2006年10月06日

記憶に留めておくということ

上京して家族と離れた大学生が、どれくらいの頻度で家族と連絡を取るものなのかってもちろん人によって違うんだろうけれど、僕はだいたい週に1回メールのやり取りをして、2,3週に1回電話で会話をするくらいです。
僕と母親との会話は、家族の近況とか、少し前から体調の悪い祖母の回復具合とか、うちの猫の話とか、だいたいそんなことについて。
けれども、興味の対象が異なり、日常を共有していなければ、会話の内容はだいたい似通った話題になり、会話が弾むということも少なくなってくる。大学に入って離ればなれになってから年を経るに連れて、このことを実感するようになった。
一方で、父親とは、会話の頻度は別に多くはないのだけど、興味の対象が近いので話が弾むことは多い。デザインの話とか、勉強の話とか、本の話とか。
だから、いつかのこと、母親に「お父さんとはどういう話をするの?」と聞かれたときに、母は同じように考えて寂しく思っていたんだと気付いて、申し訳ない気持ちで一杯だった。

だけど、つい最近母親と電話で話した時のこと、最近少しだけ料理をするようになった、という話をすると、途端に会話が弾むようになった。
僕はじゃがいもをよく使うと言った。
母はじゃがいもは茹でるとどれくらいもつだとか、バターで炒める時は塩を少なめにしろとか、そんなことを言った。そしてあんたはやっぱりじゃがいもが好きなのねと言った。

料理の話をしているときの母は1つ1つ思い出しながらしっかり語りかける、という感じで、その喋り方は僕を懐かしい気持ちにさせた。
そして、そんなふうに生き生きと話す母との会話を嬉しく思うと同時に、いかに自分が母から引き出していない部分があったか、ということに今更ながら気付かされた。
それはあるいはずっとこの先も引き出されなかったかもしれなくて、それに引き出されていないものもきっとたくさんある。そう考えるととても寂しい思いがした。


僕はいつか母や父を失ったときに、どれくらい自分の中にその存在を残していられるだろうか。

人が誰かを自分の中に生きながらえさせることができるとするならば、それは共有したものの中にしかないんじゃないかと思った。
共有した興味、共有した状況、共有した感情、そして共有した日々、など。


電話を切った後に、そんなことをとりとめもなく考えた。

planke at 23:28│Comments(3)TrackBack(0) なんとなく思う 

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この記事へのコメント

1. Posted by nobe   2006年10月08日 13:34
本屋のじいさんへ


ええな。。。これ。。。
2. Posted by oki   2006年10月09日 22:05
>nobeさん

ん?「本屋のじいさんへ」とは??

3. Posted by oki   2006年10月10日 11:15
>nobeさん

思い出したよ、本屋のじいさん。

もはやじいさんでもええです...。

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