2010年10月

2010年10月24日

ヨーロッパ旅行 私の食べたもの(番外編)

 これまで長々と、私の〈少々情けない〉ヨーロッパ旅行のことを書いてきましたが、最後に番外編として、私の「食べたもの」と「食べなかったもの」をテーマに、このシリーズを終えることにします。

 旅行の愉しみの一つに、その土地の名物料理を味わうことがあります。食いしん坊の私にとっても、それは格別の楽しみなのですが、今回の旅行では、途中、体調不良に見舞われたせいで、そのほとんどをパスせざるを得ませんでした。

 旅立ち前には考えもしなかったこの結果は、今となっては、残念至極に違いありませんが、その時の私は、そうした料理を目にするだけで、或いはその匂いを嗅ぐだけで、吐き気を催すほどひどい状態に陥っていたのです。

 そんなわけで、このツアーでは(私の意に反して)、全ての食事の場面に立ち会うことが出来ませんでした。今回掲載した料理の数々は、私がたまたま立ち会ったテーブルで撮影した写真ですが、だからといって必ずしもそれを食べたわけではないのです。

〔機内食:往路〕
機内食1機内食2機内食3




   
 往路の機内食は、上の写真の左から順に3回出されました。1回目、2回目を食べたとき、おなかに異常を感じました。といっても特別に過食したというわけではありません。それどころかセーブしながら、7割ほどしか食べていません。どうやら2番目の「ヤキソバ」の調理に使われた油に当たったようなのです。20数年来〈胆石〉持ちの私は、ある種の油に過剰に反応して胃腸にトラブルを起こしてしまいます。案の定、それから先は、吐き気と腹部膨満感に悩ませられながら、この旅を続けることになりました。3回目の機内食は、かろうじてスイカと飲み物を口にしただけでした。

〔モンサンミシェルにて〕 モンサンミシェルのレストランミネラルウォーター
 早朝、パリに到着。それからモンサンミシェルまでの長い行程は、私の身体の変調を一層加速したようです。半日かけてバスで移動し、到着したのがモンサンミシェルを間近に臨む、写真上のレストランです。
 ここでは、写真下の左から、まず、名物のオムレツ、メインのプレ・サレ、デザートの順に出されましたが、ナイフとフォークを使って口まで食べ物を運んでも、どうしてもそれを飲み込むことが出来ませんでした。
オムレツモンサンミシェルのメインモンサンミシェルのデザート





 この夜のディナーは、宿泊先のホテル近くのレストランに行くことになっていましたが、私は一人、ホテルの部屋で、ひたすら苦しみに耐えていました。

〔パリにて〕 
 モンサンミシェルからパリに戻って、最初の昼食に出されたのが、写真下の名物のエスカルゴとメインのチキン料理です。本場のエスカルゴは、一体どんなものなんだろう?そんな私の興味とは裏腹に、その時ばかりは、この香ばしいバターの匂いに、当てられて、とうとう一粒も口に運ぶ気さえ起こりませんでした。
パリのメインエスカルゴ
                                 
                                       
                       


 この時点で、私が口にすることが出来たのは、唯一、ミネラルウォーターだけ。それも、ツアーの添乗員から、自身のために持参していたポカリスエットの粉末を頂いて、それをミネラルウォーターに溶かして飲んでいました。(繰り返し飲んでいると、決して美味しい飲み物ではありませんが、そのようにして、無理矢理、水分補給に努めていたのです。)
 ところが、この店で、恐る恐る口にしたコカ・コーラが意外にスムーズに喉を通ることが分かりました。水ばかり飲んでいて、身体の血糖値も相当低下していたのでしょうか?
 この夜のディナーもパスして、ホテルの部屋で一人苦しみに耐えていました。

〔TGVTGVの乗車券にて〕
 楽しみにしていたTGVでの移動。パリのリヨン駅からスイスのジュネーヴまでですが、この頃になると身体中のエネルギーがすっかり切れ、疲労困憊の有様でした。もはやできるだけ体力を消耗しないよう、ひたすら大人しく静かにするばかりです。
 (写真右は、TGVのチケットとミネラルウォーター)

