2006年08月27日
恋に破れた男が絶望の果てにしたことは・・・ 有元慶一郎
思い出していただきたいのです。子どものころ、クリスマスイブの日、少しずつ、あたりの闇が暗くなっていくのを眺めたときの不思議な興奮を。ふだん、何気なく見ている木も、冷たい空気の中、まるで礼服を身につけたかのようにかしこまって、クリスマスイブの晩をじっと待っているようです。
そして雪が降り始めました。まるで、天が子どもたちの願いを知っていたかのように。小さな雪のひとひらが、小さな小さな手紙として子どもたちのこころに届けられたのです。さあ、クリスマスイブが始まりました。
たくさんの家庭で、ツリーの飾りつけが始まります。お母さんは台所で忙しく動き回っています。火にかけられた鍋はもうもうと湯気をたてています。おいしそうな匂いもしてきました。そして、しずかにしずかに、まるで子どもたちにとっての時間の歩みのように、雪は積もり始めています。紫色の闇に白い魔法がかけられているのです。
でも、大人にとって、少なくとも忙しくて目の回るような1日を送っている大人にとっては、クリスマスイブはただの晩のひとつにすぎません。いいえ、むしろその晩は人通りが多くて、ケーキ屋の前にできる行列は歩くのにじゃまだし、街に流れるクリスマスソングは耳障りなのです。
ここに、大都会のクリスマスの雑踏をいかにもいまいましいとでもいうようににらみつけながら早足で歩く若者がいました。彼はサラリーマンです。いえ、正確にいうと、サラリーマン“でした”。昼間、会社で意地悪な上司と大ゲンカをして、「こんな会社やめてやる!」とタンカを切って飛び出してきたのです。
よく見ると、彼の10メートル後ろを追いかけている女性がいます。もうおわかりですね。会社の同僚の彼女は、会社で大ゲンカした彼を心配して、後を追いかけてきたのです。でも、クリスマスの雑踏の中、早足で歩く彼になかなか追いつけないのです。
かといって、「・・・さん待って!」と声をかけることもできませんでした。なぜなら、二人は同僚でしたが、まだ話もろくにしたことがなかったのです。ただ、会社の中ですれちがうときにあいさつを交わしたり、仕事上の連絡事項を伝える程度でした。でも、彼女はなぜか若者のぶっきらぼうだけど正直な態度を好ましく思い、きもちを寄せていたのでした。
そのとき、大通りの横断歩道の信号が赤に変わり、若者は立ち止まりました。いつのまにか、あたりは暗闇となり、雪が舞い降りはじめているのに初めて気がつきました。興奮のあまり、周りのものが目に入らなかったのです。ただ、駐車場に停めてある愛車に飛び乗ってだれもいない家に帰りたい、ひとりになりたいと思っていたのです。
若者のこころは、ずたずたに引き裂かれていました。意地悪な上司、こいつが悪いやつなのは初めからわかっていました。でも、理不尽さに立ち向かったとき、親しいと思っていた周囲のひとたちが誰ひとり味方をしてくれず、まるで何も起きていないかのように机の前で下を向いていたこと、それがとても悲しかったのです。
同僚の顔をひとりひとり思い浮かべながら、みんな、自分が可愛いんだと思うと、信号をにらみつけていた若者の目に熱いなみだが浮かんできました。
そのときです。若者の肩に何かが触りました。軽やかな羽根が舞い降りたように。振り返ると、そこには茶色の豊かな髪に白い雪をまとった女性が、下向きかげんで息をあらくしながら立っていました。その顔は・・・会社で見かける人だったのです。「・・・さん!」。
さて、クリスマスイブの晩、交差点で見つめ合う若い男女。この2人がこのあと、どうなるか・・・。そうです、みなさんのご想像どおり、2人はこれをきっかけに付き合い始め、やがて結婚し、平凡な家庭を作って、みなさんの多くと同じように毎年、暖かいクリスマスイブを迎えるようになるのです。
でも、2人が付き合うのに至るためには、ちょっとした“運命”というソースの味付けが必要でした。それをお話ししましょう。
2人は、駐車場の方に向かって、雪の積もり始めた道を並んで歩いていました。ときどき、「だいじょうぶ?」、「うん」と短い会話はありましたが、お互いに何を話していいか、わからなかったのです。女性は、おもわず若者を追いかけてきたけど、よけいなことをしたのでは、迷惑がられるのではと不安なきもちでいっぱいでした。そして、ほんとうに知りたかった質問が胸のなかで渦巻いていました。「わたしのこと、好き?」。
