんだけれど、彼女の話を聞いてみると、
最近「イスラム教徒の海外旅行」が世界的な動きとなっているらしい。
これまで海外旅行を謳歌していたイスラム圏の富裕層は、
イスラム教の戒律にそこまで厳格ではなかたのに、
近年増えつつある中流イスラム教徒は比較的宗教熱心な層で、
受け入れ側としては、イスラムの教えにのっとった観光システムを
整えることが成功の鍵となるのだとか。
すでに中国やシンガポールなどに、礼拝室を備えたホテルやイスラムの法に
のっとった食事を提供するホテルが建設されているというからけっこうなものだ。

そこまで聞いて、前回サウジアラビアへ添乗に行った際のできごとを思い出した。
現地会社のマネージャーと日本大使館に勤める方と偶然夕食を
ご一緒させてもらったのだけど、その席では、サウジアラビア人の
日本への旅行とその市場の可能性がもっぱら議論の的となった。
実際に、来年辺りから日本へ観光客を送り出そうという話にまで進んでいたから、
そこで働けるとおもしろいなぁ、なんて思ったりもする。



(16:51)

July 25, 2010

約半年ぶりにblogを書こうと思い立った。

自分の人生を振り返ってみると、
自分に甘え調子を落としている時、
何かを追うのではなく何者かに追われている時、
その期間を思い返すと、
いくつかの共通した行動パターンが思いがけず見えてくる。

このことを自覚した時、それは現在の自分を測るバロメーターになる。

数え出すと意外にたくさんあるのだが、
blogを豆に記すことも一つに挙げられる。

閑話休題。

近況報告もかねて、少しだけ。

本当に忙しい人とは比べ物にならないのだろうが、
それなりに忙しく、毎日を過ごしている。

旅行会社に勤め、これまで訪れることのなかった多くの地を訪れる機会を得た。

アメリカ西部の国立公園へ。
ネイティブ・アメリカンのナバホ族居住区へ。
人種と文化の寄せ鍋のようなサンフランシスコの空気は
肺の空気が総入れ替えされたような気持ち良さがあった。

近代西欧の苗床となり、現代文明の底流を深く流れる古代ギリシアの精神。

二度目となったシリア・ヨルダンでは、メソポタミア文明の残照。

学生時代にはほとんど足が向かなかったインドの摩訶不思議な遺跡群。
理解を越える世界。投身。


仕事という大前提がある以上、そうそう「その世界」と一対一で対話をする暇はほとんどないのだけれど、限られた時間ではあっても、旅先で「彼ら」と出会う以前とその後では、確実に僕を取り巻く世界は何かしらお変容を起こした。

同期入社で、旅行部門ではなく出版部門で「風の旅人」というグラフ誌を編集している友人がいる。

僕は心底、彼を尊敬しているのだけれど、その彼の新刊を知らせるメールマガジンに載せた案内文が、激しく突き刺さるものであった。

「風の旅人」 が読者の皆様に送る「旅」は、既知の自分のイメージ
を強化する観光でもなく、単に真新しさを求める冒険でもなく、新しい視点が自分が今立つ場所の表情を少し変えてくれるような体験です。ユートピア的な「自由な場所」がどこかにあるのではなく、新たな発見が自分を固定していた世界の位相をふと変えるその時、人 は少し「自由になる」のかもしれません。単なる地理的移動以上の、そ んな旅の原点の感覚を、今号の「風の旅人」より感じていただければ幸いです。


僕は地理的移動を止めることは当分ないだろう、と思う。
けれども、彼の言う原点は忘れてはいけないな、と思う。

群衆と雑踏に紛れ生きてはいても、
旅はできるだから。

Tsuchi Lab. にも、「旅の原点」を感じられるような何かが欲しいなぁと考えています。ご期待あれ。


イベントなどは、私の怠け癖により少しお休みモードですが、
個人的な訪問はいつでも大歓迎です。
photo







(23:40)

December 24, 2009

クリスマスや年末、新年などというイベントや区切りというものがどうもしっくり人生にフィットしていないのですが、どうやら忘年会というものをわがシェアハウスでも行うようでございます。

以下、告知。

今年最後のツチラボ・イベント!

のんびり、ゆったり、わいわい@Tsuchi Lab.忘年会!!

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

今年も残すところ、あと僅か。
クリスマスを終えると街はそのまま年越しムードへ。

勤め人も、学び人も、遊び人も、今年の一年はいかがだったでしょうか?
悲喜こもごも、様々、色々あったのではないでしょうか?

閑話休題。ツチラボ今年最後の催しのお誘いです!

