2011年02月

2011年02月27日

南立石公園の梅

この季節、私の住む別府にある公園の中で、梅の花を観賞することができるのは、別府公園、それから南立石公園でしょうか。2月も半ばを過ぎる頃から、そろそろ梅の花はどうだろうと気になっている私ですが、昨日、南立石公園の梅を確かめに行ってきました。
しだれ梅アップしだれ梅
 




公園駐車場のすぐ上の「みどりの相談所」の玄関前にあるしだれ梅。毎年、見事な花を付けますが、今はまだ3分咲き程度でしょうか。それでも各地から訪れた多くの梅見客が、私同様、思い思いにカメラのシャッターを切っていました。
紅梅2南立石公園





階段をさらに上がって先へ進むと、やがて視界が開けて梅林が見えてきます。ここでも数多くの方々がカメラを構えていました。同じ別府でも、ここ南立石公園は、中心部にある別府公園よりも、かなり高台あるため、梅の花も少し遅くなるようです。
白梅1紅梅 





日当たりのいい所にある梅の木から順に、少しずつ、紅梅、白梅の可憐な花を付けています。その美しさは青空に映えて一層輝くようです。それでも、2分か3分咲き程度では、それほど辺りに梅の香りは漂って来ません。
南立石公園4白梅アップ





思い切り、梅の花に鼻を近づけて嗅いでみると、ほのかに薫ってきました。そうそう、これが梅の香り。何とも雅(みやび)な匂い。広大な公園内は、梅見客ばかりでなく、ジョギングや散歩をする人々、犬を散歩させる人々、子供会のグループなどで賑わっていました。
境川から鶴見岳を臨む南立石公園3 





晴れた日、手入れの十分に行き届いた公園内の散歩は、とても気持ちのいいものです。園内をゆっくりと2周した後、公園北側に隣接する境川の土手に出て、別府の山々そして海を遙かに見渡しながら、確実に近づいてくる暖かな春の陽光を堪能して帰りました。

plaisir874 at 19:50|Permalink日記 

2011年02月23日

安心院すっぽんウィーク

何気なくインターネットを見ているうちに、ちょうど今、「安心院すっぽんウィーク」をやっているのを知り、出掛けてみることにしました。安心院(あじむ)といえば、すっぽんとワインで名高い町。別府からも近いのでよくドライブにも出掛けますが、少々値が張るすっぽん料理は、日頃あまり口にすることがありません。ところが、2月14日~3月14日(バレンタインデーからホワイトデーまで)の期間、そのすっぽん料理の昼食統一メニューが何と 2,800円で食べられるというのです。

小の岩の庄2小の岩の庄1                    





安心院に入って、まず立ち寄ったのが、里の駅「小の岩の庄」。ここは、近郊の農家から新鮮な野菜や農産加工品が、随時、持ち込まれており、道すがら多くの買い物客で賑わうところです。店の奥、津房川を見渡せる広場には、珍しい台湾産のガチョウが飼われていて、愛嬌を振りまいていました。
鏝絵やまさ旅館玄関 





この日、訪れたすっぽん料理の老舗「やまさ旅館」。玄関右上に見える建物の壁には、滝登りの鯉とすっぽんの鏝絵(こてえ)が掲げられています。鏝絵は、左官が壁を塗るこてで絵を描いたもの。ここ安心院町内に数多く残されています。
すっぽん茶碗蒸しすっぽん鍋1 





あらかじめ予約を入れていたので、用意された部屋へ案内されて、スッポン料理が供されました。①すっぽんの水炊き、②すっぽんの生き血、③すっぽんの酢の物、④すっぽんの唐揚げ、⑤すっぽんの茶碗蒸し、⑥ご飯、⑦香の物の7品。あまりの美味しさに、写真を撮るのも忘れて食べてしまいます。
すっぽんすっぽん料理





最後に、ご飯を水炊きに入れ、すっぽん雑炊にして完食しました。フロントで支払いを済ませ、ふと見ると玄関にご覧の通り、巨大なすっぽんの剥製が置いてありました。これを見ると、ちょっと引いてしまう人もいるかも知れませんが、そこは「美味求真」。そんなあなたでも、すっぽんにトライしてみる価値は十分にありますよ。

plaisir874 at 21:50|Permalink日記 

2011年02月19日

護国神社の梅は…

土曜日、県立図書館で本の借り換えをした後、大分市明野のショッピングセンターで食事がてらカミさんの買物に付き合いました。そこでは現在、ブランドもののバーゲンが催されており、このところずっと購入を検討していた大きめの財布をようやく手頃な値段で購入することができたそうです。
護国神社2護国神社1





ショッピングセンターからの帰路、思いついて、梅の咲き具合をチェックしようと市内牧の護国神社に立ち寄ってみました。2月も20日になるのでもうそろそろ咲いているだろうと…。まず、最初に目に飛び込んできたのは、日本一の「大破魔矢」と「巨大熊手」です。何とその高さ18.8メートルと12メートルもあるそうです。ところが、境内を見渡してがっかり。少し早すぎたようです。
白梅紅梅





