東村山徒然日記

私(東村山)のダラダラとした日常の日記です。 3日に一度更新予定 連絡用メールアドレス:horizontal02@yahoo.co.jp なお当ブログはリンクフリーです。

2010年05月

魚雷とか哨戒艦とか



上の動画はアメリカ海軍のMk48魚雷(炸薬量292.5キロ 磁気信管)でオーストラリア海軍のリバー級護衛駆逐艦(排水量2600トン)を撃沈した実験の映像です。

こんばんわ東村山です。今日は3月26日に起きました韓国海軍の哨戒艦 天安(排水量1200トン) の沈没事件についてイロイロと思うことを語ろうかと、というのは前にも少し書いたように最近私は「海軍水雷史」という旧日本帝国海軍の魚雷戦について書かれた本を読んでいるので、その辺の話題と絡めて書こうかと思います。

最近発表された調査結果から沈没の原因は北朝鮮の小型潜水艇による魚雷攻撃によるものというのが、ほぼ確実なようですな。遺留物(魚雷の一部)から北朝鮮製の感応魚雷「CHT−02D」(炸薬量約250キロ)が使用されたようです。
「感応魚雷」というのは船体の真下で磁気を感知して爆発するタイプの魚雷という意味でしょう、つまり上の動画のMk48魚雷とほぼ同じ威力、撃発様式の魚雷が使われたという事で、哨戒艦天安が1200トンと実験に使われた船の半分以下の大きさですから、被雷して瞬時に吹き飛んだような感じだったのでしょう。乗組員90名くらいのうち43名殉職されたというのですが半数以上助かったのが奇跡のような気がします。

このCHT−02Dという魚雷はロシア製の53-65KE魚雷を元に造られた魚雷らしいです、Wikipediaによるとこの53-65KE魚雷、サイズや音響追尾などは同じようですが推進動力がケロシン・酸素タービンとなっております、戦時中にドイツが造ったワルターエンジンに似た動力源らしいです。
しかし引き上げられたCHT−02D魚雷の一部(尾部)を見ると明らかにモーター駆動になっている。公開された図面にもバッテリー室とある(らしい)ので北朝鮮でモーター駆動に再設計されたようだ。

バッテリー・モーター駆動に替えたせいか元の53-65KE魚雷に比べてCHT−02D魚雷は雷速、航走距離共に少し劣るようだが、製造や取扱いは格段に楽になったと思われる。最近は良いモーターやバッテリーが容易に手に入るのでこうなったのでしょう。

余談ですが昔の魚雷というのは内部に気室(エアタンク)が有って、気室に溜め込んだ高圧空気でピストンエンジンを駆動して推進してました。この空気式魚雷は泡を出しながら進むので(航跡が残る)良く見張っていれば回避する事が出来ました。第二次大戦前くらいにドイツでバッテリー式の電動魚雷が使用されるようになりました。当時は鉛蓄電池しか無い時代なので射程も短めでしたが、泡が出ない(無航跡)なので潜水艦からの隠密攻撃にはもってこいで当時のUボート戦で多用されました。

さて空気式魚雷と電気式魚雷はどちらが高価だったと思いますか?
バッテリーを積んだ電気魚雷の方が高価だったと思われるかもしれませんが、実は空気式魚雷の方が高価でした。
なぜなら空気式魚雷に使われる気室(エアタンク)というのは鍛造したインゴット(鋼のカタマリ)から精密切削して造るもので非常に高コストで魚雷の部品の中で最も高価な物でした、プロパンガスのボンベのような物では無いのです。

話を戻して磁気感応式の起爆装置というのは上で見たとおり、鉄製船体の磁気を感知して船体の真下で爆発する方式です。第二次大戦前からアメリカ海軍が導入した方式で、戦争初期には不発が多かった。「海軍水雷史」によると磁気感知の為に魚雷本体は非磁性体の銅合金で出来ていたそうです。
CHT−02D魚雷の残された尾部を見るとサビている様に見えるので本体は鋼製で先端の誘導、センサー部分だけ非磁性体だったのかもしれません。

このCHT−02D魚雷が北朝鮮で設計(53-65KE魚雷を元に)、製造されたとすると、音響誘導装置や磁気感応起爆装置が確実に作動したのだから北朝鮮の兵器製造技術はかなりの高水準と言えるでしょう。
製造の容易なモーター駆動に変更した技術センスも良いと思う。

