2006年05月02日

そんなことならコンピューターにでもやらせればいい

よく読んでいるブログで紹介されていたのをきっかけに買ってみました。

○パンセ / パスカル

んで、気に入った部分を抜粋↓


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人間はひとくきの葦にすぎない。
自然のなかで最も弱いものである。
だが、それは考える葦である。
彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。
蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。
だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものよりも尊いだろう。
なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。
宇宙は何も知らない。

だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。
われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。
だから、よく考えることを努めよう。
ここに道徳の原理がある。

***************************************


この文章の意味すること自体は、れいの有名な「人間は考える葦である」っていうやつで、まあ別に目新しさはないと言うか、、って感じなんだけど、なんかこの文章に魅かれました。
(って、そもそもこのパンセを紹介していたブログがこの部分を引用していて、買ってみよう!と魅かれたわけなんですが。)

「一滴の水」が醸し出すイメージとか、
「おしつぶす」という表現の持つ力強さとか、
あまりに小さい「彼」と壮大な「宇宙」とのスケールの違いとか、
尊いとか、尊厳という言葉の持つ重さとか
あとは「宇宙は何も知らない。」って部分の信仰心にも似た強さとか。

胸に訴えてくるものがあるなぁ、と思いました。



意味とか感覚を正確に伝えようとすることだけが表現の存在理由ではない
そんなことならコンピューターにでもやらせればいい

もしもこの世界に表現というものが存在しなかったとしたら
1つの意味はそれを表す何かで伝えられ
そこには想像の余地は何もない

それは心とか感情というものが存在しないのと同じことで
これほどつまらないことはないだろうね

そんな世界はまっぴらごめんだよ



なんとなくそんなことを考えてみたのでした。

planke at 02:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0) book | なんとなく思う

2006年04月18日

MUJI AWARD

148818f3.jpgこれくらいいろんな意味で興味を持ったコンペは今までにないです。
そういうものが行われる、ということを知ってからというもの、すごく興味深く詳細情報を待っていました。

MUJI AWARD

無印の初コンペ。

とりあえず概要抜粋。

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無印良品は国際デザインコンペを開始します。人類をドキリと覚醒させるデザインを、広く世界から募り、発信するプロジェクト。
成果の発表はミラノサローネで行います。第一回目のテーマは「隅(すみ)」。部屋のど真ん中に鎮座する主役級の対象物ではなく、空間の端、意識の未踏ポイントを観察して、世界の誰もが「なるほど!」とうなずける、新たな無印良品を提案してください。
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テーマは「隅 "SUMI"」ですか。
corner / edge / end ・・・
空間の端、意識の未踏ポイント ・・・

ってかもう何はともあれとにかく深澤っぽいなぁ(笑)。
いや、いいんですけどね。全然。

ただ、一ファンとしてそれなりにその考えなりを追っている者としては、このテーマはあまりにど真ん中すぎて、
「2006年の公募テーマ」って言ってるけど、こんなに普遍的なテーマで今後どうすんだろ?と余計な心配をしてしまいます。
まあしかし無印主催なので奇をてらったようなテーマは合わないだろうし、きっと今後もそういうテーマをきっちり用意するんでしょうね。

と、先の話はいいや。先の話より今の話。

提出物の必須は「応募用紙」と「商品名称及びコンセプトの分かりやすい解説」のみなので(自由提出として、デザインが忠実に再現されたプロダクト)かなり間口は広いですね。形式もテーマも極めて純粋なアイデア勝負。


しかしこのコンペ。とにかくすごい。
まずインターナショナルコンペだし、
審査員は錚々たるメンツだし、
無印初コンペだし、
さらに成果の発表はミラノサローネ!

それに、
僕もかなりの無印オタクを自認しているけど、「世界中の無印マニアがこぞって"無印良品らしさ"を追求する」ということに何か底知れぬ感動がある。大袈裟かもしれないけど。
だからテーマについて自分で考えることもすごく楽しそうだし、結果世界中からどんなものが出てくるかということも楽しみでしょうがない。


それにしても改めて「隅」というこのテーマ。すごく興味深い。
空間の端、意識の未踏ポイント、を探りつつも、世界の誰もを「なるほど!」と言わせる。
つまり意識の端っこでありながら、(深澤的に言うと)意識の中心を通っていなければならない。

それを見出す。
共有している行為を掴み取る。
無意識を提示する。


そこにあるもの、それはもはや"発明"と呼べるものなんじゃないかと僕は思います。

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2006年04月08日

変わるもの、変わらないもの

We must change to remain the same.
「変わらずに残るためには、変わらなければならない」

ニュースで見て知ったのですが、すごくいい言葉だと思います。

言葉への一目惚れ。
あるいは一聞き惚れ。
どうでもいいか・・・。

最近メディアを賑わしている小沢一郎氏が代表就任演説で言ったことらしく、その昔新党を旗揚げしたときにも言ったことらしい。
んでさらに元をたどると「山猫」という映画で使われた言葉らしい。

I must change to remain the same.
「僕が僕自身であり続けられるように、僕は変わらなければならない」

って感じかな。自分流には。

あるいは、
「自分を貫くには、それ相応の努力が必要」
とか。ちょいずれてきているかな。。


んと。
近い意味の言葉とか表現がないわけではないし、
今さらこの言葉の意味、重さに「うぁ〜」ってなってる場合じゃないんだけど、
それでも、やはり自分の今を省みるという点で、とても簡潔にスパっと表現されていたのですごく響きました。


余談だけど、
変化の中に見出される不変項からそのモノを知覚しているというギブソンの考え方を思い出しました。広く解釈すると、変化の中にこそ本質が見出せる、ということ。

組み合わせると、不変であるために変化を行い、変化の中に不変を見出す。
つまり、自分自身であるために自分が変わらなければならなくて、そうやって変わっていく中で自分自身って何なんだろうってことを見い出して行く。


