2019年03月08日

カルロス・ゴーン氏の釈放に際して行われた「変装劇」はすべて私が計画して実行したものです。

依頼人を理不尽な身柄拘束から解放し、正常な社会生活に復帰させて、来るべき刑事裁判の準備に主体的に取り組む機会を与えることは、公正な裁判の実現にとって不可欠なことです。それは刑事弁護人が全力で取り組むべき課題でもあります。

何とかゴーン氏の保釈決定を確定させることができましたが、それには厳しい遵守事項がたくさんあります。一つでも履行できなければ保釈は取り消され、彼は再びあの過酷な拘禁生活に舞い戻ることになります。多額の保釈金を没収されることにもなります。保釈決定を受けた弁護人の最初の課題は、釈放後速やかにかつ安全に依頼人を「制限住居」に届けることです。彼にそこで家族とともに社会生活を再建してもらわなければなりません。

ゴーン氏が素顔をさらして住居に向かったとすれば、間違いなく膨大な数のカメラがバイクやハイヤーやヘリコプターに乗って彼を追いかけたでしょう。彼の小さな住居は全世界に知れ渡ります。生活を取り戻すどころか、健康すら損なわれてしまうでしょう。彼だけではありません。彼の家族、そして近隣住民の生活すら脅かされてしまいます。そのような事態は絶対に避けなければなりません。

その方法として、私の頭に閃いたのが昨日の方法でした。それは失敗しました。しかし、その後に奇跡が起こり、どうにかゴーン氏とその家族は「制限住居」において自由人として再会することができました。しかし、私の未熟な計画のために彼が生涯をかけて築き上げてきた名声に泥を塗る結果となってしまいました。

また、今回私の計画に進んで協力してくれた私の友人たちに大きな迷惑をかけてしまいました。私はたくさんの人に有形無形の損害を与えてしまいました。とても申し訳なく思っています。

最後にマスコミの皆さんにお願いします。どんな著名人にも身近な人と心安らぐ場所が必要です。心おきなく疲れをいやす場所が必要です。どのような庶民にも生活の糧を得るために安全に働く権利があります。この当たり前のことをご理解ください。


plltakano at 01:08コメント(158)身体拘束保釈 

2019年01月18日

「人質司法」(Hostage Justice)

役員報酬の額を過少申告したという有価証券報告書虚偽記載と個人的な負債を会社に付け替えたという特別背任の容疑で逮捕され起訴された元日産会長カルロス・ゴーン氏は、仮に日本ではなくアメリカで逮捕されたとしたなら、間違いなくその数時間後、どんなに遅くとも24時間後には釈放されていたであろう。”キング・オブ・ポップ“マイケル・ジャクソンさんは、14歳未満の少年に対するわいせつ行為の罪で逮捕されたが、その日のうちに、裁判官の前で無罪の答弁を行い、キャッシュで300万ドルの保釈金を積んで釈放された(https://en.wikipedia.org/wiki/Trial_of_Michael_Jackson) 。エンロンの創業者ケネス・レイ氏は証券詐欺、銀行詐欺、虚偽報告など11の訴因で大陪審によって起訴されFBIに逮捕されたが、翌日裁判官の前で、全訴因について無罪の答弁をして、50万ドル相当の無担保債券を差し入れて釈放された(CNN, Enron Fast Facts,https://edition.cnn.com/2013/07/02/us/enron-fast-facts/index.html)。

アメリカの司法統計によると、重罪(殺人、レイプ、強盗などを含む)で逮捕された容疑者の62%は公判開始前に釈放されている。身柄拘束が続く残り38%の内訳をみると、32%は裁判官が設定した保釈金が用意できないために身柄拘束が続いているのであり、保釈そのものが拒否されるのは6%に過ぎない(U.S. Department of Justice, Office of Justice Program, State Court Processing Statistics, 1990-2004, “Pretrial Release of Felony Defendants in State Courts” )。アメリカで保釈によって釈放されるのは、裁判官の前で「無罪」の答弁をした被告人だけである。有罪の答弁をした被告人が保釈によって釈放されることはない。有罪の答弁をした被告人に対しては、裁判官は量刑を決めるための公判の日程を告知するだけであり、被告人は引き続き拘禁されるのである。

