2011年05月19日14:30

こんなモノは始末書ならぬ粗末書である。

先日親知らずが痛いと嘆いていていた。親知らずのような外的内的に限らず、彼女はいわば痛がりである。常に痛みと闘っているイメージだ。痛みアレルギーとでも言おうか。痛みに敏感で常に痛みのアンテナの張っている。彼女が少女ならば、友達が誰かに叩かれたら一緒に泣いてしまうような子どもであっただろう。彼女が犬ならば、どこかで自分と同じような犬が苦しく鳴いていれば共鳴して鳴き声をあげるだろう。そこに自分と同じように泣いて苦しんでいる人がいれば泣いて誰かに教えようとする。それが彼女の使命だと本能的に感じているからだ。

先述したのは、プラズマみかんの劇作家である中嶋悠紀子のことである。

彼女の作品に私、朝寝坊月眠。が客演するのは今回で二回目だ。有り難いことに出演のお声がかかるのは実に三回目のことである。前回はどうしても私事の都合で出演が出来なかった。

私は決して上手い役者ではない。むしろ不器用中の不器用である。どうして私なんかにお声をかけてくれるのか。一つだけ思い当たる節がある。

私は役者の他にもDeityというバンドのボーカルもやっている。このバンドは演劇要素も取り入れ、人の痛みを極限的に叫び倒すバンドである。作詞や脚本や演出は私、月眠。が担当している。私も常に痛みや苦しみを表現してきた。ただそれを普段から出しているわけではないので、彼女が気に入ってくれたのは彼女の演出眼による、私に内在する痛みや叫びを見抜き、共鳴したんではないかと思う。痛みを叫ぶ人は多い方がいい。非常に遠い場所からのか細い遠吠えも何匹か集まれ立派な叫びに聞こえる。

彼女の作品はいつも過去の実際の事件を題材している。それは恐らく忘れてはいけないことだからだ。戦争に語り部が必要なように、それらの事件には語り継いでくれる人間が必要だ。それは過去のことを振り返すのでは決してなく、これからの人類が生きていく為に必要な対策など繋がっていく。
彼女は押し付けがましくそこまでは提示はしていない。だが繋がっていく為の橋立には確実になっている。マネジメントの父と呼ばれているピータードラッカーは「現代の組織はそれぞれの分野において社会貢献するために存在する」と言ってるように彼女達はそれを実践しているわけだ。

そう思うと、世にとってプラズマみかんは非常に重要で必要な存在ではないかと思う。
それにただそれだけじゃなく、中嶋の演出は視角的にも非常にユニークであり、重い内容に疲れないようにライトさや笑いだって貪欲に詰め込まれている。よく観劇者の事を考えて作られているのだ。
私は正直もっとプラズマみかんは評価されるべきだと常々思っている。それは身内だからとか自分が関わっているからとかでは絶対にない。私はどちらかというと自分が関わった劇団でも容赦なく、才能あるなしの判断を下している人間だ。自分の実力や才能がないのを棚に挙げさせてもらえば、はっきり言って今まで関わってきた人間で私が才能があると思った人間はほとんどいない。私自身は実力はないが、私に先見を見据える才能の持ち主を見抜く力はあると自負している。
プラズマみかんにはある。それはプラズマみかんと関わる前にプラズマの芝居を初めて観劇した時からそれは変わっていない。だから彼女らは賞もいくつか頂いている。しかしもっともっと評価されていい。プラズマのメンバーがこれを見たら鼻の上のあたりが痒くなるような内容を書いてやった。

ただひとつ、評価されていなかった原因として考えられるのは未熟さにあると思う。出てる俳優が未熟だったり、脚本のラストが完成するのが遅く脚本や演出の素晴らしさに稽古日数がおいついてなかったり。未熟なみかんほど、苦く不味いものはない。だからそこがまだ評価されてなかった所以なのだろうと思う。

しかし今回は役者・スタッフ陣も経験豊富な人間が多く、プラズマの舞台経験者も多いので非常に楽しみである。甘く美味しいみかんになるのも時間の問題である。今回の芝居で多くの御客様に是非熟したみかんを食べて頂きたい。ただそのみかんは見た目の美しさや甘さには隠された、作る過程での痛さや、ぎっしりと詰め込また叫びを多く含んでいる為、普通のみかんとは違ったピリッとした、何故かクセになるスパイスが混入されているけれど…。


plasmamikan
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