2011年11月

マンダラと万華鏡

女神の絵日記 : pitibo2000のブログ
                      女神マンダラ(S80号)
曼荼羅

 画友のYさんが、市内の画廊喫茶でグループ展を開催していたので、見に
行った。彼女がふとつぶやいた。「先生、マンダラの絵はもう描かないのです
か? 以前見た絵が忘れられません」。

 その一言でひらめいたのが、愛媛県立博物館にある「鏡の花」。三角形に
組み立てた鏡の中央に立つと、人の顔が周りの鏡に幾重にも写り、花が咲
いたように見える。あたかも、万華鏡を覗き込んだような感じに・・・。

 「そうだ、この映像を使ってインドの女神を描いてみよう」。
 構想はまとまったものの、実際に表現するには難渋を極めた。何度も博物
館に通い、鏡の構造、どのように写るのか、光の反射は?等々考えながらデ
ッサンをしたが、終いにはわけがわからなくなった。

 アトリエに帰ってからが、またひと苦労。秘蔵の女神像を取り出し、正面・両
側面、上部から、下部から、何枚もデッサンをして、キャンバスに移した。
 ところが、どこかおかしい! そうだ鏡には左右反対に写るのだ。やり直し。
デッサンを裏側からトレスして、キャンバスの形を描き変える。
 
 着色の段階になると、さらに難しくなった。中央の実像と、周りの鏡に写った
虚像の色の変化、光のうつろい。何度もなんども描き直し、やっと仕上がった
のが、下の作品「女神万華鏡」(M80号)。

 自分では新境地を開いたと満足し、最も厳しい批評家と自他ともに認める
Mさんに見せると、「面白い絵になったわね。でも、こんなに沢山ヌードを見せ
つけられると・・・どうにかならないの?」と、厳しいクレーム。
 熟慮の末、不本意ながら胸飾りなどを描き加えて完成させた。

 春季県展に発表したところ、大いに話題を提供し、おおむね好評であった。
マンダラと万華鏡、似て非なるものだが、私の中では違和感なく同居している。
次はどう進化させようか? 夢は果てしなく続く。

mangekyou
                        「女神万華鏡」(S80号)

疲れを知らぬ男・紅葉編

女神の絵日記 : pitibo2000のブログ
                   京都・醍醐寺の五重塔             京都・西明寺の紅葉
醍醐寺西明寺2
         京都・神護寺の紅葉           岡山県・吉備津神社の回廊
神護寺吉備神社

 人間、生まれてから幼児期の間は、疲れの中枢が未発達なため、動き回って
も疲れたという知覚はないらしい。
 どうも私は、疲れの中枢が麻痺しているのではないか。普通、中高年ともなれ
ば、少し動くとああ疲れた、肩が凝った、目が痛いなどと訴える人が多いが、私
はほとんど感じない。一晩眠るとケロリとして、あくる日は朝から絶好調だ!
 紅葉の季節、何だか気持ちが高ぶって、動かずにはいられない。

 ◎11月15日(火) 岡山県備前市の旧閑谷学校へ
 3年前に初めて見て、あまりの美しさに感激した櫂の木、夢よもう一度と出かけたが、残念ながら、今年の紅葉は色が悪く、あの燃えるような赤色と鮮やかな黄色のハーモニーを目にすることができなかった。
 欲求不満を解消しようと、「一宮めぐり」に切り替え、吉備津神社と吉備津彦
神社に参拝した。両神社は、共に吉備の中山の山麓にあり、「わが方こそ一宮」と本家争いをしている。そのいきさつ・言い分はまことに面白いが、本題とは離れるので解説はまたの機会に譲りたい。
 
 11月21日(月)~22日(水) 京都市へ
 朝、テレビを見ていると、京都・西明寺の紅葉が見頃との報。パッとひらめき、
即座に出かけることにした。例によって、準備もそこそこにマイカーに飛び乗り、400kmを一気に駆け、午後1時過ぎには京都に着いていた。
 この日は、昨年見忘れ、心残りだった醍醐寺へ。秀吉の醍醐の花見で有名な
桜の名所だが、紅葉もなかなかのもの。広い境内をゆっくりと散策した。
 
 夜は三条界隈を探索。さすが京都、老舗の扇屋、小物店、和服店など洒落た
店が並び、見ていて飽きない。変わった造りのイタリア料理店を見つけディナー
と洒落込む。疲れた頭にボジョレヌーボーがしみわたった。
 評判の「IYEMON SALON」に入り、よせばいいのに、酔った勢いで専門家
を相手にお茶の講釈を垂れたが、これもご愛嬌か?!

