作品や作画について
Q21.
面相筆で描く線の柔らかさや繊細さが美しく、見惚れてしまいます。
最近お気に入りの画材などありましたら教えていただきたいです。
A21.
面相筆は、一本、二・三千円はしますが、その一本で3〜4年はもつので安上がりと言えば安上がりです。筆ペンは使いません。サイン会で筆ペンを用意されても無駄になるので書いておきます。最近はペン画も面白いなと思ったりもしてます。ラフなペン画に筆でアクセントを付けるのです。
諸星大二郎先生の独特な画法のペン画が面白くて好きなのですが、練習して描けるものでも無さそうなので、真似はしません。諸星先生は先生で、最近は鉛筆画にハマッたりしてる様で、目が離せません。
あの先生は、自分の本にサインをするのが面倒くさいからと、大きな消しゴムに何種類も違う絵とサインを彫って、スタンプとして使ってました。私もスタンプを押すのを手伝いましたが、こっちの方がよっぽど面倒くさいと思います。
KADOKAWA文芸WEBマガジン
恐怖ものから脱力系まで緩急自在なモロホシワールド、ここにあり! 諸星大二郎×高橋葉介『夢のあもくん』刊行記念対談
Q22.
「もののけ草紙」や「夢幻紳士 迷宮篇」時の掠れた画風が大好きです。
どのように描かれてるのでしょうか?
A22.
あれは表面がザラザラした紙に筆で描くのです。初めに墨で下絵を入れて、薄ズミで影を入れてから、カラーインクで重ね塗りをしていきます。カラーインクはちゃんと乾いてから重ねて塗ること。混ぜてはいけません。別に混ぜてもいいですが、私はやりません。二度と同じ色が作れないからです。
この前、本屋で『漫画の描き方・テクニック』とかいう本を立ち読みしたら、色は明るいものから塗って最後に影をつけるのだと書いてあったので「あーそうなんだ」と思いました。その他にも私が全然知らなかった事や、まったく理解不能な事がたくさん載っていたので怖くなって読むのをやめました。
私は他人に漫画の描き方を教える事など出来ないのだな。と思いました。
Q23.
高橋先生大好きです! ずっとずっと先生の漫画を読み続けたいです!
青年魔実也さんの描き方といいますか、魔実也さんを描く時に意識していることをお聞きしたいです!
A23.
ありがとうございます。私だって、出来る事ならずっとずっと漫画を描いていたいと思っているのです。
魔実也さんを描く時は、なるべく、なるべく、イヤミにならない程度の気障な男に描く様にしてます。キザって気に障ると書くのね。今気付いたわ。
それから、サイン会では自分の名を入れた横に簡単な絵を描く様にしています。サイン用に考えた魔実也さんの絵は最短十秒くらいで描けます。どうも以前私は、「漫画描きならサインする時にはどんなカンタンな絵でもいいから、名前の横に入れるべきだろ」と言ったらしくて、それをオボエている人も居るのです。余計な事言わなきゃ良かった。
Q24.
先生の1枚絵作品のタイムプラス(製作過程)を見たいです。
描いているところをYouTube等に投稿されないでしょうか…?
A24.
オープン・キッチンにして、調理してる所をお客さんに見せて、おいしく料理を食べさせる事の出来るお店もありますが、私の場合は〝見なけりゃ良かった〟〝食欲が無くなる〟系のお店なので見学はお断りします。
手品の種明かしをせがむ観客が、種を知った途端、少しがっかりして、「なんだか騙された様な気がする」と言う様なものです。だから騙してるんだってばよ。
昔は、それこそ漫画の中でよく描かれている『ネタが出なくて苦しまぎれに自分の頭を柱や床にガンガン打ちつけるマンガ家』と言うのをマジでやってましたが、奥さんに「それは怖いからやめて」と言われたのでやめました。
Q25.
