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引用元: 高橋ユニオンズとかいう伝説のプロ野球チーム

1: 名無しさん@おーぷん 平成31年 04/13(土)10:43:02 ID:Yy5
高橋ユニオンズ(たかはしユニオンズ、Takahashi Unions)は、1954年から1956年まで3年間活動した日本のプロ野球球団。パシフィック・リーグに所属していた。現在の千葉ロッテマリーンズの系譜に属する。

エピソード
監督以下、選手も古手揃い、強面揃いで、打席に立つとキャッチャーに「おい若えの、イン(コース)の高めだ」などと凄み、その通りに投げさせるが空振りした。
応援団も柄が悪く、試合中に球審の名を呼んで「おい、入院したいか」などとヤジるのはしょっちゅうだった。
一方でチーム内の雰囲気は暖かく、サヨナラエラーを犯した佐々木を誰も責めず、抱えあげてベンチに連れて行った選手もいたという。
佐々木は当時「ああ、なんていいチームなんだ」と思ったが、後年「そんな高橋だから弱かったんだろう」と振り返っている。佐々木は最後のキャンプで撮った写真を今も大事にしているという。

2: 名無しさん@おーぷん 平成31年 04/13(土)10:43:25 ID:Yy5
ドン・ブッサン外野手は打球に対して必ず一歩前進してからバックしていた。ある時、レフトへのゴロヒットをトンネルしてしまい、塀に向かって走ったが、塀に当たってはね返ってきたボールをまたトンネルし、ショートが拾うという珍プレーを演じた。

高橋ユニオンズの最終ゲームは1956年10月8日に浦和市営球場で行われた毎日オリオンズとのデーゲームである。2年連続で勝率が3割5分に達せず、解散の危機に瀕していた高橋を毎日ナインは気の毒に思い、先発の中川隆はど真ん中にボールを集めるも、高橋打線は打てず。
四回から交代した植村義信はうまく点を与え4-1となった。しかしこれで安心したのか、9回に毎日が点を取ってしまい4-3と1点差となって、なお二死満塁。カウント2-3で押し出しで同点、あるいは一打出れば逆転サヨナラ負けという局面となった。
「2年連続制裁金500万円納入か、または解散か?」と静寂する高橋ベンチと反対に、毎日ベンチは「フレー、フレー!」の大合唱。実はこれは「打て」の意味でなく、「振れ、振れ」という八百長紛いの意味である。
伊藤四郎投手の運命の一球はストライクとなりゲームセット。この年の高橋の最終勝率は三割五分〇厘六毛五糸(0.35065)となり制裁金は免れた。しかし、この努力もむなしく翌年2月に大映スターズと合併し球団は消滅した。

3: 名無しさん@おーぷん 平成31年 04/13(土)10:43:47 ID:Yy5
ユニオンズの「解団式」は1957年2月、キャンプ地の岡山県野球場で行なわれた。フェンスには「高橋ユニオンズ解団」と書かれた横断幕が貼られ、チーム全員で記念撮影を行なった後に選手が一人ずつ他球団担当者の元へ呼ばれ、それが移籍先となった。
多くの選手が移籍先が決まる中、呼ばれなかった15名はそのまま球界を去ることとなった。

4: 名無しさん@おーぷん 平成31年 04/13(土)10:46:43 ID:qjA
スタルヒンが300勝達成したのもトンボやな

5: 名無しさん@おーぷん 平成31年 04/13(土)10:46:45 ID:9sC
これが前の東京五輪、新幹線開通のわずか8年前の出来事やからな

6: 名無しさん@おーぷん 平成31年 04/13(土)10:47:55 ID:Dbt
永田ラッパ健在、湯浅さんがまだ監督でナイター設備もカスみたいな時代
すごく楽しかったで

7: 名無しさん@おーぷん 平成31年 04/13(土)10:51:17 ID:LIU
二軍コーチがシーズン中に選挙に出る話すこ

8: 名無しさん@おーぷん 平成31年 04/13(土)11:18:54 ID:SbU
古過ぎて草。まだ札幌福岡にすら民放テレビが出来る前。

11: 名無しさん@おーぷん 平成31年 04/13(土)11:26:54 ID:Q6Y
トンボ鉛筆が業務提携していたとはな。選手も佐々木信也とスタちゃん以外知らない。

10: 名無しさん@おーぷん 平成31年 04/13(土)11:20:49 ID:W89
草生える