着物開眼の思い出を書いたら長くなってしまったので独立させた。
私は子供が4歳になったばかりの冬のある日、突然着物に目覚めた。
子供を育てている中で、文化の伝承の責任を感じ始めていて、
「おせち料理も作らず、クリスマスなんてやってる場合じゃない!」と突如思い立ったのもその頃。(ほんとはクリスマスもやってなかったけどね)
いいわけ:結婚当初綿密な計画を立てておせちを作っていた。本当なんです。
      でもこの頃は手を抜いてたかも



着物を自分で着ようと思い立ったのはその頃だけど、
それ以前にいくつか下地があった。

まず、結婚式の時からあの衣装が好きで好きでたまらなかった。
毎年着てもいいと思っていた。
事前に写真撮影したので2回着れちゃった!
(ウエディングドレスには作ってみたいという興味だけ)

あのゴージャスな錦に包まれるちょっと封建的な感じがいい。
コスプレ好きでお姫様にあこがれているわけではない。

まず、あの豪華な織りの打ち掛けがとにかく好き。
劇場の緞帳も好きだし、能衣装も好き、豪華なジャガード織りのカーテンも好きだからきっとそういうものが好きなのだと思う。作る洋服の生地にも好みが反映されていると思う。
「染め」ではない「織り」の重厚さにうっとりしてしまう。

そして、着物を重ねていくときの過程が好きなのだ。
 当時やせていた私は、大量の補正を施された。直径15cmくらいの薄いパッドを体にこれでもかこれでもかと貼り付けるのだ。
とても良くできた補正のやり方だったと思う。

神前の白無垢と披露宴の打ち掛けの時は帯や何かが違っていた気がしたり、記憶がごちゃごちゃになっている。
でも、ぺたぺたパッドをのせた体に「着物を重ねてはひもを締め」を繰り返し、生涯一度きりだろう丸帯を巻き付け、布団のような打ち掛けをまとい、最後に何の決意か知らないが懐剣を帯に挟むのだ。
 (もう一つ何か挟んだ記憶がある・・・)

「衣装を重ねて縛られていくうち覚悟が決まる」というほどの実感はこみ上げなかったけれど、そういうものがあるのではないかと観念として想像して感動しちゃうんだなあ。



次に着物に開眼したのは歌舞伎を見ているとき。
舞台で登場人物が着替えるとき、客席に背を向けて帯を解き始める。
背中に広げられた新しい着物の向こうでスルスルと脱いだ着物を落とし、新しい着物に袖を通す。
そして衿をあわせ腰を押さえながら、受け取った帯を手早く締める無駄な動きが一切ない鮮やかさ。その間数十秒(たぶん)。
それを見て、昔は着物しか着ていなかったんだからそんなに難しく着ているはずないんだよねーそんな風に着れば現代でも普段着れるんじゃないかな。と思い始めていた。

そして娘4歳の冬、新聞付録のパンフレットに載っていた八十助(当時)のインタビュー記事を読んで、「日本人なら着物だ!」になったのである。着物1枚しか持っていないのに。
折しもお隣に住んでいるのは呉服屋さん。
着付けまで教わった、ただで。
これがまた帯を結ばないタイプの着付けで仕上げがきれいで帯も傷みにくい。

あれから10年以上たっているけどほとんど着ていない。
なんか普段着るのはこっぱずかしい。
今着るなら、もうウエストにタオル巻かなくて大丈夫そう。



(錦ではなくふつうの)織りの着物より染めの着物の方がくったり柔らかく上品な感じがする。
織りでも染めでもそれぞれ文様に名前がありその名の響きを聞いているだけでうっとりする。
 谷崎著「細雪」にはそんな記述があちこちあり、くどくどした文章が大好きな上にそんな着物の下りがますます私のお気に入り度を上げている。
 そして落語でも着物姿の詳しい描写がありこれが楽しいところ。





着物だとか和風のしつらえだとかがどんどん衰退しているんじゃないかと心配だ。
以前すんでいたところで木工関係の産業が盛んだったところがある。
技術としては確かなものがあったとしても、とにかく需要がない。
「だって、今の人家建てても和室作らないもん」と言っていたのが印象的だった。
畳敷きの部屋という和室ではなく、
書院造り柱畳欄間床の間違い棚凝った細工の障子・・・(あと思いつかない)
「そういう手作業が施された和室を作ると文化庁から補助金が出る」くらいにしないと廃れてしまう。
もちろん「そんなの必要ないから廃れても良い」という考え方もある。そうやって廃れた文化は山ほどある。もう誰も縄文土器作っていないように。