カチンコ福祉考/つれづれ老々介護日誌風に

 10年前に、その頃、流行し始めた「ブログ」にミーハー的な関心から乗ってしまったのがきっかけだった。当時から、唯一の趣味である映画鑑賞(DVDなども含む)の素人評論のブログだったはずだったけど、7年前に脳梗塞で倒れて要介護老人になった母の「介護日誌」のようにもなってしまった。  介護離職のようなことも体験し、現在はNPO法人のボランティ爺いとなり、本格的な「老々介護」になって5年が経つ。最近では映画のことはあまり書けず(それなりに見ているが)、むしろ政治向きのことに発言する機会が増えた。だから、いつまでも、匿名でこうした発言を続けるのは必ずしもフェアではないと思えるので、そんな「ネトウヨ」みたいな真似をしたくないから、セルフ・イントロダクションを付け加える。障害者福祉の仕事に長年従事し、大学でも福祉職の養成に関わった経験がある当年68才の「団塊」爺い。神戸市の生まれだが、埼玉県民歴はとうに40年を超え、約20年前からは、父の死後、埼玉県西部の田舎町にやってきた母と二人暮らし。名前は佐藤進という。最近の自慢は二人の孫(浪人生、高校生)が、ブーム前から部活にラグビーを選んだということ。

しばらく休みます。

 相変わらず怒りたい、ぼやきたいことの連続の毎日。
 そういうことが多すぎてかえってブログを書く意欲をそがれる日が続いているうちに20日ほど経ってしまった。そうすると宿題がどんどんたまっていくみたいな気になって、なんだ億劫というか投げ出したいような気分になってくる。まぁ、なんか吐き出したいという「攻撃性」が今はダウンしているのかもしれないけれど、とにかくしばらく止めてみようかと。そんな心境を、数は少ないけどフォローしてくれている人にはお伝えしたくて。

GW

いつの間にか5月になって世間はGW 。お天気も良くどこも人で賑わっているらしい。3日は孫のラグビーの応援に出かけたが、昨日、今日は特に予定なし。孫は前半だけの出場だったが、2トライの活躍で爺は満足、満足。高校生の試合とはいえ、間近で見る肉弾戦は迫力がありバシベキと音も聞こえてくるので手に汗握る興奮である。「よく育ってくれた」とも思う。兄の方はこのGWも予備校通いという。どっちも青春している。
 「老々」介護も専業するようになって5年有余ともなると2,3日はどこにも出かけなくても全然平気になった。テレビ(映画)、読書、PCと遊び相手にも事欠かないと開き直っている。デイサービスは連休中も月〜土はオープンしているので「ありがたい」。どんどん高齢社会が進むと連休中の様子も様変わりしていくことだろう。
 世の中の景色が変わるといえば、15才以下の子どもの数が1600万人と30数年減り続けているという。子どもの人口に対する比率は42年間減り続けて、人口4000万人以上の国では最低レベルだとか。子育てと介護への対応や年金、雇用に信頼がないことを如実に示している統計にみえる。安倍政権に期待しても無駄だが・・。このままでいいはずがない。若い世代が子どもを産みたくないとか産めないという社会が幸せなはずがない。
 あるいはもっと不幸な社会を抱えているかも知れないアメリカでは、あのトランプがついに共和党の大統領候補になりそうだ。人々の不満や怒りがその矛先をどこに向けてよいか迷走しているように思う。10年前の橋下現象や近ごろの安倍内閣の高い支持率をみても知性や理性に裏付けらないあるいはむしろそれを攻撃するような暴論でも自信たっぷりに大声で繰り返せば、人は期待感を感じるものなのだろうかと思う。

ショートステイの使い方

 去年から毎月1回2泊3日のショートステイを利用している。どこかしら躊躇があってずっと使えずにいたサービスだったが、デイサービスが休みの日曜日はストレスでイライラが募るで、せめて月に1度はと利用し始めた。躊躇していたのは「ホントはイヤなんだな」ということがわかっていたからで、今でもそのようだ。しかし、そこはなんとか我慢してくれという気持ちにもなれてきたので定期利用をしている。とはいえ、それでも期間中にどこに行くでもなくグズグズ家に居たりしてせいぜい朝ゆっくり寝てるぐらいが関の山だった。
 いわば、「もったいない」使い方をしていた。しかし、次回は違う。計画を立ててみた。今回は29日の祝日をはさんでの2泊3日である。まず、初日はお昼ごろに出かけて、有楽町で映画「アイヒマンショー」を見る、その後新宿に移動してもう1本「レヴェナント」を見る。そして新宿に泊り、翌日は午前中に竹橋の「国立近代美術館」で安田靭彦展を見る。午後は武道館にまわり「全日本柔道選手権」を観戦。ざっとこんな感じの1泊2日の小旅行である。3日目は昼まで寝てゆっくり迎えに行く。
 映画の時間を調べホテルの予約をしていると・・行く前から「次回もこんなふうに」と思ってしまう。時間を有効に使う努力をしようと思い始めた。母の介護といつまでこうして付き合うことになるのかと考えると、どんどん老け込む自分の時間も有効に使わないと真面目に考え始めた。
 この間、東京に用事で出かけるついでも利用しようと、早めに家を出て上野に2回行った。美術館や博物館の展示「黒田清輝展」「カラバッジョ展」「大恐竜博」「黄金のアフガニスタン」とハシゴした。芸術に親しむのは本当に久しぶりだったが有意義で充実した気分。ついでに書くとペースメーカー装着者ゆえの「1級の身体障害者手帳」を持つ身であれば、これらはみな無料でセコイ話だが計6400円のお得。連れがいればもう1人介護者扱いで無料になる。実際に車いすの方にも会ったし、椅子を押す人もいた。そういう人に出会うと、自分にも同様の「特典」があることが申し訳ないような気もしたが・・。
 

熊本大地震

 熊本を中心に大地震、しかも震度7のそれは「前震」で震度こそ同様でもエネルギーが格段に大きい「本震」が続き、さらに、おそらくはその両者の余震が絶え間なく襲ってくるという。鉄道も道路も寸断され、新幹線や当該地の高速道路の復旧は全く未知数だ。跡形もなくなった「阿蘇大橋」の姿(?)や凸凹になってまるでバウムクーヘンの切り口みたいな高速道路など5年前の東日本大震災を髣髴させる。またもや「想定外」という言葉が飛交うのだろうか?
 改めて地震列島であることを認識するが、被害の模様を伝える記事が氾濫する中で、再稼働したばかりの鹿児島川内原発が自動緊急停止もせず運転されているとの小さな記事もあった。鹿児島県川内市といえば、どちらかといえば熊本県寄りだが原子力規制委も「停止の必要なし」と素早く反応した。まだこの地震の正体も解明されていないにもかかわらずである。オリンピックを招致するためには、まだだれ一人としてメルトダウンした原発の内部を見てもいないのに「フクシマはアンダーコントロールだ」と言ってのけた首相のいる国だから今さら驚かないが、さらに言えば福島で着工した汚染水対策の「凍土壁」について原子力規制委員長は「効果がない」と明言している。莫大な税金と時間をかけるにもかかわらずである。もしかしたらアベノミクス効果のための公共事業にすぎないのかとさえ思う。
 いまや「地震」や「原発」の恐怖よりも、あまりにもいい加減なことしかしない「政府」の恐怖の方が大きい。そして、この地震はそんな何かに対する警鐘かも知れない。 

映画で「LGBT」を考えた

 2週間ほど前、シネコンで「リリーのすべて」を見た。この映画の感動に触発され一昨日はWOWOWで録りだめた「パレードへようこそ」を見た。前者は「T」つまりトランスジェンダーいわゆる性同一性障害(⇒「障害」というのは偏見を助長するので改めるべきと言われている)で世界で初めて「性別適合手術」を受けた「人」の話。舞台は1920年代のデンマークとパリを行きかう。後者は1980年代でイギリスのサッチャー政権が行う廃坑政策に対抗して炭鉱労働者たちが大規模なストライキを行った時にこれを支援した「L」と「B」、レズビアンとゲイの人々にまつわる話だ。
 「リリー・・・」は愛し合う妻との生活に充たされていたはずの才能ある画家が、ふとしたきっかけで自分の中にある「女性」に気づいて戸惑い迷いながら女として生きることを選んでいくのだが、妻の混乱は激しく切ない。それは心から「夫」である「人」を愛しているからにほかならず、もちろん「夫」の苦悩も自らの選択にかかわりなく妻を「人間」として深く愛しているからこそでもある。100年前はLGBTの人々は犯罪者あるいは危険な「病者」として扱われていた。そういえば「イミテーションゲーム」という映画に出てくる、いわばコンピュータの生みの親ともいえる天才数学者も同性愛者だった。ドイツ軍の暗号を解読し、イギリスの戦争勝利の功労者であったにもかかわらず、同性愛者として逮捕され職を追われる。さほど大昔のことでもなく、LGBTの人たちはこうした差別と偏見の中で人として生きる権利を踏みにじられていた。
 一方、「パレード・・・」が描く時代は僅かに30年前のことである。サッチャー政権時代で世界が今日の「新自由主義」的政治経済のるつぼに向かい始めた頃である。それでもゲイやレズの人たちへの視線は、相変わらず偏見に満ちており「変態め!」と罵倒される。
 それぞれ原題は「Danish Girl」(リリー・・・)と「(たぶん)Pride」(パレードへ・・・)だが、前者は悲しみの中で出口の見えない世界が陰影濃く描かれ、後者はややコメディータッチで前途にささやかながらも陽が射しはじめたように描かれている。両作品の時代背景には約60年という年月があるのだが、それでは現在こうした性的嗜好が違う人々への差別や偏見がなくなったかといえばそうでもない。それだけでなくさまざまな差別は建前が先行していることに反比例するようにむしろ露骨にさえなったとも思える。
 誰もが個性豊かに「その人」らしく生きて行ける社会=共生社会はまだ遠い未来の彼方らしい。
 
