2012年09月02日

原子力推進政策の誤り

原発がとても危険なものであることは、3.11の地震がよく証明していることである。放射性物質を原発の施設が放出したという事実は、人が住むことのできない高濃度汚染地域を、広い範囲に生み出すという結末を残した。地震が起きたから、原発の危険性が顕在化した、と思われているようだ。随伴現象で津波が発生し、それが原発を浸水させたことは明白な事実。原子炉建屋が浸水したからといって、それが放射性物質を大気中へと拡散させた原因となった訳ではない。厚さにして3mのコンクリート壁で覆われている原子炉建屋を、一瞬で破壊した水素爆発を引き起こしたということが、有害な放射線源と放射能とを、大気圏と海洋へと同時に漏出させた原因であったのだった。

水素爆発がもし起きていなければ、放射線による被曝は問題化していなかった。原子炉を冷却するためのシステムは、ジーゼル発電機で維持されている。その燃料は軽油である。津波が襲っても、それだけでは頑丈に作られた原子炉建屋を、一瞬で吹き飛ばすほどの能力はない。巨大な破壊力を示す水素爆発のエネルギーを高めさせたものは、水素の供給源である大量の冷却水の存在と、核分裂反応による増加し続ける熱の関与、そして水から遊離した水素分子を圧縮させていった、原子炉建屋の頑強なその密閉性の高さにある。水素は圧力を高めれば高めるほど、その開放エネルギーを巨大化させるものとなる。

四つ作られていた原子力災害の事故調査委員会のどれもが、放射線源と放射能の拡散に関する検証に終始し、それを実行させた水素爆発について、深く言及していなかった。唯一技術系社員のいる東電の事故調でさえ、水とジルコニウムが反応した結果、水素を派生させたと推察される、という表現を採用して終わっていた。水が水素と酸素との化合物であることから、大量の水素を供給した原因物質であることは疑う余地がない。配管金属であるジルコニウムは、融点と沸点とが共に高いものであることから、熱を蓄えて水を熱分解させた媒体となっていた可能性が高い。最大の要因であるはずの熱の供給源は、核燃料が分裂する際に起きる崩壊熱の一方的増加、つまり熱暴走という状態以外に考えられない。

冷却水は崩壊熱の発生を抑制するために、常時循環させておくことで冷温停止状態を保っている。ジーゼル発電機の電力が冷却水を循環させるポンプを動かし、熱が上昇することをうまく妨げていた。水素爆発を人為的に引き起こすためには、ジーゼル発電機を止めてしまえばよい。またはポンプへの電力供給を遮断することにより、熱暴走から水の元素への熱分解までを一気に引き起こす。蓄熱材の役割を果していたジルコニウムが、水素爆発の起爆材となるのだ。3mものぶ厚いコンクリート壁で覆われている原子炉建屋が、厳重な密閉状態を作り出していたにもかかわらず、水素爆発はその隔壁を一瞬で吹き飛ばしてしまったのだった。この密閉性の高さこそが、熱分解した水素と酸素とを圧縮する効果を導き、水素爆発を惹起させるための必要条件を満たしたことにより、原子炉建屋の破壊を引き起こしてしまったのだった。放射線源と放射能とを広域に亘って飛散させたものとは、水素爆発という経過の発生であるに他ならない。地震と津波などの要因は、そのきっかけに過ぎなかったのである。当事者である東電はそれが水素爆発であったということを、第三者機関が指摘するまで、まったく理解していなかった。記録にはその事実が明瞭な形でしっかりと残されている。

大量の冷却水を常時必要とする原子炉は、大量の水素と酸素とを供給するその源でもあったのだった。巨大な地震がおきたとしても、それだけで原子炉建屋が破壊されてしまうようなことはない。シュラウドにヒビが入る程度の被害はあるにせよ、放射性物質を飛散させてしまうような事故に至らしめることは、密閉性が保たれている限り絶対におきない。津波で原子炉が浸水したとしても、それで核反応が制御不能になるようなこともない。ジーゼル発電機を動かすための燃料である軽油タンクが、津波で流されてしまったということが、水素爆発を引き起こすその唯一の原因であったのだった。軽油タンクの海上への流出がもし起きていなければ、水素爆発が起きることなど無かったと言える。冷却水の循環供給系が維持されている限り、熱暴走はおきず従って冷温停止状態は維持されていた。水の熱分解が起きる、ということもなかったということなのだ。水が化合物状態にとどまっている限り、水素濃縮は進まない。

原子力発電システムが危険なものであるということは、そこに有害な核燃料棒が大量に備蓄されているからではなく、冷却水を循環させる目的を持つポンプを動かすための、小さなジーゼル発電機に関するフェイルセーフ機能が、十分に担保されていなかったということによる。四種類ある事故調の報告書のすべてに、水素爆発を引き起こした機序に関する、合理的説明が一様に欠けていた。この程度の報告書の内容に基づいて原発を再起動させた内閣には、極めて重大な瑕疵があったと言わざるを得ない。再び原子力災害が起きるようなことがあるならば、冷媒である液体の水を構成する元素である水素と酸素とが、核燃料を熱の供給源とすることによって、水素濃縮を進行させ、蓄熱材としての配管用金属のジルコニウムが、水素を爆発させるための起爆材として再び機能することになるだろう。

冷却材を絶対的に必要とする原子力発電は、水素爆発の原因物質を内部に取り揃えておくことで、システムとして成り立つようなものになっている。この危険性の持つ意味を知れば、原発の再起動など論外であることが見えていてよい。原発がなくても電力需要を賄えるよう、政府は尽力しなければならない立場にあった。核抑止力を信奉してきたその姿勢が、原子力災害を日本国民に強要させたと言える経過だったのである。正しい知識は有効なソリューションを導くが、誤った理解は有害な経過と結果とをまとめて連れてくる。熱によらない電源系を作るのは、決して不可能なことではない。自然エネルギーでは出力の安定性が保てない。システムを工夫することによって、資源に依存しない電力供給系を実用化させるのは、充分可能なことである。寧ろ、極めて容易にできる技なのだ。電力業界が共有するその隠蔽体質というものが、交流送電システムの限界を、国民の目から覆い隠す役割を果していた。国は効果のない温暖化対策のために、莫大な予算をいまだに交付し続けている。その結果が、1000兆円に達した純債務という結果であった。

消費電力は、電気製品のスイッチを入れた時にだけ、当該回路に生じることを許される、誘導電流はこのようにして生み出されている。この誘導電流を生み出すためには、トランスの一次側高圧コイルに、磁場変化を与える為の電流、つまり励磁電流が常に流れていなければならない。励磁電流が安定的に保たれていることによって、消費電流を自在に誘導発生させることができるようになっている。このことは、節電で電気製品のスイッチを切ったとしても、励磁電流を減らす効果が得られない、ということを意味していた。広域停電が起きるための条件は、誘導電流が励磁電流の供給量を超えたとき。使用率が100%を凌駕すると、広域停電をランダムに引き起こす確率が高まる。節電が有効なのは電気料金の低下だけなのであって、二酸化炭素を減らす能力はそこには寸豪もない。発電所は電力を常に安定供給する、という義務に拘束されている。それは励磁電流を維持することが常にできている、ということなのだ。二酸化炭素は、安定して排出され続けていたのだった。温暖化が止まらなかった訳である。励磁電流の量的低下は、誘導可能な電力をその分だけ抑制する。このため電力分野に於ける二酸化炭素発生の割合は、決して減ることがなかったのである。省エネ節電という方法には、環境を悪化させる効能しか備わっていないのだ。温暖化は、これからますます状況を悪化させていく。問題の所在を知れば、有効解まではあと僅か。認識能力の有効性が、いま地球から試されている。


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2011年11月13日

脱原発 基本に戻るための選択

世間では原発がなければ産業が成り立たない、と信じられている。本当にそうだろうか。電力の供給は誘導法則によって成り立っている。発電機は磁石を回転させることによって、磁場から必要な電流を生み出している。回転する磁場がある場所では、そこに置かれた導体に起電力が発生する。磁場の回転という条件を満たせば、電流を導くことが誰にでもできる。電流が流れている電線は電磁石に等しい。電流は流れているだけで磁場変化の供給源になっている。それが交流電流なら、磁場を変化させる割合はとても高くなる。50ヘルツの交流は毎秒50回転という磁場変化を生み出し、60ヘルツなら毎分3600回転の磁場変化をコイルへと与えている。磁場変化の割合が大きければ大きいほど、そこに生じる起電力も高くなる。交流電流の特徴はこの起電力の高さにある。

電流が流れているという条件が満たされていれば、そこには起電力がポテンシャル状態で常に維持されている。変圧器の中では電流が存在することによって、磁場変化が常時そこに保たれている。この起電力を有効化するには、電気製品のスイッチがオンになるだけでよい。特定の回路に負荷が発生すると、その電気製品が要求する消費電力だけが閉回路に誘導される。その役割を果たしているのが電信柱の上の変圧器。50ヘルツの地域では6600ボルトの電圧を100ボルトに減圧した状態で電気製品へと供給している。磁場と磁場変化を成り立たせているのが、一次側高圧コイルを流れている励磁電流。二次側のコイルには負荷の発生に伴って、消費電流が100ボルトの状態で誘導される。タップの位置を変えることで電圧を微調整することもできる。このため消費者が電力消費を減らそうとして節電すると、誘導電流だけを消すという粗末な結果が生みだされていた。誘導電流を発生させるための磁場変化を維持する励磁電流は、このときエネルギー転換されることなく、無為に地の底へとただ落ちてゆくだけだった。節電という行為には消費電力を減らす効能があるだけで、励磁電流を減らす能力など備わっていない。このため節電した後の使用率は50%から80%台にとどまっており、決して100%になることはなかった。この事実は電力会社が主張していた同時同量という表現が、ただの嘘偽りであったということを明らかにした。100%に満たない使用率は、その差の分だけ電力を地の底へと捨て去っている。この無駄のなんと大きいことか。原発の導入が長距離送電に結びつき、高圧化したことが深夜の電力需要を50%前後の水準へと引き下げた。出力調整をすることができない交流送電は、周波数を維持するために、休むことなく燃焼炉で二酸化炭素を合成していなければならない。