まだまだ若輩者ですが、
生きて行くって、そういうことなんじゃないかと思っています。

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2006年04月03日

彼らと僕は"違うんだ"って話

791ba4e6.jpgいよいよ春になって暖かくなってきたし、ってことで久しぶりに駒沢公園に行ってきました。

風は強いけど、天気は最高なわけで、
人は老若男女問わず多く、桜もまだまだ健在。
まさに春で、まさに駒沢公園。
そんな感じ。

僕はとりあえずぶらっと公園の周りを1周した後は、階段に腰掛けて、サッカーをしている小学生くらいの子供たちを小一時間ぼんやりと眺めていました。


彼ら5人は、1人ずつ壁に向かって順番にボールを蹴っていたんだけど、それが(彼らが決めたんだろう)ある部分に当たるか当たらないかで、きゃっきゃっきゃっきゃ言ってました。
蹴った子が「うわー」とか「やったー」とか、周りが冷やかして「ダセー」とか、そんな感じ。
もうね、僕がいる間ずっと同じルールで、ずっと続けていましたよ。

んで、僕はと言うとそれをほとんどずっと眺めてました。なんとなく。
焦点合わせてちゃんと見てたり、あるいはぼーっと眺めたり、で。


えっと。完全には何なのかよくわからないし、だからこそうまく言えないんだけど、

彼らはサッカーをしていて、僕はそれをただ眺めているわけで、
彼らは壁のある地点にボールを蹴り込む事を考えていて、僕はあーあれやらなきゃとか考えているわけで、
彼らはあそこの地面に立って動いていて、僕は何段も上がった階段の上から座って眺めているわけで、
彼らは小学生くらいで、僕はもう23なわけで。

若さとか、時間とか、失ったものとか何やかや、そういうセンチメンタルリズムとかノスタルジーとかはもちろんあるだろうけど、でもこの時ぼんやりと考えた事はきっとそういうことだけではなくて、もうそれは単に僕と彼らは完全に違う、ということなんだろうと思う。
歳も立場も興味も存在としてもとにかくすべて何もかも。


日々すれ違うだけの人、とりあえずその存在を認識する人、の人生における総数って数として想像もつかないけど、それらのほとんどとは今日あそこで感じたのと同じような関係なのは言うまでもなく、その上それなりに関わった相手、深く知ろうと努めた相手でさえ「結局10%もわかってなくね?(ってか10%って何基準?)」みたいなことになってるよな、とか。

こういう隔絶感というか、孤独感のようなものって生きて行く中で誰もが感じるだろうし、普段は無意識に追いやられていて、たまに思い出したり、それでも誰かに対して希望を持ったりするというのを繰り返すものなんだ、とうふうに僕は理解しています。しているつもりです。
んで、やはりこの深淵のようなものをふとしたきっかけで感じると今でもとたんに僕は虚しくなります。。
(繰り返しになるけど、関わった人間との相互理解が完璧には絶対に為されないということだけでなく、全くの他人に対しても同様に感じる類のものです。)


でも今日のはなんか違ったなぁ〜、と。

とにかく"違うんだ"という認識のみが現れた感じ。


客観的に認識できる彼らに対してだからこそ、
今の僕はなんなんだよ?ってことなのかな。。
あぁ、そう考えると妙に納得かもしれない。。



なんかもう今日の記事めちゃくちゃですね(笑)。

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2006年03月26日

limartの家具

6fe94497.jpg突然なんですが、僕の家の話から始まります。

僕の部屋は、大学入ったときに無印良品で1人暮らしセット一式みたいなのを買ったので、ベッド、家電、カーテン、食器などなど基本的なモノがそもそも無印のものだったんだけど、さらに部屋の模様替えを繰り返す中でスチールユニットシェルフ、アルミテーブルなどを買い足し、ほぼ無印の家的な感じなっています。無印マニアなんで(笑)
あんなきれいじゃないけど。。

それ以外で特徴的なモノはと言えば、、、透明Ero|S|と床が市松模様になっていることくらいかな。。あと裸電球!
それとi bookとか。(インテリアと見なす。)
そんなもんかな。

んでまあ、だいたいにおいて僕はこの部屋のことを気に入っています。(それなりに思い入れを持って改良を続けたので当然と言えば当然なんだけど。。)
基本的に素材はアルミとかスチールとかで、色も白、黒がほとんどなので、必然的に部屋がモノトーン的な色味になるんだけど、午後の時間に部屋の電気をつけないでいると、外から差し込んできた光のせいで部屋全体が何とも言えない青白い色になるんです。
これがすごいきれいなんですよ(笑)。

少しノロケました。。


まあいいや。今日の本題はここからなんです。

結果的にこういう方向性の部屋になってはいるけど、僕はポップな感じとか、アジアンな感じとか、とにかくそれなりにどの方向性も(完成度が高ければ)けっこう好き、というか興味があって、やれるものならやってみたいなぁ、と常々思っているんです。
で、こういう思いって、何か1つでもものすごくいいなぁと思えるものがきっかけになって、ものすごく強くなります。僕の場合。
あれが似合うような部屋にしてみたいなぁ、とか。

でもまあ今の部屋を変えてまでやりたいか?と考えるとそこまででもないし、その方向性で完成度高く部屋を作り上げるには、1からどこで何を買うかを考えたりとか、お金の問題とか、今のものどうするの?とかいろいろあってまあ現実的には不可能です。

だけど、久しぶりにすごく心揺さぶられるものに出会ってしまったんですよ。
limartってお店で。

このお店に行ったの自体はけっこう前なんだけど、今が年度の変わり目でそういう時期だからか、また最近妙に思い出してしまっているので書いてみようと思います。


ここ、メインはart bookのお店なんだけど、ヨーロッパの家具とか雑貨とかもちょこちょこ置いてあって、それらがかなりヤバいんです。めちゃめちゃ味があるものだらけです。。
"味あり系"中古家具を扱うお店ってもちろんそれなりにあって、それらのお店を見てみても「あ、いいなぁ〜」と思わされるものはたくさんあるんだけど、ここのは1ランク上な気がしました。
単に好みの問題かもしれないし、味の出方・やりすぎ感のなさとか、その元のモノのデザインの良さとか、何かわかんないんだけど、とりあえず僕の中ではベスト中古家具屋に認定しています(笑)。本屋だけど。。

そういうわけで、少し前の記事で書いたshozo cafeの系列でも中古家具を扱っているところがあったんだけど、そこで家具を見たときに「かなり、すごくいいけどこれはlimartが勝ってるなぁ〜」と瞬時に思ってしまった自分がいて逆に少し切なかったです。こういう見方はよくないなぁ、と。