 
 

英語の式辞を嗤う

 今日は春爛漫のお天気だった。満開の桜が散り始め道路を花吹雪が埋めはじめた。車でその道を通るのも楽しく気分がいい。こんな日が続くといいなと思うが、また来年ということか。桜を見るといつも思い出すのは、死んだ父が70才になった時「この年になると、あと何回桜が見られるかと思う。」といったことだ。来年には、自分がその70才になる。
 ところで、桜といえば入学式につきものである。今年の東京工業大学の入学式の学長式辞がすべて英語だったという記事を読んだ。会場で配られたという訳文がネットに載っていて読んだみた。
 英語の式辞の意図はなんだろう。わざわざ和訳文のコピーが配布されたということは、新入生の多くが「理解できない」ということへの便宜であろう。しかし、和訳された式辞の内容はオリジナリティもなく、来年の式辞にも使いまわしができそうなぐらいに平板かつ平凡極まり中身に思えた。この式辞に何かの意味があるとすれば「英語」でしゃべったということだけが如くだ。学長は新入生たちに「一発かましとくか」とでも思ったのか。「東工大をなめんなよ!」とでも言いたいのか。
 確かに英語は学問の世界だけでなくビジネスの場でも世界共通言語化しつつあるようには見える。だが、それはそういう世界で仕事をしている、言いかえれば相対的にはエリートと言われる人にとってのことで、その点で日本人の専門家やビジネスマンが諸外国のそういうクラスの人に較べて「下手」らしい。つまりは英語、英語とうるさく言う政治家や文科省の官僚たちが英語ができないということで、「普通」の人はさして困っていない。。
 だとすれば「必要な君ら(例えば政治家)がもっと勉強しろ!」ということにすぎなないわけで、英語教育全般を批判しついには小学校から英語を必須化することなどがホントに大切かと問い直したい。
 加えて言うなら、英語に限らず何かというと教育の失敗をあげつらいなが教育に介入したがる政治家とこれに迎合する文科官僚は選挙権の年齢引き下げに対応する「主権者教育」の一環として「家庭でお手伝いを」と言い出した。元ヤンキー先生こと義家文科副大臣は「家庭を守らずに地域を守れるか。地域を守れずに日本を守れるか。教育の第一義的責任は家庭にあり、応援していく」「国がこんなお手伝いをしなさいという話ではないが、学校が評価することは必要」と説明したという。現ヤンキーが「マジかよっ!」ってきれそうな話だ。
 いい加減にしてほしい。若い人たちから希望を奪い、彼らが荒れたくもなるような社会をつくってきたのは、「経済成長、景気回復」とむしろ格差を助長する政策を進めてきた権力を握る側にいる政治家たちで、彼らは打つ手が無くなってくると「教育の失敗」を言い募る。挙句の果ては「お手伝い」か?。
東工大の学長さん、どうぞ誰にでもわかる日本語で新入生たちに語りかけてほしい。英語よりもっと身につけるべきことがあることについてあなた自身の考えと言葉で。
 

年度が替わっても

 1日から「新年度」。といっても、今の境遇では何がどう変わるわけでもない。働いていた時、やはり気分が改まるような気がしたし、それなりの「感慨」もあったような気がする。
 この新年度で、設立にかかわったNPO法人の代表も交代する。友人の中には「生きがい対策」と考えていろいろなことをつづけた方が良いと言ってくれる向きもあるが、何となく強く燃えるものを感じられなくなって・・。
 もちろん、「老々介護」という日が楽しいわけではないし、充足感を持つことなど到底できない。とはいえ、どこか淡々としたその日暮らしも慣れてしまうとそれなりに適応できる。しかも、依頼を受けて出席する会議や代表を交代したとはいえ手伝うことになっているNPOでの活動などで週のうち1度や2度はテンションを上げて頭も使うし、その他にも映画を観に出かけたりもする。明日か明後日はラグビー(全国高校選抜)観戦に行こうかと思っている。こういう次第で、当初は「死んだふり」でもしなければ日々を過ごすことができないと思った「介護生活」もさほど強いストレスではなくなっってきたのかも知れない。もっとも「ふり」ではなく、本当に何かが「死につつ」あるのかもしれないと思ったりもする。あるいはそれが老いるということかもと。
 例えば、昨日のこと、日曜日はデイサービスが休みだから、母は1日が退屈でならない。こちらもスーパーに買い物に行くぐらいである。お互いに1日が長い。母はつけっぱなしにしたテレビをぼーっと見ているか、自分の部屋の冷蔵庫(お菓子の保管庫と化しているが)の前で取り出した菓子を食べているかである。昼寝もせいぜい1時間強ぐらいで終日車いすの上で過ごす。お互いの会話は、朝昼、晩の食事の時と夕方に雨戸を閉めカーテンをひきに行った時ぐらいだ。
 日曜の母はおやつでいつもお腹が一杯だから、食事は少しだけしか食べない。いっそ用意するのはやめようかと思うが、それも「虐待」みたいだし・・。だから腹立たしくもあり、口をききたくないので会話が続かない。それに耳が遠いので大声を出す必要もあり面倒だ。昨日もそんな1日だった。
 
 
 

高校の同期会に行った。

 昨日、卒業50周年〇〇高校東京同期会が開かれた。1966年の春、卒業した4クラス200名のうち、東京界隈に暮らすものは1/3ぐらいはいるらしい。定年後に関西に戻った者もいるようだが。
 昨日集まったのは20名あまりだからやはり在京OBの1/3程度か。もう多くはリタイアしているが、それでもキャリアを生かして手伝い程度の仕事を続けていたり、趣味に打ち込んでいたりして元気だ。でも、がんの手術をした者、白内障や網膜剥離の手術をしたものなどもそこそこいて、つられて「俺はペースメーカー入れた。」と自慢げに告白する。「オォー」という反応に気をよくしたりして・・馬鹿だな。いや高校の頃に戻ってバカになるのか。
 一方で、夫婦でゴルフを楽しんだ翌朝、妻が隣で冷たくなってしまっていた(心不全)とか、明るくて元気だった妻が2年前にALSを発症し寝たきりになってしまい自宅で介護の日々だという旧い友人もいた。
 ひと頃、東京界隈に居る同じクラスだった仲間としばしば「クラス会」を開いていた、40歳前後のバブル景気の頃は毎年、年によっては2回も。みんなはそれぞれ金融、商社、メーカー等の巨大企業のサリーマンで、一次会こそ会費制だが、2次会3次会は各社持ち回りで誰かが会社の経費で落とし、挙句の果てには帰りのタクシー券も配るという「乱れ」方だった。貧乏な福祉業界にいながら、赤坂の料亭も銀座の高級クラブ体験もした。給料より多い接待費を使わないと仕事していないように言われる、だけどアホな得意先と飲んでも楽しくない。だからお前を接待させてくれという友人がいた。そんな時代だった。
 その後、当然のようにバブルははじけ狂騒の時代は終わった。50代を迎えた頃の「クラス会」では入社した会社に残っているものが殆どいなくなっていた。早期退職して起業したり子会社や関連会社へ出向したりして名刺が変わっていた。
 戦後のベビーブーマーたちはいろいろな意味で、この時代をつくってきた。そして今や老境を迎えつつあり、一斉に後期高齢者になだれ込む。2015年には認知症患者が700万人になる推計されれており、医療や福祉に危機が迫っていると言われる。年金にも信頼が揺らいでいる。一体我々の誰がこんな時代の到来を予測しただろうか(それは決して予想できないことではなかったはずだが)。
 だからといって、懐かしい旧友たちに、今さらながらそういうことをぶつけるのも野暮と思いもする。それぞれがそれぞれの巡り合わせと向き合い残った人生を真面目に生きるしかないし、少しでも子や孫の世代に伝えるべきことがあると思えば衒いなく語ることぐらいはしたい。

これでは「見殺し」だ!