日本ではどうか。毎年の司法統計を発行している最高裁判所事務総局という役所は、この国の保釈の運用に関する正確な統計を公表していない。『司法統計年表』によると、2015年における「保釈率」(通常第一審事件で勾留されたまま起訴された人のうち判決言い渡しまでの間に保釈された人の割合)は26.7%である。しかし、この数字は非常にミスリーディングである。ここにいう「保釈」とは、「公判開始前」(“pre-trial”)に釈放されたという意味ではない。起訴から判決までの間に釈放されたという意味である。最高裁事務総局が「会内限り」という限定付きで日弁連に秘密裏に提供した統計資料によると、保釈された人(10,801人)のうち9割以上(9,832人)は罪を自白した人である。罪を否認した人(5,275人)について見ると、全公判期間を通じて保釈されるのは21.6%(936人)であり、公判前に釈放されるのは7.4%(322人)に過ぎない。そしてさらに、ここで「公判前」というのは、逮捕されてから24時間以内とか数日以内というような単位の話では全然ない。否認事件の場合、起訴されてから公判開始までに数ヶ月間を要することは当たり前である。「公判前整理手続」が1年も2年もかかるということは決して珍しい話ではない。最高裁事務総局は被告人が起訴されてからどのくらいの期間に保釈されているのかに関する統計を公的にも私的にも提供していない(司法行政文書の開示手続によっても、こうした統計があるという回答は得られない)。
                                 
要するに、日本では、アメリカとは全く逆に、罪を自白しないと保釈が認められない。否認すればまず保釈は認められず、数ヶ月ないし数年間身柄を拘束されたまま裁判を受けることになる。常識的に考えてこの日本の状況は、有罪判決を受けるまでは無罪の推定を受けるという世界標準の人権(世界人権宣言11条1項、市民的及び政治的権利に関する国際規約14条2項)を侵害している。被告人は、有罪判決を受ける前に、いやそれよりもずっと前、裁判が始まってすらいないのに、拘禁刑の執行を受けているのである。裁判で無実を訴えているのに、社会で生活することができず、職を失い、財産を失い、そして、ときに家族すら失うのである。この状況は時間が逆転する「鏡の国のアリス」の世界そのものである。まず牢獄に入れられて、これから始まる裁判を待ち、そして、犯罪は最後に来る、いや来ないかもしれない――「その人が結局罪を犯さなかったら?」(アリス)、「それは実に結構なことではございませんの」(女王)!

そして、もう一つ常識を働かせるならば、日本の保釈制度は逮捕された容疑者から自白を強要する道具であることが明らかである。自白すれば釈放され、罪を否認すれば拘禁される。これほどあからさまな自白の強要はない。警察はときとして、「否認したり、黙秘なんかしていると、いつまでも家族に会えないぞ。お前のために言ってるんだ」などと言う。この発言には事実上の基礎があるのである。

日本の保釈の仕組みを「人質司法」(hostage justice)と呼ぶのは極めて正しい。

「罪証隠滅のおそれ」

この人質司法の原因はどこにあるんだろうか。この非人道的な仕組みを生み出し、支えているものは何なんだろうか。

まず、日本の法律は、未決拘禁制度の目的の一つとして、有罪証拠の保全=被告人による証拠隠滅行為の防止を掲げていることである。被告人の勾留が認められる最もポピュラーな理由は「被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき」である(刑事訴訟法60条1項2号)。この理由があるときは、裁判官は被告人の保釈を拒否することができる(同法89条4号)。そして、日本の裁判官はこの「相当な理由」を非常に緩やかに解釈している。被告人の側が「証拠隠滅のおそれがない」ことを説得できない限り、裁判官は保釈を却下する(高野隆「保釈面接室にて」高野隆@ブログ刑事裁判を考える(2008年)http://blog.livedoor.jp/plltakano/archives/65127744.html)。