忘年会@ツチラボでは、お部屋を3つ。お鍋のソースは7つ。
そして素敵な出会いや再会をたくさんご用意してお持ちしております。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

【お楽しみ】

★お習字
  みんなの今年一年を一文字で表して書き納め。

★お鍋
  鍋奉行こと住人ササベが7つのソースをご用意してお待ちしております。

★お酒
  目玉は、学生カフェを経営していた住人タムアツが作る心温まるホット・ワイン

★お部屋
  メインのリビングに加え、住人ダブル・タムラの2部屋が「まったり・こたつ」と「じっくり・タタミ」として使用可能。大勢が苦手な方や久しぶりにじっくり話したい再会の際などにご利用下さい。

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
日時:12月26日(土)13:00〜27日(日)の朝まで。
場所:Tsuchi Lab. (北池袋駅徒歩1分)
参加人数:入れ替わり立ち代わり20名ほど
予算:1000円

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共催:コクー×ツチラボ
池袋のシェアハウス二軒による交換忘年会。


同日開催のシェア・ハウス・コクーの忘年会との

参加者Exchangeも可能です。

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僕を含め住人とは交流があるけれど、お互いに知らない者同士が大半ですので、気軽に遊びにきてもらえればいいです。
一言、タムラまでご連絡を。

(01:47)

November 30, 2009

tsuchi lab. blog よりの転載。)

長い歴史を持つ国に行くことになった。旧約聖書という人類の偉大な「知識」の源泉となり、産み落とされた物語の舞台となった土地だ。

大学の先生が口をすっぱくして言っていた。

「Knowledge is power!」

僕はこの言葉が気に入っていたが、その理由はハワイ出身ベトナム帰りのこの先生が何より好きだったからだ。

知識とはなんぞや。一体、知識とはなんぞや。

「知識とは生命の泉なり。」

とはヘブライ(ユダヤ)人の王、ソロモン の言葉である。

一方、旧約聖書はかくも語る。

「知識多ければ、悩み多し。」

確かに何かに触れ、考えることによって悩み深まることもまた多い。日本でいう「知らぬが仏」に通じないこともない。

知識社会と言われる現代に生きる僕たちは、この「知識」という言葉に踊らされ、翻弄され、さりとて「知識」の意味を、「知識」の人生における意味を確かに見いだすことなく、よるべなく混沌を漂う。そうして何とか、日々の糧を得るために、職業知識を習得し、社会で上手く立ち回るために常識や教養という知識を身につけ生きてゆく。

あたかも「知識」とは何かに役立つための副次的なものでしかないかのように。

幼い頃、背伸びして小難しい本をはやって読んだ。誰しもが、少しは身に覚えがあることだろう。

宇宙や、文化や、哲学や政治に歴史本。何かに役立つ知識もなくはなかったが、大半は純粋に、知ることで、それが次の疑問や悩みに繋がろうとも、ただただ、楽しかった。

そうして今、僕は働く。企業に属して働く。一日の大半を仕事に関係したことに費やす。

だから、問い直そう。

楽しいですか? 
苦しいながらも楽しいですか? 
息切らしながらも楽しいですか? 
よろけながらも楽しいですか?
その「知識」、触れること自体が、考えること自体が楽しいですか?

そんな事柄を、とっても私的な事柄を、リビングのソファーでページをめくりながら考えていた。

死海の畔を歩くのもいいけれど、モーゼ 終焉の地に登るのも悪くないけれど、日本にいたって素敵な旅はできるんだ。

時空を越えた世界が、表紙をめくれば広がっているのだから。


【心の旅スポット】
自宅のロビー:みんなの自宅、たいてい日本
過ごし方:家族やシェア・メイトの話とNorah Jones 系の洋楽を聞き流しながら、阿刀田高さんの『旧約聖書を知っていますか』 をツッコミ入れながら熟読する。

(00:49)

October 05, 2009

モロッコにトルコと飛ばされ続け、やっと一息ついたのが今日。

午後から、上野の東京都美術館で「トリノ・エジプト展」を最終日の人混みの中ふらつき、夜は山谷労働者福祉会館という団体が主催する「共同炊事」というものに紛れ込んできた。

トリノ・エジプト展は入場70分待ちというそのあまりの混雑に辟易し、自分も含めどうして日本人はこうまで「古代エジプト」が好きなんだろう、と不思議に思うと同時に、古代エジプト人の死生観にひたる間もなく美術館を後にした。

「共同炊事」は僕の悪友がどっぷり浸かってる活動だ。前から気になっていたし、誘われていたので、上野公園でもやってるってんでどっちがついでだか知らないが参加してきた。ま、ただ野宿生活者に混ざって料理して食べて、それだけのことなんだけれど、トリノ・エジプト展よりよっぽど記憶には残っている。

横のおじさんが、親切に一週間食いっぱぐれがないように、東京のどこで炊き出しをやっているか教えてくれた。中には教会で賛美歌聞いて並んで説教まで聞いてご飯をもらうまで4時間近くかかるものもあるんだそうだ。