 相模原で子ども自らが保護を願い出たのに児童相談所が取り合わず、結局、中2の生徒が自殺に追い込まれたという事件があった。ずっと以前から問題を把握していたにもかかわらず、児相がとった対応は子どもを「見殺し」にしたようなものだ。死ぬしかないと思い込んだ子の絶望と孤独はいかばかりであったろうか。
 去年1年間に警察から児相に通告された児童虐待は37000件に上り、毎年過去最高を更新し続けているという。命を奪われた子どもも毎年30人前後にのぼる。児童相談所が主に問題解決の取組みの中心になることに異論はないが、それにしてはあまりに無力に見える。今回の場合は「不作為」と厳しく糾弾されるべきだ。児童相談所が窓口ではあるるが、児童虐待は明らかに犯罪なのだから、それを前提にした対処すなわち被害者(こども)の救出こそが何よりも優先されるべきと思う。暴行を加えた加害者の元に被害者を返すなど「児童虐待」以外ではあり得ない。これは親権を云々するような種類のことではない。児童福祉の専門家たちはこうした親子への支援のゴールはしばしば「家族の再生」という。そして虐待した親も幼少時に親から虐待を受けているケースも少なくない・・とか何とか「問題は複雑だ」と解説する。
 そんな「講釈」をウダウダと言ってる間にも子どもは殴られている、しかも殺されてしまうほどの暴行を受けている。虐待=暴行の事実あるいはその疑いが判明次第、親がどんな言い訳をしても被害者を助け出すことが何より優先されるべきだ。
 問題はシンプルなのだ。子どもの命を守ること、あるいは恐怖と絶望に日々さらされている子どもを救い出すことに尽きる。相模原の児童相談所は記者会見で「対応は適切だったと思っている。」と抜けぬけと言ってのけたというが・・・。これでは死者にムチ打つようではないか。
 
 

民進党かぁ・・・

 民主党と維新が「合併」した後の党名を民進党とすることになったそうだ。基本的には「民主党」と言うだけで支持が集まらないということで、それを認めざるを得ないということらしい。それにしても、国民の意見を聞くとかでネット投票を呼び掛けてみたり、その上、応募が情けないくらい少ないつまりは国民の関心の外ということも暴露されてしまう結果となったなど、コトの進め方がいかにも幼稚というかナイーブすぎる。
 民主党は確かに失敗したが、しかし、沖縄の基地をめぐって「最低でも県外」→最高なら普天間基地の無条件撤去だろう。とか、子ども手当、高校無償化などの子育て支援策。それらの財源確保のための消費税率アップ・・など掲げた政策の方向性は悪くない。「コンクリートから人へ」というスローガンも悪くなかった。でも、なんというか、今でも克服されていない、何事につけ稚拙に過ぎる体質は3.11大地震と原発事故という未曽有の事態に遭遇しぼろぼろと崩壊してしまった。自民党はそもそも「未曾有」という漢字も読めないような首相がいて、民主党の後に登場した安倍首相も漢字の読めない首相より見た目がスマートでかしこそうに見えるだけなのに、妙に大胆で狡猾(多分ブレーンがしっかりしている)に騙すように支持率をかすめ取っていった。
 以来3年余、「一強他弱」はますます強まり、世論調査では「アベノミクスはうまく行ってない」と言う世論が上回り「改憲」には反対あるいは慎重の世論が多くても内閣の暴走、やりたい放題が止まらない。
 なんだか、それでも民主党政権よりはマシ、というか民主党は二度とごめんだ!という空気が蔓延し、それが内閣支持率を支えているようにも見える。「民主党政権はひどかった」という世論がすっかり出来上がってしまっているが、実は世間的には何がどう酷くて国民生活を揺るがしたということなどあまり根拠はないにもかかわらずである。はっきりしているのは官僚も財界も明確に非協力(協力を取り付けられない政権ももちろんダメだが)だったし、マスコミも政権の未熟を嘲笑うかのように話題を取り上げた。そして、少なくともしたたかさという点では民主党内で唯一無二の存在だった小沢一郎を無理な起訴をした検察と一緒になって包囲し潰した。
 友人の多く(そこそこのインテリも多い)が口をそろえて、今なお「民主党はダメだった」という。こうした空気も結果として自民党の独走の追い風になっているだろう。
 にもかかわらず民主党の岡田代表といい、維新の松野代表といい、いかにも華がなく合併してもじり貧かなぁと案ずる。これでは安倍政権を止められない。
 

「ゼロから町をつくる」への違和感

 昨夜のNHKスペシャル「ゼロから町をつくる」を見た。震災で大きな被害を受けた陸前高田市で巨大な復興プロジェクトが進んでいる様子が伝えられた。
 大津波による大きな被害の復興では、高さ10メートルを優に超える巨大防潮堤と大規模な嵩上げ工事による土地の造成が基本であるかのような印象が振りまかれる。しかし、そこに巨費が投入され、資材の高騰や人材の奪い合いが生まれ、時ならぬ復興バブルとさえ言われる状況が生れ、陸前高田市も同様のようだ。
 人口25000人の町で1800人が犠牲になり、半数の4000の住まいが流されたり壊れたりして、10000人を超える人が避難生活を余儀なくされたこの町でも再生プログラムが作られ工事が進んでいる。海が見えなくなる12メートルの防潮堤がつくられ、何もかもが流されてしまった町の跡に東京ドーム65個分の広さに12メートルの嵩上げした更地をつくってそこに新たなまちをつくるという計画だ。この嵩上げ工事だけで1200億円が投じられたという。
 計画では中心市街地に図書館を併設した大ショッピングセンターと大きな「広場」を核にして100の商店が立ち並ぶ賑わいを取り戻したいという。そしてその周辺に住宅が建設されるという青写真だ。商店には国の復興予算をあてた年間坪1000円という破格の地代で優遇し仮設商店街から戻ってくるように誘うとか。
 二人の市役所の幹部職員が登場するが、彼らはこの地で生まれ育ち暮らし働いてきた人だから町の復興にかける情熱と使命感も強い。しかし、その情景と裏腹に何故か違和感が膨らんでいく。
 震災前は25000人だった人口は20000人を切ったというし、小学生の数も1200人から800人に減った。もともと過疎化傾向にあり高齢化が進んだ地域だったうえに、あの震災と津波である。現在も2000戸の仮設住宅で暮らす人がおり、被災した商店の多くが仮設商店街で営業をしている。
 今さら1000万円も借金して商売続けられない。俺はもう70だよ。と言う人もいれば、国道沿いで営業している人は町に戻っても客足が心配だという。それは住宅の再建でも同じことだろう。年金暮らしの高齢の被災者が背負えるローンなどどこにあるのだろうか。住宅ローン金利が下がったとはいえだ。
 結局、復興は土木建設業界の福音になっただけではないか。安倍政権の大好きな「経済効果」である。数年前まではコンクリートから人へと政治の基本スタンスを変えるという言葉があったが、古い政治勢力は震災さえも奇貨として「土建国家」を復活させた。何が被災者に寄り添うだ!と感じるのが違和感の原因だろう。
 市役所の職員が母校の地元高校に出かけ生徒たちにこの町の未来を担う君たちのアイデアが欲しいという。至極当たり前の発想ではあるが、高校生たちの何人がこの町にとどまって将来の市民になるだろうとすら思える。本当に国の姿を変えなければ何も解決しない。
 