消費地に近い末端の変電所では、6万6千ボルトの高圧を6600ボルトへと減圧している。これにより単相の場合10本の配電線へと電力を分岐させ、それぞれの担当地域へと電力を円滑に供給することができるようになっている。この配電線を辿っていくと、どこまでも延々と伸び続けていてどこが終端なのかさえ判らない。十分割された高圧の送電線から、減圧された配電線が消費地の至るところへと残る隈なく伸びている。
電源として位置付けられているのは、10倍の電圧を持つ送電線を伝わってはるばるやってきた高圧の電力。十分の一に減圧した配電線の一つを辿って行っても、その終点を見届けることはできない。単一の電源をどこまでも引き延ばすことができるようになっている。これは交流の特徴を活かすことができているからこそ可能になったことである。誘導法則を活用すると、一つの電源が生み出した電流を再生したり、増幅したりすることがいとも簡単にできるのだ。長く伸びていく配電線には、どこを探しても発電機などまったく見当たらない。トランスと呼ばれる変圧器と、そっくり同じ形の変成器とで配電系統は成り立っている。変成器と呼ばれているのは、電力を増幅するための誘導電源のことである。この増幅再生を目的とする誘導電源(変圧器、変成器など)を繋いでいくと、単一の電流を繰り返し再利用することができるようになる。これは電力を増やす仕組みを、配電線の系統がうまく利用しているからである。電力会社は配電線を流れる電力の量を正しく把握することができない。いくらでも増幅して再生することができるため、その全体の量が一望できなくなってしまっているからなのだ。

交流には電力を増やす能力が本来備わっている。要するに磁場変化が安定的に保たれているところには、起電力も潜在状態で保たれている。末端の変電所に高圧線の代わりに6600ボルト出力の発電機を導入すると、それ一台だけで、管轄する地域総てに所定の電力を供給することが可能になる。交流は電力を再生することもできるし、それを何度も繰り返して再利用することさえできるのだ。再生させた電力を増やすことは、昇圧する仕組みと変わらない。小型電源を変電所の一次側に据え付けてやるだけで、6600ボルトの配電線が結ぶ全域を小さな電源でカバーすることができるということ。この方法は極めて合理的なものである。原発を直ちに廃止したとしても、代わりになる小型電源を末端の各変電所に一基据え付けるだけで、原発を全廃したことで生じる電力不足を完璧に補える。大規模な電源を新規に開発する必要など初めからなかった、ということなのだ。電力会社の秘密主義が文明に巨大な損害を与えた、とするとても分かりやすい事例がここにある。保守化した勢力は変革を無条件で嫌う。保守の保守たる所以である。大規模電源を開発しなければならないと思わせておくことで、熱効率のよいしかしながら有害な原発に、存在するための理由づけを当初より与えていたということになる話なのだ。この罪は誠に深く、そして限りなく重い。

電力会社が発電と送電の分離に強く抵抗しているのは、送配電系統の末端が生み出している増幅効果で、十分に潤っていることが明らかになってしまうからなのだ。一次電源となる発電機は、小型のもの一台だけあればそれでよい。解決すべき課題はそれだけで消え去る。それが地下資源を必要としないタイプの電源であるのなら、最もよい。配電系統には、誘導電源となる電気工作物が至るところに散りばめられている。その機能をそのまま使い続けるだけのことなので、合理化に伴う特段のコストなどは発生しない。高圧の送電線の代わりに、同等規模の発電機へと置き換えるだけで、原発を放擲するための基本的な条件が整う。この措置をとることで、原発を世界中から消し去ることが可能になる。誘導法則の持つその意味を正しく知っていれば、原発になど触手を伸ばす必要はなかったのだ。無知が災いしたその好例となっているのが、原発という高価でかつ有害な構造物だったということなのである。

原発を地上から消し去るためのこの方法は、電力会社が最もよく知っていることなのだ。既存の配電系統を活かしながら、電源だけを置きかえる。これだけで原発の呪縛から世界は解放されるだろう。新しい電力源には6、6キロボルトアンペアの能力があればそれでよい。三相交流が必要なら位相を120度ずつずらした同期方式にすればよい。強大な発電出力をもつ大規模設備を遠隔地に建設することなど、本来まったく必要がなかったのだった。配電系統の一次側に小型の発電機を置いてやりさえすれば、必要な電力に事欠くようなことはおきない。配電系統で既にやっていることを、そのままの状態で原発後の新電源にも対応させるまでのこと。電源を高圧を帯びた励磁電流から、回転機型の発電機へと置き換えることで、既設の配電系統が機能しなくことなどある筈もない。電力業界が合理的な仕組みへと切り替えることを急ぐなら、エネルギーコストは大幅に低下し、原発推進のためのあらゆる費用も撤廃できる。歳出項目が減って税収が増加するのだから、その効果は二重に効く。経済を浮揚させる効果は、極めて高い。原発がなくても電力を確保する方法があり、地下資源がなくても磁場変化を生み出す方法が残されている。磁場中にできている起電力を顕在化させてやると、そこに電流が生じる。電流は絶えず移動してとどまらない。この動態がもつ変化成分を、有効化してやるというだけのことなのだ。交流はプラスとマイナスの成分が毎秒50乃至60回入れ替わることで周波数を安定に保っている。この毎分3000回転または3600回転する変化の大きさというものが、起電力のもつ潜在能力をより高めている。この起電力を生み出す磁場変化の量こそが、直流電流と交流電流との間にある最大の違いなのである。


電力業界が今後も合理化努力を怠っているのなら、不動産デベロッパーがエネルギーの供給事業を自ら行うようになるだろう。電信柱を繋いで電力を効率よく遠方まで輸送しているその方法を、不動産供給事業に絡めれば投資効率は高まる。jビジネスチャンスも拡大する。電力会社の独壇場だった市場が、そっくりそのまま手に入る。大規模マンションの開発などは、デベロッパーに当座電力会社より優れた利益率を保証するだろう。新たな収益源となるだけでなく、地域一社という独占体制に競争原理を導入させるきっかけとなる。企業誘致も有利な条件で引き出せる。エネルギーコストの大幅な低下は、景気の反転を早める。合理化と効率化とを同時に進めていくことにより、電力料金を引き下げて自治体の税収を反対に引き上げる。遠隔地に大規模な発電所を建設してきたことの無意味さを、国民のすべてが遠からず悟るのだ。消費地に近い変電所や給電所などに、小型の発電機を導入するというだけで、広域へと電力を供給していくことが可能になる。電力の増幅と再生は、電信柱の上の誘導電源が難なくやっていることである。電力業界が率先して脱原発を標榜すれば、生き残る余地をそこに見出すことができるだろう。これまでのような秘密主義による隠蔽体質を保守し続けようとするのなら、より合理的なエネルギー供給システムが世に出た段階で、地上から短期間で駆逐されてしまうことになる。どのような道を業界が選択するのかによって、今後の状況はまったく異なったものになる。因果は巡るものなのだ。


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2011年01月01日

未来への選択 (脱温暖化と核の放棄)

資源を消費しない独立分散型の電源とその電力供給系は、近い将来産声をあげる。一連のこれら環境製品は、商業ベースには乗せない方法で提供される方針が固まっている。電気自動車(EV)は移動電源でもあるため、工業所有権による権利の保護が必要条件となる。固定電源の供給が可能な状態になってからも、その対象となる国家に核保有国は含まれない。地下資源の消費を前提としない誘導電源は、核を持たないとする決定を行った国に対してのみ、少しずつ提供される。装置の所有権は供給元に属し、使用権だけが供与される。従って製品の販売は行わない。使用権だけが供与されるという仕組み。電気代に相当するコストはかからなくなるが、装置一式のレンタル料金が必要になる。それは、現行の電気料金よりも低いものになっていなければならない。

消費する資源がまったくないため、エネルギーコストは基本的に発生しない。この誘導電源が賄う範囲でなら、どんなに電気製品を使ったとしても光熱費は一切生じない。このため産業界では生産コストを次第に低下させていくこととなり、生産された製品には価格競争力が備わる。非核保有国の経済成長力は、核保有国の経済をこの先どこかで追い抜くようになるだろう。環境負荷のある電源系は、温暖化が募れば募るほど課税対象とならざるを得なくなる。経済成長率の乖離が広がっていくにつれて、繁栄の度合いは非核保有国に目立って高く現れる。核の保有するという決定を、この電源は、経済的繁栄を犠牲にする行為へと貶める。核を保有する国が今後も繁栄していくためには、より合理性の高い、つまり無駄のない経済体制をとらなければならないということ。地下資源に依存する既存の枠組みのままで、それを実行するというのはきわめて困難な作業になるはずだ。

計画経済で運用されていたソ連型の共産主義体制は、市場経済地域との富の落差が拡大していったことにより、呆気なく内部崩壊してしまったという歴史をもつ。ロシアをソ連型の共産主義体制から解放したものとは、制度欠陥の顕在化という変化だけではなく、豊かさを求める国民共通の願いが湧き上がったからなのだ。唯物論でひとのこころまで操ろうとしてきた過去の指導者たちの傲慢さが、巨大な連邦国家を一夜にして崩壊させたといえるだろう。その裏には自由主義諸国の繁栄ぶりが、共産主義体制への反証として提示されていたのだった。バブルの絶頂期にあった当時の日本経済が、ソ連崩壊へと至る国民の認識の変化に、多大なる影響を与えた、という事実が紛れもなく存在していた。1985年秋から1990年春にかけてのことである。 (バブルの終焉を91年とする資料もあるが、それは指導者たちが薄々その事実に気付いた時のことであり、マスメディアにその記録が残されることとなったからである。それほど当時の知識階級は、経済について盲目的であったのだった。おきている事実を理解することが長期間できなかったために、その時代のことを失われた十年と自嘲するようになっていたほどである。経済認識に於ける底の浅さは、円高の更新が再発するその理由を、いまだに特定できずにいるこの現状に明らかであろう)