ストーリー作りや作画等、どのような配分で作品を作られているのでしょうか。
先生の描かれる物語のリズム感・妖しさとお茶目さが入り混じった世界観が大好きです。
これからも応援しております。
A25.
たとえば。
頭の中に、シナリオライター、カメラマン、効果マン、役者、フィルム編集マンをそれぞれ別人格で用意します。彼らの仕事を仕切る〝監督〟のキャラクターも、もちろん必要です。さあ各人にそれぞれの仕事をしてもらいましょう。監督は全体を取り仕切る事が出来るでしょうか。
あ、シナリオライターは延々と続く意味が有る様で全く無いセリフをだらだらと書き始めましたね。このセリフ、フキダシに収める事を考えて書いてるんでしょうか。カメラマンが、凝りすぎて何を描いているのかわからない構図を撮ってます。効果マンの自己主張が強すぎて画面が擬音だらけです。役者は読者に媚を売ることしか考えていなくて、ただ自分を格好良く見せるポーズをとるだけで演技なんかしやしません。編集マンは、タランティーノもどきの奇を衒ったつぎはぎ編集をして一人悦に入っていますが、お話が空中分解して、もはや理解不能です。
あ、監督、逃げましたね。逃げちゃいました。後はよろしくと言ってます。何がよろしくなんでしょうか。
……ま、私は嫌いじゃないけどね。こーゆー無政府状態の漫画。いや、私はこんな〝システム〟取りませんよ。最初に言ったでしょ。
たとえばって。
Q26.
先生の唯一無二の世界観はどこからくるものなのでしょうか?
映画や小説などはよく鑑賞されるのでしょうか。
その尽きることなく溢れ出るアイディアの源は、何でしょうか?
A26.
アイデアなんかとっくに尽きています。
と、いうか、この世に唯一無二の創作物なんて無くて、全て先に或る物のパロディ・オマージュ・リスペクト、言い方は色々ありますがつまりはパクリです。
あーこのお話は素敵だな。こういう物が描きたいなと思って、でもそのまま描いたら、そりゃおこられるよな。主人公の性格変えてみようか。そうすると話の進み方も変わるよな。視点も変えると面白いかもな。すると全く違う物の見方になるから、結末も変わるよな。そうこうするうち、元が何だったか全然わからなくなるのです。
つまり、すぐにバレる様なパクリ方をするのはアマチュアで、絶対バレないパクリをするのがプロ。あくまで私見です。怒らないで下さい。
Q27.
高校生の時に夢幻紳士を読んでから先生の描く幻想的な世界観に惹かれてファンになりました。魅力的な女性や魔実也のような色気のあるキャラクターが登場しますが、先生がキャラクターをつくるなかで影響を受けたものを教えてください。
A27.
私は子供の頃(小学校の4〜5年まで)とにかく怪獣が好きで、ず〜っと怪獣の絵ばっかり描いていた。自作の怪物も考えたりしてそれを絵に描いては、これを円谷プロが実写化(その頃はこんな単語はボキャブラリィには無かったが)してくれないかなあ。とか夢想した。
つまり実際には存在しない、自分の頭の中にだけ在る物を、紙の上に実体化させる訓練をしていたようなものだな。と今になって気が付いたりしているのです。
でも私ぐらいの年代だと、今でも、ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブン、ぐらいまでなら登場した怪獣、宇宙人の名前はだいたい全部言える〝いい年こいた怪獣博士〟は別に珍しくないよ。本当だってば。
Q28.
先生の作品は、長年画業をされてる事もあって画風の変遷が多くみられるのですが、その時々できっかけや影響を受けたものはありますでしょうか?
A28.
