2023年11月28日

おそらくは人の手が入っているであろう道を歩く。
重い荷物をどうしようかと悩んだが、結局背負っていくことにした。
盗難に遭うとは思えないが、一応この荷物が我々のライフラインでもあるのだ。

歩きながらイツムが右を見ると常に海が広がっている。そして左側には少女がいる。その向こう側は茂みが続いている。
少女はイツムより頭ひとつ背が低い。それは彼女が立ち上がった時に分かったことだった。
日は間もなく暮れようとしている。遠くを見るとき全てがトーンダウンしているように思うのはそのせいだ。しかしまだ暗いと感じるほどではない。

二人は無言で歩いた。お互いのことを話すよりまずは状況を把握する方が先だった。むろん、猛獣が現れるような雰囲気では全然なかったので、ほとんどのんびり散歩しているのと変わりなかったが。

イツムは何となく彼女と手を繋いでみたくなった。これには大した理由はないのだが、何となくそう思った。

照れくさいような気持ちになりながらイツムが海を眺めながら歩いていたら、彼女が「あっ!」と声を上げて前方を指差した。そこには建物があった。

彼女は走ってそこへ向かった。イツムは走らず、歩きながら彼女の後ろ姿を見守った。
建物の上部には海の潮で錆びついた看板がついていた。何かのお店だろうか。
建物の近くにはプラスティック製のベンチがいくつか置かれていた。イツムが建物の前までたどり着いた時、少女はそのベンチに腰掛けて足を投げ出していた。

「たぶん夏の間になにかお店を出しているのね。看板や調理器具は幾分古びているけれど、冷蔵庫やシンクは綺麗にしてある。それにこのベンチも全然古くない。割れたりもしていない。ここはおそらくリゾート地なんだわ。」

少女はイツムを見上げるようにしてそういった。

おそらくそうだろうとイツムも思った。夏の間に人はここを訪れ、ひとしきり海水浴などを楽しんでから帰っていくのだ。ベンチの先には芝生が広がっており、その先には白い砂浜が見えた。そしてその先には海があり、空がある。多少薄暗くなっているとはいえ、その景色と色彩のコントラストはなかなかのものだった。

イツムは両手を腰に当てて「いいねぇ」といった。
少女はそれを見て笑った。

「ねぇ、私たち遭難してるのに全然緊迫感ないよね。」

「そうだね。確かに。」
といってイツムも笑った。

残りの道をぐるりと回って元の場所に戻ってきた。
建物のすぐ先には船着場のような場所もあった。しかし宿泊所のようなものは見当たらなかった。多分日帰りで遊びに来るところなのだろう。キャンプ場のような施設もない。
あの売店のような建物の近くにいる方がなんとなく便利そうな気はしたが、最初に流れ着いた場所に戻ってきたのは人の習性のようなものかもしれない。

荷物を下ろして一息つく。
すると少女が言った。
「ねぇ、そのリュック何が入っているの?山にでも登るつもりだったの?」
「ああ、大した意味はないんだ。今思えばなんでこんなものを背負っていたんだろうと思うね。」
「中身を見てもいい?」
「いいよ。」

彼女はリュックのチャックを開けて中身を検分する。
大量の缶詰、2リットルの水が数本、タオルと着替え、寝袋、その他ごちゃごちゃとした雑多なもの。

「遭難するために用意したみたいね。」
彼女は目を見開いてイツムを見た。

「そうだね。リュックも含めてドンキホーテで買い揃えたんだ。なにしろどこに行ってなにをするか、本当になにも決めていなかったから。」

「キャンプをするつもりだったの?」
「いや、それさえも決めていなかった。何でもよかったんだ。衝動買いみたいなもんだよ。」

少女はため息をついて言った。
「衝動買いでこんなに重い荷物を背負っている人を初めて見たわ。」

イツムはハハハと笑った。
「衝動買いしたのがヴィトンやカルチェじゃなくてよかったよ。少なくともこの数日間役に立つものばかりだ。」

海は紺色に染まり、日は暮れていく。
つまり、夜がやってくるのだ。


3

「そしてやがて、彼女は目を覚ました。
少し離れた場所からイツムはそれを見ていた。

「まず空の青が目に入る。」
長いまつ毛が動き、仰向けに寝ていた彼女はまず空の青を見た(はずだ)しばし何かを思考するような時間。

「怪我がないなら身体を起こす。」
いったん思考を停止したようにひとつ息をつき、彼女は身を起こした。スムーズな動作。やはり怪我はないようだ。そして自分の手のひらを眺める。それは彼女の身体の一部ではなく別の生き物を眺めるような仕草だった。そして海を見る。

「僕を見て驚く。」
彼女はあたりを見回すためゆっくりと腰を捻って上半身をターンさせた。肩まである濡れた黒い髪が彼女の動作に遅れてついてくる。そして彼女の瞳がイツムの存在を認めた瞬間、彼女は「ヒャッ」という鋭い息継ぎにも似た声をあげた。

