2011年08月16日

おもしろさ

久しぶりに熱く語りたいことがある

それは「おもしろさ」について


おもしろい

笑う面白さでも良い

泣かせる面白さでも良い

何も無い面白さでも良い

でも、面白いってそんなに薄っぺらいもんじゃないんだよ、
なめんじゃねーよ、このやろーと思うことが最近よくある


いや、そもそも答えのあるものじゃないから、
もう人が面白いというのなら、それはその人の感想であって、
それを否定するような若い事はしませんが


ただ、面白くなりたいとか
面白いものつくりたいとか
面白いものをみたいとか、本当にそこに貪欲になるのならば

絶対に、自分かわいさでつくれるような簡単なものじゃないと思います



おもしろさって、
ある種、すごく客観的なものでなくてはならなくて、
自分がこれを言いたい、とか、
これを言ってる自分が好きとか


もしかしたら、わたしの勝手な考えかもしれないけど、
こういうのは大体においてつまらないんですよ


いや、言いたい内容が良いとか、悪いとかじゃなくて

私が言いたいのは、
おもしろさの根っこにあるのは、
あくまでも、相手をたのしませようとする、相手を尊重する気持ちだと思う

そして、相手に自分鳴り、自分の表現をわかってほしいと思う、
健気な気持ちだと思う


人も、作品も
これが欠けていると、
表面的にはおもしろそうなことを言ってみても、
どこかつっこみが甘かったり、
パンチがなかったりする

そして、
相手を楽しませよう、っていうのは、
本当に相手を思ってこそできるもの

相手がこう望むんなら、
これでもかーというくらいに、それに応えるもよし


相手の意表をつくもよし

これだったらおもしろいんじゃなかろうか
ここ、つまらないだろうか


そういう切なる思いが、
おもしろさを生み出すのだと思う

だから、
適当にこんなかんじでやっておけば雰囲気出るだろうとか

こういうことがやってみたかった風なのに、
いまいち何もできていないとか

自分ただ、これ言いたかっただけみたいなのとか

それが絶対にいけないというんじゃないよ

でも、それって相手に失礼だな、と思う気持ち

それが、おもしろさにつながるんだと私は思うんだよね

これがやりたい、でも、おもしろくない
だったらなんとしてでも答えをだそう
相手を納得させられる方法は無いか

そうやって、
いつも笑ってくれる人、聞いてくれる人のことを思いながらつくるっていう基本的な姿勢は
絶対に良い物を生むのに悪影響は与えない


それが少し足りないんじゃないか、と
とある映画の作品とかに対しておもった

おもしろさをなめるな

おもしろさに救われたことはないの?
そいういうものをつくりたいという気持ちはないの?

まぁ、自分の胸に言いかけるハメになるので、このへんで笑

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2011年08月