請求却下は当然だが…。

 嬉しくない、嫌なあるいはムカつくニュースばかりの毎日で「引きこもり(気味)」老人の気持ちはざらつくばかり。今日だってアメリカ大統領選の予備選挙でトランプの優位が伝えられ、アメリカが中から瓦解していくのを見ているような気なる。もっとも、民主党だってクリントン妻かよ?ではある。夫婦で大統領ってのがありなのかとうんざりする。オバマの登場でアメリカの「民主主義」にはまだ明日があるかもと思ったけれど、結局、元に戻るどころか逆にもっと悪くなるような気配。
 日本もそうだった。民主党への政権交代時にはある種の高揚感があった。それは、何より自民党の独裁が終わって何かが変わるかも知れないという期待だった。でも、結局、行き着いたのが安倍長期政権だ。まるでアメリカのトランプ現象の先取りのように反知性的右翼(しかも新自由主義傾向を深めながら)政治が跋扈している。
 それでも、最高裁がJRの認知症老人家族への賠償請求を却下したのはいささかの救いではあった。いろいろと議論の組み立て方はあるだろうけど、一言でいえば徘徊を繰り返す認知症老人が起こした事故で、介護している家族の責任を問うのは「酷」ということだろう。市民感情としても「そりゃそうだ」という感じである。
 ちなみに電車への飛び込み自殺などのケースでも鉄道会社側の請求は本人に対して行われるので、事実上形式的なものになるということらしい。しかし、このケースは「介護」の責任を問うているのである。うちの場合は母が車いすだから徘徊のリスクからは本人も介護者も免れている。「幸運」と言うべきなのか?
 九大の研究者たちがある町の定点観測を20年にわたって行いながらまとめた研究によると、2025年には認知症高齢者が全国で700万人に達するという。10年後のことである。78才になるはずの自分自身もどうなるか・・・。という近未来のことだ。そういうことを踏まえると、JRが起こした訴訟はなんなんだろうと思わざるを得ない。家族がしっかり見ろよ、迷惑かけるなという「警告」とでもいうのか?
 最高裁の判決では請求が却下されたが、その判決も民法でいう親族等の「監督義務」責任そのものを否定しているわけではない。家族がその「義務」を怠ったとは言えないということでJRの請求を棄却するという判決に至ったにすぎない。しかも、1,2審ではJR側が勝訴していたのである。認知症患者が700万人になる時代にはその他の介護を要する高齢者を含めると国民の10%に達する人が介護を必要とすることになろう。現状の倍である。不幸な事故が頻発するかもしれない。その一々について家族の「監督義務」を真ん中に置いた議論しかできない国、社会は不幸きわまりないと思う。そう思うと気持ちがさらにざらつく。

老人ホーム殺人事件

先週末の金曜日から日曜日までショートステイを利用した。「泊りに行ってくれるか?」と聞くと、「行くで、行くで」と言うが、本音はあまり好きではないことはよくわかっている。しかも、たった2泊3日で家に帰ってきても自分の部屋に連れて行くまで、まるで初めて来たところのように「ここはどこ?」状態である。
 だから、行く方も行かせる方もストレスには違いないのだが、やはり束の間の解放感が欲しくて基本的に月一回の利用を「強いて」いる。預け先は比較的広い同一敷地内に介護付き有料ホームとグループホームを運営している会社である。ショートステイはグループホームに併設されており、割と広いスペースが用意されている。「いよいよ」という時が来たら、このグループへ入居も考えている。併設の有料ホームの方は5階建てのワンルームマンション風である。おそらく150ー200室ぐらいだろうか。
 最近はこの手の有料ホームが「激増」している。かつての有料ホームはリゾートマンションかと見まがうような立地や建物だったが、入居金も2ー3000万円から億近くと高額だった。しかし、近年のそれは入居金は300万円程度から無しまでで月々の利用料も平均すると食費込みで20万円前後のところが圧倒的である。いわば、平均的な高齢者が年金で生活できる範囲でというコンセプトだ。しかし、そんなふうに新設された有料ホームはこのあたりでは案外空き室が多いようである。入居者募集の看板を掛けっぱなしのところもある。利用料の問題か、あるいはホームへの信頼という点で本人や家族が利用を躊躇しているのではないか。
 圧倒的な高齢社会の到来は、いろんな企業にとって新たなビジネスチャンスととらえられ参入が相次ぐ。しかし、それとともに介護に従事する人材が質量とも追いつかない実態がますます露わになってきた。川崎で3人もの高齢者を殺害した事件を起こすような輩は論外だが、あちこちで虐待や虐待まがいの事件が頻発しているのも事実だ。それは今になって始まったことでもなく、高齢者虐待防止法が施行されて10年になる。家族による虐待も少なくないが、施設内のそれも繰り返されている。利用者サイドにはそういう警戒感がぬぐえない。
 今、500万人を超える人が介護保険の受給者となっているが、我々団塊世代が10年後に後期高齢者になる頃には多分1000万人というオーダーになるだろう。九州大学の研究では700万人の認知症罹患者が発生するともいう。このまま手をこまねいていては社会が「底割れ」するように崩壊するのではないかと恐ろしくなる。
 去年の安保法制審議では盛んに「国の存立危機事態」が取り沙汰され中国の脅威や朝鮮半島の危険が喧伝された。しかし、そんなシュミレーションより、高齢者介護及び社会保障全般の崩壊による社会の存立危機事態の方がはるかに現実的である。川崎の事件の報道を見聞きしながらつくづくそう思う。

株の乱高下に思う・・母の三原則

 今日は日経平均が16000円台を回復したとか。1000円以上上がったらしい。日銀のマイナス金利発表以来下がりつつづけていたが、今日は急反発したという。株価も他のものと同様に「需要と供給」の関係で値段が上下するものだろうと思う。多くは「投資家(機関も個人も)」の動向に従うものだから、株と国債と為替相場、あるいはその他の投機対象の間をぐるぐる回っているのだろうと素人は思う。
 株でも売られる株と買われる株の間を金が行き来をしているにすぎないのでは。しかし、株価や円相場は新聞テレビのトップニュースになったりするほど毎日重大事として扱われる。円相場に一喜一憂し株価の値下がりが「心配」という。全く株に興味もなくもちろん買ったこともない我が身にとっては「何が?」と思うばかりだ。
 株や投機的商品に嫌悪とまではいわなくても忌避的感覚さえあるのは何故か?と考えてみると、おそらくは子どもの頃にさかのぼらなければならない。物心ついたというか周りの大人の言っていることがおぼろげにわかるようになったのは小学校の高学年だろうか。昭和でいうと30年代前半の頃。世の中はさして豊かでもなく、多分それ故にだろうが「拝金主義」はむしろ排除されたように思う。「金は汚いもの」とさえ言われていた。「なんで?」と聞くと、世の中をぐるぐる回っている間に「誰が触ったかわからない」からだと教えられた。今、思うとそれは単に「生理的に不潔」というだけでなくもっと寓意に富んだものだったのかもしれない。
 今では、すっかり「おとぼけ」婆さんになってしまった母から、子どもの頃によく言われたものだ。人間にとって大事なことは 峇脅佞凌瓦鯔困譴覆気鵑福廰◆崋磴いΔ舛龍賚は買うてでもしなはれ」「上見て暮らしたらアカン、下見て暮らせやで」の三カ条だと。いまでも、すっかりそらんじているのだからこの年になるまで何度か「成るほど」と思ったのだろう。
 だからというわけでもないかもしれないが、株価とGDPが世の人々の幸せを測る指標のように言うこの頃(いつ頃からだろう?バブル期はまさにそうだったし、今日でも例えば安倍政権の求心力はそれに頼っているように見える)の風潮にはざらざらした感覚がつきまとう。
 ひるがえって「共生社会」という言葉に未来を感じるのだ。今となっては、あまりにもアイロニーだが、この言葉が政府文書に初登場したのは小泉内閣当時の「障害者基本計画」だったように思う。安倍政権にはあまりにも似つかわしくない言葉だけど、21世紀の始りの頃に頃に「流行った」共生社会をもう一度踏みしめたい。母の教えはそういうことかと我田引水。
 
 

久しぶりに吐き出してみるか。

最近は、ブログが10日に1回ぐらいになった。以前は、義務のように最低週1ペースだったが。ネタがないかといえば、そうでもなく本来の「介護日誌」なら、老々介護の愚痴はいくらでも書けそうだ。「得意」の社会ネタでの怒りやボヤキもほとんど毎日イラつくニュースばかりが目につくばかりだし・・・。
 とにかく大きな顔をして平気で嘘をつく奴が多すぎる。その権化はもちろん安倍晋三だが、彼の場合は自分がつくりだした虚構を信じているからなお質(たち)が悪い。その最たるものはアベノミクスと安保法制(憲法改悪)だ。
 日銀がマイナス金利・・。これがどういう意味かホントはよくわからないのだが、黒田総裁は黒田バズーカと称される「異次元の金融緩和」を行った、3年前には「2年で物価を2%上げて見せる」豪語したはずだ。つまり、自信満々にデフレから脱却するという約束だった。そして実現できないときは「責任をとる」と言ったはずだ。
 マイナス金利の導入とは、それが思惑通りにいかないことの証明のように思うけれど、現に「奇策」と評されているではないか。金融緩和によってどんどん資金を流し出すが、銀行はそれを融資に回せない。需要がないのだ。業績が空前の好調を迎えていると言われる大企業も設備投資をするどころか、内部留保を積み上げるばかりのようだ。もちろん「不景気」にあえぐ中小企業は投資どころではない。銀行だって、そんな危うい中小企業にカネを貸さずに手堅く国債でちまちま稼ごうとしているようだ。銀行が日銀や政府のいうことを聞かないのではなく、実体経済がそれだけ悪いということだろうと素人ながらに思う。安倍内閣の3年間は実質賃金は下がる一方、それでも「新だか珍だかの3本の矢」とかを得意げに語ってみせる。それを予算に反映するならまだしも・・。社会保障予算は自然増にさえ対応しない。何が「介護離職ゼロ」だといいたい!将来に不安を感じる人々が消費に消極的なのは道理というもの。
 そんなアベノミクスの破綻がはっきりしてこようという時に、その批判の矛先をかわすかのように、お得意の安保論議である。彼らのいう「憲法改正」に必死にこだわっている。中国が今にも攻めてきそうと煽っていたが、今度は北朝鮮のミサイルか?。確かに何をするかわからない国だが、冷静にみればあの技術を「軍事的に実用化」するには相当時間がかかるそうだ。それを踏まえれば、北朝鮮が「ワシントンを火の海にできるゾ!」と力むより先に、テレビに出てくる軍事評論家がそういうことをいうのは奇異にみえる。しかし、その論調の下で、安倍内閣はアメリカのご機嫌を取るように先棒をかつぎたがっているようだ。もはや、自民党中枢は軍事オタクと化したのか。
 自民党といえば、前回、前々回の選挙で大量に当選した若い世代の議員の質は相当酷そうだ。ボスの機嫌を取るようにSEALD's批判をやって見せた奴が議員宿舎をラブホテルのように使っていたとか、イクメンを気取っていた奴が妻の出産入院中に女性タレントを自宅に引き入れていたとか・・・。金の問題で立ち往生した安倍内閣の「司令塔クン」のオロオロした大臣辞任会見が可愛いく見えるぐらいの破廉恥さだ。
 こんなことを書きなぐっても溜飲が下がったというわけでもなく「引きこもり気味老人」の明日が続く。
 