日本の突出した当時の繁栄ぶりが、世界中の羨望を一身に集めていた時代があったのだ。日本から持続する経済成長を奪い去ったのは、政治指導者たちに共通してみられた不明であった。それは20年後の今も相変わらず続いている。日本の繁栄はこれにより失われ、代わりに貧困がこの国へとやってきた。この時代におきた多くの政治判断の誤りに学ぶことこそが、日本を未来社会の指導者へと変えるための基礎になる。失敗は成功の糧。いまのところすべての政党が、過去の体験を学習の対象としていない。優れた指導者が不在であったとしても、国に繁栄を導くことはできる。資源なき再生不要エネルギーの供給権をもつということは、その手段の一つとしてきわめて有力なものとなる。

この独立分散電源の供給権を正しく活用すると、核の廃絶は夢物語ではなくなる。核の保有に執着しようとする国には、経済競争から脱落する道しか残されない。地下資源に依存するエネルギー大系は、生命の生息環境を著しく破壊する。核に拘り続けている国がある限り、温暖化は絶対に止まらないということなのだ。だが、核の不在を証明することができた段階で、優良で低廉なエネルギーを自給自足する道が開かれる。中国にみられる生産基地化が、核をもたないどこかの途上国へと移るようになっていくと、国際経済の在り方そのものが大きく変わる。購買力の高さは、流入資本によって与えられたもの。人民元の通貨価値が上昇し、対策のために獲得したドルで大量の米国債を買わざるを得なかった。中国の外貨準備高の突出性は、流入資本が引き寄せたものなのだ。米国債をもつ最大の債権国が中国になったことで、米政権がより慎重な対応を心掛けなければならなくなったのは、まことに皮肉な結果というべきことであった。

これまで先進諸国の後塵を拝してきた貧しい国の一郭から、繁栄を続けるその見本となる地域が現れる。石油を消費する前提で成り立っているドル経済圏構想などは、資源を必要としないエネルギー供給系が登場した段階で、それが今成り立たせている国際市場から、最終的に退かざるを得なくなる。ドルの価値をこれまで裏付けてきた石油という地下資源は、再生する必要のない独立分散電源が登場すると、単なる環境汚染物質の代表的存在へとなり下がる。アメリカが得ていたドルの発行に関する権益は悉く失われ、ごく普通の国へと後退せざるを得なくなる。温暖化を止めたければ、再生不要エネルギーを導入する以外に道はないのだ。この方式で作られた誘導電源を採用するには、核を放棄しなければならない。二酸化炭素を減らしたいのであれば、核兵器の不在を証明しなければならない。これにより軍拡は軍縮へと反転し、繁栄に基づく平和の実現を国単位で進めていくことができるようになる。

ドルの過剰流動性を処分する必要性が消えるのだから、ドルを安売りするドル安政策を継続する意義も消える。ドル資本による資産の持ち出しが起きなくなれば、為替市場は次第に安定化するようになり、富の漏出で国が貧しくなるような展開から抜け出せる。ドルに基軸通貨の地位を与えているうちは、軍拡は止まらずに貧困化と温暖化とが地上に蔓延する。現状を眺めていれば、そのことがよく分かるだろう。温室効果ガスの濃度は高まりつづけ、自然災害の脅威はより一層募っている。温暖化防止に投じられた莫大な予算は、無駄に捨てられるままになっていた。日本が速やかに手をつけるべきなのは、石油に代わるエネルギーシステムをどこよりも早く開発する、という一事だけなのだ。ここが見えていないと、実効のない対策を徒に連ねるという現状から、永久に抜け出せない。

世界が必要とする未来型の電源は、核の廃絶を可能にするだけでなく、これまでドル資本の暗躍を許し続けてきた国々を経済的に解放し、購買力を高めさせて市場スケールをより拡大する効果さえ引き出す。ドルに代わる基軸通貨は、すべてのローカル通貨に対して、公平性を保ちかつ平等に機能するものでなければならない。この条件を満たすには、第三者機関に新しい基軸通貨の発行権を持たせればよい。未来の基軸通貨となるものの価値を保障するものこそ、環境負荷のない低廉なこの電力供給系なのである。石油・ドル本位制という通貨メカニズムは、ドルに過剰流動性を与え、ドル安政策を必要不可欠な措置にした。日本はアメリカに代わって、世界の新しい指導者にならなければならない。その手段は国内に留保されていた。問題の所在が正しく見えてくるようになったとき、そのプログラムが勃然と起動するようになっている。

東シナ海のガス田に執着する国にとって、その存在価値がたちまち消失してしまうということなのだ。核の保有コストには、経済成長率の鈍化という成分が必然的に内包されている。国連の常任理事国のすべては、このまま何もしなければ、経済的な劣位に置かれる立場となるだけなのだ。その他の核保有国でも、経済成長はまったく保証されなくなる。核を保持し続けることで得られたメリットは、たちまちデメリットへ反転してしまう。未来型の電源システムは、唯一の核被爆国である日本から世に出なければならない。
温暖化は資源を必要としない電力供給系の普及により、やがて止まる。固定電源は理念を共有するチャンネルで使用権を提供し、慣性エネルギーなどを活用する移動体用の電源なども、商業ベースに乗せない方式でその普及を図るべきなのだ。発電の原理は同じでも、その仕組みは異なっている。住宅用電源に慣性エネルギーを求める訳にはいかない。その代わりに第三の方法を適用する。電気自動車はこれらの電源を進化させていきながら、最終的に究極の誘導電源を搭載するモデルへと行きつく。このシナリオに基づいて、ステップアップするためのプログラムが既に準備されている。時が盈ちれば世はかわる。文明は失敗から学ぶことで、飛躍的に進化する。


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2010年03月28日

外資導入政策の誤り

 アメリカと米軍による力を前提とする統治のメカニズムは、ドルの過剰流動性を高めていくだけでなく、その通貨価値を裏付けている石油の消費を促す。温暖化を止めることができなくなったのは当然のこととして、国際経済を資源インフレへと導くことによって、基軸通貨の供給量を増やす行為を強化し、ドルを必要としてきた石油需要国にその通貨を強制的に買わせてきた。長年に亘る経過の果てにドル余り現象を生み出し、石油を買った国にもともとあった固有の資産を、ドルを売って外貨を得た組織が奪い去っていくような仕組みが作られた。
 アメリカに世界中の通貨が積み上るようになったのは、石油を購入した国がその決済を行うために、ローカル通貨を売ってドルを買うようになったからである。この時に通貨価値を高められるようになったドルを、米政府が元の水準の価値にまで引き下げる必要に迫られたために、ドルを一斉に売ることによって、外貨の通貨価値を一挙に高めるという協調介入を実施する目的で、1985年秋にプラザ合意がなされたのだった。

 協調介入だけでは発行済の大量のドルを回収するには不十分だったために、国際金融資本を通じて回収したドルを、日本などの貿易黒字国の通貨を買わせるために使わせ、投資やM&Aなどのビジネス展開を図らせたのだった。アメリカが円高ドル安をファンダメンタルズの結果だと事あるごとに説明したがるのは、為替操作を行っていないことを明確にしておく必要というものがあったからなのだ。
 日本では外資と呼ばれる組織がドルを大量に売りつけて円を調達し、その資本を用いて主に土地に対する投資を行っていた。これが恒常的な円高と土地の値上がりを誘導することに繋がり、土地神話を生みだしバブル経済を四年半に亘って成長させていった原動力となっていたのだった。プラザ合意は85年10月のことであり、バブルの崩壊を生み出した不動産融資に対する総量規制は、89年10月に閣議で了承され、翌90年四月に施行されたものであった。バブルのピークは株式市場では89年暮れに迎えていたのだったのだが、不動産取引では90年6月頃まで値下がりは起きようとしなかった。

 バブルが崩壊したことを市場参加者が悟ったのは、92年より後のことである。それまでは何がおきて不動産価格が値下がりしたのかその理由が分からず、土地神話を信じて不動産に対する投資行為が続けられていた。この時代に不動産を購入した人たちが、最終的にババを引いたことに気付くのはもっと後になってからのことである。ドル安政策が実施されるようになったことが、日本にバブル経済を生み出したのだったが、その経緯を知らない政治家たちが、不動産投機に対する制限を設けようとして、ノンバンクを対象とした総量規制に踏み切ることになったのである。
 その後の経過はいうまでもあるまい。為政者が事実を認識することができなかったために、対策に着手する時機を逸して失われた十年が産み落とされた。この項目だけは、ここで指摘しておいた方がよいだろう。日本経済の低迷は、この時代の指導者たちに認識能力が欠如していたために引き起こされたものなのだ。それと同じことが、環境対策に於いて今再び繰り返されようとしている。太陽電池に対する国を挙げての助成措置のことである。既存の温暖化防止対策におしなべて実効がなかったことは、止まらない温室効果の経過を見れば明らかであろう。

 二酸化炭素が増加するようになったのは、ドルの発行量を増やすために、その価値を裏付けていた石油の消費を促すのが効果的だったからである。石油の大量消費が短期間で進むようになったために、アメリカは石油の価格を上昇させる方向へと転じたのだったが、温暖化を止める効果はついに得られなかった。先進国以外の国々に生産基地がシフトしていったために、大量の石油が改めて求められるようになったからだった。アメリカでは当時イラク戦争を始める準備を進めており、莫大な軍資金が必要な状態になっていた。イラク戦争で使うための戦費を増税で賄うことはできなかったことから、さまざまな理由をつけて原油相場を五年に亘って上昇させる手法がとられるようになっていたのだった。湾岸戦争で戦費が足りなくなったパパブッシュは、当初の公約に反して増税を実施し、一期四年で退いた。八年後に大統領となったブッシュ・ジュニアはこの先例に学び、イラク戦争では増税以外の方法で戦費を調達する道を開拓したのだったが、これがドル余り現象を急速に拡大して、後の金融危機を生みだす原因となっていくのである。
 原油相場が高騰すれば、決済通貨であるドルの需要もまた急増する。ドルを大量発行することができるようになったのだが、それを市場でダブついたままの状態にしておくと、ドルの追加発行を実施することが困難になる。そこで国際金融資本が滞留しているドルを回収する役割を担うようになり、特定の国の通貨を余ったドルで買い占めていくことによって、上がりすぎたドルの通貨価値を下落させると同時に、対象となった国のローカル通貨の価値を上昇させるという戦術が取られるようになったのだった。