ここまではイツムが想像したとおりだった。しかしここからの彼女の反応がどうなるかはわからない。とにかく彼は50%の微笑みを口元に携えて、彼女の次の動きを待つしかなかった。

かなり長い時間が経った。互いが互いに初めて野生動物を発見したように見つめ合っていた。
そして彼女はゆっくりと自分の周りを見て確認した。おそらく荷物がどこに行ったのかを探したのかもしれない。そうしてからもう一度イツムを見た。口がアウアウと静かに動いていた。それは散らばった言葉の断片をあたりの空気から集めているような仕草だった。
やがて、彼女はいった。

「わたしは、生きてるのね。」

ほう、とイツムは思った。若いのに取り乱したりしないんだ。彼は50%の微笑みを残したままうなづいた。

「そう、生きてるよ。痛いところはない?」
「痛いというよりは少しだるい。でも大丈夫。すぐに立ち上がるのは少し億劫だけど。」
「しばらくそのままにしていればいいよ。どうやらお互い時間だけはたっぷりあるようだからね。」

彼女は少し居心地が悪いといった感じで眉をひそめたが、イツムに対して嫌悪権や警戒心を持っているわけではなさそうだった。単に今の状況を把握しきれていないもどかしさがあるのかもしれない。

「あなたはここの人?」
いや、とイツムは首を振った。
「僕は乗っていた船が転覆してここに流されてきた。おそらくは君と同じように。」

彼女は柔らかそうな唇を指でなぞりながら何か考え事をしているようだった。
イツムは少女の思考を邪魔しないように黙っていることにした。何度か波が寄せてきて岩場の岩を打った。

「沈んだかな。」
と彼女は掠れた声で呟くようにいった。

わからない、とイツムはいった。
「僕らは遭難してしまったようだ。でも心配はいらない。実は僕も目覚めたばかりでここがどこだかよくわかってないんだけど、調べてみれば近くに人がいるかもしれない。もし誰もいなくても僕は食料と水をたくさん持っている。数日間なら困ることはない。それに船が事故を起こしたとなればすぐに何らかの対応がなされるだろう。つまりドラマや漫画みたいな苦しい体験をすることはない。僕らはすぐに救助される。ところで、君はスマホか何かを持っているかい?」

彼女は自分の身体を見回して両手で何かを探すそぶりをしたが、そもそもワンピースにはポケットも何もついていなかった。

「多分、鞄の中に入ったままだと思う。」

「オーケー。とりあえず僕はあたりを散策してみようと思う。連絡手段がないから僕らはしばらくここにいなければならないだろうと思う。民家があればそれで問題は解決だけど。もし、見たこともないような猛獣がいたら走って戻ってくるよ。」

イツムがそういうと少女はクスッと笑った。

「私も一緒に行く。」








2

「荷物はとりあえずそのままにして、イツムは女性の方へと駆け寄った。
彼女もまたつるりとした岩を抱くようにして岩場に引っかかっていた。同じ船に乗っていたのだろうか。
靴と靴下を脱いで彼女のそばにより、腰をかがめて彼女の鼻の下に手をかざした。
「うん。息をしている。」
次に彼女の両脇に手をかけて引っ張り上げた。思ったとおり体重は軽い。平らなところまで移動して仰向けに寝かせた。

イツムはふうと息をついて彼女の横にあぐらをかいて座った。
彼女もまた海水を多く飲んだ形跡はなさそうだ。傷らしい傷もない。どうやら船が遭難した現場とこの島はかなり近かったらしい。「i Phone」を見ていたせいで周りの景色のことなど気にしていなかった。
一度海の方を仰ぎ見る。

改めて彼女のことを見る。
色白で小顔。広いおでこはつるりと皺ひとつなく、そこに黒い髪が数本張り付いていた。長いまつ毛、唇はピンク色で少し開いた口の奥には小さく綺麗な歯が見えた。ちょこんとした鼻は幾分ぽってりしているがそれがチャーミングな印象を抱かせる。
年齢は10代だろうか。肌の質感からあどけなさを感じるが、左目の目尻と首筋に小さなほくろがあるのが、少し大人びた雰囲気を醸し出していた。

あまり不躾にじろじろ眺めるのもよくないなと思いながら、イツムは荷物を取りに行くため立ち上がる。
そして歩きながら頭の中で彼女の姿を思い浮かべる。
白いワンピースは濡れて身体に張り付いていたため、彼女の身体の線はよくわかった(厚手のサテン地だったため透けてはいなかった)
細身で小柄。肩のラインや腰のラインは少女を抜け出した大人の色気を感じさせないでもなかった。手元首元に装飾品はなし。白いサンダルを履いていた。旅行するにはえらく身軽なような感じもしたが、おそらく手荷物の中に上着やその他のものが入っていたのだろう。