 翌日、混雑を避けるため早朝にホテルを出立し、槇尾山・西明寺へ。古来から清滝川のせせらぎとともに、四季を通じて豊かな自然を満喫できる名刹として有名だ。期待した紅葉の美しさは想像以上であった。特に同寺のもみじは自然に生えたもので、人工が加わっていない分野趣あふれ、木漏れ日に輝く色彩の乱舞は、錦秋という名にふさわしいものであった。

 清滝川を300mほど下ると、高雄山・神護寺の登り口に至る。いつしか観光客が増え、混雑している。約350段の石段を踏みしめて楼門まで登るのだが、これがきつい。10年ほど前に来た時はさほど苦労しなかったが、今回は気息奄々、やっと辿り着いた。
 しかし、それだけの価値がある。参道の紅葉は変化に富み、眼下に見える清流と深山の緑によって一層引き立てられ、えも言われぬ美しさであった。

 ◎11月23日(水) 香川県善通寺市・金毘羅宮スケッチ
 私が主宰する「絵画グループどんぐり」恒例の日帰りスケッチ会。7人が参加し、金毘羅宮の紅葉を描きに出かけた。
 裏参道の紅葉は見事で、一度ゆっくりと写生したいと思っていた。が、あいにく天候が悪く、紅葉の盛りにはまだ早かったため、絵の出来は今一つ。
 完成したら公開します。
 この日、もう一つの目的は、レストラン「神椿」でランチを取ること。境内の一角にある神椿は、国際的美術家 田窪恭治氏が制作した有田焼の陶板画、椿の花が壁面を飾っているので有名。おしゃれな空間でおいしいランチをいただき、参加者一同、大満足であった。
神椿スケッチ
         日帰りスケッチに同行した会員たち。左から2人目が私
  

懐かしのボテロ!

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             フェルナンド・ボテロの彫刻作品「鏡を持つ女性」(高知県立美術館)
ボテロ女性像

 懐かしのボテロ!
 何やら歌謡曲の題名みたいだが、高知県立美術館、徳島県立美術館に行くと、
ボテロの彫刻作品に会えるのが楽しみである。
 
 冒頭の作品「鏡を持つ女」は、高知県立美術館の2階ロビーにある。
 「長々と横たわった色白の美女・・・」と形容したいところだが、どこかで見たこと
があるような女性が「黒々と、ふっくらと盛り上がっている」のがいかにも愛らしく、
気に入っている作品である。

 徳島県立美術館にあるのが「アダムとイブ」。宗教的厳粛な題材と作品のイメー
ジのギャップは、軽妙なユーモアを生み出し、見ていて飽きない。
IMG
              「アダムとイブ」 徳島県立美術館 
 
 「スマートな人は美しい」とする西欧的価値観に挑戦するかのように、コロンビア
生まれのフェルナンド・ボテロは、すべての作品を大きく膨らんだ姿で表現する。
 
 初めてボテロの作品に出会ったのは、約16年前に高松市美術館で開かれた
「ボテロ展」であった。
 膨らんだ人物や果物を描いた油絵を見たとき、思わず口元がゆるんでしまった。
別に滑稽な形をしているわけでもないのに、微笑ましく、心が和む心地がした。こ
の膨らみは、現代が失った心のゆとりと牧歌的な安らぎをもたらしてくれる。
 
 ボテロ(1932年生)は、20歳のとき、長年の夢であったヨーロッパに渡り、古典
美術の巨匠たちの作品を研究し、フレスコ画の技法を習得した。やがて、形態の
ボリュームを膨張させるという表現様式を確立させ、1959年、サンパウロ・ビエン
ナーレに出品した「モナ・リザ12歳」(写真参照)でセンセーションを巻き起こした。

 私もインドの女神をボリュームたっぷりに表現するのを得意としているが、ボテロ
には脱帽である。もっと膨らましてみようかな?!

ボテロ展
         「モナ・リザ12歳」(ボテロ展・高松市美術館パンフレット) 


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「写真で るるぶ」今、写真が面白い

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                          「女神うつろい」(20号)
女神3体2

 「写真でるるぶ」。ある旅行雑誌をもじってタイトルをつけてみた。
 
 今、写真が面白い。私も、ブログを書くようになって、写真を撮ることが多く
なった。また、最近興味深い写真展が各地の美術館で開かれ、写真を
機会が多くなった。その結果、写真から学ぶことも増え、本業の絵画制作に
生かすことも多い。つまり、写真で「るるぶ」である。

 上記作品は「女神うつろい」(20号)。この作品を描くヒントは、ある1枚の写
真から得た。
 昨年末、神戸ファッション美術館で開かれた「女神たちの肖像」展でアーウ
ィン・ブルーメンフェルドという写真家が、一人の女性を3重写しで撮影した作
品を出品していた。それが何ともファンタジックで、女性の動きとともに心のう
つろいまで表現されているように感じた。
 その写真を眺めながら構想を温め、作品にしてみたが、技量不足で満足で
きる仕上がりではない。しかし独創的な作品ではないかと自画自賛している。