でもね、とおじさんは言う。

文句言う人もいるけどね。切羽詰まったらそんなこと言ってられないよね、って。

野宿生活者(いわゆるホームレス)の方々に対する意見は人それぞれ。自己責任だ。国の責任だ。社会の責任だ。自己努力が足りない。高度成長の構造的負の遺産だ、などなど。。。

でもね、イメージや他人の意見はおいといて、結論を急がず、とりあえず自分の目で彼等の横から眺めてみる。

するとね、やっぱり全然分からないんだ、これが。だからもう何回かいかなきゃだめだな、と思う。

自分は何も知らないし、分からない。そうはっきり分かったことが今夜の収穫。

社会人になっても、学生時代と変わらず自分の知らない世界と積極的に関わっていくことは、何より必要だな、と。

しばらく北海道に帰る悪友君に、今回も感謝だ。

(00:03)

August 02, 2009

古びた機体の3人掛け。

真ん中に座ったマダムが言う。

「選挙は最悪だったわよ。もう、信じられない。」

続けて、話題は彼女の家族のへと流れる。

「私の娘は今、イギリスに留学中なのよ。息子もその内行かせるつもりよ。私は日本も大好きなのよ。本当に。日本語だって少しできるんだから。」

そう言って、片言の日本語を思い出そうとしたが、
あいにくすぐには出て来なかった。

「そうそう、シラーズの実家の庭に桃林があってね、とっても美味しいからお持ちにならない。」

僕は、添乗という仕事で来ていること、お客様が10名ほどいることを伝え、丁重にお断りをした。

窓側の席に座った息子は恥ずかしそうに母親と僕の会話を聞いていた。


メディアだけを眺めていれば、イランはただ今大混乱。
6月の大統領選挙以来続く、不正糾弾、再投票や民主化要求。。。

古代アケメネス朝の都のペルセポリスや
数千年にわたって聖火が燃え続けるゾロアスター教の整地ヤズド。
かつて王の広場と呼ばれたイマーム広場を中心に
ペルシア・イスラム建築が華開いたエスファハーンなど
屈指の観光資源を持つこの国も観光業界は深刻な打撃を受けていた。

そんな中でのイラン訪問。

テレビで見る暴動の余波は全く感じられない。
バスの中ではガイドさんが平気でイスラム体制の批判を口にしていた。

一般的には女性が虐げられている国と思われているが、
イランの女性は強い。
多くの女性はチャドルやスカーフの裏で、聖職者に対して
舌をだしている。

若い女の子は日本の女子高生がスカートを短くするように、
少しでもスカーフを後ろにずらし、前髪を出そうとする。

とはいえ、1979年のイスラム革命までは、
ミニスカートを履いた女性が街を自由に闊歩していたというのだから、
考え直せばそれほど不思議ではないかもしれない。

深夜のテヘラン。国内線のメフラバッド空港に降り立つ。
僕は仕事に追われマダムとその息子への挨拶もそこそこに分かれた。

ターンテーブルでお客様の荷物をおろし、一息つくと、
一人のお客様から10数個の熟した桃が入った袋を渡された。

ある女性から託されたのだ、という。

マダム、ヘイリーマムヌーン(本当にありがとう)。
マダムの家族と、イランの女性によりより未来が訪れますように。




(16:15)

August 01, 2009

今年は中島敦の生誕100周年だという。
十進法で数えるから特別な年になるだけのことなのだが、
意味の無いところに意味を見いだし、現実にあるものと思い、イベントが催される。
そして、そこに吸い寄せられてゆく僕がいる。

久方ぶりの東横線。
人の渦に流されつい下車してしまったみなとみらい駅。
元町・中華街駅から「港の見える丘公園」
神奈川近代文学館に着いたのは、もう午後4時前だった。

中島敦が妻や子に宛てた手紙などが丹念に展示されていた。
そんな中に、パラオに役人として派遣されたときに、父宛に出した手紙が一通。
目を話すことができなかった。

哀しくて、哀しくて、でもどうしようもなかった。

〈略〉
こんなことを書いたって判って頂こうなどとは少しも思いませぬ。
決して思ってはなりませね。
人間がひとりぼっちだなどということは今更判りきったことです。
顔を付き合わせていても実際は別々の星に住んでいるのですね。
横浜とパラオとの距離どころの話ではないのです。
〈略〉

僕は、父に手紙を書いたことがない。
旅先から、家族宛と同義の父宛の手紙を出したことはあるが。

文学館を出て、元町の外国人墓地や元町、中華街をぶらつく。
何も買わず、何も食べず、帰ってきた。

中島敦が嘆いた、この現実からは逃れることはできない。

(22:15)