ひとのこころを読める人がいたら、彼女に「だいじょうぶ、好きだよ」と告げて安心させることができたでしょう。若者も、彼女を好ましく思っていたのです。でも、これを機会に告白するのは軽薄すぎやしないか、いや、軽薄と思われて嫌われるのではないかと心配していたのです。
今日、告白しなくても、いつでもできる・・・。人生の荒波をくぐってきた方々は、それが過ちだということをご存知でしょう。次の機会などない、そういう種類のことがこの世にはあるのです。
でも、運命はときに過酷です。おたがい、好ましく思いながらも、いやそうだからこそ、2人は黙りこくって、あるビルの地下駐車場に泊めてあった車の前まできました。
「今日はありがとう、なんか悪かったね、心配してくれて。家まで送っていくよ」。
突然追いかけてきた自分の行動が恥ずかしくなってきていた彼女は、しばらく黙っていると、無理に笑みを浮かべて、「だいじょうぶ。今日は電車で帰るから・・・。元気そうなので安心しちゃった」と言うと、手を振って、地下駐車場の出口に向けて歩き出しました。
そのときです。若者は自分の車のドアがロックされておらず、運転席のシートの上に、白い蝶リボンがついた小箱が置かれているのに気づきました。
小箱に添えられていたメモには、「メリークリスマス。ドアにロックしないでくれてありがとう。でも車は盗まないよ。その代わり、プレゼントを差し上げよう。僕の愛は終わってしまった。だから、このプレゼントが、君の愛する人の手に届いてくれるとうれしいな。メリークリスマス」と書かれてありました。
若者が小箱を開けてみると、そこには3つのダイヤモンドが輝くプラチナ製の指輪が入っていました。その後、若者がその小箱を持って彼女を追いかけたことは言うまでもないことです。雪の雑踏の中、若者が彼女に追いついたかどうか、それはもうお話ししましたね。
クリスマスでも、すべての恋がハッピーエンドになるとはかぎりません。でも、この晩、ひとつの失恋がひとつの恋を生み出したこと、それはクリスマスの魔法といえるのではないでしょうか・・・。
そして雪が降り始めました。まるで、天が子どもたちの願いを知っていたかのように。小さな雪のひとひらが、小さな小さな手紙として子どもたちのこころに届けられたのです。さあ、クリスマスイブが始まりました。
たくさんの家庭で、ツリーの飾りつけが始まります。お母さんは台所で忙しく動き回っています。火にかけられた鍋はもうもうと湯気をたてています。おいしそうな匂いもしてきました。そして、しずかにしずかに、まるで子どもたちにとっての時間の歩みのように、雪は積もり始めています。紫色の闇に白い魔法がかけられているのです。
でも、大人にとって、少なくとも忙しくて目の回るような1日を送っている大人にとっては、クリスマスイブはただの晩のひとつにすぎません。いいえ、むしろその晩は人通りが多くて、ケーキ屋の前にできる行列は歩くのにじゃまだし、街に流れるクリスマスソングは耳障りなのです。
ここに、大都会のクリスマスの雑踏をいかにもいまいましいとでもいうようににらみつけながら早足で歩く若者がいました。彼はサラリーマンです。いえ、正確にいうと、サラリーマン“でした”。昼間、会社で意地悪な上司と大ゲンカをして、「こんな会社やめてやる!」とタンカを切って飛び出してきたのです。
よく見ると、彼の10メートル後ろを追いかけている女性がいます。もうおわかりですね。会社の同僚の彼女は、会社で大ゲンカした彼を心配して、後を追いかけてきたのです。でも、クリスマスの雑踏の中、早足で歩く彼になかなか追いつけないのです。
かといって、「・・・さん待って!」と声をかけることもできませんでした。なぜなら、二人は同僚でしたが、まだ話もろくにしたことがなかったのです。ただ、会社の中ですれちがうときにあいさつを交わしたり、仕事上の連絡事項を伝える程度でした。でも、彼女はなぜか若者のぶっきらぼうだけど正直な態度を好ましく思い、きもちを寄せていたのでした。
