ぴおピアノ雑記帳

ピアノ、音楽関連の話題を主とした雑記帳blogです。

坂本龍一 著 新潮社 2009年2月刊行

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高橋悠治のことを読んで坂本龍一についても気になり、手にとりました。
雑誌社が連載した、坂本龍一へのインタビューに基づく記事をまとめた本です。
坂本龍一自身が語る形の、読みやすい自伝となっています。

まず、彼の音楽遍歴(?)にびっくり。
母親が選んだ幼稚園が、5歳児に作曲をさせる園で、それが音楽との最初の出会い。
小学生の頃はバッハに夢中で、中学生で「自分はドビュッシーの生まれ変わりではないか」と思うほどになったとか。

ドビュッシーに出合ったのが中学生のときで、いわゆる現代音楽を聴き始めたのはそのあとなんですが、実は小学校4.5年のときに一度、母に連れられて、かなり前衛的なコンサートに行ったことがあります。場所はたしか草月ホール、高橋悠治や一柳慧の音楽を聴きました。(p.70)

このとき、前衛的な現代音楽に「ぼくの中に、何かが深く突き刺さってしまった」というほどの衝撃を受けたのだそうです。
その後、「中学から高校にかけて、わりとアカデミックな路線の現代音楽をひととおり聴いていった感じですね」と言って彼が挙げた作曲家を列挙してみると

ドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキー、シェーンベルク、バルトーク、メシアン、ブーレーズ
シュトックハウゼン、ベリオ

ひええぇえ。そして
「そして、同じ線上にある日本の作曲家、たとえば、三善晃、矢代秋雄、湯浅譲二、そして武満徹、みんな当時現役で曲を書いていた人たちですが、彼らの音楽もよく聴きました。」
さらっと、こう言い切ります。
で、ピアノの先生に薦められ、10歳から作曲法を習っていたため、芸大入試では課題の曲を次々、ささっと書いて提出。「嫌な奴ですよね」

新宿高校時代は、政治デモや、高校自治を求める活動に奔走。
1952年生まれというと、安保闘争のはしっこに位置するのですね。私と10歳しか違わないのに、その感覚のギャップに唖然としました。私の世代は「し~らけ鳥、飛~んでいく♪」のシラケ世代でしたから。

厳格な家庭で、いわばバンカラな青春時代を送った坂本氏に対し、
YMOの高橋幸宏氏はアールデコ調に整った邸宅に育ち、青山で遊ぶ青春を送っていた
という対比なども面白く読みました。

大学進学後の坂本氏、
才能ある者の周りには人が集まる、才能は人を引き寄せる、といった人生でしょうか。
音楽の授業はほとんど受けず、美術のキャンパスに入り浸っていた……といったキャンパスライフは、昭和の時代ならでは。今ではもう無理でしょうね。。。つくづく時代の変遷を感じます。

俳優として参加していた「ラストエンペラー」で、急に音楽も書けと言われて2週間で書き上げた、その間ほとんど徹夜だった、というエピソードにも度肝を抜かれました。
監督は「モルト・エモーショナル!」もっと感情的に、と、自分がそれまでやってきた音楽とはまさに正反対のことを求めたが、結果としてよいものができた、と。

YMOの時もそうでした。グループとして活動していくために、自分の中にはなかったタイプの音楽を作ることになり、そのことが良い結果を生んだし、自分自身の音楽を発展させることにもなった。制約とか他者の存在というのは、とても重要だと思います。(p.186)

自分ができてしまうことと、ほんとにやりたいことというのが、どうも一致しない場合が多いんです。できてしまうから作っているのか、本当に作りたいから作っているのか、その境い目が、自分でもよくわからないんですね。(p.209)


これが氏の立ち位置なんだろうな、と思います。
でも、アメリカの9.11テロで、自分を全否定したくなったと言います。
こういう状況を生み出したのはアメリカという覇権国家だ、クラシック音楽だって、ヨーロッパの覇権主義、植民地主義があってこその音楽だ、そんなものをありがたがってきたとは!と。
「でも、自分がもっている言語はそれしかない」

ドビュッシーの、あの人類史上最も洗練されていると言っていい音楽にも、フランスの帝国主義、植民地主義の犯罪性が宿っている。それは意識しておくべきことだとぼくは思います。(p.224)


