ジョーカーです。

今回紹介するのはアジアの壁と呼ばれ日本代表のDFラインを支えてきた井原正巳についてです。日本屈指のDFの経歴を見ていきたいと思います。

水口町立貴生川小学校(現:甲賀市立貴生川小学校)でサッカーを始め、滋賀県立守山高等学校時代はフォワードであった。高校卒業後は筑波大学へ進学して蹴球部に所属。大学1年時に当時のユース代表監督であった松本育夫の勧めでディフェンダーに転向した。高校時代の経験が、後の「日本のリベロ」の下地を作ったといわれる。大学2年時に初めて日本代表に選出された。

大学時代、当時ディフェンダーだった中山雅史とセンターバックでコンビを組んでいた。二人はユース代表でもセンターバックを務め、アルバイトも同じ所でするなど公私共に仲が良かった。 大学卒業後は日産自動車サッカー部(現:横浜F・マリノス)に入部、一時はボランチも経験したが、ディフェンダーとしてプレーし、1993年Jリーグ開幕節 (5月15日) のヴェルディ川崎戦にも出場した。

前身の日産時代から10シーズンをマリノスでプレーし「ミスターマリノス」とまで言われたが、現役選手としての活動にこだわり横浜FMの世代交代策によるコーチ就任要請を蹴って、2000年にジュビロ磐田へ移籍。更に2001年からは浦和レッドダイヤモンズにも在籍した。
2002年、チームメイトの福田正博と共に現役を引退した。Jリーグ通算297試合、5得点。

日本代表としては1990 FIFAワールドカップ・アジア予選に始まり、1994 FIFAワールドカップ・アジア予選ではあと一歩のところでW杯出場権を逃す「ドーハの悲劇」を経験。

1998 FIFAワールドカップ・アジア予選イラン代表との第3代表決定戦を制し、日本のW杯初出場へ導いた。

プレースタイルは常に冷静で状況判断に優れていて統率力も非常に優れていました。
足元の技術などはありませんが状況に応じたポジショ二ングとカバー技術はそれを充分に補う能力でした。

フィジカルも強く対人戦などでも身体負けしない強さを持っています。DFの統率力に関しては日本代表の歴代CBの中でも屈指の能力だと思います。

Jリーグオウンゴール第1号の選手で現役を通してオウンゴールが非常に多い選手でしたがそれは最も危険な位置を守っている証拠だと思います。元々FWの選手だっただけにその経験から付いた危機察知能力だと思います。

今の日本代表の選手は技術は間違いなく向上していると思いますが熱い闘志を持ったような選手は減ってきていると思います。
そういった意味でも井原のように熱い闘志を持った選手がもっとでてきてほしいなと思います。

以上ジョーカーでした

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