魚雷を発射したとされる潜水艦はヨノ型潜水艇(130トン)とされています。
sub
この画像はイランに輸出した物のようです(スクリューが手前に見えるので船尾から写している)。正直もっと「ちゃちい」モノを想像していたのですが、かなりシッカリと設計、建造されたフネのようです。

この手の小型潜水艦は第二次大戦末期にドイツで造られ、また戦後はソ連で多数建造された物で、私の知る限りでは沿岸防備用の潜水艦です(小型なので長距離航海は出来ない)。ソ連の小型潜水艦は冷戦期にフィンランドに潜入して偵察活動を行ったりしたそうです。

動力源が何か報道されてませんがさすがにAIPエンジン(空気を使わない動力源)では無いでしょう。AIPは高度な技術力が必要だし、それなりの大きさの船体が必要です。母船と一緒に行動していたというのですから、たぶんバッテリーをしこたま積んだモーター駆動艇ではないかと思われます。隠密性が命のような潜水艇ですから充電用のディーゼル機関は積んでないと思います。

船体はスティルス性(静音性)が有り、航法機器も高度な物が搭載されているようです。乗組員も極少人数でしょう、多くても5,6名、あるいは2.3名で作戦行動可能かと思われます、バッテリー・モーター駆動だとすると機関士が要らないでしょうから、人数が少ないほうが長時間潜って居られるし。

全体的に見て沿岸部で隠密行動をするという北朝鮮にとっては正に必要としているフネでしょう。貴重な資材、資金、人材を投入して高い優先順位で建造した物と思われます。

さて報道によると北朝鮮の潜水艇は母船を伴い天安攻撃の2,3日前に琵琶串基地という所を出発しているとの事です。探知してたのなら何とかしろよ、って言いたくなりますが過去の偵察記録を見直して分かった事でしょう。

さて、以下は私が想像した(妄想した)攻撃の様子です。
母船というのがどういうフネなのか分かりませんが、恐らく目立たない小型の貨物船のような船だったのではないでしょうか。バッテリーの電力を節約する為に潜水艇は母船に曳航されていたのでしょう。
もちろん無線封鎖して一切の信号を発せずに航海したはずです。韓国側に怪しまれなかったという事は以前にも頻繁にこのようなテスト・訓練航海を繰り返していたのでしょう。

攻撃部隊は信号を発しませんが、何らかの形で指揮を受けていたハズです。このような場合取られる手段は短波ラジオ放送に秘密の符丁を紛れ込ませて指示を与える方法です。おそらくこの方法で作戦の継続、中止の指示あるいは攻撃すべき目標の位置を受け取っていた筈です。

目標となる哨戒艦の位置はどのように知ったのでしょうか?哨戒艦天安は沿岸部をパトロールしていたので北朝鮮本土から目視されていた可能性があります。天安艦上では休憩中にガールフレンドと携帯電話で話している乗員も居たそうですが、そのガールフレンドは果たして北朝鮮当局と無関係だったのでしょうか?まあ、その辺の妄想はしだすとキリがありません。

さて潜水艇は母船と別れて攻撃位置に向かいます。母船と別れた場所が韓国軍の探知範囲外だったかどうかは分かりません。ただ潜水艇が行って帰って来れる位置だったことは確かです。

潜水艇はGPSを使って天安を捕捉できる位置まで潜行し、音を立てないように低速で向かいます。民生用の低精度GPSでもこの場合充分過ぎる能力だったでしょう。GPSは自衛隊の潜水艦でも使ってるようなので深度によっては潜水したまま受信できるのでしょう。

潜水艇のソナー(聴音機)が航行する哨戒艦のエンジン音を捕らえました。事前の調査で韓国海軍艦艇のエンジン音は収集済みかもしれません。魚雷の射程内まで無音で接近します。

潜望鏡を一瞬だけ上げて目標を確認します。沿岸部に海側から接近したので沿岸道路の街灯をバックに天安のシルエットが浮かんだのでしょうか?それとも潜望鏡に暗視装置が付いていたのでしょうか?いずれにしても前後に砲塔を持った独特のシルエットは見間違えようが有りません。

静かに魚雷を発射。艦底爆発を狙って船底下を通るように深度を調定し、航走音を抑えるために低速にセットして音響誘導装置が無事に目標を捕らえる事を祈ります。

魚雷発射後は息を潜めて魚雷の命中を待ちます。底の浅い海なので海底に着底して待ったのかもしれません。命中までの時間は潜水艇の乗員にとって生涯でで一番長く感じられた数分間となるのでしょうか?