ドビュッシーって、そんなにすごかったのか。
才能の周りには、異業種の才能も集まってくるんだな。
音楽って、実に広い領域をカバーするものなんだな。
いろんなことを感じました。

センター試験の前日は、私の貴重な平日休み。
ここぞとばかりに、予定を組みました。

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まずは、初めてのピアノスタジオにピアノ仲間3人が集合。
輸入もの、ベヒシュタインのグランドピアノを目指し……だったのですが、あれれ?ここは会議室??。
お隣の部屋は語学教室というロケーションだけに、きっと音楽スタジオと語学教室の共用ルームなのでは……と思います。

お仲間の一人との即席チャイコフスキー連弾、たいそう楽しゅうございました。
実は前日に1時間の合わせ練習を経ていたのですが、その1時間での変化(進化?)たるや特筆ものでした(お初の第1回目は「どうしよう~」状態だったのですが💦)。
今日は、例によっての「本番は走る」をまたまたやらかしましたが、楽しくできたので、良しとします。連弾に誘ってくださってありがとう~❤

披露されたソロ曲は、ショパンが3曲と、ラフマニノフの歌曲のピアノ用編曲版が1曲。
思いを込めて長く演奏されているバラードと練習曲は、さすがの熟成度でした。
ノクターンは私が2年前に少しやったものの蔵出しで、案の定クライマックスがぐだぐだに。ショパンの難しさを改めて体感いたしました。

1時間半の弾き合いのあとは、さらに1時間半ほどのお茶会。
ただいま格闘中…というか、暗礁に乗り上げている状態の曲について、いろいろと具体的に意見や助言がいただけたのがとってもありがたかったです。やっぱり持つべきものはお仲間です!



その後は場所を移動して、
久しぶりに会う、お仕事関係の親しいお仲間と二人で夕食会。
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優しい和食が食べたいね~ということで、金沢料理をば。
目でも舌でも癒されました~。
こちらでは、世知辛~い職場の現状をそれぞれ吐き出して毒抜き。
なかなかこんな時間が持てない最近ですが、本音を言い合える仲間がいるのはありがたいものです。

友人に感謝の、花の金曜日でございました。

な昨年2月に初めて手作りに挑戦した味噌。
4.5kgくらいできたものを9月から徐々に使い始め、10月以降はまったく市販のものを買わずに来ましたが、いよいよ残りあとわずかとなりました。陶器樽の中はもう空っぽです。

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随分と味噌の色が濃くなって、なんだか甘みも出てきた感じです。
(サイズがわかるように…と思って計量カップを並べてみました)
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最初のころよりもやわらかく、緩い感じになってきました。

11か月前の仕込みの際の画像がこちら。⬇︎

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色の差、歴然。
麹パワー、偉大ですね~。
年によって出来上がりの味が違うということにも興味を覚え、今年もまた作ってみようと思ってます。

2018年11月23日~2019年1月27日
@Bunkamura ザ・ミュージアム

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昨日、今年度の仕事が一つ、区切りを迎えました。
ホッとした勢い(?)で、思い立って久々に美術展に寄り道。

4つのコーナーに分けられた展示はわかりやすく、無理なくその世界へ。

1.ロマンティックな風景(1-1.春 1-2.夏 1-3.秋 1-4.冬)
2.ロシアの人々(2-3.ロシアの魂  2-2.女性たち)
3.  子供の世界
4.  都市と生活(4-1.都市の風景  4-2.日常と祝祭)

絵のタイトルや解説で
「トロイカ」「赤いサラファン」
といった語に遭遇するや頭の中でロシア民謡が鳴り出したり、
チャイコフスキーのピアノ曲「四季」が思い出されたり、
子供時代、知らず知らずのうちにロシアに親しんでいたんだなあと気づきました。

ポスターに採用されているクラムスコイの「忘れえぬ女」(1883年)、やはり実物はポスターとはオーラが段違い。
その立体感・存在感に、圧倒されました。

イワン・クラムスコイという人、知りませんでしたが、
アカデミズムを嫌って「移動派(移動展覧会協会)」を設立し、民衆の生活を描いて社会の矛盾や歪みを告白したのだそうで、1870-1923年に48回の展覧会を開催といいます(本展覧会作品リストに掲載の解説による)。
チャイコフスキーが1840-1893年、ラフマニノフが1873-1943年の生涯でしたから、まさに同時代ですね。