話戻って。
ただ、値段はけっこう高いです。。"味あり系"中古家具ってそれなりに高いもんだけどさ。
買えないよ。。


ところで、"味あり系"中古家具って何かほのぼのとした幸せな暮らしを想像させないですか?
僕は、それが似合う部屋を想像し、幸せな暮らしに思いを馳せてしまいます。


その部屋でのんびりとコーヒーを飲んでいるとかそんな感じのをね(笑)。




えっと、、最近毎日更新を頑張ってきましたが、また普通のペースに戻します。

planke at 23:50|PermalinkComments(2)TrackBack(0) なんとなく思う 

2006年03月25日

モノに宿る存在

b7267eaf.jpgどうしても見ておきたい映画があります。

大建築家ルイス・カーンを扱った「マイ・アーキテクト」です。

以下ストーリー的なものです。

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1974年3月ニューヨーク、ペンシルヴェニア駅にて男性の死体が発見された。所有していたパスポートからは住所が消されており、身元が判明するまでの3日間は死体安置所に保管される事となった。その男の名はルイス・I・カーン。享年73歳であった。彼はキンベル美術館、ソーク生物学研究所やバングラデシュ国会議事堂など世界を驚嘆させる建築物を創造し、独自の哲学的な語り口でも知られる現代建築の巨匠である。また、自身の完全主義を貫いた結果、事務所の経営は破綻状態、私生活では3つの家庭を持つなど壮絶な人生を送った人物でもあった。
一方、カーンの死から約30年が経過しても息子ナサニエル・カーン(2人目の愛人であるパティソンとの息子)は11歳の時に経験した父の死、さらには父の存在さえも受け入れられずにいた。苦悩を抱きつつナサニエルは多くの著名な建築家や親類、タクシー運転手など、父を知る人との出会いや、溜息がでるほど美しい父の建築と向き合い、真の父の姿や、自身の出生の秘話まで明らかにして行く。そして父親探しの旅が自分探しの旅に変わるとき、ナサニエルが見つけた掛け替えのないものとは・・・。
*******************************


僕の父親は建築をやっていて、ルイス・カーンが最も尊敬する建築家らしい。これは建築を仕事にしようと志し始めたときから不動のものらしく、初めて実際に現地を訪れその建築を生で見たときには感動して涙が出た、という話をもう何回も聞かされた。コルビジェよりも断然ルイス・カーンらしい。
その建築を直接見た事があるわけではなく、あくまで写真で見たことがあるだけだけど、僕も造形的にはとても好きです。
だけど、恐らく建築の造形的な面だけでなく、その人間的な面も含めて父はルイス・カーンが好きなんだろうと思う。昔、父に勧められて「私のルイス・カーン」を読んだときになんとなくそんな気がした。

そんなわけで、僕にとってもルイス・カーンは気になる存在なので映画を見てみたいわけなんだけど、加えて気になる点があります。

この映画のストーリーによると、父の建築と向き合うことで息子が父親に迫る、らしいとのこと。(父の知り合いなんかからも迫るらしいけれども。)
この、そのいなくなってしまった人の存在をその人のつくり出したモノの中に見出す、ということ。これが僕は好きなんです。

昔、少年ジャンプで僕が好きだった「ヒカルの碁」という漫画に似たような部分がありました。
やや荒唐無稽な設定だったので説明が難しいのですが、簡単に書くと、
このヒカルという主人公にはいつも一緒にいて碁を指導してくれていた師匠がいたんだけど、その師匠は突然いなくなってしまう。
ヒカルはそのショックと、そこでいなくなったことを認めて碁をすることで永遠に帰ってこない気がして、碁をすることを頑に拒むようになってしまう。
しかし、どうしても断りきれない相手と碁をせざるを得ない状況になってしまい碁を打っていると、自分の1手1手の中に師匠の打ち筋を発見し、自分の碁の中に師匠が存在し続けているということに気付く。

分かりにくいかもしれないけどこんな感じで、この部分も僕はすごい好きでした。


そして、これって日常的で、当たり前のことなんですよね。

例えば、お店にはつくった人の個性が宿っているし、
料理なんかにも宿っているだろうし、
普段のメールなんかにもその人の人柄が宿っているし、
話をしている会話にも相手の心が宿っている。
そして、このブログには僕が宿っている。

でもなんで劇的な感じにならないかと考えると、その相手がまだ存在しているから。


その人がいなくなってしまってから、モノの中からその存在を引き出すから何か切なさがあるんだろうと思う。
そして、誰かのことを人づてに聞くのも似たようなことなんだろうなぁ、と思った。

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2006年03月24日

やるね、深夜アニメ

a869a0d9.gif昨日の夜中にテレビのチャンネルを変えていて、画面に映っていたアニメの映像に目が釘付けになりました。

何?この色彩感覚!?と。

しかも、会話のテンポか何かが、何か変。
さらに、1つ1つの場面の時間のかけ方とか、アングルとかも独特。

後で調べてわかったんだけど「化猫」というアニメらしい。
とにかくいろんなことに違和感がありすぎて、何が違うのかを考える思考が一瞬停止してしまったほどで、美しいというか、かっこいいというか、とにかくアートしてました。
そして、エンディングの歌の作詞・作曲が松任谷由実、歌が元ちとせという力の入れよう。

これはただもんじゃないなぁ、と思って調べてみたらいろいろなアニメのシリーズ物のようで、スタッフもすごそうな面々でした。

やるね、深夜アニメ。


深夜アニメと言えば、アカギもすごい。
福本マンガファンとして、僕はこのアニメ化をあまり快く思っていなかった方の人間だったので、期待もしていなかったし、最初の頃は見てもなかったんだけど、ふと何気なく見てびっくりしました。
すごい、かっこいい。まずこれが第一印象。

