※本原稿は、アジア女性資料センター「女たちの21世紀」難民特集に掲載されたインタビューの元原稿である。

シェイダさん難民認定裁判が残したもの

ジェンダー・セクシュアリティに基づく迫害を受けている難民たちの日本への受け入れを考える上で、忘れてはならない先例がある。同性愛を国家犯罪としているイランの出身で、日本でゲイとしてカミングアウトしたシェイダさんの難民申請は、6年にわたる裁判闘争の末に日本の法廷では退けられ、第三国への出国という形で解決を見た。シェイダさんの裁判が日本社会に残したものとは何だろうか。「チーム・Sシェイダさん救援グループ」で活動した稲場雅紀さんにうかがった。

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シェイダさん難民申請をめぐる経緯

1991年 シェイダさん、イランを出国し来日。
1999年頃〜 カミングアウトし、日本の性的少数者の運動に積極的に参加。
2000年4月22日 仕事から帰宅途中に職務質問を受け、入管法違反容疑で逮捕される。
5月8日 入国管理局、シェイダさんの身柄を東京入管に送致、退去強制手続を開始。シェイダさんは難民認定申請を申し立て。
7月4日 法務省、難民認定申請を却下し退去強制令書を発付。シェイダさんは即時に異議申し立て。同時に、東京地裁に在留特別許可を請求し提訴する。退去強制手続は判決まで一時停止に。
10月19日 法務省、異議申し立てを棄却。以後、裁判と平行して第三国出国の可能性を追求することに。
2004年2月25日 東京地裁で原告敗訴。シェイダさんは声明で「人権が認められていないこの国で、私が裁判で勝訴判決を得ることが出来るとは、そもそも考えていませんでした。ですから、敗訴判決を受けたからといって、私は何ら失望していません。今後は日本ではなく、難民の人権を守る国を探したいと思います」と述べる。
2005年1月20日 東京高裁で控訴審も棄却。最高裁へ抗告。
2005年3月30日 欧米の第三国へ出国。
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■支援グループ立ち上げ
シェイダさんは99年頃、当時参加していた外国人労働組合のある日本人スタッフに「自分はゲイであり、日本のゲイ・コミュニティに関わりたい」とカミングアウト。このスタッフが知っていた性的少数者のグループに紹介され、活動に参加し始めました。日本に来た91年当時から難民申請の希望をもっていたようです。
 私はその頃「動くゲイとレズビアンの会」で人権・アドボカシー分野を担当をしており、人権問題にかかわる電話相談を受けていましたが、「イラン人のゲイで、自己の性的指向を理由に難民申請をしたい人がいる」と相談を受けて、一緒にUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の東京事務所にも行ったことがあります。しかしUNHCRには「まず日本の法務省で申請をするように」と言われ、別に相談した日本人弁護士からは「法務省は年間一人ないし数人しか認定を出さないので、まず可能性はない。申請して強制送還になるくらいなら隠れていた方がいい」とアドバイスをされ、しかたなく難民申請はあきらめたようです。一方で彼は、性的少数者のイベントや、12月の「人権週間」の間にアムネスティ日本が開催する「人権パレード」に参加してイラン政府の政策を批判するなど、活発に活動していました。ところが2000年4月22日に、シェイダさんは仕事から帰る途中に職務質問を受け、そのまま入管法違反容疑で逮捕されてしまいます。このままではイランへ強制送還されてしまう。私たちは弁護士を探して難民申請の手続きをとる一方、支援グループの立ち上げに動きました。

■強制収用—仮放免へ
「チームS」は、旧来の外国人労働者支援グループ、性的少数者の中でもちょっと変わった政治的なグループ、そして私が個人的に関わるかたちで作った、ユニークなグループでした。しかし、いつ終わるともしれない裁判支援を継続していくのは大変でした。敵は国家権力で、強大な組織を有しているので、つぶれることはありません。しかし、こちらは個人。体力勝負ではいつまで保つかわかりません。外国人労働者支援に携わってきた活動家たちは先行きの見えない長期の活動にも慣れていましたが、性的少数者の人たちは自分たちの方が精神的に追い詰められている人も多くて、活動を長く続けていくのはなかなか難しい。勝てる可能性があるのか、いつ判決が出るかもわからないなかで、継続して支援する体制を作っていくのは大変でした。
最初の課題は、シェイダの強制収容を解くことでした。彼の場合は収容によって精神的に追い詰められることはなく、他の収容者とも仲良くやっていましたが、歯痛や腰痛など、さまざまな身体症状が出た。特に歯の治療がなかなか受けられなかった上にずさんで、辛い思いをしたようです。また、収容されると法廷に出られないという問題もある。日本の入管は、収容者が裁判に出ることを権利として認めていません。
仮放免は、一定の条件を満たしていれば必ず認められるものではなく、行政にとっては、やってもやらなくてもいい、非常に恣意的に運用されている制度です。何度も却下された末に5回目の申請で収容が解かれた背景には、UNHCR日本事務所がシェイダさんを「難民」として認めてくれたことが大きかった。私たちは収容が解かれるまでの1年7ヶ月、毎月、牛久の収容所に会いに行って励ましていました。


