2010年12月30日

新宿駅西口 ホームレスになって過ごした7日間 1

日の食事にさえ困る人たちが集まると言われる東京副都心内の新宿駅西口地下街。毎晩11時になると数多くのホームレスがどこからともなく現れ、ダンボールの寝床で眠りにつく。翌朝、かれらの姿は跡形もない。いつ、どこへ移動し、何を食べて暮らしているのか知れない。路上生活を続けるそのホームレスの人たちが、この社会をどのように捉え、何を見つめて生きているのかを探るために、新宿駅西口・地下街のホームレス社会に飛び込んだ。そして、7日間自らホームレスになってみた。

4月7日金曜日。ホームレス社会に自然と入り込むために選んだ服装は、色あせた防寒ジャンパーに古着の綿パン、厚手のインナー2枚、履き古したワークブーツに野球帽といういでたちだ。寝袋、下着2枚、ソックス3足、折りたたみ傘、洗面道具など最小限の生活必需品とカメラを詰め込んだバックパックを背負い、1000円札1枚をポケットに忍ばせ、同日午後5時過ぎにJR新宿駅西口に着いた。

地下街を歩き回ったがホームレスの人影さえ見当たらない。西口地下のインフォメーション・センターの職員にホームレスの寝床場所を尋ねると、地下1階の新宿駅西口の交番裏手当たりから丸の内線改札に向かったオープンスペースだというが、ここにもダンボールひとつ、見当たらない。時間がまだ早いと考え、これまでに数回取材で訪れた新宿区立中央公園に住む、ホームレス歴4年の田中一郎(仮名)62歳のテントを尋ね、同駅の情報収集することにした。

東京都庁舎近くを通りかかると、植栽の中からダンボールなどを取り出すホームレスが、地下道出入り口横に寝床を作り始めていた。数多くの人たちが日中利用する通りだが、静まり返ったオフィス街の深夜、見知らぬ誰かが横を通り過ぎることを想像すると、安眠の保障はない。ダンボールの寝床をわざと蹴るもの、なかにはその寝床に火の点いたタバコを投げ捨てるものなどの嫌がらせさえあると聞く。

新宿区立中央公園内ブルーシートのテントが並ぶ広場に着くと、肌寒いなか花見客のグループがちらほら見える。花見客のグループから通りを隔てたホームレスの田中さんのテント。その入り口前から声をかけると、暗闇のなかで黒い影がむっくり起き上がり「おう、どうした? まあ、中に入りな」という田中さんの眠そうな声が返ってきた。好きなときに寝て起きる。テント生活のホームレスに時間はあまり関係ないようだ。

暗闇のテント内はカートリッジ式のガスヒーターの赤い火で暖められ、テント天井にセットした自転車用のライト2つが、床上に明るいスポットを作り出している。野菜や米が入った収納、水入りのペットボトル、さまざまな調味料入りの小さな器なども棚上に並んでいるのが暗闇にかすかに浮かび上がっている。リビング奥にキャンプ用テントを連結させ、毛布と布団が置かれたベッドルームが覗かれる。2週間ほど前に1度泊めてもらったが、テントで暮らすホームレスの人の生活は、ダンボールを毎晩組み立てて寝泊まりする人たちに比べて、格段に上だと想像できる。

新宿駅西口地下街のホームレスについて田中さんに尋ねると「西口地下には、明日の食事に困ったのが集まって来るんだ。縄張りじゃないが寝床の場所もそれぞれ決まっているし、なかにはこれ(ヤクザ)もいるからなあ」と話す。寒くて眠れなかった新宿駅での思い出話の後、芋焼酎をコップに注ぎながら「忍には参った、参った」とひとりごとのようにつぶやいた。「北海道に住む娘さんですか」と聞いたがそれ以上は話してくれない。

