May 08, 2023

2022年12月〈おしらせ・よてい〉

〈Pippoの活動予定のお伝えコーナーです〉

◆ポエトリーカフェ◆
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◇12/25(日)15:00〜17:30「ポエトリーカフェ番外編!〈2022年、この一冊、この一篇〉」(定員18名)(←詳細・お申込はクリック)
 *11月28日(月)よりお申込受付開始!

2022年、コロナ流行も三年めにはいり、パンデミック下の非日常を生きることが日常となってゆきました。ひとり時間・おうち時間もふえたこのごろ、〈本〉と親しんだかたがたも多いのかなと。そこで、詩の読書会〈ポエカフェ〉番外編として、ことしの「本との時間」をふりかえる小さな会を企画しました。
ことしに出会い、心にのこった本の一冊(詩集、小説、エッセイ、絵本、ノンフィクションなど何でも)を選び、本の一節や詩の一篇などを朗読・紹介し、よさをかんじたところなど、みなで語り合いましょう。ことし刊行の本でなくとも、大丈夫です!

お好きなおやつや飲み物など用意して。年の瀬にすきな本や詩を語らう、やわらかなクリスマスのひとときを、みなで過ごせたら嬉しいです。

★11月、杉山平一さん 篇終了!ありがとうございました。
2022年からは、会を喫茶店でも再開できるかな.. と検討していたのですが。感染が大拡大のなか、もうしばらくは オンライン( ZOOM ) でやってゆくことにしました。喫茶店開催を待望のかた、もう少しおまちくださいませ。
【第143回】11/26(土)「ポエトリーカフェ〈杉山平一〉篇 」15:00〜17:30(定員17名位)(← 詳細&お申込はクリック)*10/28(金)よりお申込受付開始! *10/30(日) お申込が定員に達しました。以降キャンセル待ちでの受付となります。

ZOOM を使った、気さくな詩の学び場です。
今回は、福島県出身で、神戸を代表する詩人の 杉山平一さん をとりあげます。

この会では、Pippoが詩人の生涯を紹介しつつ、みなさまとともに詩をよみ(お一人ずつ朗読、感想など)自由に語らってゆきます。平一さん をお好きなかたも、気になるけどあまりよく知らない、というかたも大歓迎!(知識・予習なしでもOK)、おトクな初ご参加枠もございます♪
どうぞ、どなたでもお気がるにご参加くださいね。

◆雑誌掲載◆
◆2021年7月刊、詩誌「季刊 びーぐる」52号(北村太郎)へ、 高階杞一詩集『星夜 扉をあけて』の書評を寄稿しました! 記憶を映写する空のスクリーン。空に明滅するやさしい交信。『星夜』ほんとにいい詩集なのでぜひ。
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◆「詩と思想」(土曜日術社出版販売)2021年7月号〈小熊秀雄 特集〉へ、小文を寄稿しました。以前、開催した「ポエトリーカフェ・小熊秀雄篇」へご参加のかたがたのお声も紹介しています。すごい熱気あふれた特集号で、小熊の批判精神とダイナミズム。強烈な吸引力をもつ詩人だな…という認識を新たにしました。
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◆2/3(水)発売の「anan」2236号 "官能の記憶”特集 内の、「古今東西の詩で味わう、官能」というコーナーにて、官能生をおびた詩歌、10作品をご紹介しています。
(バイロン「いまは、さまようのをやめよう」 /新潮文庫『バイロン詩集』、村山槐多「死の遊び」/『槐多の歌へる』、大手拓次「香料の顔寄せ」『大手拓次詩集』、タケイ・リエ「甘いゼリー」/『ルーネベリと雪』、中江俊夫「(失夢)」)/『伝言』、茨木のり子「恋唄」/『歳月』、北原白秋「邪宗門秘曲」/『邪宗門』、ウイリアム・ブレイク「虎」/『対訳ブレイク詩集』、戸田響子『煮汁』より一首、岡崎裕美子『わたくしが樹木であれば』より一首)
五感と心ではるか遠くへゆけます。お手にとってみてくださいね。
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◆文芸誌「群像」2021年1月号へ、「「弱さの音」を聴く詩歌」と題して、随筆を寄稿しました。
自らの「弱い音」を聴き、おのれの強さに変えた金子光晴の生と詩から、虫武一俊さん(『羽虫群』より)と藪内亮輔さん(『海蛇と珊瑚』よりの短歌、また山崎るり子さんの詩(『地球の上でめだまやき』)を紹介しています。

◆2020年10月刊行!◆
インタビュー集『一篇の詩に出会った話』刊行のお知らせ

◆2015年11月刊行!◆
Pippo著『心に太陽をくちびるに詩を』(詩と詩人の紹介エッセイ集)
(↑ クリックでそのページに飛べます)
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Pippo〈プロフィール〉〈これまでの仕事一覧
おしごと依頼など⇒ mail宛先 tintiro.ivent@gmail.com

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November 28, 2022

2022年11月「詩とうたたねの古本市」@三叉灯

●「詩とうたたねの古本市」終了♪
 ご来場くださったみなさま、三叉灯・七月堂さん、ありがとうございました!

◆古本市 *11/9 情報更新!
毎年の恒例になりつつある、小さな秋の風物詩。
七月堂主催、下北沢・三叉灯で開催の「詩とうたたねの古本市」(新本・古本・雑貨など販売)に黒猫リベルタン文庫、ことしも参加します!
SNS用詩とうたたねの古本市会場のようす (1)

ことしのテーマは「詩とうたたね」。ふふ、ほっこりしますね。テーマを聞いたとき、先に刊行された西尾勝彦さんの詩文集『なんだか眠いのです』をちょこっと想起しましたが。どんな人も「うたたね(夢)と現実のはざま」にそれぞれの〈詩〉をにじませて生きているのでしょう。

みなさんの心が少しでもポッと明るめばよいな、と思いつつ、「黒猫リベルタン文庫」もこのテーマにそって選書しました。

11/9に追加納品にゆきました!
ので・・・ちょっと「黒猫リベルタン文庫」本棚ご紹介♪
黒猫リベルタン文庫

★日常からちょっとはなれて。心がのびのび、その世界にひたれるような本を並べました。詩集(『夢に夢みて』、『綵歌』、『翻訳目録』、吉田加南子『つゆ』『闇』)SF短編集、歌集(『体温と雨』『わたくしが樹木であれば』)、外文(E.マコーマック)、また山・自然関連の『人はなぜ山を詠うのか』(正津勉)、大竹英洋『そして、ぼくは旅に出た』)、八木重吉のめっぽう素敵なZINE『六甲のふもと 百年の詩人〜 八木重吉の詩 神戸篇』(新本) 、スタンダードブックスシリーズは、河合隼雄・星野道夫・松田道雄など。
  
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★新刊!特設コーナー
『ニーネ詩集 自分の事ができたら』/大塚久生(点滅社)2022年11月刊 (税込2200円)
ニーネ詩集1

ニーネ詩集2
(ニーネの好きな詩を、選んで貼りました! *クリックで拡大できます)

 創立五ヶ月のふたり出版社「点滅社」の記念すべき一冊目の本。
 結成24年目のロックバンドである、ニーネ(の24年間)の大塚久生氏の歌詞を一冊にまとめた、いわばニーネの歌詞集であり、「全詩集」です。
 わたし、じつはニーネさんというバンドのことを存じあげなかったのですが、愛読してる 点滅社の「編集日記」noteで熱く紹介されていた、ニーネのいくつかの歌詞をみて。そぼくに「いい詩だなあ」と思いました。
 詩として、ああ、好きだな・・・と感じたのです。

 24年間も音楽を、一つのバンドを続けるということは、よいことも多けれど、ときに心折れたり、負けてしまいそうになる日もあると思うんです(いえ、確実にあったと)。けれど。大塚氏は、自らを鼓舞してみたり、ときにユーモアをまじえつつ、素直な気持ちをのべていて。自らを励ますように書いた言葉が、こちらの心をも明るくてらしてくれた。きれいな水を飲んでるみたいに胸にしみこんできて、すごく励まされたんですよね。負けても、弱くても、諦めず、続けてゆくための「言葉」がここにあった。

「詩を好きなひとたちに、みてもらいたい、読んでみてほしいな」と点滅社の屋良さんに無理をいって、この「詩とうたたねの古本市」用に、三冊新刊で仕入れさせてもらいました!(創業して一冊目の本が詩集ってのも応援したくなった、ひとつの理由ですが笑)。
どうか、気になるかた、ぜひ手に取ってみてくださいね♪

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*江戸小紋の似たり鮫模様で黒猫リベルタン「特製栞」も作成しましたよ(本にはさんでおります)!

*【遠方で会場へゆけないよ〜】というかたは、購入したい本がありましたら、三叉灯さんが通販(「詩とうたたねの古本市」特製フリペも言ってもらえたら同封しますよ!とのこと)ご対応くださるそうですので、お店( sansato.shimokita@gmail.com )へお問い合わせなどお気軽に♪


約二週間の本の祝祭。あそびにいらしてくださいね。

「詩とうたたねの古本市」
◇日時 2022年11月3日(木・祝)〜20日(日)
 時間 11時〜19時 会場 三叉灯 3F(〒155-0032 東京都世田谷区代沢5-36-14)
 定休日 月曜日 
 アクセス:小田急・井の頭線、下北沢駅の南西口より徒歩7分ほど
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◉参加者◉
青と夜ノ空、歩く本棚、黒猫リベルタン文庫、高橋岳人、ヌイブックス
脳天松家、野原本棚(うららや)、のほほん製作所(西尾勝彦)
百葉箱、ママ猫の古本や、七月堂古書部
★ゲスト :とほん 砂川昌広(新本の選書とコメント)


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June 17, 2022

マヤコフスキーからの手紙 〃歃僂鮖屬港瓦討凌佑燭舛

16歳M
《16歳のマヤコフスキー》

5/21〈ポエトリーカフェ・マヤコフスキー篇〉を終え。しばらくたっても、マヤコフスキーについての思考の運動がどうにも止まらない(「代わりに読む人 0 (特集〈準備〉/小特集 後藤明生)」を読んだことも関係しているのだが)。深掘るほどにその人間的な魅力にふれ、予想以上にマヤコフスキーに惹かれてしまったようだ。一旦整理するためにも、心に強くふれたことを幾つか記事としてまとめたいと思う。(今後の展開とか内容は何も決めていないが・・・ )
始まりは、マヤコフスキーからの手紙、にしようかな。

――――

●「マヤコフスキーからの手紙 〃歃僂鮖屬港瓦討凌佑燭舛悄

この項では。19歳のマヤコフスキーがブルリュックとともに記した、未来派グループのステートメント(声明文)「社会の趣味を殴る」(1912年) と。亡くなる20日前に、36歳のかれが述べた言葉を併せて紹介する。


(19歳のマヤコフスキーにいたる道筋)1904〜1905年当時、中学生のマヤコフスキーは、ロシアと地元クタイスに満ちる「革命」への気運に共鳴し、全身を投じる。日露戦争に反対し(農民・労働者らが苦境にあえぐなか、戦争などしてる場合ではないという理由)、「ツァーリズム(皇帝主義)を打倒せよ!」と叫んでは、警官の攻撃を受け、コサック兵の鞭を浴びた。しかし、第一次「革命」運動は激しく弾圧され、失敗に終わった。のち15歳で社会民主労働党に入党、地下活動を精力的に行い、三度逮捕される(内一回はブトゥイルキ刑務所の独房に半年収監される)。その期間も含め、十代で異常な読書量をもって思考を強靱化したマヤコフスキーだったが、あくまで目指したのは、社会主義の芸術を創る――職業としての「芸術革命家」である。「自分には正しいマルクス主義的世界観があるが、芸術には修練が必要で自分にはそれが全然足りていない」と 17歳で党活動をぷっつりやめ、モスクワの絵画・彫刻・建築専門学校に入学(このときは画家志望)。そこで、11歳年長の未来派画家 ダヴィッド・ブルリュックと知り合い、親友となり、彼の知悉する芸術・詩・文学を大いに吸収。ブルリュックは、マヤコフスキーの詩才を高く評価し、「腹を減らさず書くように!」と飢えの防止に毎日50コペイカずつ支払い、かれの芸術創作を大いに励ました。

そうして。19歳のマヤコフスキーは、現存する最初の詩作品「朝」「夜」を書き上げた(第一次革命の失敗のあとの陰鬱なモスクワの街の夜明けを絵画的手法で描き出し、新たな「革命」成就への切望も密かに込められる)。のち、ブルリュックとマヤコフスキーが中心となり、1912年12月、初のロシア未来派文集『社会の趣味を殴る』が刊行された(〈共同声明〉は二人で書き、原稿はブルリュックが集めた。マヤコフスキー詩「朝」「夜」を収録)。


【脱線だが】ちなみにパステルナークは「わたしはマヤコフスキーの初期の抒情詩が大好きだった。当時の道化た作風のなかで、彼の抒情詩は、重々しく、きびしい、訴えるような真剣さをもち、その点で類例がなかった。それは巨匠の筆になる誇りに満ちた悪魔的な詩であり、それと同時に、滅びる運命を負い、破滅に瀕した。ほとんど救いを求めて叫ぶような響きがあった」(『自伝的エッセイ』)とのちに記している。

――――

さて、その〈共同声明〉とはこんな内容である。

●『社会の趣味を殴る』(一九一二)小笠原豊樹訳

 われわれの最初の美と驚異を読む人々へ。
 われわれだけがわれわれの時代の顔だ。われわれは文字によって時の角笛を吹き鳴らす。
 過去は狭い。アカデミーも、プーシキンも、象形文字以上に不得要領だ。
 プーシキン、ドストエフスキー、トルストイ、その他もろもろを現代という名の汽船から投げ捨てるがいい。
 初恋を忘れられぬ者は、最期の恋をも察知できまい。
 だが、香料ふんぷんたるバリモントのエロ文学に最期の恋を捧げるお人好しは、どこの誰だ。その恋に、今日の勇敢な精神の反映が見出だせるか。
 そして、ブリューソフの武人の黒い燕尾服から、紙の鎧をひっぱがすことを恐れる憶病者は、どこの誰だ。その鎧に、未知の美の夜明けの痕跡が認められるか。
 無数のレオニード・アンドレーエフの徒輩が書いた本の不潔な涎(よだれ)に汚れた、諸君の手を洗うがいい。
 マクシム・ゴーリキー、クプリーン、ブローク、ソログーブ、レミゾフ、アヴェルチエンコ、チョールヌイ、クジミン、プーニン、その他もろもろに必要なのは、たかだか海のほとりの別荘だ。これが仕立屋どもの報酬なのだ。
 われわれは摩天楼の高みから、かれらの無能を見る。
 われわれは命じる。以下の詩人の諸権利を尊ぶべし。

 一 任意の生産的なことばにより、辞書の容積を増大させること(言葉の新機軸)。
 二 それら以前に存在したことばに対する執念深い憎しみ。
 三 諸君が箒の枝で作った唾棄すべき安物の月桂冠を、われわれの誇り高き額から払いのけること。
 四 口笛と憤慨の海のただなか、「われわれ」ということばの岩の上にとどまること。

 そして、たとえわれわれの詩行に依然、諸君の〈常識〉や〈良き趣味〉の不潔な刻印が残っているとしても、そこにはすでにして初めて自己価値のことば(自己形成のことば)の新しい未来の美の稲妻がひらめくのだ。

 
  モスクワ、一九一二年一二月
  D・ブルリュック
  アレクサンドル・クルチョーヌイフ
  V・マヤコフスキー
  ヴィクトル・フレーブニコフ

当時の詩壇のロシア・シンボリズムに飽き足らずとし、プーシキン・ドストエフスキー・トルストイ・ゴーリキーその他、現代文学までの一切を投げすて、「未知の美の夜明け」を目指す。古い手垢にまみれた古典、過去の芸術の概念をぶちこわし、「新しい芸術を創るんだ」という気概と「われわれだけがわれわれの時代の顔」という生意気かつ傲岸不遜な断言。正直、このステートメントはすごい(笑)。柏書房の天野氏もこのステートメントにはグッときたと仰っていたけれど、「新たな時代と〈未知の美〉をわれわれの手で創ろう」という情熱には自分もひどく心動かされるものがあった。

 *

(1917〜1930年のロシア〜ソ連)のち、1917年「ロシア革命」はマヤコフスキーが共鳴した、レーニン主導のもとに成就。「ソビエト社会主義共和国連邦」が誕生。しかし、そのレーニンも亡くなり。1920年代半ばより、トロツキーとの後継者争いに勝利した、スターリンが実権を握るように。1929年〜スターリン政権が樹立。スターリンが独裁権力(個人崇拝を強制)をもつ「スターリン体制」となり、工業・農業の集団化及び、独裁体制の批判者を次々に粛清してゆく「大粛清」が行われ、その時代は長く続くこととなる。その変遷のさなか、マヤコフスキーは1930年4月14日、36歳で死をとげる(この死に関しては、自殺説が一般に浸透しているが状況的に「自殺に追い込まれた」もしくは「他殺」説のほうが信憑性が高いと私は考えています)。
 *参考資料『きみの出番だ、同志モーゼル』ワレンチン・スコリャーチン/小笠原豊樹訳(2000年刊)、『マヤコフスキー事件』小笠原豊樹 (2013刊)

 *

スターリンが政権を掌握し、本来の「革命」の理念が変質しゆくなかで失望を深め、葛藤をいだきつつ過ごしていたマヤコフスキーは、亡くなる20日前の1930年3月25日、青年共産同盟の機関紙主催の「文学の夕べ」にて、最後の公開演説をした。その模様がエルザ・トリオレ「マヤコフスキーと私たち」(小笠原豊樹訳『マヤコフスキー研究』)に記されている。そこで、マヤコフスキーは長詩「声を限りに」を朗読したあと、聴衆の質問に答えたという(演説に廻ってくる質問状に対して答えるというソビエト独特のやりかた)。その一部を引用したい。

マヤコフスキー「みなさん、みなさんの質問状がずいぶん集まりましたが、質問の数はそれほど多くありません。たくさん重複しています。いちばん多いのは、なにか詩を朗読してくれという注文です。それからこんな質問もあります。《なぜあなたは大げさな言葉を使うのですか。ふつう話しするときに使わない言葉を、詩のなかでは使っていますが、そういう言葉のうえに社会主義を建設することはできないと思います》・・・・・・私が言葉のうえになにかを建設しようと思った、そう考えるのはあんまりナイーヴです。総じて言葉のうえに社会主義を建設することはできないという意味でしたら、この質問状を書いた方のおっしゃるとおりであって、詩人が言葉を使うのは、そんな目的のためじゃありません。しかし、詩人があたりの事件にすべて目をつぶり、うっとりして甘い言葉をささやいているうちに、いきなり小犬のようにくびすじをつかまえられ、人生のただなかにつっこまれる。そういう経過が私は大好きです。こいつは詩的方法というものにすぎないのですよ」。
 ここで「甘い言葉で読者を陶酔させるような、いわゆる”抒情詩”」を否定し、「とつぜん小犬の首根っこをつかまえ、人生のただなかに引きずり込むような詩」を自分は目指してきたという、マヤコフスキーの「詩」への目的が改めて表明されるのが、ひじょうに感慨深い。それはリアルにマヤコフスキーの多くの詩のなかに表現されていたことを、私たちは知っているので。

 *

この聴衆との対話講演で、私が注目したのは以下のマヤコフスキーの発言だった。
マヤコフスキー「さっき批判してくださった方は、私が見さかいなしに古典をブチこわしてしまったと言われましたが、そんなバカげた仕事をやったことは一度もないと私は言いたい。
 私はただ、あらゆる時代において価値ある古典なるものは存在しない、とかつて主張しただけです。古典作家が活動していた時代との関連において古典作品を研究し、愛する――それは大いに結構。ただし、古典作家の青銅(ブロンズ)でできた大きな背中が、若い詩人たちの道をふさぐようなことがあってはなりません。これは私一個人のためにそう言うのではなく、将来、労働者階級からあらわれてくる何百人、何千人という詩人群のために言うのです。もし人が、若い労働者、今はまだ字も書けないが、やがては私なんかより二十倍も立派な作品を書くであろう青年にむかって、「同志、そんなことはやめなさい、いくらやったって無駄だよ、そういうことはマヤコフスキーに委せてあるんだから」――そう言ったとしたら、これはおそろしいウソです。私が古典に反対だとしても、それはクラシックをなくすためではなくて、逆に研究し、クラシックのなかで労働者階級が利用できる部分を利用するためにほかならないのです。しかし古典を無批判に受け入れてしまってはならない。どうもこのごろはそういうことが多いのですが」。

 なるほど。マヤコフスキーのかつての主張の真意がここでようやく明かされる。《あらゆる時代において価値ある古典なるものは存在しない》というのは、古典に価値がない、ということでは決してなく。それを研究することなく無批判に受け入れることへの警鐘であり、「新たな芸術(未知の美)を創出する勇気を持て!」という、芸術を志す者たちへの鼓舞であり、声援だったのだ。

 そして、もっとも心にふれたのはこの箇所。
マヤコフスキー「古典作家の青銅(ブロンズ)でできた大きな背中が、若い詩人たちの道をふさぐようなことがあってはなりません。これは私一個人のためにそう言うのではなく、将来、労働者階級からあらわれてくる何百人、何千人という詩人群のために言うのです。もし人が、若い労働者、今はまだ字も書けないが、やがては私なんかより二十倍も立派な作品を書くであろう青年にむかって、「同志、そんなことはやめなさい、いくらやったって無駄だよ、そういうことはマヤコフスキーに委せてあるんだから」――そう言ったとしたら、これはおそろしいウソです」


 マヤコフスキーは、50年後、100年後に自分が「古典」と呼ばれ、青銅の大きな像となり、若い芸術家の道をふさいでしまうようなことを強く危惧している。19歳で、冒頭のステートメント「社会の趣味を殴る」を記したマヤコフスキーが、17年後、36歳でこのように述べていることに、自分はそぼくに感銘をおぼえた。かつてかれが言ったように、自分をも古典として「投げ捨てよ」と率直に述べる潔さ。ある程度の地位と名声を築いたうえで、それにしがみつこうとする気配を微塵もみせず、こんな一貫した態度をとれる人間が、果たしてどれだけ居るだろうか。
 
