全ては達成感のために




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PS4とXbox Oneのアクションゲーム。開発はフロムソフトウェア。

世の中には時々、とてつもないインパクトを持った創作物が出現する。食べる事も寝る事も忘れて、その事しか考えられなくなってしまう魔力を持った作品がこの世にはある。
間違いない。隻狼は傑作だ。大傑作である。本気で悔しがり、本気で喜び、本気で熱中できる、本気の真剣勝負がそこにはあった。

開発はフロムソフトウェア。ディレクターは宮崎氏。デモンズソウルやダークソウル、ブラットボーンなどの高難易度を誇るダークファンタジーを作り続けてきたチームだ。
彼らの作るゲームには明確な共通点がある。それは、一つの確固とした世界観を作り上げる、という点だ。
それはただビジュアルの事だけを言っているのではない。アクション、システム、ゲームバランス、サウンド、デザイン、あらゆる全ての要素が一体となって一つのテーマに向かっている。だからこそ、ダークファンタジーという揺るぎない一つの世界が構築されていた。代名詞である高難易度も、あくまで世界を構築する一要素に過ぎない。
しかもフロムのゲームは、本物の世界での体験であることを演出するためにゲーム上の仕様を世界観の設定として調和してしまう。
主人公が死んでも生き返るリトライの仕組み、オンラインのマッチング仕様。普通なら「これはあくまでゲームですから」で済まされる仕様だが、宮崎氏はそれを世界観を構造する設定に転換して溶け込ませてしまう。
故に彼らの作るゲームは世界観の説得力がある。ゲームの都合を感じさせない、本物じみた迫力がある。だから異常に難易度が高くても不快に思わない。この世界はそういうもんだと納得させられるから。
ゲームシステムと世界観の融合。首尾一貫としたトータルデザイン。全てが繋がっているからこそ、それぞれの要素が効果を何倍にも高め合い、ゲーム体験を強烈なものにする。
これを大作で出来るスタジオは、世界を見回してもフロムソフトウェアしか存在しない。彼らの作るゲームは、ただ綺麗な映像で作りましたというだけでは決して到達できない、本物の迫力と臨場感、そしてリアリティがある。
だからこそ、その世界観の根底にあった、達成感という喜びをプレイヤーはひしひしと感じ取ることが出来た。

フロムソフトウェアの目指すところは常に、首尾一貫としたリアリティのある世界観を作り上げてプレイヤーを没入させ、やりごたえのある体験とその先にある達成感をより高める、というところだ。その点において、新作が出る度に進化を続けている。
例えば、ダークソウル。前作のデモンズソウルは拠点から各エリアに移動する分割的なマップ制だったが、ダークソウルでは全てのエリアを境目なく繋げてシームレスに冒険することができるようになり、明確に一つの世界が存在しているという実在感があって世界観のリアリティが高まっていた。
例えば、ブラッドボーン。基本的なゲーム構造はソウルシリーズを引き継いでいるが、あえてゲームの幅を狭くすることで凝縮された情緒を作っていた。
ソウルシリーズはキャラクタービルドの幅が広くて、甲冑や盾でガチガチに身を固めたり、装備を軽くして身のこなしを重視したり、魔法の力で敵を翻弄したり、と言った幅広いアプローチから困難に挑めたが、ブラッドボーンでは弓や魔法などの遠距離攻撃は無くなり、盾や甲冑などの身を固める系の装備も実質排除し、敵と真正面から向き合わざるを得なくなった。
しかしそれにより生きるか死ぬかをかけた攻防の白熱さは極まる。より陰湿さを増した狂気の魔都ヤーナム、攻撃を受けたあとにすぐ反撃すれば回復するリゲインシステム、恐ろしい凶暴性で迫ってくる獣、スピーディーに激しく動く主人公など、様々なゲームの要素が一体となって戦いを盛り上げ、血で血を洗う死闘感溢れる激しい戦いの情緒を演出していた。
その残酷で容赦のない命がけの死闘は、ダイレクトに感情を揺さぶり、昂らせ、純粋な本能を刺激し、コントローラーを握っているプレイヤーすらも獣のような野性味に身を委ねてしまうような、大迫力の臨場感があった。
ブラッドボーンは確かに遊びの幅が狭くなったが、死闘感を演出するというテーマに沿ってあらゆる要素を取捨選択したからこそ、オンリーワンのゲーム体験が生まれていた。