〔インターラーケンにて〕
インターラーケンのレストラン ジュネーヴ駅前からバスに乗り換えて、到着したのはインターラーケンのレストラン(写真右)。 
 この店は、スイス・フランスの名物料理、ラクレットが評判のようで、店内は地元の人々も含め、大勢の客で混み合っていました。フラフラの私ですが、この際、テーブルに着かないわけには行きません。

インターラーケンのサラダラクレットインターラーケンのデザート





 テーブルに並んだ、左から生野菜のサラダ、ラクレット、ホワイトチーズのデザート。
 「もしよかったら、これもどうぞ」と、たまたま私の前に着席した、同じツアーに参加した二人連れの母娘に皿を譲ると、ラクレットは私の目の前で、瞬く間に消えてしまいました。
インターラーケンのホテル食堂
 翌朝、ツアー一行が、ユングフラウヨッホ観光に出掛けた後、彼らが戻ってくるまでの間、ホテルの部屋を時間延長して、妻と二人ゆっくり時を過ごしました。ホテル食堂の窓からは、インターラーケンの町並みが見えます(写真右)。

 これ以後、私の身体は急速に衰弱が進み、とうとうその夜、ドイツ・フュッセンの診療所に緊急入院する羽目になリました。はるばるその村にまで足を運びながら、とうとう憧れのノイシュヴァンシュタイン城を目にすることも出来ませんでしたが、まさにその時、私に残された課題は、もはや①いかにしてツアーに復帰するか、②どのようにしたら日本までの長時間の帰路に耐えることができるか、の2つだけだったのです。

〔機内食:帰路〕
機内食4機内食5





  帰路の機内食は、目の前に出されても、全く食べる気がしません。それでも、何とか果物だけでもと、ひとかけら口にしてみましたが、それをかみ砕いて飲み込むのがやっとでした。

                      『ヨーロッパ旅行 私の見たもの・食べたもの』(了)



plaisir874 at 19:37|Permalink日記 

2010年10月18日

ヨーロッパ旅行 私の見たもの(5)

〔ハイデルベルク旧市街~フランクフルト~(上海経由)~帰国へ〕
 翌朝、ハイデルベルク郊外のホテルから、再びツアーバスに乗って、この旅、最後の観光となるハイデルベルク旧市街へ向かいます。灰色の雲が重く垂れ込めた空からは、冷たい雨が落ちてきました。猛暑日が続いていた日本の天候が、まるで嘘のようです。
 ハイデルベルクは、人口約140,000人のうち、そのおおよそ5分の1が学生といわれ、「アルト・ハイデルベルク」に謳われるように、古くから高名な大学都市で、「学生牢」などという名所もあります。第二次世界大戦の空爆を免れたため、現在も中世バロック様式が特徴的な旧市街が遺されています。

ドイツのツアーバスハイデルベルグの石橋



                   
                       
   ツアーバスに乗り込んで    ネッカー川に架かるアルテ・ブリュッケ(古い橋)  
ハイデルベルグの石門石橋のねずみ





   アルテ・ブリュッケの門塔     橋の上に住む小さなネズミ
古いホテルハイデルベルグ城





   最古のホテル「騎士亭」      雨に煙るハイデルベルク城 
  添乗員の案内で、旧市街を一廻りした後、訪れたのは日本人観光客専用の店でした。ここには婦人、紳士物の衣類から、バッグ類、装身具、各種食品、ドイツ玩具、土産物に至るまで何でも揃っており、日本人の店員が多数いて、日本語で買い物が出来るのです。 この店を集合場所として、30分ほどの自由時間が設定されましたが、私はかなり疲れていました。この旅で心配ばかりかけた妻に、ここでゆっくり品定めをして、気に入るものなら何でも購入して貰いたい…そんな心境でした。(結局、妻が選んだのはそれほど値の張らないバッグと財布でした。)
 ツアー最後の観光が終わり、フランクフルト空港へ向かいます。ここから、再び、飛行機に乗り、12時間ものフライトで到着するのは、経由地となる上海。それから更に、1時間半かけて福岡空港まで。私の身体は、果たしてこの長旅に耐えられるのか?正直、とてもそのような自信はありませんでした。
   