やがて水中爆発の衝撃が船体に伝わります。任務は成功、後は離脱するだけです。戦果を確認する為に潜望鏡を上げる事も無かったでしょう、結果は韓国のマスコミが詳しく伝えてくれるハズです。潜水艇は静かに母船との会合ポイントに向かいます。母船は果たして無事で居てくれるでしょうか?韓国や米軍のヘリに追い回されている可能性も有ります。

しかし無事に母船と再会できました。きわどい仕事を終えてきた潜水艇の艇長はハッチを開け母船の船長と眼を合わせ不適な笑みを浮かべます、だが彼らには成功を称えて肩を叩き合うヒマなど有りません、素早く曳航の準備をします、ですがすぐに基地へは帰投しません、追尾されていないかどうか確認する必要があります。もし韓国海軍や米軍に捕捉され停船を命じられたら自爆する予定だったのでしょう、もちろん乗員もろともです。

攻撃から2,3日経って追尾されていない事が確認されてようやく母港に帰還します、極秘の隠密行動なので華々しい出迎えも有りません。
だが基地司令の前に出頭した出撃部隊の面々には満足気な表情が浮かんでいたハズです。

そして翌日からは何事も無かったかのように日々の作業に戻ります、特別な休暇も何も有りません。公式には彼らは通常の演習航海に出て、帰還しただけなのです。彼らが何らかの褒章を受けるのはほとぼりが冷めた頃でしょう。

とまぁ、なんだか北朝鮮の味方するみたいに書いちゃったけど今回の一件は韓国側の隙を突いた北朝鮮側の手際にある種の「冴え」を感じたのも事実。
結果論では有るけれど韓国海軍は沿岸部、浅海面ではもっと潜水艦の脅威に敏感になるべきだったのだろう、音響探査装置(ソナー)による潜水艦の探知は襲撃現場のような浅海面で潮流の強い場所では難しいのだから、夜間に低速でのんびりと弋遊していたのは油断していたと指摘されても仕方あるまい。日本を含め他国の海軍関係者も潜水艦による魚雷攻撃という一見古風な襲撃方法が今なお有効だという認識を新たにした事だろう。
北朝鮮がなぜこのような事をしたのかの考察はまた後日にする、かも。ではまた

第二次世界大戦 (マーティン・ギルバード)

やー、どうもどうもこんばんわ東村山です
今日は最近読んだ本の紹介です

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第二次世界大戦 〜人類史上最大の事件〜
マーティン・ギルバード著

この本は非常に良かった。どの辺が良いかと言うと第二次大戦中に起きた様々な事件(戦闘)が時系列順に要領よく記述されていて非常に分かり易い。

第二次世界大戦というのはドイツ軍のポーランド侵攻から始まって、フランス戦、北アフリカ戦、独ソ戦、などなど様々な場所で戦闘が行われまして。それぞれの戦闘がまた1冊の本に出来るくらいの事件ですから。なかなか全体を見通すというのは難しい。

この本は各地域の事件を上手く並行的に記述する事によって各戦闘の関係が有機的に把握できるように書かれているし、個々の戦闘が全体の流れの中でどういう意味を持つのかが分かる。

これを読むことによって私の持っていた第二次大戦に関する断片的な知識がすっきり整理された気がする。

作者のマーティン・ギルバート氏は当時の英国首相チャーチルの伝記作家だそうである。そのせいでこの本は第二次大戦をイギリス中心に描いているようだが、イギリスはヨーロッパにも地中海(北アフリカ等、スエズ、パレスチナ)、東アジア(インド、ビルマ、マレーシア)にも関係が深かった(権益があった)ので結果的に第二次世界大戦の全体像を分かり易く説明できたようだ。

よく考えてみるとイギリスの視点で見た第二次世界大戦の本というのは、有りそうで無かった。

ナチスドイツの行った悪行(ユダヤ人の虐殺)を執拗に描いているから、極悪非道なナチスドイツに対して、正義のイギリス(チャーチル)がフランス、ソ連、アメリカの助けを借りていかに頑張って闘ったかという、東京裁判史観ならぬニュルンベルグ裁判史観で書かれているので、その辺がやや自国(イギリス)礼賛的な気がしないでもない。