 夢をいだき、作品をつむぐ創作家には「未知の美」を自身の手で創れ、と。
「青銅の大きな像」になりつつある作家には、未来ある芸術家の道をふさぐようなことを決してするな、と。
 
 これは、芸術を志す全ての人たちへの、マヤコフスキーの言葉であり、手紙だと思う。

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June 08, 2022

【第141回】ポエトリーカフェ・マヤコフスキー篇(2022年5月21日)

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《1924年のマヤコフスキー》

ことし二月、ロシアのウクライナへの軍事侵攻が始まって以来、ほんとうに心の痛む情勢が続いています。そんななか、一部にロシアのかたや、文化・文学への攻撃、排除等の動きがみられるようなことがありました。非人道的なプーチンへの糾弾が高じ、それがロシア全体へのキャンセルとなってゆくようなことを自分は望みません。そして。むしろ、自分はロシアの何を知ってるのだろう? と考えました。プーチンのような独裁者が長く権力をふるう土壌、この暴挙へ至った道筋の、いったい何を知っているのだろう? と。知らないことをもっと知ってゆきたい、と思いました。そこで今回、ポエトリーカフェでも初となるロシアの詩人・マヤコフスキー(& かれの影響下で詩を書いた日本の詩人・小熊秀雄)を取りあげることに。

この、5/21開催〔マヤコフスキー篇〕には初参加の方々ふくめ、16人のかたがご参加くださったのですが。マヤコフスキーについて「名前は知ってる(興味あり)」「全く知らない」「小熊秀雄の関連で知ってた」「少し読んでいて、好きな印象的なフレーズはある」という感じで。しっかりまとめて詩を読むのは初めて、というかたが多いようでした。事前に、詩について「難解」「まったく意味が分からない」「ロシアの歴史を知らなすぎて、まず勉強しないと、と思った」などのお声も幾つかいただきました。やあ・・・確かにそうなんですよね。ロシア「革命」に熱狂、若き未来派詩人として世界に躍り出て、大衆を朗読で魅了・煽動した詩人・マヤコフスキーの詩は、ロシア史や政治的背景をあるていど分かっていないと、読みとけないものが多いのです。

どうしよう? 皆で詩を読んで楽しむことが出来るだろうか? 気さくな詩の読書会、成り立つのか? と正直なところ、わたしもかなり葛藤しました。マヤコフスキーの詩について、私自身、好きな詩、惹かれる表現はあるものの、全体を通して読むと難解な表現・詩が目白押しで。いろいろと出るであろう皆さんの質問・疑問などに自分なりにでも答えられる自信がポエカフェ史上もっとも、ありませんでした。ただ、それは私自身がかれの生きた時代のロシアの歴史、かれが詩作に用いた詩の技法について、仔細に知らないせいだというのは分かっていたので。すでにご送付してた年譜・テキストに加え、関連書籍を色々と読み、「20世紀前半のロシアの歴史とマヤコフスキー史、並列年表」を追加で作成したり、詩の技法(未来派・象徴主義/芸術革命への志向)の研究にしばらく没頭したところ。これまで分からなかった、見えなかった、かれのさまざまな詩の表現の真意(意図・主張)が劇的に分かってきました。これがねえ、もう・・・めちゃくちゃ楽しかったんですよ!! おそらく今年でいちばん心躍る時間でした。このときめきと楽しさを皆さんとも共有したい! 出来たらいいなあ。

そんな気持ちで迎えた、5月21日、ポエカフェ当日。

申し訳ない。前置きがむっちゃ長くなりました。
会のようすをおとどけします。

【註】以下、たいへん長くなりますので。「簡潔に会のようすを知りたい!」というかたは・・・
〈マヤコフスキー篇〉ご参加のお一人、グレアムペンギンさんが要所をおさえ、短くまとめて書いてくださったご参加記がオススメです。ぜひ。

「今だからこそ(ポエカフェ参加記 マヤコフスキー篇) 」( グレアムペンギンの読書メモ)



 *****

毎回、詩人の年譜をもとに、印象的なエピソードを交えつつ生涯をたどりながら、折々に書かれた詩を、参加の方々のリクエスト(当方にお任せのかたも)に基づいて朗読いただき、感想をひとこと述べてもらう、という感じで進行してます。ここでは生涯部分は簡単に記し、朗読いただいた詩(*どんな詩か)と、参加のかたのご感想を列記します。

【マヤコフスキー】1893-1930(享年37)ロシア未来派の国民的詩人
1929M
〔略歴〕1893年、ロシア南部のグルジア(現ジョージア)、トルコに近いコーカサス山脈麓の寒村にて林務官の父の長男として生まれる。父の急死により、経済的困窮、母・姉とモスクワに引っ越す。非合法のロシア社会民主労働党(ボルシエビキ)に入党し、逮捕三回、のべ11ヶ月の獄中生活で詩作を開始。1910年釈放。のち、未来派に参加。1914年、第一次世界大戦勃発、義勇兵に志願するも結局、陸軍自動車学校に徴用。戦中に長詩を精力的に創作。レーニンに心酔、1917年の十月革命を熱狂的に支持。1924年、レーニンの死去に献詩。25年、世界一周旅行に出るもパリで旅費がつき、帰国。スターリン政権に失望を深め、全体主義体制を批判する諷刺詩を続々発表。1930年4月、モスクワ市内の仕事部屋で亡くなる。
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pipponpippon at 18:26|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック ◆Pippoのポエトリーカフェ◆ 

April 30, 2022

ひたちなか市・つれづれ釣り紀行 F甓冖「おさかな市場」とマグロフェス!

ひたちなか市・つれづれ釣り紀行 那珂湊港の釣り】のつづき


4/27(水)15:20 那珂湊「おさかな市場」に到着!
にぎわってます。

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と、まずは。
「おいしそうなマグロを買う」という至上命題があるので、マグロを探す。

というのも。家人がマグロ大好きなんだが、地元のスーパーだとマグロのお刺身は高価で少量なのと、自分がそんなにマグロ好きではないため(海老・蟹などの甲殻類やカツオとかが好き)、一日の食費の予算的にも、夕食のメニューとしてチョイスすることがまずなく(じつに年に数回ていど)・・・「いつか、家人にお腹いっぱいマグロを食べさせてやりたい」と思ってたんですよね。

マグロコーナーを発見。
「本マグロ」とある。そして、お店の方がサインペンで次々に値引きしている真っ最中。
うおおおお。大トロ(200g)5400円が、2000円になり。中トロ(200g)2500円が1000円に、まさに今、なりました。 こんな奇跡的な瞬間にたちあえることってある?!

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本マグロの大トロを1パックと、中トロを2パック購入。

 *

そして。おそらくこの市場の目玉でもある「新鮮生牡蠣コーナー」。
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その場で係のかたが牡蠣をあけてくれて、食べられるサービスもあり、長蛇の列にちょこんと並ぶ。
鹿児島県産の天然・岩牡蠣(1コ 600円)と岩手県産・真牡蠣(1コ250円、2コ400円)とある。
いや、天然の岩牡蠣とか食べたことないな・・・ どういうことなの。すごくない?
持ち帰りで、岩牡蠣2コと、真牡蠣4コを頼む。と、牡蠣をあけ、下の貝柱だけ切ってくれて。
「いま上も切っちゃうとわるくなっちゃうので、食べるとき切ってね」というお言葉。なんと親切。お兄さん、ありがとう。

 *

鮮魚コーナーを回遊。
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大きな金目鯛(2尾 2300円)に子持ちムシガレイ(1盛り=5尾 400円)にホヤ(3コ 500円)、真サバ(3尾 600円)、イカ(5ハイ 1200円)、ヒラメ(2尾 1200円)、アンコウ(1尾1000円)、鯛(2尾 500円)、ハマグリ1kg 2500円、真蛸にカツオ、ブリ、山盛りサーモン・・・ どのお魚もツヤツヤでめちゃ新鮮なんだけど。いや、価格破壊すごい。うれしい干物コーナーも激安。だいたい予算、一万円以内位でとは思ってたんだけど。なにをみても、地元のスーパーの3〜5分の1以下という感じの、お買い得品が目白押しで。え、う、あ、ちょっ待って、ウソ? ・・・と、若干パニクってしまい、選ぶのに苦労しました。

やあ。「おさかな市場」ファンタスティックすぎる。
人気のスポットと聞いてはいたけれど、ここ、お魚好きの人にとっては パラダイスでしかないでしょう。早い時間にゆけば、寿司屋・定食もやってるようなので、またぜひ足を運びたい。

空の発泡スチロールの大きな箱に氷をすくっていれ(持ち帰りたい人用に、そういうセルフサービスがある)あれこれ、買い込んだものを詰め込み。ヨイショ! と車まで運ぶ。

 *

よし、帰るか。
ハゼからさそわれて(会えなかったが)遊びにきた、ひたちなか市・那珂湊。最高でした。
地球上には自分の未知のすてきな場所がまだまだあるんだなあ、と改めて思う。

 *

16:00 帰途につく。ガソリンを入れるので寄った、常磐自動車道のサービスエリアで見かけたネモフィラ。やさしい青さ。可憐でかわいらしい花。
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流山のあたりから、高速が大渋滞していたので。高速をおりて、下道で帰ろうと思いきや、下道もむっちゃ混んでおったよ。ぬう、家人がご飯を炊いてまっとるので、早く帰りたいのに。混んでなければ、2時間の道におよそ倍の時間がかかる。三つくらいの渋滞をぬけて、ようやく帰宅。

20:20 
駐車場着。旅の荷物(スーツケース&リュック)と。海産物と。車にあった台車に発泡スチロールの大きな箱をのせ。がらがらと運ぶ ・・・荷物が多すぎて、つらい。駐車場から家の道のりの途中で家人にヘルプをたのむ。来てくれた。

家についた。よいしょっと。
那珂湊「おさかな市場」直送だ!
発砲スチロールの箱から、とりだしたものを床に並べてゆく。
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真鯛二尾。金目鯛の干物(大)三尾。本マグロ・大トロ200g×1パックと、中トロ200g×2パック。
さばのみりん干し三尾×2パック、明太子350g、天然ぶりの切り身(5きれ)、岩牡蠣&真牡蠣 6個。
(あとで計算したら、しめて9500円だった。しつこいようだが地元のスーパーなら3〜5倍の価格であろう)


「ん? やったーーーーー!!!!!」
家人の顔がみるまに喜色満面に。ふふふ。
ぬいぐるみのハク親子(猫)たちも喜び勇んで、かけよっている。

新鮮なうちに食べたいものを... と生牡蠣の貝柱をひとつずつ切ってゆくあいだに、マグロを切ってもらって、食卓へ。

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家人がマグロをひときれずつ、口に入れるたびに昇天していた。話しかけるのもはばかられるほどの陶酔ぶり。牡蠣もめっちゃエンジョイ。よかった。生牡蠣はもちろんのこと、大トロの脂がくどくなく、すーっととけるようで。やあ、マグロって、こんなにおいしいものなんですね・・・びっくりだ。

那珂湊「おさかな市場」プレゼンツの、マグロフェス!
すばらしかった。

ありがとうございました!!

 *

旅のレポートはここで終わりです。
ここまで、お付き合いくださったかたも、ありがとう。

 *
 
心身にエネルギーがみちた。
ようし、5月は、本の制作(待ってくださってる編集のかた、すません!)と
ポエカフェ・マヤコフスキー準備がんばるぞ。


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ひたちなか市・つれづれ釣り紀行 那珂湊港の釣り

ひたちなか市・つれづれ釣り紀行 ,泙鵑廚カレーと不審者】のつづき

4/26(昼)。

さて。釣り開始!
ハゼ、アジ、サバ、あたりが釣れますようにと願いつつ。

まずはアジの仕掛けから。
おっ、さっそく当りが。重い。引いてる?
するするひきあげてみる。

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緑、赤、赤、緑。ハイ、海藻。
陽に透けてきれいだ。

気を取り直して、ハゼの仕掛けでイソメをつけて、第二投。
ぴくぴく。釣れた!

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ぷくっとまんまるにふくれて、キュウキュウ鳴く。水玉模様の貴殿は――そう、クサフグさん。
やあ、久しぶり。

フグはねえ。釣っても毒性あって食せないし、食いしん坊でエサだけどんどんもってくわ、歯も強靱なので仕掛けや釣り糸・針ごと食いちぎってしまったり。狙ってないのにやたら釣れてしまう魚の1、2を争う、なじみのおかたです。

ハゼの仕掛けで、つづけざまに釣れる釣れる。
あっというまに、クサフグ5匹。とりあえず、バケツにいれる。
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きみは、自分のことをハゼと思っているのか?

ハゼに会いたいんや!(泣)
ハゼ仕掛けがダメなら、とアジ・イワシ・サバ用の仕掛けで再度。

釣れた!
また、きみか。

この海の水面下はクサフグの大帝国でもあるのだろうか。
それとも、わたしのことそんなに好きなのか?

釣り開始より、1時間経過してるが。
投げても投げてもクサフグさんがあがってくる。

しだいに、もはや。
この広い世界、宇宙に、クサフグと自分しかいないような心持ちになってくる。
強く生きてゆこうな。
・・・

趣向をかえて、波止場小物の仕掛けで、投げてみる。
ハイ、クサフグ。
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・・・・・・

先輩作家さんとの対談が終わったころかな? と宮内にメール。

クサフグ、八連チャンはさすがに草

いや、このネットスラング「草」(www =笑うの意)。
個人的に好きで、ほかのかたが使ってるのみるのは楽しいんだけど。
自分では使うことないだろうな、と思ってたんだが。
満を持して使ってしまいましたよね・・・

 *

4匹くらい、竿をあげるとき、逃げちゃった魚がいて。
あれ、肌色っぽかったよな、ハゼだったかなあ。
惜しいな(いや、きっとそれもクサフグ)。

しばらくたったのち、宮内より返信が。

「クサフグは外れなのかな、でもとてもかわいい」

ようく見てみる。
たしかにかわいい。すこしもっちりした肌感も。
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夕暮れ。
けっきょく、10匹オールクサフグでフィニッシュ。
やあ、ほかのお魚にも会いたかったなあ。

みんな、むっちゃ元気。海にリリース!
さよなら。ありがとう。

===============================

4/27(水)10:00頃〜

今日は、釣り場を変えてやってみよっかな、と磯崎漁港のほうへいってみる。
が釣り場がどこかわからない・・・そのまま海岸沿いを南下し、平磯海岸へ。
ううむ、ここにも、釣り人らしき人も釣ってよさそな場所もないな...
とさらに海沿いを走ってたら、帰ってきてしまった「那珂湊港」。
おお、いい天気になってきた。今日は晴れだな。

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もはや、友人に会ったようにほっとする自分がいた。
リベンジしろ、というお告げだなと、また車をとめて。
釣り開始!

そうだ、アミ姫(アミエビのコマセ)があったじゃないか! と。
サビキ(アジ・イワシ・サバ用)仕掛けのかごにアミ姫をにゅるっと入れて、一投。

あっ、かすかな当りが。淡い期待を胸に、あげてみると。
うおおおおおおお。

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豆サバさん!!!

背中のシルバー系緑銀の波模様のうつくしさ。
泣くかと思った。

アミ姫がなくなってしまったので、しばらく。
イソメで、ハゼ・アジ用の仕掛けで連投。
ちなみに今日もクサフグさん、順調に釣れてます。
(即リリース)

 *

と、すこししなやかな当りが。あげてみる。

うあああああ。虹のような透明の肌色にすらっとした、うつくしい魚体。
これは・・・
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キスさん!!!!!!

キスはずっと釣ってみたかったのだけど、初めて釣った。
うれしい・・・なんてきれいなんでしょう。


15:00
そろそろ、那珂湊の「おさかな市場」の魚類・海産物が、閉店にむけ安くなってる頃合いかな?
いかなきゃ! と釣り終了。

【4/26〜27「那珂湊港」釣果】
・クサフグ 20匹超
・豆サバ 1匹
・キス 1匹

 ※普段なら、釣れた豆サバ&キスはいただくために持ち帰るが、こののち市場でたくさん購入することを考えて。リリース。


おさかなさんたち、ありがとう!

またくるね。
来んな!って思ってるかもしれないけど、またこさせてね。



〈追伸〉
調べたら、いまの時季、ハゼはシーズンではないらしく..
ハゼなら、夏後半から秋ぐらいがよいようです。
(いなかったのね..)


F甓冖「おさかな市場」と、マグロフェス!】につづく・・・

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April 29, 2022

ひたちなか市・つれづれ釣り紀行 ,泙鵑廚カレーと不審者

2022年4月。
ひと月、勉強に集中してのぞんだ資格試験の一回目(11科目中3科目受験)を終え。ほっとひと息。記憶力と集中力の衰えを猛烈に感じつつ、興味のある分野の未知の事柄をどんどん知ってゆくのはとても楽しいことでありました。次回の試験は10月なので、コツコツとりくむ所存。
ありがたかったのが、連れあいの宮内の協力。試験終了後、問題用紙をもとに、苦手な「音楽理論」を丁寧にレクチャーしてくれたり。夕食はいま、だいたい半々の割合で作ってるのだけど、試験一週間前からはずっと夕食を作ってくれていたり。

 *

試験も終わったし、宮内の好物、いろいろ作ってあげようかな、など考えつつも。本の制作もあり、また来月から少し忙しくなるし、ロシア年表も作る予定だし(ポエカフェ・マヤコフスキー篇の一環)。 この短い余暇に、釣りに行きたいぞ・・・ という気持ちがムクムク湧いてきてしまった。こないだの知多半島のハゼ釣りがたのしすぎて、ハゼ釣りたい! と、調べたら。茨城県ひたちなか市の那珂湊港でハゼやサバ、アジなど釣れるらしい。でもって、那珂湊の天気的に、晴れの日が25、26日しかないみたい。明日からじゃん。試験終了即単身釣りへ、ってあまりにも薄情では? と逡巡しつつ・・・ 
相談してみたら、「がんばったんだし、また忙しくなるなら、いっといでよ〜」と、どこまでもやさしい。

よし、行くか! 久々だなあ.. 釣り。
前回の知多半島(常滑)が去年11月なので、じつに5ヶ月ぶり。

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と・・・ この旅がとても楽しかったので。

【ひたちなか市・つれづれ釣り紀行】
,泙鵑廚カレーと不審者(この記事)
那珂湊港の釣り
F甓冖「おさかな市場」と、マグロフェス!

の三本、記事を更新予定。
GWのおともにおひまな時間ありましたら、どうぞ♪

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4/25(月)
東京⇒三郷⇒常磐自動車道を、2時間ほど車でひた走り、25日の夕方、ひたちなか市の宿に着き、一泊。すずしく窓の外からはカエルの声がして、たいへんなごんだ。

 *

4/26(火)。
事前にみた天気予報では晴れだったのに、朝からあいにく小雨まじりの曇りもよう。
釣りはのんびり昼からにするか・・・ と。ブランチに地元で「美味しくて安く、ボリューミィ」と評判のインド・ネパールカレー「アジマール」へ。
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ナンが食べ放題らしいので、おかわりするぞ!と気合十分。
マトン&バターチキン(200円upで頼める)の2種カレーを注文。
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ナンがでかい! そして、カレーの量、多っ。
こってりコクがあり、スパイシーでめちゃくちゃうまい... 幸せ...
もぐもぐ... もぐ..
もぐもぐ...

いや、めちゃくちゃおなかいっぱいだよ!
カレーがこれくらいあれば嬉しい、という量のちょうど2倍位なので。まんぷくすぎる。
そして、地元のかたとおぼしき、おじいちゃんや、おじさん、お兄さんが続々入店。
おじいちゃん、淡々とナンのおかわりをしていて。かっこいい。健啖家。

愛されてるんだなあ、このお店.. とほのぼの感慨にひたりつつ。
ナンのおかわりを諦めた我が身のふがいなさを恥じる。

 *

釣りできるか? とまた天気予報をみると。
午後からも、小雨マークが。うむ、雨でも大丈夫なように、防水のカッパ着てやるしかない。持参してなかったので、近くにあったファッションセンターしまむらへ。薄手の手ごろな防水パーカーを見つけたので購入。よし、これで雨でも安心。
上州屋・勝田店に寄り、釣り餌の青イソメなどをげっと。レジ脇に、かわいい魚のピンバッジコーナーもあったのでそれもげっと。

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カワハギに、鮎に、ミスジリュウキュウスズメダイ? かしら。
「賞」ってなんだろう? と、レジのお兄さんにきくと、上州屋の釣り大会の景品らしい。
いいなあ・・・ この賞バッジ、もらった人、ときどき見返しては誇らしげな気持ちになったりするんだろうな。

 *

昼。那珂湊港へ到着!
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めっちゃいいとこだあ。
堤防の下のテトラポット的なとこおりれば、水面に近い。

しかし、小雨だ。
さっき買った、防水(と思いきやよく見たら撥水だった)パーカーのフードをかぶり。
ふと、車の窓ガラスに映った自分にぎょっとする。

ハイ、不審者。
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那珂湊港の釣り】につづく・・・

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December 31, 2021

2021年、ありがとうございました!