フランクフルト空港帰国の搭乗便





   フランクフルト空港前           搭乗機も雨の中

博多湾上空 上海を経由して、ようやく眼下に見えた日本の島々。どうやら博多湾の上空のようです。長い旅の果て、ようやくたどり着いた日本の風景が、私には殊更、美しく輝いて見えました。私がこうして無事、帰国することが出来たのも、ベテラン添乗員の的確なサポート、ツアーに参加された皆さんの温かい励まし、それに妻の支えでした。皆さんどうも有り難うございました。(ふぅ)


plaisir874 at 05:51|Permalink日記 

2010年10月13日

ヨーロッパ旅行 私の見たもの(4)

〔ドイツ・フュッセンの診療所~ハイデルベルク〕

診療所の玄関 翌朝、目を覚ますと、そこはまぎれもなくフュッセン診療所の病室でした。前夜、何の準備もせず、ほとんど着の身、着のままでここに来た私に、タオルや歯ブラシなどの洗顔セットが配布されました。清潔な病室には、テレビはもとより、トイレやシャワー室も備わっていて、居心地は決して悪くありません。
 若い隣人がシャワーを使った後、私も洗顔、歯磨きを済ませました。窓から見える木々の葉は、秋色に染まり始めており、僅かに見える空からは冷たい雨が落ちています。(写真右は、フュッセン診療所の玄関前)

 しばらくすると、看護師が血圧測定にきて、朝・昼2回分の錠剤、キャップ1杯のハチミツ、ガラス瓶に入った「メディカルウォーター」とコップを置いていきました。ハチミツを一口で飲み込むと、ふと喉の渇きを覚え、その水をコップに半分ほど注ぎ、飲み干しました。明らかに日本の水とは違う「硬水」ですが、私がこれまでこの旅で飲み続けていた水とも違う何かを感じ、更に、もう一杯飲み干しました。(魔法の水。これで元気になれる?) 
 その後、別の看護師(?)が車いすのようなものを転がしてきて、体重測定を始めました。まず、レスラーのように体格のすこぶるいい隣人がそれに乗りました。次に私。看護師は、余りの体重差に思わず「クスリ」と笑いました。

 やがて朝食の時間になり、隣人にはお盆に乗せられた朝食が配られました。それから、何故だか私にも同じお盆が配膳されました。ベッド脇のテーブルに、一旦、置かれたそのお盆は、やはり手違いであったことが判明して、すぐさま片づけられましたが、その時、ちらっと見たコーヒー、ハム、チーズ、ドイツパンなどの食事が、これまでとは違い、もはや見ただけで吐き気を催すものではなくなっていました。それどころか、私はその時、一瞬、これは医師から許された食事だと思い込み、口にしてみようとさえ思ったほどでした。

 食事の時間が終わり、今度は、若い女医がやってきました。どうやら私の担当の専門医のようです。検査結果は、まだ出ていない様子。けれども、とても優しい笑顔で、私にもう心配しなくていいといいます(言葉はよく判りませんが)。少し小柄で、どこから見ても「美人」としか云いようがありません。彼女は、私の中でずっと固定されていたドイツ女性のイメージをリセットした、本当に素敵な女性でした。(惚れやすいのでしょうか私は?)
──────────────────────────────────────────────
 それから私はずっと待っていました。昨夜、別れる時、朝になると、再び、妻が来るものとばかり思っていたのです。ツアーの一行は、もうこの時間は、ノイシュヴァンシュタイン城へ観光に出掛けているはずです。タクシーで来れば、あっという間の距離なのに…。何か予期せぬ出来事でも起きたのだろうか?そんな妻への心配と、希望どおり私が、午後には退院を許され、ツアーに復帰することが出来るのかどうか?…と。

 刻々と時間が進むにつれ、益々、そんな不安が募っていた時でした。病室のドアをノックする音がして、入ってきた年配の日本人女性は、M・ヒロコさんと名乗りました。保険会社から真夜中に、電話があり、ここへ向かうように指示があった。その前にホテルに寄り、フロントで妻の所在を尋ねて探したが、何も判らなかったと怪訝そうに云います。(後から判ったことですが、この日のフロント係の女性が、時間延長してホテルの部屋で待つ妻のことをすっかり忘れ、ツアーの一行と共に、城観光に行ったと告げたのでした。)