何やら、韓国のアニメ制作会社が全て行っているらしいんだけど、闘牌シーンの迫力がすごい。無駄にすごいのも再現されてる(笑)。

また、アカギの原作の雰囲気を損なっていないように見え、それが僕には驚きでした。
というのも、たいていこの手のアニメ化は原作の独特の雰囲気をあっさりぶち壊してしまうし、アカギというか福本漫画ってそれが肝だと思うので。むしろ、あっさり再現されすぎてる気がして、違和感がなくてそのことに気付いて驚いたくらいです。
あとは、エンディングの曲のアニメーションの絵のタッチ、動きとか。それもすごく僕好みです。

やるね、深夜アニメ。


前からそうだけど、年々深夜枠の番組のレベルが上がってきているように思えて嬉しい半面、ゴールデンとか普通の時間帯のしょうもない番組の情けなさが目に余ります。

相も変わらず「賞金100万円」とかやって無駄に金をばらまくのをやめて欲しいものです。
時代錯誤もいいとこですよ。



あぁ、良いものの話が悪いものを叩く嫌な感じで終わってしまった。。。

planke at 23:42|PermalinkComments(2)TrackBack(0) なんとなく思う 

2006年03月23日

春を想う

最近、学校に新しい年度の気配がただよって来始めています。

まずは、入試。
「いついつは入試のため学校に入れません」という告知。あるいは、入試のための学校見学に来ている親子。僕の見る限りでは、親の方が中の学生を見ている気がする。子供は学校を見ている。
もうそんな季節なのね、と思います。

それから、合格発表とそれに伴うサークルの早くもの勧誘合戦。
健康診断だか、入学手続きだかなんだか知らないけど、既に何回か勧誘軍団が活動を行っているのを目にしました。
毎年毎年よくやるもんだと思う。毎年代が変わるから当たり前なんだけども。

そして先日、普通にいつも通り研究室に向かう道すがら、僕にまでサークル紹介の紙が渡された。
どう考えても初々しさのかけらもない僕にさえ。かなりびっくりしました。
配る枚数のノルマでもあったのかな?不思議でした。

一昨年の入学式の日に、関係もないのにスーツを着て行き「サークルに勧誘されるか?」を冗談で試してみたことがあります。
結果はダメでした。
既に初々しさは失われていたらしいです(笑)。

もっときょろきょろすればよかったのだろうか?
もっと手にたくさんの書類を持っていればよかったのだろうか?
もっと不安と希望の同居したような表情をしていればよかったのだろうか?

そんなことをぼんやりと考えていると、無性に新入生の挙動を真剣に観察してみたくなった。
実は今年もスーツ着て歩いてみようかな、と企んでいたのだけれど観察にしよう(笑)。


春の、暖かい日差しの中の入学式。幸せそうな新入生の親子。

そういうのをコーヒー片手にぼんやり眺めるのって、なんか良さそう。

planke at 23:54|PermalinkComments(2)TrackBack(0) なんとなく思う 

2006年03月22日

Starbucks and me

238ff4b0.jpg久しぶりの朝スタバ〜。

マグカップで、hot tall mocha、です。

ぷかぷかと浮かぶホイップのかたまりになんとも言えない幸せがある、と思う僕。
あとは、マグカップで飲むと、温かいモカを流し込みつつ冷たいホイップが唇に触れて、このコンビはほんとにすごいと思う(笑)。
とくに最初の1口目、激ウマです。

だからマグカップの方が基本的に好きです。
すぐ冷めるのが唯一にして最大の難点だけど。


自由が丘には2つのスタバがあるんだけど、駅前の方は必ず「マグカップでいいか、紙コップの方がいいか」と聞かれます。これは駅から遠いもう1つのほうのお店では聞かれない。多分今まで1回もない。
ゴミ削減のためには積極的にマグカップにしてもらった方がいいんだろうけど、通ぶってんのか?と思われたらいやだな、とか、あっちはけっこう混んでいるので余計な手間を増やさない方がいいのかな、とか思って躊躇してしまいます。

って、言い訳がましいな。。


ところで、僕がメインに使っているのは駅から遠い方なんだけど、そこでバイトをしている研究室の先輩が卒業するのでいなくなってしまう。
思い返して考えてみると、僕は最初むしろ駅前店の方をよく利用していたと思う。単純に家から近いから。
でも、メインを駅から遠い方に変えたのは、席が多い(夜は駅前店は混んでて座れないことが多い)、ということに加えて、先輩が働いていたから、というのもある気がする。かなり。
というのは、やっぱりお店に行ったときに知っている人がいる(いる可能性がある)となんとなく嬉しいからです。こんな僕でも。
ただそれ以上に、たまにふと話を聞いたりしていたことで何か内輪のような気になって、そっちのほうの店自体に僕は親しみを感じていたんだと思う。
新しい人が入ったとか、店長が変わるとかそんなことだけど。それでも。


いなくなる、というのは今はまだ実感無いなぁ。
カップに名前書いてもらったりしたなぁ、と思い出して少し寂しくなった。


けれども僕は、それでもそっちの店に通い続けるんだろうな、と思う。
お店のこと、これからは知ることはもうないけれど、今まで通ったことによる愛着があるのだから。

それだけで十分な理由です。

planke at 21:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0) diary 

2006年03月21日

もやもやが続く

724feffc.jpg1ヶ月くらい前に、保坂和志の「カンバセーション・ピース」のレビューを記事にしたのだけど、あの直後に同著者の「残響」という本を読みました。

内容はやはり独特で面白く、また2作読むと、スタイルとか流れとかテーマなどなど共通項からなんとなく著者の雰囲気が掴めてきて、そういう感じなのね、となったりなど、まあ要は普通に楽しんだ訳なんですが、とくにブログの記事にはしませんでした。(そのときレビューネタ自体をやや批判的に書いたから、というのもあるけど・・。)
だけど、直接この本の内容というわけではなく解説の部分に書かれていたことで、読んだ後からずっと引っかかってた箇所があるんです。
以下抜粋です。↓