音楽にまつわる絵も多々。
  • 「ピアニスト・指揮者・作曲家アントン・ルビンシュテインの肖像」(byイリヤ・レーピン 1881年)
  • 「楽しいひととき」(byアントニーナ・ルジェフスカヤ 1897年)木屑の散らばる部屋で、祖父とともにアコーディオンに合わせて踊る少女
  • 「悲痛なロマンス」(イラリオン・プリャニシニコフ 1881年)ギターを抱えて下心たっぷりに若い女性を口説く男
  • 「大通りにて」(ウラジーミル・マコフスキー 1888年)アコーディオンを手にベンチに座る出稼ぎ労働者風の男と、赤ん坊を抱いた若い妻
アコーディオンといっても、サイズ的には胸全体を覆うほど大きくないような?民衆の生活に溶け込んでいたようですが。
ググってみたら「ロシア式アコーディオン」として「バヤン」という楽器名出てきました。これかな? 

名前といえば、
イワン、アンナ、ウラジーミル、…
〜スカヤ、〜スキー、〜コフ、 …
ロシア人は似た名前が多くて、小説を読むとき人物を混同しそうになってはボヤいたものでした。 

 
いろいろ発見があるとともに
過去の記憶が蘇って、懐かしくもなった展覧会でした。
 

1月15日(火)の朝6時半ごろ、NHKニュース「おはよう日本」で、
浜コンの調律師さんの奮闘ぶりが紹介されていました。

朝食を準備しつつ、偶然片手間に見ただけで、画像もなにもないのですが、
取材対象は、カワイ担当の調律師さん。

調律師さんを追った番組といえば、前回のショパコンでの
「もうひとつのショパン・コンクール~ピアノ調律師たちの闘い」
が印象に残っています。
ちょっと、その二番煎じのような感も?

でも、本選でカワイを選んだのが優勝したチャクムルさんだけだった
ということもあって、なかなかスリリングな構成でした。
14日の番組とは異なり、チャクムルさんの姿を、発言をバッチリ捉えていました。
唸ったのは、本選のリハーサルを終えてからの彼のリクエスト。
高音部の一つの黒鍵を何度か叩いてみせて、

「この音の響きが、他の鍵盤と違う。立ち上がりが遅い」

といったようなことを、両手を使ったジェスチャーとともにアピールしていました。
「調整しきれていなかった箇所を見事に指摘された。一流のピアニストは違う」
と舌を巻く調律師さん。
ピアノ調整に与えられる時間が短いことにもびっくり。
「あと18分」
などと言われて、まさにねじり鉢巻き、集中力の権化のようになっておられました。

そういえば、14日の番組でも、第1次予選に臨む牛田くんが
「1次は20分しかないから、第一音の立ち上がりからインパクトのある音色を出さなくてはいけない。それが可能な、自分に合ったピアノを選ぶのは、とても大事なこと。」
と、ピアノによってタッチの深さ、返ってくる音色の感覚に差があること等を説明していました。

  • コンクールでは、自分の良さを生かす楽器の選択眼が求められ、
  • 公演にあたっては、どんな楽器にあたっても最善の演奏をする技量が求められる
プロって、そういうものなのですね。
浜コンの公式インタビューでも、審査員の先生方が
「ピアノの選択眼は大きなポイント」
という発言をされていました。
「プロとして世に立っていけるだけの人物を見つけ出すのがコンクール」と。

たしかに、優勝が決まった後のチャクムルさんの立ち居振る舞いに器の大きさを感じました。
優勝した嬉しさ炸裂!という行動ではないのです。
ごくごく自然に、周囲の方々への感謝の念にあふれている、という振る舞い。
こういうところも、いや、こういうところこそ、大事なのでしょうね。

調律師さんとチャクムルさん、放映されたのはごく数分でしたが、
真摯なお二人の姿に、なんだか自分の器の小ささが思い知られて反省してしまいました。

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画像は本選(リストのP協奏曲)最後の一音の場面。
浜コンホームページ、チャクムルさんの公式インタビューより転載。

青柳いづみこ 著 河出書房新社 2018年9月刊行

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画像は高橋悠治氏のサイトより。
この柳生氏によるイラストが、高橋悠治氏の音楽家としてのプロフィール写真なのだとか。