画風については、そりゃ長くやってりゃ変るだろと思います。もっとも私みたいにコロコロ変り過ぎると、「人間性が信用できない」と言われるかもしれませんが。
幼少期には、怪獣映画が好きでしたから、もう少し早く生まれたら円谷プロに入社して映像の仕事をしたかもしれません。中学生の頃に、筒井康隆やレイ・ブラッドベリとか内外のSF幻想小説を読んで、こういうお話を書きたいなと思いましたが自分に文才が無いのはわかっていたので小説家になるのは諦めました。小説家の人がよく冗談で、「自分は本当は漫画家になりたかったが画が描けないから小説家になった」とか言ってますが、文章だけで人を感動させる方がよっぽど至難であろうと思います。
二十代後半ぐらいで、「ルパン三世・カリオストロの城」を観て宮崎駿を知りました。これもまた絶妙なタイミングで、もっと早く十代の頃でしたら、そのままアニメーションの世界に行ったでしょうし、もっと遅い時期なら感性が硬化していてそれ程、影響は受けなかったでしょう。
年を取ってから、人を介して漫画家の諸星大二郎先生と知己を得る事が出来ました。
これも、若い頃に知り合っていたら、きっと喧嘩になったろうと思うのです。今では良い茶飲み友達になっていただいています。
その時々に出会った人、知ったり観たり、読んだりしたもので今の自分に成ったのだなと思います。
Q21.
面相筆で描く線の柔らかさや繊細さが美しく、見惚れてしまいます。
最近お気に入りの画材などありましたら教えていただきたいです。
A21.
面相筆は、一本、二・三千円はしますが、その一本で3〜4年はもつので安上がりと言えば安上がりです。筆ペンは使いません。サイン会で筆ペンを用意されても無駄になるので書いておきます。最近はペン画も面白いなと思ったりもしてます。ラフなペン画に筆でアクセントを付けるのです。
諸星大二郎先生の独特な画法のペン画が面白くて好きなのですが、練習して描けるものでも無さそうなので、真似はしません。諸星先生は先生で、最近は鉛筆画にハマッたりしてる様で、目が離せません。
あの先生は、自分の本にサインをするのが面倒くさいからと、大きな消しゴムに何種類も違う絵とサインを彫って、スタンプとして使ってました。私もスタンプを押すのを手伝いましたが、こっちの方がよっぽど面倒くさいと思います。
KADOKAWA文芸WEBマガジン
恐怖ものから脱力系まで緩急自在なモロホシワールド、ここにあり! 諸星大二郎×高橋葉介『夢のあもくん』刊行記念対談
Q22.
「もののけ草紙」や「夢幻紳士 迷宮篇」時の掠れた画風が大好きです。
どのように描かれてるのでしょうか?
A22.
あれは表面がザラザラした紙に筆で描くのです。初めに墨で下絵を入れて、薄ズミで影を入れてから、カラーインクで重ね塗りをしていきます。カラーインクはちゃんと乾いてから重ねて塗ること。混ぜてはいけません。別に混ぜてもいいですが、私はやりません。二度と同じ色が作れないからです。
この前、本屋で『漫画の描き方・テクニック』とかいう本を立ち読みしたら、色は明るいものから塗って最後に影をつけるのだと書いてあったので「あーそうなんだ」と思いました。その他にも私が全然知らなかった事や、まったく理解不能な事がたくさん載っていたので怖くなって読むのをやめました。
私は他人に漫画の描き方を教える事など出来ないのだな。と思いました。
Q23.
高橋先生大好きです! ずっとずっと先生の漫画を読み続けたいです!
青年魔実也さんの描き方といいますか、魔実也さんを描く時に意識していることをお聞きしたいです!
A23.
ありがとうございます。私だって、出来る事ならずっとずっと漫画を描いていたいと思っているのです。
魔実也さんを描く時は、なるべく、なるべく、イヤミにならない程度の気障な男に描く様にしてます。キザって気に障ると書くのね。今気付いたわ。
それから、サイン会では自分の名を入れた横に簡単な絵を描く様にしています。サイン用に考えた魔実也さんの絵は最短十秒くらいで描けます。どうも以前私は、「漫画描きならサインする時にはどんなカンタンな絵でもいいから、名前の横に入れるべきだろ」と言ったらしくて、それをオボエている人も居るのです。余計な事言わなきゃ良かった。
Q24.