May 24, 2009

韓国の盧武鉉前大統領が、自殺した。

一度は一国の手綱を握った人物の遺書。

自分が存在することで、他人を苦しめるなら。

運命だと。

「あまり悲しむな。生と死はすべて自然のひとかけらではないか。」

「火葬してほしい。そして家の近くにごく小さい碑石をひとつだけ残せ。」

悲しいほどに、彼の人柄と死生観が現れているんじゃないか。


パソコンに残されていた遺書=23日、ソウル(聯合ニュース)
【ソウル23日聯合ニュース】23日午前、登山中に岩から飛び降り亡くなった盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領は、慶尚南道金海市・ポンハ集落の自宅を出る 30分ほど前にパソコンに遺書を残していた。最終保存日時は23日午前5時21分となっている。以下はその全文。
非常に多くの人に面倒をかけた。

わたしにより多くの人々が受けた苦痛は非常に大きい。この先、受ける苦痛も察することができない。

余生も他人に荷物となることしかない。

健康状態が良くなく、何もできない。本を読むことも、文字を書くこともできない。

あまり悲しむな。生と死はすべて自然のひとかけらではないか。

申し訳なく思うな。だれも恨むな。運命だ。

火葬してほしい。そして家の近くにごく小さい碑石をひとつだけ残せ。昔から考えていたことだ。

http://www.wowkorea.jp/news/Korea/2009/0523/10057675.html


(00:44)

May 20, 2009

列車が動き出した。

ゆっくり、加速していく。

「珈琲男爵」のネオンが曖昧な視線の先を流れていく。

無音。

妙に艶かしく、悪くない、と思った。


0時を越えて池袋駅から一駅。
そんなこと、毎日のことなのに、今夜は良かった。

久しぶりに、書き留めておきたい感情と記憶。

(01:54)

May 17, 2009

今日の日経の「読書 今日の一冊」。

変わるイスラーム変わるイスラーム
著者:レザー アスラン
販売元:藤原書店
発売日:2009-03-21
クチコミを見る

現在のイスラームが抱える原理主義は、
イスラーム復古主義ではなく、むしろ近代化の現れなのだ。
かつて、グーテンベルクの活版印刷技術が
バティカンが独占していた聖書を万人に解き放ち、
宗教改革という巨大な波となり、
個々人が自分で聖書を解釈し始めたように、
今、インターネットという新たなメディアのもと、
イスラーム教徒の人々もまたその過程にある。

ウラマーでもないオサマ・ビンラディンが
ネット世界の一部の人々に熱狂的に指示されるのもまた、イ
スラム教の個人化が進行していることの現れなのだ。

そんな、内容だろうか。
実物を読んだわけじゃぁないけど、
そこで「あぁ、僕はまた居合わせたんだ。」と思った。

大学時代、何人かのイスラム教徒の友人とは、
度々、宗教や生活習慣、価値観などについて語り合った。

今夜この新聞記事を見て、今更気づいたことがある。
僕は、このイスラームという巨大な宗教の個人化という歴史的瞬間に立ち会い、
そしてそのプロセスに組み込まれていたんだ! と。

僕がインドネシアの女性の友人に、性について問うとき、
僕がバングラデシュの男性の友人に、聖戦について問うとき、

彼、彼女たちは真剣に、僕との距離を縮めるために答えてくれた。
そのときの二人の答えは、きっと身近なウラマーの言葉の繰り返しではなかったろうし、
またコーランの文字通りでもなかったんだろうなぁ、と。


仕事に追われ、時間に追われ、追われ追わない近頃だから、
有り難かった。

活字からもしばらく遠ざかり、思索からはたいそう遠くにきてしまった近頃だから、
本当に有り難かった。

僕は、歴史の中に生きてるし、この手で触れて感じ、
その先を歩むことだってできるんだから。

朝早く起きて、押しつぶされそうな30分を過ごした後は、
一日仕事場で過ごし、帰れば布団に潜り込んで泥のように眠る毎日でも、
僕は歴史という大いなる物語に繋がる
素敵な毎日に生きてるんだから。

さぁて、僕が触れ得るこの今この一瞬を
ぼちぼち歩むとしましょうか。







(23:45)

May 14, 2009

ウルムチの空港から新疆の地に降り立ち、
カシュガルのバザールに漂う香辛料の匂いに懐かしさを感じた。

パミール高原、標高3600mのカラクリ湖。

万年雪を頂くコングール山やムズターグ・アタの、
どこか現実から隔絶されたような、
時間を超越したような、
この世の始まりから存在しているような、
決して僕が到達することのできない世界の存在のような、
そんな山景を眺めながら、
ヒンヤリと肌寒い空気にふっと思い出す。

目の前のこの道が、もう4年も前にバスに揺られ揺られて
たどり着いたパキスタンの桃源郷フンザに続いているのか…

いや…
たとえこの道をゆき、パミールを越えたとしても、
たどり着くは、もう、あのフンザではないんだろう…


ホータンでは、3m先もまともに見えない猛烈な砂嵐に巻かれ、
数百キロも続くタクラマカン砂漠縦断道路の出口では、
地元の人さへ珍しいという、僅かな天からの雫を肌に感じた。

