カミュ墓参の旅

2010年04月22日

南仏プロヴァンス ルールマラン カミュ墓参の旅20

パリでは、日本人の観光客によく出会う。やはりカップルか若い女性3人組が圧倒的に多い。彼女たちにいったい何度、カメラのシャッタ-を押すように頼まれたことだろう。

昼食にノ-トルダム寺院が見渡せるカフェに入った。入って気づいたのはここはどうやらアルザス料理専門のカフェだった。失敗した。でも、すぐに気を取り直して「プラ・ド・ジュ-ル(日替定食)はどれか?」と店員に聞くと、ここに書いてあると、テ-ブルの上のメニュ-を指し示す。

そこに書かれている文字は、装飾的な筆記体で、ぼくには何が書いてあるのかさっぱりわからない。ならばどうでもいい。上から2つ目、何かしらソ-セ-ジ料理のようにも感じて、それを注文する。

「で、飲み物は?」と聞くので、もうすっかり慣れた調子で、「ロ・ミネラル・ノン・ガズ-ズ・シル・ヴ・プレ(炭酸抜き水をください)」という。こちらに来て、ぼくは飲み物といえばほとんど水ばかりを飲んでいる。

そして出された料理は、ぶ厚い豚肉と大麦の煮込みだった。塩味が強すぎてとてもまずかった。料理と一緒に、レジで打ち出した計算書を店員が置いていったので見ると、日替定食50フラン、水27フランとある。日本の感覚からすれば、何と高い水だろう。

サン・ミッシェル・ノ-トルダム駅から、パリ市街と郊外を結んでいるRER(高速郊外地下鉄)に乗った。シャルル・ド・ゴ-ル空港行き13時54分発。少し早すぎるかも知れないけれど、空港はまったく勝手が判らない。

到着したときのこともあるので、時間には余裕を持っている方がいい。2時45分シャルル・ド・ゴ-ル空港着。そこからはシャトルバスに乗って第1空港に到着。すぐに全日空のチェックインカウンタ-を探す。

わけなく見つかったが、カウンタ-はまだ閉鎖している。掲示されている張り紙をみると発着の3時間前から業務を開始するとのこと。今は4時間も前。

空港ロビ-の掲示板に、搭乗機の遅れを表示している。少し嫌な予感がした。搭乗3時間前、チェックインの時間になったのでカウンタ-に行くと、こういうことだった。

「定刻18時30分発の全日空機206便は、使用機材の成田空港出発遅れのために新しい出発予定時刻が23時30分となっております」

何と、出発6時間遅れ!それまでは空港で待ちぼうけだ。これはもうぼくの努力を超えている。そうだ、じたばたしても仕方がない。覚悟を決めてひたすら待つだけだ。

案内によると全日空側からは、乗客には順次、20時30分以降、地階のレストランで夕食を用意してくれるとのこと。東京への到着予定時刻も、当初の14時20分が19時00分になり、こちらは4時間40分の遅れ。いや、これも仕方がない。

遅れてやってきた乗客が、事情を知って途方に暮れている。これから先の段取りもあるのだろう、カウンタ-の職員と掛け合って代替便を要求する人もいる。

地階にある免税店を一軒一軒仔細にチェックして、お土産を買い揃えた。果して上手な買い物が出来たのだろうか?

空港の地階のベンチで待つこと、やがて6時間。気が付くと、ぼくと同様に待たされている乗客は、ほとんどが日本人の観光客だ。ここはもはやフランスではない!

ひたすら待ち続ける間、所在なく、人間観察をする。新婚とおぼしきカップル、熟年の2人連れ、家族連れ、けれども圧倒的に多いのは卒業旅行若しくは買物ツア-に繰り出した女性のグル-プだ。

彼女たちは、どこにいても集団で行動する。外国ではそれが一層奇異に写る。どこにいても自分たちの枠を守り、自分たちの規範を、異質なものの中に持ち込んで憚らない。

集団で行動しながら、それでいて自分が個性的であることを願ってやまない。保身と主張のアンビバレントな心理。有名ブティックの大きな紙袋の中には、そうした彼女たちの戦利品が数多く詰まっていることだろう。

20時30分から航空会社が用意したレストラン「Les Palmes」(棕櫚)で夕食をとる。竹や棕櫚とおぼしき室内装飾が施されたエキゾチックな雰囲気の店内で、搭乗を今や遅しと待ちくたびれた日本人の乗客たちが、肩を擦り合うように詰め込まれて、テ-ブルに出された皿に挑む。