持ち合わせた携帯電話で撮影した、上の写真の紅梅、白梅は、この日、鑑賞に堪えうるほとんど唯一の紅梅、白梅で、大半はまだまだ蕾(つぼみ)も硬い状態でした。今年は、思いの外、厳しい寒さが続いたので、県内の梅の名所は何処もこのように開花が遅くなっているのでしょうか?因みに、ここ護国神社恒例の「ぶんご梅まつり」は、2月27日(日)午前10時から開催が予定されているようです。
雛壇2雛壇1





また、この時期「人形感謝祭」と銘打って、ご覧のとおり、数多くの雛人形が陳列されていました。こちらも毎年、このように展示しているようですが、これだけずらりと並ぶと、なかなか見応えがありますね。

さて、話は変わって、明日の日曜日は、わがマンション管理組合の定期総会があります。来期は、しばらくぶりに役員の順番が回ってきそうです。これは区分所有者の義務として、しっかり受け止めるべきものと考えています。(ふぅ)

plaisir874 at 23:20|Permalink日記 

2011年02月14日

国東の寺に行きました

楽しみにしていた3連休は生憎の天気が続きました。この冬、もうすっかり飽きてしまった雪や強風に見舞われたはじめの2日間、ほとんど外出することなく部屋で過ごしました。(お陰で、今回予定している確定申告(医療費控除)の準備など懸案の雑事を済ますことができましたが…。)
ようやく強風がおさまった3連休最後の日曜日、国東方面へドライブを試みました。
まずは給油所で、ガソリンを満タンにして、久し振りに、愛車ロシナンテを洗車しました。
車がピカピカになると、それだけで私の心も軽く、ドライブも一層快適になります。

まごころセット(だんご汁)黒津崎海岸カミさんを誘って、最初に訪れたのは、道の駅くにさき。ここは私が国東方面へドライブすると必ず立ち寄るスポットで、とりわけ、道の駅に隣接する農産物直売所「夢咲茶屋」では、毎回、野菜や花を買って帰ります。また、ここの食堂がお気に入りで、この日も看板メニュー「まごごろセット(だんご汁)」をいただきました。この味、このボリュームで、何と730円也。大満足です。

泉福寺仁王像泉福寺山門次に訪れたのは、国東市国東町横手にある泉福寺(せんぷくじ)。永和元年(1375年)に創建された曹洞宗の寺で、現在は、ご記憶でしょうか、その昔、『全国こども電話相談室』の名回答者として知られたあの無着成恭(むちゃく せいきょう)師が、2003年から住職を務めているところです。

泉福寺仁王阿形 泉福寺仁王吽形ご覧のとおり、この寺にも立派な石造りの仁王像が安置されています。石造りの仁王像を前にすると、なぜか元気になってしまう私ですが、カミさん以外には誰もいないのをいいことに、心ゆくまで、シャッターを切りました。(ついでに云えば、この私、犬、猫を見てもなぜか元気になるのです。但し、犬の場合は、走り回っている犬、猫の場合は、じっとしている猫に限ります??)

泉福寺仏殿泉福寺墓苑前日、ここには雪が積もったのでしょう、国の重要文化財になっている開山堂と仏殿の屋根からは雪解け水がしたたり落ちていました。さらに、長い階段を昇って、寺の最上部まで行くと、かなりの部分がまだ白い雪に覆われていました。 

泉福寺下泉福寺境内幸いなことに、この日は、夫婦2人、ゆっくり貸し切りで寺を拝観することができました。境内に漂う澄み切った寒気が身体をすっかり冷やしはしましたが、なぜだか私の心はほんのりと温められていました。春よ来い。私の心にも。
                                                   



plaisir874 at 22:42|Permalink日記 

2011年02月12日

【読書ノート】『ギリシア悲劇名言集』ギリシア悲劇全集編集部編 岩波書店

ギリシア悲劇全集この本は、岩波書店版『ギリシア悲劇全集』(全13巻+別巻1 1990年~1993年)の編集作業過程(5世紀のギリシアの編纂者であったストバイオスの「選文集」の断片引用)から「名言集」として編纂されたものだそうです。

ギリシア悲劇といえば、三大悲劇詩人として知られるアイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスの名前がすぐに浮かびますが、彼らの作品は、現代において、いったいどのようにして触れることができるのでしょうか?