先生の1枚絵作品のタイムプラス(製作過程)を見たいです。
描いているところをYouTube等に投稿されないでしょうか…?
A24.
オープン・キッチンにして、調理してる所をお客さんに見せて、おいしく料理を食べさせる事の出来るお店もありますが、私の場合は〝見なけりゃ良かった〟〝食欲が無くなる〟系のお店なので見学はお断りします。
手品の種明かしをせがむ観客が、種を知った途端、少しがっかりして、「なんだか騙された様な気がする」と言う様なものです。だから騙してるんだってばよ。
昔は、それこそ漫画の中でよく描かれている『ネタが出なくて苦しまぎれに自分の頭を柱や床にガンガン打ちつけるマンガ家』と言うのをマジでやってましたが、奥さんに「それは怖いからやめて」と言われたのでやめました。
Q25.
ストーリー作りや作画等、どのような配分で作品を作られているのでしょうか。
先生の描かれる物語のリズム感・妖しさとお茶目さが入り混じった世界観が大好きです。
これからも応援しております。
A25.
たとえば。
頭の中に、シナリオライター、カメラマン、効果マン、役者、フィルム編集マンをそれぞれ別人格で用意します。彼らの仕事を仕切る〝監督〟のキャラクターも、もちろん必要です。さあ各人にそれぞれの仕事をしてもらいましょう。監督は全体を取り仕切る事が出来るでしょうか。
あ、シナリオライターは延々と続く意味が有る様で全く無いセリフをだらだらと書き始めましたね。このセリフ、フキダシに収める事を考えて書いてるんでしょうか。カメラマンが、凝りすぎて何を描いているのかわからない構図を撮ってます。効果マンの自己主張が強すぎて画面が擬音だらけです。役者は読者に媚を売ることしか考えていなくて、ただ自分を格好良く見せるポーズをとるだけで演技なんかしやしません。編集マンは、タランティーノもどきの奇を衒ったつぎはぎ編集をして一人悦に入っていますが、お話が空中分解して、もはや理解不能です。
あ、監督、逃げましたね。逃げちゃいました。後はよろしくと言ってます。何がよろしくなんでしょうか。
……ま、私は嫌いじゃないけどね。こーゆー無政府状態の漫画。いや、私はこんな〝システム〟取りませんよ。最初に言ったでしょ。
たとえばって。
Q26.
先生の唯一無二の世界観はどこからくるものなのでしょうか?
映画や小説などはよく鑑賞されるのでしょうか。
その尽きることなく溢れ出るアイディアの源は、何でしょうか?
A26.
アイデアなんかとっくに尽きています。
と、いうか、この世に唯一無二の創作物なんて無くて、全て先に或る物のパロディ・オマージュ・リスペクト、言い方は色々ありますがつまりはパクリです。
あーこのお話は素敵だな。こういう物が描きたいなと思って、でもそのまま描いたら、そりゃおこられるよな。主人公の性格変えてみようか。そうすると話の進み方も変わるよな。視点も変えると面白いかもな。すると全く違う物の見方になるから、結末も変わるよな。そうこうするうち、元が何だったか全然わからなくなるのです。
つまり、すぐにバレる様なパクリ方をするのはアマチュアで、絶対バレないパクリをするのがプロ。あくまで私見です。怒らないで下さい。
Q27.
高校生の時に夢幻紳士を読んでから先生の描く幻想的な世界観に惹かれてファンになりました。魅力的な女性や魔実也のような色気のあるキャラクターが登場しますが、先生がキャラクターをつくるなかで影響を受けたものを教えてください。
A27.