さて、日本帰国後の高橋悠治氏の活動について。(以下、太字はPIOの恣意的な付加による)
青柳氏が、ピアノ教師としてのショパンvsリストと絡めて説明している点、興味深く感じました。
いわく、
リスト:優秀なプロフェッショナルを育成20世紀前半のピアノ界は彼の門下生だらけ
vs
ショパン:上流階層の子弟のみを教授せっかくの教えが専門の教育機関に伝わらず

ショパンは、まだ何の色にも染められていないほうが自分の教えを受け入れやすいこと、回り道がないぶん、すでにできあがったものをリセットするよりも成果があがることに気づいていた。
高橋悠治も同じだったのではないだろうか。「水牛」でさまざまな試みをやっていると、普通の音楽家がいかに「できない」かがわかる、と彼は語っている。(p.164)


リズムもメロディもハーモニーも、規制の概念を打ち壊すのはとても辛い。だから、教育を受けた音楽家のやらない楽器で音楽をする。
「どのシステム、どのジャンルにも入れない音楽」をやるという野望を抱く高橋氏は、「水牛楽団」では大正琴、ハルモニウム、ケーナ、太鼓といった、ヴィルトゥオーゾ的演奏を拒むような、制約の大きい楽器を使いました。
その理念は、プロ中のプロとのセッションでも変らず。
1979年3月の「高橋悠治 PART1」@東京文化会館大ホールで、現・芸大学長をはじめとする若手演奏家たちと共演した際に徹底されたのが「一生懸命弾くな」主義。

そもそも高橋はあらかじめ決めておくのも、それを楽譜に書き込むのも大嫌いなのだ。どうやら高橋がめざしたのは、若者たちも自分も同等の立場で音楽をやろう、それがうまいか下手かということよりも、一人ひとりが自分の個性でプレイをして、それがぶつかり合うような演奏会にしようということだったようだ。(p.169) 

その主義は今でも変わらず。
2017年にバッハ「クラヴィーア協奏曲第一番」を弾いたときにも、ピアノを弦楽器の後ろに置いて、オーケストラメンバーの価値観をひっくり返したそうです。

現在は、若き日のヴィルトゥオーゾ的演奏からは遠ざかっている彼。
でも、その、とつとつとした演奏を聴いた者たちは
「これはピアノの演奏会ではないのだ、高橋の独白をピアノで聴く会なのだ、という思いがよぎると同時に、その音楽が妙に私に何かを語り始めた。」という結論に至ったり、
ミスタッチを「世の中の名人芸に対する、プロテストなんだろう」と解釈したり。

昔の批評にはある規範があり、それに合致するかしないかで良い悪いを書けばよかったが、グレン・グールドやイーヴォ・ポゴレリチが出現して以来、それがゆらいでしまい、もしかしてこれもまた意味のある解釈ではないかと、あるいは、そこに意味を見いだせない自分には何か足りないのではないかと疑心暗鬼になってくるものらしい。(p.209)

音楽界の歴史的動向に納得してしまいました。
そして、彼と共演した著者は、
「連弾は、弾き方を合わせることではないと思ってます。ずれてもどこかで折り合うほうが面白く出来ると思う」(p.222)
という答えを悠治氏から返されるのです。
こうして悠治氏と言葉を交わし続けた著者は、2018年1月のソロ・アルバムのレコーディングで、悠治氏がよく口にしていたように
「音になる前の音を聴く、立ちのぼってきた音を聴きつづける、消えたあとの音を聴く」ことに没頭している自分に気づいてびっくりした。(p.247)
と述べます。
悠治氏の教育力、そして表現力、おそるべし。


びっくりの話題といえば、
渡欧前の、若き日の高橋悠治と、フジコ・ヘミング(大月フジ子)が交際していた時期があった、という記述もありました。フジコは高橋より6歳年長。
高橋が桐朋の高校生だったころか、とも。
9歳のときにNHKラジオに最年少で出演したフジコは、若い頃「作曲家の仲間うちにいたのだから、普通のなりゆきと言えなくもない」(p.201)。



わが身を振り返ってみて、
1981年、18歳で上京したころに感じた、パルコあたりを中心としたアバンギャルド的な雰囲気の延長線上に、高橋悠治らのいる現代音楽をやる人々がいたのだろうな……と思います。
当時、「水牛楽団」はおろか、前提となるプロテストソングも、ベトナム戦争も、私の意識にはありませんでしたが、坂本龍一ひきいるYMOは全盛期。その坂本らの先駆者が高橋悠治だったのですね。1970年代半ばに、武満徹を右がかっていると批判したりしたあたり、坂本、高橋が交錯しています。
そして今。
世界的カリスマのような存在となった坂本龍一に比して、ひっそりと活動を続けている高橋悠治。
新しいものを模索し、着実に前進し続ける80歳。

