「……マジかよ……」

 祥子はかすれた声で呟き、弥一に視線をずらした。

「弥一、お前、こんな中でよく助かったな」
「たまたま菫さんが通り掛かってくれて、ロボットから助けてくれたんです」
「本当に、偶然だったんだけど」
 弥一の返答に、菫が付け足す。祥子は弥一の背中を叩いた。

「運も実力のうちだ。拾った命、大事にしろよ」

 肯定の意味を込めて、弥一は深く頷く。そう、せっかく菫が助けてくれたのだ。易々とロボットに殺されてやるつもりなどはなかった。
 頷いてから、弥一は祥子をちらりと見やる。彼女にも、この街に住む家族や友人がいたのではないだろうか。

 悲しみを飲み込んで耐えているのか、それとも考えないようにしているのか。

 家族はすでにおらず――こんなことを改めて自覚するのも寂しいが――とくに親しい人間もいなかった弥一とは異なり、明るく元気な祥子には友人がたくさんいたのではないかと弥一は予想する。

 弥一の背中を叩いた彼女は、なにを考えて今の街を見ているのだろうか。もしや今しがたの弥一に掛けた台詞は、半分は自分に向けてのものなのかもしれない。

 そんなことを思案しながら弥一はふたりの女性と共に慎重に街を進み、三人はとあるマンションの一室にひとまず落ち着くこととなった。

「一階なら、なんかあっても窓から逃げられんだろ」

 そう言いながら、祥子は玄関の扉を開ける。と、部屋の奥に目をやった彼女は急に静かになった。
 不思議に感じて祥子の後ろから弥一も部屋の中を覗いてみたが、中は無人で、とくにおかしなものは見当たらない。弥一は首を傾げた。

「……祥子さん?」

 しっ、と彼女は鋭く息を吐き出して弥一に黙るよう合図する。祥子は小声で言った。

「……なんかいやがる」

 それを聞いた菫が、祥子と同様に顔を険しくする。

「まさか、ロボットがひそんで……?」

 三人のあいだに流れる空気が、緊張に張りつめた。互いに目線を交わしたのちに、三人は祥子を先頭にして、ゆっくりと足音を殺しながら部屋を奥に進む。

 部屋の廊下を中程まで進んでようやく、息をつめて隠れる者の気配を弥一も感じた。特殊銃を握る掌に、じっとりと汗がにじむ。
 祥子が手で合図をして、菫と弥一に止まるよう指示した。この場で待機しろということらしい。

 菫を見やると彼女の首肯が返ってきたので、祥子の指示通りにそこで止まり、先を行く祥子の背中を見守る。
 廊下の先に、扉のひらいた部屋があった。この一室の先住民は、どうやらそこにいるようだ。

 その部屋の手前でいったん足を止め、特殊銃を握り直した祥子は、呼吸を整えて床を蹴り、素早い動作で室内に向かって銃をかまえる。

 が、彼女が銃口を部屋に向けたのと同時に、室内から伸びた腕が祥子のひたいを狙った。
 ぎくりとした弥一はくちから心臓が出んばかりだったが、よく見てみると、部屋から伸びた腕が手に握っているのは、弥一達が持っているものと同じ特殊銃である。

 弥一と菫の位置からは、部屋の中が見えない。
 しかし、ひたいに特殊銃を向けられた当の祥子は目を丸くすると、あげていた銃を脱力気味におろした。
 彼女は息を吐き出し、瞼を半分ほど落として、部屋の中の相手に話しかける。

「……なんだ、冬彦じゃねーかよ」

 祥子の気安い声調に、弥一の肩からちからが抜けた。弥一は菫に目配せをすると、彼女と一緒に部屋の中を覗き込む。
 見れば、室内にはひとりの男の姿があった。

 ひょろりと細い身体は長身で、少々長めの黒髪は幾分か邪魔そうに見える。菫や祥子と同様に白衣を羽織っているが、そのしたに着ているのは甚平だった。

 甚平の藍色と白衣の白のコントラストは爽やかだったけれども、なかなかに白衣が可哀想になるコーディネートである。そしてひそかに、弥一は祥子のコーディネートに関しても同じような感想をいだいていた。

 甚平男の足許は、サンダルだ。ここまで来ると、なぜ彼が白衣を着ているのか不思議に思えてきてしまう。
 そうやって弥一が疑いのまなこを甚平男に注いでいると、隣で菫が声を躍らせた。

「氷室くん! 無事だったの?」

 彼女の台詞から、彼が祥子と菫の知人である事実が確定する。が、しかし、本当にこんな男が……と、弥一はすぐには訝る気持ちをほどくことが出来ない。
 甚平男――氷室冬彦は、どこか子供じみた動作で菫にこくりと頷いて返した。

「はい。夜食を買いに出ていたら、運よく助かったみたいです」

 祥子が呆れと喜びが交じったふうな声をあげる。

「帰ってこねーと思ったよ。ずっとここにいたのか?」
「ええ。あ、如月さんに頼まれたパン、ここにありますよ」

 言うと、冬彦は部屋のすみから袋を持ってきて祥子にかかげた。そんな様子の相手に、彼女は笑う。

「お前、ほんっと呑気だな。外が今どんな状況か、わかってんのか?」
「銃声と悲鳴がすごかったので、なんとなく察することは出来ます」

 淡々と答える声に、さすがの菫も呆れたような息を零した。

「……氷室くん、こんな状況になってものんびり屋さんなのね」
「どっか頭の神経切れてんじゃねーの? お前」
「いや、これでもけっこう焦ってるつもりなんですけどね」

 ふたりの女性になにを言われても、冬彦は自分のペースを乱さない。焦っているつもりだと本人は言うが、残念なことに弥一にはまったく焦っているふうには見えなかった。

 いっそ彼くらいマイペースなら弥一も楽だったのだろうかと一瞬かんがえたものの、すぐにその思考は掻き消す。ここまでマイペースになりたい願望は、どれだけ自分と向き合ったところで弥一には芽生えそうもなかった。

 むしろ、こんな戦場でここまでおっとりしている冬彦が異質なのだ。研究に己を捧げすぎて、おかしくなってしまったのだろうか。