「えいっ」と声を出して重い荷物を背負う。
総合的に考えて、いや、くだらない分析を行うまでもなく、彼女はかなり美人だといってよかった。
例えばイツムがこの島の住民でもっと若ければ、ビーナスが降臨したと考えてもおかしくはないぐらいには。

少女の傍らに戻ってきたが彼女はまだ目を覚ましていなかった。
もう一度鼻の下に手をかざす。
ちゃんと規則正しく息をしている。

「よいしょ」と声を出して荷物を下ろす。
なんだってこんな重い荷物を持ってきたのだろう。自分でも意味がわからない。
先ほどの感覚を思い出せば、もしかしたら彼女よりも荷物の方が重いかもしれない。
しかしこの荷物が仮にも遭難した今、ひとつの安心をもたらしてくれるのはありがたかった。

夏の終わりの心地よい風が吹いていた。
服はあらかた乾いていた。
彼女の胸は安らかに上下していた。
イツムは彼女が目覚めた時のために、少し離れた場所に腰を下ろした。

そしてやがて、彼女が目を覚ました。」



夢ともうつつともいえない静かな闇の中で僕は妄想する。

1
「船の手すりから手を離した瞬間、イツムは宙へと投げ出された。空には美しい青があり、海には美しい青があった。そしてその中間にイツムの不安定な身体があった。
つい先ほどまで船は何事もなかったように航行していたのだ。それがなぜこうなったのか。わからない。突然薄っぺらい鉄の板を引き裂いたようなひどい音がして船が思いきり斜めに傾いた。あっと思うのも束の間だった。船は沈むのだろうか、他の乗客たちは大丈夫だろうか。自分の境遇はそっちのけでイツムは考えたが、現在の体勢から船の様子を窺い知ることができない。「そうだ、背負っている荷物をおろさなきゃ」と思った瞬間、イツムは海面に叩きつけられるような音を立てて着水した。その時点でイツムは意識を失った。

次にイツムが意識を取り戻した時、彼は岩場のような場所に引っかかっていた。うっすら目を開けると幾分薄くなった空の青が見えた。多少身体が重く節々に痛みはあったが致命的というほどではない。気分が悪いということもない。
恐ろしく重い荷物を背負ったままだったので普通であれば海に落ちた後そのまま沈んでいくのが道理だが、船が作り出した海流がいい影響を及ぼしたのか彼はうまく助かったようだ。
リュックサックのベルトから肩を抜いて荷物をそこに据えたまま、彼は岩場の上によじ登ってみた。
遠く海を見渡してみるが、船の姿はどこにも見えない。ただ波が静かにランダムに動いているだけだ。遠くにはいくつかの小島が見えるが、どのくらいの距離があるのかはわからない。

次にあたりを見回すと左右の岩が邪魔をして全体像が定かではないが、ここもまた小さな島であるようだった。海辺の輪郭を見れば何となく想像がつく。
海とは反対側を向いて眺めてみると、そこには舗装はされていないものの道のようなものが見えた。どうやら無人島ではなく人がいるようだ。
イツムは無意識で上着のポケットをまさぐっていた。「iPhone」を探しているのだ。しかしポケットの中に「iPhone」はなかった。海の中で落としたのだろうか。きっとそうだろう。

とりあえずイツムは岩場から重いリュックサックを引き上げ、平らな場所まで移動した。身体は濡れていたが寒いということはなかった。それに荷物の中まで海の水が入っていなければ、着替えは存分にある。
自分の背の高さにも及びそうな荷物のチャックを開け、中身を確認してみる。どうやら浸水は免れているようだ。一体どのくらい海中にいたのか定かではないが、なかなか優秀なリュックサックである。
ふと右側を向いてみると、道は右側にカーブしてそこからは見えなくなっていた。左側を向くと道は左側にカーブしている。
ここが島であることは想像に難くなかったが、どうやらそれほど大きな島ではなさそうだ。これならすぐ人もみつかるかもしれない。

そう思いながら海の方向を見渡してみると、岩場の向こう側に白いものが横たわっているのが見えた。
よく目を凝らしてみると、それは白い服を着た女性のようだった。」


昨日一番最初に電話をかけたY医院に行った。
ここは今まで何度もお世話になっている病院だ。
ここの先生は一体名医なのか分からんが、僕は彼のことが嫌いではない。

受付で事情を説明するとすぐさまにこやかにロビーに通してくれた。
診察券を持っていなかったが特に咎められなかった。
まるで昨日のひどい顛末を見ていたかのような理想的な対応であった。
しかし僕は財布を新調した時、診察券の類を何かの袋に入れて取っておいたのだが、一体何の袋に入れたんだっけな。その行為自体は覚えているのだが、ディテイルを思い出せない。