私は子供の頃(小学校の4〜5年まで)とにかく怪獣が好きで、ず〜っと怪獣の絵ばっかり描いていた。自作の怪物も考えたりしてそれを絵に描いては、これを円谷プロが実写化(その頃はこんな単語はボキャブラリィには無かったが)してくれないかなあ。とか夢想した。
つまり実際には存在しない、自分の頭の中にだけ在る物を、紙の上に実体化させる訓練をしていたようなものだな。と今になって気が付いたりしているのです。
でも私ぐらいの年代だと、今でも、ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブン、ぐらいまでなら登場した怪獣、宇宙人の名前はだいたい全部言える〝いい年こいた怪獣博士〟は別に珍しくないよ。本当だってば。
Q28.
先生の作品は、長年画業をされてる事もあって画風の変遷が多くみられるのですが、その時々できっかけや影響を受けたものはありますでしょうか?
A28.
画風については、そりゃ長くやってりゃ変るだろと思います。もっとも私みたいにコロコロ変り過ぎると、「人間性が信用できない」と言われるかもしれませんが。
幼少期には、怪獣映画が好きでしたから、もう少し早く生まれたら円谷プロに入社して映像の仕事をしたかもしれません。中学生の頃に、筒井康隆やレイ・ブラッドベリとか内外のSF幻想小説を読んで、こういうお話を書きたいなと思いましたが自分に文才が無いのはわかっていたので小説家になるのは諦めました。小説家の人がよく冗談で、「自分は本当は漫画家になりたかったが画が描けないから小説家になった」とか言ってますが、文章だけで人を感動させる方がよっぽど至難であろうと思います。
二十代後半ぐらいで、「ルパン三世・カリオストロの城」を観て宮崎駿を知りました。これもまた絶妙なタイミングで、もっと早く十代の頃でしたら、そのままアニメーションの世界に行ったでしょうし、もっと遅い時期なら感性が硬化していてそれ程、影響は受けなかったでしょう。
年を取ってから、人を介して漫画家の諸星大二郎先生と知己を得る事が出来ました。
これも、若い頃に知り合っていたら、きっと喧嘩になったろうと思うのです。今では良い茶飲み友達になっていただいています。
その時々に出会った人、知ったり観たり、読んだりしたもので今の自分に成ったのだなと思います。
にぎやかな未来 (角川文庫)
筒井康隆
筒井康隆
10月はたそがれの国 (創元SF文庫)
レイ・ブラッドベリ
Q29.
先生の漫画でよく出てくる階段(「夜会」他)や、坂や荒野の風景が印象的です。
あれらはなにかモチーフがあるのでしょうか? また、舞台のモデルになった土地や建物など、いわゆる「聖地」はありますか? あるならぜひ行ってみたいです。
A29.
よく出てくる左手に塀、右手に盛土と木立の有る坂道は岸田劉生の「切通之写生」という絵です。
上野の美術館まで観に行きましたが、思ったより小さな絵で意外でした。週刊誌くらいのサイズだったでしょうか。私がこの絵に魅了されるワケは自分でもよくわからないのですが、「坂の向こうから、何か来る」か、「坂の上まで登れば何かがあるかもしれない」という物語が始まる様な予感がするからでしょうか。
「幽霊船」の船は横浜に係留されている(船底はコンクリートで固定されているそうです)〝氷川丸〟という大戦前の客船です。大戦中は病院船として使われていたんだったかな? 船内に入れるので写真をたくさん撮って来ました。中華街でビールを飲んで帰ったんだっけ。
「学校怪談」によく出る公園は武蔵野市の井の頭公園です。あとは吉祥寺駅の周辺とかJRの高架下とかも描いていますね。近所にあるもので間に合わせてます。
岸田劉生 道路と土手と塀(切通之写生)
独立行政法人国立美術館 所蔵作品検索
日本郵船 氷川丸
都立井の頭恩賜公園
Q30.
旅行はお好きですか? 今まで行った場所で、印象に残っている場所はどこですか?