同中央公園の管理局職員が数日前に、近いうちに現在の場所から同敷地内の別の場所に移って欲しい旨を告げられたという。「あと、どのくらいここにいられるかなあ」と田中さんはつぶやく。新宿区では同中央公園からホームレスをアパートに移す自立支援に力を入れており、住民から愛される本来の公園に取り戻す計画が進められている。「今日はここに泊まっていきな」という田中さんの言葉に甘え、持ってきた寝袋を広げた。同公園では翌日土曜日、横田基地・米軍エアーフォース・ボランティアの炊き出しが午前9時ごろから予定されている。午後11時過ぎ、眠りについた



4月8日土曜日。午前7時ごろ、テントの外から「いつも並んでいる場所に、今日は誰もいないぞ」という話声が聞こえる。前の週、新宿区の職員らしき人が、横田基地・米軍エアフォース・ボランティアの責任者に、公園出入り口の鍵の返却を要請していた。同公園管理局職員に対する取材で「ホームレスがここに住み出してから10年以上になります。当時は500人以上のホームレスとその人権問題のために、住民らは理解を示してくれましたが、現在は、その住民のほかに、オフィス街に勤務する人やホテル関係者らも、支援方法を変える時期ではないかという強い声があります」と話していた。どうやら、今日から食料を積んだ車は公園内に入れないようだ。

田中さんにあいさつをして、午前7時半前にテントを後にした。少し肌寒い。ホームレスの朝はすでに始まっていた。同公園のポケットパークから並ぶホームレスの列を見つけ、最後尾に並んだ。ホームレスのなかには、垢で汚れたジャンパーにサンダル姿で、荷物をキャリアーで引っ張っている人、身なりも小綺麗で新聞や文庫本を読んでいる人などと様々だが、ほとんど会話は聞かれない。

同炊き出しのために、新宿だけではなく、池袋、大久保、渋谷、上野などからも徒歩でやってくる。午前6時過ぎから順番待ちを始めるホームレスもいる。夏には5時過ぎから並ぶことも珍しくないと言う。食べなければ生きていけない。ホームレスの人たちは、電車賃を節約し、どんなに遠くても歩いてやってくる。早い列に並ぶことができれば、2順目の配給を受け取れる。

最初に白いプラスティック・スプーンが配られるとすぐに炊き出しが始まった。前の週、取材で直接話しを聞いた米国人と日本人の担当者が食料を手渡している。野球帽を深く被り、順番になるとうつむきながら「頂きます」と言って食料を受け取った。気づかれずにホッとするやいなや他のホームレスと同様に、列の最後尾に向かって歩き出した。到着して初めてスープを口にした。ビニール袋のなかには、おにぎり、バナナ、チーズ、マフィン、食パン2切れ。それとお茶を紙コップで受けとった。

「今日1日は大丈夫だ」という安堵感。周りのホームレスもそれぞれ夢中でスープを口に運んでいる。食欲が満たされていく満足感と食料を受け取った安心感で、ホームレスの人たちの顔がすこしずつ、柔和になっていく。2順目にチーズ、マフィン、スープなどを手に入れることができた。これで明日の朝まで大丈夫だ。食事後、偶然、4月1日に行われた「新宿連絡会」主催のホームレスのために開いた花見の会で取材した谷沢隆夫(仮名)さん(41)を見つけた。谷沢さんは新宿駅西口地下街に住んで今年で6年目を迎えるホームレスだ。

その谷沢さんにあいさつし、新宿駅西口地下街で寝起きするホームレスの生活について聞いてみると、案内してくれるという。新宿駅に向かって、谷沢さんのホームレス仲間、草間幸三(仮名)さん(72)と一緒に歩き出した。谷沢さんはサラリーマンを辞めた後、住み込みの飲食関係から風俗業に至るまで転々として、ホームレスに身を落とし、現在、引っ越しなどの運送業や順番券やチケットなどの購入券の「並び」と呼ばれる手配士なる仕事を時おりしている。

一方、草間さんは年金生活者で、65歳まで温泉地の大手ホテルで食料の仕入れ計算などをしていた。定年となった66歳から教会のボランティア活動などに加わり住まいを転々としながら、2カ月に1回振り込まれる年金がなくなると、ホームレスの生活をするようになったという。お金のあるうちは、サウナや深夜喫茶などに滞在し、お金が底をつくと炊き出しを出かける気ままな毎日だ。家族はない。年金をもらいながら、お金が底をつくと炊き出し回りをするホームレスも少なくないという。