さてさて。
「ぴっぽのしっぽ」のぞいてくださり、ありがとございます。
異常な寒さですが、お元気でいらっしゃいますか。
年の瀬のきわで来年も眼前ですが・・・ 今年の活動の振り返りを。

【2021年】

◎1月
●[寄稿]文芸誌「群像」2021年1月号 へ、随筆「〈弱さの音〉を聴く詩歌」を寄稿。
(金子光晴と山崎るり子の詩、藪内亮輔・虫武一俊 の短歌を紹介)
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月に二回「しんぶん 赤旗」の「読者の文芸〈詩〉」の投稿欄の選者を担当(一年間)

◎2月
[詩歌 紹介]「anan」2236号 "官能の記憶”特集「古今東西の詩で味わう、官能」というコーナーにて、官能性をおびた詩歌、10作品を紹介。
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(バイロン「いまは、さまようのをやめよう」 /新潮文庫『バイロン詩集』、村山槐多「死の遊び」/『槐多の歌へる』、大手拓次「香料の顔寄せ」『大手拓次詩集』、タケイ・リエ「甘いゼリー」/『ルーネベリと雪』、中江俊夫「(失夢)」)/『伝言』、茨木のり子「恋唄」/『歳月』、北原白秋「邪宗門秘曲」/『邪宗門』、ウイリアム・ブレイク「虎」/『対訳ブレイク詩集』、戸田響子『煮汁』より一首、岡崎裕美子『わたくしが樹木であれば』より一首)(*バイロン、村山槐多パートだけ :webに掲載 

●〈ポエトリーカフェ(ZOOM)〉第128回◆2/28(日)〈吉野弘 篇〉:17名のかたがご参加

◎4月
●〈ポエトリーカフェ(ZOOM)〉第129回◆4/25(日)〈新美南吉〉篇 :15名のかたがご参加

◎5月
●〈ポエトリーカフェ(ZOOM)〉第130回◆5/2(日)〈リターンズ! 新美南吉篇〉:15名のかたと新美南吉記念館館長さんご参加

◎6月
●〈ポエトリーカフェ(ZOOM)〉第131回◆6/27(日)〈西條八十〉篇 :16名のかたがご参加

◎7月
[寄稿]詩誌「詩と思想」(土曜日術社出版販売)2021年7月号〈小熊秀雄 特集〉へ、小熊秀雄についての小文掲載(ポエトリーカフェ・小熊秀雄に参加のかたがたのお声も紹介)。
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[寄稿]詩誌「季刊 びーぐる(特集 北村太郎)」52号へ、高階杞一詩集『星夜 扉をあけて』の書評掲載。
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◎8月
●〈ポエトリーカフェ(ZOOM)〉第132回◆8/29(日)〈金子みすゞ〉篇 :17名の方がご参加

●シミルボン書評サイトへ「詩はSFに乗って」〜《ヴァージニア・ウルフ/森山恵訳『波』によせて》を寄稿

◎9月
●〈ポエトリーカフェ(ZOOM)〉第133回◆9/4(土)〈金子みすゞ プチ・リターンズ!篇〉 :12名のかたがご参加

◎10月
●〈ポエトリーカフェ(ZOOM)〉第134回◆10/24(日)〈中原中也 篇〉18名の方がご参加

●〈ポエトリーカフェ(出張)〉第135回 10/30(土)砂町図書館 〈くらしと詩 篇〜高田敏子・石垣りん・茨木のり子〉16名のかたがご参加(⇒砂町図書館HP 開催報告記事)(⇒江東区立図書館情報誌「ことらいぶ」に会の様子が掲載
(砂町図書館の大島さんのお声がけで、久しぶりの図書館開催が実現。三人の詩人の紹介をして、地元の方々を中心に参加の皆さんと詩を朗読、詩や詩人について、楽しく語らいました!)

◎11月
◆11/6〜28 七月堂×三叉灯(下北沢)「詩と灯の古本市」に【黒猫リベルタン】として参加

●〈ポエトリーカフェ(ZOOM)〉第136回◆11/27(土)ZOOM〈くらしと詩 篇 〜高田敏子・石垣りん・茨木のり子〉15名の方がご参加

◎12月
●[劇評]「12/5(日) 阿佐ヶ谷スパイダース「老いと建築」について
 〜「老いと建築」観劇記と立原道造のヒヤシンスハウス・「方法論」等〜


2020年に引き続いてのパンデミック下において。この2021年も(砂町図書館での回をのぞいては)「ポエトリーカフェ」はZOOMでの開催とさせてもらってました。ことしの始めは、さすがに今年中には喫茶店開催を再開しできるかな? と思ってたんですが・・・。
来年こそは! とねがっております。

その「ポエトリーカフェ」の活動を中心に、昨年の『一篇の詩に出会った話』をみてくださったさまざまな方々のお声がけで新たな場所へ寄稿させてもらったり。去年から担当してる、しんぶん「赤旗」〈読者の文芸・詩〉の投稿欄の選者として、よき詩とたくさん出会うことができたり。
直接にみなさんにお会いできる機会は少なかったですが、総じて、おだやかですこやかな一年を過ごすことができたように思います。

思い返せば。心が沈みがちだったり、ざわめくような日々もあったのですが。ときどきに、ともに真摯に詩を読み、詩や詩人について皆さんと楽しく語らう時間がふっと私を〈我〉にかえらせ、しんと静かな心を与えてくれたことを想起して。詩の会へご参加の皆さんへも、感謝の念でいっぱいです。


そして。来年も新たな本が出せそうで、ちょっとした企画がうごきはじめています。

ではでは。交流のあった、あるいは、なくとも気にかけてくださったみなさん。
ことし一年、ありがとうございました!!

2022年が、みなさんにとって、おだやかで幸多き一年になりますように。
来年もどうぞよろしくおねがいいたします。


Pippo拝  2021年12月31日

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December 08, 2021

12/5(日) 阿佐ヶ谷スパイダース「老いと建築」について

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12/5(日)に、まつもと市民芸術館にて観劇した阿佐ヶ谷スパイダース「老いと建築」。奇しくもこの日が吉祥寺・松本公演の千穐楽。

《「老いと建築」にたどりつくまで》

この舞台へ足を運ぶきっかけとなったのは、その数日前にみた、軽井沢高原文庫の副館長・大藤氏による記事「「謳う建築」展、立原道造「ヒアシンスハウス」模型」だった。
そこに、“阿佐ヶ谷スパイダース「老いと建築」の舞台美術(担当・片平圭衣子)は、立原道造の設計の「ヒアシンスハウスの」模型がヒントとなったようだ” という旨のことが記されてて、「どんな舞台なんだろう?」と俄然、興味がわいた。そして「老いと建築」の頁をみると、「物語のはじまり」の項に。去年開催された「謳う建築」展にて、阿佐スパ主宰の長塚圭史氏が、建築家の能作文徳氏の建築物からインスピレーションを受けて、創作した【科白】を起点として、この戯曲が生みだされていった、とあった。それがこちら。

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〈「老いと建築」STORY〉
「高齢ゆえにバリアフリー化を余儀なくされる家。独り住む老婆は美意識を損なう老いを受け入れることが出来ない。娘や息子はさらにその先の改装・改築を考える。老婆は彼らにこの家を渡したくはない。同居の甘言を囁く子供達孫達と、歳を重ねるごとに性格が激しく歪む老婆との応酬。さらにこの家を設計した建築家、既に先立った夫の幻影と思い出が現在と入り混じり、ますます老婆の言動は乱れゆく・・・・・・」

なにこれ、ものすごく面白そう・・・ しかも、ヒアシンスハウスをヒントとした舞台美術だぞ。観たい!! ぜったい観たい!・・・と、うおー、今週末の長野・松本の公演、二日間で終わり? いや、行くしかない。チケットをとり、新宿からの長距離バス(最も安い交通手段)を予約し、〆切り間近の原稿も前倒しでやっておこう、と異様な集中力で書き終えた。自宅から、会場のまつもと市民芸術館まで、片道4時間かかるので、往復8時間。交通費・チケット代併せて、約13000円。どこの大富豪だよ、って感じだが、観たいんや・・・! こういう突然の直感を大切にしないと、感性が死ぬ。感性に水をやることが、唯一の自分孝行ではあるまいか? などブツブツ自己正当化しながら、向かった、まつもと市民芸術館「老いと建築」。

どうだったか? って。

ひとつ言えるのは、観にいったことに、一片の後悔もないということ。
端的にいうと、大傑作でした。


《「老いと建築」観劇記》

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(「3世代にわたる母娘の秘密に迫る、阿佐ヶ谷スパイダース「老いと建築」開幕
 ステージナタリー より転載 撮影/ 宮本雅通)

舞台は森の湖畔の一軒家。据えられた幾つもの長い柱にとりまかれたリビングの真ん中にはテーブルがあり、椅子に、立つのもひと苦労そうな、それでも毅然とした風情の老婆(村岡希美)が腰かけている。口をひらけば、かなり美意識が高く、皮肉屋の面がすけてみえる。老婆である「わたし」は78歳。夫にはだいぶ昔に先立たれ、長らくここに独居している。ここに住みつづけるためには至るところに手すりを付けたりの改築・改装などバリアフリー化が必要で、子どもらにもそれを迫られている。しかし、老婆はそれを受け入れたくない。「わたしは、大丈夫」の一点張り。

物語は、この老女「わたし」と、その子どもら(40代の娘と50代の息子)と家族や、孫たち(20代、30代)、またこの家の設計・建築を担った建築家、すでに亡くなったはずの芸術家の夫の幻との、三世代の家族らの対話によって、すすんでゆく。よみがえる、さまざまな過去の記憶。現在。また過去。現在。過去。そして、現在。構成として、分かりにくそうに感ずるかもしれないが、例えば、若いときの「わたし(老婆)」は溌剌とキビキビ動き、現在はくたびれきった感じの動作を行うので、全く分かりにくいことはなかった。

もっとも印象的だったのは。おそらく、約40年ほど前。夢と憧れをふくらませ、森の湖畔にすてきな三階建ての一軒家を建てようと、建築家(と、ときどき夫)と打ち合わせをしている「わたし」の記憶。「みなでくつろぐために、リビングに暖炉があるといい」と暖炉の設置を決めたり、「玄関とリビングの段差はなしにしよう、外界・自然からそのまま家につながっているように」、「中庭があるといい」「中庭があると要塞のような造りになりますよ」「家は家族を守るものなのだから、要塞でいい」、「庭にはジャスミンを植えたい」などの会話。そこから、強く浮かびあがってくるのは、「私」の理想・夢の暮らし。そのとき、「この家で、子どもたちや夫と幸せにおだやかに暮らしてゆけるように」と純粋に「私」が願っていたということ。そしてもちろん、建築家も、施主の願いを具現化しようと心から願って、その家の建築・設計を請け負っている。

そして、家は建ち。家族たちとの生活が始まる。
芸術家の夫が、中庭で仕事をしていると、二階から子どもたちが手をふる。
子どもらが、二階から無邪気に手をふるのを眺められる幸せを夫が語る。
それをうれしげに聞く「私」。
ときはおだやかに流れ。夢のように安らぎにみちた生活。

やがて、そこからの40年の間に何が起こったのかが、少しずつ明らかになってゆく。
この家族(それぞれ一人一人)が、そのご迎える運命の行方、「わたし」の激動の感情の変遷、かなしみ、くるしみ、よろこび。家族の関係性の変化について、ここでくわしく書くことはしない。
この舞台がこれで終わりのはずはなく、再演される(と信じている)ので。そのときに、ぜひ足を運んでみてほしい。ちなみに、この内容だとシリアスな劇になりそうなものだが、随所にちりばめられたユーモアにはめちゃくちゃ笑いました。

ラストシーンでは。そこへ至るまで積もりに積もった切なさが決壊して。ぼろぼろ泣いてしまった。
あまりにもかなしく、うつくしくて。

ここで起こった、すべての出来事を目撃、内包している「家」。
これは「わたし(老婆)」と子どもや孫ら、家族との対話劇であるのだが、みてゆくうちに、もしかしたらすべてが幻で、この作品は「わたし」と「家」との二人の対話劇であるのかも、との思いも頭をよぎった。


《立原道造の「ヒアシンスハウス」と、「老いと建築」舞台美術について》

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(筑摩書房『立原道造全集 四巻』より、道造による「ヒアシンスハウス」設計図)

「老いと建築」では、「わたし」と建築家との対話において、周囲の森や湖畔などとの境界が曖昧な、自然と一体化した「家」というコンセプトが語られるのだが。
片平圭衣子さんが舞台美術のヒントとされたという、この「ヒアシンス-ハウス」は、東京帝国大学(現・東大)工学部建築学科で研鑽を積み、1937年、石本建築事務所に就職の決まった立原道造が、翌1938年、23歳のとき、自身で過ごそうと設計した単身者用の週末別荘である。建築予定地は、当時、周囲に多くの画家達や建築学科の同級生などが住んでいた、詩人・神保光太郎宅近所の浦和市郊外の別所沼のほとりと決めていて、道造が《芸術家コロニイ》を夢想して、この地を選んだこともうかがえる。道造は、24歳で早世しているので、最晩年に設計した「ヒアシンスハウス」を自身の目で見ることは叶わなかったわけだが、現在、有志の方々のたいへんなご尽力により、66年のときをへて、2004年、この地に実際に建築された。⇒「ヒアシンスハウス」)。
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(odainodozo氏 撮影)

当時の道造の思いをたどり、その設計図を眺めてみると。「周囲の自然と調和した、人間の精神のよき容れものとしての建築物を作らん」という願いがしみじみとたちのぼってくる。ゆったりとした「思索」を育める住まい、よき創作・仕事を行う場所としての「家」。

道造は、この自分のための週末別荘の建築予定地を。当時愛していた女性・水戸部アサイと1938年の11月に一緒に訪れている。時系列で考えると、道造がこの設計図を書いたのは、アサイを愛するようになる前なので、この単身者用週末別荘の構想に、アサイは「ん? ひとり用の別荘?」と思ったのではないか・・・ などといらぬ空想をしてしまったのだが、本筋からそれるので、今はさておこう。


《「老いと建築」と、立原道造「方法論」について》

「老いと建築」を観ていて、強く想起した論文があった。
立原道造の卒業論文「方法論」(筑摩書房『立原道造全集 四巻』所収)である。以下が目次。

「方法論・目次」

緒論
第一章 建築の構造
第二章 建築における美の性格
第三章 建築体験の構造
第四章 人間と結びつけられたる建築の性格
第五章 人間に根づけられたる建築の問題
結語


この「方法論」。《私は「建築」を自然的な或は美学的な或は心理学的な立場から眺め研究することにより、「建築」をして自然的或は美学的或は心理学的事物たらしめ「建築」そのものであり得ないようにすることを避けるべきであらう。かくして態度を準備せられないひとつの態度としての私の美学を「方法論」と名づけるのである。》――「緒論」にこうあるのだが、「建築なる存在」を道造が「私(自身)の眼」によって、見て、考察して、感じた極めて個人的な基礎体験を忠実に記してゆくことによって、その謎を解き明かしてゆことうという、壮大な挑戦のように自分は読んだ。

そして、第四章において、道造は《私は今や、私たちの本質として、「死」或は「壊れ易さ」に結びつけられた場所に於て、「建築」なるものを見ようとする。言い換へれば、嘗て私たちの理解し得たやうな、空間のなかに於ける「建築」なるもののかはりに 時間のなかに於ける「建築」なるものを見ようとするのである。》と述べていて。ここに「建築」というものを「空間」の中にただ固定された構造物としてとらえるのではなく、「時間」の中に存在する現象物としてとらえようという道造のまなざしを見いだすことができる。

「建築」がその本質に「死」或いは「壊れ易さ」を持ち合わせていること。《建築が建築家の理念から製図に移された瞬間から》=生まれた瞬間から、「死」にむかって、或は「廃墟」化にむかって、歩みをすすめているということ。これは「人間」の持ち合わせている運命とまさに同一の本質なのではないだろうか。このとき、道造は「建築物」を、ひとりの人間としても見立てているようにも見える。

ここで、戯曲「老いと建築」に戻ろう。この作品に映し出されるものは、人間の生と死。生まれてから死ぬまでの間の「時間」。そして人々、それぞれの持つ生の「記憶」である。そして、その根幹に「家族の住みよい家を作ろう」と決めた施主である老婆、その夢を具現化する建築家、そして建設された「家」がある。劇は進行するにつれ、彼女・彼らの「記憶」を内包しつつ、干渉しながら、干渉しない、冷徹な第三者としての「家」の「まなざし」をくっきり浮かびあがらせる。この作品の舞台美術に、立原道造の「ヒアシンスハウス」がヒントとなったこと、偶然とは決して思われない。

建築物も人も、やがては老いる。老朽化してゆく。
それでも。当初、思い描いていた夢や憧れの強い念は、人のなかからも、建築物からも、未来永劫、消えることはない。ずっとずっとほのかに淡く光り、生きつづけて。そののちの人々の生をもやさしく照らしてゆくのだろう。

さいごに、立原道造の、この一文を引こう。
僕はこの詩集が それを読んだ人たちに忘れられたころ 不意に何ものともわからないしらべとなってたしかめられず心の底でかすかにうたふ奇蹟をねがふ。そのときこの歌のしらべが語るもの それが誰のものであらうとも僕のあこがれる歌の秘密なのだ。

『萱原に寄す』覚書より




*【付記】この記事を書くので、道造「方法論」を読み返していたら、やあ、じつに面白かった。先日訪れた、三鷹のりんてん舎で、種田元晴『立原道造の夢みた建築』、岡村民夫『立原道造 故郷を建てる詩人』を見かけたり、岡本紀子『立原道造 風景の建築』という本も出ていたり、と。ここ近年で多くの道造の建築にまつわる良さげな本も刊行されてるので、少しつ読んでゆきたい。






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December 01, 2021

2020年1月より、「しんぶん赤旗」(平日版)の〈読者の文芸:《詩の投稿欄》〉の選者を担当します。(*任期延長となりました!)

2020年01月30日13時16分36秒0001
「しんぶん赤旗」1月21日(火曜) 「読者の文芸《詩》」

◆入選 
宮城県 我妻武夫「人生にイエス」
愛媛県 新見かずこ「粗相をする」

◆選外佳作 
「二人の時間」(児丸さん) 日常、傍らにいる人の大切さ。
「新聞配達の少年」(本間さん) 少年期のやさしい感受の萌芽。
「中村哲さんを悼む」(細井さん) 良い内容であったが、少し直情的なのが惜しい。
「存在」(北村さん) 哲学的、根源的なものだがもう少し輪郭をはっきりしたら格段に良くなりそう。
「さくら」(鈴木さん) 政治批判であるが、詩としてはもう少しで惜しい。
「漢詩一題」(並木さん) 面白い試みではあるが、もうひとひねりあればもっと良くなりそう。

選者、第一回目(1/21)の入選作は二作。誌面では入選作とその寸評しか載らないのですが、佳作が多くありました。なので、当方では、一回ごとに、惜しくも入選をもれた「選外佳作」とその寸評をノートに記してゆくことにしました(どんなふうか、ちょっとご紹介)。悩みながらも、作品を拝読する時間はとてもよきひとときです。どうぞ、こんごもお気軽にお送りくださいね。(Pippo)


こんにちは。
さてさて、ことしの1月より、「しんぶん赤旗」(平日版)、毎週火曜日《読者の文芸》の〈詩の投稿欄〉の選者を、月二回、熊井三郎さんと二人、隔週で担当することとなりました。
まだまだ若輩者の自分に、なんという大役を、と恐縮しつつ…
選者と云うよりも、詩が好きな一人間として、詩を書く方々を応援する気持ちで、楽しみながらつとめさせていただけたらと思っています。

Pippoより、読者のみなさんへのメッセージ(1/13付「しんぶん 赤旗」より)。

「〈詩〉は心の文芸です。
生きてゆくうえで、心にわきおこる多様な感情を、
どうぞ自由に〈詩〉にしてみてください。
待っています」

akahatasenjya
(お伝えくださったMさん、感謝です)

「しんぶん赤旗」は共産党(政党)の機関紙です。
購読されている方々には自明のことと思いますが、なじみのないかたもいらっしゃるかなと。

少し経緯の説明をば。
わたし自身は党員ではないのですが(投票先として、時に選ぶことはあります)、長年の活動において、戦前・戦後の魅力的なプロレタリア系の詩人を時々に紹介しています。中には、共産党員の詩人の方もいらして、それが8年前に、「しんぶん赤旗」編集部の方のお目にとまりました。
そのきっかけから、「赤旗」で「心に太陽をくちびるに詩を」(2013年4月〜2015年9月)という詩と詩人紹介の月一回の連載をもたせていただき。その連載が嬉しくも、1冊目の著書としてまとまったのでした。
(→ 『心に太陽をくちびるに詩を』ページ
今回の選者へのお声がけも、その流れのなかでのことなのかな、と思います。

政党系の新聞ですので、けっして、ムリにとは申しませぬが。
購読されている方々や、ご興味あるかた、詩作を定期的にしてゆきたいな、と考えておられるかたなど…
ぜひとも、詩をお送りくださいね。
「しんぶん 赤旗」web
見本誌、無料請求ページ (平日版の方です/毎週火曜日)

先に、〈詩は心の文芸〉と申しましたが…

仕事、生活、趣味、家族・友人との交流、人生。悲しみ、喜び、悔しさ、怒り、願い。
生きていくうえで、心に〈強い感情〉がわき起こったとき、どうか、その感情をしっかりとつかまえてみてください。
そして、その感情に、〈言葉〉を与えてみてください。できるだけ、あなたにしか書けない言葉、表現で。

そこに、〈詩〉は生まれてくるはずです。

よき詩と出会えることを、心より、楽しみにお待ちしています。
よろしくどうぞ!

