プラズマみかんの試食会が終了しました!(せせらぎ)
終演いたしました。ご来場の皆様、本当にありがとうございました。
行きたかったんだよ、観たかったよ、と応援をくれた皆様も本当にありがとうございました。
約80分のリーディングから意見交換会までたくさんのお客様が胸の鍵を開けて自らの内に触れながら観てくださったように思います。
ご感想・ご質問、大切に読ませていただきます。本当にありがとうございました。
せっかくなので、少しこの作品が出来るまでの私自身の思い出を語ろうと思います。

『いのりたいよるに』というタイトルを聞いたのは去年だったように思う。こういう作品を作りたい、シマコは出産後しばしばそう語ってくれていた。
そして、来年劇団の周年を迎えるにあたり次の公演は産後ケアセンターを舞台にした物語で行くことに決まった。
決まった時、そして最初のプロットを読んだ時、私はある悩みを抱えた。
どうしても私は『産んでいない』『産むが分からない』『産まれる祝福に実感がない』、と言い訳めいた感情が本の理解を阻害するのだ。
無意識にピリリとした『痛み』を感じて、出産というテーマに身構えてしまう。敬遠してしまう。
一緒に立ち上げるんだ、向き合うと決意し、ささやかなスタートだが多くの出産にまつわる漫画を読んだ。文献読めよ!…ですよね;
でも一番この本の世界にグッと関心を寄せることが出来るようになったのは実際に産後ケアセンターへ訪問させていただいた時だった。
産後ケアセンターに入ると静かで、ほっ、という安堵のような音がそこにはあった。漫画で言うと空間に『ほっ』という文字が浮かんでいる、そんな感じだ。(どんな感じだ!)
『ほっ』なんだ。勝手に産院のような赤ちゃんの泣き声が溢れ、ママがあくせくいろんなことを教わっている空間だと思っていた。だから驚いた。『ほっ』なんだ。
赤ちゃんは助産師さんがキャリーで運び、ママは別室で身体を休める。こんな場所があることを初めて知った。知った時、ここが舞台のお話が観たい、もっと知りたいと、と考えに変化が生まれた。
初稿があがり、台本mtgをしたときシマコは『産まみ(む)めも』の話をしてくれた。
『産まない』『産みたい』『産む』『産めない』『産もうか』の産むにまつわる複数の向き合い方の話。シマコは今回『産む』を経験したママたちの空間を舞台に『産まない』『産みたい』『産めない』『産もうか』をどれだけ見せられるか、それを頭を巡らせ書いているのだと言う。
その言葉で、あの『痛み』についてもう一度考えた。どうして『出産』というテーマに無意識に痛みを感じるのか、『殺人』『いじめ』『虐待』という分かりやすく痛みを伴うテーマではないはずなのに。それは『産む』の強さ・凄さを想像しそれ以外の『まみめも』の考えを持つ自分が無意識に卑屈になったり劣等感を感じるのだ。『産むを経た人』を別次元に離して無意識に。
だから今回『まみめも』をこそ置いていかないシマコの意識に私はとても良いなと思ったのだ。
そして完成稿が今回リーディングでお見せした作品である。様々な立場、バックを持つ登場人物たちが描かれた作品になった。観る時、誰の目線•誰の立場に自己の目を置き、違う立場をどう瞳に映すか。協調でも同調でもない、共鳴が感じられる作品だと思う。きっと取り組んでくれた出演者にも観てくださったお客様にも無意識に『ピリリ』痛みはどうしてもあったかもしれない。私はその痛みこそ『いのいたくなる』動機にも繋がるのではないかと思っている。自分のことを、周りのことを、社会のことを、暮らしのことを、世界のことを、地球のことを。『いのりたくなる』と思うのだ。
長くなりましたが(ほんとにね!!)、本当にこの度はプラズマみかんの試食会を応援下さり、皆様ありがとうございました。
どんな作品か、物語の内容についてはあえて語りません。だって今回はワークプログレス公演、そう、本公演の未来へ繋がる歩みの途中なので、
是非来年この作品でお目にかかれたらと思います。
本当にありがとうございました。

