2009年06月29日

現実が理想を超えました

昔気質という言葉で言い切るには、あまりに横暴だったように思うのです。
食事のときの食器の上げ下げはもちろん、入浴時に着替えを準備するのでさえ
父の身の回りのことは母が世話をしてました。

母が生き生きと楽しそうに父の世話をしているのであれば、
私の結婚観はまた別のものになっていたと思います。
母は決して楽しそうではありませんでした。むしろ辛そうでした。
しかも、母がそれでもあんなにも甲斐甲斐しく父の世話をしているにも関わらず
父は母に文句ばかり。お味噌汁の味が薄いとか、爪楊枝を持ってくるタイミングが悪いとか
挙句の果てに「お前は本当に気が効かない」と小馬鹿にしたように言い捨てるのに
母は感情的になって涙ぐむばかり。

そのうえ、母の精神的負担となったと思われるのは、父の両親との同居。
私にとっては優しい祖父母でしたが、祖母は病気で思うように身体が動かない苛立ちを
全部母にぶつけていましたから、母はますます表情が暗くなりがち。
子どもが寝静まるのを待ってから父にいろいろ伝えようとしているようでしたが
母の感情的な声で夜中に目が覚めたことも何度も経験しています。

両親が笑顔で子どもを包むような結婚生活なんて想像もつかない。
そのうえ、祖父母も夫婦仲は決してはよくはなかったのです。
祖母はいつも口論の後、いきなりだんまりを決め込んでしまい
元々口数の少ない祖父も、少し困ったように黙ってしまう。
そんな光景も、子供の頃からよく見てきてました。

だから、自分自身は結婚なんかしない。
小学校の低学年には、両親にもそんな風に宣言していました。
「そういう子に限って早く結婚するものなのよ」などと周囲は言っていましたが
大学卒業後も一向に結婚する様子がありません。
従兄妹たちもみんな結婚していく中でも、結婚に対する憧れは生まれませんでした。

心の中で決めていたのです。
結婚するのであれば、自分自身のことは自分で面倒みられる人しか選ばない。
そして、お互いに人間として尊重出来る人を選びたい。
父が母に接する時のある意味「モノ」扱いをするようなことだけは
自分自身はされたくはない、そう強く思っていたのです。

今の同居人は、知り合ってから20年以上も経過しています。
最初は友人として、接していました。お互いの生きざまを観察し合っていた感じがします。
彼は学生の頃から一人暮らしをしていました。自分の事は自分で出来る人。
そして社会に出て年数を経ていく中で、純粋に彼の仕事ぶりを尊敬していました。
また仕事を通して彼が精神的に成長していく様を見て、自分自身ももっと成長しなくてはと
焦ったり反省したり、とてもいい刺激を与えてくれる人でした。

自然と「一緒に暮らそう」と話しあうようになりましたが、話し合いの内容はかなりドライ。
私も彼も、長子の為「お互いの両親にもしものことがあったら葬儀の手配はどうする」とか
「相続権利関係で複雑なものはないよね?」とか、そんな確認ばかりしていました。

一緒に暮らし始めて驚いたことは多々あります。
もちろん嬉しい驚きばかりではありません。目の前で淡々とマンガを読まれたり
存在を無視されたかのようにゲームに熱中されたり
「二人暮らしのはずが、一人暮らし×2」のような光景になることもたびたび。
今となってはその方が、こちらも気楽で都合がよかったりするものの
共同生活開始時は、やはり不安になったもの。

それでも、敢えて言い切ってしまいます。現実が理想を超えました。
(100%ではありませんが)自分の事は自分でする彼に出会えただけで
私としては理想の条件をすべて満たしていたようなもの。

そのうえ同居人は、毎日のように「今日も一緒にいてくれてありがとう」と言ってくれるのです。
毎日にこにこしているわけでもありません。口論になる日もあります。
それでも、最後にはそんな言葉が出てくる。

一人暮らしが長かった彼は、「一緒にごはんを食べてくれる人がいる」
「一緒にスーパーに行く人がいる」「一緒にドライブに行く人がいる」
そんなことがすべて「ありがとう」と思えることなのだそうです。
それにしても、ただいるだけで感謝されるなんて私の人生初体験の出来事。

再び私の両親の話に戻りますが、私の両親は「条件付きの愛情でした」
「お姉ちゃんらしく、お行儀よくしていたら我が子として接する」
「世間体があるから、校則を守って女の子らしくしていたら、子供として認める」
そんな接し方しかされませんでした。

実際、親の望む考え方をしなかった私は
「意見の相違」が原因となって、社会人になってから
一度父から勘当されています。
勘当中は、実家に台風が直撃したために、親を心配して電話をかけても
私の声だと分かった瞬間、父は一方的に電話を切ってしまう始末でした。

そのうえ、病気になると冷たいのが我が家族。インフルエンザなどにかかろうものなら
「他の家族に伝染すると迷惑だから」と部屋に閉じ込められ
食事や着替えもふすまの向こうにおいてあったりして、家族と接することはないのです。
看病ってどんな風にされるのか、どんな風にしてあげるものなのか
未だによく分かっていない状態です。

ところが、同居人は私が風邪をひいてもそばにいます。避けないのです。
ただ隣でマイペースにマンガを読んだりしているのですが
熱が上がれば額に冷却シートを貼ってくれる、そんな心遣いを受けて
最初は戸惑ったものの、涙が出てしまったこともあります。

さて、回数は少ないものの同居人のご両親とお話をしたことがあります。
このご両親は、優等生な同居人とはねっ返りですが天才的知能の持ち主の弟君と
男の子2人を見事に育て上げたご夫婦。

同居人の事を悪く言ったことなど1度もありません。
そのことは納得がいくのですが、びっくりしたことが、同居人の弟君の話を聞いたときのこと。
弟君は私の学生時代の後輩にもあたるので、どんなにはねっ返りかもよく知っていますし
社会に出てからも親に借金したり、結構スケールの大きなことを繰り返しています。

私の両親なら勘当ものです。
なのに、同居人のお義母さまは、弟君のことをこう言い切ったのです。
「あの子は、もう子どもが生まれないかもと諦めた時に生まれてきてくれた。
奇跡の子どもなんです。だから存在してくれるだけでそれでいい」

正直、驚きました。そして、私自身の幸運に感謝しました。
同居人と暮らすことで、同居人だけでなく、こんなに素敵なご夫婦とも繋がることが出来た。
この縁を大切にしたい、そう思うことが出来たのです。
そして、一人ではなく二人で生きていくことが素敵なことだと素直に思えるようになりました。

現実が理想を超えてしまいました。
だからこそ、今の生活を大切に、そして同居人がこれからも毎日心から
「一緒にいてくれてありがとう」と言えるような人間でありたい。
そう思うのです。


蛇足ですが・・・
私には、夢見る結婚生活を与えてくれなかった我が両親ですが
何故か年々いい感じの夫婦になっていってます。
父も母も年齢からくる衰えはあるのでしょうけど
その分「支えあう」ことが増えてきているよう。
買い物での重い荷物は父がすべて持ったりなど
話を聞いているだけで「良かったね」と思えるエピソードが出てくる出てくる。
人はいつまでも成長するものだと思いますし
最終的には、私は、あの両親の子供でよかったのだと思うのでした。









planetgreen at 18:03│Comments(0)TrackBack(0) プレスブログ 

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