「証拠隠滅のおそれがない」ことを示す最も有効な手段は、罪を認めることである。だから、被告人は保釈を求めて自白するのであり、裁判官はそれを受け入れて保釈を認めるのである。そのコインの裏側――当然の帰結――は、罪を否認して無実を訴える被告人は「罪証隠滅の相当な理由」があるとして保釈を拒否されるのである。

実のところ、こうした事態は、現行刑事訴訟法が国会で審議されていた当時いまから70年前に、心ある国会議員たちによって懸念されていたのである。1948年夏に政府が提出した刑事訴訟法改正案の89条4号は「被告人が罪証を隠滅する虞があるとき」となっていた。これに対して衆議院で異論が出された。

中村俊夫委員 ***私が最もおそれるのは、やはりこの『被告人が罪証を隠滅する虞あるとき。』という場合です。というのは、御承知の通りこの改正では被告人の黙秘権を強く認めております。從つて今より否認事件が続出してくるだろうということが想像されるのです。そうすると今までの取扱いは事件を否認するものは絶対に保釈を許してくれませんでした。それとこの第四号とは相結んで被告人が罪証を隠滅するおそれがあるということにして、許されないようになりはしないか。***
野木新一政府委員 ***なるほど八十九條第四号におきまして、被告人が罪証を隠滅するおそれがあるときは必ずしも保釈を許さなくてもいいという建前になつておりまして、この運用のいかんによつては、保釈ということはほとんどなくなるだろうという御心配も一應ごもつとものように存じますが、刑事訴訟法の應急措置法の施行された後においては、格別八十九條のような規定がなかつたわけでありますけれども、すでに保釈に対する裁判官の考え方が大分違つておりまして、昔よりも保釈の数がずつと増えている。從いまして、今度この案によりまして、八十九條のような規定がおかれまするならば、『罪証を隠滅する虞があるとき。』という解釈も、実際の適用面におきましては、ずつと今までと違つてきまして、現行刑事訴訟法当時のような運用には万々なることはないのではないかと思つておる次第であります(昭和23年6月21日第2回国会衆院司法委員会議事録37号)。


榊原千代委員 ***第八十九條の第四号『被告人が罪証を隠滅する虞があるとき。』という規定でございますが、これは裁判官の主観的な判断によるものでございましようか。お伺いいたします。
野木政府委員 判断は主観的と申しましようか、裁判官が判断することになるわけでありますけれども、その判断は少くとも合理的でなければならない。その資料とするところのものは、だれが見てもその資料に基けば大体罪証を隠滅すると認められる場合というような場合でありまして、そういう場合においてはある意味で客観的と申せるかと思います(昭和23年6月24日第2回国会衆院司法委員会議事録40号)。


このように、当時の国会議員たちは「罪証を隠滅するおそれ」という保釈拒否事由によって否認事件では保釈が認められないような運用になってしまうことを恐れた。これに対して提案者である政府当局は、裁判官はこれまでと違って個人の自由を尊重する考え方になっている、「罪証を隠滅するおそれ」というのは「誰が見ても大体罪証を隠滅すると認められる」場合のことだから、心配はないと言ったのである。しかし、議員たちは政府委員の答弁に満足せず、超党派の修正案を提出して89条4号を「***と疑うに足りる相当な理由があるとき」と改めたのである。70年後の「人質司法」の現状を見ると、国会議員たちの懸念はまさにそのとおりであったと言わざるを得ない。彼らの予想が外れたのは、彼らの修正案によってもその懸念――保釈制度の形骸化――を回避することができなかったということである。「保釈に対する裁判官の考え方」は政府委員が説明したようなものからは程遠く、戦前の先輩たちと何ら変わりがなかったということである。

未決拘禁の目的

アメリカやイギリスをはじめとするコモンロー系諸国では「有罪証拠の保全=被告人による証拠隠滅行為の予防」は、未決拘禁の理由にならない。証拠の保全は政府の責任であり、刑事訴訟の当事者であり相手方である被告人を拘禁するというようなやり方で政府側に有利な証拠の安全を確保するというのはアンフェアであるという考え方に基づいている。被告人が政府側の証人を威迫するとか、偽証を教唆するとか、証拠を破壊するというような行為に及んだときは、それぞれの違法行為に見合う犯罪類型が用意されているのであるから、そうした刑事法を適用すれば良いのである。