日本と世界、
今と過去、
いろんなものをつないでくれたような気のする本でした。

2019年1月14日(月)15:00-16:00 BSプレミアム

昨年11月に行われた第10回浜松国際ピアノコンクールに密着取材、直木賞を受賞した恩田陸の小説『蜜蜂と遠来』を重ね合わせた番組、という宣伝がなされていましたが、実際は、、、
「牛田智大くんに密着」した番組でした。
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優勝したトルコの20歳、ジャン・チャクムル君はまったく取材されてなくて、あれれ~残念。
NHKが取材対象に選んだのは、どうやら次の5人。

 12歳でCDデビューした日本のピアノ王子、牛田 智大くん(19歳)
 最年少の参加者、中学生の八木 大輔くん(14歳)
 ベルリンの大学院に在学中、坂本 彩さん(29歳)
 最年長の参加者、兼重 稔宏(としひろ)氏(30歳)
 韓国のピアノ王子、イ・ヒョクくん(18歳)

の坂本さん、
2016年の仙台国際音楽コンクールで本選まで進まれていて、ネット中継での見覚えがありました。(→セミファイナル結果発表
現在ベルリン在住で、離日は7年前とのこと。 
ベルリンの部屋が取材されていましたが、部屋にピアノはなく、通っている大学院でピアノ練習をしているそうです。「演奏家としてのフィールドを広げたい」という発言、先日の左手のための国際コンクールに参加されていた女性ピアニストの方のことも思い出されます。
2次には進めませんでしたが、雑誌『ショパン』が1次予選の良い演奏に取り上げていました。

の兼重さん、
2次進出者として少し取り上げられただけでしたが、
「10代ではこのステージで演奏するレベルではなかった。今が一番いい機会かな」
といった発言が印象に残りました。
第2次予選のバルトーク、個人的には30歳の深さがあると感じましたよ。

のイ・ヒョクくん、
ヴァイオリンも弾きこなし、チェスの大会でも活躍するというマルチ才能ぶり、
流暢な英語で受け答えをする飄々とした大物ぶりに脱帽です。
でも、その内容は、コンクールの公式インタビューの方が深いかもしれません。

さて、番組の中心、
の牛田智大くんです。
密着取材を許可したって、まずそこが大物だなあと思いました。
拠点のうちの一つ、倉敷にある彼の部屋のピアノ(グランドピアノが2台!1台はサイレント)、レッスン室、ステージ、そして浜松駅構内のピアノ、さまざまな場所での演奏風景が流れましたが、
牛田くんの演奏よりも、くらしき作陽大学の指導者、ロシア人ピアニストの弾くプロコフィエフの一節の方が印象に残りました。
「文化的じゃない音」で弾かなきゃ。
「コンクール用に丁寧に弾きたいの?」
ほんと、分厚い爆音に恐れ入りました。

牛田くん自身の、一次の演奏(レッスンを受けたプロコフィエフのソナタ)後、コメントを求められてもなかなか言葉が出てこず、やっと出たのが
「ま、これで終わりです」。
満足していない様子でしたが、私もネット中継を聴いて、通過が一番心配になったのが第1次でした。
第2次以降は、安心して聴いていられましたよ。

中村紘子氏との関係などは既に知っている情報でしたし、彼についてもこの番組よりも公式インタビューのほうが読み応えがあるのではないかと。。。


『蜜蜂と遠雷』の朗読も、番組と深くリンクして心に響く……というわけでもなかったかな。
ちょっと肩透かしのようにも感じた番組でした。

そして牛田くん、
「コンクールでいただいた結果に恥じない演奏をしていかなくては。これからのほうが大変」
と、優等生的な発言をしていましたが、それなら、入賞者披露演奏会にも出ましょうよ。
(公式ホームぺージには「第2位 牛田智大さんは、スケジュールの都合により出演されません」との記載が…。)