■「難民」性をめぐって
裁判での論点のひとつは、シェイダが1951年の難民条約で言うところの「難民」にあたるかどうかでした。条約でいう「難民」とは、「人種、宗教、国籍、特定の社会的集団に所属すること、政治的意見を理由として迫害を受ける恐れがあるという、十分に理由のある恐怖を有しているために、自分の国籍のある国に帰国することのできない人」とされています。つまり、自分自身が実際に迫害を受けた経験がなくても、帰れば迫害を受けるであろう可能性が十分な理由をもって存在すれば「難民」であるということです。しかし、この「十分に理由のある恐怖well-founded fear」の解釈は国によってバラつきがあり、逮捕状が出回っているような状況でなければ認めない国もありますし、オーストラリアなどのように、同じ国でも保守派が政権をとっているときと、中道左派の政権で異なった解釈をすることもあります。
日本の法務省はこの条文を非常に限定的に解釈して、「たしかにイランの法律には同性愛者を死刑とするという条文があるが、実際には運用されていない、したがってシェイダさんは迫害を受けているとはいえない」と主張した。しかし法務省側が出してくる資料は、現地の文脈とは何も関係がないものばかりで、イスラムとは何か、イランという国がどういう歴史的背景をもち、革命政権がどういう性質のものか、まったく勉強していないことは明らかでした。当時までに、欧米やオーストラリアなどでは、イラン人ゲイの難民人体をめぐって、たくさんの裁判がありました。UNHCRはこうした裁判における各国政府側、つまり難民として受け入れたくない側の主張をまとめた文書を作成していました。法務省が中心的な証拠としたのはこの文書でした。これには、、たとえば「テヘランのどこそこにゲイの集まる店があるが、警察は弾圧していない」といったことが書いてある。たしかに85年以降、同性愛者に対する露骨で集団的な虐殺行為は少なくなっているが、完全になくなったわけではなく、年に数人は処刑されている。またイラン当局は西欧諸国が同性愛者の処刑に強く反発するのがわかっているので、同性愛者であること以外にも、麻薬や飲酒の罪をなすりつけて処刑していた。法務省側は、だから同性間性行為をしたことのみを理由にして処刑されたわけではない、と主張したが、同性間性行為だけで処刑に価する罪と法でされているのだから、論理的にもおかしいと言わざるを得ません。
裁判のために私たちがしたことは主に2つありました。第1に、イランにおいて同性愛が国家に対する罪とされ、同性愛者が国家権力によって迫害をされている事実、第2に、それを理由として欧米などの国々が彼らを難民として認定しており、裁判でも勝訴している事実を示す証拠集めです。1点目については、イラン研究者に調査してもらったり、在米イラン人の研究者・人権活動家を招いて証言を依頼しました。2点目については、サンフランシスコにある国際ゲイ・レズビアン人権委員会(IGLHRC)や、ヨーロッパのゲイ・レズビアンの人権団体などから証拠資料を送ってもらいました。たとえばドイツでいちばん最初にイラン人の同性愛者の難民申請を認めた1983年の判例では、非常に明確に「この人を強制送還すれば迫害に直面する危険がある」と述べていた。
しかし2004年2月25日に出た第1審判決では、何の根拠もなく、イランにおいて同性愛者が迫害の危険にあう可能性は少なく、シェイダさんが帰国しても安全な生活ができると断じたうえ、シェイダさんがカミングアウトしてイランの政策を批判していることは「性表現」であって、「性表現」に関しては各国がその状況に照らして規制の基準を作って良いという判断を示しました。われわれは当然、カミングアウトは政治的な行為であり政治的な自由として承認されるべきであると考えていたわけですが、裁判官あるいは日本の法務省はそうした主張を根本的に認めない考えを示したわけです。
 シェイダもすっかりやる気をなくしていましたが、高裁での第二審では、第一審で後方支援にとどまっていたUNHCRが積極的に前に出て、裁判所に意見書を出すなど、独自に支援してくれました。ところが判決は、「UNHCRは、国内避難民(IDP)など、必ずしも難民条約上の「難民」にはあたらない者へも支援を拡大している。だからUNHCRが認定したといっても難民条約上の難民として認定したのかどうかはわからない」と、国連の意見書などまったく相手にしない内容でした。UNHCRがシェイダを難民条約上の難民として認定したことは提出資料を読めばわかるはずなのに、そもそも書類を読んでいるのか、読んだ上で、日本はUNHCRへの大拠出国だからUNHCRの言うことなど相手にしない判決を出してもいいと考えているのか。
日本の官僚は、第一に、自分たちの運用している法解釈が絶対であり、それに沿わないように見えるものは拒否をするという厳格主義、第二に、日本と良好な関係にある他国の人権問題については判断をしないという立場をとっています。この二つの立場は矛盾します。例えば、トルコ共和国におけるクルドのすさまじい人権侵害は誰が見ても明らかであり、またクルド人難民認定訴訟はこれまで300件あまり起きているにもかかわらず、いまだに一人も難民として認定していません。これは厳格主義では説明のつかないことです。つまり、受け入れない方向での厳格主義はあるけれども、受け入れる方向での厳格さはない。そういう意味でのダブルスタンダードです。「人情」を示すパターナリズムはあるけれども、権利に基づくアプローチは決して受け入れない。