 理由のない円高がおきるようになったのは、プラザ合意の後になってからのことである。その対策として財務省と日銀は円を大量に供給してドルを調達することにより、通貨価値のバランスをとらなければならなくなった。この時に買ったドルが外貨準備高と呼ばれるものになっている。円を売って得たドルの90%はアメリカの公債を買うために使われている。この時からアメリカはドルを日本に押し付けると、米国債の需要が高まるという事実を知ることとなったのである。
 イラク戦争が始まってからは原油相場の急騰に付随して、ドルの需要が急増することとなったのだが、市中に滞留しているドルが人民元と円を買うために使われていたことから、ドルを大量に発行することが随時可能な状態になっていた。中国の外貨準備高が日本のそれを急追して抜き去ったのは、この時代のことである。イラク戦争がなかなか終わらなかったために、アメリカは戦費を追加調達する手段として、WTIをコントロールするようになったのであり、経済原則からみていかにも不自然な五年に亘る高騰状態が、ブッシュ共和党政権の末期まで延々と続くようになったのだった。

 この時代にアメリカが大量に発行したドルが、ドル余り現象と呼ばれる結果を生み、それがアメリカの不動産市場へと流れ込んでいったことから、世界の金融資本がその市場へと一斉に参入することとなったのであり、貸し付け競争に拍車をかける事態が始まることとなったのだった。この債権が回収できないことが明確になったことから、リーマンショックを経て金融危機が勃発することとなったのである。ドルの過剰消費を当然視していた米国民は、この時から節約に励むようになったのである。
 米系の国際金融資本がやってきた国では、自国通貨の価値が勝手に高められることとなり、日本では理由なき円高に輸出産業が苦しむようになっていった。大量のドル資本を活用するために企業買収が盛んに行われ、ホリエモンが活躍する時代を迎えたのだったが、その尻馬にのった一般投資家が多大な損失を被ったことはご承知の通り。一方の損失は他方の利益、というのがマネーゲームの本質なのだ。日本が貧困化したのは、ドル資本の暗躍を許す決定をした時から始まったことである。当時の内閣総理大臣は、コイズミと呼ばれていた人物。その政党は既に凋落し、今は残党による野党連合が形成されるようになっている。時代は変わるものである。


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2009年09月12日

残された道

 交流送電を続けている限り、二酸化炭素の50%(新潟の地震で止まっている東電の原発が復旧すれば48%)はそのまま今後も吐き出されていくこととなる。これは交流送電の宿命なのだ。この比率を引き下げていくためには、原子力の増設以外に知られている有効な方法はない。しかしながら原発を増設するには、国民の同意というものが別途必要になる。温暖化が進んで止まらないことが明確になれば、その時点で原発の増設にゴーサインがでるだろう。経産省などではそう思い込んでいる。実効のない対策を連ねていながらも、それを反省する姿勢さえみせないで平然としている。核を欲しがる政治家がいる限り、原発に執着する姿勢は変わらない。
 原発を増設すれば、確かに火力発電所を減らす効果は得られる。だが国民が容認しない限り、日本ではそれができない。つまり、CO2を減らすことは不可能なのだ。けれども方法がない、という訳でもないのだ。損失の多い交流の高圧送電をなくすだけでも、無駄な成分を最小化することができるようになる。それは自家発電による分散型電源への移行、という理にかなった方法の実行である。必要な時にだけ、必要な発電をするような仕組みにしてやれば、常時燃焼炉を稼働させていなければならない理由などなくなる。省エネが省資源となるための条件は、電源の独立分散化以外に有効なものは他にない。
 
 技術的な課題は既になく、やろうと思えばすぐにでも自家発電に切り替えることができる。この変更は国を挙げて一斉にやらないと意味がない。工場でも自家発電に切り替えると、生産コストを減らす効果がすぐに得られる。交流送電には壮大な無駄が潜んでいる。これをなくしてやるだけで、損失を全廃することが可能になる。二酸化炭素の発生は制御可能な状態となり、25%程度の排出量削減は電力分野だけで実現することができるようになる。
 電気自動車も同時に普及するので、輸送分野が生み出している二酸化炭素などの酸化物はすべて、地表からきえてなくなるであろう。光化学スモッグや亜酸化窒素の発生もゼロとなる。発電原理は各分野とも同じなので、大きな温暖化防止効果が短期間で実現する。この方法は電磁誘導の法則に基づいたものであり、交流送電では多くの実績を積み上げてきている。高圧の長距離送電というかたちに執着していたがために、有害なシステムを守ろうとして二酸化炭素をより多く発生させ、もっと有害な六フッ化硫黄を絶縁ガスとして採用しなければならなくなっていった。

 これまで十年以上に亘って6%の二酸化炭素さえ減らせずにいた事実を顧みずに、19%を更に上乗せして25%にすると宣言したのは、現時点では無謀という他はない。根拠となる方法を示さずに目標だけを先行させるのは、暴挙に等しい行為だ。現実認識ができた上でそれを目指すのであれば、その志の高さは世界の指導者としてまことに相応しいものがある。あらゆる温暖化対策を講じていながら、二酸化炭素は実際のところ増え続けていた。名目値をどんなに積み上げていったとしても、実効値にそれが反映されなければ温暖化現象を止めることはできない。
 太陽光発電を量的に拡大していっても、火力発電所の助けを借りなければ、安定した電力の供給を行うことは不可能だ。太陽電池だけで電力需要を賄うことなど本来できない話だったのだ。補完する能力をもつその他の電源と併用しなければ、二酸化炭素の排出は資源が枯渇するその日まで止まらない。交流送電に代わる安定した電力の供給源を確保するという対策では、要するに不十分なのだ。それよりも安いコストで同等の電力を得るシステムでなければ、地球の温暖化は絶対にとまらない。経済原則を無視していたのでは、合理性の欠けた対策に終始するだけとなる。それと同じことを、世界は1997年の京都会議から延々とやり続けている。これが現実なのだ。羅針盤のない船は、燃料が切れるか暗礁に乗り上げるまで、波間をさまよっていなければならない。


 石油・ドル本位制の枠組みの中では、二酸化炭素の増加はドルの需要増という経過を意味する。アメリカが発行した市場で余っているドルを回収しておかなければ、石油の需要増に対応したドルの供給力を生かすことはできない。余っているドルがそこに滞留しているのなら、ドルを新規に発行することは困難だ。ドル金利を引きあげて過剰流動性を回収し、その後でドル資本を通じて特定の国の通貨を買わせる方法が専ら用いられている。プラザ合意の後になってから目立つようになった手法である。その後円が急騰するようになっていったのは、ドル資本が日本への投資を公然と行うようになっていったからであった。
 日本では中央銀行が間接的に為替市場へと介入し、高くなった円を売って価値の下がったドルを買い支えてきた。この時に買ったドルが外貨準備高と呼ばれている。その内の90%がアメリカの公債へと化けている。ドルを強制的に売りつけるドル安政策を実行すると、要するに米国債が大量に売れるようになる仕掛け。そんな通貨交換システムが既に構築されている。風と桶屋の如きあの関係が国際経済を活気づけているのだが、アメリカに防衛力を強化させるという結果を与えている。ミリタリーバランスを維持しようとしたために、先進諸国では軍拡を続ける仕組みから離脱することができなくなっていった。

 民間企業がドルを売って外貨を買っているのなら、米政府によるドル安の誘導という批難は当たらない。プラザ合意ではG5の参加国が協調介入することによって、原油価格のその後の突発的な上昇で、ドルの追加発行が促されるという経過が際立つようになっていった。(二度に亘る70年代の石油ショックで、決済通貨としてのドルの需要が高まったことが望まれないドルの過剰流動性を生み出していた。ドルショックは71年8月15日におきている) ドルの通貨価値が制御不能の状態のまま高められていったその対策として、ドル安へと戻すための政策が導入されることとなったのである。G5による協調介入だけではしかし限界があったことから、ドル資本と呼ばれるグループに回収したドルを使わせることで、経済成長が見込める国へと民間の意志でドルを投資するという形態が編み出されたのだった。
 ファンダメンタルズの結果で為替相場が動くものである以上、政府が無暗に関与する余地はないのだ。ドル安外貨高という経過は、資本の論理によって生み出されたものであって、ドル安と呼ばれる政策の結果などではない、とすることができたからであった。米政府は強いドルを望んでいるフリをしているのだが、実際はドル安の方がアメリカの負った債務を国内に留置しておくことが可能になる。市場メカニズムが通貨価値を動かしているものである以上、自由主義経済を推進する立場のアメリカ政府にとって、直接市場に介入する権利もなければ義務もない、ということを暗に訴えることがこの戦術をとることによって可能になったのだった。

 石油の消費が減るということは、ドルの発行量が衰えるということを意味していた。二酸化炭素が増え続けているこの状態は、アメリカに世界中から集まってきた富を積み上げさせることによって、米国内の市場を活性化させながら、国際経済を牽引すると同時に、防衛力を強化させることによって、世界の平和を武力で守る保安官の役割も同時に果たすための措置であることを兼ねていた。ブッシュのアメリカが京都議定書から早々に離脱していったのは、ドルの発行権を拡大しようとするその矢先に、正反対の結果となる石油の消費を強制的に抑制する結果を生じさせることが分かっていたからである。
 セプテンバーイレブンはブッシュが大統領となったその翌年におきている。防衛力を強化する絶好の機会を得たブッシュに、ドルの発行権を拡大しなければならない合理的な理由が与えられたのだ。温暖化防止のために、ドルの発行権を圧縮する理由などなかった。その後の経過はイラク戦争の長期化という結末であり、その期間を通じて五年も続くようになった原油相場の高騰という不自然な状態であった。原油価格が上昇すればするほど、米政府にはドルの発行益がいろいろな形でやってくる。この期間を通じてドルのマネーサプライは、一度も公開されたことがない。それほどまでにアメリカはドルを過剰発行していたのである。