近代詩伝道師 Pippo

《追記》2020年1月より、2年間の任期予定だったのですが、2022年からも継続で担当させていただけることとなりました。今後ともよろしくおねがいします! (2021年12月記)






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November 10, 2021

2021年8月・9月「ポエトリーカフェ〈金子みすゞ 篇〉」

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◆金子みすゞ(1903-1930) 山口県大津郡仙崎村生まれ

もともと、金子みすゞについては好きな詩はあったものの、震災後に繰り返しTVCM等で放送されていた詩句に違和感をおぼえたこともあり、少し遠まきにみているかんじでした。そんななか、2021年、詩人の打出祥子さんの修士論文「金子みすゞ研究」を読ませてもらう機会がありました。
そこで、みすゞの生まれ育った環境や仏教観、未知の作品の数々や、創作への真摯な思いにふれ、自分の抱いてた印象が誤解だったことに気がつきました。そして、集中して読み、その詩の力強さ・やさしさ・静けさ、自然や、すべての生命へ等しくそそがれる想像力に打たれ、これは皆さんと読みたいなあ、と 2021年8月(及び9月)のポエトリーカフェで取り上げることに。二回計約30名のかたがたが参加くださり。詩人の生涯をたどりつつ、お一人ずつ作品を読み、自由に語らい。いずれも熱のこもった会となりました。

一回目の、第132回〈ポエカフェ・金子みすゞ〉8/29(日)。
みすゞさんについてさまざまに思い出があったり、あまり知らないので知りたいという方々が多かったのですが、なかでもハッとしたのは、小学校の図書室で子どもたちに様々な作品を朗読、教えておられるTさんの「作品を紹介の際にこの人の人生はこんなだったんだよ、という時が多いけど、みすゞさんはつらい生涯なので小さい子にさらっと紹介するにはむずかしく、何かヒントをもらえたらと」という言葉です。この問いは、ほんとうに肝要なものだと感じました。
また、作品についての皆さんのお言葉として「やさしい、温かい、土地に受け継がれてきた思想、命への思い、宇宙を作る力、どこでもない場所への憧れ、多様性を認め合う、想像力、創作(芸術)のなかに宿る真実、小さなものへの共感性、仏教観、(結論的なものを)言い切らない魅力、魂の解放、(世の中が安易に消費するべきものでなく)だいじに作品を読まなければいけない人、詩にみられる色彩表現の意味、魂が天に召される美しい瞬間、魂を解きはなてる世界がリアルみすゞさんを生かしめたこと」など、多様なうけとめかたが、ありました。

二回目の、第133回〈ポエカフェ・金子みすゞ プチリターンズ!篇〉9/4(土)。
こちらも同様に、みすゞさんにまつわるエピソード、思い出をお持ちのかたが多かったのですが、少ししかしらないので、深く知りたい、読みたい、という方々もいらっしゃいました。
作品についての皆さんのご鑑賞・お言葉としては「母にまつわる詩を自分の母親像と重ねながら読んだ、目には見えないがほんとうのこと、日暮れのはやさの表現のうつくしさ、無名の存在へもそそがれるやさしいまなざし、【星とたんぽぽ】と【見えないもの】との対比(視点変遷の違い)、〈ほんとうのもの〉は因果を超越したところで出てくること、明治から大正・昭和にかけての家父長制のなかで、ものを表現しようと生きる女性の生きづらさとみすずさんの葛藤、多様性の尊重、人智をこえた〈不思議〉、純粋な感情の発露とその大切さ」などが出ました。

また、さいごにKさんがおっしゃってくださった「みすゞさんの人生を知ると悲しくなってしまう。でも、背景や生涯を意識せずにテキストだけをみるという心持ちが必要。みすゞさんは、童謡詩人として作品を書いた、それがもっとも大切なこと。詩は歌ってもらうために書いた、言葉たちが歌うわけで、みすゞさんは自分の人生を歌っているわけじゃない。それを知っておかないと、テキスト本来の良さが分からなくなってしまう。みすゞさんは、純粋に子どもたちや、読者が楽しんでくれるようにと望んで書いた。悲劇的な生涯をあわせて読んでほしいとは、きっと思ってないだろう」という言葉が、たいへん胸にささりました。ほんとにそうなんですよね・・・
自分自身、みすゞさんの生涯を知ったとき、言い知れぬ怒りや悲しみがこみあげてきて、平静でいられず。その目で作品だけをまっすぐに見て、その良さをすくいとることが出来ていただろうか、と自問自答してしまった。それは、みすゞさんの望んだことだろうか? と。すでに人生を知っている自分は、知らなかった自分にはもう戻れない。みすゞさんの生涯に起こった、さまざまなできごとが作品理解の一助になることは、たしかにあると思う。それでも、みすゞさんのテキストだけに虚心坦懐に向き合う心を、取り戻さなきゃいけない。
子どもにみすゞ作品を伝えようとするとき、生涯をあわせて伝える必要はむしろなく、テキストに無心でむきあい、ともに味わうほうがきっと良いのだろうな、と思う。子どもが成長して、自分で知りたいと思ったとき、それはおのずと分かる。
みすゞさんが、どんな思いで作品をつむいだのか、どんなふうに読んで(歌って)ほしいとおもっていたのか――それを改めて真剣に考えたことも、わたしにとって、よき機会となりました。
作品の感想・鑑賞まとめ:ものすごい大長編になってしまったので。別ページに記載します〈細かく見たいかたはこちらへ〉⇒ 8月&9月、ご参加の皆さんの朗読された作品、ご感想など

 *

打出さんは両方の会にて、2009年8月の「金子みすゞをめぐる旅〈仙崎・下関 〉」の貴重な写真の数々を見せてくださり。みすゞの目にしたであろう風景もお話もじつに興味深く・・・参加の皆さんとともに在りし日のみすゞに、しみじみと思いを馳せたのでした。
まずは、金子みすゞを再発見させてくれた、打出さんに感謝します。また、ともにみすゞの詩を読み、あらためて彼女の詩の魅力や奥深さを伝えてくださった、ご参加の皆さんにも。そして、みすゞを発見・発掘し、世に伝えんとご尽力された、矢崎節夫さんと JULA出版局のかたたがたにも。ありがとうございました!

◆〈金子みすゞをめぐる旅〉by 打出さんが写真とともにご紹介

【仙崎】
仙崎(とても小さな町)〜仙崎駅(無人駅)〜みすゞ通り〜仙崎郵便局と蒲鉾の板のみすゞアート(詩と絵)〜金子みすゞ記念館(当時の文英堂書店が再現されている)〜金子みすゞの墓所(父と弟も一緒に入っている)〜仙崎湾の朝の風景(夜明けとともに船が増える)〜にぎわう漁港〜魚をねらうトンビ〜向岸寺の「くじら墓」(鯨回向)鯨の胎児へ向け、記された文言「我々の目的はおまえたち胎児を捕るつもりではなく、むしろ海中に逃してやりたいのだ。しかしおまえたちだけを逃しても生きてはいかれない。憐れな子らよ、どうか成仏してほしい」〜向岸寺の石段

【下関】
唐戸商店街(入口のアーチにみすゞの写真と名前がある)〜「金子みすゞ 詩の小径/散策地図」ゆかりの地に多くの詩碑がありめぐれるようになっている〜旧秋田商会ビル(大正4年建築)〜モダンな建築の建物〜上山文英堂本店跡〜黒川写真館跡〜商品館跡〜三宅写真館(現駐車場)〜亀山八幡宮〜みすゞが亡くなる前日に写真を撮りに行っていて、参拝して振り返ると海がみえる(さいごにみた海だったかも)

〜26年の生涯と、没後のみすゞ再発見について〜〜
金子みすゞ(本名はテル)。
1903年4月、みすゞは山口県の仙崎という仏教の根づく美しい漁師町で生まれ(兄・堅助、弟・正祐)やさしくあたたかな兄弟とともに健やかに育つ(弟の正祐はほどなくして、上山文英堂書店主・上山松蔵の養子へ)。当時のみすゞは勝ち気で少し暗さを秘めた文学好きの少女。十代半ば頃より、学校の同窓会誌へ作品を多く発表。高等女学校卒業後、金子文英堂の店の手伝いを始める。未亡人だった母の、上山松蔵との再婚に伴い、下関へ。弟に再会し(みすゞが実の姉とはその時は知らなかった)、ともに暮らすように。のち上山文英堂支店で勤務開始。当時、弟・正祐は作曲、みすゞは詩に意欲を燃やしており、20歳頃より書きはじめ、文芸雑誌に投稿した童謡詩が、「童話」「婦人倶楽部」「金の星」等にぞくぞく掲載され、選者の西條八十に「みすゞは、若い童謡詩人中の巨星」と激賞される。23歳、上山文英堂の店員・宮本啓喜と結婚。娘・ふさえが誕生し、愛情を大いに注ぐ。のちに、夫に文学創作も友人との交際も禁じられる。筆を折る決意をし、西條八十と弟・正祐に三冊の遺稿集をそれぞれ託す。下関市内を幾度も転居、病臥。夫と離婚を決意し、ふさえを連れて別居。「ふさえを連れ戻しにいく」と連絡にあった夫の来る、という日、「あなたにふさえを育ててほしくない。母にふさえを預けてほしい」という遺書をのこして、自死。享年26。

〈没後〉1966年、『日本童謡集』で「大漁」に出会い、感銘をうけた矢崎節夫氏が、金子みすゞ創作を開始。のち、みすゞの弟・上山雅輔(本名・正祐)の存在を知り、三冊の遺稿集を預かる。1984年『金子みすゞ全集』三冊(『美しい町』『空のかあさま』『さみしい王女』)がJULA出版局より刊行される。これによって、金子みすゞの作品と人が広く世に知られることとなる。


pipponpippon at 17:57|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック ◆Pippoのポエトリーカフェ◆ 

November 09, 2021

◆8月・9月〈ポエトリーカフェ・金子みすゞ〉ご参加の方々のお言葉

▼2021年 8月〈ポエトリーカフェ・金子みすゞ篇〉と、9月〈ポエトリーカフェ・金子みすゞ、プチ・リターンズ篇〉

《8/29〈皆さんが読んでいった詩とご感想〉》
●「郵便局の椿」朗読:Kさん(みすゞさんについてはあまり知らないけど、全体的にやさしくて印象的。娘にみすゞの本を買ってあげたことがある)
「この作品にかぎらず、みすゞの詩はほんとにやさしくてあたたかくていいなあと思う。
なぜか部分的に自分が過去にみた光景とかさなってなつかしく、温かな気持ちになった」。

●「海の鳥」朗読:Kさん(有名な詩を少し知ってるくらいだけど、山口県の日本海側の詩人ということで惹かれるものがある)
「言葉の並びが波のようで美しい。波がどこへいくのか、鳥はしってるだろう、鳥を祭りに呼んであげようという発想もいい。土地に受け継がれてきた思想からくるものかな。《呼んであぎよ》は方言?それも効いてる」。

●「私のかひこ」朗読:Mさん(ソプラノ歌手をしていて、みすゞの詩の曲で歌ってみたいものがあるのだけど少し繊細な詩なので理解がむずかしく、皆さんからヒントをいただけたらと思っている)
「息子の学校の授業の関連で、カイコを何週間か自宅で飼っていた。そのとき、大人になる前のカイコを茹でて絹の糸をとることを知り、衝撃を受けた。みすゞがこの作品にこめた心情(悲しみや、生き物の定め、贖罪の気持ちなど)をいろいろと想像した」。

●「帆」朗読:Uさん(矢崎節夫さんのみすゞに関する本を読み、こういう生き方をしたから、こういう作品が生まれてきたのか・・・と生涯がずしんと胸に迫った。国際フォーラムでのみすゞ展で出会った直筆の「帆」がほんとうに印象的だった)
「展覧会で、この詩をみたときに衝撃にふるえがとまらず、涙をながして立ちすくんでしまった。この詩も〈憧れ〉がテーマだけど、海につくことのないこの船が遠くへすすんでて、どこへいくのかと思うと、きっとそれは、どこでもないうつくしい場所なんだろうな、と。これはみすずさんの当時の状況や思いとかがすごく投影された詩なんじゃないかな、と」。

●「蜂と神さま」朗読:Uさん(金子みすゞには興味があるけど、あまり知らないので、いろいろ知りたい)
「身近な小さなものから、視点がだんだん大きくひろがってゆくのだけど、それがさいご、小さな蜂にもどり、みな神さまに守られているというような、やさしいかんじが好きで選んだ。それをぎゅっと凝縮して、ひとつの宇宙を作る力があるんだな、と」。

●「秋」朗読:Yさん(「こだまでせうか」は知っていたが、あまりよくは知らないので、今回しっかり読んでみたいなあと。いろいろ勉強したい)
「遠くから町をみてるかんじが、すごくうつくしく表現されている。町の光を遠くからみて、縞になっている感じとか、その縞の暗いとこに秋がこっそりかくれてる、というのも素敵だなあと。あとこの詩のなかで、みすゞさんは、どこにいるんだろう?と思った」。

●「土」朗読:Tさん(学校の授業で知り、ハルキ文庫のみすゞ童謡集を買った。みすゞの生涯を描いた映画をみて、主演のみすゞ役の松たか子さんは良かったのだが、ジャニーズの三宅くんがかなり良くなくて、印象にのこってる)
「みすゞの詩にやさしいな、と思うことは多いけど、この詩もその一つ。ぶたれる土はで、自分って役に立たないのかな、と思うのだけど、さいごにほっとさせてくれるというか(笑)。みすゞさんの作品には多様性を認め合う、互いの尊厳を大切にする、というのが根底にあるように思う」。

●「露」朗読:Tさん(小学校の図書室で子どもたちにいろんな作品を朗読、教えたりしている。紹介の際にこの人の人生はこんなだったんだよ、という時が多いけど、みすゞさんはつらい生涯なので小さい子にさらっと紹介するにはむずかしく、何かヒントをもらえたらと)
「まず最初に《誰にも言わずにおきましょう》というのに、読む人との間に秘密を共有する、というのがいいな。また花が朝露に濡れているところから、蜂がその花の悲しむようすをしったら、もらった蜜を返しにくる想像をしたのは面白いなと思った。想像力とやさしさにあふれている」。

●「夢から夢を」朗読Yさん(みすゞさんの詩はあまり知らないので、今回いろいろと知りたいと思ってる)
「一寸法師と夢、というニュアンスがぼくには思いつかないのですごいなと。夢から夢へ飛んでわたる、というのにつかまれて。あと昼間どこにいるの?って。でさいご《夢のないときゃないゆえに》で、しめるのに完璧だな、参りました、となりました(笑)」(ものを作る人間として、創作のなかに宿る真実を信じている。子どもの魂と芸術家の魂がつながっている)。

●「金魚のお墓」朗読:Iさん(みすゞの名前は知っていたけど、どういう詩を書いていたとか生涯は知らず、興味がある)
「目線が地上の人間ではなく、土中の金魚の目線。土の中から、誰かの足音を聞いていたり、昔の仲間のことなどを思い出して、というのも切なくていいなと思う」(視点が金魚になっていて、心情も金魚になりきっている。小さなものへの共感性)。

●「蓮と鶏」朗読:Cさん(みすゞの「二つの小箱」という詩に地元の絹織物が出てきて、遠くはなれた場所にもそれがあったんだなと印象にのこっていた)
「仏教観を強烈に感じる詩だなというのと、あとは後半の、それはわたしのせいじゃない、という言い方は、必ずしもポジテイブなイメージではないので、生まれてくるものが、自分の意思でうまれてくるわけじゃないんだよ、っていうのが、どういうふうにとらえていいのか。そのへんがちょっと聞きたいかな、と」。
(Uさん:自分でやったことではなくて、何かの働きによって、そういうことが起こる。それは浄土真宗の阿弥陀様がいつも一緒にいてくださるって教えのなかで、そういう大きなものの働きによって、わたしたちが生かされている、そのなかの一つ。蓮が咲くのも、卵が生まれるのも、それに気付いたのも、そういう大きなものの導きによって気付かされた、気付かせてもらったということで書いたのかな、と思いました)

●「みえない星」朗読:Pさん(1980年代のみすゞ再発見の時にJULA出版局から三冊の詩集が出版され、そのときに買ってずっと大切にもっている)
「形式的に整っているというのと、問いかけの三つ。それに対して、答えが、一行、二行、四行 倍々でふえてゆき、そのたびにイメージがふくらむ。曲を付けたら面白そう。内容からいうと、みえない世界への憧れ、あるいは祈りがこめられたものとか、いろんな層でかんがえられる。本屋の棚から、あるいは仙崎や下関の海からひろがってく世界、そういう部分部分を通してリアリティがある。さいごが「魂と」で終わってる。言い切っていない魅力、そこもいい」。

●「男の子なら」朗読:Aさん(再発見の当時、素敵だなと思って。JULA出版局に子どもたちを連れて遊びにいった。今回改めて読んで、いろんな詩を大切に覚えてることに気がついた)
「みすずさんが、この「海賊」という言葉にこめた意味を考えてみると、自由への思い、誰にもさまたげられない力を求めていたのかな、と。腰の帯をしっかりしめなおして、だいじなとこへむかっていく。みすずの好きな外国の文学の影響もよみとれる。男の子だったら、思いをこめて、自分の魂を解き放ちたい。この詩全体を読んだ時に、なにかとてもすがすがしさを感じた」。

●「不思議」朗読:Aさん(みすゞさんについては、JULA出版局の本で知って、ブームのときのことを覚えている。繊細なやさしい心はどこからくるんだろう、と知りたい)
「すごく澄んだ目、透徹した目を感じた。今日、みすゞさんの詩の朗読を聴き、読み、人生をたどったりしてて、やっぱりすごい人だなあと。有名な詩や、CMとか、ほんとうは、そういうふうに出会っちゃいけない、世のなかが消費してはいけない人で、だいじに読まなきゃいけない詩人なんじゃないかなと思った。自分のなかの子どもに向けて、真摯に向き合ってる詩ばかりだな、すばらしいなと感じる」。

●「向日葵」朗読:Uさん(修士論文のテーマが金子みすゞで、みすゞの作品に出てくる色彩表現について、研究していた。2009年にみすゞの暮らした仙崎・下関にいってきた。そのときの写真を皆さんにお見せできたらと)
「修士論文を書いていたときに、強く興味をひかれた詩。身体表現と色彩表現も豊か。みすゞの全作品のうち、(金を黄色とすると)五色がそろうのは、唯一「向日葵」のみ。その五色は作品の中で出てくる頻度の高い色たちで仏教思想とも強い関わりがある、「往生伝」では、臨終の時、五色の雲にのって阿弥陀様が迎えにきたり、阿弥陀様の手から出る五色の糸が死者につながって、浄土につれてってくれる、ことも書かれている。私見だが、童謡詩人・金子みすゞとして、また、母・金子テルとして、っていうプライベートでの自分の両方をえがいているのでは、と。「ミサヲ」におさめられた近況報告のような文章でも似た思いが記されている。弟の正祐からのつらい言葉も重なって、みすずにとってはすごく苦しい時期でもあり、その思いが、こんな詩を書かせたのではないか」。

●「雪」朗読:Yさん(九州から上京してきたときに本屋で平積みになっていて、こんなすごい詩を書く人がいたんだなあと。上京し立ての心細い思いがずいぶん慰められた。「星とたんぽぽ」が印象にのこってる。)
「色味と情景のうつりかわりに惹かれた。音楽的。青い小鳥がみすゞをあらわす、という説もあるけれど、いろんな思いから解放されて、とびたっていく魂、うつくしい神さまのいる世界へゆくさまに引きつけられる。自殺という形になってしまったのは、かなしいことなんだけど。小鳥の死をとおして、きれいな魂が天上にのぼってゆく情景にすこしすくわれるような思いがする」。

●「こだまでせうか」朗読:Mさん(JULA出版の『わたしと小鳥とすずと』がみすゞさんを知った最初だと思うんですが、女声合唱の曲としてもよく歌われていて、それにも親しんできた。しかしさて、生涯はと考えると、少しおそろしい気持ちになるのだけど、今日は皆さんと一緒に近づけたらいいなと思う)
「先に言った方の気持ちで読むのか、あとで言うほうの気持ちで読むのか、それに対して反応しちゃうという立場で読むか、それしだいで、すごく変わってくるところがある。あと、リアルなテルさんと、詩人のみすゞさんの世界、自分の心を解放できる世界がもうひとつあるがゆえに、なんとか生きていくことが出来た、という心境もうかがえる。テルちゃんは成績優秀だったと知って、明治の教育って[自分を殺す]ことからまず始まるじゃないですか、疑問をもつことを抑えるというか。いわゆる賢いテルちゃんがいて、そのなかに、飛びたちたい、みすずの魂があって、そのギャップが彼女の詩の魅力なのかなと思う。

ずっと思ってたけど、震災のとき繰り返し放送されたCM(ACジャパン)でのみすゞさんの詩の扱いかたに、かなり怒りをおぼえた。政府の都合のよいように詩が使われてるように思えて」。


《9/4〈皆さんが読んでいった(歌った)詩とご感想〉》
※自己紹介パートの録音を失念してしまい、ご感想だけとなります。

●「ながい夢」朗読:Tさん
「わたしの母は亡くなっているんですが、母を亡くしてから、心の中にぽっかり空洞ができてしまい、今もまだその空洞をうめきれていない。この詩を読んでいて、子どもの頃の母を思い出させてくれるような詩だったので、とてもなつかしく、自分の母親像と重ねながらしみじみと読んだ」。

●「見えないもの」朗読:Nさん
「金子みすゞというとほんわかした印象があるが、この詩は《まばたきするまに》とあり、ものすごいスピードのことをいっているなと。自分が覚醒していない間にいろんなことが起こり、それがすごい切れ味で書かれていて、七五調にきれいにおさまっていて、好き。気づいたのは、花びらがふりつもるのはすごく近くで起こっていることなんだけど音とかはほとんど聞こえない、《天馬が翅のべて》は遠くで起こっていること。どれもみえなくとも本当のこと」。

●「秋」朗読:Bさん 
「秋になって、日暮れがはやくなって、みなが電気つけるのがはやくなったのかな? 昔は今ほど明るくないと思うので、家の灯り、ひかってるところと光ってないところがはっきり分かるかんじだったのかもしれない。秋がこっそりかくれてるというのが、ちょうど今みたいなかんじなのかなと。それも表現されてるのが好きだった」。

●「土」朗読:Hさん
「やはり、みすずさんには「やさしさ」があるんだなあ、と。ぶたれない土は役に立たないわけでなく、名のない草のおやどをするよ、って。ほかのなにかの役に立ってるんだよ、って」。(たとえば日頃、無視されるような存在でも、無名の草花をしっかり育んでいる。世界を構成するたいせつなひとつ。目立たぬ存在も役割があり、生きていること)。

●「星とたんぽぽ」朗読:Tさん
「「見えないもの」と対になるような詩だなあ、と思う。時間と空間が対になっている。「見えないもの」は、ねんねしたまま、ゆっくりと長いリズム。まばたきするま、すばやい一瞬の短いあいだ、それぞれの時間のなかに「見えないもの」があるんだけど、こちらののほうは、どちらかというと上から下に視線がおりていく感じ、下から上をみあげると天馬がいる。「星とたんぽぽ」はその逆で、青い空、昼から夜にかけての時間、一年間の時間、最初にくるのが、短い単位の時間、あとからくるのが長い単位の時間で。はじめにでてくるのが上の方、後半が上から下をみおろして、たんぽぽを探す視線。「見えないもの」の方は、瞬間瞬間に経験できないものがつまってる、それがすごく強調される。「星とたんぽぽ」はもっと長い時間、みえないものが存在してるのが確固とした確信、経験を越えた存在としてえがかれている」。