ぼくのテ-ブルには、ぼく以外は全て若い女性が席についた。3人連れの卒業旅行風女子学生、2人連れのOL。彼女たちのお喋りに、ぼくの入る余地はまるでなかった。あたかもそこに存在しないかのように、ぼくは黙々と食べた。

最初は野菜のパテ、次はマカロニと牛肉の煮込み、最後はお菓子のくずをまぶしたアイスクリ-ムが出された。ミネラルウォ-タ-を2人に1本あてがわれて、とても長い時間をかけて食事する。というのは、ゆっくり食事するというよりは、次の皿が出されるまでひどく時間がかかったということだ。とはいえ時間はたっぷりある。実際、それはどうでもいいことだった。

夕食を終え、料理が辛かったせいか、喉がひどく渇いた。体格のいい黒人の店員がいる待合フロア-の喫茶店でコ-ラを注文する。これが今回フランスでの最後の買物になる。手持ち21フランのところ、コ-ラは16.5フラン。これで読み通り見事にフランを使い切ったというわけだ。

しばらく喫茶店の座席でメモを取って時計を見るとちょうど22時。これから搭乗口の方へ移動する。

23時やっと搭乗開始。成田到着は16日の19時00分とのアナウンスがあった。23時55分、予定より少し遅れてフライト。

すぐに腕時計を日本時間に合わせる。16日の午前8時5分前だった。(了)



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2010年04月21日

南仏プロヴァンス ルールマラン カミュ墓参の旅19

1996-02-15(木)《7日目》

6時半起床。よく眠れた。いよいよフランス滞在最終日。待ちに待った最終日というべきか。ル-ムサ-ビスを8時に注文し、旺盛な食欲で全部たいらげる。

机について今日一日にすべきことを確認し、身支度を整えて9時半に部屋を出る。

チェックアウト後、ホテルのロビ-にある電話ボックスからトラベルサ-ビスに電話で確認する。シャルル・ド・ゴ-ル空港では、成田行きの便は第1空港であること、そして空港使用料(21フラン)は、ク-ポンに含まれているので支払いは不要であること。

外に出るとやはり寒い。ホテル近くのリセに通う、ため息が出るほど美しい女子生徒たちとは逆方向に、重いバッグを抱えてビル・アケイム駅まで行き、そこから地下鉄でモンパルナスまで出る。ぼくの目的はここでも墓地だ。

門を入り、右手に曲がるとすぐ先にサルトルとボ-ヴォワ-ルの墓があった。乳白色の御影石の墓に、彼らは仲良く一緒に眠っている。墓碑銘はなく、彼らの名前と生没年のみが、やや変形の墓石に彫り込んであった。上にサルトル、下にボ-ヴォワ-ル。

墓石の上には、何組かのバラの花束と花籠が無造作に据えられていた。ここモンパルナス墓地にはボ-ドレ-ル、ス-チン、ブ-ルデル、サンサ-ンスなど有名な文学者、芸術家が数多く眠っている。例えば…と、ボ-ドレ-ルの墓を探してみたが、やはり地図なしで見つけることは難しい。

今、ぼくはこのメモをサルトル、ボ-ヴォワ-ルの墓の前に置いてある、何の変哲もないベンチに腰掛けて書いている。周囲には、ぼく以外誰もいない。彼らの墓に背を向けた姿勢が少々気にかかる。どうかお許しを。

カミュの墓と同様に、サルトルらの墓も意外に質素なものであることに驚いている。生前、徹底した無神論を唱えた彼らにしてみれば、むしろこれは当然のことなのかも知れないけれど。

もう一度、墓に手を合わせてモンパルナス墓地を後にする。地図をみるとリュクサンブ-ル公園がそれほど遠くない。頭の中の地図を頼りに、見当を付けて歩き始めたけれど、やはり地図上で現在位置を確認するまで、かなり手間どった。

昨日とは違って、今日はバッグを抱えているだけに、出来るだけ手戻りは避けたい。どうにかリュクサンブ-ル公園に着いた。広い公園内には数多くの彫像が点在している。そのうちぼくがチェックしたいのは、次の3つだ。

まず、ボ-ドレ-ルの像。先程、モンパルナス墓地ではとうとう会えなかったので、ここでは何としても会っておきたい。次に、自由の女神像。これはニュ-ヨ-クにある自由の女神の原型だ。まったく同じポ-ズをしている。ニュ-ヨ-クのそれに比べるとかなり小型で、色黒の女神だけれど。最後はヴェルレ-ヌの像。彼にも是非会っておきたい。学生の頃、彼の詩は随分と親しんだのだから。

リュクセンブ-ル公園の北の端のベンチに座り、今はすっかり葉を落として幹と枝ばかりになった美しい樹木に目を奪われながら、このメモをとっている。アヴィニョンで買ったシャ-プペンシルはすこぶる調子がいい。フランスの文具もかなりなものだとふと見ると、小さな文字でJAPANと刻印されている。なんだ、これはまぎれもない日本製だ!

