2011年08月27日

近況報告

朝晩、めっきり涼しくなりました。いかがお過ごしでしょうか?
昼間の蝉の声が、夕べには秋の虫の声に移り変わっています。
あんなに長かった夏休みも残り数日ともなると、まるで一気呵成に残された宿題をやってしまう小学生のように、私もこのブログに、この夏を振り返りながら近況報告をします。

お盆前の一週間、体調をひどく損ないました。その日、職場で呑むお茶がいつもより濃い味がしました。そして昼休みに行きつけの喫茶店でピラフとコーヒーの昼食を済ませた頃には、胃が重く感じました。「腹部膨満感」というのでしょうか、私に再々現れる症状です。

午後、私の腹はますます膨らみ、終業時間まで我慢ができず早引きをしました。次の日、かかりつけの主治医に診て貰うと、即座に入院を勧められました。そのまま入院すれば、同じ症状で3回目の入院となります(昨秋、海外旅行中にドイツのフュッセンの診療所に緊急入院したのは加えていません)。

私には過去の体験から、入院すればこの先どうなるか想像がつきました。それで主治医には入院したくないことをきっぱりと告げました。そこで数日の絶食と点滴で様子を見ることになりました。馴染みの婦長には、「先生に駄々をこねたんですよ」と云われましたが、これには私も苦笑いするしかありませんでした。

こうして、夏の猛暑ですっかり疲れ切った身体と胃腸を、意図せぬ「過度の」ダイエットで休養することになりましたが、お陰様で、処方された漢方薬が穏やかでも確実な効果を生んだのでしょうか、今は体調も徐々に回復しています。

plaisir874 at 05:50|Permalink

2011年07月23日

母の四十九日法要

昨日、母の四十九日の法要を終え、無事、母の遺骨を家の墓へ納骨しました。

この日を迎えるに当たり、私にとって最大の難題であった「墓掃除」は、地元のシルバー人材センターに依頼しました。一時、台風6号の影響を心配しましたが、さすがに掃除が行き届き、何の支障なく法要を執り行うことが出来ました。

参列者といえば、ささやかに私と妻、姉夫婦とその飼い犬(家族)一匹。
ところがお世話になったご住職は、若い尼僧を伴っていました。その尼僧は何と日本人ではなく、お釈迦様の誕生地ルンビニー生まれの、それも釈迦族の方。この日の法要のために、わざわざ国東のお寺から来ていただいたそうです。

強烈な夏の日差しを浴びながら、蝉しぐれ、そして二人の読経が進められる中、静かに重い墓石を開き、納骨を済ませました。
こうして、母は、この墓の、父、祖父、祖母に継ぐ4人目の住人になりました。

滞りなく法要を終え、忌明けの会食の際には、料理とは別に何やら深い達成感を味わうことが出来ました。

plaisir874 at 05:19|Permalink日記 

2011年07月03日

【読書ノート】 『人間の大地』 犬養道子著 中公文庫

この名著が上梓されて20年。冒頭に掲げられた献辞が「全世界の飢餓児童、難民児童に献ぐ」とあるように、私たち日本人に向けて発せられた衝撃的な警世・告発の書です。

ほんの10年前、いや20年前の私たち日本人は、繁栄と豊かさの真っ直中にあって、それと知らず、世界中の飢えた子供たちの死に手を貸していたのではなかったでしょうか?

そして、東日本大震災後、はや4か月。私が今、敢えてこの本を手に取ったのは、この国の復興に向けた歩みが、国民一人ひとりの覚悟を持って、本当に遂行されることになるのか甚だ疑問であるからにほかなりません。
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                 『人間の大地』の表紙 犬養道子

 「難民」とはいかなる人々なのかを、日本の善良な市民や、大学に籍をおく者や、各地方の地方自治体の人々は、「よく知らない」。(…)たとえばポルポトのそれが、最初の狙い(ターゲット)として虐殺・拷問・逮捕等々のしうちを与えたのは、中等以上の教育を受けた(中には錚々たる学者やジャーナリストや医師も多くまじる)中産階級から上の人々であったことなぞに思いも及ばず、「難民イコール賤民、カネほしさに国を出たずるい貧者」といった固定と無知の観念はいまだに日本には居坐っているのである。(8~9頁)

 日本の習慣的な生き方のひとつ-ぜんぶなどとは言わない-が、あまりにもこまやかな配慮(よい意味でも悪い意味でも)に満ち満ちているため、ものを見る眼と心は、否応なく、「身近」に限られてしまい、視野の地平線をうんと拡げたい意志があっても、視界が狭められてしまうこと。さらに「身内社会意識」がありすぎること。(18頁)

 「全世界の人口中の30パーセントつまり富む『北』のぜんぶの人間が、全世界の産する食べものの70パーセントをいかに値が釣り上げられようと買い込んでしまい(あげくのはてはその中の70億ドル分を手もつけぬまま棄ててしまい)、全世界の生産品の90パーセントを買ってしまう」。のこり70パーセント分を占める人々は、わずか30パーセントの食べものと、10パーセントの生産品で賄ってゆかねばならぬ。これは正義か。公正か。(29頁)

 富むときは出来る限りを 貧しいときも出来る限りを(旧約聖書・トビア書)(100頁)

 5人に1人のわりで死亡する、極限に達した栄養失調児童(5歳以下)現在世界に4億人(国連ユニセフ及びスイス児童問題調査会発表1979年8月)(127頁)

 心せよ、茨から葡萄は取れぬ。みのり(結果)によって判断せよ、悪しき木から善き実は取れぬ…(マタイ福音7-15~17)(137頁)