数人が待っているロビーではなく、レントゲン室の前あたりに椅子が用意されてそこで座って待つように言われた。たぶん昨日聞いた「隔離する」というのはこういうことなのだろう。街の小さな病院だ。コロナやインフルエンザの患者のための「隔離室」なんてあるわけがない。みんなアイデアを絞って対応しているのだ。
そこは暖房が届かず少々肌寒かったが、むしろ熱で火照った体には都合が良かった。あまり暖かいと汗をかいてしまうのだ。

程なくして僕の名前が呼ばれた。
目の前にある診察室のドアが自動的にスルスルと開いたように見えたが、単に内側から先生がドアを開けただけだった。
「お久しぶりです。」
と先生はいい、椅子に座るよう促した。
僕も、
「ご無沙汰してます。」
と挨拶してから椅子に座った。

PCの画面には以前僕がこちらにお世話になった時のデータが表示されていた。
2021年。8月。コロナ陽性。

僕は遠い昔の記憶を辿っているような気分で画面をぼんやりと眺めていた。
実際はコロナに罹患した後も何度かお世話になっているからそちらのデータも表示されている。

「熱が高いまま下がらない。しんどいですか。」
僕は事情を説明した。昨日急に発熱したこと。その前日ドラムを叩いて疲れたと感じたこと。
熱は高くなかなか下がらないこと。咳や鼻水の症状はないので、日常的な生活においてしんどいということはないこと。

先生は僕の話を聞きながら、断片的なキーワードをPCのメモに入力した。

「熱、さがらない」
「つかで、あり」
「関や花なし」

先生はPCの入力があまり得意ではないようだ(苦笑)とにかく忘れないためのメモなのだろう。
あるいは僕の話を聞いている間、何となく手持ち無沙汰だっただけかもしれない。

「わかりました。では検査をしてみましょう。コロナとインフル同時に検査します。オーケー?」
先生は上目遣いで僕を見てそう言った。
僕は
「オーケー。」
とは言わず、
「お願いします。」
と言った。

先生は奥へ引っ込むと検査キットを持って戻ってきた。
細長い棒の先端に硬めの綿がついている。それを僕の鼻の穴に突っ込みぐりぐりと粘膜を採取した。
鼻の奥がツンとして、僕は思わず頭を引いたが、先生は構わずさらに棒を突っ込んできた。
わかってはいるけど、嫌な感覚だね。

しばらく元の場所で待つように言われた。
僕はレントゲン室前の椅子に腰掛け、結果を待った。

すぐに診察室へと呼び戻された。
先ほどと同じように椅子に座るよう促される。
そして先生はデスクの上に2枚のプレートを置いた。

「コロナ、インフル、どちらも陰性です。ほら、陽性だったらここのところにラインが浮かび上がる。前にやったから知ってますよね。今回はどちらもラインに反応はありません。
症状が出てから24時間以上経過しているからまず結果に間違いはないでしょう。熱は2〜3日続くかもしれませんが安静にしていればいずれ下がります。念の為解熱剤を出しておこうか?もし風邪薬を持っているならそちらを使っていただいて構いません。ほら薬もそれなりに料金がかかるからね。」

僕は先生にお礼を言った。実に、非常に安心できる言葉の数々であった。
解熱剤は持っているので、薬はなしにしてもらった。

家に帰って熱を測ったら、当たり前のように38度を超えていたが、僕が今戦っているウイルスはあの悪しきブランドではないことがわかったのでひと安心した。熱が下がればすぐにでも外に出て人に会うことができるのだ。

とはいえ、熱が下がればの話である。今は絶好調に(というべきかわからないが)発熱しているから、残念だけどDo-Oversのリハーサルはやはりキャンセルさせてもらった。

満を持してベッドに飛び込み目を閉じる。
熱さえ下がればアップデート完了だ。

意外にもポジティブな気分で僕は新たな妄想に着手する。





帰宅して再びスウェットに着替え、ベッドに潜り込んだ。
身体の中に北風が吹き荒んだような寒気がした。代わりに布団の中は自らの熱で急速に温まっていく。
僕は目を閉じた。部屋の電気はつけっぱなしだったがとりあえず放っておいた。
目が覚めた時に真っ暗だったら、身動きが取りにくいし少々寂しい。

熱が出た時、僕は「現在自分の身体はアップデート中である」と考えることにしている。
つまりウイルスと戦っている際に、僕の細胞は新しいものに入れ替わり、新しいOSに切り替わる。ウイルスに勝利した暁には、新しい自分に生まれ変わっているという感覚。