■裁判で問われたものは何だったのか
この裁判では、そもそも日本は難民を受け入れる国なのか、そのうえに、日本は同性愛者として迫害を受けた人たちを難民として迎える度量がある国なのか、この2つが、日本が問われていた問題だった。私たちとしては、日本とはどういう国なのかという問題を中心にこの裁判を組み立てたわけです。
もうひとつの問題である、イランが国家的に同性愛者を殺害しているという点については、この裁判では必ずしも争点にしませんでした。それはシェイダにとっては本来的には重要な問題であり、国際連帯という意味でも重要ですが、イランの問題を前面に出すことは、日本の市民社会としては非常に難しい。また、この裁判を闘ってつらかったのは、シェイダの前に、多くのイラン人のゲイたちの屍が積み重なっている、その屍の数を丹念に拾って証拠化していかなければ、シェイダは難民として認められないということです。証拠を扱っているうちに、迫害や死というものへのリアルな感覚が麻痺していき、「より確実な、有効な証拠」、すなわち、より多くの人々の死と悲惨を追い求める発想に転化してしまう。多くの人々の死と悲惨がなければ、迫害の危険にさらされた一人の人を救えない、というところに、難民制度が本質的に抱える矛盾があるような気がします。

難民の受け入れそのものについては、後退を迫られ続けている今の日本の社会運動の中では、一定の成果を出してきたのは事実です。2001年10月に起きたアフガン難民の強制収用、2002年5月に中国のシェンヤン日本総領事館で北朝鮮難民が中国官憲に拘束された事件をモメンタムとして大規模な批判が起き、また弁護士や支援者が非常に熱心に取り組んできたことで、難民認定への異議申請に関する第三者委員による審査制度が設けられ、法務省はこれまでのように「理由なし」の4文字で却下することはできなくなった。最近では高裁を含めて勝ったケースも出てきており、90年代のように認定が年間1人といった暗黒時代に戻ることは、おそらくないでしょう。日本の最悪の制度を寄せ集めたような難民の収容・強制送還がある程度改善されてきたことは、日本の市民社会が持っているポテンシャルが発揮されてきたと、ポジティブに評価していいだろうと思います。
一方で、同性愛者の人権と難民ということについては、ゲイ雑誌でも大きく取り上げられるなど、これまでにないつながりも生まれたが、反響は期待したほど大きくなく、ゲイコミュニティ全体にはあまり広がらなかった。自分とはあまり関わりがない外国の人のケースという受け止め方が多かったようです。それは、こちらの運動の限界だったかもしれません。
日本政府の同性愛者に対する態度は、第一審判決の中に明確に表れていました。明らかに生命の危機にさらされる条件下でゲイであることをカミングアウトしたり、同性愛者であることを基盤にしてイランの体制を批判することを、彼らは政治的な主張ではなく「性表現」であると呼び、それは各国が好きなように規制したり承認したりしてもいいのだと述べている。性と政治を明確に分離し、性的なものは政治的なものにはならないという論理です。性に関わる政治や自由ということを、日本の裁判所は一切認めない態度を打ち出したことは大きな問題です。カミングアウトという行為を「わざわざ言わなくても黙っていればかまわないではないか」という相対的なところに落とし込んでしまう。しかし本人にとってはカミングアウトというのはリスクをかけた政治的、絶対的な行為です。それだけのリスクをかけた行為であるからこそ、そのレスポンスはどうあるべきかは、言われた相手側が考えなければいけないことです。
日本の裁判官は概して保守的であり、また、入国管理を扱う法務省・入国管理局は未だに60年代の「外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由」という発想を引きずっています。こうしたなかで、ジェンダーやセクシュアリティを理由に迫害を受けている人々の難民受け入れを実現していくのは、たしかに極めて難しいことだと言えるでしょう。しかし、難民裁判は言ってみれば、勝ち負けがすべてです。負ければ退去強制と祖国での迫害が待っているわけです。シェイダさんの場合は、最終的に、彼が以前から望んでいた欧米の第3国出国を実現できましたが、これは、レアケースです。本人に加えて、支援する側の私たち自身が、裁判官に分かる言葉でジェンダーやセクシュアリティについて伝えていくことが出来るか、共感を得ることができるか。裁判での「勝ち・負け」というぎりぎりのところで、私たちが問われているのは、結局、そこなのだと言えるでしょう。

稲場雅紀
いなば・まさき/チームS・シェイダさん救援グループ 訟務担当

シェイダさん裁判の詳細については以下のサイトを参照。
果てしない移民たちのためのホームページ
http://www.kt.rim.or.jp/%7Epinktri/afghan/index.html
すこたん企画・シェイダさん支援ページ
http://www.sukotan.com/shayda/shayda_top.html