『沈黙』を久しぶりに読み返したことがきっかけで、
長崎の出島あたりの教会群が印象的な舞台となっていた
より多くの方に知っていただくために… 『瑠璃の海』も読み返してみた。
(こんな風にいきなりあのシーンを読み返してみたい‼️と思いついて何度も何度も同じ本を読むのが私の読書スタイルなのである)
直木賞作家の小池真理子の作品『瑠璃の海』
高速バスの事故で夫を亡くした女と
娘を亡くした男が出会う。
遺族の集まりで出会った二人だが、皆で闘いましょう!という遺族会の雰囲気に馴染めない。
バスの運転手は心臓麻痺という予想もつかなかった悲劇で命を落とした。
なので二人は責めるべき相手もいないように思う。
愛しいかけがえのない人を奪われた二人だが、誰をも責めることなく自らの孤独と向き合い、
二人はいつしか惹かれあう。
女は、夫が誰か他の女と関係を持っていたのでは、という妄想に苦しんでいたのだが、それもまた誤解だったとわかる。
障害は何もなくなり、単純に予想するならそのまま二人は結ばれ大団円、というところだが、
二人は誰もが思い描かないような悲劇的な結末に向けて走り出す。
ただし、二人にとってはそれが悲劇などではなく、選びとった幸せな道だったのだ。
愛しい人を失った人が、残りの人生を誰とも分かち合わず孤独に生きる。
あるいは別の誰かと惹かれあい、失った人を忘れ去って新たな人生を歩む。
人生はそんな単純な二択ではないのだ。
人の数だけ出会いの種類があり、進む道の選択があり
選ぼうと選ぶまいと逃れられない偶然がある。
どの道が幸せに繋がるのか、その前に何をもって幸せと言えるのか、他人と同調しなくてもいいのだ。
どの道を生きようが、他人を批判したり揶揄したり軽蔑したりしてはならないのだ。
その事が自分の選ぶ道が正しい道だと証明することにはならないからだ。
新たな出会いに賭ける人を蔑んだり
孤独を選ぶ人を年齢のせいで出会いがないだけだと頓珍漢で世間知らずな批判をしたり
それはどちらもバカバカしく愚かなことだ。
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