リュクサンブ-ル公園からサンジェルマン・デ・プレへ向かう。もう地図をしまって、自由気ままに歩き回る。

セ-ヌ左岸。学生街のカルチェ・ラタン。とても活気あふれる地区。セ-ヌから吹いてくる風、教会から聞こえてくる鐘の音、小粋な店が立ち並ぶ街角、通りを散策する人々、そして午後の柔らかな日差し。すべてがまぎれもなくフランスだ。今や、ぼくはまったくの「自由」を満喫していた。

こうしてパリ発18時30分のフライトまで、適当に時間潰しをすればいい。荷物は重いが、心は重くはない。これから先、適当なところでフランス最後の食事をして、空港に向かうことにしよう。2時過ぎの電車に乗りさえすればそれでいい…。                                          



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2010年04月20日

南仏プロヴァンス ルールマラン カミュ墓参の旅18

1996-02-14(水)《6日目》

昨夜は思わず夜更かしをしてしまい、7時にセットした目覚ましのブザ-が鳴るまでまったく覚えがなかった。それはホテル近くのス-パ-で買って飲んだビ-ルのせいだろうか、しっかりした熟睡感がある。

朝7時といっても、パリの空はまだ暗い。身支度を済ませて、昨夜のうちに注文しておいた朝食のル-ムサ-ビスを待つ。8時過ぎ、うぐいす色の、身体にピッタリのユニフォ-ムを着た黒人の係が朝食を届けにきた。

持っている大きなお盆をベッドの上に置くように合図して、5フランをチップに渡す。これでは少ないのだろうか?でも今は、小銭は5フラン硬貨しかない。

彼が「ミニバ-は使ったか?」と聞くので、「いや、何も使っていない」と答える。(正確にいえば、冷蔵庫の中にあるものは、何も飲んだり食べたりしていない。けれども、昨夜、ス-パ-で買ったビ-ルやヨ-グルトはその中に入っている、というべきか)

運ばれてきたプティ・デジュネ(朝食)は、温かいコ-ヒ-、ミルク、クロワッサン、バゲット、チ-ズ、バタ-、ジャムと、いたって簡単なもの。けれども日本人の胃袋には少し量が多すぎるのではないだろうか?そう思いながらも、ほとんど全部をたいらげる。

今、9時半になろうとしている。さあ、パリの街に繰り出そう。

パリの朝はとても寒い。南仏の気候とはこんなにも違うのだろうか?空はまだ完全に明け切っていない感じ。ホテルの部屋が暖かかっただけに、余計に寒気が身に沁みる。

まずセ-ヌの観光船(バト-・ムッシュ)に乗ろうと、アルマ橋を渡って乗船所まで歩く。10時を少し過ぎていた。次の船は11時とのこと。この寒さの中を、それまで待つわけには行かない。それではと近くの地下鉄駅(アルマ・マルソ-)からモンマルトルまで行くことにした。地下鉄の乗り換えも、かなり慣れてきた。

ブランシュ駅で降り、外にでるとすぐにム-ラン・ル-ジュが見える。ここはその昔、ロ-トレックが通いつめたという有名なキャバレ-。早速、その赤い風車を写真に撮る。昼間見るせいか、想像していたかってのベル・エポック時代の華やかさは微塵もなく、むしろ場末の映画館という風情に見える。

ここから先は、ガイドブックを片手に、まずモンマルトル墓地に行く。ここは是非一度足を運びたかったところ。スタンダ-ル、ゾラ、デュマ・フィス、ハイネ、ミレ-など数多くの芸術家の墓がある。墓地の地図を持たないので、それらが何処にあるのか皆目わからないが、とにかく歩いてみることにする。

広大な敷地。それでもパリの墓地は、ここが最大ではない。偶然、ベルリオ-ズの墓が見つかった。しばらくぼくの知っている他の芸術家の墓を探してみたが、とても見つかるものではない。

「いったい何故、人々はこのように立派な墓を造ることに躍起になるのだろう?」

ふとそのような疑問が浮かんできた。パリでは、いやこの国では、ここモンマルトル墓地に墓があるということ自体一つのステイタスなのだろう。それに比べてル-ルマランでみたカミュの墓は、何という慎ましさだったことだろう!