そのとき、大通りの横断歩道の信号が赤に変わり、若者は立ち止まりました。いつのまにか、あたりは暗闇となり、雪が舞い降りはじめているのに初めて気がつきました。興奮のあまり、周りのものが目に入らなかったのです。ただ、駐車場に停めてある愛車に飛び乗ってだれもいない家に帰りたい、ひとりになりたいと思っていたのです。
若者のこころは、ずたずたに引き裂かれていました。意地悪な上司、こいつが悪いやつなのは初めからわかっていました。でも、理不尽さに立ち向かったとき、親しいと思っていた周囲のひとたちが誰ひとり味方をしてくれず、まるで何も起きていないかのように机の前で下を向いていたこと、それがとても悲しかったのです。
同僚の顔をひとりひとり思い浮かべながら、みんな、自分が可愛いんだと思うと、信号をにらみつけていた若者の目に熱いなみだが浮かんできました。
そのときです。若者の肩に何かが触りました。軽やかな羽根が舞い降りたように。振り返ると、そこには茶色の豊かな髪に白い雪をまとった女性が、下向きかげんで息をあらくしながら立っていました。その顔は・・・会社で見かける人だったのです。「・・・さん!」。
さて、クリスマスイブの晩、交差点で見つめ合う若い男女。この2人がこのあと、どうなるか・・・。そうです、みなさんのご想像どおり、2人はこれをきっかけに付き合い始め、やがて結婚し、平凡な家庭を作って、みなさんの多くと同じように毎年、暖かいクリスマスイブを迎えるようになるのです。
でも、2人が付き合うのに至るためには、ちょっとした“運命”というソースの味付けが必要でした。それをお話ししましょう。
2人は、駐車場の方に向かって、雪の積もり始めた道を並んで歩いていました。ときどき、「だいじょうぶ?」、「うん」と短い会話はありましたが、お互いに何を話していいか、わからなかったのです。女性は、おもわず若者を追いかけてきたけど、よけいなことをしたのでは、迷惑がられるのではと不安なきもちでいっぱいでした。そして、ほんとうに知りたかった質問が胸のなかで渦巻いていました。「わたしのこと、好き?」。
ひとのこころを読める人がいたら、彼女に「だいじょうぶ、好きだよ」と告げて安心させることができたでしょう。若者も、彼女を好ましく思っていたのです。でも、これを機会に告白するのは軽薄すぎやしないか、いや、軽薄と思われて嫌われるのではないかと心配していたのです。
今日、告白しなくても、いつでもできる・・・。人生の荒波をくぐってきた方々は、それが過ちだということをご存知でしょう。次の機会などない、そういう種類のことがこの世にはあるのです。
でも、運命はときに過酷です。おたがい、好ましく思いながらも、いやそうだからこそ、2人は黙りこくって、あるビルの地下駐車場に泊めてあった車の前まできました。
「今日はありがとう、なんか悪かったね、心配してくれて。家まで送っていくよ」。
突然追いかけてきた自分の行動が恥ずかしくなってきていた彼女は、しばらく黙っていると、無理に笑みを浮かべて、「だいじょうぶ。今日は電車で帰るから・・・。元気そうなので安心しちゃった」と言うと、手を振って、地下駐車場の出口に向けて歩き出しました。
そのときです。若者は自分の車のドアがロックされておらず、運転席のシートの上に、白い蝶リボンがついた小箱が置かれているのに気づきました。
小箱に添えられていたメモには、「メリークリスマス。ドアにロックしないでくれてありがとう。でも車は盗まないよ。その代わり、プレゼントを差し上げよう。僕の愛は終わってしまった。だから、このプレゼントが、君の愛する人の手に届いてくれるとうれしいな。メリークリスマス」と書かれてありました。
若者が小箱を開けてみると、そこには3つのダイヤモンドが輝くプラチナ製の指輪が入っていました。その後、若者がその小箱を持って彼女を追いかけたことは言うまでもないことです。雪の雑踏の中、若者が彼女に追いついたかどうか、それはもうお話ししましたね。
クリスマスでも、すべての恋がハッピーエンドになるとはかぎりません。でも、この晩、ひとつの失恋がひとつの恋を生み出したこと、それはクリスマスの魔法といえるのではないでしょうか・・・。