そして、隻狼である。このゲームは、ブラッドボーンの方向性を更に突き詰めた。つまるところある一点にゲーム体験を集中させる、ということに今作は今まで以上に拘っている。
ブラッドボーンも制限はかなり強かったが、武器の種類は豊富だった。リーチのある鞭や一撃が重い槌や変則的な車輪など、色んな選択肢があった。
しかし、隻狼はもはやプレイヤーに有無を言わさない。主人公は忍者であり、武器は刀。これが決定事項となっているのが今作の最大の特徴だ。
今までは近接攻撃もあれば遠距離攻撃もあり、武器の種類も多種多様で色んな戦い方があった。作り手は、その全てのやり方でクリアーできるようにゲームを調整する必要があった。つまり、フロムは今まで第一にプレイヤーの遊び方を尊重し、手加減をしていたのだ。
しかし今作はアクションが統一されたことで、主導権は制作側が握ることになる。するとどうなるのか?答えは簡単。とんでもなく難しくなるのであった。

まず、基本のアクションが非常に多い。特に守りの面。ガード、弾き、ダッシュ、ジャンプ、見切り。これらを全て的確に使いこなす必要がある。
ダークソウルではスタミナに注意してガードしていれば良かった。ブラッドボーンでは敵の攻撃に合わせてステップをしていれば良かった。
今までのダークファンタジーシリーズも確かに難しかったが、プレイヤーの自由な発想を尊重していたので、ある程度戦いに必要な戦術を単純化させてゆとりを持たせていた。自分の戦い方に固執しても何とかなる寛容さがあった。
しかし今作は違う。弾きだけしていれば良いとか、回避だけしていれば良いとか、そんな単純な話ではない。忍としてのアクションをフル活用することを求めてくる。本当に全ての操作を駆使しないと敵を倒せない。
更にいつも以上に敵の動きが嫌らしい。まるでこちらの行動を読み切ったような動きをしてくる。それもそのはず。作り手はプレイヤーがどう動くのかある程度分かっているのだから。
忍の武器は刀のみ。今までは武器のカテゴリによってリーチも攻撃速度もモーションも違ったが今回は完全に固定だ。それを計算して敵のアクションは作られている。つまり、プレイヤーはより精度の高い操作が求められるわけだ。
極め付けは体幹システム。ダメージを与えたりガードの上から攻撃したり弾きを決めることでゲージが溜まっていき、限界まで行くと敵の姿勢が崩れて忍殺と呼ばれる必殺技によって残りの体力関係なしに体力ゲージ一本分を苅りとれる。
上で言ったように、今作はより綿密にプレイヤーの行動を計算して敵の動きが作られているので、こちらの攻撃が中々通らない。大半はガードで受け止められ、当てたとしても通常ダメージは微量しか与えられないので、如何にしてこの体幹を削っていくかが攻略の鍵を握る。
じゃあガードや弾きでも体幹にダメージを与えられるのだから、ひたすらガードしていれば良いじゃん!かと言うと、もちろんそんな単純な話ではない。体幹ゲージは自動で回復していき、その回復速度は敵の体力に依存している。つまり、ある程度ダメージを与えないとあっという間に回復してしまうのだ。
そのため、確実に攻撃できるタイミングだけ手を出す、という安全策に頼ると今まで以上に時間がかかるし、イコールそれは敵の攻撃を凌ぐ場面が多くなるということでもあり、決して有効な戦法ではない。
ダークソウルやブラッドボーンは攻めを最小限にし回避に徹して我慢比べしていればいつかは勝てた。しかし隻狼はそんな悠長な事は許してくれない。攻めて攻めて弾きや回避もちゃんと決めて体幹を削り切る、というテクニックを成功させてちゃんと相手を打ち負かす必要がある。
この体幹システムによって、プレイヤーは攻撃への積極性を高めざるを得なくなる。だが攻撃するということは、無防備になる、と同義だ。敵も恐るべき殺意で向かってくる。当然攻めにはリスクが伴う。しかしそれを背負わなければこのゲームの戦いには勝てない。
まさしく命のやり取り。生と死の狭間にいるプレッシャー。ブラッドボーンも相当な死闘感があったが、隻狼はそれを上回る戦いの激しさと、常に死の淵に立たされている緊張感がある。
この体幹システムはユーザーのスキルをダイレクトに戦いに反映させ、プレイヤーに向上心と達成感を与えてくれるだけでなく、敵との戦いにかつてない生と死の駆け引きをもたらしてくれる非常に優れたゲームシステムだ。