それにしてもいつもの通り僕は眠りにつくのが上手ではない。
目を閉じてすぐに眠れる人が羨ましい。あれはどういうマジックなんだろう。

仕方がないので、何か面白そうなことを妄想してみる。
大体定番はスポーツの試合(野球やサッカーやボクシング)かSFチックなストーリー(海底都市があったらとか、火星に人が住んでいたらとか)が多い。
音楽のことを考え始めると、もっと眠れなくなって楽器のところに行かなくてはならなくなるから、努めて考えないようにする。

しかしいつも同じように妄想しているから大体ストーリーは決まっている。
例えばスポーツの試合の場合はかなり自分に都合がいいからほとんど絶対負けない。(というか圧倒的に勝利する)SFの方も大体自分の好みで展開していくからあっと驚くようなことはない。
そりゃそうだ。全て自分の頭の中で起こっていることだもんな。

ふと気がつけば3時間ぐらい経っていた。
自分では眠っているつもりはなかったけれど、おそらく少しは寝られたようだ。
明るい部屋の中、むくりと起き出し、熱を測ってみる。
「38.5度」

うむ、状況に変化なし。只今幹也はウイルスと交戦中なり。

時間は深夜に差し掛かろうというところ。
汗をかいたのでTシャツを着替えて身体を拭いた(このペースだとTシャツを大量に交換することになるので、タオルをサラシのように身体に巻き付けてみた)

暫定的な時間が流れる。この時間を何か有効活用できないものかと考えるが、本を読むのも映画を見るのも音楽を聴くのも全て面倒に思えた。身体の半分がウイルスとの対応を強いられている以上、それ以外のことをするのが非常に億劫なのだ。

もう1度ベッドに入って目を閉じた。
眠れなければ眠らなくていい。
ただ静かに目を閉じているだけでいいのだ。

朝になったら何を食べようか。
幸い僕は風邪をひいても食欲がなくなるということはほとんどない。
というより、むしろ普段食べているものより濃厚な料理(例えばスパゲッティーナポリタンとかケチャップがたっぷりかかったハンバーグとか)が食べたくなる。どうしてだろう。

とにかくだらだらと妄想を繰り広げながら目を閉じて横たわっていると、突然体温が上昇していることを感じる。
ベッドから起き出して体温を測ってみる。
時刻は午前4時。また少し眠れていたようだ。

そして体温計は「39.2度」を表示していた。

本来アップデートはナチュラルに行われるべきだ。なのでここまで僕は薬を一切飲んでいなかった。
自然に治癒するからこそ新しいOSはたくましく頑強になると信じている。
しかしここまで熱が上がると流石に体がきつい。
できるだけケミカルなものを体内に入れたくはないが、OSがオーバーヒートしてしまったら元も子もない。
僕は解熱剤を探してきてそれを飲んだ。

僕は僕の細胞たちがウイルスと果敢に戦っているところを想像した。
おそらくそれはかなり激しい戦闘であるはずだった。
なぜなら39度を超える熱なんてなかなか出ないから。

しかしあくまでもあたりはとても静かだった。
心臓の鼓動がいつもより早いテンポでカウントをとっているだけだった。


2023年11月27日

僕はスウェットを脱いでジーパンを履き、ネルシャツに着替えた。カバーオールを羽織って首にマフラーを巻き、マスクをつけた。外の気温がどんなものかわからないが、おそらくこれぐらいの装備で十分だろう。別にとても遠いところで長時間寒い風にさらされるわけではないのだ。

歩いて病院に行ってみると(それくらいその病院は近い)待合所には多くの人がいた。この病院は大きな商業施設の中にあり、施設にはいくつかの病院がまとまって入っている。それぞれの病院の中にロビーはあるが、踊り場が待合所のようになっており、ロビーに入りきれない人はそこで順番を待っている。
僕はまず、迷うことなく〇〇クリニックの中に入った。

「すいません。先ほど電話した者なんですが、熱が出まして。」
と僕がいうと、マスクをした女性がチラリとこちらを睥睨して、
「初めてですか。」
とそっけない口調で聞いた。
「いえ、数年前に一度かかったことがあります。」
「診察券は?」
「すいません。随分前のことなのでどこにあるかすぐにみつけられませんでした。」
女性はうんざりしたといった感じで「はぁ」とため息をつくと、
「保険証をお願いします。次回からはちゃんと持ってきてくださいね。診察券。」
と言った。
彼女の前にいると、なんだか悪いことをして怒られている子供のような気分になってきた。
確かに診察券を持ってこなかったのは僕の過失だが、それでそんな態度をされなくてもよさそうなもんだが。

カウンターの上に保険証を出すと、彼女はそれを受け取りコピーをとった。
「ではこちらの問診票に必要事項を書き込んで、あと体温計で熱を測って下さい。中は混み合っているので外でお願いします。」
ここまでのやり取りの中で彼女と目があったのは1番最初の1回だけだけだった。
「わかりました。」
と言いながら、僕はマフラーをとった。外を歩いているときはちょうどよかったが、こうして室内に入ると少々暑い。
すると女性は僕のことを再び見て、
「外で。」
といった。
僕がマフラーを外し始めたので、ロビーで問診票を書こうとしていると思ったのだろう。
僕はマフラーを片手に持ち、もう片方の手で問診票が挟まったボードと体温計を持って、
「わかりました。」
ともう一度言った。

