2006年07月21日

「ゆれる」

044944f0.jpg映画「ゆれる」を見てきました。

解説は以下抜粋↓
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「蛇イチゴ」で注目を集めた新鋭・西川美和監督が、オダギリジョーと香川照之という実力派2人を迎えて贈る上質のミステリー・ドラマ。ある出来事をきっかけに対照的な兄弟の間に巻き起こる心理的葛藤が巧みな構成で描かれてゆく。
 東京で写真家として成功し、自由奔放に生きる弟・猛。母の一周忌に久々に帰郷した彼は、そこで父と共にガソリンスタンドを経営する兄・稔と再会する。猛は頑固な父とは折り合いが悪かったが、温厚な稔がいつも2人の間に入り取りなしていた。翌日、兄弟はガソリンスタンドで働く幼なじみの智恵子と3人で近くの渓谷に足をのばす。ところが、川に架かる細い吊り橋で、智恵子が眼下の渓流へと落下してしまう。その時、そばにいたのは稔ひとりだった。事故か、事件か、やがて裁判が始まる。その過程で稔は意外な一面を覗かせる。一方、一部始終を目撃していた猛も激しく揺れ動く。
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最近は映画館に行くにしろ借りるにしろ邦画をそれなりに見ていて、すごくいいと思えるものも多くあるなぁなんて思ったりしていたわけだけど、この映画はほんとにすごいなぁ...って感じでした。
高すぎる前評判と、それによる高すぎた僕の期待を裏切らず。いやはや。

兄と弟の関係を下敷きにして、人間同士の関係の在り方を掘り下げるというもので、とにかく心理描写が素晴らしい。
しぐさとか、象徴的シーンやカット、お互いに対する言葉。
すべてがそこはかとなく微妙な感情の機微を物語っている。その繊細で鋭敏な感覚がすごい。
とくに、少ない言葉ながら、それぞれの言葉の持つ意味が限りなく重い兄弟の会話の応酬には凄まじいものがあった。

投げかける1つの言葉がお互いをえぐるえぐる。
怒るときに、怒鳴り散らす人より、静かに淡々と語る人の方がよっぽど怖いと言うけど、まさにそんな感じでした。


パンフレットの中のコラムで評論家の川本三郎が、この映画の中の兄弟のやり取りについて田村隆一という人の1つの詩を引用して説明していたのだけど、それがハマっていてすごく印象に残った。

「一篇の詩を生むためには、
われわれはいとしいものを殺さなければならない」

きれいごとを一度、根底から壊し、兄と弟の兄弟愛を見すえようとする。再生のためには、どれだけ二人は傷つかなければならないか。
兄弟愛を真なるものにするには、兄と弟を深く傷つけなければならない。

とのこと。


人間同士が深く関わろうとするならば、お互いが傷つけあうことは不可欠ということ。
希望はその先にしか存在しないということ。

こんな考え方、今まで持っていなかったと思う。少なくとも意識しては。
傷ついてしまうような関わり方を経て関係が深まる、ということはなんとなくわかる。
けれど、それが不可欠である、というのはあまりにもあんまりなように思った。

でも、そういうものなのかも、とすんなり思えてしまった。

傷つけ合う、というのは、単にお互いが相手を傷つけるだけでなく、というよりむしろ、お互いが自分自身を傷つけることになる、ということ。
その先に、痛みを知った分だけ、痛みに耐えうる強さを持った自分がいる。相手の痛みを分かってあげられる自分がいる。
それでこそ、人間は相手との関係を成長させていくことが出来る。
だからそれは、傷つける、という言葉とはちょっと違うんじゃないか、とも思った。
そんなことを、なんとなく考えてみたりした。

だけど、やっぱりあんまりじゃないかな、と思う気持ちはなくなるわけではないわけで、
だから、傷つけ合ったその先に築かれる相手との新たな関係、
そこに何らかの希望があると信じていないと、やってられないよ。

だから、だからね、
せめて、信じさせておくれよ。


・・・な〜んてね。まあ、そんな感じでちゃんちゃん、と。

planke at 00:00│Comments(4)TrackBack(0) movie | なんとなく思う

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この記事へのコメント

1. Posted by no-be   2006年07月21日 03:43
かなり掘り込んだ文章やね。

確かになんとなくは傷つけあうことによる深い相互理解というのは分かるね。でもやっぱりokiのいうように、とはいってもそれはあんまりなんじゃないかというのも良く分かる。

でも、自分の過去を振り返ってみると、多かれ少なかれお互いを傷つけあいながらも、お互いにその先の希望というコンセンサスを持っていれば、関係はうまくいくような気がする。

でも実際にはそうそうお互いを、自分を、傷つけながらでも希望を信じる人は少ないと思うから、現実的にはこういうことってすごく少数なのかもしれないね。

まぁだからこそ映画としての存在価値があるのかもしれないね。
2. Posted by oki   2006年07月22日 02:08
>no-beさん
まず単純にコメントありがとう。
5行の文章を繰り返し読ませて頂きました。

>現実的にはこういうことってすごく少数なのかもしれないね。
こういうこと、というのは傷つけ合った先に新たに確かな関係を築く(築こうとする)こと、だよね?
希望はないと判断してしまったり、信じて続けていくことに耐えられなくなったり、あるいはどこかてきとうなとこで手を打ったり、などなどダメになる道がそこかしこにあるからね。
まあそうなんだろうな、と思うよ。
それにその先にある希望、新たな関係と、そこにたどり着くまでに負う(だろう)傷、を秤にかけてみて、そうすることに必ずしも価値があるとは言えないかも知れないし。
...って、逃げでしかないかもしれないけどさ。
3. Posted by ne-young   2006年07月27日 00:23
話は全然違いますが。

カリフラワーズが、
気になってたところなのです。
(『ゆれる』の音楽の人)

だから、
観にゆこうかと思って。



信じることは難しいね。
4. Posted by oki   2006年07月28日 23:22
>ne-young

あの曲いいよね。「うちに帰ろう」。
予告編を見た時から、僕も気になっていました。

>信じることは難しいね。

意味深だなぁ...。

信じることが出来るかは、相手次第でもあるし、自分次第でもある。
だけど、ただただ相手を信じることが出来る、そういう強さを今は羨ましく思うよ。
へ理屈抜きにしてさ。

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