コモンロー系諸国における未決拘禁の目的は、被告人の公判廷への出頭の確保と地域社会に対する危険の回避である。被告人が法廷に出頭せず逃亡する蓋然性がかなり高いために、出頭しなかったら没収される保釈金の定めによっては逃亡を防ぎきれいないことを検察側が証明したときは、例外的に保釈は拒否される。また、被告人が保釈後に再犯を犯した前科があるというような場合には、コミュニティの安全確保のために保釈は拒否される。そして、できる限り公判前に被告人を釈放するため、拘禁に代わる手段が積極的に取り入れられている。GPS装置を付けたアンクレットを装着して被告人の行動を監視するとか、定期的に出頭を命じるというような仕方で、被告人の公判期日への出頭の確保と危険行為の防止をするという運用が定着している。

日本では「被告人による証拠隠滅行為の防止」が未決拘禁の目的であるから、GPSモニタリングは機能しえないと考えられている。確かに、自宅にとどまったまま、検察側の証人予定者を脅すことは十分に可能であり、GPS装置によってそうした行動を監視することはできない。被告人自身による証拠隠滅行為を防止するためには、彼/彼女を警察の留置場や拘置所に監禁して、面会人との会話を全てチェクし、手紙を検閲しなければならないと、訴追側は主張する。

「証拠隠滅の防止」を目的から外す

しかし、そのために失ったものはあまりにも大きい。この「被告人による証拠隠滅行為の防止」という目的の完全なる達成を目指すあまりに、憲法が保証する刑事手続上の人権は日常的に侵害されているのである。新憲法の定める価値を実現すべく保釈制度の改善を目指して真摯な議論をした70年前の国民の期待は、完全に裏切られたのである。

どうすべきか?

答えははっきりしていると思う。「訴追側証拠の保全」すなわち「被告人による証拠隠滅行為の防止」というものを未決拘禁の目的から外すことである。「被告人に罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき」という文言は勾留の要件(刑事訴訟法60条1項2号)から外し、保釈拒否事由(同法89条4号)からも削除するべきである。

日本の裁判官がこの要件を極限的に拡大解釈してしまう人たちであることは、過去70年間の歴史――数限りない凄惨な結果をもたらした人体実験というべきもの――が証明している。日本の裁判官にとって「おそれ」を「相当な理由」に書き替えたことなど、なんの歯止めにもならないということが実証されているのである。

ちなみに、わずか3年足らず前、2016年春になされた刑事訴訟法改正の際に、衆参両院の法務委員会は全会一致で次のような付帯決議をした――「保釈に係る判断に当たっては、被告人が公訴事実を認める旨の供述等をしないこと又は黙秘していることのほか、検察官請求証拠について刑事訴訟法326条の同意をしないことについて、これらを過度に評価して、不当に不利益な扱いをすることとならないよう留意するなど、本法の趣旨に沿った運用がなされるよう周知に努めること」。各法務委員会は「政府及び最高裁判所」に向けて、「度重なるえん罪事件への反省を踏まえて」「格段の配慮」を求めたのである(2016年5月19日参議院法務委員会「刑事訴訟法の一部を改正する法律案に対する付帯決議」)。現在の検察官や裁判官がこの付帯決議を意識して運用を改めようとしている気配は全く感じられない。検察官はあいかわらず保釈に反対する意見書のなかに「被告人は黙秘している」「全面的に争っている」とか「書証の大部分について不同意の意見を述べている」などと書いて裁判官に提出している。裁判官もその意見をやすやすと受け入れて、保釈却下決定を出している。現代の国会議員の控えめな期待すらも裏切られているのである。