入口に戻り、外に出ようとふと見ると、門の壁に著名人の墓のインデックスが掲示されている。といっても詳細な表示ではなく、その墓の地区番号を表示しているのだが、それでもいい手掛かりになる。ものは試しと地区番号3番のスタンダ-ルの墓を探してみることにした。

ところが3番に行くだけでも大変だった。やっと地区番号3番に着いても、やはり余りにも多くの墓があってとても見つけられない。20分程探しただろうか、結局、見つけられないままとうとう諦めた。

墓地を出て、ガイドブックを便りに、ゴッホの家、洗濯船、ム-ラン・ド・ラ・ギャレットと写真を撮りながら歩く。

モンマルトルは何といっても観光名所。日本人の観光客にもよく出会う。そうした日本人観光客目当ての街頭画家もこの界隈には数多く、ぼくにも日本語で「似顔絵いかがですか?」と声を掛けてくる。その度に手を振りながら「ノン・メルシ-」と応じる。

モンマルトルの高台に聳えるサクレク-ル寺院からは、パリ市街の眺望が素晴らしい。残念なことに今日は、あいにく天気も思わしくなく、遠方は霞んでよく見えない。ともかくこういう日にここに来たんだという記念にパノラマで2枚写す。

寺院に入ると、中はほの暗い荘厳な大伽藍。歩き疲れたこともあり、しばらく椅子に腰掛けて「瞑想」に耽った。

サクレク-ル寺院を後にすると、ちょうど正午の鐘が鳴った。モンマルトルの急な階段を降り、曲がりくねった坂道をくだりながら、途中で見つけたレストランに入る。

野菜のス-プ、スパゲッティ、チョコレ-トム-スの日替わり定食45フラン、それにミネラルウォ-タ-(エヴィアン)を注文する。食事を済ませ、中国系のギャルソンにトイレは何処か聞いて、地下のトイレを借りた。

ピガ-ル広場。昼間でもかなり猥雑なところ。いかがわしいショ-劇場が立ち並ぶ。うっかり客引きに乗ると大変だ。ふと気がつくと片方の手袋がない。どこかに落としてしまったらしい。

咄嗟にいま来た道を引き返す。思わず急ぎ足になる。あった、あった。300メ-トルほど戻った歩道の上にそれは落ちていた。ホッとして拾い上げるぼくを、ちょうど通りかかった紳士が訝しげに見た。

長い間、歩きに歩いた。凱旋門からシャンゼリゼ大通りをくだり、ル-ブル宮殿まで。更にセ-ヌ河畔沿いに歩いて、シテ島のノ-トルダム寺院まで。途中、セ-ヌに架かる幾つかの橋を渡り、橋や右岸、左岸のパリの壮麗な建造物の写真を撮った。

地下鉄でビル・アケイム駅まで戻った頃には、もうすっかり日が落ちていた。ホテル近くの小さなス-パ-とサンドウィッチ屋で、夕食を吟味して買い求め、部屋に戻る。      


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南仏プロヴァンス ルールマラン カミュ墓参の旅17

再び市街地に戻り、文房具屋に入ってシャ-プペンと小さな手帳を1冊買った。合わせて41.5フラン。日本から持ってきたシャ-プペンは途中で芯がなくなり、手帳も残りわずかになっていた。

今、このメモはメインストリ-トに面した洒落たテント屋根のカフェでコ-ヒ-とサンドウィッチをかじりながら書いている。大きなバゲットを二つに割って、その間に生ハムを挟んだだけのサンドウィッチだがとても美味しい。

昨夜書いた絵葉書を投函しなければならない。郵便局を探して街を歩き回るけれど、なかなか見つからない。諦めて、切手だけならタバコ屋でも買えると駅方面に戻ろうとしたら、偶然、右手に郵便局が見つかった。

かなり大きな建物で、中に入ると今度は切手を売っている窓口がわからない。どこに投函するのかもわからない。とにかくそれらしい窓口に並んでみた。

窓口の若い職員のサボタ-ジュぶりには本当にあきれてしまう。客がどれだけ長い列になっても一向に気にせず万事マイペ-ス。何をしにいくのか、ふいに席を外してしばらく戻ってこない…。

