エレナが両腕を大地の首にまわす。と、次の瞬間、彼女は顔を寄せ、大地にキスをした。
 突然の出来事に驚愕し、相手を引き離す考えすらもうかばなかった。乳房が押し付けられ、甘くも妖しい香りが鼻腔を官能的にくすぐる。
 唇を離し、エレナは笑った。

「セックスでエネルギーが供給できるなら、あんたもそっちのほうがいいでしょ?」
 大地は目をしばたたく。そうして、言われたばかりの言葉を頭の中で繰り返した。
 セックス。彼女は今、そう言ったのだろうか。
 大胆すぎる発言に、大地のほうが恥ずかしくなった。相手を引き離し、大地は声を荒げる。

「なっ、な、なに言ってるんだ! そんな、会ったばかりの相手と、その、セックスなんて……!」
「じゃあ血、吸おうか?」
「いや、それは困る」

 大地は首を横に振る。そんな真似をされて、なにか間違いがあっても困る。大地はまだ死ぬわけにはいかないのだ。

「一年前の宣告と、セックスくらいならあんたでも出来るでしょ?」

 大地の困惑をよそに、話はどんどん進んでいく。

「出来る、けど……でも……」
「ちょっとだけ死神の能力をわけてあげるから、宣告する相手を間違えることはないわ。セックスだって、わたし人間じゃないから中出しオッケーだし」
「お、女の子がそういうことを軽々しく言うんじゃない!」

 実際の年齢はわからないが、見た目だけを見ればエレナは大地よりも年下に見えるので、ついそんな言い方をしてしまった。
 しかし、彼女はテーブルに座ったまま、誘うようにひとももを大きく開く。スカートが短いため、そうされると下着があらわになった。

「なによ、真面目ぶっちゃって。私のここに入れたいって、思わないの?」
「やめろ! 足を閉じろ!」
「おっぱいだって……大きいわけじゃないけど、そこそこあるんだから」
「よせ! 脱ごうとするな!」

 エレナの両腕を押さえて、脱ごうとする動きを止める。どうして出会ったばかりの――それも死神の女の子相手にこんなことをしなければならないんだと、大地は内心で激しく自問した。
 彼女は少しばかり拗ねたふうに唇を尖らせる。

「で、どうすんの? 私の手伝いするの? しないの?」
「そ、れは……」
「しないなら、おとなしく一年後に死んでちょうだい。地縛霊になったら、慈悲深い私が直々に始末してあげるわ」

 無慈悲な発言である。

 大地は懊悩した。妹のためにも、大地はまだ死ぬわけにはいかない。その代償が宣告の手伝いとセックスというのであれば、もはや大地には選択肢は残されていないも同然だった。
 息を整え、エレナを見据える。

「……本当に、手伝ったら魔王さまとやらに相談してくれるんだな?」
「約束するわ。それでどうなるかまでは、保証できないけど」

 そこまでの約束を求めることは、さすがに大地も出来ない。
 瞼を閉じて思案し、きっと両目を開けて、大地は言った。

「……わかった、手伝うよ。それで生き延びるチャンスが生まれるなら、それに縋るしかないからな」
「……本当にいいのね」

 ああ、と大地は頷く。

「……わかったわ」

 短く返したエレナは、出し抜けに真面目な面持ちになって、右の掌を大地の顔に差し出した。驚く大地に前で、彼女の掌から光が発せられる。
 すると、どこの国の言葉かわからない言語でエレナがなにかを呟き始め、それと同時に室内の明かりが落ちて暗くなった。

 唯一の光源である彼女の手に、視線は自然と吸い寄せられる。
 次の瞬間、大地は自分の足許に妙な魔法陣が現れたのに気が付いた。紫色の光を放ちながら、魔法陣の内側をこれまた知らない国の文字が滑るように駆けていく。

 まるで、いきなりゲームの世界にでも飛び込んだふうな感覚だった。
 エレナの漆黒の翼が音をたてて広がり、羽を散らした刹那、大地の胸に鋭い痛みが走る。

 思わず膝を折ると、エレナの手が大地の頭の上に添えられた。未知のエネルギーが、そこから体内に流れ込んでくるのがわかる。
 胸の痛みが激しさを増し、あまりの刺激に大地は声を漏らした。

「っぅ、あ……!」

 バチン、と電気が弾けるような大きな音がした。それと同時に魔法陣が消え、暗かった室内が再び明るさを取り戻す。
 荒い呼吸に、大地はすぐには立ち上がることが出来なかった。大きな音と同時に痛みは消えたが、それでも乱れた息と滲んだ汗が大地の膝を折ったままにしている。

「……はい、使い魔の契約は完了したわ」
「……使い魔?」
「胸を見てみなさい」

 まだ荒い呼吸のまま、大地は衣服の裾をめくり上げて自身の胸を見た。するとそこにあったのは、黒い猫のようなアザである。
 それを指差して、エレナは言う。

「それが、死神の使い魔の証。それがあるあいだは、死神の能力の一部を使うことが出来るわ。宣告をする人間も、わかるようになるはずよ」
「死神の……使い魔……」

 なんだか今日一日で、とんでもない出来事に巻き込まれてしまったような気がする。目の前に死神が現れるだけでなく、まさか自分がその使い魔になってしまうなど。

 しかし、すべては妹のためだ。大地はぐっと奥歯を噛み締めて、胸のアザを撫でる。そう、これは、大地の覚悟の証でもあるのだ。
 不意に、エレナが両腕を上げて伸びをした。彼女は晴れやかな笑顔で、あっけらかんと述べる。

「いやー、助かっちゃった。ちょうど出世したいなーって思ってたとこなのよねー」
「ちょっと待て。なんだって? 出世?」
「んじゃ、明日からよろしく頼むわねー」
「おい待て、どこ行く! 出世ってなんだ!」

 止めようとする大地の声も虚しく、彼女の姿は徐々に薄まって、完全に消えてしまった。
 もしや、自分は騙されてしまったのだろうか。そんな不安が脳裏をよぎった瞬間、大地は室内の様子に感付く。

「ああーっ! あいつ羽ちらかしていきやがったな! 土足だったから床も汚れてる!」

 契約の最中、翼を大きく広げた際に散った黒い羽が室内のそこここに散らばっていた。ブーツの足跡も、くっきりとフローリングに残っている。
 大地は憤りながら、黒い羽を回収し始めた。まさか、使い魔になって最初の仕事がエレナの後片付けとは、なんとも言えない始まりである。

 それにしても本当に、自分は明日から死神の仕事を手伝うことになるのだろうか。
 実感の乏しいまま、大地は回収した羽をゴミ箱に捨て、次いで床を拭くために雑巾を取りに走った。
 彼女の足跡の汚れは、なかなかしつこかった。