*********************************
近代以降の資本主義はさまざまな資源を開発して商品へと変え、その貪欲な開発の欲望の対象は人間にまでおよぶ。ぼくたちは、例えば美人に生れついたらタレントに、ちょっと運動神経がよければすぐスポーツ選手になろうかと考える。なぜなら、もったいないからだ。あらゆる資源は有効利用せねばもったいない。資本主義社会の人間は、自らの資源を常に他人にアピールするよう育てられ、誰もが「<芸術>の領域に入って」自意識過剰になり、そのかわり手つかずの人間的な自然を失っていくのだろう。
実際、資本主義が搾取するのは労働力とならんで、ベンヤミンのいう「(人間のうちの)どうしても沈黙させることのできないなにか」、すなわち才能やらダメさやら何やらがごっちゃになってひとつの総体を成す人間的な自然にほかならない。恐らくゆかりの持つ豊かな魅力は、彼女がどんなアピールも知らず、自然に「ただ存在しているということ/ただそこにいるということ」に由来するのだと思うが、しかしゆかりに限ったわけではなく、保坂和志の作品に出てくる人物たちは誰もが多かれ少なかれ資本主義的な「開発」以前のところで生きている。彼らは内面的な悩みをひけらかさず、自分らしさを追求したりせず、人間関係のドラマチックな葛藤に酔いしれたりもせず、要するに自らを安易に<芸術>化したりしないで、小説の「登場人物」というより、民俗学者の宮本常一が自分の足で取材した無名の人々、あの昔ながらのバケツの底がぬけたような明るい伝統の中でしみじみと暮らす「忘れられた日本人」に近いのだ。
*********************************

で、引っかかった理由なんですが、
まず1つには、ものすごく自然で意識さえしなかった「資本主義的な開発」というものを意識させられた点。
あと1つは、それと対極に位置する「人間的な自然」というものが、人間の魅力というものの要因の1つの側面(あるいは実はすべてに関連するかもしれないけど)を説明するのにおもしろい考え方だな、と思ったので。

この視点、こういう議論って、とくに目新しいものではないんですかね?
僕には新鮮で、すごくひっかかったのです。僕の年代・今の時期がそういうときだというのも大きいかもしれないけど。

別に僕はここで言っているような資本主義的に開発された人間を否定しているわけではないです。
ただ、すべてにおいて効率を求める資本主義社会。それに対して「人間的な自然」的な人間・発想はあまりに弱い。
何が本当に大切で、何が失うべきではないものなのか。
そういう何やかやが、気付くともやもやと頭の中に浮かんでは消える、というのを続けているのです。


う〜ん・・・。
なんかあまりにも混沌としてて、あまりにも何にもまとめられていないんで記事にするのもなんなんですが、とりあえず書いておきたかったので記事にしてみた次第であります。。

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2006年03月20日

僕の興味の一つの形

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その存在が発表されてからというもの、ものすごく発売を心待ちにしているものがあります。
任天堂の次世代ゲーム機「nintendo revolution」です。

ゲームから遠ざかって幾数年。(研究室でのマリオカートは例外だけど。)
Xbox360にもPS3にもとくに興味が湧くこともなく、まあ至極真っ当な"技術的進化"の産物だよな〜、とゲーム業界の行く末を冷ややかな目で眺めていたわけなんですが、この発表には心躍らされました。

でまあ、なんでそんなに期待しているのか、ということなのですが、その理由はこの一目でわかる特徴的なコントローラーです。
既存のゲーム機のコントローラーのイメージとはおよそかけ離れたこのリモコン型コントローラー。本体に取り付けられたセンサーが、このコントローラーとの距離や、動き、ねじりといった動作を検知してくれるらしく、またそれに加えてジョイスティック型のコントローラーを組み合わせて操作を行ったりなど、というように使われるようです。

・まず形状が特徴的で、基本が片手操作というのも新しい
・コントローラーの表面のボタン操作に加えて、コントローラー自体の動きも操作に取り入れた点
・ジョイスティックを組み合わせたときに、それを個々のユーザーがどちらの手で持ってもいいということ。いわゆるユニバーサルデザインですね(笑)。あるいはこの2つを別々のユーザーが操作することでの協力プレイなんかも考えられる。

などなど、既存のコントローラーの構造から完全に逸脱しており、そこから生み出されるゲームも既存のゲーム体験とは違った新しい何かであることを期待させてくれます。
だから、少し大げさに聞こえるかもしれないけど、初めて見たときに僕は感動しました。


任天堂はnintendo DSにおいて、"直観的なインターフェース"にしようとタッチペンやマイクを操作に取り入れることで操作感を含めた体験として新しいモノを提案しようとし、その結果今までゲームをしなかった人にも広く受け入れられています。そして、その考え方はrevolutionのコントローラーからもわかるように引き継がれています。
それに対して、SonyやMicrosoftは画面に映るものをよりリアルにすることで、高いレベルの"映像体験"を提供することを追求していると言えると思います。あるいはそもそも"ゲーム機"という位置付けとも違うのかもしれないけど。

だからもはや、どのレベルでインタラクションを起こしているか、起こそうとしているかが違いますよね?
これはまあもちろん方向性の違いなので、どちらを目指すか、あるいは個人がどちらを好むかは勝手で全然いいのですが、僕には任天堂の目指すものがとても魅力的に感じられます。

ゲームらしいゲームが直観的なインターフェースによるコントローラーによって操作され、
ゲームらしからぬゲームを極めてゲーム的なコントーローラーによって操作しようとしている。
これはもちろんゲームらしいゲームというものを画面上の表現として捉えたことによるアヤなんだけど、こう考えるとなんかおもしろくないですか?この違和感のようなものが。
それだけなのですが。

インターフェースとインタラクション。
2つの言葉をキーに広がる自分の興味の先にあるもの、その1つの形がそこに提示された気がして、任天堂に就職するのもいいなぁ、とさえ考えた次第です。(もちろん簡単に入れてくれるとは思わないけどさ。)


それにしても今日のこの内容、僕の興味が何にあるかをすごく浮き彫りにしているなぁ。

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2006年03月19日

のどかな風景

023a36c3.jpg±0の通りに面した場所のディスプレイは、けっこう頻繁に変えているんじゃないかと思う。
あの辺をそんなによく通るわけではないんだけど、通るときにそれとなく見てみると、だいたい前に見たとき時とは変わっている気がします。

んで、先日通ったときにふと見てみるとこんなことになってました。

加湿器がぞろぞろ。

オレンジ色が目立つなぁとか、この色の組み合わせはどうなんだろうとか思いつつもなんか愛嬌があってかわいいです。
親鳥にちょこちょことついていくひな鳥みたいだなと思いました。


ところで、表参道ヒルズができてから表参道近辺にほんとに人が増えた気がします。気がします、というか絶対だけど。表参道の陸橋の上から人の流れを眺めると、ちょっと大変なことになってます。
六本木ヒルズの相変わらずの人の多さを考えると、表参道もずっとこんな感じなんでしょうね。。
青山ブックセンターから横のマック行ったり、骨董通りのスタバやらに行くという
マイゴールデンコース(笑)も人が多くて座れなかったり。いや前から休日なんかは座れないこともあったんだけどさ。
こっち(青山通り南方)に流れて来んなよ、と(笑)。


だって、こんな"のどかな"ディスプレイの前を、人間が行列をなして歩いてるのなんて似合わないですよね?

