November 30, 2009

tsuchi lab. blog よりの転載。)

長い歴史を持つ国に行くことになった。旧約聖書という人類の偉大な「知識」の源泉となり、産み落とされた物語の舞台となった土地だ。

大学の先生が口をすっぱくして言っていた。

「Knowledge is power!」

僕はこの言葉が気に入っていたが、その理由はハワイ出身ベトナム帰りのこの先生が何より好きだったからだ。

知識とはなんぞや。一体、知識とはなんぞや。

「知識とは生命の泉なり。」

とはヘブライ(ユダヤ)人の王、ソロモン の言葉である。

一方、旧約聖書はかくも語る。

「知識多ければ、悩み多し。」

確かに何かに触れ、考えることによって悩み深まることもまた多い。日本でいう「知らぬが仏」に通じないこともない。

知識社会と言われる現代に生きる僕たちは、この「知識」という言葉に踊らされ、翻弄され、さりとて「知識」の意味を、「知識」の人生における意味を確かに見いだすことなく、よるべなく混沌を漂う。そうして何とか、日々の糧を得るために、職業知識を習得し、社会で上手く立ち回るために常識や教養という知識を身につけ生きてゆく。

あたかも「知識」とは何かに役立つための副次的なものでしかないかのように。

幼い頃、背伸びして小難しい本をはやって読んだ。誰しもが、少しは身に覚えがあることだろう。

宇宙や、文化や、哲学や政治に歴史本。何かに役立つ知識もなくはなかったが、大半は純粋に、知ることで、それが次の疑問や悩みに繋がろうとも、ただただ、楽しかった。

そうして今、僕は働く。企業に属して働く。一日の大半を仕事に関係したことに費やす。

だから、問い直そう。

楽しいですか? 
苦しいながらも楽しいですか? 
息切らしながらも楽しいですか? 
よろけながらも楽しいですか?
その「知識」、触れること自体が、考えること自体が楽しいですか?

そんな事柄を、とっても私的な事柄を、リビングのソファーでページをめくりながら考えていた。

死海の畔を歩くのもいいけれど、モーゼ 終焉の地に登るのも悪くないけれど、日本にいたって素敵な旅はできるんだ。

時空を越えた世界が、表紙をめくれば広がっているのだから。


【心の旅スポット】
自宅のロビー:みんなの自宅、たいてい日本
過ごし方:家族やシェア・メイトの話とNorah Jones 系の洋楽を聞き流しながら、阿刀田高さんの『旧約聖書を知っていますか』 をツッコミ入れながら熟読する。

(00:49)

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この記事へのコメント

1. Posted by takashini-chan   November 30, 2009 23:50
久々の更新やね^^
おそらく今度行く国ではヘブライ語の広告や文章を良く見る機会があると思います。
そこでお願いなのですが、ヘブライ語について感じたことを、何でもいいから帰国したら教えてください。m(_ _)m

仕事でヘブライ語も扱っているのですが、右始まりの言語はなかなか理解が難しいので・・・
2. Posted by Tets   December 01, 2009 19:58
リグ・ヴェーダには「知識は意識の内に構築される」って言葉があるとか。
それは知識を増やすことによって意識も拡大されるってことでもあると僕は解釈してる。
知識欲って人間の欲の中で一番人間を人間らしくしているものじゃないかな。

時々物騒なことがある国だから気をつけて行ってきてね。
3. Posted by Key   December 06, 2009 22:10
>Takashini-chan
仕事でヘブライ語!? イスラエルにも日本のオフィス機器ですかぁ。すごいですねー。

確かに右始まりの言葉の使用感ってイメージできないですね。笑

>Tetsさん
はぁ、確かに意識や自我は知識や記憶とかの情報と情報編集の総体みたいなな感じなんでしょうかね。

にしても、リグ・ウェーダなど知識が入ってくる割合は聖書に対して圧倒的に少ないから、やっぱり偏ってますよねぇ。いかんいかん、と。

今はいずこに?

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