 

人生初体験・・ライブハウス

 昨日、一昨日と2日にわかって以前にいた(社福)のイベントに出かけた。初日の土曜はライブハウスのロック。
出演バンドは障害のある人も混じった「福祉」系バンドが2組とプロのシンガーソングライター。たぶん50人ぐらいはいれば一杯になりそうな場所に100数十人がぎっしり、もちろん椅子は基本的に用意されておらず立って応援しながら聞く(というより一緒に体を揺らす)というのが流儀らしい。確かに大音響に包まれていると何となく体をゆすってしまうし、拍手というか手拍子も自然にでてくる。
 こういう一体感のようなものがいいのかもしれない。演奏の上手い下手より、どれだけ会場を煽る熱気を出せるか、あるいは観客の煽りにステージの演者が応えてそれを上回れるかということらしいと思う。2時間が終わるともうヘロヘロになってほうほうの態で帰路に着いた。人生初のライブハウスロックを堪能。
 昨日は前日のイベントを受けて行われた、フィンランドの「障害者」ロックバンドに取材したドキュメンタリ映画の上映会に行った。3度目の鑑賞だが、とてもいい。「Punk Syndrome」というタイトル、ツタヤにもおいてあるそうだが、彼我の文化の違いを考える。そのバンドを聞きに来てるのが服装、髪型、雰囲気などいかにもパンクな連中というのがいい。日本の不良たちは「障害者」のバンドのライブに押しかけてきて一緒に吼えるなんてことしそうにない。

耳障りな「一億総活躍〇×・・」

 年明け早々に開会した国会で「論戦」が始まった。先ずは補正予算案が可決成立。あのアホみたいなバラマキ給付金も参院選挙前に支給されるんだそうだ。もう、公然たる買収というほかはない。これも「一億総活躍社会」関係だと??。来年度の予算にもこの「一億総活躍」関連がずらーっと並ぶ。
 この文字を見るたび聞くたびに「イヤァ―な」感じに襲われる。嫌いというより不快感がきわめて強い嫌悪感情とでも言おうか。そもそも「一億総何とか」という「熟語」が使われ始めたのは、知る限り戦中の「一億総特攻(玉砕)」という死ぬまで戦え!という戦争指導者たち(こいつらの多くはのうのうと生き延びたばかりか例えば岸信介=安倍首相の祖父のように首相にまでなった)の煽動に始まり、敗戦後には「一億総懺悔」といって、みんなで反省しましょうと戦争責任の追及を曖昧にした。やがて来た高度成長下では「一億総中流」という言い方も流行ったし、浮かれる世相に対して「一億総白痴(当時のママ)化」という言葉もあった。
 つまりロクな使い方がされてこなかった「熟語」である。特に戦前の「一億総・・」のように政府が旗を振る場合は危険な臭いもする。それを、今日このように持ち出し、担当する大臣まで置いた安倍政権の「センス」ってなんだ!?。予算案を書く省庁の官僚も伝えるマスコミもこの文字を書いたり口にしたりする時、各々がもつ言葉に対する感性がざらつかないだろうか。あるいは自分がばかになったような気がしないだろうか。
 「一億総何とか」をいう政権は、だから平気で「希望出生率1.8人」と言ったりする。戦時中に「産めよ増やせよ」と国民を脅したのと同じだ。出生率の低下の大きな要因に子育て支援策の不毛など社会制度への不安があるのは周知のことだ。にもかかわらず、来年度予算だって、保育の受け皿のためには368億円しか増額しないのに、高齢者へのばらまきには3500億円を費やす。低年金の高齢者がもらった30000円を消費することが「活躍」か?第一、貧しさを強いられている人たちは「使うよりも後のためにとっとこう」と思うだろうし・・・。
 もうアホ臭くて批判をするのも嫌なほど。やはり、その座から早く引きずりおろすしかない政権だ。

侮りがたい安倍内閣の「決意」ともたらされる危機

新年が明けてもう6日。町のどこにも「正月らしさ」もない、年末には「今年も残すところあと何日」というフレーズがよくきかれたが・・今日で「今年も残すところあと360日」とくだらないことも言いたくなるほどだ。平均寿命まで生きても、残りはあと10年とちょっと、日数にすれば4000日程度、時間でいうと10万時間、多いのか少ないのか?
 いずれにしても、あまり生産的な日時の過ごし方をしているとは言えないようだ。しかし、こうしてぼやいている間にも、国会前に人は集まり、新宿西口ではSEALDsの呼び掛けた街頭行動に5000人もの人が来たという。始まった国会では安倍首相は「改憲への意欲」を語ったそうだ。夏には参議院選挙あるいは衆参同時選挙かもと言われる重大な政治的局面を迎える。そういう年なのだ。
 年末に慰安婦問題で日韓で大きな「合意(妥協?)」がなった。安倍内閣は「慰安婦について『軍の関与』を認め『反省と謝罪』」を表明した。アメリカの強力な圧力があったことは容易に想像されるが、それでもこれまで頑なに否定してきた軍の関与つまりは国家として責任に言及し加えて反省や謝罪を口にしたことは注目すべき変化である。ある意味大きな妥協でもある。消費税の問題でも見せたように彼らはどんな駆け引きもやってみせる。
 しかし、安倍内閣は改憲という、それはアメリも待ち望んでいることだが、大目標のためには心にもないことも平然と言ってのけるという「政治的覚悟」を見せた。彼はもはや改憲パラノイア的に本気だと思う。
 それに対して最大野党の民主党はどうか?分裂した維新は論外だが、民主党の内部にも改憲を期待する右翼的な勢力は少なくないし・・それ故に、共産党の提案する反安保の野党連合結成にも「戸惑いうろたえる」姿を見せるばかりだ。安倍の「度胸」の前に、頼るべきリベラルはあまりにもひ弱く見える。
 もはや、民衆の力で押し返すしかない。安保法制は言うまでもなく原発に対しても反対もしくは批判勢力は国民の多数だ。今年、その力を見せることを祈り、自分もその一員になろうと思う。

新年早々・・・

 2016年を迎えた。正月といって取り立てて思うところがあるわけではないが、今朝のばあさん情報。
 母親と二人きりの元日を迎えるようになって、もう10数年になるが、2008年の1月1日の朝8時半に台所に倒れている婆さんを見つけて丸7年になった。あれ以来はとりわけ何ということもない元日である。
 とはいえ、「生きているうちは・・」と思い、かねてからの習慣である、「にらみ鯛」という大きな鯛の塩焼きと鰤の雑煮は毎年魚屋に注文して欠かさないようにしている。明日2日は娘夫婦と孫に加え弟夫婦が甥たちを連れてくるので新年会、これもずっと続く習慣である。
 しかし、今日も驚かされた。それらに加えてお節料理(ネットで取り寄せ)などを並べていると「えらいごっつぉう(ご馳走)やなぁ」というので「まぁ正月やしな」と返すと「きょうは正月か?」と聞き返す。昨日まで何度も「もうすぐ正月」といい、今朝も起こす時に「お正月やで」と声をかけたのに・・・。彼女にとってみると年末年始は「なぜか、学校(デイサービス)が5日間も休みになる退屈な日々」にすぎないのだろう。
 そして食卓の会話の続き「今年は96になるなぁ」と言うと「ほんまやで。もういつ死んでもええのに、はよお迎えに来てもらいたいわ」といつものセリフ。ついついこちらも「そやな、正月やから神さんに改めて、よう頼んだらええわ。」と返しておいた。

そうそう来られへんわなぁ!?