しかし、その辺を差し引いてもこの本は第二次大戦全体を見通す優れた本であると思う。プラモデルやゲーム等で第二次世界大戦に多少とも興味の有る人ならば是非読んで欲しい本である。
作者自身の作成によるわかりやすい地図も掲載されているし、とりあえず第二次世界大戦の基礎的な教科書として1番に推薦したい。

あいにく絶版のようだが中古価格も安いので入手もしやすいでしょう、図書館にもあるかも。

ではまた

アルター セイバーオルタ メイド.ver

どうも皆さんご無沙汰してます東村山ですこんばんわ

今回はホビージャパンオンラインショップの限定通販で購入した
アルター製 セイバーオルタ メイド.ver の紹介です。

この美少女フィギュアは私が予約した最後のフィギュアです、もはや私には今後購入予定のフィギュアはありません

……と言い切れれば良いのですが、最近また気になるフィギュアがイロイロと発表されてまして困ったものです。基本的に買わないようにはしてるんですが、それでも1体や2体は欲しくなってしまうのです。
もはやそういう体質、そういう人生と諦めるしかないですな。さっさと要らないモノを処分して保管場所を確保しよう。

前置きはこれ位にしてフィギュアの紹介を始めましょうかい……
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さてこのフィギュア、なんとも撮影に難儀するフィギュアでした。こういう明暗のコントラストが激しいフィギュアは非常に撮影し辛い、絞りやシャッタースピードを明るい部分に合わせると暗い部分が潰れてしまうし、暗い部分に合わせると明るい部分がトンでしまう。
そのへんのバランスを取るのが非常に厄介です、ちなみに昔使っていたコンパクト・デジカメはこういう撮影が苦手で、仕方なくマニュアル撮影可能なデジカメを買ったのが今のカメラです。

私はグレーをパックに撮影する事が多いのですが、今回はグレーのバックだと御覧のように絵ヅラ的に寒々しい感じになってしまうので、イロイロ試して暗赤色の背景で撮る事にしました。
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見ての通り四角いベースです。このような四角いベースは飾る角度が限定されるのであまり好ましいとは思わないのですが、硬質なツヤのある仕上は見事なものです。

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まあ、モップを持たせてやれば三点支持になって安定するからベースに立たせてやる必要も無いので、以後この状態で撮影します。

うしろ姿
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原型はミリメートルモデリングの人ですな、このフィギュアの元になったセイバー メイド,verは2007年9月頃発売されたフィギュアでして、翌年に行われた人気投票(確かホビーストック主催だった)で1位になった有名なフィギュアです。

今でも既存のPVC完成品フィギュアで人気投票をすれば1位になるのではないかと思います私は。美少女フィギュア史に残る傑作造形と言っても言い過ぎとは思われまい。

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美しいメイド服姿の色白美少女が汚れたモップとサビたバケツを持ってふてぶてしいポーズで立っているという対比が面白いフィギュアとなっております。

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付属するミニフィギュアです
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造形、塗装仕上げ共に緻密な仕上がりです
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オマケというには豪華すぎる気もします。

元になったメイド・セイバーと並べてみました
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元のセイバーが随分と日焼けしてるように見えますな。スカートから上が全て新規造形になっているのが分かります。

並べてみると2007年のメイド・セイバーに比べて2010年製のこのメイド・オルタは随分と塗装仕上げの質が向上しています。2007年セイバーの方は塗膜にゴミを噛んでいたりするのですがオルタの方は殆ど塗装面の荒れがありません。やはり最近の美少女フィギュアは値段の上昇に見合った品質の向上をしていると言えましょう。

これも造形、塗装ともに非常に満足の出来る美少女フィギュアでした。こういう物との出会いがあるから美少女フィギュアは止められないねぇ……

ではまた

生きてます

すいませんホントに、更新が滞ってるのは別段忙しいという訳では無くて、どうにもあんまり話題が無いからなんです。こんばんわ

特に大きなトラブルが有る訳じゃ無いんだけれど、なんとなく雑多な用事が有って何か有意義な事に取り掛かろうという意欲も湧かないし、というダラダラした生活を送っております。

そういえば最近オヤジの残した本を(いやまだ生きてるんだけど)少しづつ整理してるんですが、カエルの子はカエル、というかカエルの親はカエルという感じで戦争関係の本が非常に多かった。

私は戦車マニアなので戦争に関する知識や感心は非常にミクロ的なものになりがちなので、オヤジの買ってた第二次大戦に関する本は読んでみるとなかなか興味深い。そのうち感想を書くかもしれんです