 ブッシュとFRBがドルを濫発していったために、ドル余り現象が一際大きなものとなり、過剰流動性を消し去って、ドルの追加発行を強行するためには、市場に滞留している邪魔なドルが残されていてはならなかった。金利をあげて速やかに回収したドルを用いて、貿易黒字国にそのドルを吸わせていくと、最終的に米国債までが売れるという仕掛けが機能するようになっていた。その手口はドル資本に余ったドルで海外投資を実行させ、日本や中国の外貨を買わせて通貨価値を高値誘導し(ドル安の実現)、外貨を高めておいたそのうえで、既に投資済みのドルで得た収益を再びドルに換えて回収するというものであった。本国にいる投資家へとその配当を効率よく実施することが、為替相場を誘導することによって可能になっている。ドルを売って円や元を買うのだから、ドル安外貨高になるのはものの道理。ドル安政策のもつ意味とそのメカニズムに潜む問題を、俎上に載せようとしたメディアはこれまで一社もなかった。外資を呼び込むと市場の流動性が高まるという点だけを評価し、経済活性が上がるとする一面を取り上げたことはあったのだが、その裏面で進んでいた貧困化プロセスにまで言及することはついになかった。ドル余り現象とドル安政策は、紙の表と裏の関係を成している。
 すべての石油消費国では、ドルでなければ石油を買うことができない。このため、ドルと交換した自国通貨は、ドルを売って外貨を仕入れた組織によって、その国に固有の資産や文物などを買収させることとなった。それは土地であったり企業であったりまたは生産物であったりもしたのだが、そのどの取引に於いても、利潤のすべてはドル資本を通じて、投資家の元へと直ちに還元されていったのである。ドル資本がやってきた国の市場では、経済を発展させるための土着するべき利潤が完璧に消え失せてしまうのだ。このため、国民は必然的に貧しくなっていかざるをえなくなっていった。労働環境の劣化は、ドル資本の投資活動と利潤回収の結果、企業の体力が殺(そ)がれたことによって引き起こされたものなのだ。

 既に破綻した国際金融資本リーマンブラザーズが日本で計上した利益は、紛れもなく巨額なものであった。新聞などで騒がれていたので、思い出せる人も多いことだろう。当然ながら投資家への配当は終わった後のことなので、どれほどの収益をドル資本が日本で得ていたのかということを、貿易黒字国の国民はその事実から学ばなければならない。巨額の利潤がこの国の市場で循環するようになっていたのなら、国内産業は活発化し労働者はその恩恵を十分に受けていたはずである。現実におきていたことはというと、労働者が劣悪な身分となるよう真っ先に追い詰められていき、購買力を失った市場では、一度抜け出したはずのデフレへと引き戻される事態へと陥ることとなった。そのお膳立てを行ったのが、さきの選挙で大敗を喫した55年体制であった。
 就中(なかんずく)コイズミ政権では政府自らが外資を呼び込むというあるまじき政策をとり、国民が受けとるべき経済の賜物である果実を、ドル資本へ悉く与えてしまうこととなった。この間の経緯について説明を試みた研究機関は、まだみあたらない。しかし、考えてみれば簡単に合点がいくことなのだ。誰にでも分かる話を、誰ひとり説明しようとしなかった。これが問題だったのである。
 国民は次第に窮乏するようになっていき、耐えきれなくなって、アメリカのいいなりになって昂然としている与党政府に、今回漸く下野を迫る鉄槌を下すこととなったのである。敗因を未だに自覚することができずにいる売国機関と化したその党では、反省する気運はあるものの、結果を総括することが未だにできないままの状態を続けている。実に哀れな姿をさらけ出しているのだが、意味を悟っていないということが羞恥心を失わせているようにみえる。国が劣化したのは当然の帰結であった。




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2009年04月25日

どの道を選ぶのか

 資源を消費せずにエネルギーを自給自足することは、簡単にできることだった。ものごとがなかなか解決しようとしないときには、抱いている認識の状態を改めて確認しておかなければならない。電気自動車の開発分野では、発電しながら走行するモデルの存在に、賢明な人類が未だに気づいていかなかった。つまり賢明だとされていた人類がそうではなかった、ということになる訳だ。その事実が、電気自動車を普及させずにいた基本的原因を構成していたのだった。くるくる回る風車をみて風力発電を思いつくことはできても、高速で回り続ける自動車のタイヤをみて、それが同じ原理で発電するものとなることは、今の今まで人類は理解することができていなかった。この方法を公開しているのは、このブログの他にもう一つがあるのみである。

 どうしてこのようなことが起きたのだろうか。人間の反応系にできているある特有の思考パターンが、真実を見るための回路に影響を及ぼしていたように思われる。思い込みに囚われた意識からは、ものごとの本質を見るための能力が奪われてしまっている。自動車産業が温室効果ガスの第二位の排出源になっているのは、このような思い込みの病に文明が感染し、その事実に気付くことができなかったからである。発電しながら走る電気自動車を作ることなど、電磁誘導の理論を知っていたら、誰にでもすぐ思いつく単純な技術の一つであるに過ぎない。

 エンジンを積んで走ることの不合理さを人類が承知していれば、温暖化という現象が社会問題になるようなことはなかった。地下資源を熱エネルギーに変えることによって、ピストンが生む直線運動を車輪の円運動へと変換し、ブレーキという摩擦熱を生み出しながら、走行状態を制御するというお粗末な機構の不合理さをこそ先に知るべきであろう。内燃機関のエネルギー効率は、23%程度で止まっている。しかも、多くの酸素化合物を排出して、環境そのものを直接汚染しているのが現実なのだ。まことに不合理で不効率なシステムを、文明は長年に亘って採用し続けていたのであった。
 その積年の報いが、温暖化を募らせて気候の変動を生み出すようになったのである。気象条件のこのところの急激な変化は、農産物の収量にも大きな変化を及ぼしはじめている。ミツバチの群れがいなくなったために、木に花や実がならないという変化が自然界ではおきるようになってきた。健全なエネルギーが登場すれば、健康な農産物が豊富にとれるようになる道理。現状がまさしくその正反対になっているというところに、人類は留意しなければならない。

 エネルギーを自給自足する方法があるということは、もはや詳しく説明するまでもないだろう。太陽光から得た電気エネルギーで回転機を効率良く動かし、そこから電流を増幅しながら誘導してくるというだけで、電気は只で遠慮なく使えるようなものになる。生活に必要な熱エネルギーなどは、潤沢な電気エネルギーに抵抗を与えて熱に換えるだけでよい。オール電化住宅とは、未来社会のあるべき姿を先取りする見本であった。だが、交流送電でそれをやろうとしたところに問題があったのである。資源を消費しない発電システムの登場は、電気を際限なく使うことを可能な状態にするのである。

 回転機を活用する発電の仕組みそのものが単純なものであるために、電気を生み出すコストは殆どかからない。太陽光発電も活用できるので、環境負荷はゼロのままである。太陽電池は一枚から数枚あればそれで十分だ。場合によっては無くたって構わない。したがってイニシャルコストも小さくなる。運用コストもかからない。軸受けは長年の使用で摩耗するにしても、それを回避する方法は実用化が進んでいる。多くのアイデアを優れた発電システムに導入していくと、エネルギーコストは短期間で限りなくゼロに近づく。環境コストは当然発生しない。これが風力発電であったとしても、結果は同じことである。工学的な改善を行って、電気を増幅してやるだけのことなのだ。応用するのは極めて簡単かつ容易な技である。この方法を導入するだけで、エネルギー問題の殆んどが解決するのだ。磁性体が不足するようになったとしても、超電導磁石をつくってやったらそれだけで効率は更に改善する。つまり、電気を無制限に使えるような状態が早く実現するのである。

 エネルギーコストが下がると、可処分所得は自動的に増加する。経済に余裕ができると、農産物価格が上昇しても豊かな生活を成り立たせておくことができる。消費者物価を下げずに、所得を上げることで経済の再生を促せばよいのである。エネルギーを自給自足することが可能な時代になると、一次産品などの自給自足までが可能になる。所得格差が縮まれば、格差社会というものは直ちに消えてしまう。公平で平等なビジネスが世界に先駆けて日本で成り立つことを証明すれば、豊かな文化が世界中で一斉に花開く。

 繁栄が当たり前の社会では、生産に寄与しない防衛予算は意味をもたない。あらゆる国が満ち足りるようになると、奪いあうという行為そのものが意味を失うからである。攻撃がなくなっている社会では、防衛予算を増額しようとする者は存在できない。生産に寄与しない予算が残されているのなら、創造的な分野へそれを投資するのが資本制度のあるべき姿。不具合を生み出してきたその来歴を理解すれば、問題の所在はすぐに判明するだろう。本質がなにかということに気づきさえすれば、有効解など簡単に導ける。

 これまで温暖化現象を一向に止められずにいたというのは、問題の所在そのものが分かっていなかったからである。50年も先の話を、えらい人たちが真顔でやっていた。ものごとの本質がみえてくれば、いままで見えなかった部分がはっきりとした形となって現れる。知識に汚染されてしまったら、見えるはずのものがまったく見えなくなるのだ。思い込みという精神の病が、蔓延しているからである。間接情報を鵜呑みにしていると、批判精神というものは育たない。学校から反逆児が消えてしまったのは、進学システムに適応せざるを得ないよう追い詰められていったからである。管理し易い学生だけを選抜してきたその教育の歴史が、思考力を発揮できずに優れた頭脳をあたら(可惜)腐らせたまま放置している。


 健全なエネルギーである太陽光発電を、不健全な交流送電に適合させることなど、指摘するまでもなく本来やってはならないことだった。備蓄できる直流の電気を、貯めておけない交流の電気に繋いだら、どういう結果が生まれるのかということくらい、考えるまでもなくすぐ分かる簡単なことなのだ。誤ったドグマを信奉するようになったとき、そこは洗脳された者の集う住処となる。
 権威が誤った認識を抱いたとき、文明は滅びへの道を歩み始める。真実に気付く者が増えていくに連れて、状況は改善へと向かって大きく動き出すだろう。そのための手段は、既に用意が整っている。認識が意識の変化についてくるようになったとき、文明は再生へと向かって遥かな道を歩み始める。その行き先を示す道標には、「恒久平和」という文字が鮮やかに大書されている。人類が選択できる道は、たった二つしかない。そのどちらの道を選ぶかによって、人類に与えられる結果は180度異なったものになる。