 先週の金、土と夜に予定があったので、2泊3日でショートステイを利用した。日曜日の午後に迎えに行くと待ちかねたようにニコニコしながら手をあわて「ありがとう」という。職員さんたちが「風邪ひかないでね」とか「また来てくださいね」と口々に言うが「こんなとこまでそうそう来られへんわなぁ」と言っている。「こんなトコ」発言は前回についで2度目だが、「どういう意味や?」と問いただしたい気もするが、聞こえないふりでスルーした。
 記録には「夜もよく寝た」とか「食事も完食」とか・・問題なく過ごしたと書かれているのだが。まぁ、いずれにしても夜は一人で置いておくことが難しくなっているのだからと割切るほかはない。こんな時は「こんなに長生きしてしまったのだから、あんたも多少辛抱してくれ」と言ってやりたいところだ。
 とにかく、今年も無事に年を越して来春には96才になる。食欲は相変わらず旺盛だし、風邪もひかない。そういえば来年は申年で年女だ。ますます元気になるかも・・・?

SEALDsのリーダーのバックボーン

朝日新聞は土曜日の朝刊に"be"という別刷の付録がついている。そのトップ記事は「フロントランナー」という人物紹介の連載である。今日のフロントランナーはSEALDsの代表的メンバーの奥田愛基君(親しみを込めてそう呼ばせてもらいたい)である。夏から秋にかけての若者たちの反安保法制デモで一躍有名になった彼だが、私もその彼に尻を蹴とばされらたような思いで国会前に駆け付けた一人だった。
 今日の記事によるとその奥田君のご両親は北九州市でホームレスの人たちの支援に打ち込む奥田知志牧師夫妻だそうだ。奥田牧師の活動については、つい先ごろ読んだ「助けてといえない・・孤立する三十代・・」(NHKクローズアップ現代取材班・文春文庫)で詳しく紹介されており、強い印象があった。もちろん奥田父子には一面識もないが、SEALDsの奥田君があの奥田牧師の息子だったのかと感じ入るものがあった。
 奥田君は、いじめや不登校を経験し転校した沖縄の中学から島根の山奥の全寮制の高校に入学するのだが、そこで元BC級戦犯であった飯田進氏の講演に触れることとなる。その経験が今日のSEALDsにつながっていると奥田君はいう。私自身もこの30年間ほど飯田進氏に「私淑」してきて、つい先日も療養中の氏を見舞った際に、氏の近著「昭和の闇を生きて」(不二出版刊)に紹介されている島根県の高校生たちとの交流のことがあったが、その一人が奥田君であることについて話をしてきたばかりだった。もちろん、今日の記事にもそのことが紹介されていて改めて感慨を深めた。飯田氏はご子息(故人)がサリドマイド被害者で、そのことをきっかけに実業界から障害者福祉の仕事に身を投じられ、その面でもさまざまなことを教えていただいた。しかし、そうしたつながりよりも、むしろ戦後にBC級戦犯として死の淵に立たされた自身の体験を基にして戦争の無残を暴きながら「戦争責任」に関する氏の著作や論考に影響を受けてきた。
 飯田氏は執念のようにこのことを声にしてきたが、孫よりも若い世代の奥田君たちに受け継がれていることを喜びたい。奥田君は、この人は「絶対に伝わらない戦争体験をあきらめずに伝えようとしている」と氏を評し「絶望を抱えながら希望を語る人」だと思ったという。90も半ば近くになり体の自由もきかなくなった飯田氏だが、こんな時代にあっても、氏に学び行動に立ち上がる若者が登場したことにどんなにか心強く思っておられるか。と同時に戦争体験を親からではあっても聞いて育ったはずの我々の世代のふがいなさを恥じる。
 SEALDsは来年の参議院選挙まで活動し続けるのだそうだ。戦争への反省どころか嬉々として軍事態勢を整える安倍自民党に痛打を浴びせたいとの思いだろう。「お前が頑張れ!」といわれそうだが若者たちにエールを送りたい。

極「右」勢力のポピュリズムはどこまで?

 フランスの一斉地方選でルペン(娘)が率いる国民党が得票率でトップに立ったかと思うと、アメリカの共和党の大統領候補指名争いでトランプが断トツのトップだという。両者ともに名うての右翼あるいは極右といわれれている。こうした世論の動きの根底には「テロ」への恐怖や不安があるのだろうが、その対応策として移民の排斥やイスラム教徒への警戒心をあおることだけのように見える彼らに支持が集まる現状は我々に想像がつかない切迫感があるからだろうか。
 こうした強硬な姿勢、しかも国家主義的な政治家がもてはやされるのは、ロシアでプーチンが圧倒的な支持を集めているとか中国の習近平そして日本の安倍首相と・・あたかも世界の趨勢のように見える。そしてイギリスの首相もフランスの大統領もその「空気を読む」かのように先を争うようにISとの戦争に乗り出していく。ポピュリズムが世界を支配しているように見える。
 中国の脅威を振りまきながら、中国や韓国あるいは北朝鮮への「反感」をあやつり安保法制をごり押した安倍政権は、今度は消費税率で公明党とわけのわからない取引をし1000兆円を超す借金にまみれた日本の財政を顧みることなく来年の参議院選挙に向けた買収まがいを行っている。低減税率とやらで必要になる1兆円の財源は消費税率アップを担保にする社会保障費を削減するのだろう。何が「一億総活躍」だ!!

消費税論争のその先に

 再来年まで先延ばしされた消費増税をめぐって自公政権内部で内輪もめしてる。UP時の軽減税率を生鮮食品に限定するか加工食品まで拡大するかという争いだという。
 安倍政権はそもそも本来なら今年の10月に10%にするべきところを再来年の4月に延期したのだが、税率UPをめぐっては今や公明党の「金看板」ともいえる軽減税率に配慮してこの騒動になった。どっちもどっちで、どうでもいいという気がする。
 平均的にそれぞれの家庭で消費する食材費はどれほどだろうだろうか?一人頭平均で年に20-30万円程度か?更に生鮮と加工とに分けるとその半分ずつ、つまり年に税額にすると所帯あたり3000円前後の増加で、近ごろの物価の値上がりの方がよほど大きいのではないか。何しろ景気ケーキと年中クリスマスのようなことを言う安倍政権だから、なんでもかんでも景気回復にとって有利か不利か?だが、この程度で腰折れするようなら基本的に経済成長に頼る経済運営そのものが信用できないということだろう。公明党も安保法制で自民党の言いなりになって失った「平和の党」の信用をこんなことで回復できると思っているならアホだ。
 一方、政権は財政審議会を通して社会保障費の事実上の削減方針を打ち出した。高齢化に伴い必然的に増加せざるを得ない社会保障費を来年度から向こう3年間で増加分のうち5000億円を抑制するという。これは税の投入分だけだから、地方や本人が負担する分を勘案すると3年で1兆5000億円にも相当するとみられる。民主党政権時代に自公民3党で合意した「税と社会保障の一体改革」では、国民に負担増を訴えるが社会保障体制を守っていくという合意だったように思う。各種の世論調査でも国民は社会保障の持続可能性を担保するためなら負担増に応じるといっている。誰もが高齢社会がもたらす将来への不安を感じているということだ。
 だが、安倍政権にとって国家の大事は米軍と組む「安全保障体制」だけのようだ。今回の消費税をめぐる自公の対立の一方でまたもや税率UPに対応する「給付金」をばらまくという、1千数百万の人に支給するために、しかも再来年の税率UP前の来年にもばらまく3500億円程度を予算化するという。来年の参議院あるいは衆参ダブルかもといわれる選挙目当てであることは明らかだ。こうして公然たる買収を行って、選挙に圧勝した後に安倍首相は「このために政治家になった」と思い定める憲法「改正」に取組むのだろう。
 いつも思うのだが、中国が尖閣諸島を占領する可能性(あの無人島に上陸したいならさせてやってもいい)よりも、近い将来に社会保障体制が崩壊する危険性の方がよほど現実的な「国家の存立危機事態」だ。
 久しぶりにブログを書こうとするとやっぱりこういうことを言いたくなる。