やっと順番が来て絵葉書3枚分の切手4.7フラン×3枚を買う。投函する場所を探してフロア-をうろうろしていると、それを認めて今度は年配の職員が親切に声を掛けてくれた。そうか何もかもが問題というわけでもないのだ。

宿に戻ってバッグを受け取り、駅でパリ行きのTGVを待つ。とにかくこれで首尾よくTGVに乗り込めば、あとはパリ。この旅行目的の大半を終えたことになる。パリの2日間は、ぼくにとってはボ-ナスなのだ。気持ちを楽にしてパリを楽しもうと思う。

12時20分、ほぼ定刻どおりにTGVはアヴィニョン駅を発つ。8号車12番の通路側。窓側には、既に落ちついた感じの中年女性が着席していた。「パルドン」と断って席に着いた。

何かしら深い安堵感に満たされていた。やがて瞼が重くなり、つい眠りに落ちてしまった。目が覚めるとそこは日本…。いいや、そうではなかった。

パリに近づくに連れて、風景が変わってくる。南仏プロヴァンスとは違って、樹木はより丈の高い針葉樹が多くなる。空には雲が厚く垂れ込め、まだ午後3時というのに、日暮れのように暗い。とうとう雨が落ちてきた。

陰惨な冬のパリ。こういってもいいのだろうか、ぼくはパリにはあまり多くを期待していない、と。

パリの玄関口リヨン駅からは地下鉄で、宿泊場所のフランツ-ルスフランホテルまで。地下鉄の乗車も、何も心配することはなかった。東京の地下鉄とほとんど変わるところはない。

チェックインした部屋は7階の734号室。部屋のドアの内側に表示された定価は、部屋代910フラン、朝食75フランとかなり高価なもの。

部屋に落ちついて、荷物を解き、一息入れたところで、夜の街に出て周囲を散策する元気が出てきた。冬のパリの夜をたったひとりきりで…。                                                         



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南仏プロヴァンス ルールマラン カミュ墓参の旅16

1996-02-13(火)《5日目》

昨夜の雨がいい具合に上がった。部屋の暖房が弱くてとても寒かったので、夜中に起きてセ-タ-とズボンを着込んで眠った。8時半、支払い(186.5フラン)を済ませ、ホテルの女主人に、アヴィニョン市街を見物して11時半頃に戻るので、それまでバッグを預かってほしいと頼む。

駅前のレピュブリック門からアヴィニョン市街に入り、まず街の中心の時計台広場を目指す。通りを挟んだ色とりどりの店々のショ-ウィンドウが、雨上がりの澄んだ空気にひときわ美しく映えている。

広場の左手に重厚な市庁舎が見える。その先をさらに進むと広々とした法王庁広場に出る。右手に巨大な法王庁宮殿が聳え立ち、その威容は、左隣のノ-トルダム・デ・ドン大聖堂、とりわけその鐘楼の頂に聳え立つ壮麗な聖母像とともに見るものの心を威圧する。

かって中世において、宗教はこのように権威と権力を保持していたのだ。その左奥の高台にあるロシェ・デ・ドン公園からは、有名なシャンソン「アヴィニョンの橋の上で」で名高いサン・ベネゼ橋が見渡せる。ロ-ヌ川に架かる今は半分が倒壊した橋。遠くから見ると人々が輪になって踊るほど広くは見えない。折角ここまで来たからには、その橋の上に是非立たなければと思う。

橋の入口に行くのがやたら難しい。すぐそこに橋は見えているのに、そこに至る路地はまるで迷路の構造ですぐに行き止まり。やっとのことで行き着いた。入場料を10フラン支払って、ロ-ヌ河の静かな流れの上についに立った。今ここにいるのはぼくひとり。このロケ-ションは本当にすごいの一語に尽きる。

澄んだ空からは明るい日差しがさんさんと降り注いでいるけれど、やはり橋の上の冬の風は肌を刺すように冷たい。やがて10名ほどの日本人の観光グル-プがやって来た。中年女性ご一行のリッチな観光旅行と見える。髭をたくわえたガイドの男性はフランス在住の日本人だろう。すれ違い様、彼は一目ぼくを見るなり、

「おはようございます」といった。

「こんにちわ」とぼくは答えたが「おはようございます」の方がよかったのか?

戻る途中、入口のところで、卒業旅行と思われる日本人女性の二人連れに出会った。今度はぼくの方から先に声を掛けた。

「おはようございます」

そう云うと「こんにちわ」と彼女たちは答えた。

何やら、こんな所で、日本人なんかに声を掛けられたくないという素っ気ない受け答えだった。                                                




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