今作は本当に、本当に難しい。有効だったヒットアンドアウェイが通用しにくくなり、アクションの種類は多く、操作の精度も求められるレベルが高くなった。
このゲームの副題は、SHADOW DIE TWICE。影は二度死ぬ。そんなレベルじゃない。俺は1周目だけで少なく見積もっても500回は死んだ。殆どのボス戦で倒すのに3時間以上かかった。それどころか、そこら辺を歩いている名前が与えられたミニボスにすら何回もリトライする羽目になった。
中盤までずっと俺は怖くてビクビクしてたね。正直、勝てる気がしなかったから。敵の殺意があまりにも恐ろしくて攻めがジリ貧になり、それだといつまで経っても体幹を崩せないから積極的に行こうと覚悟を決めると返り打ちにあうという負の循環。
買う前から難しいのは分かりきっていたが、想像を遥かに超える過酷さに何かが折れる音がした。フロムの高難易度ゲームをオンラインに頼らず一人でクリアーしてきたという俺の自尊心は粉々に砕かれた。
今まではどれだけ追い詰められても最終的には何とかなった。レベルアップでパラメータを上げたり、装備を強化したり。そんな面倒なことをしなくても、オンラインで仲間を3人まで呼べるという最強の救済措置もあった。過去作はなりふり構わなければ誰でもクリアーすることができた。
しかし、これが最も今作の難易度を上げている原因なのだが、隻狼にはレベルの概念もなければ、オンラインで仲間を呼ぶ事もできない。はい、本当にないんです。
武器の刀も一種類だけ。防具もアクセサリーもない。パラメータの概念も乏しく、体力と攻撃力を上昇させるのみで、この能力値を上昇させるアイテムも強敵を倒さないと手に入らない。逃げ道は完全に封じられた。じゃあどうすれば良いのか?
自分でどうにかするしかない。しかしこのゲームは正確性も工夫も根気も求められる。それが出来なければ?諦めて下さい。それがこのゲームの回答だ。
プレイヤーの遊び方やゲームに対する取り組み方を尊重し、難しいけれど、どんなプレイヤーでもゴールを目指すことができる。それが今までの宮崎氏のゲームだった。
しかし今作は違う。主人公のアクションを固定化し、操作の精度を高いレベルで求め、オンラインやレベル上げという逃げ道も封じた。プレイヤーは嫌でも隻狼というゲームと向き合わざるを得ない。何回も何十回も何百回もリトライし、考えて、研究して、試行錯誤して、操作の精度を高める必要がある。
そこまでして得られるものとは?かつてないほどの達成感。それだけだ。
しかしそれはゲームにとって掛け替えのないものだ。ゲームはプレイヤーが操作できる。受け身ではなく、自分で何かを成し遂げ、そこに喜びを見出すことができる。
その喜びの大きさは過程によって変わる。如何にしてそれをプレイヤーに大きく伝えるか。それはフロムがキングスフィールドの頃からずっと追求し続けてきたことだ。
確かにダークソウルやブラッドボーンは難しかったが、時間をかけてヒットアンドアウェイをしたり、オンラインを使えば簡単にクリアーできた。
しかし今作はそんな甘えは許されない。プレイヤーが己の力で成し遂げなければならないのである。そしてその先には、紛れもなく自分の手でやり遂げたと思える、真の達成感がある。隻狼というゲームの根幹にあるのはそれだ。
ゲームというのは方向性にそぐわない要素でも、ユーザーが求めているから、流行りだから、今までやってきたから、と余分なものが肉付けされがちだ。しかしフロムと宮崎氏はそれがゲームの目指すべきゴールにそぐわないと見れば、たとえ脱落するユーザーがいたとしても、取捨選択することができる勇気と覚悟を持っている。
アクションは固定化され、オンラインは無くなり、レベルや装備などのRPG要素も無きに等しい。ブラッドボーン以上に人を選ぶ狭量な内容だが、それによって近年稀に見るとてつもない達成感が得られるゲームが出来上がった。
隻狼はソウルライクなんてカテゴリに収まるような類似の作品ではない。フロムソフトウェアが追求し続けてきた「達成感」というテーマをもとに、今まで以上に揺るぎない意志でブレずに作られた、究極のハードコアゲームだ。

しかしこのゲーム、散々難しいと言ってきたが、あるとき突然敵の動きが分かるようになる。あれほど時間をかけてたのが馬鹿みたいに思えるほどあっさりボスを倒せるようになる。
俺は今4周目でお守りも返してハードモードで進めてるけど、6体ボスと対峙して一度もゲームオーバーになっていない。あれほど苦しんだのに。
このゲームはいたずらに難しいわけではない。敵の動きには導線があり、癖があり、確実な対処方法が存在する。弾きが有効な敵もいれば、体幹よりも体力を削ることを優先した方が良い敵もいるし、固定観念に囚われず柔軟な姿勢で臨むことが攻略の近道だ。
俺は初見では途中まで思考停止して自分のやり方に固執したため相当に苦労したが、しっかり敵の動きを見て、考えて、それに対応する攻略法を探し出せば、驚くほど簡単に敵を倒すことができた。
何も考えずに同じことを繰り返しているといつまで経ってもゴールに辿り着けないが、考えることをやめずに最適解を探し続ければ、アクションが苦手な人でもちゃんとクリアーできるようになっている。
考えることがちゃんと攻略に繋がり、自分で成長したと実感を得られるこのゲームバランスは素晴らしいとしか言いようがない。