姉が来てくれている。

  しばらくブログから遠ざかっていたら、11月も末日近くになった。もう師走が目の前である。月日があっというまに過ぎ去っていく。先週の木曜日から姉が来てくれている。明日には帰る予定だけれど、こうして季節に1回は母を見舞いがてらリリーフに来てくれる。信頼できるセットアッパーというところか。しかし、この中継ぎ投手も75才を過ぎて超ベテランになってしまった。
 彼女が生まれて3月しか経たぬ時に父が徴兵され、それから復員するまでの6年間を母娘で暮らした。終戦の前後は外地にいた父からの連絡も途絶え生死もわからぬままだったという。姉はおぼろげに神戸を襲った空襲の恐怖をおぼえているといっていた。だからか、この二人は基本的に仲がいい。姉が嫁いでからも家も近いということで、父が死に母が埼玉に来るまでもずっと行き来をしていたから女同士一層気が合っていたようだ。そんなふうだから姉の来訪をいつもとても喜ぶ。一番うれしいのがスーパーに行って、甘いものを欲しいだけ買ってくることだ。今回もしこたま買い込んできたらしい。
 確かにデイサービスに毎日行くけれど、それ以外には通院ぐらいしか外に連れ出さない。もうずっとそうだ。スーパーはうちから200メートルぐらいだからたまには連れ出してもいいと思う、あるいは連れて行ってやってもいいはずだが、そうしない。なんだか頭もすっかりハゲちらかしているジジイが車いすを押して母親と買い物に来ている図を思い浮かべると「絶対に嫌」なのだ。そのうえ、すっかり耳が遠くなった母と話をするために耳元で大きな声で、しかも関西弁で喋らなければならない。家の中で話すのさえ疲れるのに、外でまで「絶対に嫌」なのだ。
 だから、しばらくぶりに来た姉が「スーパーに行く?」と誘うと、たちまち相好を崩す。そのくせ1週間前ぐらいから今度の〇曜日に姉ちゃん来るで・・といい、明々後日に来るで・・明後日に来るで・・明日来るで・・今日来るでと毎日言わなければすぐに忘れる。でも、その都度、喜ぶので毎朝幸せな気分になれるからいいのだと思う。明日の午前中に姉は帰るので、夕方デイから帰ってくるともう姉はいない。いつもそうなのだが、まるで姉が来ていたことなどなかったようにケロッとしている。これは忘れたというよりは『帰ってしもたと思うと切ないから、なかったことにして諦めよう』という演技かも知れないが。その姉も後期高齢者である。3カ月に1回の来訪もいつまでもあてにできないと思うとこっちもなんだか心許ない。
 

復讐劇は世界を救うか

 フランスで大規模な「テロ」攻撃があった。たくさんの人たちが犠牲になった。お気の毒に・・としか言いようがない犠牲だ。オランド大統領は直ちに「戦争だ」と発言し、空軍に大規模な爆撃を開始した。そこへ、これまでしばらく鳴りを潜めていたアルカイダ系がマリでホテルを襲撃したと伝えられる。世界は一体どこへ行こうとしているのかと暗澹たる気持ちになる。
 だが、ここでしっかり踏みとどまって考えなければならないこともある。「戦争だ」というオランド大統領の発言だが、あの9.11の際のブッシュ大統領があろうことにも「リメンバーパールハーバー」といいながら報復戦争を煽ったことを思い出す。やがて、それがアフガンそしてイラクへと戦火を拡大して今日につながっているようにも思える。では、あのまま手をこまねいていたほうがよかったのかといえば、ビンラディンがほしいままにテロを繰り返したいう見方もあるだろう。しかし、あのような戦争というかたちをとることしか道はなかったのか、アルカイダの攻撃を阻止する方法をアメリカが他に全くもっていなかったとは思えない。世界中にくまなく張り巡らしたCIAなどの情報網とこれとリンクした局地戦のための兵力はすごい(褒めているわけではない)。先年、アカデミー賞をとった「ゼロ・ダーク・サーティ」という映画はビンラディンを殺害するまで経過を描いた映画だった。アジトを急襲する部隊が現場を撮影しながら、その画像がリアルタイムで例えばホワイトハウスにも届けられるという驚くべき「力」を見せつけた。
 9.11以降のアメリカは戦火を次々に拡大していったが、今回のフランスも「戦争だ」といいつつ宣戦布告もなしに他国を爆撃する。戦争の定義に著しく沿わない、この乱暴なやり方が、返す刀で国内に向けられると情報の管理や秘密主義となり、武力行使に異を唱えたり批判する勢力は治安と称する弾圧の対象になる。
 国民の受けた衝撃を確かに大きいが、それに迎合するあるいは利用するように報復のための「戦争」を呼びかけることで、問題は解決するのか。今回のフランス軍の空爆によってもISの兵士だけでなく巻き添えで死んだ民衆(女性も子供もいるかもしれない)は少なくない。これまでの米軍や有志連合の空爆でもいったい何人の無実の人が殺されただろうか。誰かが言っていた「テロリストを孤立させべきところを無差別の爆撃はかえって人々をテロリストの側に追いやってしまわないか」と。
 それと、この乱暴なやり方をサルコジ元大統領から政権を奪回した社会党政権のオランド大統領が推進するを見ると、グローバリズムが荒れ狂う世界でヨーロッパの伝統的な社会民主主義復権への期待も醒めてしまい、がっかりもするし、西欧社会の博愛精神も所詮は内向きのものでしかないと怒りも感じる。
 我が国でも、いま、もし尖閣あたりで、中国と衝突でもあればナショナリズムが煽られ、「国を守れ、命を懸けて戦おう」というスローガンが叫ばれることになるのかと懸念する。
 
 

帰還兵たちのその後の物語

先日,「帰還兵はなぜ自殺するのか」(D.フィンケル著、亜紀書房)というノンフィクションを読んでイラクやアフガンから帰った兵士たちの苦悩に思いを馳せたところだった。200万人にのぼる帰還兵の1/4がPTSDなどの戦争後遺症に悩まされているというが、ではベトナムは?と思いがめぐり「ベトナム戦争のアメリカ」(白井洋子著、刀水歴史選書)を本棚から取出しじっくり読んだ。「帰還兵は・・・」にも未だに治ることのない精神障害を抱えた老帰還兵の話が出てくるが、「ベトナム戦争の・・・」にも戦死者(58000人)をはるかに上回る自殺者が帰還兵の中から出たことが触れられている。終結から40年経った今日でもそれは続いているという。
 大殺戮戦争となった第一次世界大戦のさ中に「戦争神経症」はさまざまな診断名で兵士たちの中に広まった。いったん罹患した彼らの戦争は彼らが死ぬまで終わらない。取材した戦争は時代も場所も違うが、二つの著作共にそんな兵士の姿が描かれている。アメリカは第一次世界大戦、第二次世界大戦をはさんで結局ずっと戦争をし続けている。遡っていくと、イラク、アフガン、湾岸、ベトナム、朝鮮といわば大規模なすべての戦争にあたって世界中に兵士を派遣してきた。正確には自らの意図で戦争を引き起こしてきたというべきだろう。そんなアメリカ社会は巨大な軍事産業を育ててきたばかりか、いわば常に戦時体制で反戦平和の言説はあらゆる意味で抑圧されてきたようにも思われる。「国を守るために死んでいった」と兵士について語られるとき、例えばベトナムで女性や老人、子供さえも無差別に殺すことがいかなる意味で「祖国を守る」というのかという批判的理性は置き去りにされがちになる。我が国もイラクに自衛隊を派遣した結果、帰還した隊員が精神を病みあるいは自殺に至ったケースは少なくないという報告がある。あの戦争への「参加」も「国際社会における我が国の責任と義務」が理由であった。
 戦後70年の「平和」の下で身近に戦争を感じることがなかった人口が圧倒的に多くなった。終戦時に物心がついていて何らか戦争の記憶を持つ人のパーセンテージは一桁でしかない。現役の政治家もそんな世代の人は希にしかいない。もちろん現内閣は全員戦争を知らない。しかも彼らは何があっても戦場に立つ可能性などない人たちである。
 どんな本でも媒体でもいい、戦争の実相を理解するための努力をするべきだ。我々はそのようにしてしか戦争がもたらすことを知るしかないのだから。
 とりわけ、無理やり安保法制を通し、やがて憲法改「正」を企んでアメリカとともに軍事行動に出ることが国の未来のために必要だと考えている政治家がおかしくなってしまった頭の中を何とかするために。
 
 
 
 
 