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2009年02月13日

日本を劣化させたものとは何か (誤った選択の果て)

 通貨の価値を裏付けていてものは、当初は銀であった。銀行という名称には、その昔流通していた銀本位制の名残りが示されている。金は宝飾品として用いられており、通貨として使われることがなかったのである。その後銀貨から金貨へと価値の移動がおきたために、金本位制というものが広く一般に浸透するようになったのだった。日本の例では、大判小判と呼ばれる金貨が流通していた。フランスの20フラン金貨はECUと呼ばれていたのだが、EUが正式に発足した時点で、暫定的に流通させていた欧州の共通通貨European Currency Unit=ECUでは公平性に問題があるとして、ユーロ(EURO)という正式名称に統一されることになったのである。因みに金メダルを選手が齧ってみせるパフォーマンスは、金の純度を確かめるための便宜的な方法だったのである。古くから商人たちがやっていた行為だったのだが、いつしか本来の意味が薄れて、全てのメダルに歯を当ててみせることが流行るようになってしまった。一流のアスリートたちが、金の純度に執着する理由などあるはずもなかろう。

 金本位制はローカル通貨の発行では重要な役割をはたしているのだが、ニクソンショック(ドル・ショック)によって1971年夏に、アメリカが基軸通貨であるドルを金の裏付けなしに発行することを「一方的」に決定し、金の代わりに石油の価値を以てその代用とすることに成功したのだった。最近のアメリカは国家間の金の移動を制限するよう、G7の合意文書に毎年書き加えるようになっているのだが、金の方が石油より価値としての汎用性が遥かに高い、という事実をよく知っていることを示す証拠がこれである。
 金に代わって石油の価値を補償するためのサブシステムとして、IMFという組織が作られた。先進諸国が資本を出し合うことによって、金本位制から一方的に離脱したあとの石油・ドル本位制を、側面から支援するための援護措置という意味合いをもっていた。このドル建てで集められた資本のことを、SDRと呼ぶ。IMFに加えて世界銀行と国際決済銀行が組織化されたことにより、アメリカがもっているドルの発行権はより盤石なものとなったのである。

 米政府は資本調達に窮したら、石油の価値を引き上げればドルの需要を創出する効果がある、ということをよく承知していた。温暖化が深刻化する前は、石油の消費を推奨しガソリンをガブ飲みする大排気量のエンジンで走るアメ車が人気を集めていた。しかしながら環境異変が温室効果ガスによる人災であることが知れ渡ったときから、中でも最も比率の高かった二酸化炭素の排出量を削減するための国際条約が批准されることとなったのである。
 その最初の削減目標を定めたものが、所謂京都議定書と呼ばれているものである。アメリカは石油の消費が減るとドルの需要が下がることをよく認識していたため、京都議定書が批准されるよりも前に、その枠組みからまたしても「一方的」に離脱するという決定を行ったのである。アメリカ抜きで世界は石油の消費を抑制する方向へと歩み始めたのだったが、9・11の報復を名目としたイラク侵攻に正当な理由がなかったことが判明したことから、テロ組織だけでなく、反米的なあらゆる国と組織からも批判攻撃を受けることとなったのである。

 世界最強を誇る米軍が勝利したにも関わらずイラクからの撤退が今尚できずにいるのは、撤収を説明するための合理的な理由を模索していたからであった。そんなことを六年に亘ってやっていたのだったから、戦費を調達する必要性は年々深刻化するようになっていかざるを得なかった。だからとって増税することは固よりできないことである。そこで石油の価値を際限なく引き上げるような展開へと、自ら陥ることが分かっている決定を苦し紛れに実施してしまったということなのだ。ドルの需要を喚起することは確かにできたのだったが、発行し過ぎて余らせたドルの仕向け先の一つとなっていた国内市場で、国際資本によってなされた低所得者向けの住宅融資の回収が困難となったことから、世界の資本市場はあっという間に信用収縮を引きおこす結果を実現してしまうこととなったのである。

 世界同時不況の様相は日に日に色濃くなってきており、ドルの発行権を謳歌してきたアメリカの国民は、大統領を代えてこの未曽有の危機を乗り切ろうとするようになったのだった。選挙期間の終盤で形勢がオバマ有利に傾いていったのは、金融制度が危機に陥ったことを米国民が具に知ったそのあとのことである。そして一気呵成にオバマ旋風が吹き募るようになり、民主党の対立候補を突き放したその勢いのまま、共和党候補者をさえ呆気なく打ち破ってしまったのだった。

 金融危機の原因となったドルが基軸通貨として定められたのは、第二次世界大戦終結の前の年、1944年夏のことだった。戦後の復興を急ぐ必要があったことから、基軸通貨をそれまでのスターリングポンドからUSドルへと転換し、ソ連との思想闘争に勝利しなければならないという切実な事情を、自由主義諸国の連合体は抱えていたのである。アメリカのもっていた金の比率というものが、他のどの国のものよりも優れて高かったという事情があったことから、その国の通貨であるドルが採用されることとなったのだ。この時に提出されたケインズの意見(第三通貨の創設)を連合国の首脳が正当に理解することができていれば、温室効果ガスの増加と資本主義の自己崩壊は間違いなく起きていなかったはずである。
 ブレトンウッズ体制とは、この戦後処理を効率よく進めることを目的として策定された枠組みのことである。これが後にIMF体制と呼ばれるものとなって、アメリカを中心とするドル経済圏を拡大するような仕組みへと変化していったのである。その実現手段のひとつとしてFTAやWTOなどが組織化されていったのだが、案に相違して合意形成をすることが未だにできないという状態が延々と続いている。

 WTOの総会やG8などの主催国でデモ隊が毎年荒れ狂うようになったのは、その裏に潜んでいる不公正な思惑と不公平なシステムとに、世界中の一次産業に従事する人達が気づき始めるようになったからである。農産物の生産者が圧迫されるようになったのは、ドル経済圏に組み入れられなければ生活が成り立たなくなっていたからである。ドル資本がやってきた国はすぐに貧しくなる、という事実を漠然とした印象から察知するようになっていたことがその背景にあった。ドルの発行権を持つ国と、ドルを買わなければ生活できない国との間にできていた相克に、不利益を蒙る国民の方が先に気づくようになったからだった。

 各国の為政者はアメリカに取り入ることにしか関心がなかったため、国民が困窮するようになっているのを横目で眺めながら、市場経済を盤石なものにするためのアグリーメントを策定するのに余念がなかった。日本などでは防衛問題なども絡ませてより複雑化させていたため、アメリカ一辺倒の政治姿勢で戦後の63年間を過ごさざるを得なかった。日本が自立しようとしなかったのは、アメリカがそれを望まなかったからなのだ。この極東に位置する細長い国は、そこまでアメリカに対して従順な姿勢をとり続けなければ生き残れないと思い込んでいる。
 ブッシュ・ジュニアに米空軍のブルゾンを着せられて悦に入っていたコイズミの姿にこそ、日米関係に潜む真実の相が明確に顕れていた。要するに、あれは、日本が米国の一兵卒に過ぎない、ということを世界に示すメッセージであった。だが、それを指摘したメディアはゼロだった。ここに、日本という国の本質が埋もれている。日本が自立しようとしなかったのは、それがアメリカの不利益以外のなにものでもなかったからである。日本の現状は、紛れもなく、誤った選択を行ってきた為政者が生み出したものなのだ。


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2009年01月02日

基軸通貨がドルであってはならないわけ (選択の誤り)

 IMF体制は、石油・ドル本位制を盤石なものへと強化したのだったが、ドルの発行権をもつアメリカは、その特権を恣意的に使ってしまったのだった。ドルの持つ過剰流動性は、通貨発行権をもつアメリカが最大化したものなのだ。イラクで戦争を始めてしまったからである。三か月程度で決着がつくという見通しで戦端が開かれたのだったが、案に相違して、五年目に入ってもまだ米兵の駐留は続いている。
 ロシアが誕生したことによってドル経済圏は大きく拡大したのだが、クリントン政権で得たその時の大幅な財政黒字を、アフガニスタンとイラクで戦争を始めたブッシュ政権はあっという間に使い果たしてしまった。軍隊をイラクに長期間展開させておく費用を調達するために、増税するという決断をすることはできなかった。誕生したばかりのブッシュ共和党政権を、それは短命に終わらせることを意味していたからである。

 戦費を調達するために米国債の追加発行を上院が認めたのは、イラク侵攻があった年の8月のことだった。米国はドルを発行する権利を恣(ホシイママ)に操っていたのだが、それでもドルが不足するようになってしまったのである。そこで原油相場を引き上げてドルの需要を拡大するという戦略がとられた。その結果、原油相場がどんどん上昇するようになっていき、世界中をインフレの嵐に巻き込んでしまったのだった。生産と輸送のコストが上がったため、すべての物の値段が上がるようになっていき、国際社会は原油高を原因とするインフレに苛まれる結果を強要されることとなった。
 
 原油価格が高くなればなるほど、決済するための通貨であるドルの需要は膨らむ。ドルの供給を怠れば、世界中からドルを求める声が高まって、異常なドル高現象がおきるようになる。アメリカは原油価格を高騰させれば、ドルの発行量を増やすことができるということを知っていた。需給が逼迫しているという情報をメディアに流すだけで、原油相場を吊り上げていくことが可能な状態になっていた。つまり、WTIはアメリカによって制御されていた市場である、ということができるのだ。
 政権交代が明らかとなった2008年の秋から、原油相場は急落を始めている。いまではピーク時の四半分程度のレベルにまで落ち込んでしまった。同じ頃、アメリカでは金融資本の破綻が社会問題となり、国内市場は底が割れたようにして軒並み暴落するような展開に陥っていた。これでは、需給の逼迫を演出するという訳にもいかなかった。このために、原油相場はイラク戦争が始まる前の水準へと、経済原則に従って自動的に引き戻されることとなったのだった。

