菅総理がついに退陣し、民主党の代表選を経て新しい内閣ができることになった。菅氏はほぼ団塊世代であり、ノンセクト(おそらく)ながら学生運動にも多少なりともかかわっていた。その意味では我々の世代にはある種の親和性があり、なおかつ世襲政治家でもないことで、それなりの期待もあったのだが・・・。仙石氏もそうだが、彼らにはある種の胡散臭さ、それはあの時代の学生運動にあった多数派工作のための党派間の主導権争いが生んだ駆け引きや策略をめぐらすことに溺れる傾向だが、を感じることが多かった。小沢一郎をめぐるさまざまな取り引きにそれは如実に示されているように思えた。菅氏は市民運動家上がりを標榜し、人々はそのことに期待感を持っていたが、多くの場合、運動家は市民(大衆)を操作しようとすることはあっても信頼などしない。しかも、「できる」と見える政治家の本性は扇動家であることが多い。。
これからも残念ながら、民主党政権の混迷はますます深まることになるだろう。何しろ、すべての候補者が「小沢詣で」をするのだから。どう転ぶかわからないが、小沢氏が推す候補が勝てば単なる傀儡だし、非小沢系が勝てば党内抗争は止むところがないであろう。
そんな今朝、我が母のご託宣があった。デイからの迎えを待ちながら居間でテレビを見ていたが、代表戦に出る人の顔写真を並べてニュース解説している画面に「ああ、また選挙かいな。けど、この人ら総理大臣になられへんわ!」という。わかったようでわからないことをいうのは珍しくないが、「あのなぁ、この中から誰かが総理大臣になることは決まってるんやで」というと、「なんでや?誰もアカンで。」ときっぱり。昨日は新聞の一面にある小沢一郎の写真を見ながら「私、この人嫌いや、何でいつまでもウロウロしてはるんや。」といっていたが、その流れからというと、5人の候補者がいずれも小沢氏との距離と取り方を悩んでいるのを見て「みんなアカンで。」発言につながったかと思うとなかなか鋭い。世論の一端である。
ただ、私の「この選挙に勝った人が次に首相になるねん。」という話には、頑固に「なんでや?みんなアカン人やのに・・」と納得しない。面倒くさいので、「はい、はい」と打ち切ったが、これはマスコミ(テレビ)のネガティブキャンペーンの結果というべきか。何しろ、ニュースと天気予報は毎日欠かさず見ているから。それにしても、老い先短い老婆にまで政治的アパシーを感じさせるなんて、「母さん、この国はどこへ行くんでしょうね?」と昔はやったフレーズをもじってみたくなる。
これからも残念ながら、民主党政権の混迷はますます深まることになるだろう。何しろ、すべての候補者が「小沢詣で」をするのだから。どう転ぶかわからないが、小沢氏が推す候補が勝てば単なる傀儡だし、非小沢系が勝てば党内抗争は止むところがないであろう。
そんな今朝、我が母のご託宣があった。デイからの迎えを待ちながら居間でテレビを見ていたが、代表戦に出る人の顔写真を並べてニュース解説している画面に「ああ、また選挙かいな。けど、この人ら総理大臣になられへんわ!」という。わかったようでわからないことをいうのは珍しくないが、「あのなぁ、この中から誰かが総理大臣になることは決まってるんやで」というと、「なんでや?誰もアカンで。」ときっぱり。昨日は新聞の一面にある小沢一郎の写真を見ながら「私、この人嫌いや、何でいつまでもウロウロしてはるんや。」といっていたが、その流れからというと、5人の候補者がいずれも小沢氏との距離と取り方を悩んでいるのを見て「みんなアカンで。」発言につながったかと思うとなかなか鋭い。世論の一端である。
ただ、私の「この選挙に勝った人が次に首相になるねん。」という話には、頑固に「なんでや?みんなアカン人やのに・・」と納得しない。面倒くさいので、「はい、はい」と打ち切ったが、これはマスコミ(テレビ)のネガティブキャンペーンの結果というべきか。何しろ、ニュースと天気予報は毎日欠かさず見ているから。それにしても、老い先短い老婆にまで政治的アパシーを感じさせるなんて、「母さん、この国はどこへ行くんでしょうね?」と昔はやったフレーズをもじってみたくなる。