また、マンガの舞台にしたい場所などありましたら、教えてください。
A30.
旅行は苦手なんですね。昔は本当に乗り物に弱くて、小学校の遠足でバスに乗ると必ず酔いました。今は平気ですが、私がバスに慣れたんじゃなくて、車の性能が良くなったんじゃないでしょうか。とにかく昔は、無茶苦茶揺れたしガソリンの臭いもひどくて排気ガスもまき散らし放題でした。公害だの大気汚染だの単語の影も形も無い頃です。
それでまァ「センセー、あたし、高橋くんの隣りの席に座るの嫌です」となるわな。
せっかく楽しい遠足なのに隣りでゲエゲエやられたら台無しですもんね。だからいつも、遠足で私のバスの定席は担任教師の隣りでした。
遊園地へバスで遠足に行った時の事です。目的地に着いた時には私はもうフラフラで立ってもいられません。組の全員に〝回数券〟が配られて、これで各自乗り物に乗ってこいという事で解散になりましたが、それどころじゃありません。食べ物の臭いを嗅ぐだけで吐き気がこみ上げますから持たされたお弁当の中身はゴミ箱に捨てて、私は一人でベンチに寝っ転がっていました。そしたら、今でいう組のカースト上位を占めてる悪ガキが3〜4人でやってきました。
彼らが言うには「おまえ、何も乗り物に乗らないなら、回数券がムダだろ。オレ達によこせよ」
それでまァ組のカースト下部構成員だった私はそれはもう、もっともだと思って、自分の回数券を彼らに渡して、再びベンチにひっくり返っていたのです。
やがて集合時間となり、バスの前で整列した私が、よっぽど情け無い顔をしていたのでしょう。担任の女性教師が「高橋くん、君何か乗り物に乗ったの?」と聞いてきました。
そこで「はい、乗りました」と言ってしまえば良かったのに、なぜか、つい「えっと僕、何も乗ってません」と正直に答えると、「なに、それは良くない。じゃあ先生といっしょに何かひとつ、乗り物に乗りましょう」担任教師はそう言うと、バスの運転手に「ちょっと待っててちょうだい。あたしこの子と何か乗ってくるから」今だったら、かなり問題になると思われる発言をして、私と、たぶん一番派手だからと言う理由だと思いますが、ジェット・コースターに乗ったのです。
私としては、否も応も無く従うしかありません。人生初めてのジェット・コースターは今のように体をしっかり固定するバーも無く、私は前の手すりに頭をガッツンガッツン打ちつけて放心状態のまま下車したのでした。もっともそのおかげで帰りのバスでは酔わずに済んだみたいです。全く記憶が無くて家に帰ってましたから。
ろくな思い出が無かった幼い頃の遠足ですが、あの時の担任教師には感謝するべきでしょう。あれ以来、乗り物酔いをしなくなった。等という事は全く無いのですが、少なくともこうして、笑えるネタがひとつ出来ました。自分と同じ姓だったので先生の事はオボえています。
「タカハシ先生、ありがとうございました」
高橋葉介Q&A 再び 4 に続きます。
レイ・ブラッドベリ
Q29.
先生の漫画でよく出てくる階段(「夜会」他)や、坂や荒野の風景が印象的です。
あれらはなにかモチーフがあるのでしょうか? また、舞台のモデルになった土地や建物など、いわゆる「聖地」はありますか? あるならぜひ行ってみたいです。
A29.