HDDレコーダーに撮り溜めたアニメを必死で消化しております。最近観たのは「そらのおとしもの」「テガミバチ」「アスラクライン2」「真・恋姫無双」です。どの作品も観ればそれなりに楽しいのですが、こうも溜ってしまうと「消化する」という姿勢で観なければならないのが悲しい所。
世間の半年遅れで鑑賞してるので人気が有ったのかどうかも良く分からない、他人と感想を分かち合えないスタンドアローンな人生です。

観ても観てもどんどん溜って行くねアニメ、他に観たい番組も無いしなぁ。正直アニメだけが自分と外界との接点のような気がする。
アニメ以外で観ている番組は「あいまいまいん(半分アニメ)」と「空から日本を見てみよう」と「水曜どうでしょう再放送」だけです、ニュースもロクに見てませんが新聞は読んでます、もちろん朝日新聞です最近ますます中国シフトが激しい紙面のような気がしますが、まあいいや。あ、それから「仮面ライダーW」を観てます。
アニメ以外に4本観てるね、うん大丈夫大丈夫。たぶん

ではまた

「自虐史観」とオヤジの思い出

すみません、諸般の事情によりトレジャーフェスタには行けませんでした東村山ですこんばんわ

という訳で今日は最近流行の「自虐史観」についてお話しようかと思います。「自虐史観」とは何かについて説明するのは億劫なので、知りたい人は検索して調べてください。

さて、私の育った家庭はとても「自虐史観」的でした。オヤジも母もそういう感じの人でした、母は早くに他界してしまったので何故そうなったのか質問する機会はありませんでした。母が亡くなったのは私が22歳の時で当時は「自虐史観」というものを意識する事も無かったので(当然のことと思っていたので)質問しようとも思いませんでした。

オヤジにも質問した事は無いのですが、オヤジの場合は折々に聞かされていた思い出話からなんとなく、そういう人間になるのも当然な気がしたのです。という訳で今日の話題はその辺から、つまりオヤジの世代の思い出話から「自虐史観」というものについて考えてみようかと思います。

今でも思い出すのですが、1995年の地下鉄サリン事件をきっかけにオウム真理教が世間を騒がせていた時に、オヤジがボソッと呟いて
「オウムの奴らが警察をてんてこ舞いさせて、チョット面白いぐらいだ」
等と言っていました。
私はオヤジの、国家や体制に対する敵意と言っても良い程の不信感を感じて慄然としたものです。一体何がオヤジにそこまで言わしめたのでしょうか?

ちなみにオヤジは決して熱心な左翼活動家とかでは無くて、普通に会社員として働いていました。そもそも余り学のある人間では無いので左翼思想や共産主義の知識は殆ど無かったと思います。
親父の本棚に在ったのは「世の中かく有るべし」と説く思想の本では無く、戦争や国家的抑圧に苦しんだ人間を描いた本ばかりでした、仕事関係とごく僅かの趣味(鉄道模型)とか以外では。

で、まあ何でオヤジがいわゆる「自虐史観」的な人間になったかというと、結論から言うと19歳の時に終戦を迎えたからだろうと思います。

前にも少し話したけど、私のオヤジは体格貧弱で兵隊としては使い物にならない人材で(丙種合格)、戦時中はたいそう肩身が狭かったようです。
やがて戦争は激化し、兄貴は出征し、年老いた両親と暮した家は空襲で焼かれ、いよいよ本土決戦となれば丙種合格の身であっても戦闘に身を投じなければならないであろう、という状況でした。

そんなある日、ノイズだらけのラジオから玉音放送が聞こえてきました。
日本の敗北を悲嘆する人も居ましたが、オヤジはむしろホッとしました。考えてみればオヤジは戦時中からして熱心な国家主義者とは言いがたい人間だったようです。オヤジはなんと言うか、要するに享楽主義的な人間でした、その息子である私もそうなりました。

終戦の日はどうだった?と質問するとオヤジは
「なんだか世の中が急にパーッと晴れ渡った感じだった、残念とか悔しいとかそういう気持ちは全然無かった。」と言っていたと記憶している。

今、当時のオヤジの頭の中を想像してみると、
もう軍隊に召集される心配は無くなった。
竹槍で自動小銃を持った米兵と闘う必要も無くなった。
地雷を抱えてシャーマン戦車の下に身を投げ出す必要も無くなった。
抜けるような青空、燦燦と輝く太陽
もう米軍の空襲や機銃掃射も無い。
夜になると灯火管制が解除された町の灯
食い物は乏しいけれど、もう死地に赴く必要は無いんだ!