●「蓮と鶏」曲を付けて弾き語り:Kさん
「曲をつけたので、歌います。♪わたしとギターとすずと♪(シャンシャン)。
解釈ですけど、これは仏教と関わりがあると言われることが多くて、とくに浄土真宗の人が絶賛してたりするんですが、わたしはそうじゃないというふうに思っている。みすゞさんは、浄土真宗と深い関わりがある場所で育ったこともあり、念仏も唱えただろうし、それは分かるのだけど。詩のなかに神様を出してきたり、キリスト教の影響もどこかにあったりして。まあ、西洋に関しては西條八十の影響もあるのかなと思いますが。この時代の大正の詩人達はみんなそうなんですが、中原中也も宮沢賢治も、仏教からはじまってキリスト教の影響をうけ、そこにすごく深く関わってゆくというのがあって、比較をするとすごく面白い。「蓮」が出てくると仏教と思っちゃいますが、因果を超越するものを感じる。原因と結果、近代的にみれば、原因があって結果があるというような、近代の考え方ではないところに、私は気がついていた、というところなんですよね。自分も、それに気がついたのは、自分の努力で気がついたわけじゃなくて、なんとなくすっとそういうインスピレーションが入ってきた。でも、それをそのまま受け止めちゃうと、仏教的な考え方を表現してる、みたいになっちゃうんですが。わたしはもう少しひろく見たい。みすゞさんが無名の人として、長い間、矢崎節夫さんが現れるまで、全くかえりみられなかった時期があるんですけども、そういう時期を経ても、ちゃんと出てくる、世の中に知られるようになってゆく、それ自体をこの詩は現してるような感じがする。誰も気がつかない、ささやかなものでも、「ほんとうのもの」というのは、おのずと皆のなかに現れる、世のなかに出てくる」。

●「男の子なら」朗読:Mさん
「海の近くで育って、そしてまた下関という外の国にひらかれた港のある町で暮らした、みすゞの自由で大きな世界に、オープンハートでむかってくというのが感じられていいなあ、というのと。「男の子なら」というので気にかかるのが、女の子なら、という詩もみすゞさんは書いてて、さらっと読みますけど(朗読)。女の子であるということとか、いい子であることにたいして、すごくそうしなきゃというみすゞさんと、そういうものに縛られずに、わたしは私自身として自由に船に乗って、おとぎ話の世界を守って航海する海賊になりたいのよ、っていう強いみすずさんがいて、そういう軋轢みたいなものをこの詩からはかんじました。でも描かれてる世界は、色彩が海の青、空の青、光る空とかとてもきれいで。物語り作家としてのみすゞさんの豊かな表現力と、心のありさまがうかがえる。そういうものを縛る、明治から昭和、戦前にかけての家父長制を考えると、(みすゞの)おじさんもきっと悪い人じゃない、書店経営者として明治の立身出世に成功した、しかも書店ていう、哲学的なものを扱う商売で成功して、周りからも、立派な男性みたいなものを評価された。そういう社会のなかで、みすゞさんのように、ものを表現しようとして生きていこうとする女性のいきづらさを、しみじみ考えてしまった」。

●「わたしと小鳥と鈴と」朗読:Mさん
「この詩は有名なんだけど、自分はさいごのフレーズ以外、知らなかった。ほかの作品もそんなに知らないし、広告やCMのことも知らなかった。今の時代の多様性を尊重する的なのと違って、この時代ならではのいろんな区別とか差別とかあったりして、それを鳥とかすずに例えているのだと思うけど、それを「男の子なら」と重ねると、やっぱり生きづらさをかんじてたんだろうなあ、と」。

●「不思議」朗読:Sさん
「みすゞさんて、お母様に「ひとつのものをいろんな視点で見るんだよ」と言われていたこととか、育ってきた仏教的思想とかが関係してるのかもしれないけど、その見てる世界のものごとの境界線がすごくぼんやり、曖昧なのかな? ってそんな気がする。みえるもの、みえないもの、夢と現実、その境界線がないわけじゃないんだけど、一体化してるような。「不思議」って4回でてくるけど、はじめの3つの不思議は、不思議じゃなくて、それがなぜかの道理をみすゞさんはわかってるんじゃないかな、と思う。そうなんだよね、って他人に言うと、そんなの当たり前だよって他人にいわれるのが、すごく腑に落ちないみたいな。さいごのだけ、ほんとに不思議なんじゃないかなと。自分も「リンゴの木と柿の木」の不思議さについて、同様に考えたことがあって。変じゃない、と思う自分と変だって思う自分とふたりがいる。あと、当然ていうことと、不思議と思うこと、について考えた時に「不思議」って人間がいってることは、頭で考えられる理屈ではなく、人智をこえたところにあるもののように感じる」。

●「鯨捕り」朗読:Sさん
「みすゞさんの詩をいろいろ読んだなかで、この鯨捕りの詩だけ、他のとちょっと違うなあと。みすずの詩って、どこかこう、さみしさとあいまいさとやわらかさがあるのだけど、この詩は語りの部分が多い。皆さんの感想に多様性って言葉(どんな生命も尊重し、大切にしよう的な)が幾度も出て来たけれど、この詩には鯨捕りに胸を躍らせるみすずの様子がうかがえる。鯨を捕った時の臨場感とか色彩とか生き生きと語られてて。鯨を殺す残酷さと言うよりも、鯨捕りのすごさに視点がいってて。
Uさんの話にもあったけれど、鯨は地元では特別にちゃんと供養されている、「いのちをくれてありがとう」という感謝の気持ちがしっかりあるからかなと。当たり前のように命をうばって食べているものに対しては、供養とかされていないから可哀想という感情がわくのかもしれない」。

●「向日葵」朗読:Uさん
「この「向日葵」って詩が、このときのみすゞの心境をいちばんよくあらわしてる詩だなあと思う。
みすゞが昭和四年「ミサヲ」に書いた近況報告のようなもので、この「向日葵」の詩にすごく似ている文章がある。また、色彩の観点から見ても、金、白、黒、赤、青、この五色が出てくるのは、みすゞの詩全部のなかで、この「向日葵」一篇だけ。金を黄色におきかえてみると、この五色は仏教的にも意味をもってくる。西圓時の「往生伝」に、地元のかたが亡くなる時、臨終の際に、阿弥陀様が五色の雲に乗って迎えにきてくれるとか、阿弥陀様の手から死者につながる五色の糸などと記されていたりして、臨終と深い縁のある色でもある。この詩には、童謡詩人・金子みすゞの死と、宮本テル、母として生きる、という意味が込められているんじゃないかなと。みすゞはこのとき、つらい時期で。子どもが生まれたことはすごく嬉しかったけど、正祐から、童謡詩人・金子みすゞは死んだ、故人です。といわれたのがすごいショックだったんだろうなと思う。そのあと、夫に創作自体も禁止されたこと、詩を書けないつらさ、詩人のみすゞが死んでも、母として生きる。その葛藤や思いがぎゅっとつまっている」。

●「わらひ」朗読:P
「人間のほんとうにうつくしい瞬間って、怒り、悲しみ、笑い、など素直な感情の発露のときなんじゃないかなと。たとえば、赤ちゃんの笑顔とか、嬉しい、楽しいなど、あどけない純粋な感情のあらわれの瞬間とか。人間は成長して、処世術を身につけるごとに、上司のくだらないだじゃれに愛想笑いしなきゃいけないとか、出したくない感情、うその笑いや、かなしみをおぼえてゆく。そうすると、だんだん純粋な本当の感情が死んでいく。だけれども、ほんとうは、自分の素直な感情をまもってゆかなきゃいけないんじゃないかなと、この詩を読んで、改めて思った」。

※ご参加のお一人、Oさんは朗読されなかったのですが「皆さんと一緒に作品をしっかりと読み、味わう機会が楽しかった。「わらひ」の詩に本当の感情をもっと大切にしないと、と思った」など、ご感想をのべてくださいました。

★さいごに《みすゞの作品を読む、ということについて》
Kさん「人生を知ってしまうと悲しくなってきちゃうんですよね。背景や生涯を意識せずにテキストだけをみるという心がまえが必要に思う。悲しみとともに鑑賞しないこと。
みすゞさんは童謡詩人として作品を書いている、そのことがもっとも大切なこと。詩は歌ってもらうために書いた、言葉たちが歌うわけだから、みすゞは自分の人生を書いてる、歌っているわけではない。それを知っておかないと、テキストの本来の良さがわからなくなってしまう。歌ってみて、曲をつけてみて、楽しくなることがたくさんある。みすゞさんは、純粋に作品を子どもが楽しんでくれるようにと思って書いていた。きっと悲劇的な生涯と合わせて読んでほしくない、と思うだろう」。



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October 28, 2021

2020年8月〜2022年【第123回 以降】「リモート(Zoom)・ポエトリーカフェ 」の開催記録

〈Zoomによるポエトリーカフェ(プレ開催)〉
《2020年》
第123回◆8/29(土) 13:30〜 15:30〈テーマ: 珈琲 篇〉 :11名のかたがご参加
第124回◆8/30(日) 15:00〜 17:00〈大木実 〉:13名のかたがご参加 
Zoomによる初開催、ぶじ、終了いたしました !

第125回◆9/27(日)〈山之口獏 篇〉:15名のかたがご参加
第126回◆11/8(日)〈金子光晴 篇〉:18名のかたがご参加
第127回◆12/27(日)ポエカフェ特別篇「2020、この一篇、この一冊」:21名のかたがご参加

《2021年》
第128回◆2/28(日)〈吉野弘 篇〉:17名のかたがご参加
第129回◆4/25(日)〈新美南吉〉篇 :15名のかたがご参加
第130回◆5/2(日)〈リターンズ! 新美南吉篇〉:15名のかたと新美南吉記念館館長さんご参加
第131回◆6/27(日)〈西條八十〉篇 :16名のかたがご参加
第132回◆8/29(日)〈金子みすゞ〉篇 :17名の方がご参加
第133回◆9/4(土)〈金子みすゞ プチ・リターンズ!篇〉 :12名のかたがご参加
第134回◆10/24(日)〈中原中也 篇〉18名の方がご参加
(第135回 10/30(土)砂町図書館 〈くらしと詩 篇〉16名のかたがご参加)
第136回◆11/27(土)ZOOM〈くらしと詩 篇〉15名の方がご参加

《2022年》
第137回◆1/29(土)川崎洋篇(17名のかたがご参加)
第138回◆1/30(日)川崎洋 プチ・リターンズ篇(7名のかたがご参加)
第139回◆3/12(土)長田弘篇(15名のかたがご参加)
第140回◆3/19(土)長田弘 プチ・リターンズ篇(12名のかたがご参加)
第141回◆5/21(土)マヤコフスキー篇(16名のかたがご参加)
第142回◆7/30(土)パステルナーク篇(17名のかたがご参加予定)


パソコン画面上での初の「ポエトリーカフェ」、なれずにアタフタする場面もありましたが。やはり、皆さんと集まって、詩を読み、語らうことの喜び、楽しさは、リモートでも味わえるのだなあ、と。つたない進行でしたが、おつきあいくださった皆さん、助力してくれた友人たちに感謝です。

以降、コロナの収束をみるまでは、リモートにて、月一回「ポエカフェ」を開催してゆきます。
2020年9月からはこのBlogではなく、PassMarketからの詳細告知(ご参加受付)とします。定員は15人程度。
 
当blogでも、開催ごとに詳細を上に記し、URLのリンクを貼りますのでそこから飛び。チエックいただけたらと。いろいろ、ご不便をおかけしますが、どうぞ、よろしくおねがいいたします!

Pippo 2020年9月09日

さてさて。ことしの2月の 「ポエトリーカフェ」 中止以来、ごぶさたしてしまっていますが……
コロナ禍が収束の兆しをみせないどころか、さらに悪化しているような状況のなか、いつものように喫茶店でみなさんと集まることは困難と判断し、しばらくはリモートで開催してゆければ、と。Zoomによる、ポエトリーカフェの開催を決めました!(ただ自分、たいへんな機械オンチで、リモートでいつものように出来るのか? という不安もあり)。テストの意味合いもふくめ、8月の終わりに、テーマ「珈琲 篇」、「大木実 篇」の、2回(各回 10名さま定員にて)を、無料でプレ開催することとします。
Zoomアプリの入っていない方は、インストールされたうえ、ちょっぴりやさしい気持ちで、おつきあいいただけましたら、嬉しいです。

●「Pippoのポエトリーカフェ」
2009年10月より始まった、気さくな詩の学び場(読書会・朗読会)です。
これまでの 「ポエトリーカフェ」のページ) 
詩や、詩人にたのしくふれてゆくことを目的とした会です。知識・予習などなしでも、okです。
初めてのかた、 「あまり知らない、わからないんだけど…興味はある」というかたも、大歓迎。
テキストはこちらで、ご用意しています。
どうぞ、お気軽にご参加くださいませね。お待ちしています。

【開催日時】
●8/29(土)  13:30〜 15:30  ポエトリーカフェ /テーマ「珈琲 篇」 (定員 10名)
 (*ご参加お申込が、定員にたっしましたため、一旦受付を終了いたします。キャンセル待ちでのお申込は受付します)

 「珈琲」にまつわる古今東西の名詩をテキストに、みなで詩を読んでゆきます。
 (珈琲好きなかたは、お気に入りの「一杯」を、かたわらにぜひ♪ )

〈ちょっと「珈琲」詩歌をご紹介〉

◎吉井勇
「珈琲の香にむせひたるゆうへより夢見る人となりにけらしな」
(訳; 馥郁とした珈琲の香りを胸一杯にすいこんだ夕べより、夢見る人となってしまったようだ)
(『酒ほがひ』 1910年)

◎寺山修司
「ふるさとの訛(なまり)なくせし友といてモカ珈琲はかくまで苦し」
(『血と麦』 1962年)

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●8/30(日) 15:00〜 17:00  ポエトリーカフェ: 大木実 篇 (定員 10名)
        (*ご参加お申込が、定員にたっしましたため、一旦受付を終了いたします。キャンセル待ちでのお申込は受付します)

大木実 さんを課題詩人に。公務員の仕事をがんばりながら、詩作をつづけた、かれの生涯をたどりつつ、詩をみなで読んでゆきます。じつに平明で実直、あたたかな詩をかく詩人で、ハッとしたり、ときに叱咤してくれたり、胸につきささる詩篇が、ほんとうに数多くあります。生活と仕事、家族へのまなざし。きびしい生への対峙の姿勢がここにはあり、「よく生きる」ということはどういうことなのかを、つねに考えさせられます。
最高なので、読みましょう!

〈ちょっと詩をご紹介〉

「妻」

何ということなく
妻のかたわらに佇つ
煮物をしている妻をみている
そのうしろ姿に 若かった日の姿が重なる

この妻が僕は好きだ
三十年いっしょに暮らしてきた妻
髪に白いものがみえる妻
口にだしていったらおかしいだろうか

――きみが好きだよ

青年のように
青年の日のように

(『夜半の声』 1976年)

*なるべく多くのかたに体験していただきたいので、
おひとり、上記の2回のうち、1回だけお申込いただけます。
気になるほうへどうぞご参加ください。


◆お申込フォーム *8/19(水)より、お申込受付開始です〜

※上の、申し込みフォームの使えない(もし表示されない)方は、以下の宛先までお申し込み下さい。
tintiro.ivent@gmail.com まで。 
メールにて、件名は 「ご参加のポエカフェ会名」とし、お名前・緊急ご連絡先(TEL)・ご参加人数など、ご明記の上、お送り下さい。折り返し、ご予約完了のメールを、お送り差し上げます(すぐに返信が来ない場合は、ご一報ください)。
※キャンセル待ちの方がいらっしゃるときがありますので、都合が悪く欠席になる際は、それが分かり次第、必ずお伝えくださいませ。


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October 11, 2021

黒い旗と囚人 中原中也とわたし 〜「曇天」に寄せて



はじめて、中也を読んだのは、たしか高校一年のころだったろうか。

ふと本屋で見かけた文庫本を買い、パラパラとよみ。
いくつもの詩を口に出して、そのあまいうつくしさに酔い痴れた。
ああ、よい詩だなあ、きれいなかなしみをもった詩だなあ。
切なさを胸いっぱいにふくらました。

そのときのわたしは、もろく幼く、夢みがちで。
すんなりとかれの世界へ同化した。

そして、やさしすぎる恋人のように。
わたしは、いつしか中也のことを忘れた。

そののち、短大の芸術学科に進学し、
平井照敏氏の近代詩の授業で、
ふたたび中也に出会った。

「曇天」 という詩だった。

:::::::
「曇天」

ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
はたはた それは はためいて ゐたが、
音は きこえぬ 高きが ゆゑに。

手繰り 下らさうと 僕は したが、
綱も なければ それも 叶はず、
旗は はたはた はためく ばかり、
窓の 奥処に 舞ひ入る 如く。

かゝる 朝(あした)を 少年の 目も、
屡々(しばしば) 見たりと 僕は 憶ふ。
かの時は そを 野原の 上に、
今はた 都会の 甍(いらか)の 上に。

かの時 この時 時は 隔つれ、
此処と 彼処と 所は 異れ、
はたはた はたはた み空に ひとり、
いまも 渝(かは)らぬ かの 黒旗よ。




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(初出「改造」1936年7月、のち 1938年刊『在りし日の歌』に収録)
※中也、29歳の頃の作。この詩を書いた4ヶ月後、愛児・文也を亡くす。


衝撃だった。
曇天の高みに、はたはたと舞う、黒い旗。
孤高にして唯一の。

怖かった。
わたしには、その旗が、
ひどく恐ろしく、邪悪なものの象徴に思えて、
ほんとうに怖ろしかった。

詩中の「僕」よろしく、
空に浮かぶ、その黒い旗にすぐさま、
飛び掛り、ひきずりおろして、
地面に叩きつけて、足で踏みつけて
ぐちゃぐちゃにしてやりたかった。
“わたしを、脅かすのは止めて!”
と、泣き叫びながら。

それでも、旗にはとどかない。
ああ、凄まじき“恐怖”(せんちめんたる)!

わたしは、そのとき19歳。
黒い旗などはためかぬ世界で
のんべんだらりと生きていた。

それまでも、多くの本を読み、
いろんな感情を引き出されていた。
けれども、この中也の「曇天」については、
文学、もしくは“詩”にふれて真剣に恐怖を感じた、
初めての作品だったように思う。

わたしを瞬時にして
恐怖のどん底につき落した、
この人は、いつかの、あの人?

やさしく
あまく
怖ろしい

その日から、わたしは中也の永遠の囚人となった。


Pippo

2021年 10月11日
〈※ 2010.7.6 記の再掲〉  

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September 17, 2021

Pippo【仕事一覧】2009年頃〜(2022年 1月記)

《雑誌・新聞・書籍寄稿、ラジオ出演、ポエトリーカフェ(講座)ほか》2021年9月記
(*◎=書籍

【2009年】
詩の学び場(読書会)「ポエトリーカフェ」10月〜 開始(現在まで)

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【2010年】
[出張]6月、ポエトリーカフェ〈尾形亀之助 篇〉。火星の庭・前野さんのお声がけで「Book!Book! Sendai」の企画で、@ひつじ屋room仙台 にて開催。

[出張]7月、ポエトリーカフェ〈中原中也 篇〉in鎌倉、城戸朱理さんのお声がけ&協力にて、開催。

★7月、近代詩朗読集・中原中也「てふてふ三匹め」発行(私家版)

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【2011年】
★5月、Pippo編「ぼん・くらーじゅ」刊行(私家版700部・復興支援詩冊子)。

◎[寄稿] 辻元力・藤原ちから編『〈建築〉としてのブックガイド』(明月堂書店)へ、書評エッセイ(『伝言』中江俊夫、『喪の日記』ロラン・バルト、『異国の女に捧げる散文』ジュリアン・グラック/天沢退二郎訳 絵・黒田アキ、『木犀の日』古井由吉、『カンガルー・ノート』安部公房)掲載。
建築としての

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【2012年】
●文化放送ラジオ「くにまるジャパン」内「本屋さんへ行こう!」に初出演。
 (以降、準レギュラーとして詩と詩人や本の紹介など、9年間担当。2021年8月にコーナー終了) 

◎[寄稿] 10月、『古本の雑誌 (別冊本の雑誌) 単行本(本の雑誌)へ、「古本ざしきわらしが行く」掲載。
古本の雑誌

◎[読書会・紹介]11月『TOKYO BOOK SCENE (玄光社MOOK)』(東京のブックカルチャームック)の、読書会の項に「ポエトリーカフェ」が紹介・収録される。
TOKYO BOOK

[出張]11月、ポエトリーカフェ武甲書店にて、ポエトリーカフェ〈山歩き〉、秋の遠足篇、開催@埼玉県・秩父。

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【2013年】
●[寄稿]詩誌「季刊びーぐる」18号〈特集 名詩を発掘ー埋もれた宝石に光をあてる 〉へ、福田和夫さんを紹介。

●[寄稿]4月〜しんぶん赤旗にて、詩と詩人紹介エッセイ「心に太陽を くちびるに詩を」月一回、連載開始〜

[出張]11月、ポエトリーカフェ武甲書店にて、ポエトリーカフェ秋の遠足篇〈山と虫〉開催@埼玉県・秩父。

★Pippo詩集『リベルテ』発行(私家版・限定100部)。
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◎[寄稿]「BOOK5」(トマソン社)にて「詩はSFに乗って」連載開始(2013〜2016年12月「BOOK5」最終号まで)。

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【2014年】
[出張]2月、ぼちぼち堂さんのお声がけで「ポエトリーカフェ 杉山平一・西尾勝彦 篇」@奈良県生駒郡カフェ・ファンチャーナ にて開催

★近代詩朗読集 詞華集「てふてふ四匹め」発行(私家版)

●[寄稿]かつとんたろう編「酉ビュート(@らっぱ亭)」(酉島伝法ファンブック)へ、酉島伝法作品にひびく近代詩を紹介する論考を掲載(大阪・文フリにて販売)。

[出張]11月、ポエトリーカフェ武甲書店にて、ポエトリーカフェ秋の遠足篇「風」開催@埼玉県・秩父。

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【2015年】
[出張]j.unionさんのお声がけで「ポエトリー暑中見舞いを作ろう!」(ワークショップ)広島にて開催。