待合所には長いソファーが設置されており、そこには数人が座っていた。
老人がおり、親子連れがおり、仕事帰りのサラリーマンらしき人がいた。
座れるスペースは多少空いていたが、僕は立ったままで問診票を書くことにした。
必要事項を記入し、ネルシャツのボタンを外して体温計を脇に挟んだ。
僕の向かい側にはやはり僕と同じように立っている女の子がいた。
彼女は眼科の脇でスマホを眺めていた。
紫色の地に暗い赤の花が大胆にあしらわれたかなりサイケデリックなワンピースを着て、ヘビーデューティーなブーツを履いていた。上着はなし。
高校生か大学生ぐらいだろうか。彼女はスマホから目を離して少しだけ僕を見たが、特に興味があるわけでもないようだった。片方の膝を少し曲げ、「休め」のような格好で再びスマホの画面に戻っていった。

体温計は「38.1」度を表示した。僕はちょっと安心した。ここで熱が下がっていたらなんのために検査に来たのかわからなくなってしまう。

問診票に現在の体温を書き込み、カウンターに返却した。
受付の女性はそれに気づかないかのように何か他の業務に没頭していた。

再び待合所に戻って同じ場所(つまり女の子の向かい側)に立っている。

数年前、腹痛が我慢できなくなりこの病院にかかったことがある。
歩くのもままならない状態で息も絶え絶えやってきて、受付に症状を告げると、
「現在順番待ちなので外でお待ちください。90分ぐらいかかります。」
とこともなげに言われた。
「では90分後にもう一度伺ってもいいですか。何しろかなりお腹が痛いので一旦家に帰って横になっていたいんです。」
というと、
「確実に90分というわけにはいかないんです。順番通りにならないこともあるのでさらに時間をいただくかもしれませんよろしいですか。」
と少し苛立たしげに言われた。
まるで「私は今外で待てっていったよね。聞こえてた!?日本語わかる!?」
とでもいいたげだった。
僕は「わかりました」といって待合所で待つことにした。
腹は痛いが、とにかく診てもらわないことには自分の身体に何が起こっているか分からない。

90分後に僕の名前が呼ばれた。その後ロビーに招き入れられさらに数十分待たされた。
もう一度僕の名前が呼ばれて診察室へ。
そこには気の良さそうな老人が白衣を着て座っていた。
「お腹が痛いんだね。では横になって下さい。」
僕は言われるまま診察台に横になった。お腹を出して触診する。
「胃腸炎だね。お薬出しとくから、それを飲んで様子見て。1週間後にまた来なさい。」
と言ってカルテに何かを書き込んだ。その間5分。

僕はなんとなく納得いかないような気分であったが、とにかく診断は下された。
そして医者の言う通り薬を飲んで様子を見ていたが、1週間経っても症状は全く改善されない。
むしろ状況はひどくなっているようにさえ思える。

またもや我慢ができないような痛みに苛まれ、今度は別の病院に駆け込んだところ、盲腸が腫れて腹膜炎を起こし、さらにそれがひどくなって腸に穴が空いてしまっていた。
僕は直ちにタクシーに乗り、大病院に入院することになった。
症状を1週間も放置したことで命の危険さえある状態にまで悪化していたのだ。

あれはひどい経験だった。最初からちゃんと診てくれていればもう少し話は簡単だったのだ。

そして今僕はその「誤診」した病院の前で順番を待っている。
数年前と同じく感じの悪い受付を経て。

ふと気付いて幾つかの場所に連絡した。
場合によっては明日、明後日のスケジュールに支障をきたすかもしれないのでそれを念の為伝えておく必要があった。
事情を説明すると、ある人がいった。

「発熱してすぐに検査をしても、症状が安定しないうちは正しい結果が出ないことがある。だから今見てもらっても正しい判断はできないと思うよ。少なくとも24時間は待った方がいい。だから今日は家に帰って安静にしておいた方がいいよ。もちろん明日の予定はキャンセルした方がいいね。」

それを聞いてなぜだか少しホッとした。
僕はなんとかして全てのスケジュールをこなしたいと思っていたが、なんともならないこともある。
人間が不安定な存在である以上、これは致し方ないことなのだ。

僕は片手に持っていたマフラーを首に巻き直した。
向かい側にいたサイケデリックな女の子が僕のことをチラリと見た。

受付に行って、女性に告げる。
「すいません。申し訳ないんですが診察をキャンセルします。」
女性は少し驚いたような目をした。それが僕が見た中で彼女の一番人間らしい表情だった。

