2020年02月

2月27日   Most Eel

後々自力でブレイクしたときに悪口言われる。


スーパーのおつとめ品コーナーに、ウナギ蒲焼きのタレが大量に置かれていました。
ふむ、まあ夏の土用丑でもない限りそう飛ぶように売れる商品ではなかろうしな、
だが考えてみれば、本来のウナギの旬は秋から冬の寒い時期なのだから
土用丑の存在さえ無ければ夏場よりもむしろ今の時期にこそ売れて然るべき商品でもある、
土用丑のおかげで年に一度の晴れ舞台が約束されているが、
同時にそのせいで本来のポテンシャルを活かす場は失われてしまっているわけで、
たとえるなら大物プロデューサーに見いだされてアイドルとしてブレイクしたけど
本当は本格派アーティストとしてやりたいのにと悩んでる歌手のような、
何とも複雑な状態だと言えるかもしれないな、
いったい蒲焼きのタレは土用丑についてどう思っているのだろう、
感謝しているのだろうか、それとも憎んでいるのだろうか、と慮った次第です。

とりあえず、値引きされてることだけを理由にとりあえず買っていって
気紛れにカレーの隠し味にぶち込んでみる僕のような奴のことは憎んでいると思います。
ブレイクさせてやるでも本来のポテンシャルを活かしてやるでもなく
思いつきでインド人キャラにして「思ってたのと違うな」と呟いて終わりだ。他人の人生をオモチャにする極悪プロデューサーだ。

2月27日 あとは毎日叶え放題

「黄色い車を一日三台見ると願いが叶うぞ」
「よし、車三台ぶんの代金と車庫スペースが欲しい、って願おう」

自分で黄色い車三台持つ気だ。

2月24日   Cool Capacity

拡散。


取るに足りない内容のことを得意気に説明する様子を「能書きを垂れる」と言いますが、
この「能書き」は元々、「薬の効能について書かれた文書」のことだったのだそうです。
どのような薬でどう効くのか、がつらつらと書かれた
薬の説明書、あるいは広告チラシのようなもので、
これがあるときから「自己PR」のたとえとして使われるようになり、
さらにPRは往々にして自慢話になりがちなことから、
長々と喋ってるけど全然中身ねえし入ってこねえわーうぜえわー、みたいなニュアンスが含まれ
現在のような使われ方をするようになったのだそうですよ。

となるとつまり、薬について得意気に説明してる、という様子こそが
真に「能書きを垂れている」状況だと言えるのかもしれない。
ちょうど今は新型コロナウイルス騒動のせいで
にわか知識でもってそういうことを話したがる奴もたくさんいるだろう。
「どうせテレビで聞きかじった浅い情報だろ」とイライラしがちだけど、
「真の意味で能書き垂れてんなー」と広い心で見てやればいい。
「薬には絶対詳しくないけど期せずして語源には詳しい奴になったなーこいつなー」と思ってやればいい。

2月24日 出会いの条件

「座敷わらしに出会えると願いが叶うぞ」
「うち全室フローリングで座敷無いけどそれでも出会えるものなのかな。
 向こうの検索に俺ん家ちゃんとマッチングする?」

マッチング?

2月22日   Cat Fight

公募で決まったそうです。


2月22日は「ニャンニャンニャン」ということで「猫の日」です。
なぜ2月2日ではないのだろう。
普通、動物の鳴き声を擬音で表現するときは
「ワンワン」「モーモー」と2回繰り返すのが基本形であり、
猫の「ニャンニャン」も例外ではないはずだ。
そして「ニャンニャン」の語呂合わせとするなら
2月2日のほうが適当であるに違いないと思うのだが、
なぜわざわざイレギュラーな3回繰り返しになぞらえて2月22日としたのだろうか。
もしかして2月2日ではいけない理由が何かあったのか。
2月2日に「犬の日」とか「チョコレートの日」とか
何かそういう猫とあまり相性の良くない事物の記念日が既にあって、
「それと一緒の日はちょっとな」って避けられた結果なのだろうか。

調べてみたら「麩の日」があったがどうだろうか。
猫が麩を嫌ってるとか麩を食べると害があるとかいう話は聞かないが、
僕が知らないだけで実はものすごく相性が悪いのだろうか。
猫用のトイレ砂に麩菓子を落としたら
たとえキレイに払ったとしても二度と食べる気がしなくなりそうだけど、
それはむしろ相性が良すぎてしっくりきすぎているということではないだろうか。

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