攻略の幅を広げているのが忍具と呼ばれる特殊道具の存在。ここまではアクションが固定化されていることに関して書いてきたが、かと言って決して選択肢が狭いわけではない。
手裏剣、傘、爆竹、槍、火吹き筒など、様々な忍者らしい道具を使うことができる。メインにはなり得ないが、搦め手の手段はかなり豊富に用意されている。
いずれもダメージソースとしては貧弱だが、敵の隙を作ったりピンチを凌いだりするという点に関しては非常に効果的。これも有効な使い方を率先して教えてくれないので自分で探し出す必要があるが、だからこそ上手い使い方を見つけて実践できた時のやってやった感は強い。
大ボスに対してもタイミングによってはかなり効果を発揮することがあり、忍具はかなり戦況を左右する。しかし使用制限もあってあくまで補助的な存在であり、メインにはなり得ないバランス加減が絶妙。
更に道中の部分ではむしろ今までより戦い方の幅が広い。主人公は忍者であるため隠密行動が得意で、背後や上から奇襲すれば一撃で敵を倒せるし、ミニボスも体力ゲージを一つ消し飛ばすことが出来る。ダッシュはスピーディーで、しかもスタミナの概念もないため、移動は非常に速い。敵を全て無視して進むことも容易。
特筆すべきは、鉤縄の存在。ワイヤーアクションにより道なき道をビュンビュン飛び回ることが出来る。移動が快適なだけでなく、この鉤縄に合わせて立体的なマップが作られており、隠された道がたくさんあって探索が楽しいし、今まで以上に高低差が激しくてマップのスケールを感じる。
ブラッドボーンもそうだったが、宮崎氏のゲームデザインの凄いところは、アクションがどんどん快適になっていることだ。
ブラッドボーンも隻狼もコンセプトを洗練化させるために要素を取捨選択しているため「ダークソウルならあんな事もこんな事もできたのに・・・」と不満が出そうになるところを、より快適なアクション性を実現することで抑えている側面がある。
初めて搭載されたポーズ機能は戦闘の緊張感を若干削いでる感はあるけど、とにかく集中力が求められる戦いが続くので良い配慮だと思う。

主人公のキャラクターが固定化された事で今まで出来なかった事にチャレンジしている点も今作の大きな特徴。
まず、トドメの演出が非常にカッコいい。特にボスの決着をつける演出はとても凝っていて倒した時のカタルシスを何倍にも増幅させてくれる。主人公のアクションが固定されていなければ出来ない見せ方だ。
ストーリーの作りも大きく変わった。今作の主人公は名前があり、過去があり、感情がある。声付きで喋り、葛藤もする。ちゃんと人間味を持ったキャラクターとして描かれている。
今までは断片的な情報だけを散りばめてどう感じ取るかはプレイヤー次第、というストーリーテリングだったが、今作は御子との関係性を中心に随分と直接的な物語が展開される。
しかしあくまで分かりやすいのは表立って見えているメインの筋立てだけで、その裏にはとてつもなく緻密な世界設定が作られているのが流石フロム。相変わらず想像性を刺激される。
時代は戦国末期とされているが、史実をそのままモデルにしているのではなく、フロムが独自に解釈したとんでもなく禍々しい架空の日本が描かれていた。

気になったのは、カメラに難があること。壁際によると訳が分からないことになる。
壁際に追い詰められている時点である程度の不利があって然るべきだが、道幅の狭い場所で強制的に戦わされることもあるし、少し理不尽に感じる部分だった。

ゲームは生きていくうえで必要ない。たかがゲーム。しょせんゲーム。である。
このゲームは初見では異次元の難しさを誇るが、にも関わらず救済措置がない。付いていけない人を完全に蹴り落としている。今作は明確な物語があるが、結末が気になってもクリアーできなければ見ることが出来ない。
しょせんは娯楽作品なのに、お金を払って買っているのに、出来ないなら諦めてねと冷たく突き放しているのは賛否両論分かれるところだろう。しかし俺は、今作の方向性を全面的に肯定したい。
明確な攻略法が存在し、諦めずに考えることをやめなければ絶対にクリアーできるよう調整されているのがまず一つ。
そして逃げ道が無いからこそ、自分の手でやり切らなければならないからこそ、戦いの真剣味と緊張感は増し、成し遂げたとき、とてつもない達成感を得ることができる。
隻狼は、全てを投げ打って、達成感という一点に全精力を注入している。たとえユーザーを篩にかけることになったとしても、フロムはその一点を徹底的に磨き上げることを選んだ。
たかがゲーム。しょせんゲーム。でも、このゲームはプレイヤーを本気にさせてくれる。確固たる意志で作られたゲームは、人の心を突き動かす力を持っている。
隻狼で費やした時間は、本当に掛け替えのないゲーム体験だった。