 言葉の通じない外国で、しかも入院というこの特異な状況の中、こうして日本人と出会うということが、どんなに心強いことかお分かりでしょうか?実は、ヒロコさんが訪れる直前まで、私は頭の中で、「お陰様で、私は快方に向かっています。気分もよくなりました。もし可能であれば、ツアーに戻りたいと思います。そのために私に残された時間は…」 こんな英文を、必死の思いで組み立てようとしていたのです。

 彼女は、そんな私の意向をすぐさま汲み取って、(勿論、完璧なドイツ語で)あの素敵な女医に伝えてくれました。素敵な女医は、「それは、昼前に出る検査結果を見てから…」と慎重ですが、私の中では期待が一気に膨らみます。

 私は、ひとしきり、ここに至ったいきさつを話した後、ヒロコさんに尋ねました。それによると、彼女は熊本市の出身。ドイツ人の夫と結婚し、フュッセンに来て、もう日本で過ごした以上の時間が経っている。保険会社とは、現地要員として契約しており、ついこの間も、ノイシュバンシュタイン城のバス乗り場で起こった日本人観光客の事故を担当したと云います。(そういえば、その事故のことは、テレビのニュースで見て、私も知っていました。)

 それから、話題は、この時期、日本では考えられないほど肌寒いフュッセンの気候のこと(彼女もこの夏、日本中、猛暑日が続いたことを知っていました)や山が大好きな彼女が、時折、オーストリアまで足を伸ばして山歩きを楽しんでいること、ロマンチック街道を観光するなら、ロココ芸術の粋と謳われるヴィース教会は外せないことなどに及びます。

 ひととき、そんな会話に時が過ぎて…素敵な女医がやってきました。明るい声で、退院OKとのことです。少し膵臓の機能が低下しているが退院してもよい。但し、帰国したら主治医に診て貰うこと。素敵な女医は、そう付け加えました。
「やった。どうも有り難う」私の中で一気に喜びがはじけ、思わず彼女に握手を求めると、素敵な女医は、しっかりと握手を返してくれました。(私に他意はありません。念のため)

 早速、身支度を整え、ハンガリーの心優しい隣人とも別れの挨拶を交わし、退院の手続きを済ませました。この旨は、ようやくホテルにいる妻にも伝わったようなので、ヒロコさんと玄関のロビーで妻がやってくるのを待つことにしました。ここから私は妻と一緒に、ツアーの次の宿泊先となるハイデルベルクのホテルまで、タクシーを借り上げ、アウトバーンを走って、再び、ツアーに合流するのです。

 ロビーに着くと、まったく思いがけない光景を目にしました。何と、先日、ヒロコさんが担当した、あのノイシュバンシュタイン城の駐車場で事故にあった女性とばったり出会ったのです。その女性の夫と、更に、二人をサポートする保険会社のスタッフが三人ほど、ロビーの一角に小さなテーブル、椅子を置き、専用のサポートデスクが出来ていたのです。

 話を伺うと、その女性は右腕を骨折しており、12日間、ICUで治療して、一般病棟に移ってようやく2日目だといいます。規定があって、このままだとまだ飛行機には乗れず、最短でも10月4日までは制限されているとのことでした。ご主人は、整形外科のドクターで、専門医には違いないのに、ここドイツでは何もできないのだと、無念そうに云います。

 サポートデスクのスタッフは、保険事故のサポートをはじめ、ご主人の宿泊先のホテルの手配(必ずしも連泊が約束されていないので)や買い物、その他の世話をしているそうです。そんな話を聞きながら、今回、我が身に起こった出来事を思い、この時ほど、保険の有り難さをしみじみと感じたことはありませんでした。