◎11月『心に太陽を くちびるに詩を』刊行 *「赤旗」連載をまとめたもの(新日本出版)
くちびるに詩を
〈登場詩人・歌人〉新美南吉、船方一、室生犀星、竹内浩三、中原中也、小熊秀雄、永瀬清子、串田孫一、吉野弘、河井酔茗、高階杞一、西尾勝彦、山崎るり子、杉山平一、村山槐多、菊田守、羽生槙子、立原道造、黒田三郎、山村暮鳥、草野心平、高田敏子、佐藤惣之助、高見順、吉原幸子、山之口貘、原民喜、高橋元吉、吉井勇、木下杢太郎、北原白秋、山村暮鳥、与謝野晶子、金子光晴、林芙美子、種田山頭火、宮澤賢治、尾形亀之助、大手拓次、八木重吉、千家元麿、金子てい、丸山薫、北村初雄、平木二六、吉塚勤治、森谷安子、竹中郁、宮澤賢治、石川啄木、中原中也、S・ティーズディール/西條八十〔訳〕、森三千代、石川善助、蔵原伸二郎、千種創一

●12月、しんぶん「赤旗」「心に太陽をくちびるに詩を」2013年4月〜 2年半にわたる連載、最終回(終了)
(*単行本が先に刊行されたため、連載三回分〈2015年10月・茨木のり子、11月・リルケ、12月・萩原朔太郎 〉は未収録となった)

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【2016年】
●[寄稿]誌誌「季刊びーぐる(第30号)特集:心に残る言葉」へ、コーカサス地方の小国チェチェンの詩人、ヴィーカ・ジューラを紹介。

[出張]1月、千葉県八千代中央図書館にて、ポエトリーカフェ〈薔薇 篇〉開催。

[出張]4月、新潟「小さな美術館 季(とき)」にて小林春規版画展、『心に太陽を くちびるに詩を』記念講演(&ポエトリーカフェ)

[出張]4月、静岡県・御殿場ロバギターさんにて、ポエトリーカフェ〈パンと本〉開催。

●[寄稿]「BOOK5」(トマソン社)「詩はSFに乗って」連載・第17回にて、最終回。
 (⇒ web「シミルボン」にて地味に継続中

[出張]10月、京都・croixilleさんにて、ポエトリーカフェ〈少年・少女篇〉開催
[出張]11月、千葉県・我孫子NorthlakeCafe &booksにて、ポエトリーカフェ「鳥」篇開催。
     (海津研さんの個展と併催)

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【2017年】
◆1月〜《新潮講座》詩の学び場「ポエトリーカフェ」を、神楽坂の〈新潮講座〉にて月一回、開始(2018年12月まで、2年受け持つ)

●3月、《西荻ラバーズフェス》において「詩人と歌人の出会う場所」》 穂村弘氏とブックトークを行う。⇒(トークの模様

●[対談]雑誌「CREA」(2017年4月号)へ、古谷田奈月さんとの対談が掲載。
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●6月、「週刊新潮」(6月1日発売/6月8日号)「結婚欄」に宮内と掲載される。

[出張]7月、山梨県・都留市バンカム・ツルにて、ポエトリーカフェ山崎方代篇 開催。
(★グレアムペンギンさんの参加の記「嘘の中に? ポエトリーカフェ(山崎方代)〜」 
 ★青柳しのさんの参加の記「ポエトリーカフェin 都留 山崎方代篇〜」)

◎[対談]10月、単行本「小説BOC」7号(中央公論新社)へ、宮内との夫婦対談が収録。
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[出張]10月、ブックマーク名古屋の企画にて、名古屋・シマウマ書房(with星屑珈琲)で、ポエトリーカフェ〈本と本屋篇〉開催。

●[寄稿]12月「本の雑誌 」2017-12〈特集=人生は「詩」である!〉へ、「たくましき近代詩人たちに学ぶ、今を生きるための処世術」(与謝野晶子、金子光晴、草野心平、山崎方代紹介)掲載。
本の雑誌 人生は詩

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【2018年】
◎[寄稿]3月、西尾勝彦詩集『歩きながらはじまること』(七月堂)へ、解説寄稿。
OIP

●[寄稿]文芸誌「新潮」2018年11月号へ、古谷田奈月『無限の玄/風下の朱』書評寄稿。
新潮 2018年11月号

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【2019年】
[出張]3月、小金井市公民館・緑分館にて、ポエトリーカフェ「春と桜 篇」開催。

●[鼎談]5月、中本速『弁明』をめぐる座談会に参加(フリー冊子「弁明」に収録)。

●[寄稿]12月「女性のひろば」2019年12月号へ、「詩の気さくな学び場・ポエトリーカフェ」掲載。

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【2020年】
しんぶん「赤旗」の「読者の文芸〈詩〉」欄の選者を担当(2年間の予定だったが任期延長となり、2022年〜も担当)

●[寄稿]1月、詩誌「季刊 びーぐる」46号〈特集 淵上毛銭〉へ、淵上毛銭詩論「生を奏でつづけた詩人」掲載。

◆2月、コロナにより「詩の学び場・ポエトリーカフェ」を一時休止

◎[寄稿]3月 電子書籍・西崎憲 編『コドモクロニクル』(惑星と口笛ブックス 0035)に、子ども時代の思い出をつづったエッセイ「わたしのヒーロー」寄稿。
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★7月、Pippo編『好きな詩 in 古書ますく堂』(私家版)発行。
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●[寄稿]7月、詩誌「ガーネット」91号へ「今、わたしの関心事」寄稿。

◆8月、詩の学び場「ポエトリーカフェ」再開!(ZOOM・リモート開催)(〜現在まで)。

◎[対談収録]9月、瀧井朝世編『ほんのよもやま話 作家対談集』(文藝春秋)へ、古谷田奈月さんとの対談(「CREA」)が収録
download

◎10月 インタビュー集『一篇の詩に出会った話』刊行(かもがわ出版)
一篇の詩に
◆聴き手 Pippo【インタビュイー】西加奈子/穂村弘/後藤聖子/加賀谷敦/前野久美子/出光良/能町みね子/辻村深月/右手新土/青柳しの/宮内悠介


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【2021年】
●[寄稿]1月、文芸誌「群像」2021年1月号 へ、随筆「〈弱さの音〉を聴く詩歌」を寄稿。
(金子光晴と山崎るり子の詩、藪内亮輔・虫武一俊 の短歌を紹介)
202101

●[詩歌 紹介]2月「anan」2236号 "官能の記憶”特集「古今東西の詩で味わう、官能」というコーナーにて、官能性をおびた詩歌、10作品を紹介。
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(バイロン「いまは、さまようのをやめよう」 /新潮文庫『バイロン詩集』、村山槐多「死の遊び」/『槐多の歌へる』、大手拓次「香料の顔寄せ」『大手拓次詩集』、タケイ・リエ「甘いゼリー」/『ルーネベリと雪』、中江俊夫「(失夢)」)/『伝言』、茨木のり子「恋唄」/『歳月』、北原白秋「邪宗門秘曲」/『邪宗門』、ウイリアム・ブレイク「虎」/『対訳ブレイク詩集』、戸田響子『煮汁』より一首、岡崎裕美子『わたくしが樹木であれば』より一首)(*バイロン、村山槐多パートだけ :webに掲載 

●[寄稿]7月、詩誌「詩と思想」(土曜日術社出版販売)2021年7月号〈小熊秀雄 特集〉へ、小熊秀雄についての小文掲載(ポエトリーカフェ・小熊秀雄に参加のかたがたのお声も紹介)。
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●[寄稿]7月、詩誌「季刊 びーぐる(特集 北村太郎)」52号へ、高階杞一詩集『星夜 扉をあけて』の書評掲載。
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●〔寄稿〕8月、シミルボン書評サイトへ「詩はSFに乗って」〜《ヴァージニア・ウルフ/森山恵訳『波』によせて》

〔出張〕10月〈ポエトリーカフェ〉第135回 10/30(土)砂町図書館 〈くらしと詩 篇〜高田敏子・石垣りん・茨木のり子〉16名のかたがご参加(⇒砂町図書館HP 開催報告記事)(⇒江東区立図書館情報誌「ことらいぶ」に会の様子が掲載

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書評コラム「シミルボン」サイト

Pippo プロフィール&連絡先


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September 15, 2021

《Pippo(ぴっぽ) プロフィール:ご連絡先など》

《Pippo 紹介》
1974年、東京生まれ。近代詩伝道師、朗読家、著述家。
詩と詩人の入門書『心に太陽を くちびるに詩を』2015年11月刊行。
インタビュー集『一篇の詩に出会った話』2020年10月刊行。



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幼少期より、本好きで、一貫の中学、高校をへて、文学や美術に興味を抱き、青山学院女子短期大学の芸術学科へ進む。
そこで詩の洗礼をうけ、短大の専攻科卒業後、詩書出版社・思潮社へ入社。自らも詩作をしつつ、多くの詩書編纂に携わる(アーサー・ビナード『釣り上げては』、山崎るり子『だいどころ』、田口犬男『モー将軍』、荒川洋治『空中の茱萸』、『田村隆一全詩集』『尾形亀之助全集』、「詩手帖 尾形亀之助特集」他)。 のち、美術出版社や古書店勤めの傍ら、シナリオ修行や映画・音楽活動などに携わる。
2008年より歌・詩の朗読、古本市出店や「古本ざしきわらし」(2010年-2013年)はじめ、多様な《近代詩伝導活動》を展開。2009年10月より詩の読書会「ポエトリーカフェ」を月例にて開催。 2021年には12年めを迎え、老若男女で賑わう、詩の入口となっている。

[お仕事などのご依頼、おたより]
書き物、朗読、詩にまつわるイベント・講演、ファンタジックゲーム、気さくな詩の学び場「ポエトリーカフェ」の出張開催など、ご依頼、幅広くおまちしております。どうぞ、お気軽にお問合せを。

連絡先: tintiro.ivent (あっとまーく) gmail.com



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June 21, 2021

[西條八十の人と詩 枠十を知る三冊の本たち(西條嫩子・八束による「父・西條八十」)

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西條八十(1892‐1970)
詩人/翻訳家・評論家

このところ、西條八十を知る手がかりとして、国書刊行会の『西條八十全集』(全18冊)を繙くかたわら、家族などの近親者・研究者の書いた評伝(筒井清忠『西條八十』)、八十自身による自伝などを読みふけっていたのだが。良い面もよくない面も含め、八十がじつに人間として面白く。また詩人らしい魅力にあふれていて、その生のエピソードの数々にとても心をひきつけられた。八十は24歳で晴子と結婚し、嫩子(ふたばこ)、八束(やつか)(次女・慧子さんも出生したが三歳にて逝去)を授かり、深い愛情を注いだ。
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〈晩年の八十と晴子〉       〈八十と嫩子と八束〉

嫩子さん、八束さんは八十の亡きあと、「父親・西條八十」について書いたものを二人とも出版している。そのいずれもが父親への尊敬と愛情(と同時にきびしいまなざしも)に満ちていて、温かな心持になった。せっかくなので、それらの本を紹介したい。

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●西條嫩子(1918‐1990)『父 西條八十』(1975年刊)
「図書新聞」に長期連載→八十の没後にまとめた娘による「父・西條八十」の面影をたどる評伝風エッセイ集。詩人・作家である嫩子さんのあざやかな筆致で、在りし日の八十が生き生きとよみがえってくる。八十と恩師・吉江喬松との出会い、八十が文学の道へすすむまで、兄との禍根やのちの苦しい生活、「赤い鳥」で活躍していた頃、フランス語教師となった頃、北原白秋・北村初雄・生田春月との思い出や、傾倒したイエーツ、コクトー、ランボオのこと、パリ滞在時代、歌謡曲作詞家としての多忙な生活、著作権者の権利のために奔走した頃、etc… 単に「父の思い出を語る」というのを超えて、詩・童謡・翻訳・作詞等、多面的に才能を発揮した八十の「人間」としての喜びや苦悩がさまざまな場面で浮かび上がってきて、じつに味わい深い。

八十は詩人としては一流でも現実生活者としての才能はまるでなかったらしい(また恋多き男でもあった)。そんなかれを心より敬愛していた、妻の晴子さんが面倒な雑事の一切をひきうけて、かれが仕事に専念できるような環境を作りつづけていたようだ。いや、晴子さん、ほんとにすごい…。もっと怒ってもいい局面でもまったく怒らない。マジで苦労がしのばれる。

嫩子は本書のなかで、こんなふうに述べている。
「西條八十を語るのは、私にはふさわしくない。父についてどのように語ろうとも、けっきょくは、血のつながりを通じてしか、父を見ることができないからである。こういう私自身も例外ではないが、この人生の長い歳月、私はどんなに多くの偽善的な生き方を見てきたことであろう。
 父は、偽善者ではまったくなかった。世間の誤解などつゆ心にかけず、むしろ誤解のなかに身をさらされるのを本懐としてきた感がある。いわば、人生にこわいものなしといったほうがよいのかもしれない。
 最後の冬、父と私は伊豆のあるホテルで昼食をとったことがあった。その時、たまたま、私どものとなりの席に、政界の著名人であり、また、文学にも造詣の深い某氏がいたが、父はまるで気が狂ったかのようにその人のことを批評しはじめた。(略)まったく辛辣な批評をした。父の声は、かん高く、遠くまで鳴りひびくのである。私ははらはらした。そして父が奔放直情のフランスの詩人、アルチュール・ランボオの奇異な生活を愛しぬくのが、なんとなく解ってくるような気がした。また、純粋詩と大衆詩の区別をしない理由も、ふと、感じられてきた。私は、なぜか知らず、父のそういう悠々たる人生の偽悪者の性格に惹かれているのである。」


わがまま気まま、天真爛漫で大きな子どものような八十は、きっと敵も多かっただろうが、かれの信念にもとづいたその率直な言動に惹かれ、かれを愛した人間もまた多かったのだろうなと思った。そして、岡本太郎の言葉「誤解される人の姿は美しい」という言も想起した。「誤解」って何なんだろう? おそらく、それは人に対して良く見せようと体面をとりつくろったり、そういうことが出来ない人間が往々にしてうけるものだ。理解を求めない、おのれの信じた道をゆく。八十はそうすることによって、かれの「芸術」を守りぬいたのかもしれない。そして、そんな八十を嫩子さんは理解し、愛していた。それを知れただけでも本書を読んだ意味はとても大きい。


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西條嫩子『父 西條八十は私の白鳥だった』(1978年刊)

こちらも嫩子さんの著書。先の本の3年後に刊行されたもの。父親との思い出とともに、夫・三井氏を不可解な失踪事件で亡くした、嫩子さん自身のくるしい生(この事件は衝撃だった。いったい何が起こったのか、その真相は未だ不明)もえがかれる。そして、西條八十について。詩人・人気作詞家として活躍、音楽著作権確立へも情熱的な献身をした華やかな日々ののち、1960年に愛する妻・晴子を亡くした八十の孤独な晩年に焦点があたっている。

思ったのだけど… 晴子さんは八十をのこしてこの世から自分が去ってしまうこと、「あの人、ちゃんとやっていけるのかしら」ときっと心配だったに違いない。
妻亡きあと一人でくらす八十の姿について、嫩子さんによる印象的なエピソードを引こう。
「母亡きあと、父を訪れると、あれほど昔はのんびり外出ばかりしていた人が、ほとんど部屋にばかりひきこもっている。現在は、母の仏間になってお線香の匂いのただよっている居間の隣の書斎で原稿を書かない時は、テレビの画面ばかりみつめている。きびしい寂しさに耐えている目つきである。最近はなにかの用事で出かけることはあっても、ニ、三時間もすればすぐにもどってくる。みんなが会いたがっていてもなるべく避けて、一人っきり家にこもっているのが唯一の憩いらしい。
「はるが生きていた頃は、俺はあれに甘えて外を楽しんでいた。はるに耐えさせた寂しさだけを耐えなければ…」
 という父の顔は、ここニ、三カ月の孤独の影でめっきりふけた。
 (略)
 居間のテレビをいつもわびしげに見つめていた母と、今は隣の書斎にうつされたかつての母愛用のテレビにいつも向かいあっている父。おそらく四、五カ月の時差で、これほど愛しあい苦しむ人々が永遠にとりもどせない寂寞の姿をさらしあっているのだ。この二人をいま一室に集め得たらまたとない幸福の図を描くことができるのだが、母はすでに仏壇に白布に包まれた小さい箱に入っておさめられているのだ。」


 生前の晴子さんが外出好きの八十の留守に日がな、見つめていたテレビ。その孤独を思い、一人きり、日がなテレビを見つめる八十。なんと切ない光景だろう。八十がのびのびと好きな仕事や生活をしていたのは、八十が雑事にわずらわされぬように細やかな配慮をつづけた晴子の精一杯の支えがあったからだ。「大切なものは、失ってからようやく分かる」とはいうものの、生きているあいだに、もう少し気づいてほしかったな、と思ってしまった。時は戻らない。かたわらに居る人は、永遠にいてくれるわけではないのだ。


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西條八束(1924‐2007) 著/西條八峯 編『父・西條八十の横顔』(2011年刊)

 こちらは長男の八束さん(大学教授)が長きにわたって八十について書きのこしていたおびただしい量の原稿を、2007年の八束さんの没後、八束さんの子・八峯(やお)さんが編纂し、刊行したもの。八十の息子さんが思いを込めて書き継いだ未完の原稿を、お孫さんが編纂したのか…と、まず深い感慨に包まれた。そして、見事な編集にうなった。西條八十の来歴・出生から、結婚、子どもたちとの生活や、詩・歌謡曲作詞などの仕事。パリ時代のこと。八十にとって大切な思い出のひとびと(中山晋平・金子みすゞ・大島博光 ほか)について…などが、分かりやすく順をおってまとめられている。「西條八十」の輪郭を知るのに最適な入門書だと感じた。また、この本でうれしいのは、たくさんの貴重な資料写真が掲載されていること。これだけの写真・図版を集めるのにどれだけの根気と労力を必要としたことだろう。

 八束さんによる文章「パパとお母さん」の始まりを引く。
 「父のことをすべて引き受けていた姉が、五年近く前(1990年)突然他界した。父の子といえば、私しか残っていない。詩のわからない不肖の息子も、父の世界と無縁でいるわけにはいかなくなった。進行中の父の全集のことを藤田圭雄先生にお願いしたのをはじめ、何人かの方々のご厚意に甘えて、何とかやっているのが実情である。
 私の家では父のことは「パパ」、母は「お母さん」と、生涯、いや二人とも亡き後も呼んでいる。これはわが家の雰囲気をよく示している。父は毎朝パンとコーヒーですまし、母や子どもはみそ汁とご飯に漬け物を食べていた。父のそのような生活は二年間のパリ留学で身についたものである。」


 八束さんの語る「父・西條八十」の面影。すこし変わった家族の風景もほのぼのとうかんでくる。そして、母親・晴子さんについても書いている。
「母は、愚痴を言わない人だった。困ったこと、不愉快なこと、すべて心の奥深くしまって、表に出さなかった。父の女性関係も大きな心労であったろうが、弟子たちの世話、親戚のこと、さらに父の原稿料から印税、年度末の税金の申告まで、すべて母が引き受け、父はそのようなことで心を煩わすことがほとんどなかった。(略)母の死後、父も含め私たちが最も悔やんだことは、あまりに母の健康への配慮が足りなかったことである。子どもの頃から病身だった私は、それまでにどのくらい入院したか数え切れないほどだし、姉も結核での入院生活は長かった。それにくらべて、母はお産以外に入院したことはなかった」。
 晴子さんの影の助力と家族への深い愛情がここでもまた明かされていた。

 また八十が当時、フランス語の講義を受け持っていた、早稲田大学仏文科の生徒であった大島博光さん(詩人・翻訳家)について。八十と大島さんの文学をつうじての熱気のこもった交流や、八束さんご自身の大島さんとの交流も記されていて。とても素敵だったので、こちらも少し。
「大島さんは、父の思い出を西條八十全集の『アルチュール・ランボオ研究』の巻の月報に書いてくださっている。大島さんは、1931年に早稲田大学仏文科に進学され、1934年3月にアルチュール・ランボオ論を書いて卒業された。審査の際、吉江喬松先生は気難しい顔をしておられたが、父は微笑みながら講評していたという。父は大島さんのフランス語力を高く評価しており、翌年3月から父が主宰していた詩誌「蝋人形」の編集をお願いし、1942年の廃刊まで続いた。(略)「蝋人形」の編集は、大久保駅に近い、私の家の茶の間で行われていた。大島さんは、父が出かける前のひととき、書斎でランボオ談義をして、「ランボオはさぞつきあいにくい男だったろうね」と言った言葉が耳に残っていると書かれている」。

 心酔するランボオを語り合う師と生徒のほほえましい光景が浮かびあがってくる。そして、主宰する詩誌「蝋人形」の編集を任せるとは、八十が大島さんに対して、どれだけの信頼と期待を寄せていたのかもうかがえる。この自宅で行われていたという「蝋人形」編集作業。大島さんは、1935年から1943年まで、毎日のように八十宅に出勤(?)していたそう。おそらく戦争によって、その幸福な時間は中断を余儀なくされたのであろう。
 八十はアルチュール・ランボオについて「僕の詩とは正反対だが、なにより自分はかれの人生・人間像に惹きつけられた」と言っている。ランボオといえば直情径行、素行不良で出禁になった酒場も多数あるという一説もあるが、かれもまた自分を曲げず、誤解をうけつづけ、その詩を永遠のものとした、類まれなる詩人だったと思う。八十が強く憧憬をおぼえた点もきっとそこにあったのだろう。

 かんたんに紹介するつもりがずいぶん長くなってしまった。さいごに、西條八十のお孫さんである、八峯さんの本書あとがき(2011年に記された)から一節をお伝えする。

「2007年寒露の朝、香りはじめた金木犀の枝を父・八束の枕元に運びました。茜色の夕空に旅立つ父を見送る日となりました。その頃、完成を心で約束した本です。
 以来3年半、私たちは千年に一度と言われる災禍の中に身を置くことになりました。大震災と津波、原子力発電所のいつまでも終わらない事態。このような今こそ、大正昭和の乱世を生き抜いたひとびとの記憶は、悲しみに足元をすくわれぬ力を私たちに与えてくれるものと信じます。
 
 祖父・八十は口癖のように言いました。「芸術は泥沼に咲く蓮の花なんだよ」」



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June 16, 2021

[新美南吉 文学さんぽ その] 安城高等女学校時代と南吉の最期

[新美南吉 文学さんぽ その] 杉治商会時代 のつづき

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【安城高等女学校(現 安城市立・桜町小学校)】

1938年4月、24歳の南吉は、恩師・遠藤慎一と佐治克己のはからいで、佐治の校長をつとめる安城高等女学校の正教員となる。月給は70円。家族も大喜びで、かねてより憧れの女学校勤務となった、南吉の喜びはいかばかりだったことだろう。一年生(56人)の担任と全学年の英語を担当。どの先生よりも学校に早くゆくことが新美先生の日課だったという。女生徒たちの作文も熱心に指導した。
〈4年間担任をしてもらった19回生の生徒たちの声〉