そもそも、被告人の身柄を拘束することと証拠の保全との間には関連性はあまりない。実際のところ、偽証のための口裏合わせとか証拠の改ざんなどは、被告人が拘禁されていても行われているのである。拘禁施設の外にいる関係者が被告人のために、被告人の指示があるかどうかとは関係なしに、こうした違法行為をする。弁護士の中には証人予定者や共犯者に対して被告人(依頼人)に有利な偽証をするように働きかけることを辞さないような者もいる。被告人の保釈を拒否して彼/彼女の自由を奪っても、こうした行動を防止することはできない。わが国にもそうした違法行為を処罰する刑事法は存在するのである。弁護士に関しては資格剥奪を含む懲戒制度があるのである。

保釈審理の公開

コモンロー系諸国では、逮捕された被疑者は遅滞なく(without unnecessary delay)裁判官の前に連れてこられなければならない。公開の法廷で罪状認否が行われ、被告人が「無罪」の答弁をすると、通常は、裁判官が保釈金の額を決めて、保釈金やそれに代わる保証を提供した被疑者は釈放される。検察官が保釈に反対すると、保釈のための審理が行われる。この審理も公開の法廷で行われる。誰でも傍聴できる法廷で、被告人の家族や関係者の証言を聞き、検察官と弁護人の保釈や保釈金額についての意見を聞いた上で、裁判官が保釈の可否、保釈金の額や条件を言い渡すのである。最近の例を挙げると、中国の通信会社ファーウェイの副会長でCFOの孟晩舟氏が禁輸制裁中のイランにコンピュータを輸出した容疑でアメリカ政府の告発を受けカナダで逮捕された後、バンクーバーの裁判所で保釈審理を受けた。その様子は全世界に報道された。彼女の親族や関係者が証言し、裁判官は1000万カナダドル(740万米ドル)の保釈金の納付とGPSアンクレットの装着を条件に保釈を認めた(BBC News,  Huawei executive Meng Wanzhou released on bail in Canada, https://www.bbc.com/news/world-us-canada-46533406)。

日本では、勾留の決定も保釈の審査も書面審査だけで行われる。非公開の場所(裁判官の執務室)で検察官が提出した「一件記録」を読んで判断する。非公開なだけではなく、検察官が提出した一件記録を被告側が閲覧することもできない。検察官と裁判官だけが共有する秘密の情報に基づいて被疑者の勾留をするかどうか、被告人を保釈するかどうかが決められるのである。勾留審査の場合は、「勾留質問室」という密室の中で裁判官は被告人に会って「勾留質問」が行われる。「質問」と言っても、実際のところ、罪を認めるかどうかを確認するだけである。弁護人の立ち会いもない。しかし、本人の顔を見るだけましである。保釈審査の場合、裁判官は被告人の顔をみることすらしない。こちらが「被告人に会って欲しい」「奥さんを連れてきたので、彼女の話を聞いてほしい」とお願いしても、裁判官はこれを拒否する。

わが国の現行法上、保釈の審理を公開の法廷で行うことは十分に可能である(勾留についても可能である。高野隆「勾留」三井誠他編『新刑事手続機戞瞥々社2002)、259、261〜263頁))。保釈の決定を行うために法は「事実の取調べ」を行うことを認めている(刑事訴訟法43条3項)。そのために公開の法廷で被告人とその弁護人立会のうえで証人尋問を行ない、弁護人の意見陳述を聞くことも可能である(刑事訴訟規則33条)。しかし、裁判官はこの法的に可能でフェアな方法をやろうとしない。

保釈制度が非人間的なものに変質することを防ぐためにも、公開の法廷で審査することは不可欠である。

自白事件を保釈対象から外す

「罪証隠滅のおそれ」の認定を回避するために「自白」が行われ、検察官が請求する有罪証拠の取調べに同意すること――刑事被告人の憲法上の権利(証人尋問権・反対尋問権)を放棄すること――が行われている。そのコインの裏側として、罪を否認する被告人や有罪証拠の取調べに同意しない――憲法上の権利を行使する――被告人は「罪証隠滅のおそれ」があるとされて、保釈が拒否される。この2つはまさにコインの両面であり、両者を別の話として切り離すことは不可能である。自白した被告人に証拠隠滅行為をするおそれがないと判断するからと言って、否認した被告人にはその可能性があるとは言えないというのは、詭弁的な形式論である。