とり

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2006年03月18日

クレイマー、クレイマー2つ

791cf884.jpg買い出すと癖になりそうだな〜、と思って避けてきた映画のDVDを初めて買いました。

「クレイマー、クレイマー」

きっかけは、最近友達と映画の話をしているときに話題に上がって、話しているうちに自分のこの映画への深い思い入れを再確認したためです。
ダスティー・ホフマンと子供がキッチンに並んで黙々と作業するとことか、すごいよかったなぁ、と。
それで、例のごとくまた見たくなったので、近いうちにまた借りようかと思っていたんだけど、調べてみると最近2000円で売ってるとのこと。
2000円なら買いだなぁ、と思いまして。

んで買いにいったら、該当商品の中から2枚買ったら2500円キャンペーンの対象とかで、
「単品2000円で、もう1枚は500円かぁ・・」
とこれまた買いだなぁ〜と思ってもう1枚買うことにしました。
こういうのって、なんだか相手の思うつぼな気がしてなんか癪なので(笑)、僕はお得だろうがあえて1枚しか買わないというひねくれ者っぷりを発揮するが大半なんだけど、まあ500円なんでね。。(3000円なら買ってなかったな。。)

んで選定にかかったのですが、何にしようかかなり悩みました。正直、対象商品の中にあまり欲しいのがなかったので・・。
でもまあそんな中、同じくダスティー・ホフマンの「真夜中のカウボーイ」「レインマン」あたりももう1回見たいなぁとか、研究室用に「マイノリティー・リポート」もいいなぁとか、何本か候補を選び出したんだけど、んでも、やっぱりいまいち決め手に欠けるなぁと思っていたところある思いつきが。

同じように広島から東京に出て来て付き合いの長い友達がいるのですが、今日その友達から電話がかかってきて、この4月からの配属先が大阪になったとのこと。こんなにぎりぎりまで引っ張ることが僕には意外だったんだけど、とにかく東京か大阪の2択で、大阪になってしまったらしい。
だから彼に餞別代わりにあげようと思い「クレイマー、クレイマー」を2つ買いました。
別々の袋に入れてもらう僕。


僕の数少ない友人がこの東京からいなくなってしまう。
仕事が始まってしまえば、どうせあんまり会えないとは言えどもやはり寂しい。

来年はさらにまた多くの人と別れることになってしまう。
今少し考えてみただけでも、寂しくなる。


ここ何年か、春のいい部分しか感じてなかった自分に気付きました。

planke at 10:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) なんとなく思う 

2006年03月17日

mixiに暖かさを

mixiのようなSNSにmessenger(チャット)の機能が付加されたら便利なんじゃないかな、と最近ふと思いました。

僕はmixiをそこまで活用しているわけではないので、コアなユーザーがどのように使っているのか把握できているわけではないんだけど、例えば僕がログインしている。んで誰かのところに訪れる。そのときに相手もログインしているのならそこでリアルタイムな会話を行うことができる。
日記をネタに会話とか。
これってけっこう便利なんじゃないかと。

今って多分、まず相手がログイン状態かどうかもわからないんですよね?
僕のmixiのイメージって、閉ざされた空間をうろうろしている感じなんです。そこにいけばおもしろいもの(他人のコンテンツ)を見られるかもしれないけど、それはあくまで僕が一人で体験するわけで、誰かを感じる感覚が全く無い。
日記へのコメントはコミュニケーションを生むけど、それはあくまで電子メールや部屋に残された書き置きのようなものに過ぎない。
たまにすごい頻度でコメントと返答がついているのを見たりすると、もったいないなぁと思うんです。
きっと、もっといろいろやり取りしたいんじゃないかなぁ、とか。

mixiという仮想空間に僕はいる。相手もいる。
だけどお互い別の次元でさまよっていて、その世界はねじれて、交わることがないような。
だからインターネットの世界で相手のお家を訪ねたような感じになればいいな、と。
相手がいれば「よぅ」って感じで(笑)。

どうなんでしょ?
コアなユーザーは繋ぎっぱなしなんですかね。だったら意味ないか。(ってこれはmessengerもそうだから、同じように「取り込み中」「退席中」とかやればいいのかな。)
それにまあ別に融合させなくても、それぞれが独立で動いていてもいいのかもしれないけど。


なんとなくそんなことを考えてみたのでした。(既にあったりして、と思いちょいと調べてみたけどなさそう。)


・・・えっと、
「ってかおまえ、そんなに人との交流求める人だっけ?」という類のつっこみはなしでお願いします(笑)。

planke at 11:19|PermalinkComments(2)TrackBack(0) なんとなく思う 

2006年03月16日

部屋を片付けるコツ

"豆知識紹介"的なタイトルを掲げたのですが、実際は何故部屋が片付かないのか?という話になりそうです。

まず部屋をきれいに保つということについてですが、これはモノが散らかってないということ、になると思います。
ではどうすればモノが散らからないか?と考えると、これはもうものすごく単純な話で、散らかる=そのモノが所定の位置にない、ということなわけで、つまりすべてのものに存在場所が用意されていればいいということになります。
んでそれに加えて、その各々のモノの所定の場所にきちんと納める、ということ。この2段階なんだと僕は考えました。

そこで部屋の中で散らかっているものを観察して見ます。
その日着た服とか、本、ちょっと使ったもの、ほとんどが無意味な郵便物などが時系列に沿って積み重なったりしています。