よく出てくる左手に塀、右手に盛土と木立の有る坂道は岸田劉生の「切通之写生」という絵です。
上野の美術館まで観に行きましたが、思ったより小さな絵で意外でした。週刊誌くらいのサイズだったでしょうか。私がこの絵に魅了されるワケは自分でもよくわからないのですが、「坂の向こうから、何か来る」か、「坂の上まで登れば何かがあるかもしれない」という物語が始まる様な予感がするからでしょうか。
「幽霊船」の船は横浜に係留されている(船底はコンクリートで固定されているそうです)〝氷川丸〟という大戦前の客船です。大戦中は病院船として使われていたんだったかな? 船内に入れるので写真をたくさん撮って来ました。中華街でビールを飲んで帰ったんだっけ。
「学校怪談」によく出る公園は武蔵野市の井の頭公園です。あとは吉祥寺駅の周辺とかJRの高架下とかも描いていますね。近所にあるもので間に合わせてます。
岸田劉生 道路と土手と塀(切通之写生)
独立行政法人国立美術館 所蔵作品検索
日本郵船 氷川丸
都立井の頭恩賜公園
Q30.
旅行はお好きですか? 今まで行った場所で、印象に残っている場所はどこですか?
また、マンガの舞台にしたい場所などありましたら、教えてください。
A30.
旅行は苦手なんですね。昔は本当に乗り物に弱くて、小学校の遠足でバスに乗ると必ず酔いました。今は平気ですが、私がバスに慣れたんじゃなくて、車の性能が良くなったんじゃないでしょうか。とにかく昔は、無茶苦茶揺れたしガソリンの臭いもひどくて排気ガスもまき散らし放題でした。公害だの大気汚染だの単語の影も形も無い頃です。
それでまァ「センセー、あたし、高橋くんの隣りの席に座るの嫌です」となるわな。
せっかく楽しい遠足なのに隣りでゲエゲエやられたら台無しですもんね。だからいつも、遠足で私のバスの定席は担任教師の隣りでした。
遊園地へバスで遠足に行った時の事です。目的地に着いた時には私はもうフラフラで立ってもいられません。組の全員に〝回数券〟が配られて、これで各自乗り物に乗ってこいという事で解散になりましたが、それどころじゃありません。食べ物の臭いを嗅ぐだけで吐き気がこみ上げますから持たされたお弁当の中身はゴミ箱に捨てて、私は一人でベンチに寝っ転がっていました。そしたら、今でいう組のカースト上位を占めてる悪ガキが3〜4人でやってきました。
彼らが言うには「おまえ、何も乗り物に乗らないなら、回数券がムダだろ。オレ達によこせよ」
それでまァ組のカースト下部構成員だった私はそれはもう、もっともだと思って、自分の回数券を彼らに渡して、再びベンチにひっくり返っていたのです。
やがて集合時間となり、バスの前で整列した私が、よっぽど情け無い顔をしていたのでしょう。担任の女性教師が「高橋くん、君何か乗り物に乗ったの?」と聞いてきました。
そこで「はい、乗りました」と言ってしまえば良かったのに、なぜか、つい「えっと僕、何も乗ってません」と正直に答えると、「なに、それは良くない。じゃあ先生といっしょに何かひとつ、乗り物に乗りましょう」担任教師はそう言うと、バスの運転手に「ちょっと待っててちょうだい。あたしこの子と何か乗ってくるから」今だったら、かなり問題になると思われる発言をして、私と、たぶん一番派手だからと言う理由だと思いますが、ジェット・コースターに乗ったのです。
私としては、否も応も無く従うしかありません。人生初めてのジェット・コースターは今のように体をしっかり固定するバーも無く、私は前の手すりに頭をガッツンガッツン打ちつけて放心状態のまま下車したのでした。もっともそのおかげで帰りのバスでは酔わずに済んだみたいです。全く記憶が無くて家に帰ってましたから。
ろくな思い出が無かった幼い頃の遠足ですが、あの時の担任教師には感謝するべきでしょう。あれ以来、乗り物酔いをしなくなった。等という事は全く無いのですが、少なくともこうして、笑えるネタがひとつ出来ました。自分と同じ姓だったので先生の事はオボえています。
「タカハシ先生、ありがとうございました」
高橋葉介Q&A 再び 4 に続きます。