【追記】
1. コメントくださった方からの情報で、入賞者披露演奏会の時期には、コンクール前から牛田君とプレトニョフ指揮ロシアナショナル管弦楽団との公演(@ロシア)が発表されていたと知りました。確かに
海外公演のスケジュール変更は難しいでしょうね。既にプロとして活動している人気ピアニストならではの事情と言えるでしょう。
2. それで、こんな忙しさなら、やっぱり牛田君がアニメ「ピアノの森」のヒミツの演奏者役を担当するなんて無理かもな~と思ったのでした。。。
3. 作曲家名の誤りについてもコメントいただき、訂正しました。
 

青柳いづみこ 著 河出書房新社 2018年9月刊行

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ドビュッシー研究家として、また、著述業とピアニストの両刀使いとして有名な著者による書。巻末の「付記」には

本書は、2014年からの取材にもとづく書下ろしの評論である。筆者がピアノ演奏家であるため、ピアニスト高橋悠治についての記述が多くなった。作曲家高橋悠治、及び二十世紀音楽の動向については、その道の専門家によって探究されんことを。

とあります。
2012年の「ドビュッシー生誕150年」の催しを機にピアニスト高橋悠治と関わりができ、2016年には二人のコラボレーションでCD『大田黒元雄のピアノ』をリリースするまでになった著者。高橋悠治本人との生の交流、精力的な資料収集が生きた内容となっています。

「天下のユウジ・タカハシ」とは認識していたが、日本での活躍ぶりはリアルタイムでは知らないという著者ですが、実は私もまったく同じ。著者は留学中だったため、私は地方在住の少女だったため。


高橋悠治氏の活動を、本書により乱暴にまとめてしまうと、

  • 1938年生まれ。父は音楽雑誌の編集者、母はかつてピアノの天才少女と謳われたピアノ教師、ピアニストの高橋アキは実妹。
  • 子供時代から家の『世界大音楽全集』をかたっぱしから弾き、スコア譜をピアノで弾く力に長けていた。二期会のコレペティとなり、桐朋短大を中退。若い頃から草月会館で現代音楽家たちとも交流する。
  • 1960年、「東京世界音楽祭」で、難解な譜面に辟易した予定ピアニストが放棄した難曲(ボー・ニルソン『クヴァンティテーテン』)を一夜でものにして日本初演を果たすなど、現代曲のピアノ演奏技術、初見能力の高さで名を馳せる。この音楽祭の折に来日した作曲家・クセナキスに、自らピアノ曲の作曲を委嘱・初演。
  • 1963年、クセナキスの弟子という身分で奨学金を得、妻子(24歳で最初の結婚)とともにベルリンへ。奨学金をさまざま得つつ、現代音楽を弾く凄腕ピアニストとして欧州や米国で活動。フランス・ディスク大賞なども受賞する。

驚いたのは、バーンスタイン作曲『不安の時代』をフィリップ・アントルモンの代役で演奏(小沢征爾指揮)し、大評判になったことについて、高橋悠治本人の記憶が曖昧な点(トロントでの演奏なのに、ボストンでの演奏だと思い込んでいる)。

グールドの代役をアンドレ・ワッツが、ワッツの代役をラン・ランが勤めてブレイクするなど、古今のサクセス・ストーリーは大物の代役から始まることが多い。アメリカ時代の高橋悠治が、いかにツアー・ピアニストとしての成功に興味がなかったかを裏付けるエピソードではある。(p.122)

まさしく。

この件についての小澤征爾氏の記述も面白い。
すぐには代役が見つからず困り果て、ふと思い出した悠治に連絡。
「彼は、そんな曲はいままで弾いたこともなければ、聴いたこともないという。が、『これからギリシャに一週間ほど行くが、いま楽譜が手に入ったら出来るかもしれない』という返事だ。トロントの演奏会まであと二週間しかない」
「悠治はいままで、いわゆる現代ものばかりが専門のピアニストだと思ってたのが大ちがいで、ジャズ風なところや、すごくロマンチックなところ、あるいはドラマチックなところのあるこのアメリカの古典曲をごく自然に演じている。大変なやつがおれの友達の中にいたもんだ、とあきれかえった」(pp.112-114『週刊朝日』小澤征爾連載「棒ふり一人旅」より転載)