↑今回限りの座組で本当に寂しい、本当に素敵な出演者様に恵まれました。ありがとうございました!!
行きたかったんだよ、観たかったよ、と応援をくれた皆様も本当にありがとうございました。
約80分のリーディングから意見交換会までたくさんのお客様が胸の鍵を開けて自らの内に触れながら観てくださったように思います。
ご感想・ご質問、大切に読ませていただきます。本当にありがとうございました。
せっかくなので、少しこの作品が出来るまでの私自身の思い出を語ろうと思います。

『いのりたいよるに』というタイトルを聞いたのは去年だったように思う。こういう作品を作りたい、シマコは出産後しばしばそう語ってくれていた。
そして、来年劇団の周年を迎えるにあたり次の公演は産後ケアセンターを舞台にした物語で行くことに決まった。
決まった時、そして最初のプロットを読んだ時、私はある悩みを抱えた。
どうしても私は『産んでいない』『産むが分からない』『産まれる祝福に実感がない』、と言い訳めいた感情が本の理解を阻害するのだ。
無意識にピリリとした『痛み』を感じて、出産というテーマに身構えてしまう。敬遠してしまう。
一緒に立ち上げるんだ、向き合うと決意し、ささやかなスタートだが多くの出産にまつわる漫画を読んだ。文献読めよ!…ですよね;
でも一番この本の世界にグッと関心を寄せることが出来るようになったのは実際に産後ケアセンターへ訪問させていただいた時だった。
産後ケアセンターに入ると静かで、ほっ、という安堵のような音がそこにはあった。漫画で言うと空間に『ほっ』という文字が浮かんでいる、そんな感じだ。(どんな感じだ!)
『ほっ』なんだ。勝手に産院のような赤ちゃんの泣き声が溢れ、ママがあくせくいろんなことを教わっている空間だと思っていた。だから驚いた。『ほっ』なんだ。
赤ちゃんは助産師さんがキャリーで運び、ママは別室で身体を休める。こんな場所があることを初めて知った。知った時、ここが舞台のお話が観たい、もっと知りたいと、と考えに変化が生まれた。
初稿があがり、台本mtgをしたときシマコは『産まみ(む)めも』の話をしてくれた。
『産まない』『産みたい』『産む』『産めない』『産もうか』の産むにまつわる複数の向き合い方の話。シマコは今回『産む』を経験したママたちの空間を舞台に『産まない』『産みたい』『産めない』『産もうか』をどれだけ見せられるか、それを頭を巡らせ書いているのだと言う。
その言葉で、あの『痛み』についてもう一度考えた。どうして『出産』というテーマに無意識に痛みを感じるのか、『殺人』『いじめ』『虐待』という分かりやすく痛みを伴うテーマではないはずなのに。それは『産む』の強さ・凄さを想像しそれ以外の『まみめも』の考えを持つ自分が無意識に卑屈になったり劣等感を感じるのだ。『産むを経た人』を別次元に離して無意識に。
だから今回『まみめも』をこそ置いていかないシマコの意識に私はとても良いなと思ったのだ。
そして完成稿が今回リーディングでお見せした作品である。様々な立場、バックを持つ登場人物たちが描かれた作品になった。観る時、誰の目線•誰の立場に自己の目を置き、違う立場をどう瞳に映すか。協調でも同調でもない、共鳴が感じられる作品だと思う。きっと取り組んでくれた出演者にも観てくださったお客様にも無意識に『ピリリ』痛みはどうしてもあったかもしれない。私はその痛みこそ『いのいたくなる』動機にも繋がるのではないかと思っている。自分のことを、周りのことを、社会のことを、暮らしのことを、世界のことを、地球のことを。『いのりたくなる』と思うのだ。
長くなりましたが(ほんとにね!!)、本当にこの度はプラズマみかんの試食会を応援下さり、皆様ありがとうございました。
どんな作品か、物語の内容についてはあえて語りません。だって今回はワークプログレス公演、そう、本公演の未来へ繋がる歩みの途中なので、
是非来年この作品でお目にかかれたらと思います。
本当にありがとうございました。

↑今回限りの座組で本当に寂しい、本当に素敵な出演者様に恵まれました。ありがとうございました!!