私は、遠い昔、学生時代にイタリアのOedipus_And_The_Sphinx映画監督パゾリーニの『アポロンの地獄』や『王女メディア』に触発されて以来、多くのギリシア悲劇を読んできましたが、もはや活字でしかこうした作品を味わうことができません。
       (図右 借用 オイディプスとスフィンクス)

ディオニュソス劇場実をいうと、現在に至るまで、テレビの劇場中継を除くと、実際には一度もギリシア悲劇を観劇したことがないのです。けれども、このことは、シェークスピアやその他の戯曲と同様、私にとって問題ではありません。
       (写真右 借用 ディオニュソス劇場跡)

平気で嘘をつき続ける人なぜなら、こうした古典的な戯曲を観劇することとは、〈自分のものではない〉解釈によって具象化された、演出や役作りにその都度付き合わされることを意味するからです。(というより、やはり私にはそれを受け入れ、楽しむほどの余力がないということなのでしょうか?)
      (写真右 借用 平気で嘘をつき続ける人) 

さて、以下に引用する言葉は、現代に生きる私たちにとっては、もはや、古色蒼然とした響きしか持たないのかも知れません。けれども改めてここに整理してみると、そのどれもが、いかにも〈健康である〉ということに気づかされるのです。

ご存じのとおり、古代ギリシアにおいては、デモクラシーに代表される成熟した市民社会がありました。ところが、その一方で、奴隷制や男尊女卑の風習は厳然と温存されていたのです。無論、私はこうしたことをも一切含めて〈健康である〉と云うのではありません。
また、かってのロマン派詩人たちのように、既に失われてしまった魂の故郷に対する憧憬からそう云うのでもありません。
敢えて云えば、これらの言葉の数々には、いささかのルサンチマンも感じることがないからです。
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 愛(エロース)
  7 人間の中には、何か別な愛があるのだ、
   思慮深くて善良な正しい魂への愛が。
   人間にとって慣習とならなければならないのは
   敬虔な人々を、そして思慮深い人々を愛すること、
   そしてゼウスの娘(愛欲の神)キュプリスに別れを告げることだ。
                                (4頁 エウリピデース断片388)
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 怒り(オルゲー)
 3 怒りは多くの悪事を有無を言わせずなさしめる。
                                (11頁 カイレーモーン断片29)
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 運命(テュケー)
11 死すべき人間に与えられる恵みは不滅ではない。思い上がった人たちは
      現在のことから未来を信じ切っているので、
   酷い目に遭ったときに運命からの反駁を受けることになるのである。
                              (19頁 エウリピデース断片1073)
12 「必然」(アネンケー)には軍神(アレース)すら抗しえない。
                                 (20頁 ソポクレース断片256)
22 「必然」を前にすれば他のものはすべて無力だ。
                               (22頁 エウリピデース断片299)
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 金銭、富(クレーマタ、プルートス)
10 富が生み出すのは思い上がりか吝嗇(けち)である。 
                               (55頁 エウリピデース断片632)
25 富とは臆病で、自分の命に執着する禍いだ。
                                    (59頁 カルキノス断片9)
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 国、国家(ポリス)
 3 安逸な暮しや見苦しい女々しさが 
      家や国家を再興させることはあるまい。
                               (63頁 エウリピデース断片239)
 4 多くの国は過ちを犯すものだ。
      優れた者、懸命に働いた者を
       それ以下の人間と同じように扱ってしまうのだ。
                     (63頁 エウリピデース「ヘカベー」306~308行)
 7 国には三通りの人間がいるものだ。資産家というのは
       有害無益なことしか考えず、常にいま以上の財を得ようと懸命だ。
       その逆に、持たざる者、日々の生活にも事欠く者たちは
       嫉妬と恨みの情に陥りやすく、危険な存在であって、
    心いやしい煽動家の口車にうまうまと乗せられて、
    持てる者に悪意のこもった攻撃の矛先を向ける。
    三つに分けた層の中で、中間にいる市民たちこそ、国の守り手であり
    国の定めた仕来(しきた)りならば、これをよく守ろうと努めるものだ。
                   (64頁 エウリピデース「ヒケティデス」238~245行)
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 賢、愚(ソポス、モーロス)
 2 愚か者が幸運に恵まれると、重い荷物である。
                                           (75頁 アイスキュロス断片392)
29 人が死んでも徳が滅びるわけではない。
       肉体がもはや存在しなくても徳は生きている。だが劣った者たちの場合には、
   すべてが死とともに大地の下へと消え去ってしまう。
                               (80頁 エウリピデース断片734)
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 言葉(ロゴス)
30 希望と言葉とは、人間たちをしばしば欺くものだ。
                               (94頁 エウリピデース断片650)
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 死(タナトス)
 5 死は病の最後の医者である。
                                 (97頁 ソポクレース断片698)
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 嫉妬、中傷(プトノス、ディアボレー)
 1 あらゆることの中で最も不正なものは嫉妬である。
                                  (105頁 作者不詳断片532)
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 人生、人間(ビオス、ブロートス)
45 誓いは人の保証とはならない。人が誓いの保証である。
                              (121頁 アイスキュロス断片394)
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 老、老年(ゲーラス)
 9 いかなる嘘も老年まで続くことはない。
                                 (156頁 ソポクレース断片62)
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 その他(雑)
27 無数の苦難があってこそ素晴らしいことは生まれる。
                              (166頁 エウリピデース断片236)
48 美徳は苦悩の中を歩む。 
                    (170頁 エウリピデース「ヘーラクレイダイ」625行)
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