僕は踵を返して受付を出た。
サイケデリックな女の子はいったいどこが悪くて順番を待っているのだろうか(病院の順番を待っている以外に彼女がそこに佇んでスマホをいじっている意味はないと思われた)ちょっと聞いてみたかったけど、もちろん声などはかけなかった。

とりあえず、お家に帰ろう。
てくてくと歩きながら、僕は脈絡もなく思った。
「まったく、危ないところだった。」

頭のてっぺんから湯気が出そうなくらい熱が上がっている。
これ以上、何が危ないのかよく分からないが、とにかくそう思った。




(続き)

時刻は午後5時過ぎ。いくつかの病院はまだやっている時間だ。
僕は行きつけの内科医に連絡してみた。

「突然発熱しまして。どういった症状なのか診てもらいたいですが。」
と丁重に問うと、受付の女性は、
「本来であればすぐに来てくださいと言いたいところですが、現在コロナやインフルエンザの影響が依然強く、他の患者さんたちが不安に感じることもあるようなので、うちでは隔離して検査を受けてもらうことにしているんです。なので受け入れの態勢を整えるのに少々お時間がかかるんですね。そうなると現在の時間を考えると、ちょっと今日は難しそうです。申し訳ございません。」
と丁重に答えてくれた。
「ちなみにそういった処置なしで受け付けてくれる病院もございます。〇〇内科とか、〇〇クリニック、それから〇〇耳鼻咽喉科も風邪の症状を診てくれるそうです。まずはそちらに当たってみるというのも手かと思います。むろん明日であればうちでも予約なしで来られても対応できます。申し訳ございませんがよろしくお願いいたします。」
彼女は恭しくそのように教えてくれた。僕はありがとうとお礼を言って電話を切った。

なるほど、確かにコロナは5類になってからニュースなどでもあまり取り上げられることがなくなったが、現在もかなりの患者がいるらしいし(じゃああの狂乱の報道はなんだったんだといいたいし、今はなぜなんの報道もしないのかともいいたいが)インフルエンザも今年はかなり猛威を奮っていると聞くので、病院の判断を咎めることはできない。

とりあえず電話を切った勢いで、〇〇内科に電話をかけてみた。
コール音が鳴るのみで不通。
〇〇耳鼻科は遠いので却下。
となると〇〇クリニックか。

うーんどうしよう。
〇〇クリニックといえば数年前に結構痛い目に遭わされたことがある。
しかしまぁコロナかインフルではないかを検査してもらうだけだからな。

何しろこういう時は勢いが大事である。
色々逡巡しているうちに時間は刻々と過ぎて行くのだ。

「5時45分までに来れます?」
電話して事情を説明すると、表情のない平坦な声でいきなりそう聞かれた。
「はい、近所なのですぐ伺えます。」
「じゃあ来てください。失礼します。」
「あ、あの、こっちの名前とかお伝えしなくていいですか?」
と聞くと、一瞬鼻で笑ったような息がフンと聞こえたあと、
「大丈夫ですよ。では失礼します。」
といって電話は切れた。

やれやれ、相変わらずのクオリティーっぽいぞ。大丈夫かな。

(続く)




昨日は日がな一日ゴロゴロして過ごした。
疲れていても元気なら別に問題なく動けるが、とりわけ身体がなんらかの危険信号を発していたので、大事を取るより仕方がない。
しかしその甲斐もあって、体調は回復に向かっていた。

毎日、今年は例年に比べてひどく暖かいといった報道がなされているが、とはいってもやはり午前中の部屋は薄寒くはある。活動し始めたら自身で発電するからあったまるんだけど、朝起きたてはまだエンジンが低調である。
ランチにも似た時間に朝ごはんを食べ、本日やるべきことを確認する。

ブロークンTVライブ終わり、部活終わり、明日はDo-Oversのリハーサル。その次はディサロ水城さんのリハーサル。12月には岐阜2デイズコンサートが待っている。あとはブロークンTVの定例のリハーサルもある。

まぁどのバンドも今までやってきたバンドだから、その場所にいるニュアンスを思い出せればいい。
楽曲を聴いてその空間に身体を馴染ませるのだ。

さてとPCの前に座り作業開始。
ところが、なんというかまたもや背中に寒気を感じる。太ももや二の腕の表面にピリピリと痛みが走る。立ちあがろうとすると膝の関節から油が抜けてしまったみたいにギスギスする。
うーん困りましたなと思っていたら、突然顔がたこ焼きみたいに熱くなってきた。たこ焼きを食べたみたいにではなく、自分自身の顔がたこ焼きになったみたいに。アンパンマンの登場人物にたこ焼きマンなんていたかな?
風邪の始まりって映画みたいにバーンとタイトルが来るわけような感じじゃなくて、比較的穏やかに気がついたら具合が悪いといった状況が多いと思うのだが、今回の風邪のオープニングは映画のそれだった。
PM4時、宇宙から隕石がビューンと飛んできて僕の背中にガツンと当たり、そして僕の体は氷河時代に突入し、頭はマグマのように沸騰し始めた。以下、タイトル、

