2011年08月17日
「木洩れ日の家で」が「筑紫賞:ゴールデンタイトル・アワード」を受賞しました
第7回「筑紫賞:ゴールデンタイトル・アワード」は、故、筑紫哲也氏の発案で創設された、優れた日本語題名を顕彰するもので、審査は、筑紫ゆうなさん、東京大学院教授であり映画評論家の藤原帰一氏、コラムニストの天野祐吉氏によって行われました。

この映画はポーランド映画でバルト海沿岸にあるグディニアで開かれる映画祭で見つけました。 戦前から、大きな家に育ち暮らしてきた老女アニエラ。一人の女性の人生を美しく描いたドロタ監督は、森の中にたたずむ古い家とガラス窓を通してふりそそぐ木洩れ日を見事に写し出しました。 原題はポーランド語で“Pora umiera”、英語では“Time to Die”。直訳の“死ぬ時”では固すぎるタイトルなので、みんなで映画の内容にあった日本語タイトルを考えました。
「木洩れ日の家で」というタイトルは、これ以上、この映画にふさわしい邦題はないと思います。審査員のみなさまが、全員一致で選んでくださったと聞いて、とてもうれしく思っています。
2010年01月07日
『だれのものでもないチェレ』リバイバル公開にあたり

31年前岩波ホールで観て、心揺らされた傑作「だれのものでもないチェレ」を、近年再びブダペストで観る機会を得た。あらためて彼女の“美しい瞳”、そしてそのまなざしに心を打たれた。
みなしごであるチェレは、いくら虐められてもいつも明るく振舞う。大きな牛と共に、真赤な太陽が落ちるハンガリーの高原を駆け回る少女チェレ…。彼女は自然に対しても、人に対しても心優しいのだ。それに引き換え純真な子供時代があったであろう養父養母が、チェレを虐め抜く姿は、怒りを通り越して哀れである。
引き取られた家で出会った使用人である老人が、ある日チェレを教会に連れて行く。初めて見たキリスト像の姿に、彼女は大きな安らぎを知る。心豊かな老人とキリストに導かれ、愛を知ったチェレをカメラが追い、我々観る側の胸を打つ。これはまさにフェリーニの名作『道』のジェルソミーナの少女版に他ならない。
貧しさ故に全てを知り得るこの映画を、豊かそうで豊かでないこの時代にこそ、私はあらためて皆さんに観ていただきたいという気持ちになったのである。
(パイオニア映画シネマデスク代表)
2009年07月15日
ニキフォルと私
数年前、カンヌ映画祭に参加した後、私は友人であるパリ在住の美術史家のタマラ女史と食事をした。タマラ女史とは、1910年代にアメリカのシアトルに絵の勉強に行き、その後アメリカ人の妻と共にパリに渡った画家 田中保の絵を紹介してもらうため偶然知り合った女性だった。藤田嗣治の陰で活躍した田中保の絵の話の後、私は彼女に「今、あなたが最も注目している画家は誰ですか?」と尋ねた。すると彼女はニッコリと笑い、紙ナプキンにかわいらしく“NIKIFOR”と書いてくれた。彼は、1968年に亡くなったポーランドの画家で、風景と教会にあるキリスト像を多く描いているという。絵は素朴で大変魅力があり、これからはNIKIFORについて調べると言って笑った。私は“NIKIFOR”と書かれた小さな紙片を名刺入れにしまった。
1994年以来、私は毎年晩秋にバルト海沿岸のグダニスク、グディニャ映画祭に招待されていて、ポーランドは私にとって身近な国となっていた。グディニャ・ポーランド劇映画祭は、太陽が午後三時に落ち、外は暗くなるが、その会場は光り輝き映画人の熱気に溢れ、前に横たわる鉛色のバルト海とのコントラストは実に神秘的だった。映画の合間に飲む黒ビールの苦味は、バルト海で開かれる独特な映画祭の味のようで、私は魅了された。以来、ポーランドのこの映画祭は、私にとって忘れることのできないものとなっていた。