クチャでは、断崖に掘られたキジル千仏洞に登り、
振り返れば、雲一つなく真っ青な空が地色がむき出しの大地の上に広がり、
オアシスの池と僅かな緑が眩しく、どうしようもなく美しかった。

そして今、僕ははや東京にいる。

悪くはないなぁ。
悪くはない生活だなぁ。

たとえ、24時間分の23時間50分は旅していなくとも、
その10分を味わい、楽しみ、泣きそうな「僕」と出会えるんだから。

あぁ、悪くはないなぁ。
うん、悪くはないなぁ。

(01:13)

April 12, 2009

今は、池袋で一軒家を三人でシェアしている。

今月4日、その三人の友人知人を家に招いて、シェアハウス「TSUCHI Lab」のお披露目パーティーを開催。
(TSUCHI Labについては、また後日書きたいなぁと思うのだけれど、今回はパーティーのお話。)

本当にたくさんの、個性溢れる人が来てくれた。

雑誌の編集者から、一流レストランのシェフやパティシエ。
人材系、IT系、コンサル系、外資系広告マンに、保険マン。
大学生に外国籍。

出身大学だって、みんなバラバラ。

でも、みんな本当におもしろい人たちで、忙しい中足を運んでくれて、心から感謝してる。

ワイン片手にやってきてくれた人...
話題のお菓子をもってきてくれた人...
真っ赤なバラの鉢をもってきてくれた人...
その場で、料理をつくってくれた人...
その場で、みんなをインスパイアしてくれた人...
その時間を、笑いで満たしてくれた人...


やっと、求める環境の第一歩が踏み出せたかな、と思う。

急転直下、職場としては全く興味もなかった旅行業界へと人生の舵をきり、
どうしても実現しなければと思ったのは、その生活環境。

社会人になって、「世界が狭くなった」なんて絶対に言いたくないなぁ。
今働く会社を選ぶことで、自分が求めるいくつかを諦めるなんてつまらないなぁ。

それならば、他の選択肢を選び取ったときに得られたであろうものを与えてくれるコミュニティを、自分自身で作ってしまえばいいんだ。


僕の思いはさておき、ぜひこの「TSUCHI Lab」に足をお運びを。

同居人のトップコンサルが、あなたのキャリアを一緒に無料で考えてくれます。
同居人のA君が、あなたの愚痴でもなんでも、とことん聞きます(相づち付きで)。
好きなCDと本を片手に来てくれたら、ソファーで優雅に読書三昧。
キッチンは自由にお使いを。

気になる方は、コメントによろしくー







(11:54)

March 22, 2009

週末、中国の蘇州を訪れた。
いつもの、ぶらり旅ではなく、会社の研修で。

期間が短く、ほぼ24時間常に上司や同期に囲まれ
フル稼働だったこともあり、中国に行ったきた実感は皆無だ。
けれども反対に、僕は最近、常に自分が完全な異文化環境に
投げ込まれていると日々感じていたりもする。

それにしても、不思議なもので、この僕がスーツにネクタイ
しめてひたすら他人から言われたことに取り組んでいる。
好きで選んだ会社だが、自由闊達・進取果敢とは言いがたい。
上下関係、一見理不尽な要求など、
かなり封建主義的な会社かもしれない。

そんな会社で、常に僕が意識していること。
それは、「僕は外国にいる」という感覚。

ここ5・6年は、本当におもしろい変化に富んだ環境に
身をおく機会に恵まれたが、今いる環境は全くの異世界。
本来、自分と他者との役割というのは、自分と他者と、
そのおかれた環境の関係性によって自由に変化し、
その時々で決まるものだと思うけれど、
今の僕の役割は、完全に固定されている。

相互交流による役割決定のプロセスはなく、
一方的に役割を規定される。
「お前は何もしらない、何もできない、バカな新入社員。
つべこべ言わずに徹底的に言われたことをやれ!」ってな感じだ。
最初はけっこう戸惑った。
それでも、嫌な気はしない。
それはある程度予想した上で、自ら選び取ったわけだから。

けれども、この「僕は外国、異文化環境にいる」
という感覚は生命線だ。

日々、一挙一動、一決定に至るまで様々な指摘や
批判的な反応を受ける。
中には「なぜか?」と問うことで、
逆に余計に理解しがたくなくこともある。
けれども、そんな理解しがたい社会を複雑重層的に
何万年もかけて作り上げてきたのが、この僕の生きる
多様で豊かな世界なんだろう、という思いが僕の根底にある。
そういう風に思うから、僕は本気で真剣に、
全てについてそっくりそのまま受け入れることにしている。
「なるほど、そういう風に考えるのか、この国では。」と。

上司は僕と全く違う世界で何十年も生きたきたのだから、
意思決定・価値判断の基準が違うのは当たり前。
敬語なんて生まれてこのかたほとんど使ったこともないので、
それはまるで外国語。