これは、まさに伝説ですね。
その他、著者・青柳氏が収集された新聞記事に見る、欧州と北米での反応の差なども面白く読みました。
ところが、悠治氏、帰国後はピアニストとしての活動を止めてしまいます。
  • 1970年代初め、ベトナム戦争の世情もあってか、インディアナ大学の数理自動音楽研究センターの職から解雇。コンピュータでの作曲に邁進する道は閉ざされ、日本への帰国を決心。
  • 1978年「水牛楽団」(アジアの民衆の中から生まれた歌を歌い、演奏するバンド)結成。演奏活動から一時撤退する。
  • 1983年、ピアニストの三宅榛名とのコレボレーションでコンサート活動復帰。
  • 1985年、「水牛楽団」解散。
ああ、なるほど。
政治について関心がなかった10代、20代初めの私には記憶がないわけですね。
なんだか長くなりそうなので、今回はここまで。(続きます)


(付記)
高橋悠治氏のサイト内にある、2019年1月更新の記事「演奏の変化」が参考になります。過去に発表した文章に加筆したもののよう。今年2019年にクセナキスを弾くとありますが、これには青柳氏も言及していて、悠治氏にとって新曲とのこと。80歳で。たしかに怪物です。

ピアノ・エトワール・シリーズvol.36
レミ・ジュニエ ピアノ・リサイタル

2019年1月12日(土)15:00開演 17:00終演
@彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール

<プログラム>
  • J. S. バッハ:カプリッチョ「最愛の兄の旅立ちに寄せて」BWV 992
  • ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 作品57 「熱情」
  • ショパン:4つのマズルカ 作品17
  • ストラヴィンスキー:「ペトルーシュカ」からの3楽章
【アンコール曲】
  • チャイコフスキー(ラフマニノフ編曲):子守唄
  • クライスラー(ラフマニノフ編曲):愛の悲しみ
  • バッハ(ブゾーニ編曲):シャコンヌ
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レミ・ジュニエくん、名前に聞き覚えがあるような、ないような…。
セット券で買ったシリーズの中に入っていた……というだけの理由で聴きに行きました。
2013年のエリザベート王妃国際コンクール(→視聴記録)2位の青年ですが、当時は彼の演奏を聴き逃していて、まったく印象に残っていません。💦

で、初めて聴いた印象です。
魅力は透明感のある音色、なかでも弱音のフレーズ感にうっとり。
流麗な弱音と、シャープな強音の対比にも、ハッとさせられました。
匂い立つような瞬間が、そこここに立ち現れるのが実に魅力的。
袖から現れて演奏を始めるや、ステージの雰囲気を新たな色に染めてしまう力、さすがです。
洗練の雰囲気。
彼自身の外見上の印象ともマッチする雰囲気。

個人的には、冒頭のバッハ、そしてショパンのマズルカに心惹かれました。
教会で聴いているような気分になったのは、このホールの音響のよさ、そして席が二階席だったせいもあるかもしれません。

逆に言えば、
全体の構成力、分厚い音が迫ってくる、というタイプではないかな。
会場では、やはり超絶技巧の曲に対して「ブラボー!」の声が上がっていましたけれども。
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お洒落な編曲ものを2曲続けたアンコール、
そろそろお開きかしらん……というムードが漂い出した中で、
突如、シャコンヌが始まったのには度肝を抜かれました。
この曲での重厚な音の扱いは、ベートヴェンやストラヴィンスキーより手の内に入っているように聴こえました。
プログラムの解説によると、
デビュー・アルバムがオール・バッハのCDで、このCDでの受賞もしたとか。なるほど納得。

ラフマニノフの編曲ものにも惚れました。こんな曲が弾きこなせたら楽しいだろうなあ。。。

昨年夏に書いたヴォーグ・カルテットの記事へのアクセスが、今頃になって急に伸びてきたのをみて、思い出しました。

そういえば、最近、
若いピアノ・トリオについての新聞記事を読んだような……♪これです。
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2019年1月7日(月)朝日新聞朝刊の文化面
「葵トリオ」
を紹介する記事でした。
2018年9月、ミュンヘン国際音楽コンクールで1位を受賞。
世界的に難関コンクールとして有名なのだそうです。

「葵」は、「きもと(ピアノ)」「がわ(ヴァイオリン)」「とう(チェロ)」と
「大望、豊かな実り」という花言葉を持つ「葵」からつけたとのこと。
3人の出会いは2014年、
サントリーホールの若手育成プログラム「室内楽アカデミー」だったとか。
いろいろなアカデミーがあり、成果を上げているようですね。

彼らの演奏、こちらに挙がっていました。




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