入学したての頃、先生は、外に出て運動場の周りを歩きながら、「空はsky、色はblue」、木にふれては「tree」、お花の好きな先生は、小さな花を摘んでは「flower」と、こんなふうに教えてくださいました。体や皮膚で感じる、とても楽しく覚えやすい授業で、私はそれからずっと英語が好きになりました(加藤千津子)。

安城高等女学校に転校して間もなくの頃、新美先生に「君の作文は、どこを読んでも『少女倶楽部』の写しだ」と言われました。「書物臭が漂っていて、ちっとも面白くない。これじゃだめだ」と。じゃあどうしたらいいのかと、子どもながらに迷いましたけれど、先生のお言葉を聞いていますと少しずつわかって来ました。まずよく見て、自分の言葉で表現しなさいと、借り物の言葉ではだめだということだったんです(大村博子)。

私にとって作文を書くのは、決して楽しいことではありませんでしたが、批評の時間は大変待ち遠しいものでした。先生は、書けない生徒の作文も丹念に読んでくださり、一か所でも良いところがあれば見落とさず、「書き出しが上手い」とか「表現が上手い」とか言ってくださったからです。(略)先生がたった一行でも褒めてくださると、何故かなと考えてみます。そして、ああ、ここは私がありのままを自然な思いで表現して書いたところだ、ということに気付き(それは先生の作文指導の理念でありましたから)、一層嬉しくなったものです(本城良子)。

(新美南吉記念館発行『「生誕百年 新美南吉」』より引用)


「まずよく見て、自分の言葉で表現しなさい、借り物の言葉ではだめ」。
「ああ、ここは私がありのままを自然な思いで表現して書いたところだ、ということに気付き」。

これらの生徒のかたがたの声をみて、ふっと思い出されることがあった。
それは、十代の新美南吉が憧れてやまず、投稿を繰り返した児童雑誌「赤い鳥」主宰の鈴木三重吉の言葉である(ちなみに当時、南吉の「窓」「ひかる」はじめ詩・童謡が二十三篇、童話「ごんぎつね」「正坊とクロ」「のら犬」などが「赤い鳥」に掲載された)。

「赤い鳥」(1918年7月)創刊に際して、三重吉の記した文章はこんなふうだ。
「巻末の募集作文は、これも私の雑誌に著しい特徴の一つにしたいと思います。世間の少年少女雑誌の投稿欄の多くは厭にこましゃくれた、虫ずの走るような人工的な文章ばかりで埋っています。私たちは、こんな文章をみるぐらい厭なことはありません。私は少しも虚飾のない、真の意味で無邪気な純朴な文章ばかりを載せたいと思います。(略)どうか文章の長短にかかわらず、空想で作ったものでなく、ただ見たまま、聞いたまま、考えたままを、素直に書いた文章を、続々お寄せ下さいますようお願い致します」。

《ただ見たまま、聞いたまま、考えたままを、素直に書いた文章を》。
三重吉のこの言葉は、新美南吉の「文学観」としてそのまま育まれ、生徒たちに伝えんとしたこと、そのものであったように思う。誰かの心からの願いが、ほかの誰かの胸に響いて、それを心の芯に据えた人間が、それをまた他の誰かに呼びかける。このすこやかな循環のうつくしさ。

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晩年の1938年から1943年(24〜29歳)、南吉は作品を書く傍ら、安城高等女学校で真摯に教鞭をとっていた。しかし、病気の進行は止まらず、1943年の2月に長期欠勤の為、学校を退職。喉頭結核にて、3月に永眠した。

さいごに、1943年2月9日に教え子の佐薙好子宛の書簡の一節を引こう。
「たとひ僕の肉体はほろびても君達少数の人が(いくら少数にしろ)僕のことを長く憶えてゐて、美しいものを愛する心を育てて行つてくれるなら、僕は君達のその心にいつまでも生きてゐるのです」(新美南吉)。

2021年。南吉さん。あなたの亡くなって78年めの春、あなたがのこした詩や童話を多くのかたとともに読み、その心にある風景を思いながら、楽しく語らう会(4月5月)をもちました。あなたが居なければ、生まれなかった豊かなひとときでした。ありがとう。 (終)


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記:2021年の2月と4月に行った、愛知県知多半島(南吉のふるさと半田市)を中心とする新美南吉文学さんぽ(及び、釣り)。現地に不慣れな自分に、名古屋在住の友人、綱島さんとゆかちゃん&タムさんファミリーがたびたび同行してくれました。これが、どんなに楽しく心強かったか。パンデミック下の忘られぬ思い出となりました。感謝。










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May 06, 2021

5/2(日)Zoom開催「第130回 ポエトリーカフェ〈リターンズ! 新美南吉 篇〉」より

前回【4/25(日)開催「第129回 ポエトリーカフェ〈新美南吉 篇〉」より】のつづき

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[新美南吉記念館(愛知県半田市岩滑)]     [zoom開催のようす]

4/25(日)にZoom開催した〈ポエトリーカフェ・新美南吉 篇〉がご参加募集から1日で定員に達してしまったため(数人のかたより「要綱を見にいったら、もう埋まってた」と)…
5/2(日)に〈リターンズ!新美南吉 篇〉として二回目を開催いたしました。こちらの会も初参加の6名さまをまじえ15名の皆さんと、新美南吉の短い生をたどりながら、詩・短い童話₍物語詩₎を朗読、感想・意見などかわしあい。ときに現地写真などはさみつつ、楽しく終了しました。

そしてこの回には、4月の半田市再訪時にお目もじが叶って、ご挨拶した、新美南吉記念館の館長・遠山光嗣さんもご参加くださいました。なんということでしょう…
じつは南吉記念館でお話をした際に、南吉にまつわる事柄について、遠山さんに幾つか質問をさせていただいたのですが。広大な知識とまた南吉に対する深い愛情と理解にもとづいた、そのおこたえに心からの感銘をうけたのでした。

〈ポエカフェ・リターンズ! 新美南吉篇〉の始まりの遠山さんのご挨拶
「南吉記念館でも〈童話の読書会〉はやっていますが(現在はコロナ下にて休止中)、それを詩でやると、どんな感じになるのかな、それは面白いだろうな、いちど覗かせていただこうと。皆さんのお話を今日はきかせていただきたいと思います。もし、わたしで分かることであれば、何か、おこたえ出来ることもあると思いますのでご質問いただけたらと思います」。

会は前回と同様、作成した年譜・テキスト(詩・童話37作品)をもとに。
Pippoが南吉の生涯を紹介してゆきながら、その生のときどきに書かれた作品を皆さんに一作品ずつ朗読いただき、感想など自由に語らうというふうに進行してゆきました。人生パートは省略しますが、以下に会のようすを、皆さんの南吉作品へのお言葉を軸に、そして、せっかくですので遠山館長さんのお言葉と、わたし(Pippo)の発言も少し付記します。
*作品にはリンクをはっていますので、気になるかたは読んでみてください

南吉の生涯について(新美南吉記念館HPより)】*ご参考に

●詩「詩人
(朗読:フリーライター。俳句・詩・小説の創作もなさっている Iさん)
Iさん「わたし俳句をやってるので、これをPippoさんにピックアップしてもらったときに、ああ、芭蕉とかあげちゃうんだ、と思って(笑)。これって要は、芭蕉、良寛、西行とかと自分は同じ分類だよ、自分もそういう人間だよってことですよね。そういうふうになりたいというか、強い願望をいだいているのかな、と。自分も作品を書いているから分かるんですけど、素直にそういう思いを、こんなふうに言葉にできるって、出来そうでできないことなので、気持ちよく読めますよね。みんな格好つけて書く人が多い中で、ちゃんと自分の気持ちを素直に、読みやすい形で書いている。その南吉の素直さ、まっすぐさが魅力だなと思いました。ほかの詩とはちょっと違うと思うんですけど、彼の心をみるようなかんじで、すごく楽しいですよね」。

Pippo「強い意志の発露が言葉にあらわれていて。こういう心情をどこか客観的に述べているっていうのも面白いなと。これ、じつは中学三年、15歳のとき書いてるんですよね」。

Iさん「そう! さっき小学校卒業時の送辞ですごい一句(たんぽぽのいく日ふまれて今日の花)を詠んでて。小学校でこんな句を詠めるなんて、天才だなと思ったんですけど。まあ中学生とかで〈詩〉にめざめる人って、少し大人びてますよね。そういう一面もここにはあらわれてて、背伸びしてる部分もあるというか。はじめの「暗黒の中に一点の光を見つける」とかも、中二病? っていうか(笑)。〈詩〉とか暗いところに格好良さを見出すみたいな。「詩趣を見出さなければおかない俺だ」とかも、格好いいな、かわいいなって思いました」。

遠山館長さん「15歳の作品とご紹介くださったとおり、これ南吉は中学生のとき書いてるんですよね。「柊陵」っていう半田中学の校友会誌に載ったものなんですけど、同級生たちみんなが読む雑誌です。中二病っていうのに笑ってしまったんですが、確かにそうかもしれなくて。すごく、こう自己顕示の要素も強いですよね。おれは、こんなこと考えてるんだぞって、少しひけらかしてるところもあるような」。

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●詩「ひかる
(朗読:版元の会社員。実家に復刻版「赤い鳥」が第二期もふくめ全巻あって、いつのまにか親しんでいたというMさん)
Mさん「やあ… 中二病からは一歩抜け出たというか(笑)。わたし、これは「赤い鳥」誌上で読んでいたんですけども。向日的な、お日さまに向かう伸びやかさを子どもに求める気持ちもこめられているのかなと。子どもたちに接する仕事をするようになって、子どもたちにどういうものを自分は共有できるだろう、与えられるだろう、というのを考えたときにすごくいい、先生らしい、あたたかい詩だなと思うんですよね。そして、どことなく、北原白秋のもつリズム感なんかも少しうかがえたりして、すごく好きな詩ですね」。

Pippo「脱皮しましたよね(笑)。こんな表現力を18歳で身に着けていることに驚異をかんじるんですが… この詩は岩滑小学校の代用教員を四カ月くらいつとめた年に書かれています。見ている景色や、南吉の心情がふうっとやさしく浮かんでくるようですね」。

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●童謡「
(朗読:アルバイト・家事手伝いなどなさっていて、新美南吉に関心があって、今回ご参加されたというSさん)
Sさん「複雑な生い立ちであったり、29歳で亡くなってしまったっていうこととか、そういう悲劇的なことを考えずに楽しめる、というとあれなんですけれど。すごくこう、ストレートに心に響いてきました。まだ、死のかげとかそういうのもなくて。いいなと思いました」。

Pippo「そぼくで明るいイメージがありますよね。鈴木三重吉主宰「赤い鳥」に作品を発表するのが夢で創作をつづけていた南吉の、初入選・掲載作がこの「窓」です。当時の「赤い鳥」童謡欄の選者は、南吉の敬愛する北原白秋でした。この入選がどれだけ南吉の自信になり、喜びになったのだろうと想像しちゃいますね」。

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●詩「
(朗読:短歌の創作をされていて、「ごんぎつね」の強い印象が忘れられず、詩も気になって、というEさん)
Eさん「これを読みたいな、と思ったのは。わたし〈神〉というモチーフがけっこう好きで。自分の短歌にもつい、神、神って登場させちゃうんですね。無宗教でキリスト教も仏教も全然くわしくないし、信心深くもないんですけど。でも〈神〉って、そのへんにいるように感じてて、周りから見つけるものなのかな、と思ってるんです。それを、すごくうまく言いあらわしているような気がして。「神」って見えないけど、すぐ近くにいる。この詩は、ノートとかに書いておいて、見返したいような詩だな、って思いました」。

Pippo「〈神〉があらゆるところに遍在しているようなイメージですよね。それを純粋に見つけだしているような。遠山さん、南吉にとっての〈神〉というのはいかなる存在だったのでしょう?」。

遠山館長さん「南吉は、いろんな本を通して古今東西の宗教に関心をもってるんですよ。信心というよりも人間がいろんなことを考えるうえで宗教というのはいい入口になる。そういう意味で、哲学的に宗教のことを考えることがよくあって。また、キリスト教的な神をイメージした作品も書いてはいるんですが、この詩は、もっと〈自然のなかに神はいる〉という日本古来の日本人的な神なのかなと思います。そういう〈神〉がそばにいるのが、やっぱり子どもなのかなと。大人では、こういう〈神〉はなかなか感じられない、大人になってしまった自分が、子どもにかえることで、神を感じられるようになる、そういうことで「私は探そう、その神を、」と言っているのかな、というふうに思います」。

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●詩「月は
(朗読:版元勤務の編集者。童話作家としての南吉しか知らず、生涯や詩を知りたくて、という Aさん)
Aさん「この詩は、情景が目に浮かびます。一篇の童話みたいなあ、と思いながら、いいなあ、と思って選んだんですけど。かいでもかいでもにおうという、というので、月の圧倒的な大きさ、大らかさが感じとれる。誰にでもふりそそぐ月の光を〈におい〉になぞらえていて、すごくあったかいなあ、と思って気に入りました。挿絵とかの絵まで浮かんでくるかんじです」。

Pippo「誰にでも平等にふりそそぐ〈月の光〉が、誰にでもいいにおいだなあ、って感じとれる〈金木犀のかおり〉になぞらえられているの、いいですよね…。南吉は、1940年の日記に「僕の文学は田舎の道を分野とする」と記していて。故郷や田舎の風景だとか、自分の目で見たもの、感じたものを作品のなかにしっかりと反映させているんですよね。それを感じさせるような詩だなあ、と」。

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●詩「
(朗読:名古屋在住の会社員。2018年に南吉記念館を訪ね、以来、南吉の魅力にめざめたという Tさん)
Tさん「面白い詩だなあ、とこれを選びました。それを思って書いていたかは分からないのですが、岩滑の周辺の畑とか田んぼとかに沿う道だったり、お堀だと半田の運河で、丘ならあのへんの山かなとか。南吉記念館の周辺の風景とか思い起こしつつ、風景を頭のなかに思い描きながら読んでました。あと〈道〉が途中でどこかへ行っちゃう… 擬人化されている〈道〉みたいなところもいいなと。止まらないとか、迷わないとか〈道〉が主体性をもっていて、自分ではコントロールできずに、どこかへ行ってしまう、というのが(笑)。〈道〉をなんにたとえたらいいのかなと思ったんですけど、人生とかかな。ただ〈道〉ってかならずしも個人の足跡みたいなものとは違って、いろんな人が歩いたことによって、出来るのが〈道〉だったりもしますよね。そう考えると、もうちょっと集団的な、総意の集まり、というか。こう、世の中全体がどこかに行ってしまう、将来の見通しが立たない、みたいな… そういうところもさいごのほう二行に感じたりしました。あと〈道〉って物語とかにもたとえられますね。南吉って、物語も書いていた人だし、この物語の行方が分からないかんじとか、いろんなふうに読めるのがじつに豊かな詩だなあ、と思いました」。

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●詩「貝殻
(朗読:専門図書館の司書。童話にはいろいろと親しんでいたが、詩も読んでみたくてという Aさん)
Aさん「この貝殻を読んでいて、どうやったら鳴るのかが分からないんですけど(笑)。わたしのイメージでは手のなかに…」

遠山館長さん「(大きめの貝を二つ手にもちながら)お話していいですか? 南吉の鳴らしていたの、この貝、ハマグリなんですよ。知多半島って、海に囲まれていますよね。アサリのようにはザクザクとれませんけども、まあまあハマグリもとれる。貝をふたつ合わせて、この蝶番になっているおしりのところをガリガリ、コンクリとか硬い場所でしばらくこすっていると、削れてきて、穴が開くんですよ。二つ穴があいたとこで、貝殻をかさねて、息吹きをこめて…鳴るかな? (実演)♪ブー ブー(軽快な楽曲)♪ これが南吉が子どもの頃、さびしいときに自分の気をまぎらわせるように吹いて遊んでいたものです」。

(ZOOM画面上の皆さんより、歓声があがる。拍手。)

Aさん「(ニコニコ)。なんというか… そういう貝がらを二つ合わせてしずかに鳴らす、っていうのが、自分だけのための行為というか、個人的な感じがしていいなあと思いました。そのささやかなことを、誰も聞いてなくても、自分のためにやる、というのが。ささやかな、でもだいじなことを、やさしく見守ってくれるような、いい詩だなあ、と」。

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●童話「がちょうのたんじょうび
(朗読:京都で私立の図書館、小学校の図書室にお勤めのTさん。読み聞かせなどで南吉の作品には親しんでいてとのこと)
Tさん「南吉さんの童話には、小さな動物たちが出てくるものがたくさんあって。とてもかわいらしいお話なんですが、さいごに〈仲間はずれはいけないよ〉って話になってないところが、道徳的にはちょっとどうなんだろう、というところもあったりするんですが。そういうところが面白いな、と思いました。あと、がちょうのたんじょうび、とあるのに、がちょうが出て来ないところとかも面白くて」。

Pippo「わたしも同様なこと、はじめは思いました。呼ぶんじゃなかった、って少し冷たい感じがするというか。でも、いたちさんの身体を心配する観点からいうと、持って生まれた〈おならをたくさんする体質〉を限界まで我慢するいたちさん、可哀そうだし、ほんとに残念ではあるけれど、むしろ呼んであげないほうが親切なのかもと(笑)。きっと他にも色んなとらえかたがあると思うんですけれど、全体的にユーモラスですよね」。

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●詩「(無題)大人が
(朗読:中国のご出身で精神科医のIさん。新美南吉は未知の作家だが、詩を少し読み、童話も読みたくなったとのこと)
Iさん「大人が安易に子どもに約束をする。でも、それを破っちゃダメです。これを書いた作者は、とても繊細なかたですね。この詩の背景には、南吉さんの幼少期のこととかもあるのかなと。養子にゆかされたこととか、傷つきやすかったり、大人を信用しきれないようなところがあったのでは、と思います。それと〈遠くの雲をみる〉このさびしい気持ち、残念な気持ちというのには、大人は配慮しなければならないですよね。約束を守れなかったり、子どもをかなしませたときには、やっぱり考え直さなければならない、と思います」。

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●詩「雨蛙に寄せる
(朗読:コロナ下にて、長らくリモートワークをされているという会社員のKさん。童話に親しみ、娘にも絵本を買ったことがあるとのこと)
Kさん「童話を書いている、南吉らしい詩ですよね。石のうえに雨蛙がいる、っていうだけで、すごくやさしい感じがします。それで、前半はとても柔らかく、やさしい感じで書かれていて、途中から「ひとり念(おも)ひて倦みたらバ/いっすんその居をうつすべし」ってあるのは、雨蛙に思いを寄せているし、自分自身のことも重ねているのかな、というふうにも読めました。年譜をみると、1930年代中頃から後半に住まいを移したりしていますし、そういうことも含めて」。

Pippo「描かれているのは、のんびりと春陽にてらされる雨蛙ののどかな風景なんですが。南吉は身体の弱かったこと、病気のこととかもあって、ひとつところに長く勤められないかなしみ、やるせない気持ちって、ずっと抱えていたように思うんですよね。その思いを、石の上の蛙に投影させている面もあるのかなと」。

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●詩「春の電車
(朗読:横浜市「本屋 生活綴方」のお店番などされながら、不登校の親の気持ちを綴ったZINEなども制作。南吉の詩「雲」がお好きという Uさん)
Uさん「この詩、選んでいただいたんですけれど、この詩にしてもらえて、すごく嬉しかったです。とても視覚的に、自分が電車に乗っているときに、窓の外を見ているようなかんじで、いいなあ、と思いました。あと、この電車のガタンゴトンという感じや、子どもが輪がねをまわしてたり、お祭りの笛が流れてくる、音が聞こえてくるような感じとか。これは、南吉が乗っている情景を思いえがいているのかな、と思いきや、じつは乗っていなくて、いとしい人に会いにゆく、心を飛ばして会いにゆく、というような情景なのかな、と思いました。「半島の先なる終点」というのも、ほんとうにそこに終点があるのか。病弱だったこともあるし、とても美しい光景でもあるので、終点が、天国みたいな、もしかしたら架空の場所なのかな、と思ったりもしました」。

Pippo「ああ… いいですね。ただ、架空ではないんですよ。年譜だと 1937年、河和尋常高等小学校の臨時教員をつとめていたときですね。地元の岩滑から河和線に乗って、小学校のある、終点の河和駅までの風景をうたったものです。先日、南吉散歩をした際に、T夫妻と三人で知多半島を南下する河和線に乗って、河和駅まで行きました。(菜の花畑、今も見えるのかな?)ってずっと窓にはりついて動画を撮って。でも今はぜんぜんなくて、一瞬だけ見られました(笑)。遠山さん、当時のこの周辺の風景は、どんなだったのでしょう?」

河和線河和線からみえた菜の花
₍河和線・菜の花畑 /2021年4月₎

遠山館長さん「南吉は菜種畑の出てくるお話を他にも幾つか書いているんですけれど。田舎に日常的な風景としてある、いちめん黄色に染まったその景色を、やっぱり南吉はすごく、うつくしいなあ、と思っていたと思うんです。菜種油をとってた頃っていうのは、田んぼの裏作として菜種を栽培していたところが多かったので。たとえば、岩滑の町から、南吉が通っていた半田中学校とかも 1kmくらいなんですが、そこもいっぱい田んぼが広がっていたんです。そこがほとんど菜種畑で真っ黄色になっていて。岩滑の集落から、半田中学校のほうを見ると、ほんとにいちめん黄色い海の向こうに、中学校がポツンと浮いているみたいな、そんな景色だったそうです。昔の日本って、本当にきれいだったんだよな、いいなあ、と思いますね」。

Pippo「ああ、当時の光景、ほんとに夢みたいな景色だったのでしょうね。河和駅で降りて、三河湾の海沿いを歩くと、水がきれいに透き通ってて。右へゆき、坂道をテクテクのぼっていったら、その河和小学校が今でもありました。上からみおろすと、きれいな海も見える。この1937年て、南吉の人生のなかでは少し、きびしかったころだと思うんですけど。でも、この小学校の臨時教員時代は、うれしく心休まる時間だったんだろうな、と。遠山さん、この詩にある「をみな(女)」って、河和小で出会った、山田梅子さんのことでしょうか」。