「違う」こと。
そして「違う」ことをここまで強制的に経験できる環境。
それはもう、母国じゃない。
そう考えると、なかなか毎日が楽しくもある。

かつて唐代の詩人張継は、蘇州を訪れこんなふうに歌に詠んだ。

『楓橋夜泊』

月落烏啼霜満天   月落ち 烏啼きて 霜 天に満つ
紅楓漁火対愁眠   紅楓 漁火 愁眠に対す
姑蘇城外寒山寺   故蘇 城外 寒山寺
夜半鐘聲到客船   夜半の鐘聲 客船にいたる


それにならって、芭蕉も我が実家のある
明石を訪れたときにこんなふうに詠んでいる。

『明石夜泊』

たこつぼやはかなき夢を夏の月

蘇州最初で最後の深夜、わずかばかりの物思いを除いては、張継や芭蕉
のように今いる場所について思い感じ入ることはできなったのだけれども。

(15:27)

February 20, 2009

仕事に必要なこともあって、最近はコタツと本の虫。

実際の仕事の現場は厳しく理不尽なことも多かろう、と容易に想像はつく。
けれども、こんな本を読みなさい、と言っていただけるのは実にありがたい。

明日からは、再び東京。



タイよりも 欧州よりも どことなく
東京は遠く 24の夜


●nanonano読書録


キリスト教の本 (上) (New sight mook―Books esoterica)
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キリスト教の本 (下) (New sight mook―Books esoterica)
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イスラム教の本 (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 14号)
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古代遺跡 (Truth In Fantasy)
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(23:28)

February 12, 2009

帰国後、東京を関西を往復しながら、
4月から始まる人生の次のステップに向けて準備をしている。
どうやら、北池袋の一軒家に、
一足先に働き出した友人やその知人と一緒に住むことになりそう。

社会人になって、社会が世界が広くなったと喜んでいる友人はとっても少ない。
それは実に悲しいことだし、生きていく上で僕にとっては非常に辛い。


話、飛んでイスラーム。
僕はきっと、将来何かしら日常の中でイスラームに関わる気がする。

僕の直感はよく当たる。実によく当たる。

と思うから選び取るのか、選び取りたいから、直感を持ち出すのか、
とにもかくにも、僕にとって予感というものは
人生選択でとても重要なものだ。

実際、僕は日本人にしては例外というほどイスラームに接していると思う。
もちろん、アカデミックに学んだ人のように体系的な知識は皆無だし、
留学生や仕事として現地に住んだ人のような密接な関係ではない。

けれども、イスラム教が国教であったり
強い影響力をもっていたりする訪れた国々は10を超える。
そして、メディアを通した知識としてではなく、彼らの息づかいとともに、
僕はイスラームが内に抱える多様性を想像することができる。

つい最近、壊滅しかけだというニュースの
あったLTTE(反政府イスラム過激派)は、
僕がスリランカを訪れたときには北部と東部では
まだまだ大きな力を持っていた。
けれども、首都コロンボでは
イスラム教徒と仏教徒が共に仲良く暮らしていた。

インドネシアではAPUのの友人宅に10日間も泊まり込んだり、
アチェ州の津波被害の追悼儀式に出させてもらったりした。
イスラームと聞くとすぐに厳格で一様な社会を想像してしまいがちだが、
闇医者による中絶が社会問題となっているなど
価値観の多様化に揺れるのはどの国の社会でも同じなのだと知った。

トルコのイスタンブールなどはもうヨーロッパに近い。
スカーフを付ける女性はほとんど見かけないし、
ファッションや生活スタイルも伝統的なイスラームのそれとはまるで異なる。
リトアニア留学中に同じ寮に暮らしていた7人ほどのトルコ人で、
ラマダンを実践していたのが僕の同居人だけだったことは実におもしろい。
けれどもまた、イランとの国境に近い東部などでは、
まだまだ厳格にイスラームが信仰されていたりと、
トルコ一国をみても多様な宗教観を見ることができる。

イランはまた、複雑なイスラム国家だ。
今でこそホメイニ氏率いる厳格なイスラム国家というイメージだが、
はっきりいってテヘランなどの都会では、
一皮向けばかなりルーズであったりする。
黒いチャドルの下に、女性たちは実に
カラフルで時に大胆な服装をしていたり、
大学生たちはハリウッド映画やネット上に
溢れるセクシーな女優に夢中になっていたり、
旧ソ連圏と国境をもつカスピ海沿岸では
密輸品のウォッカを楽しんだりする。
その一方で、もちろんコーランに記された規則を
厳格に守る若者もまた数多く存在のだ。

そのイランと国境をもつ旧ソ連の一つ、
アゼルバイジャンは国民の大半がイスラム教徒だ。
しかし、ビールにワインに何でもござれ。
なにせ、イランの男性が羽を伸ばしにわざわざやってくるほどなのだ。
宗教を認めないソ連時代を経て、アゼルバイジャンは、
公園で昼間っから、恋人同士でキスし合うイスラム国家に変貌したのだ。