新宿駅西口地下街に案内されると「この柱を頭に寝ています。草間さんはあの花屋さんの入り口辺りです」と谷沢さんが指差した。人通りの多さに驚くと同時に「何時から眠ることができるのですか」と思わず尋ねた。「午後11時ちょうどに流れる『ダンボールをひいて寝起きをしてはいけません。…直ちに止めて片付けなさい』という内容の警告放送を合図に、ダンボールを持ち出して床作りを始めるのが日課です」と谷沢さんは話す。

午後11時に寝床を作れるとはいえ、午前4時45分ごろに東京メトロ・丸の内線のシャッターが開くと同時に追い出され、小田急ハルク地下通路に移動しなければならない。1時間後の午前5時45分に今度は、地下街の西口と東口を結ぶ地下通路のシャッターが開き、果物販売店、フルーツパーラーなどの運営する同駅東口の「新宿高野」の地下通路に再度移動して、ガードマンが声をかける午前7時15分ごろまでしか眠れないという。そのために、ホームレスはいつも寝不足状態が続き、昼の間どこかで睡眠不足を補っているというのが谷沢さんの説明だ。その地下街に寝泊まりしたい旨を伝えると「寝る場所が決まっているから難しい」という返事だった。

二人に連れられ、新宿駅西口地下街から同駅南口の高島屋デパートの屋外、タイムズスクウェアにやってきた。この辺りもホームレスの時間のつぶす場所のひとつだという。ベンチに腰をかけ、しばらく会話していると、ビルの谷間へ冷たい風が容赦なく吹き降ろし、寒さで震えてきた。にわか雨が降るという予報が出ており、雨や寒さにも左右されずにホームレスが滞在できる場所のひとつ、新宿区立四谷図書館に行くことになった。

新宿御苑の横を3人で歩いていくと、モダンなレストランの前を通り過ぎた。中にはおしゃれな服装で身を包み、新宿御苑の花や木々を見ながら、コーヒーや紅茶を飲みながら楽しそうに談笑している。朝の炊き出しで食事を恵んでもらうホームレスから見ると、そうした世間の人たちは、まるで別世界の人たちだ。

7階にある新宿区立四谷図書館のひとつ上の8階に、自動販売機とテーブルとイスを揃えた休憩所がある。食べることは、今の自分にとってホームレス同様に死活問題だ。そこで1週間の炊き出しの場所をなにげなく聞いてみると、今日は原宿・表参道と池袋で午後から炊き出しがあるという。表参道の炊き出しに出かけるという草間さんに頼んで、同行させてもらうことになった。目的地の東京ユニオン教会まで徒歩で1時間弱だという。炊き出しの場所がどんなに遠くても歩いて行くのはホームレスの基本だ。

午後2時半、四谷図書館を出発した。草間さんは着替え一式と食料を入れたバックパックを背負い、72歳とは思えない足取りで歩く。3─4年前にホームレス仲間とふたりで、新宿から静岡県の下田まで歩いて旅したことがあり、「1日30キロ。夜の公園は物騒なのでもっぱら夜中に歩き、昼間の公園や河川敷で睡眠を取っての旅だった。歩くことは好きだから苦にならない」と思い出を語る。70歳を過ぎてから、年々足が弱ってきているが、今のところこの暮らしを変える予定はない。

草間さんは「道路上には割合お金が落ちているんだ。100円以下の硬貨であればその率もかなり高い。一般の人は硬貨が落ちているのに気づいても、人目を気にしてわざわざ立ち止まって、その硬貨を拾おうとはしないからね」と話す。また、自動販売機のつり銭の拾い忘れなども案外多いという。つり銭目当てで各販売機をチェックするホームレスもおり、そうして集めた小遣い銭で、タバコを吸ったり、缶コーヒーを飲んだり、ファースト・フードに出かけたりなど、彼らにとっては、ちょっとした贅沢(ぜいたく)を味わえる。


pipopa100 at 11:19│Comments(0)TrackBack(0)貧困 | ホームレス

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