遠山館長さん「そうです。梅子さんのことですね」。

Uさん「梅子さんに出会ったのは 1937年で、それを思い出して、1939年にこの詩を書いたということですか?」

遠山館長さん「そうです。最初から、この河和小は一学期だけの約束で勤めて、そのあと杉治商会に勤め、きびしい環境でボロボロになって、そのあと、安城の高等女学校の正教員として採用されて。ようやく自分の生活にゆとりができて、過去を振りかえる余裕が出てきたんでしょうね。杉治商会の前のほんの束の間の幸せな時間だった日々、それをなつかしく振り返っているのかなと思います。でも、ただ詩がぜんぶ、南吉の人生をそのままよんでいるのかというと、そうではなくて。こんなふうにかつての恋人のことをうつくしく書いているんですけど、この人のことも、南吉からフッているんですよね。また次に、別のかたとつきあってます」。

U「恋多き人だったんですね(笑)」。

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●詩「
(朗読:詩作をつづけながら、小学校で子どもたちへの読み聞かせを16年間なさっていた Uさん。南吉の童話はよくテキストで読んでおられるとのこと)
Uさん「さいしょに読んだとき、南吉の父親への手紙のようだなあ、というふうに思いました。父親にたいする敬いの念と相反する、学がない職人である父への軽いさげすみの思いだとか、かなしみの感情というのが見てとれて。東京の大学に行った南吉ですから、生活に窮することはなく、おだやかに暮らしてるんだろう、ということを単純に喜んでいる父親の姿がこの詩から見えてきて。現実のつらさとの乖離にくるしみながら、どうせ、お父さんには話しても分かってもらえないだろう、という思いは、現代の父親と息子にもあてはまるものがあるのかなと、永遠のテーマのようにも感じました。そして、労働者として、父親と同じ手を持つことになる、つらい予兆というか、予感みたいなものを吐露する、終連の言葉がすごく胸に迫ってくる。詩の形態をとってはいますが、逆に父親にいちばん言いたかったことを、ここに集約させて書いているんだろうなと。また、私事なんですけれど、わたしの父も金属加工とかを営んでいる工場の社長だったんですが。こう大きくて黒い、労働者の手をしていて、父の手を見たり、手をつないだりしたときに、とても切ない思いになったことがあって。南吉がお父さんの手をうたったこの詩は、強く印象にのこりました。手っていうのは、人の人生というものを、もっとも表している体の部位なのかな、とそんなことも思いました」。

Pippo「手紙、というのはほんとうにそうですね。南吉は、すごく父親を尊敬しているし、愛してもいる。ですけれど、自分も文学者として身を立てたい、と強く思いながらもお金は稼がなければいけないというなかで、教師としてがんばって勤めていたり。そういう葛藤のなかで、自分の気持ちも分かってほしい、という思いを感じさせますよね」。

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●詩「
(朗読:大学事務の職員。大学時に児童文学のゼミがあり、南吉には親しみのあったという Kさん)
Kさん「この詩をなぜ選んだかというと。読んだときに、すごく静かな情景が浮かんできて。その静かななかで、そっと木にふれる、という情景がいいなって思いました。この詩はすごく、さびしさ、というものが強調して表現されている、と思うんですが、「木のさびしさはあったかかった」というので、木にふれているときは、そのさびしさがあたたかさに感じられる。そういう視点が面白くていいなと。またさいごに「向うに白い雲も見えて」とあって、何気ない一行のようにも見えるんですが、それが入っていることによって空間が広がっている感じがして、そこもいいな、好きだなと思いました」。

Pippo「さびしさ、って、南吉の生にずっと寄り添う〈友達〉というか〈道づれ〉のような身近な存在だと思うんですよね。木もひとりで立っていて、さびしい、っていう思いを持っている。そこで木のさびしさに、ふれて、あたたかくなる。これは南吉の魂と木が魂を交感しあっているからなのかなと。自然に心を慰められつづけてきた、南吉らしい詩だなと思います」。

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●童話「去年の木
(朗読:名古屋の書店「ON READING」のKさん。愛知県の作家ということもあり、色々と縁を感じ、もっと新美南吉を深く知りたいなと思って、とのこと)
Kさん「まず、小鳥と〈木〉のやさしい交流をえがいているように感じたんですけれど。火の中にその〈木〉がいたと思ったのか、それとも、いないと思ったのか、どっちなんだろうというのが最初に思ったことでした。火の中に〈木〉を感じて、こう自分の歌いたかった歌とかを充分に気持ちをこめて伝えられたから満足して飛んで行ったのか、もしくは歌っていて、じっと火を見つめていたものの、やっぱりそこにはいない、と思ったのか、小鳥の気持ちはどうだったんだろうと。あと、魂はどこまで宿っているんだろう、というのも思いました。また、南吉は喀血もしていて、自分の死というのが、そんなに遠くない未来にきてしまうんだろうな、というのもあったでしょうし。この時期って戦争中だと思うので、自分の書いたものがどこまでのこっていくんだろうとか、どういう形でのこしていこう、とか、そんな思いもあったのかなと、そういうことも考えました」。

Pippo「そうですね。南吉は 病気の悪化もあり、1941年には、自分の死を覚悟して弟にあてて遺書を書いたりもしていますし、この頃は自分に死期が近づいていることを感じていたでしょうね。自分の創作の火が消えてしまうんだろうか、消したくない、とかそういう思いもかさねあわせていたと思います。その歌がその〈木〉に届いているか、は分からないですが.. 大切な存在に、自分の作った歌をきかせたい、届けたい、という強い気持ちがここにあらわれているように自分は思いました。遠山さん、ここに込められた南吉の思いというのは、どういったものなのでしょうか?」

遠山館長さん「南吉は自分の肉体が長くつづく、っていうのを諦めているところがあるんですよね。短い人生のなかで、たとえば、中学時代の卒業の間際には、「我が母も我が叔父もみな夭死せし我また三十(みそじ)をこえじと思うよ」と、自分は母親も叔父さんも早くに死んでしまって、自分も三十までは生きられないんじゃないだろうか、とそんな歌も書いているんですよね。でも、その短い生涯のなかで、永遠にのこるものを自分は果たしてのこしているんだろうか、ってことをずっと考えつづけていた人なんです。この話だと、やっぱり〈木〉は〈木〉のままでなくたって、火になったとしても、それが続いていって、こう形が変わってしまっても、誰か何かを感じてくれる相手がいれば、自分は嬉しいと、そんな思いがこめられているように感じます。〈木〉の場合は、小鳥のわけですけれど、南吉の場合は、作品を読んで、何かを感じてくれる読者がいれば嬉しい、という気持ちなのかなと」。



長くなりましたが… 二回にわたり、南吉作品について、およそ30人のかたがたのお言葉にふれて、あらためて感じたこと、思いを巡らせて、考えたことがあまりにも多くて。わたしの生にとっても真に大きな糧となりました。ご参加くださった皆さんに感謝の念でいっぱいです。
会のようすなのですが、上記のほかにも年譜、新美南吉の人生についてのくだりで、遠山館長さんには折々に貴重なお話をうかがいました(完全版をいつか作りたいくらいです…)。

南吉記念館の館長・遠山光嗣さん。南吉について、作品について、さまざまな質問に気さくにお話をきかせていただいたこと、心より、ありがとうございました。

さいごに、南吉が教え子にあてた言葉を記します。

《たとい僕の肉体がほろびても君達少数の人が(いくら少数にしろ)僕のことをながく憶えていて、美しいものを愛する心を育てて行ってくれるなら、僕は君達のその心にいつまでも生きているのです。》
(昭18・2・9 教え子の佐薙好子に宛てた葉書)

新美南吉記念館HP 「南吉のことば」より



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◆南吉文学さんぽをご一緒した、ゆかさんの作ってくれた動画〈南吉さんぽ 2021〉◆


pipponpippon at 16:46|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック ◆Pippoのポエトリーカフェ◆ 

April 27, 2021

4/25(日)ZOOM開催「第129回 ポエトリーカフェ〈新美南吉 篇〉」より

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4/25(日)にZOOMにて開催した、新美南吉 篇。
新美南吉は、ポエトリーカフェでは 2013年にとりあげて以来なので、じつに8年ぶりの登場(ポエカフェ新潮講座では2017年にとりあげてたので、それからだと4年ぶり)。
15人の皆さん(初ご参加のかた4名さま)とともに、南吉の29年の生をたどりつつ、ひとつつ詩や短い童話を朗読していただきながら、南吉の胸中を想ったり、自由に語らってゆく時間は、ほんとうに楽しかったです。

 ***

久しぶりに南吉をとりあげたいと思ったのは、ことしの2月に、愛知県半田市(知多半島)にて、南吉の生家・養家、南吉記念館、また「ごんぎつね」の舞台である 矢勝川・権現山周辺などを巡る旅をしたからでした。名古屋在住の友人夫妻とともに、南吉さんぽと釣りで構成されたこの旅がどれだけ心おどったか。
もともと新美南吉は、童話も詩も好きで親しんでいた作家なのですが。実際に南吉ゆかりの地を巡り歩いてみて… かれの作品と作家としての魂が、故郷・半田市の風景や風土と分かちがたく結びついていることを心底、実感して 50倍くらい好きになっちゃいました(のち、これまでは図書館で都度借りていた『校訂 新美南吉全集(12巻)』をエイヤっと購入)。

 ***

ポエトリーカフェは基本、当方の作成・配布した年譜とテキスト(南吉の詩・童話/物語詩など37作品を掲載)をもとに私が南吉の生涯をエピソードを交え紹介してゆきながら。ご参加の皆さんに、事前にご希望されたor 私リクエストの作品を、一作品ずつ朗読いただき、感想/鑑賞・疑問など自由にコメントしてもらうという流れです。同じ作品でも読む人によってさまざまな感受があり… 私自身の感受や見かたを軽々と超えてゆくコメントが目白押しで。正直それがいちばんの楽しみで、この会を継続しています。

そんなことで。詩人の人生パートは省略しますが、作品にまつわる皆さんのご感想を軸に会のようすを記します。そして、活発に感想や読解がゆきかった作品もあるのですが、長くなりすぎるので… 朗読ご担当のかたの感想のみとします。
*南吉の各詩にリンクをはっていますので、作品の気になるかたはぜひ読んでみてください

●詩「喧嘩に負けて
(朗読:三重県津市「居場所/珈琲店/図書館/本屋 - ひびうた」におつとめで詩のワークショップも主宰されている Jさん)
「自分自身もこんなふうに感じたことはあるけれど、怒ったあとにさみしい、って表現って、大人になったら言語化できるけど、こんなに若い(南吉15歳の作)ころにこんなふうに感じられて、しかも書ける、ってなかなか出来ないことなんじゃないかなと。「帰る悲しい砂の丘」という表現にも、かなしさが象徴されていて、いいな、さみしさがより伝わってくるなと思いました」。

●詩「詩人
(朗読:福島県在住、詩の世界そのものにひたっているのがお好きという、Sさん):詩集に『日陰に咲く花』他
「第一印象として、わたしはすごく安心したんですよね、励まされた感じがして。わたしは自分の感情というか感覚をうまく言語化するのが苦手なんですね。詩を書いていても、詩のようなものを書いているが、詩なのか? これは、みたいになってしまうし。こう書いたり踏み込んでゆくことにどこか不安や後ろめたさを感じてる。でも、これを読むと〈世界から詩趣を感じ取ること〉、きれいなものにいいなあ、きれいだなあと感じることとか、そういうことこそが大切なんだよ、と言ってもらった気がして。言語化することや社会に認められたりする、だとかそういうことは二の次、出来たらいいなぐらいの気持ちというか。詩趣を見いだせればいい、というところに安心しました」。

●詩「
(朗読:詩が好きな分野で、学生時代に英詩を授業でとっておられたという Oさん)
「朗読の機会をいただくのが初めての経験で、ちょっと正直な話、短いものを選んだというのはあるのですが、この詩に関してはすごく情景が浮かぶなあ、というところに惹かれました。わたし個人としては哲学的なものも好きなのですが、情景を想像させてくれるようなのがけっこう好きで。読んでいうちに、これ、まる一日を表現しているのかな? 「こはくのような空」って、夕焼け空の色かなあ、とか。「遠い子ども」とありますけど、先ほど南吉さんの生い立ちとか幼少期を知って、自分の子どものころのいろんな出来事を、この「子ども」って言葉に重ねてみたりもしました」。

●詩「
(朗読:詩を書いているが、さいきんは短歌に傾倒しておられるというNさん):詩集に『照らす
「道、っていう言葉から想像される〈茶道〉とか〈剣道〉とかいう言葉だと、物理的な道というよりも、あるべき姿とか、そういうことを連想しますが、そことはちょっと違う発想がある。道をふんでいって、行く先を決めていく、動いていくような表現が面白いなと思いました。「道はけっして迷わない」とあるけど。ふつう人が道に迷うのであって、道が迷ったりはしないのを、道は迷わない、という言い方でとらえて、「どこかへいっちまう」というので自分の視界から道がすーっと消えていくような感じもあって。あと、道はとまらない、迷わない、でこの詩がもし止まっていたら、なんというか〈生きる道〉みたいな感じで肯定的に終わっていたと思うんですけど、「いっちまう」で終わっている。そこに新美南吉のもっていたニヒリスティックなところ、無常観、消えてしまうような感じがあらわれているようにも思いました」。

●詩「貝殻
(朗読:さいきん第三詩集を上梓、日々の中で詩の創作をつづけておられる Yさん):詩集に『爽やかに孤独』他
「最初に印象的だったのは、「かなしきときは貝殻鳴らそ」っていうアイデアですね。「二つ合わせて息吹きをこめて。静かに鳴らそ、貝がらを」っていうジェスチャーが、なんというか童心をもっている、失っていない感じがして。貝がらを鳴らして、自分をあたためる、誰もきいていなくとも、自分自身をいやす。ぼく自身にもそういうことがあったりするので、いいなと思いました。」

●詩「(無題)大人が
(朗読:長く保育園におつとめされていて、職業柄、絵本の読み聞かせもされていた Aさん)
「まず、大人って誰? と考えました。詩として全体的には、南吉さんが長く求めていたものを得られない葛藤なのかな、という感想を持ちました。自分の中で自分の思いをキャッチボールしているのかなあ、と。また、感じたのは、子どもがそれを得られなかったとき、「とおくの雲を見ていた」とありますが、それって子どもはどういう気持ちなんだろう? とっても残念っていう気持ちだったんじゃないかな、って。「大人はちょっとすまなく思った」とあるけど、そのあと約束を守れなかった言い訳をしている、大人なら言い訳するんじゃないよ!と思ったんですね。本をあげよう、と約束をしたのなら、子どもは子どもであってもやっぱり一個の人格を持っているのだし、やっぱり約束は果たすべきです。わたし自身、子どもにずっと関わる仕事をしてきたのですが、子どもだからとか、子どものクセにっていうのはナシだとずっと思っているので。子どもであっても一個の人格なのだから、約束を果たしてよね、っていうところと、南吉さん自身の得られないものへの思い、っていうのもあって、どうなんだろう? というところを行ったり来たりしています」。

●詩「去りゆく人に
(朗読:ポエトリーリーディングを長年やってきて、ポエトリースラムジャパンを2019年まで開催、最近は子どものための詩作ワークショップも主宰する Mさん):CD『詩人の誕生』ほか
「この詩はぴっぽさんにリクエストいただいたんですが、ああ、いい詩と出会えてよかったなあ…と思っています。どういう相手とどういう別れをしたのか、とても決定的な、二度と会えないようなたぐいの別れをしたのかなとは思うんですけども。ただ、どういう相手なのか、どういう状況であったのか、ということまでは書かれていなくて。読者にゆだねられている。だから、そこをどういうふうに朗読しようかというのは考えて、すごく悩みました。詩を読んで、自分の受け止め方でいうと、どうしようもない、もう後戻りできない、のだけれども。この詩を語っている人は、言葉にすることで、自分に言い聞かせている、のかなと。あえてこう「寝室を海に流す」とか「二人の子供を森や街へ出してさらに名前も忘れてしまおう」とか、口調はおだやかなんだけれど激しいことを言っている。けれど、それを言葉にすることで、なにか自分を生かそうとしている、ように感じました。さいご「灯をそっと吹きけそう、吹きけしてしまおう」とあるんですけど、じゃあ、この人は自分の命の灯まで消してしまうのかというと、そうじゃない。どんなになっても、たぶん明日、この人は生きている。自分を生かすためにぎりぎりのところで、お前との思い出のすべてを消し去ってしまおう、と言葉にしている。相手に言う、というよりも自分に言い聞かせてるんじゃないかなって」。

●詩「デージイ」(朗読:ぎゅっと凝縮された詩の言葉が好きで、小説を書いておられる Uさん):参加誌に『爆弾低気圧』など
「小さいものへのやさしさ、繊細であたたかな南吉のまなざしや感覚。みているだけでやさしい人なのに、このさいごの、わたしはそこを通るとき小さい彼らの小さい幸せを「邪ましないやうにそつと見て通る」ってあって… このさらなるやさしさにグッときました」。

●詩「春の電車」(朗読:詩と詩人に深くふれるのが好き、小説を書いておられる Hさん):参加誌に「書く人読む人そして聴く人」他
「いま東京から 〇〇県(遠方)に毎日一時間以上かけて、電車でかよって仕事をしてるんですけれど。電車に乗りながらこの詩を読むと、見ている景色のなかに「わがおもひのせてやりつれど」とか、「そのおもひ/葉書のごとくとどきたりや」とか感情が差し込まれてくるんですよね。情景と感情がうまくかさなりあって、すごく風景が浮かぶし、作者自身の心のなかも浮かぶような詩だなって。個人的には、東京から電車に乗って離れていくと職場に向かうので、この詩と真逆で、気分がどんどん落ちてくる。その点では重ねあわせることは出来なかったんですが(笑)。この時期(河和小学校・臨時教員時)の南吉は、ひじょうに実のある時間だったんだろうなあ、と」。

●詩「」(朗読:小説を書いていて、ブンゲイファイトクラブには1、2回ともに本選出場。広島市のYさん):作品に「天狗の質的研究」ほか)
「この詩は、否定の言葉がたくさん入ってきますし、はじめ、すごい断絶の詩だと思ったんですけど、さいごのさいごに自分の手もお父さん、あなたと同じようにこちこちになる、みたいなことが書かれていて。自分もお父さんと一緒なんだ、それを分かってほしい、みたいなことを訴えている詩なのかな、って。お父さんが自分(南吉)を自慢すればするほど、父が自分を卑下しているような感じもして、父を尊敬して好きな南吉にはそれがつらかったのかな、とも思いました」。

●詩「裏庭」(朗読:絵を描いていて、以前、新美南吉記念館の展示にも作品を出品されているKさん)
「一読して、戦意高揚の詩なのかな、ってのは分かったんですけど。ただ、その裏庭の平和な光景と、勇ましい戦争の現実や理想が並べられていて、兄さんは戦争に行ったけど、平和な生活や状況を守るためには敵と戦わなければいけない、っていうときに、自分はどうするべきなのかを考えているような感じを受けました。詩人として、いま書かなきゃいけないものと、南吉自身が書きたいものとを考えながら、書いたんだろうなと察せられて、くるしかっただろうな、と」。

●童話「でんでんむしのかなしみ」(朗読:デザイナーをされている、Mさん)
「でんでんむしの殻のなかに、何かがつまっている、というのが面白いなと思ったんですけど、「かなしみ」っていうのが(笑)。それでこれ、読んでいるとこのでんでんむし、友だち多いんですよ。とっても、かなしいかもしれないけど、羨ましいなあ、っていうのがありました。たとえば、友だちにさいきん調子悪くて気持ちが落ち込んでるんだ、って言われても、たぶんものの何秒かでべつの話にもってかれてしまうのに、この友だちのでんでんむしたちは、結構みんなちゃんと答えてくれるんですよね、いい友だちだな、って」。

●童話「二ひきの蛙」(朗読:名古屋に住むようになり、南吉記念館などたずね、その魅力に大人になってからすっかり夢中になっているというYさん)
「どれにしょうかなあ、とさいしょからテキストを読んでいって。南吉の詩も童話もなんてやさしい世界なんだろう、ってどんどん引き込まれて。さいごにこれを読んで、ちょっと笑っちゃうのに、ちょっと泣きそうになって、なんなん…これ、やさしい……みたいな感じでオチてしまって。すごいこの作品が大好きになっちゃいました。「人間も、まあ一回、寝よう?」みたいな感じで。冬の前のきびしさがあるだけに、たっぷり眠って、春になって開放的なあたたかさの前で、皆の違いを受け入れられる。短いのになんて素敵な話なんだろう、ってメロメロになりました(笑)」。

●童話「蟹のしようばい」(朗読:詩全般とポエカフェに長く親しみ、南吉についてはずっと心のそばにいるような感じだというPさん):近代詩復興委員・八木重吉支部長
「テキストのなかに童話系のものが色々あったんですけど、これを選んだのは、この作品がいちばん非論理的なんですよね(笑)。いろいろと突っ込みどころが満載で。でも、そのなかに南吉の思いが何層にも込められているような気がして。ほかの童話だと南吉自身のコメント(思い)がつけられてるのもあるのですが、これには、ないんですよね。そこが非常に魅力的に感じて。ポーンと読者に投げかけているのがいいなあ、と思いました。ほかの南吉の短い詩と同様に、何層にも受け止め方があるような、そんな共通性も感じていました」
(のちにTさんより「これも(「二ひきの蛙」も)反戦の詩に自分は読めました。子どもたちも(皆ハサミをもつ=)みな出征させられて、みたいな」という意見が出て)
「反戦的なことと個人的なこと、幾層にも重ねられているのかな、というふうに自分も感じました」というやりとりも。

▼グレアムペンギンの読書メモ(さっそくblogに会のようすを書いてくださってます)
「まだまだ気になります」ポエトリーカフェ参加の記 2021年4月(新美南吉篇)


5/2(日)第130回「ポエトリーカフェ・リターンズ!新美南吉 篇」へつづく。

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