エジプト。
カイロ近郊の保養地では、親の目の届かないところで、
流行りのhiphopやdance musicに乗って、若い男女が一緒に踊っていた。

アフガン人がほとんどを占めるパキスタンのペシャワールでは、
現地の女性と知り合いになれない若い男どもが、
メッセンジャーを使って、
マレーシアの女性とお近づきになろうと必死だった。

黒人が大多数のタンザニア経済を支配するのは、
イスラム教のインド人やアラブ人たちだ。
ダルエスサラームでフェラフェ*が食べられるのも、
モンスーンに乗って、彼らがやってきてくれたおかげなのだ。
*(インドからエジプトまで広く食べられてる揚げ物)

そして、イスラームはイスラム国家の外にも存在する。

ヒンデゥー教徒の国のイメージが強いインドだが、
実は隣国パキスタンよりも多くのイスラム人口を抱えていたりもする。
フランスやイギリスにも何十万人ものイスラム教徒が暮らしている。

もう、イスラムの多様性について語り出すときりがない。
僕の知り得たわずかなイスラームでさへそうなのだから。
その実態はもう。。。

長々と書いた。
理由は簡単だ。

みんなとこの「イスラームの多様性」を共有したいからだ。

なぜなら、驚くなから。
遠く離れたエジプトやタンザニアのイスラム教徒たちが、
そのことを気にしているのだ。

キリマンジャロの麓の町で出会った大学生が僕に尋ねてきた。
「日本では、イスラム教徒と言えばどんなイメージですか?」
「テロリストですか?」

あなたのイスラームに対するイメージはどうだろうか?


●nanonano読書録


カブールの本屋―アフガニスタンのある家族の物語
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イスラームと民主主義―近代性への怖れ (平凡社選書)
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(21:17)

February 06, 2009

午前一時頃。
標高5000mを超えた。
真っ暗闇だ。

意識が朦朧とし、目が開いているのか閉じているのかよく分からない。
砂地の斜面をこする足音と、荒く激しい呼吸音以外には何も聞こえない。

ズゥーーー ハァーーー ズゥーーー ハァーーー ズゥーーー ハァーーー

僕はアフリカを歩いていた。

アフリカの、最も高いその一点を目指し、
僕は不思議な世界を歩いていた。



エジプトのカイロでは高架道路がうねっていた。
1000年以上、アラブ・イスラーム世界の中心として
繁栄してきたカイロには、
近代的ビルの向こうに膨大な歴史的建造物が並ぶ。
けれども、僕たちは4000歳の建造物にしか興味を示さない。

ケニアのナイロビには高層ビルが建ち並び、
緑溢れる市街地をスーツ姿のビジネスマンが歩き回り、
巨大資本によるショッピングモールやレストランが展開する。
けれども、僕たちはサファリとマサイの人々を見なければ、
ケニアに来た意味がないと考えてしまう。

タンザニアではキリスト教徒の黒人女性にカメラを盗まれ、
ザンジバル生まれのインド人ムスリムの子供達に慰められ、
モザンビークに向かう華僑はスワヒリ語を操った。
それでも僕たちは、アフリカは血で血を洗う部族対立が絶えない
危ない土地だと疑わない。

カタールへの機中、隣の席に座ったのはムスリムの女性だった。
カタール生まれ、カタール育ちのエジプト人。
今はエジプトで医学を学ぶ大学生。
「自分のことはエジプト人とはあんまり思わない」らしい。
気の合う友人にはシリア人が多い。
日本が大好きで、独学したという日本語を話す彼女に
東欧の女子高生が重なって見えた。

ケニアのナイロビ空港で、
突然後ろから「Hey, Kei!!」と声をかけられた。
エジプトで黄熱病の予防接種を受けたときに知り合った、
ムスリムのナイスガイだった。
彼はバングラデシュ出身の両親を持ち、
ドバイで生まれ、イギリスで育ち教育を受け医師になった。
今は、カイロでアラビア語を学んでいる。
「困難な状況にある人を救いたい」とケニアの農村で
医療ボランティアをしていたらしい。
まさか、カイロで出会った彼と同じ飛行機でまたカイロに帰るなんて。

韓国の女性旅行者に、
「私は2週間前からあなたを知ってるわ」と言われキョトンとする。
おどろいたことに、僕たちはこの2週間で
3度も同じ飛行機に居合わせたことになるらしい。
エジプトからケニアへ。2週間後、ケニアからエジプトへ。
そして3日後、僕は日本へ。彼女は日本経由、韓国へ。
彼女の飛行機でのマナーは最悪だった。
「日記が書けない」と少し倒した前のシートを叩き、蹴る。
前列のヨーロピアンは、「私の人生で最悪の夜だったわ」と僕にぐちる。
僕はその後、税関でなぜかその韓国の彼女に捕まった。
満面の笑みで色々話しかけてくる。中々おもしろいのだ、彼女は。
その内だんだん憎めなくなってきた。
すると、あのヨーロピアンにこびりついてしまったであろう
彼女への偏見が、この世界を悪い方向に導いていく
元凶のように思われ、悲しくなった。