フュッセンの診療所診療所の前の建物





    フュッセンの診療所         診療所に対面する建物
 
 しばらくすると、一人でタクシーに乗って、妻が到着しました。何やら日本人が大勢ロビーで談笑している景色に妻も驚いた様子です。ここでお世話になったこと、見聞きしたことを妻に伝えると、妻も一緒に話の輪に加わりました。
 やがて、ヒロコさんが手配してくれたタクシーが到着しました。これから、このタクシーに乗って、ハイデルベルクまで4時間かけて移動するのです。私たちがツアーに合流するためには、もはやこの方法しかないのです。

タクシータクシーの運転席





     ベンツのタクシー           タクシーの運転席
アウトバーンを走行パーキングエリアで一休み





     アウトバーンを走行      パーキングエリアで一休み
アウトバーン3

     



 さすがに4時間のアウトバーン走行は少々疲れました。ホテルに到着して「サンキュー、ソーマッチ。ユーアーアグッドドライバー」と云うと、運転手はにっこりと頷いて、「ドウモ、アリガトウ」と云いました。 
 このようにして、私たち夫婦は、ノイシュヴァンシュタイン城もロマンチック街道も観光することが出来ませんでした。けれども、強がりでなく、出発前には想像もしなかった貴重な体験をすることが出来たように思います。
                 

plaisir874 at 22:16|Permalink

2010年10月11日

ヨーロッパ旅行 私の見たもの(3)

〔スイス・インターラーケン~オーストリア国境~ドイツ・ホーエンシュバンガウへ〕
 この日、ツアーの予定では、グリンデルヴァルトから登山列車に乗って、標高3454メートルにあるヨーロッパ最高地点の駅、ユングフラウヨッホ駅を訪れ、世界遺産ユングフラウヨッホやアレッチ氷河を楽しむことになっていました。もし私が健康であれば、それは心弾む観光に違いありませんが、その日の私の体調では、それを許さないことは誰の目にも明らかでした。
 このような体調で、標高3454メートルもの高地に行って、万一倒れでもしたら…楽しいはずの観光旅行が、同行のツアー参加者たちにとっても、いっぺんに後味の悪いものになってしまう…。そう考えると、ここはインターラーケンのホテルにとどまり、体力を十分に温存し、彼らの戻ってくるのを待って、再びこの旅を続けようと決めました。
 そこでホテルには、部屋の時間延長を申し出てて、午後2時頃、彼らの戻ってくるまで妻と二人、ホテルの部屋でゆっくりと過ごすことにしました。

インターラーケンのホテルのロビーツアーバスの中スイスの村


 

    

 幸いなことに、この日の旅程では、ユングフラウヨッホ観光を終えて、再び、ツアーバスがホテルに立ち寄ることが可能でした。(ユングフラウヨッホ観光は、オプション扱い)
 午後2時、再び彼らと合流し、天候は少々雨模様ですが、美しいスイスの風景を楽しみながら旅を続けます。バスは、スイスから国境を越え、一旦オーストリアに入り、それから更にドイツ国境を越えました。バスを停車させるでもなく、こんな風に、やすやすと国境を越えてしまうのも、ヨーロッパがユーロ圏に統合されてからだといいます。
 長旅の疲れでしょうか、バスの中では、誰もが皆口数も少なく…眠っているようでした。
 辺りがすっかり暗くなった頃、この日の宿となるホーエンシュバンガウのホテルに到着しました。とうとうあのノイシュヴァンシュタイン城のある村まで来たのです。
 ライトアップされた城を、一瞬見ることが出来ました。瞬時にカメラを構えシャッターを押しました。それはノイシュヴァンシュタイン城ではなく、ホーエンシュヴァンガウ城でした。 