2004年のモスクワ映画祭で、ワルシャワ国際映画祭を主催するステファン・ラウデンと知り合った。彼は自国のポーランド映画以外、旧ソビエト圏の国々、特にグルジアとバルト三国、エストニア、ラトビア、リトアニアの映画に注目していた。グルジアのゲオルギー・シェンゲラーヤ監督の『ピロスマニ』について大いに話がはずみ、パーティで話し始めて、その後ホテルのバーでも話し始めた。映画で描かれている画家ピロスマニの持つ独特な性格とグルジアの景色は、後に出会うニキフォルの画風と重なる。通常、映画祭のディレクターは特定の映画監督や国名をあげる事はしない。ディレクターは多くの国の知られていない映画を紹介するのが仕事だからである。そんな彼が私を突然、ワルシャワ映画祭に招待してくれた。
10月の初め、すでに寒く紅葉の始まったワルシャワ映画祭は、それでも旧ソビエト圏の小さな国々の映画人が集まっていて、とても活気があり、映画も多種に渡っていた。会場に行く途中で、通りかかった横道に小さなアンティークの店があり、何気なく中に入ると多くのガラス器、陶器が置いてある奥の方に、一枚の絵があった。なかなか可愛い素朴で心温まる絵だった。とても気に入って店主に尋ねると、クラクフ市にある城門の絵を描いたもので、ニキフォルの絵だと言う。私は驚いてタマラ女史が書いてくれた紙片を取り出しスペルを確認し、本当にニキフォル本人の絵であることがわかり密かに買い入れた。会場でポーランド映画を二本観て劇場のコーヒーショップでディレクターのラウデンと会った。映画祭招待の御礼を言うと、彼はこれから特別試写で『My Nikifor (ニキフォル 知られざる天才画家の肖像)』を上映するので観に来るようにと勧めてくれた。先程の絵の出会いのすぐ後で、偶然にもニキフォルの映画も出来ていたことに驚き、期待に胸が高まった。それは夜7時過ぎてからのプライベートな試写であった。監督クシシュトフ・クラウゼはニキフォルの生き様を見事に捉え、彼が生きたポーランド南部の山岳地帯クリニッツアの豊かな自然を、卓越したカメラが映し出し、魅力的な音楽の流れと共に、画家ニキフォルの一途な芯の強さを描いていた。
ラスト、ニキフォルが愛したロック調の力強い音楽にのって、彼の数々の絵がスクリーンに映し出される。それは、富や名声など余分なものは全てそぎ落とした豊かな人生を感じさせる素晴らしい映画となっていた。私はどうしてもこの画家と映画を日本に紹介したいと思い、『ニキフォル 知られざる天才画家の肖像』を買い付けた。
その後、ワルシャワの制作会社からこの映画が、毎年7月初めに行われているカルロヴィ・ヴァリ映画祭(チェコ)のコンペティション部門に出品されることを聞いた。そして、映画『ニキフォル 知られざる天才画家の肖像』はボヘミアの保養地、モーツァルト、ゲーテ、シラーが愛した美しい緑溢れるこの地でグランプリに輝いた。思えはタマラ女史から教えられたニキフォルがこのように私と関わり、まるで彼が導くかのように、さらに2枚の絵とも出会い手に入れることが出来た。私にとって、ニキフォルは偶然が偶然を呼んで知り得た特別な存在となった。私はタマラ女史に今までの顛末を書き送った。タマラ女史の折り返しの手紙には「おそらくまだ日本では全く知られていないニキフォル、彼の描いた優しい絵と色彩はニキフォルそのものです。どうぞ日本の人達に彼を紹介して下さい、アリガトウ・・・・」なぜか胸がいっぱいになった。私はその「アリガトウ」の中にニキフォルをはじめとする人々のそれぞれの人生の威厳と安らぎを感じた。
(パイオニア映画シネマデスク代表)