ふっと、紅海でダイビングのライセンスをとったときに知り合った、
中国人女性の言葉を思い出す。

日系企業に務める日本語ペラペラの彼女は言う。
「民族や国家間の感情的な対立なんて、みんな勘違いから生まれるのよ。」
「私は日本人が大好きよ。今の上司は大嫌っいだけど。笑」


ズゥーーー ハァーーー ズゥーーー ハァーーー ズゥーーー ハァーーー
ズゥーーー ハァーーー ズゥーーー ハァーーー ズゥーーー ハァーーー

ガイドのローレンスが言う。
「着いたよ。 おめでとう、ここがキリマンジャロの頂上だよ。」

涙がこぼれてきた。
一粒、また一粒と涙がこぼれてきた。

感動はない。
言葉もない。
まして、僕の横で叫ぶヨーロピアンのような気持ちになるわけがない。

ただ、ぽたぽたと。
ただ、ぼたぼたと涙がこぼれる。

塩っぽい味がした。
涙が口にまで達するとなんだか決まりが悪くって、
ローレンスに笑顔を作って見せてみた。

ズゥーーー ハァーーー ズゥーーー ハァーーー ズゥーーー ハァーーー
ズゥーーー ハァーーー ズゥーーー ハァーーー ズゥーーー ハァーーー

「そろそろ、降りようか。」
ローレンスが答える。
「帰りましょうか。」

(14:27)

May 10, 2008

ふっと、色んな出来事や考えが時間や空間を越えて繋がった。

最近の天気はいいね。

晴れ、時々、曇り。
後、雨。

近況をちょっと。

3つのことに取り組んでます。

インターン、時々、就活。
後、放送大学。

インターン7割、就活2割、放送大学1割ってとこでしょうか。

今日は、学習センターで6時間分の講義をまとめて受けてきました。
受講中の講義は

★NPOマネジメント
★社会階層と不平等
★自我の社会学
★現代の国際政治
★コンピュータのしくみ

話、飛んで5年前の話。

高校辞めて、スリランカをぶらり一人旅したときのこと。

偶然、ある教育NGOの方にお世話になった。
英語もろくに話せない僕がちょっとだけとはいえ、
教壇にたったのは恥ずかしかったけど、いい思い出。

そう、そのNGOの名前が、スプートニク。

代表の方の家にお世話になっていたのだが、
一体どんな想いをこの名前に込めていたんだろう?

小学生のころに、親から与えられた歴史マンガで
初めてスプートニクの名前を知り、ワクワクした。
でも、なぜか僕は人類初の人工衛星よりも、
対抗するアメリカで活躍した技術者で
亡命ドイツ人の
フォン・ブラウンが大好きだった。

今日、放送大学の「現代の国際政治」でスプートニクが取り上げられていた。
当時、人類初の人口衛生スプートニクが引き起こした衝撃。

そこには、僕が抱いたワクワクの欠片もなかった。

スプートニクの成功が意味するもの、それは
ソ連の核兵器によるアメリカ本土攻撃が可能になったという事実。
いわゆる「
スプートニク・ショック」だ。

ナチスのロケット技術の軍事利用なしには、アメリカの宇宙の軍事利用なしには、
フォン・ブラウンだって宇宙への夢を叶えることができなかったなんて、悲しいね。

スリランカのNGOの代表さんは、
どんな想いをスプートニクという名前に込めたんだろう?
僕の小学生時代みたいに、ただただ、ワクワク未来を切り開く、
人類の限界に対する挑戦という想いを込めたんだろうか?

数日前、国会で宇宙基本法が可決された。
これまでの宇宙の平和利用という基本方針から、宇宙の軍事利用へと道を開く内容だ。


Mr. Childrenは歌う。

夢、夢って あたかもそれが素晴らしい物のように
あたかもそれが輝かしい物のように 僕らはただ讃美してきたけれど
実際のところどうなんだろう?

何十万人もの命を一瞬で奪い去った核爆弾や細菌兵器
あれだって最初は 名もない化学者の純粋で
小さな夢から始まっているんじゃないだろうか?
そして今また僕らは 僕らだけの幸福の為に
科学を武器に 生物の命までをもコントロールしようとしている

そして マーチは続く 遥かな未来へ

やっかいだな 夢は良くもあり 悪くもなる てな訳で
oh oh oh oh yes 僕らの手に懸ってたりして

3.2.1.0.で 今こそ打ち上げよう 僕らの
oh oh oh oh 夢
everything is made from a dream
everything is made from a dream

(Mr. Children 「Everything is made from a dream」より抜粋)





(23:12)