 ローカル通貨がそのまま基軸通貨として通用するようになると、その通貨発行権を持つ国は、通貨供給量を制御することによって、任意の為替レートを誘導することができる身分となる。ドルを売り惜しめばドル高が実現するのだし、ドルを供給し続けていればドル安の状態が常に維持できる。ドル安政策とは、ドルの発行権を拡大すると同時に、米国債の大量発行を可能にするという目的を合わせもつものだった。米国債を大量に売りつけていても、ドルの価値が下がり続けているのなら、アメリカの借金はどんどんその規模が小さくなってゆく。
 ドルの過剰流動性とは、このような戦略によって生み出されてきたものなのだ。市場でドル通貨が必要以上に余ることを避けるには、金利を上げて速やかに回収する仕組みにすればよい。米銀が世界中から回収したドルは、ドル資本と呼ばれるグループが引き出して、様々な投資活動に振り向けられていくのである。ブッシュ政権はこの経過をファンダメンタルズの結果であるとしてきた。その最終的な到達点が、今回の金融危機という結末を招き寄せることとなったのである。

 日本を対象とする投資戦略の場合なら、余ったドルで土地や企業などの買収が行われるということなのだ。M&Aが俄かに盛んになったのは、国際金融資本の手口に便乗する組織が買収ビジネスの妙味を知ったからである。ドル資本は余ったドルを転用して日本資産の買収を行ったのだが、当然ながらドルを円に換えるときには為替市場を通さなければならない。
 このとき、円高の高進が頻発したため、日銀は大量の円売りドル買いの市場介入を度々行った。この時に日銀が買い込んだドルが、外貨準備高と呼ばれるものになっている。その内訳の90%がアメリカの公債になっているため、米政府は発行し過ぎて余らせたドルを回収し、それを日本へ売りつければ自動的に米国債が売れることを知っていたのである。この仕掛けを思い付いたのは、85年のプラザ合意のあたりだったと思われる。

 アメリカのタクラミを知らなかった旧大蔵省と政府日銀は、円高になる度に円を売って熱心にドルを買い、為替レートを安定化させていなければならなくなったのである。その結果、今では膨大な金額の米国債を保有する身分となったのだが、ドル安政策でその資産価値が目減りするのみならず、円高が進んだことにより、時価換算すると更に大きく債権総額が圧縮されるようになってしまった。
 円買い活動が華やかなりし頃に金融資本が手に入れた巨額の日本資産は、世界最低の金利水準となっていた日本の金融市場から、大量の円を引き出すための担保として使われるようになったのである。低利の円を引き出して高利の地域通貨で運用すれば、それだけで大きな利益を得ることができる。それを更に金利の高い人民元で運用すると、10%以上の経済成長を続けていた中国の市場からも、もっと大きな運用益が得られるという見えない仕掛けが働いている。

 ドルによる人民元への投機が盛んになっていったことから、中国の外貨準備高は日本のそれを急追して、あっという間に追い抜いてしまったのだった。その結果、日本と中国がアメリカに対する最大の債権国となったのである。だが、ドル安政策の効果で保有資産の価値は目減りする一方となり、それを取り崩すこともできないという状態が、経済政策を無防備にしていた国に与えられることとなったのである。
 債券の大量売却という行為は、米国の長期金利に重大な影響を及ぼし、株価を押し下げるという最悪の結果を招く。資産価値を減らしたくない債権保有国は、米国債を抱え込んでいてもいつかドル高の時代がやってくる、と堅く信じて疑わなかった。ドルのからくりとそのメカニズムを知っていれば、金融危機で蒙った損害をもっと軽微なものにすることができていただろう。金融市場で想定外の破綻が唐突に起きたことによって、ドルの通貨価値は一瞬にして更に大きく減じてしまうこととなったのだった。


 基軸通貨は、本来国連のような第三者機関が発行するべきものなのだ。偏りのない独自の立場で公平かつ公正な通貨交換を行い、その手数料で国際的に中立であるべき組織を、独自の経済能力で賄うことは十分に可能なことであった。国連という組織は分担金に依存することなく、国際関係の調整を機敏かつ果断に実行することができるようになっていた。今回の世界同時不況でドルの不公平性が詳らかになると、ドルに代わる第三通貨の必要性を世界中が認識するようになる。
 アメリカにだけ富が集積するという現状を訝しく思わなかったということが、ドル建ての保有資産から価値を奪い去っていったということになるだろう。この経緯に学ぶことができれば、世界はいくらか住みよくなるはずだ。アメリカのやってきた通貨政策に基づく独尊的な繁栄は、石油産業と軍需産業を栄えさせ、国際経済をよりアンバランスなものへと押しやっている。その結果、米国経済を過剰消費へと駆り立て、国内の市場を活性化させることに成功したかに見えたのだったが、その果てに世界を待っていたものは、資本制度への不信任と、ドル通貨への信用収縮を起源とする、投資家を含む金融機関の離反という結末であった。市場形成の立役者となっていた輸出産業は、ドル安が深刻化してしまったために、生産活動そのものを自重せざるを得なくなり、そのシワ寄せが労働市場へと瞬時に拡大していったのである。問題の本質を知ろうとしなかった指導者たちによって、それぞれの国民はこのようにして不幸へと陥れられてしまったのだった。誤った選択が導くその結末が、最終的に原因を構成した者のところへやってくる、というのは法則に基づく厳然たる事実なのだった。


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2008年07月27日

最終選択とはなにか

「超電導電源の必要性とその有効性について」

交流送電を温存したまま二酸化炭素の排出量を50から80%以上減らす、というのは実現不可能なはなしである。猶予期間が半世紀もあるというのは、具体的な削減方法が未だ見つかっていない、ということ。手段が用意されていたなら、それを速やかに実行すれば片付く単純な話。大きな削減目標を掲げても、それがただのお題目になっている。どうすればよいのかということが、まったく見えていない証拠がここにある。
その壮大な目標値が本当に実現不可能なものなのか、というと決してそんなことはない。エネルギー分野が生み出しているCO2をゼロにする方法というものは、ちゃんと残されている。その技術は、超電導トランスと呼ばれている。正式には相転移トランスというのだが、超伝導相から常伝導相へと電気エネルギーを移転させるための装置である。概要は、電信柱の上の変圧トランスとまったく同じもの。一次側コイルが超伝導になっているという所が、ミソ。これだけで、決定的な違いが生み出せる。世の中は、不思議なことがおきるもの。

超伝導は、電気抵抗がゼロという特殊な物理現象のこと。同時に、外部からかかる磁場の影響をまったく受けつけない。この二つの条件を同時に満たしたときに、超電導と呼ぶことになっている。超電導を成り立たせるための手段は、極低温という熱環境の維持と、電流を流した時に電気抵抗を失って、外部磁場をキャンセルする素材を用いるということ。
常電動では電子に宿る電荷の集合である電流はケーブルの表面を流れるのだが、超電導では凝縮した電子対がケーブルの媒質全体を使って一斉に電荷の移動を行っている。このため、電流密度は極めて高い状態になっている。北朝鮮がよくやる分裂行進を常伝導電流に例えるなら、超伝導はそれが三次元方向にびっしりと重なって、一斉に移動する姿を想像すればよい。
この差が電流密度となって現れてくるため、大電流を流すとそこに強磁場が発生する。磁気浮上列車が非接触で高速走行することができているのは、超伝導磁石のもつ強い反発力を使って車体を宙に浮かしているから。そのモデルは、リニアモーター・カーと呼ばれている。これは、推進力を線形モーターにしているところからきている俗称。

超伝導コイルを一次側におく相転移トランスというものは、超電導コイルが閉回路を構成しているため、閉じたコイルの中を果てしなく流れ続ける。電気抵抗がまったくないから、どんなに循環させても電流損失は一切発生しない。電流には磁場が付随して移動するため、その磁束密度に応じた電流を二次側の常電動コイルに誘導することができる。
この誘導電流は、超電導一次コイルに対して磁気圧力をかけるのだが、超伝導の特徴の一つであるマイスナー効果によって、一次側の閉じたコイルは外部磁場の侵入を許さない。このため相互誘導は成立せず、逆起電力の影響を超伝導コイルが受けるようなことはおきない。
磁場を取り去って得た誘導電流は逆向きに流れる性質をもつものであることから、相互誘導が発生すると強い抵抗を互いに与えあう関係となる。だが、超伝導の二大特性である完全導電性と完全反磁性とが併存する状態になると、逆起電力と呼ばれる抵抗の影響を超伝導コイルははねつける。このため、一次側ループコイルを流れる超電流は、永遠に流れ続けるものとなる。
 
このことは、常伝導二次コイルに誘導電流を発生させても、電源側の超電導コイルを流れる超電流に与える影響はゼロ、ということを意味している。つまり、超電導コイルを流れる電流は些かも減ることなく、そこに存在し続けるということができる。電源電流が毀損されないため、誘導電流をいくらでもそこから取り出すことができるようになるのである。この使っても減らない電源装置を、相転移トランスと呼んでいる。 
超伝導コイルは一度だけ充電する必要はあるものの、それ以降は充電してはならない。過剰な電流密度は、超伝導条件を破壊することがある。一次電源となる発電装置を太陽電池とした場合、資源をまったく消費しない二次電源ができるということになる。しかも、誘導された電流を常伝導側の二次コイルから一次コイルへと電位に副って戻してやると、電源電流は自己増殖するような結果を生む。
超電導コイルを流れる電流密度が所定の値に達したら、発電装置を取り外さなければならない。発電装置を設置したままにしておくと、電流密度が上がり過ぎて、超電導状態が破れることになり兼ねない。電源を外さない場合は、誘導電流を引き戻す回路を常時開放状態にすればよいのだが、使わない発電機を搭載しているのはまったく意味がないので、できる限り転用して他で活用するのが合理的というものであろう。