「風邪、始めました」

いやいやいや、困ります。予定がたくさんあるんです。
念の為体温計で熱を測ってみた。38.5度と出た。

「ほう、38.5度ですか。結構ありますな。」

体温計に常軌を逸した数値が表示されるとちょっと嬉しいのはなんでだろう。学校が休めるとかそういううのの名残かしらん。

いかんいかん、困ります。
しかしこの時点で僕には余裕があった。なぜか。
確かに体温は上昇し、体温計のメモリは38.5度を示しているが、僕の経験上この高温はさほど長く続かないはずだ。その証拠に寒気とだるさはあるが、喉が痛いとか、咳が止まらないとか、鼻水が滝のように流るるとかそういうのはない。つまりこの熱は悪寒が足の先から抜け出てしまえばすぐに治るタイプの発熱だ。せいぜい24時間といったところだろう。

ただし、懸念すべき点があった。
この発熱の症状が「コロナ」や「インフルエンザ」によるものだったとしたら少々話が違ってくる。
何しろそれらのブランドを身につけてしまうと、突然社会悪のレッテルを貼られてしまい外出するのも憚られるような状態に陥ってしまう。
まさに呪いのウイルスである(呪われないウイルスがあるのか知らんが)

何度か体温計で体温を測り直し、間違いなく38度を超えていることを確認する。
唇は明太子みたいにぼてっと真っ直ぐだ。僕の顔はなんらかの感情を表現することを保留にしようとしている。(多分久しぶりに熱が出たのでなんか嬉しいのだ(笑)しかし喜んでいる場合ではないのだ)

とにかくまずは病院に行って呪われたブランドを身に纏っていないかを確認した方が良さそうだ。

(続く)



2023年11月25日

昨日は結構飲みすぎたかもしれない。
起きようとするけど体が重い。

今日は「部活」と呼ばれる小さな会に参加する。
友人の会社には「かつてはバンドをやっていたが今はやっていなくて、でっかい音でギターをかき鳴らせるところがない」という人が結構いるらしく、友人が中心になってそういう人たちを集め、演奏ができるバーのようなところで「部活」と称したイベントをやっているのだ。
僕はその会社とは全く関係ないんだけど、友人が「ドラムがいないからきてほしい」と頼むので好意で参加しているというわけ。(めちゃくちゃたくさん演奏して挙句会費まで払うというひどい処遇ではありますが、まあ友人の頼みなので仕方ない)

夕方から参加したのだが、まだちょっとフラフラしていたので、飲み物はジンジャーエールにしておいた。
参加している人たちは自分の演奏したい曲をかなりきちんと練習してきている。
素晴らしいことだ。
ちなみにこの会に僕が参加するのは3回目なのだが、前回は1年前に開催されたのだそうだ。
そんなに時間が経ったか。ついこの間かと思っていた。

そして息つく暇もなくひたすら演奏である。
みんなはやりたいばっかりだから、次から次へと曲の注文が来る。
僕は半ば譜面もない状態でみんなの空気に合わせて演奏する。(もちろん以前やったことがある曲がほとんどなので覚えている曲の方が多いけど。)

怒涛の4時間。変わるがわるステージに上がってくるメンバーに対応しジャンジャンドラムを叩いた。
なんかこの100人組み手みたいな感覚って嫌いじゃないし、ちょっと難しいフレーズを出すと「おおー!」とか声が上がるから(みんなは絶好調に酔っている(笑))そりゃ楽しい。

会が終わってみんなに挨拶し、電車に乗る。
しかし、疲れた。
なんなら通常のライブより疲れた。
電車では座れなかったので入り口付近にもたれて立っていたが、スマホや小説を取り出す気力も起こらなかった。

そして電車を降りた時、はたと僕は立ち止まってしまった。
肘や膝がギシギシと音を立てている。背中にはざわざわとした寒気が「毛虫」みたいに這い回っているし、神経がショートしてパチパチと音を立てているように痛い。
このまま荷物を下ろしてうずくまってしまいたいと思った。
まるで登山道の山小屋の中で「このまま少しだけ眠ってしまおう」と思うように。
「年を取るってことは若い頃簡単にできていたこともなかなかできなることなんだなぁ」

「いかん!」
と僕は頭を振った。
そしてわざとブルンと派手に荷物を背負い直した。
これは僕が年老いて動けなくなっているわけではない。

久しぶりに来たな。この症状。このムーブ。
これはあれだ。いわゆる、風邪だ。

とりあえず安らげるところまで帰る。