昨日から今日‥

 このブログ、もともとは映画評論風に(障害者)福祉についてゴチャゴチャと、だから「カチンコ福祉考」だった。しかし、7年前に母が脳梗塞で倒れ「老々介護」みたいな日々となり、「老々介護日記風に」と改題してみた。しかし、最近は介護のことより「安倍内閣を象徴とする戦前回帰型右翼ナショナリズム」に対抗しようと、「ネトサヨ」さながらに思いを吐露してきた。
 ここへ来て母親の状態があまり良くなくなって、ちょっと大変という事態を誰かに聞いてほしい的なことを書くと「勇ましい?」政治的主張を書くことが遠のいてしまうような気がする。安倍政権の動向に関しては実はほとんど毎日のように腹立たしい日が続くのだが、それでも身の回りに起き実際にいやでも体感していることに追われていると、ついつい政治や社会が遠ざかる。こうした隙間に民主主義を脅かすさまざまな動きや事柄が入ってくることに反応することが鈍くなる。
 昨日、朝から母が「膝が痛い」としきりに訴えていた。顔をしかめ時々「痛ぁー」と叫ぶように言う。ただ、ベッドからの車いすへの移乗はいつも通りに痛がらずにできるので、「また、気をひいてやがる」とは思って、デイに送り出した。それから2時間もしないうちにデイから電話があり、「とても膝を痛がっておられますが」という電話があり、「ご本人さまが息子さんを呼んでほしいといっておられます」とのこと。仕方がないので車いすを載せられる軽のバンでデイサービスに向かう。
 「帰るか?」と聞くと半泣きで「帰る」と訴えるので、早退して連れ帰る。家に帰ってもしばらくは「痛い、痛い」と大げさである。とりあえずベッドに行かせ寝かせるとおとなしく12時過ぎまで寝ていた。目を覚ました様子なので「お昼を食べるか?」と聞くと「うん」と普通に食欲もある。卵のサンドイッチ(スーパー)と小ぶりのバナナ、ミルクティーの昼食を食べる。「痛いか?」と聞くと思い出したように「痛いで、なんでやろ痛いわぁ」という、「今日は休日で病院も休みだし、明日になったら病院に行って診てもらおうか。検査して、痛いのが治るまで入院するか」というような話で鎌をかけると、案の定「いやや、いやや病院はいきとうない」という。「痛みがあったら辛いやろ、まぁ明日まで様子見よか。」と、完全に意地悪な気持ちになる。午後は自室でテレビを見たり、少し寝たりしていたようだ。夕方はいつも通りヘルパーが来て夕食も済ました。ヘルパーが帰った後、母の部屋に行ってみると割とさっぱりした顔でテレビを見ている(この頃は耳も聞こえず、中身がわかるのは天気予報ぐらいなのだが)。
 「まだ、ひざは痛い?」と聞くと「この膝は仕様がないねん」と右膝をなぜながら言う。軽いけれどマヒが残る患側の膝のこと。少し会話を続けると「膝が痛い」と大騒ぎしたこともデイを早退したこと(もちろん、迎えを呼んだこと)もすっかり忘れていた。あるいはしらばくれていた?もともと膝が痛いというのも学校に行きたくない子供がお腹が痛くなるのと同じだとは思っていた。実際、デイのことを彼女は「学校」というし。しかし、大好きなデイに行きたくないと思ったのは先週末の金-日にかけてのショートステイのことがあったのではないかと推測している。いつものデイサービスなのに、また「『泊り』に連れて行かれる」と混乱していたのかもしれない。
 ホントに膝は痛かったのだろうけど、そもそも口ほどでもないのだ。だんだん難しい年ごろになってきた。
 

こんなトコ・・・

 今日、明日と夜の付き合いがあるので2泊の予定で母をショートステイに連れて行った。今週になって、毎日「今度、(明後日、明日、今日と変わるが)また泊りに行ってな。」と頼んでいた。その都度、初めて聞いたみたいな顔をして「ああ、いつでも言うてな。行くから」と機嫌よく返事をしていた。そして、今日10時すぎにショートの施設まで連れて行った。もう、この1年、おおむね月1度ぐらいは来ているのだが、「こんなトコ知らんなぁ、初めて来たわ」とこれもいつも通り。こうして建物に入ると職員が愛想よく笑顔で「いらっしゃいませ」といいながら迎えてくれる。
 「なんて言うてはるん?」と耳が遠い母が言うから、耳元で「いらっしゃいだって」と伝える。こんな時はいつもなら笑顔で「お世話になります」と返す社会性を発揮するのだが、今日は「こんなトコ、来たくないわ!」つぶやくように言い捨てた。
 びっくりである。ショートステイのへ送迎の車の中で、これまで唄うように「いつでも言うてや、いつでも泊りに行くさかいに」というのも嘘くさくて嫌味のように聞こえたが、ついに本音が出たかと・・・。ここのところ、以前より認知がだいぶおかしくなってきたとおもっていたが、こういう本音を吐くのもそのことと関係があるのだろうか。
 先日、導入した見守りカメラは想像以上の性能で、外からのチェックも問題がない。とはいえ、これを母のベッドサイドの小机に置く作業をしているときに「それはなんや?」と聞かれたので「(どうせ説明してもわからないからと)婆ちゃんがよう眠れるようにおくんや」といい加減に答えたのも実は見透かされているのかもしれない。一般論でいえばこういう器具は本人の了解を得て置くべきはずなのに、自分の家の中だと平気で例外にしてしまったことも見抜かれている?そのうえでの本音の披露だったとすれば怖い。

見守りカメラを発注

 ここのところ体がとてもだるい。眠りの質が良くないのは前々からで睡眠導入剤に頼るようになって20年になる。相当に長期にわたって依存症状態。加えて、最近、急速に母の「呆け」状態がすすんで眠りを妨げられることがあり疲れる。それに仕事から解放された日々に緊張感を欠いていて疲れっぽくなっていることもあるのだろう。
 母の「呆け」は認知症的な症状ではなく、年齢相応の物忘れ(30分前のこともおぼえていないこともたびたび)とおそらくそれに関係する「混乱」(大げさに言えばパニック)が目立つようにになってきたのだ。とりわけ、夜、寝入ってから目が醒めた時にそれが起こりやすい。
 以前なら、母の就寝時間(7時30分から8時)に帰れないときは、「少し遅くなる」といっておけば一人でベッドに入っていた。かりにその言い伝えを忘れていても、たぶん「きょうは遅いんやね。」と納得したように眠っているのが普通だった。しかし、この頃は、少し遅めに帰ると混乱したのか車いすに座ったまま呆然としていることがある。そのまま眠ってしまっていることも再々だ。それから、いったん寝入ってから目が醒めた時に、突然「ここはどこ?」という状態になるのか、半泣きで「あーぁ、なんもわからへん、わからんようになってしもた。」と叫ぶように言うとか隣室(私が寝ている)との仕切りのふすまを開けて「もう、みんな帰ってきてるのん?」(この家は母子?二人暮らしなのに)と言うこともあった。
 そこで、この頃は東京とか遠く(?)に用があって出かけても、できる限り早く帰るようにはしている。それでもヘルパーは6時には帰ってしまうので、その時間には帰れないことはしばしばあり、そう長くないが独りになる時間がある。
 そこで、対策を講じなければならないのだが、教えてくれる人があり最近はスマホを使って「見守りカメラ」でモニターができるようだ。値段も驚くほど安くて早速注文した。ICT技術の進歩に「ほーっ」とため息が出る。
 こういう便利さは確かにありがたいが、一方でその故に失われていくものも少なくないと不安でもある。しかし、この際は「背に腹は代えられぬ」である。こういう「妥協」の積み重ねが社会をあらぬ方向に進めるのかもと感じつつ、ネット通販で「見守りカメラ」を発注した。

どいつもこいつも・・・世界恥さらし遺産

 自民党の二階総務会長が妄言。ユネスコの「世界記憶遺産国際諮問委員会」で中国から申請のあった「南京大虐殺関連資料」が世界遺産に登録されることになった。「南京大逆殺」については、そもそもそんな事実はなかったとか犠牲者が30万人というのは大げさなでっち上げだという見解を自民党はもとよりいわゆる右翼や保守派は従来から持ち出していた。そこで、ユネスコに対する資金拠出を辞めるべきだというのが二階氏の主張である。我が国は総額の10%もの資金を提供しているのに、一方的に中国の肩を持つユネスコの態度は許せないというのである。何と愚かな言いがかりであろう。
 確かに南京大虐殺については異論がないわけではないが、当時、南京にいた外国人記者の取材記録などからも国際的に「事実」として認知されている。そのうえ、「虐殺」に関わった旧日本兵からの証言もたくさんある。旧日本軍が記録として残さなかったのは「事実」がなかったのではなく「事実」を隠ぺいしようとしたからと考えるのが常識的というべきだろう。自民党や右派などは、こうした見解を「自虐史観」と言って攻撃してきた。あの戦争を自存自衛の戦いとする彼らとしては都合の悪い真実は決して認めないし明らかにしない。
 一方で今年の世界記憶遺産には「シベリア抑留資料」も登録されることになった。ソ連軍の手によって数十万の日本軍兵士らが酷寒のシベリアで強制労働を強いられ数万人もの人が飢えと寒さの中で死んでいった。その数さえもいまだに確定しないほどの終戦のどさくさに紛れた旧ソ連の蛮行である。これに関しての多くの資料が記憶遺産とされたのだ。これは二階氏にとっては「金の出し甲斐」があるということなのか。
 ユネスコがこれまでにどんなものを登録してきたのかはよく知らないが、カネのことを持ち出して登録の是非を語るなんて・・・あまりに情けない、世界恥さらし遺産。
 
 
 
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