現代の人間にとっても、当時のオヤジの本能的な安堵感を想像するのは、たいして難しい事では無いと思う。

そして、その安堵感、開放感は終戦以前の時代を「暗黒時代」と感じさせるようになった筈である。

そして始まる東京裁判、その様子は新聞等で国民に広く報道される。
戦勝国主導で行われる裁判は、終戦までの日本国家を邪悪で好戦的な侵略国家と定義して、その責任は国家や軍に有りとする。
オヤジを含め、多くの日本人もそれを信じたようだ、人間はつらい体験をするとその原因を自分の外部に求めるものだ。

オヤジはよく、こう言っていたものだ
「オレ達は騙されてたんだ」

かくして国家や体制に対する強い不信感を心に刻み付けられた人間が出来上がったと、私は想像する。
そして、そういう人間はオヤジ以外にも相当数居たらしい。
そうした人間には、
「国家は国民を騙す、軍隊は国民を殺す、どちらも信用するな。」という考えが心の中に根強く残ったようだ。
「南京大虐殺」とか「従軍慰安婦」とかの話題も、戦時中に苦しんだ自分達の境遇と重ね合わせて考えていたのではないだろうか?
そして彼らの子供達がいわゆる「団塊の世代」となる、彼らも多かれ少なかれ親達の不信感を相続したはずである。

とまあ、こうして見ると「自虐史観」というのは戦争の時代を生きた人間の強烈な恐怖心と不信感が核になって出来たものである。
彼等にとっては決して愚かな世迷言や能天気な妄想では無いのだ、それは体と心に刻み込まれた物と言って良いと思う。

もちろん、だからといって私には「自虐史観」が絶対に正しいなどと主張する気も全く無い。上記のような私の推測が正しければ、「自虐史観」というのは要するに恐怖心と不信感のカタマリなので、そもそもあんまり建設的な物では無い。世の中をどのようにしたら良いかを考えるのに「自虐史観」あまり役には立たないだろうし、「反・自虐史観派」の人たちもその辺を非難しているのだと思う。

ただ「自虐史観派」の人達を「脳ミソお花畑の空想的平和主義者」という見方は間違ってると思う。彼らは決して平和的な存在ではない、彼らは常に頭の中の「抑圧的な国家」や「残虐な軍隊」と闘っているのだ。結局、全ての人間は何かと闘う生き物のようだ。

だから終戦の日のあの太陽を見た人達は「自虐史観」捨てる事も無いだろう、というか出来ないだろう。だが、そういう人達は時の流れと共に減っていく。
「反・自虐史観派」の人たちが特に頑張らなくても、本能に基づいた本物の「自虐史観派」は滅びる運命にある。年老いてこの世を去ってしまうのだ、戦争に関する直接的な記憶の無い「自虐史観派の子供達」は彼らの親達のような迫力のある不信感を世に問う事は出来ないだろう。

「自虐史観」から開放されたこれからの日本人は、はたして「自虐史観派」の世代よりも賢明に振舞えるのだろうか?
その辺が見物といえは見物だね、これからの世の中は。

ではまた

おすすめブログ

いや〜どうもすみません、更新一回サボっちゃいました東村山です

なんでサボったかというと面白いブログを発見して読み耽っていたら自分のブログを更新する時間も気力も無くなっちゃったという……

その面白いブログというのが

http://takenami1967.blog64.fc2.com/

コレでして「自虐史観」をキーワードに60,70,80年代のアニメや特撮番組を語っている。私としては語っている内容に100パーセント同意出来る訳では無いけれど、作品の解釈などは見事なものだと思います。

今までアニメ等に関して語られた文章を色々と読んできたけど、正直このブログの記事が一番面白かった、私としては。

しかしこの「自虐史観」という概念やそれにまつわるアレコレも非常に興味深い話である。特に私はいわゆる「戦後教育」世代であるし、朝日新聞を読んで育ってきたし、両親共にあまり愛国心を表明して生きるタイプの人間では無かったから、こういう言葉が出てきた最近の風潮というものに無関心という訳にもいかないのだ。

今はチョット時間が無いので書かないけれど、いずれ「自虐史観」というものに関して私なりに感じる事を書こうと思う。まあ、たいした事は書かないと思うので余り期待されても困るけど……

とりあえず次回は有明の造形イベント、トレフェスに行ってレポろうかと思います。
ではまた
 
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