実家は自営業でいつも忙しかった。
父は外での作業、
母が商売を切り盛りしていたので、
母の手作りの食事を食べた記憶がありません。
私が生まれた時には、
使用人として叔母が2人おり、
子守と食事を担当していました。
母親の存在より叔母たちの方が強いので、
小さい頃は誰が母なのか、
時々分からなくなっていました。
食事の担当は、メンタルに障がいをもつ叔母でした。
とてもムラがあり、怒ると食事を作らないので、
食べられない時もありました。
小さいながらも、
いつも怒らせないように顔色を伺いながらの生活でした。
今考えると、
それが不登校につながっているような気がしてならないのです。
つづく
父は外での作業、
母が商売を切り盛りしていたので、
母の手作りの食事を食べた記憶がありません。
私が生まれた時には、
使用人として叔母が2人おり、
子守と食事を担当していました。
母親の存在より叔母たちの方が強いので、
小さい頃は誰が母なのか、
時々分からなくなっていました。
食事の担当は、メンタルに障がいをもつ叔母でした。
とてもムラがあり、怒ると食事を作らないので、
食べられない時もありました。
小さいながらも、
いつも怒らせないように顔色を伺いながらの生活でした。
今考えると、
それが不登校につながっているような気がしてならないのです。
つづく