 先日、高知県立美術館で、石元泰博の写真展を見た。
 同氏は高知県ゆかりの写真家で、1921年生まれ。現在90歳の高齢だが
元気で、トークショーにも出演していた。
 
 作品は、庭園との一体感が美しい我が国の代表建築「桂離宮」と、日本で
最も美しい建築として認められている「伊勢神宮」を撮影したもの。
 知的な鋭さとモダニズムの視点でとらえた写真は、両建築の魅力を余すと
ころなく写し出し、しかもインパクトが強い。建物の一部を撮って全体を想像さ
せる技は、まさに絵画に求められるものだ。
石元泰博

 そのほか、最近見た写真展では、下記の4展が記憶に新しい。
 
 ・蜷川実花展「地上の花、天上の色」  2010年 高知県立美術館
   かつて見たことのない巨大な花や動物、色彩の乱舞には衝撃を受けた。
 
 ・入江泰吉 「美と心―京の庭―」 2011年7月  奈良市写真美術館
   京都の庭に焦点を絞り、作者のするどい目で切り取った日本庭園の美を
   モノクロームで表現。格調高い写真は見事。併設の「大和の暮らし」は、
   奈良の原風景を今に伝えていた。

 ・「オン・ザ・ロード」森山大道写真展 2011年6月  大阪国立国際美術館
   現代日本を代表する写真家の軌跡を、約400点の作品を通じてたどるこ
   とができた。アメリカや日本の裏通りで生活する人々が生々しく活写され、
   意表をつくアングルが絵画制作の参考になった。
 
 ・杉本博司「アートの起源」展  2011年8月  丸亀市猪熊弦一郎美術館
   9月12日付 マイ・ブログ参照

 蜷川実花 
       蜷川実花展「地上の花、天上の色」(パンフレットより) 

自由を手に入れるということ

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                          高知県香美市土佐山田町のコスモス畑
コスモス畑
 
 人間、人生において、すべてのしがらみから解き放たれて「自由」になれる
時がある。
 私の場合、60歳になり還暦を迎えたその年、「インドの女神像」に遭遇し、
それまでのこだわり――絵とはこうあらねばならない、こう描かねばならない
という盲信に近い考えを捨て、奔放自在に制作できるようになった。

 彫刻家 舟越 桂先生が、先日NHKの「日曜美術館」に出演し、「還暦を迎
えて、自由な気持ちで制作できるようになった」と語っていたのには驚かされ
た。今春、紫綬褒章を受章した世界的彫刻家と同列に並べて喜ぶのは、あま
りにも恐れ多いが、偶然の一致とはいえ、内心嬉しさを隠すことができない。

 尊敬する舟越先生の展覧会があれば、かならず出かけているが、高知県香
美市土佐山田町の市立美術館で個展が開かれているのを知り、駆け付けた。
 同市は、南国高知の田園地帯。コスモス畑が遠くまで広がり、心身の疲れが
吹き飛ぶ。傍らでは、全国一の生産量を誇る生姜の収穫が行われていた。

舟越ポスター2
                    「舟越 桂展」 ポスター

 会場に入ると、12点の彫刻が迎えてくれる。楠を素材として繊細に、あるいは鑿(のみ)の跡もあざやかに生き生きと。目には大理石を埋め込み、澄んで遠くを見つめるような眼差しが印象的だ。
 先生の作品は、部分的に薄く色付けされているのが特徴。まるで血が通って
いるようで、静かだが今にも動き出しそうな迫力さえ感じる。

 今回は、ドローイング22点が展示されている。彫刻家特有の立体的な線、ア
クリルの鮮やかな色彩、それ自体、作品として魅力的だが、彫刻作品の習作と
して、作家の思考の跡をうかがい知ることができ、興味が尽きない。

 最近の作品は、まさに自由を得て、具象から想念の世界へと踏み出したよう
に見える。「水に映る月蝕」(写真参照)は、女性像の胴体が安定感よく丸みを
帯び、大きく膨らみ、両肩から天使の羽根のような手が生えている。人間の存在の不思議さや神秘を表現したかったのか? 先生の新たな転機となった作品である。
 
 また「スフィンクス」シリーズでは、男性と女性が一つの体で表現されている。
初めて目にした人は驚いたに違いないが、男女一体となって神通力を発揮す
るインドの神々の彫刻や絵画を見ている私には、違和感なく自然に見える。
 
 先生は、これからどのように進化していくのだろうか、今後とも目が離せない。

舟越作品
            「水に映る月蝕」 (画集より転載)
 
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