原因を上で書いたことに当てはめます。
最初3つは上で書いたことの後者に当たる"所定の場所にきちんと納める"ということができていないのです。

なぜできないのか?
ずばり、めんどくさいからです。
といってもこれは多分、無意識的なもので、それを所定の位置に納めればきれいになるとは分かっているんだけど、その一手間を無意識的に避けているのだと思います。これは習慣とか、慣れのようなもので、できる人にはそれが当たり前のようにできて、そういう人にとっては部屋がきれいなのは自然なわけです。
定期的に、"意識的に"きれいにする人との区別が難しいけれど。

あと郵便物については2段階の両方に関係していて、自分にとって新しいものなので、まずは居場所を定めてやらないといけないわけです。(郵便物などをまとめて置いておく場所、といったものが予めあるかもしれないけど、それをそこに配置する、と決めるという意味で)
んで、その後にそこに納めるわけです。
さらに少しだけめんどくさい。


とまあこんな感じに考えたんですが、僕の場合はだいたいこれで当てはまります。


ただ、こうやって考えていっても難しい問題が残っていることに気付きます。
例えば、服。その日着ても、洗うか洗わないかが微妙なもの(靴下とかは1回で洗いますよ!)は納めるには少し抵抗があるんです。どれが洗われたものかわかんなくなるし。(かといって洗濯機に突っ込んでおいて、着たいときに取り出すはありえない。)
例えば、本。本はまた難しくて、そのとき買った本ってその時期は旬なわけで、それを本棚にしまいこんでしまうのは抵抗がある。すぐ読めるようにしておきたい、とか。(だからマガジンラックのようなものがあるのではないかと。)
つまり、これらの状態のモノの所定の位置を僕は決めきれない、用意できないでいるのです。

こう考えると、こうしたグレーゾーンに所属するものがあるとなった以上それらのモノにも所定の位置をあてがってやらないと散らかり問題は解決しない、ということは分かるんだけど、スペースの問題もあるしなかなか難しそうです。



まあいろいろ書いたけど、僕自身は雑然とした部屋もけっこう好きなので、上でうだうだ書いたことをきっちり実行する気にイマイチならないんですよね。。

いや、もちろん超然と整理された部屋、オフィスへの憧れはあるんだけどさ。

planke at 11:59|PermalinkComments(3)TrackBack(0) なんとなく思う 

2006年03月15日

当たり前って難しい

最近、眼鏡のレンズがすごく汚れている。

ということをちょっと前からすごく意識し始めていました。
部分的に汚れている、程度ではなく全体的に汚れていて、きれいにした後にかけて見てみると明らかに世界がくっきりと見えるくらい(笑)。
(ってこう書くとすごく汚らしい感じですが。。)

そこで、原因を考えました。

・まず眼鏡の構造上の問題。縁があるので汚れがたまりやすいのかなぁ、と。
だけど構造上って言ってもせいぜい下の方だけで、それに明らかに汚いのがここ最近だから違う。まあでもそれまで気付かなかっただけかも。。という可能性。
・眼鏡をかけたまま寝てしまうことが最近はとくによくあるので、寝ているときにいろいろなところに接触して汚れているのでは?
これで自分はかなり納得していました。
・あるいは、自分でも気付いていない何気ない癖かなんかでめがねをさわっているのかなぁ、とか。あとは、(あまり深く考えなかったけど)、最近の行動圏内が汚れやすいのところなのでは?とか。

と、いろいろ考えられる原因はあるし、普通に使っていても汚れは少しずつついてしまう。しかしまあ何はともあれレンズは汚れているわけで、こまめにふけばいいや、とあまり原因は意識せずに、きれいにする頻度を増やしていました。

だけど、最近私気付きました。何のきっかけもなく。

前髪のせいじゃん!
ってか、それ以外ありえないよ、と。

最近、前髪を伸ばしているので余裕で眼鏡にかかってるわけで、そりゃ髪の脂もつきますよね。。


あぁ、、なんと浅はかな原因考察(↑)・・・。
すぐに気付けよ・・・。


んで、この一連のことを友達に話したのですが

「最近、すごく眼鏡が汚れていてさ〜。何でかな、っていろいろ考えたんだよね。(〜浅はかな原因考察〜)とか。でもある日突然気付いたんだけど・・・」

「え、前髪のせいでしょ?」

「・・・・・」


おっと。。

えっと、当たり前のことに気付かなかったって話なので、相手に言い当てられたのはいいんだけど、あまりに瞬間的に答えられたので少し切なかったです。

でも、気付いてしまえば当たり前のことになかなか気付けないことってたまにないですかね?
(知識ベースの常識とかではなく、言語化できない日常的な行為などの話です。)

人によって着目する点が違うとか、あるいは本人の経験やその周りで見たり、聞いたりしたことがあったとか。一度知ってしまえば、"当たり前"になってしまう類の"当たり前"。


当たり前って、けっこう深いなぁ。

planke at 15:01|PermalinkComments(3)TrackBack(0) なんとなく思う 

2006年03月14日

今日もカフェの話

7bc44fc5.gif今日ぶらりと本屋に立ち寄ると「もっとTOKYOカフェ」という本が積んであって思わず手に取りました。

表紙と、タイトルを見て「TOKYOカフェ」の続編に違いない、と思ったのですがやはりそうで、今回も掲載されているお店のクオリティーは高く、またすごく"そそられる"写真や文章で紹介されています。
さっそくパラパラと眺めていて「お、ここよさげだなぁ」と思ったら、以前このブログで紹介した「mugimaru」でした(笑)。

前の「TOKYOカフェ」は、いつも行く本屋に常に置いてあったので、新しいところをなんか開拓したくなったり、または別に意味がなくても頻繁にパラパラと眺めたりしていて、かなりお世話になりました。
そんなに頻繁に手に取るなら、いい加減買ってやれよ、と自分でも思うんだけど、未だに買っていません。ごめんよ。。
買って手元に置いておき、いつでも眺められるようにしたい気持ちはかなりあるのですが、買ってしまうと本に対してと言うか、その本に載っているカフェに対しての関わり方が受動的になりそうでなんか踏み出せないのです。(ってこんなこと書いてるけど別にあくまでなんとなくで、とくに何のきっかけもなくなんとなく買ってしまうこともあるだろうけど・・・)
でも、今回こそは買おうかな・・・。


ついでにカフェネタでもう一つ。
奈良美智+grafプロデュースの「A to Z cafe」というのがなかなか面白そうです。
そもそもは(↓以下抜粋)
**********************************
006年の夏から秋にかけ、現代日本を代表するアーティスト奈良美智(ならよしとも)の故郷である青森県弘前市にある吉井酒造煉瓦倉庫の4,000平方メートルを超す巨大空間に、AからZまで26(それ以上?!)のアートをはじめとした様々なテーマの小屋を建て架空の街並をつくり出す『 A to Z 』と題したプロジェクトが実現します。
**********************************
こういうプロジェクトから始まったものらしく、このカフェでは連動してなんやかややっていくようなので注目してみたいと思います。


新しいカフェのあり方が見られるかな?