電源を取り外してしまうと、二次電源だったものが一次電源へと変化する。この状態になると完全な独立分散電源と呼ぶことができるようなシステムになる。消費する資源がないため、誘導された電流をどんなにつかっても、減衰しない電源系が成り立つからだ。原理はいわゆる電磁誘導である。電流と直交する方角に磁場が帯同して移動するという、あの古典的な理論。
電気と磁気とは、本来一つとして扱うべきものなのだ。電気が図の成分になっているとき、磁気は地を構成する陰の成分へと転化する。電磁気の理論を知っている人は全容を理解しているが、知らなければどちらか一つの属性しかみようとしない。電気をみている人からは、磁気エネルギーが捨象されている。磁気に注目しているのなら、電磁石のように電気の成分は表沙汰にはならない。実態は、両方の成分が一体のものであるということ。要するに、磁気エネルギーは、未利用エネルギーに分類すべきものなのだ。超伝導トランスは、この磁気から電気を取り出すことを目的としたものである。

電信柱の上に乗っている変圧トランスは、常伝導ケーブルでこれをやっている。常伝導だから、相互誘導の影響をモロに受ける。逆起電力が発生するのだから、抵抗が増えて電圧が上昇する。この影響を送電系統の外へ払いだすために、接地点から過剰となった電流を即座に捨てなければならなかった。
消費者が電気製品のスイッチを切ると、二次側の低圧コイルに流れていた電流が(自己誘導で)過剰な状態となるため、電流密度が一時的に増えて磁束密度を高める。この変化が高圧側コイルにも逆起電力を誘導することになる。省エネ節電や太陽光からの逆潮流があると、商用電源側の電流がコイルを励磁していても、そこから誘導される電流はその分だけ減ってしまうのである。
一次電流を捨てて誘導電流から電気エネルギーを取り出しているのが、交流送電という世界中で普及している電力輸送システムなのである。このような無駄を前提として成り立っているインフラを保守していたのだったからこそ、安定した電力を偏りなく、至るところへと安全に届けることができているという訳。節電努力をどんなに積み重ねてきても、CO2がまったく減らせていなかったのは、ものの道理だったということができるだろう。

【発電機を解列した後になっても燃焼炉が稼働を続けているため、消費者が電力消費をどれほど抑えたとしても、二酸化炭素を少しも減らすことができなかったのだった。蒸気発電というシステムは、高い蒸気圧を常に維持していなければならないものなのである】

交流送電を続けている限り、電力分野で生み出している二酸化炭素は増えることはあっても、減ることはない。温暖化が進んでいるのは、効果のない対策をそれと知らずに続けてきたからである。電力会社が情報を公開しなかったからといって、交流送電の限界を誰一人知らなかったはずはない。問題点を指摘してこなかったのは、みるべきものが見えていなかったからであろう。また、知っていても黙っていなければならない立場の人もいる。
日本には多くの知識人がいる。誰か一人くらい真実に気付いてもよさそうなものなのだが、不幸にしてそのような人物はいなかった。これは、日本だけの特殊な問題ではない。世界中で、同じ経過が観測されている。問題の所在を正しく知ることができていれば、総力をあげて解決策を早く見出すのは可能なことであった。

現在の文明は、このような次元で壁にぶつかって佇んでいる。ここを突破できなければ、地球の再生はない。すべての生命は、滅びゆく運命を共にする。事の顛末を承知することができていれば、手の打ちようはいくらでもあった。無知をそれと悟らない傲岸な意識は、恐ろしい結末をただ引き寄せるのみなのだ。知識の量的拡大に努めてきた教育システムは、環境問題を解決するための思考力を文明から奪い去っていた。人災は、忘れた後でやってくる。

2009/2/1 revised

plan_es at 07:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2008年07月06日

教育システムに潜む弊害が顕在化している (誤った選択の結果)

 平等化と平均化を目指してきたこれまでの教育システムは、知識人から認識能力を奪い去っている。世の中で起きている不具合の一切は、すべての人による無理解とそれによる無批判な態度が複合したことによって、至る所に蔓延してしまった。
 原油の高騰は、アメリカが市場価格を誘導してきたそのなれの果て。自分たちでコントロールすることができなくなってしまったから、今度は国際社会にその尻拭いを求めようとしている。その実態が、すでに見分けられなくなっている。教育制度が生み出してきた弊害は、いまや世界中に及んでいる。たとえば、温暖化対策で太陽光発電の量的拡大に努めても、燃焼炉が止まっていないという現実が見えていなかった。きちんと点検していれば、どこに問題があったのかということは、すぐ見えていたはずである。
 温暖化対策に実効が引き出せなかったのは、認識の作法そのものに欠陥が潜んでいたからなのだ。自己分析をしなくなった人類は、滅亡への道をただ急ぐ以外にない。温暖化の悪化は、その事実を証明するためのものになっている。

 WTIの産油量は、世界全体の産出量からみて1%以下のシェアでしかない。(最新の情報では0.6%) その微小なシェアを活用して世界の原油相場を決定する力をもつようになったのは、同じ油種である軽質油を大量に輸入して西テキサス産の原油と混ぜて流通量を拡大してきたからだった。
 ブッシュの選挙基盤がテキサスであることを忘れてはならない。阿吽の呼吸で原油相場は変動する。その下地が夙にできていた。流通量が不安定なままなのは、その方が好都合だったからである。原油の備蓄量を増大させる措置をとってさえいれば、つまらない理由で原油の需給が毎年同じように逼迫することなどおきるはずがないのだ。無能無策ぶりをひけらかしてまで平然としているその姿からは、それがアメリカの利益にかなった行為であるというメッセージがよく伝わってきたものだ。

 イラク戦争とその後の増派ならびに駐留期間の延長などで、アメリカは軍事予算を大量に追加して調達しなければならなかった。しかし、米国民に対する増税は行われていない。軍資金がどこからでたのかさえ、問題とされたことはなかった。ドルの発行量を増やせば、戦費はいくらでも調達することができる。ドル通貨の需要を増やすには、ドルで決済しなければならない原油価格を引き上げるのがもっとも手っ取り早い方法である。
 発行しすぎて余ったドルは、貿易黒字国へ売りつけるなど様々な方法が駆使されていた。(サブプライムローンの破綻はその一例に過ぎない) 日本では、外資がやってくるだけで円高が簡単に誘導されてしまうのだ。円高になって困る立場の政府日銀は、ドルを買うために大量の円を売ってきた。その円で買ったドルは、安全で金利が保証されている米国債へと向けられていく。ドルのもつ属性である過剰流動性をドル資本の買収手段として使わせると、最終的に米国債が売れてリフレッシュされたドルが現金で米政府の懐へと転がり込んでくるという仕掛け。マネーロンダリングの手法と、なにやらよく似たシステムになっている。

 その結果が、100兆円を超す日本の外貨準備高となったのだった。この資本は財務省が発行した短期証券で賄われているため、国の債務負担は毎年確実に増加し、国内市場からは資本の空洞化がおきるようになっていった。それを埋め合わせるために外資を導入する政策をとったため、日本の固有資産を益々外資に買収させて市場を提供するようになっただけでなく、獲得させた利潤を三カ月周期でどんどん本国へと送金させてしまったのだった。
 日本市場でカネがまわらなくなったのは、ドル資本が収益を持ち去っていったからなのだ。金の回らない市場が枯れることは、承知の通り。実際に今年になってからの資本の流出は莫大な金額に上っている。これらはすべて政府判断の過ちの結果が生み出したものに相違ない。外資を積極的に導入するよう図ったのは、当時の首相だったコイズミと呼ばれる人物。何故か今でも高い人気を集めている。

 この程度の簡単に分かる顛末を、この国では誰一人指摘したことがなかった。問題がみえていなかったからである。高い教育を受けると、判断能力が衰える。知識の量を競うだけの学習方法は、批判精神を育てない。権威に従うものだけに高い得点が配当されるため、学生は不必要なほど従順である。限界に達して突如としてキレるケースが社会問題化しているが、その原因を特定することは未だできていない。無意識に洗脳する者と洗脳される者だけで、教育システムというものが成り立っている。
 批判精神が育たなかったのは、道理であった。学習内容はほぼ共通しており、カリキュラムはその範囲の中で策定されている。受験のための学習しかしないから、問題を解くことには熱心でも、問題を生み出してきた背景やその原因などについて関心をもつことに価値はなかった。このような状況の中で国と国民が共に成長してきたために、現在起きているさまざまな不具合について、何の批判も感慨ももてなくなってしまったようである。


 交流電流が止められないものであることを知りながら、節電すると二酸化炭素が減らせると素直に信じ込んでいる。思考能力が衰えていることを、まったく理解できなくなっている。落ち着いて考えてみたらすぐにわかる程度の簡単な問題が、何故か解けない。高度な知識を必要とする試験問題の答えはすぐにだせるくせに、答えの用意されていない問題にはちっとも対応することができない。教科書に書かれていないものは、まったく分からないという人種で世界は満ち溢れている。問題の所在を探ろうともせず、効果のない対策を信じてエネルギー消費の抑制にひたすら努めている、というのが人類のありのままの姿。洞察力に欠けた認識が通用するようになったのは、この20年ほど前から見受けられるようになったことである。バブルのピークだった、あの頃のこと。

 昨今みられるようになったマニュアル依存症は、教育システムの弊害が悪化した症状となって現れたものである。バブルが崩壊した時にも、判断停止という状態が長期間続いたことがある。テキストが用意されていない問題に遭遇すると、思考はそこで停止する。この不作為の時代のことを、後に失われた十年と呼ぶようになったのだった。
 これらの諸症状を並べてみると、教育システムが生み出してきたものの毒性の強さ、というものがみえてくるだろう。判断の当否そのものを判断することができなければ、決断は丁半賭博の結果と大差のないものとなる。日本政府が行ってきたこれまでの判断の多くは、誤ったものだった。正しい判断がもしなされていたのだったら、国がこれほど短期間で困窮するような事態に陥るはずがない。世界中が、今、この状態に嵌まっている。地球というシステムが行き詰るようになったのは、蓋し当然のことだった。


plan_es at 07:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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