スイスの湖スイスの村2夜のホーエンシュバンガウ城






 ホテルに到着後、すっかり疲れ果てた私は、皆が夕食を終えるのを待って、タクシーで7、8分程のところにあるフュッセンの診療所に行くことにしました。もはや私の体力が限界であることを思い知り、こうしてようやく覚悟を決めたのでした。
 ベテランの添乗員が、てきぱきと私の加入していた海外旅行保険をチェックして、保険会社に手配を済ませ、妻と3人でタクシーに乗り診療所に向かいました。
 夜も更けて、閑散としていましたが、診療所は24時間対応で、男性医師2人が診察と血液検査をし、長い時間をかけて点滴してくれました。ドイツ語はまったく判りませんが、明日また専門医が診察するとのことで、どうやら私は緊急入院することになったようです。
 2人と別れ、処置室から少し離れた2人部屋の病室へと搬送されました。深夜、見知らぬ日本人旅行者の闖入にも拘わらず、同室の30歳位の若いがっしりした男性は、とても感じのいい笑顔で迎えてくれました。
 彼が、看護師と流ちょうにドイツ語で言葉を交わすので、片言の英語で自己紹介の後、
「ドイツ人ですか?」と尋ねると、彼も英語で
「いいや、ハンガリー人です。フュッセンでしばらくアルバイトをしていたけれど、心臓に異常があって…。ここに入院してもう2週間になります」と答えます。
 ああ、果たして私はどのくらい、ここに留まることになるのだろう?そんな不安に駆られ、心配をしながらも、いつの間にか、深い深い眠りに落ちていきました。
 

plaisir874 at 08:51|Permalink日記 

2010年10月10日

ヨーロッパ旅行 私の見たもの(2)

〔ヴェルサイユ宮殿観光~TGVに乗ってスイス・ジュネーヴ~インターラーケンへ〕
 前日の夜、市内18区のレストランで夕食を…というのがツアーの企画でしたが、生憎の体調不良で、私はそれをパスし、ホテルの自室で大人しく安静にしていました。これまでずっと私に付き添っていた妻は、この夜、メンバーと一緒に出掛けました。(私にとってもその方が、断然、気が楽なのです。)
 朝食後、ツアーバスに乗って、ヴェルサイユ宮殿観光へ。どうやら「ゼネスト」の影響は受けなかった様子です。

ヴェルサイユの街ヴェルサイユ宮殿1輝かしき門






門の装飾1門の装飾2ヴェルサイユ宮殿入り口






鏡の間2太陽王ルイ14世の像ヴェルサイユ宮殿の庭











村上作品1村上作品2村上作品3










 実のところ、現在、ヴェルサイユ宮殿では、「とんでもない」企画展が行われているのです。私は、NHK教育テレビの『日曜美術館』を見ていて、たまたま、そこで紹介されたこの企画展のことを知っていたので、ある意味、どんなものか楽しみにしていました。

 その企画展とは、アニメ風ポップアートの旗手、村上隆氏の作品を、何とあの世界遺産「ヴェルサイユ宮殿」の中で展示するというものなのです。
 興味のある方は、You Tubeでも、この企画展の様子を見ることが出来ますが、どうやらそれは、他への引用をブロックされており、ここでは紹介することしかできません。

 何ともミスマッチといえばそれまでなのですが、アニメ風ポップアートという、いわばヴェルサイユ宮殿とは、まったく正反対のモチーフを、敢えてこの絢爛豪華な空間の中に、一歩も引かぬ気概で展示するという 、この日本人アーチストのもの凄さには、心底、脱帽というほかありません。

 そんなわけで、
この息苦しいほど重厚な宮殿の中にあっても、私の心はとても軽快になりましたが、案の定、ツアーの一行についていくだけで、私の体力はすっかり消耗してしまい、出口近くのベンチでしばらく休息しなければなりませんでした。

TGVの車窓からジュネーヴ駅ジュネーヴ駅前のホテル






 ヴェルサイユ宮殿をあとにして、再びパリに戻り、市内をぐるりと一廻りして、凱旋門近くのレストランで昼食後、リヨン駅からフランス超特急TGVに乗って、スイス・ジュネーブを目指します。列車の旅は、昔から大好きですし、BSテレビなどで放映している、この種の旅番組を好んで見ているので、今回のTGV乗車はとても楽しみにしていました。

 夕方、スイスのジュネーブに到着。そこで2台目のツアーバスに乗り替え、この日の宿があるインターラーケンへ向かいます。すっかり日が落ちてインターラーケンに到着後、駅近くのレストランでの夕食は、スイス名物ラクレットでしたが、ここでも何も口にすることが出来ず、まだまだ元気なツアーの一行と共に、憔悴しきって、ようやくホテルの部屋に落ち着きました。

 


plaisir874 at 05:22|Permalink日記