 何をおいても、食べさせよ。食を与えよ。まず、第一に、「自立(セルフヘルプ)して食べられる」 よう助け(ヘルプ)よ。(179頁)

 いったいいつまで、正しからぬ判断を続けるか。弱き者・みなし児に正を行え。棄てられた者や不幸な者に、公正を行え。正しさもて彼らを解放せよ。(詩篇81その他)(193頁)

 (仏の若い学究の言葉)…土とは、大地とは、みなさん、いつくしんで感謝して畏敬の情を以て、かしこく手厚く扱わねばならない、たまものなのです、生きものなのです。正しく扱ったときはじめて、土は人間に食すなわち生命を保つ産物を与えてくれる。謙虚な心で人間が土に対するときはじめて、大地もまた人間の手を迎えてくれる。互いが依存しあい連帯しあう、この相互関係の中からだけ、食と呼ばれる貴いものが生み出されてくるのです…。(237頁)

 煽りたてられた欲望と野放しの傲りがそこにあった。そして傲りは、パリのあの農学者がいみじくも言ったように「無知の別名」なのである。(242頁)

 ああ、われら!いまだ会ったことのない、また、会う機会はおそらくないであろう「われら兄弟」のだれかが、どこかで、額に汗して、天父からのたまものである大地を耕し、そこにつくり、刈り、運んでくれた、「労働のみのり」こそ、私たちの日々の食べもの。(264頁)

 モリエールの有名な芝居「守銭奴」の主人公のように、飼葉を馬にやるのが惜しくてほっておいたためいざと言うとき、乗って走るべき馬が倒れてしまう、これはケチだ。ケチは愚に通じる。が、いまだ使えるものを使い切る、のは、賢(さか)しさである。(265頁)

 さればこそ、最も基本的な人間の働きである大地の耕作と、それを出発点として人間がつくってゆくさまざまの文化の、単語(Calture)のはじめの半分は、生成・変化しない普遍・絶対・至高のもの(例えば真理)を「仰ぎ見る心すなわち礼拝」を意味する。(267頁)

 「人はひとりでいるのはよくない。助け合う相手が必要である」(268頁)

 リーダーとは何か?一方の眼で水平線のかなたを、一方の眼で自分の足もとを、見て眺めて、二つの視線をひとつに結ぶ人…(オランダの諺)(274頁)

 「井戸は深く掘りすぎてはいけない」「むしろ、浅く、二つ掘る。いや十まで掘る」(286頁)

 国民全部の教育も衣食住も衛生も医療も福祉も、いわばほっぽり出して、一部富者のみが政治からカネから食から工業まで抑えて独走する、不気味で不健康極まりない社会。(341頁)

 グローバルハウスキーピング!(377頁)

 二十世紀後半の特徴は、私の考えでは、片や綜合・一体性(言葉を変えれば相互連帯・相互依存・相互援助)の日々深まる認識と、片やその一体性を分裂させようとする力(カネの力、欲と独占とエゴイズムの力、イデオロギーの力等々)の相剋によってあらわされる。(378頁)

 目標はただひとつ。地球を-人間の唯一の大地を-ほんの少しでも、人間の住むに足る、ほんのちょっとでもいまより安全な、善いものにして、(あるいは、ほんのちょっとでも癒して)来るべき世代に引き継ぎ、人間の社会を、いまよりほんの少しでも、人間らしい、万人のための社会にする…共有のこの土地を死の脅威の場ではなく、万人の生存のための場とする…。(444頁)

 枠を出ること。エゴを出ること。エゴの世界の安楽からどれほど痛くても身をもぎはなすこと。(447頁)

 大気圏内に心もとなく浮かぶ小さな地球の、どこが(えらばぬ手段で)痛めつけられても、全体がひいては傷つく。「全体の益優先」の長い眼で見て、「まわりまわってこちらも益を頂く」発想法に、われわれはいま、政治課題としてものっぴきならず招かれている。それはまた、「ひとさまの地のもの(すべての資源)を安く叩いて出来るだけ取って安楽に暮らす」生き方から、「まず自分の持つもののとことん利用をせい一杯やって、そののちは自分の能力をみんなのために使う」百八十度逆の生き方への転向を意味する。(450頁)

 けだし 万物は陣痛の中でもだえつつ 人の子ら(人間)の和解を待ち望む…(ロマ書8参照)(452頁)
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この本で著者が告発するのは、地球規模で豊かさを享受して止まない「北」と、貧困に喘ぐ「南」の南北(の格差)問題ですが、20年を経たいまこの本を読むと、この国において、財源なき予算編成を執拗に繰り返す「現在世代」と「未来世代」とのもはや看過できない格差問題について考えないわけにはいきません。

<それでは、あのように高々と掲げられたマニフェストの数々は、政権奪取のために、都合よく並べただけだったのか?>
<「最小不幸社会の実現」というキャッチフレーズは一体何だったのか?>
(公約どおり)「宰相不幸社会の実現」に、日々、腐心しているとしか見えない現政権及びそれを取り巻く政界の姿を見聞きするにつけ、国民の間にはそうした失望感や不信感が募っています。

責めるべきは、政治家、国・地方自治体、そして深刻な原発事故を招来した東京電力…。
けれども、果たしてそれでいいのでしょうか?それでこの国は本当に復興できるのでしょうか?そのような危惧を抱く人たちにとって、この本は、心底、深い感動と共感を与えてくれます。自らが、覚悟を持って取り組むか否かは別として、まずは「責任者出て来い!」的な発想では何も始まらないということをしっかりと心に刻むことが出来ます。
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plaisir874 at 18:24|Permalink読書ノート