「A to Z プロジェクト」

planke at 00:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0) book 

2006年03月11日

shozo cafe

shozo cafe22先日、那須のshozo cafeに行ってきました。

このカフェのことを人に聞いたときからずっと行ってみたかったのです。
1988年創業らしく、今はshozoグループ全体で那須に6店舗(カフェ3店、雑貨・家具など3店)あるのですが、早朝に出発して1日で全部行ってきました。

ウェブなどで写真を見る限り、こりゃ晴れの日に行かないと良さが半減だろうな〜、と思っていたんだけど、ありがたいことにきっちり晴天。
そして、朝一できっちりイメージしてた通りの席に着いたんだけど、いやもうなんというか、予想通りなんだけど、それ以上なんだけど、まあもうとにかく良かった。。
・・・なんだこの表現力の無さは(笑)。

んと、窓から差し込んでくる光がきれいで、やさしくて、ほのぼので。とにかくやばかったです。
それに加えて、このNASU SHOZO CAFE(一番メインの店舗)は空間構成がすごいと思いました。東京に比べて空間を贅沢に使えるのは当然なんだけど、部屋の区分けや間仕切りの入り方と、各席の個性の出し方(机、椅子のチョイス、席数、向きなどなど)が完璧にマッチしているなぁ、と。
こういうタイプの良さを感じるのは珍しいと思う。
全部の席が魅力あるものに見えて、全部の席に座りたかったです。 

このセンスはかなり感心しました。

隣の客は地元の人っぽく、新聞読みながら朝の一杯って感じだったんだけど、これはもう"100%完璧に理想的な休日の朝の過ごし方"ですね。僕にとって。


あとは、順々に他の店舗を回っていったんだけど、地元の人に愛されている感じがすごく伝わってきて、単純に「いいなぁ、こういうの」と羨ましく思った次第です。


cafeっていいもんだな、と改めて思いました。



2735shozocafe49shozo cafe53

planke at 11:40|PermalinkComments(2)TrackBack(0) なんとなく思う 

2006年02月28日

そんな感じのいい映画

35d54484.jpg前の更新からけっこう期間が空いてしまいました。


最近はとくにきっかけがあったわけでもないんだけどなんとなく伊坂幸太郎を読みました。
自分でも意外な感じがあるんだけれど、本屋で「オーデュポンの祈り」をパラパラめくってみたら少し惹かれるものがあったので。
んでさら〜っと読めたのが今の気分に合ってて、最初がデビュー作なんでどうせなら順番に1冊ずつ読んでいこうと思い「ラッシュライフ」「陽気なギャングが地球を回す」まで読みました。
「オーデュポンの祈り」は荻島の世界観がすごく心地良かったし、「ラッシュライフ」はそれぞれのストーリーが幾重にも交錯しているという展開の緻密さに引き込まれました。普段こういうの読まないから尚更。
「陽気なギャングが地球を回す」は・・・。まあいいや。

んで、これ映画になるらしいんだけど、僕は読んでて「私の愛したギャングスター」を思い出しました。なかなか好きな映画なんです。
思い出した理由は、まあ単に"愛すべき"ギャングを扱っているってこともあるし、後は成瀬とケビンスペイシー演じるリンチの"ボス"具合がなんとなく似てるな〜とか思って。
そんなことを思い出したら無性にもう一度見たくなったので、すぐさま借りに行って、すぐさま見ました。


一仕事終えて帰った時に、寝る前にテレビを付けたらやってて、眠いけどなんとなく見続けたらなんとも言えずよかったような気がする。
いろいろと面倒くさく絡み合ったなんやかやが、ふわっとどこかに行ってしまうような。

そんな感じのいい映画だと思いました。

planke at 02:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) movie | book

2006年02月14日

マイノリティ・リポートの世界

画像キーボードパチンコ










マイノリティ・リポートの世界だ。。

Multi-Touch Interaction Research

ニューヨーク大学が開発したとのこと。

操作はすべて指のみで、
何本もの指で線を描く、
スクリーン上に存在する仮想物体を動かす、
地図のような表示されたもののズーム、回転や視点切り替え、
なんて朝飯前。
スクリーン上に線で描いたモノが形となってそれをぐりぐり動かしたり、
ディスプレイ上にヴァーチャルキーボードを出して、それを使ったり、
マイノリティリポートばりに、2本の指で画像を拡大・縮小したりなど。

マイノリティ・リポートでトムクルーズがジェスチャーで華麗に画面操作を行っているのを見て、心躍らせたのですが、タッチスクリーン上とは言えこれはすごいなぁ。。


time  interactionついでに、インターフェース・インタラクション関係でもう1つ。
今年の文化庁メディア芸術祭「アート部門」の大賞らしいです。

Khronos Projector

3次元画像が表示されたタッチスクリーンのディスプレイを指で押すと、力の強さによってその部分の時間が変化するというもの。
例えば、夕暮れの風景が表示されていて、ある一点を指で押すとそこは朝の映像に"動的に"切り替わるとか。

つまり奥行きに時間軸が設定されているわけで、3次元画像が2次元のディスプレイに表示されているので、奥行きのもう1次元に4次元目とされている時間を持ってきた、という考え方なんだと思います。
アイデアも技術もすごいなぁ。。


・・・「すごいなぁ」ばかり。

自分の修論はどうなるんだろう。。。

planke at 11:40|PermalinkComments(2)TrackBack(0) design