保釈という制度は刑事裁判における「鏡の国のアリス」状況を回避するための制度であり、無罪推定の権利に実質を与えるための制度である。コモンロー系諸国において、逮捕された被疑者が無罪の答弁をしたときに保釈が認められるというのはそのことを如実に表している。有罪を認める者は、無罪推定の権利を放棄したのであるから、保釈の権利を認める必要はないのである。したがって、わが国においても有罪の答弁をした被告人は権利としての保釈(刑事訴訟法89条)の対象から外すべきである。

有罪を認める被告人についても拘禁を継続することが不当といえる場合がある。例えば、有罪となっても間違いなく罰金刑や執行猶予付き判決が見込まれるにもかかわらず、公判期日が先に指定されているために長期にわたって未決拘禁が続くような場合、あるいは被告人が病気のために一刻も早い釈放が必要な場合である。こうした場合に対応する仕組みとして、現行刑事訴訟法は勾留の取消し(刑事訴訟法87条、91条)や裁量保釈(同法90条)という制度を設けている。自白している被告人を権利保釈する理由も必要もなかったのである。本来必要がない保釈を認めることによって、もっとも保釈が必要でかつその法的根拠が明白な人のための保釈が否定されているのである。

起訴前の保釈

わが国では逮捕から3週間ほど経過して検察官が公訴を提起するまでは被疑者には保釈を請求する権利はないとされている。この運用によって、起訴までの23日間は捜査機関側の「持ち時間」という発想が生まれ、その間、被疑者は警察や検察から繰り返し尋問を受けなければならないというわが国独特の実務が形成されたのである。しかし、未決拘禁は被疑者を取り調べるための制度ではない。取調べのために身柄を拘束するというのは、黙秘権を保障する日本国憲法38条に違反し、かつ、「正当な理由」によらない抑留拘禁を受けない権利を保障する日本国憲法34条にも違反する。逮捕や勾留というものが被告人の逃亡や証拠隠滅行為を防止するための制度だとするならば、保釈を公訴の提起まで待つ理由はない。逮捕されたら直ちに保釈の権利を認めるべきである。

現行刑事訴訟法が起訴前の被疑者に保釈の権利を認めていないという実務の根拠とされる刑事訴訟法207条1項はこう規定している――「前3条の規定による勾留の請求を受けた裁判官は、その処分に関し裁判所又は裁判長と同一の権限を有する。但し、保釈については、この限りではない」。この但書きは、起訴前には保釈を認めないということを少なくとも明言はしていない。この規定を文字通りに読めば、検察官から被疑者の勾留請求を受けた裁判官は、被告人の勾留状を発行する公判裁判所と同様に勾留状を発行できる、但し保釈に関する裁判をすることはできないと言っているだけである。保釈に関する裁判は勾留請求を受けた裁判官とは別の裁判官が行わなければならないということを定めた規定と考えれば良い。そして、それには合理的な理由がある。勾留状を発行した裁判官はその被疑者には逃亡や証拠隠滅の危険があると判断して拘禁の継続をすべきだと判断したのであるから、被疑者の危険性について予断を抱いているのである。その同じ裁判官に保釈の請求をしても、公正な判断は望めないであろう。

いずれにしても、公訴提起の前と後で保釈の権利に差を設ける合理的な理由はない。それは個人の「社会的身分」による不合理な差別であり、恣意的な身柄拘束であって憲法14条及び34条に違反するというべきである。犯罪の捜査が一般的な犯罪情報の収集の段階から進んで、一人の個人に焦点が絞られ、その個人を刑事訴追の対象とするために逮捕状が発行されたとき、その個人に身体拘束の正当性・合法性の審査を求める権利を保証し、将来の公判における防御の準備を開始する機会を与えないというのは、アンフェなことである。「刑事上の罪に問われて逮捕され又は抑留された者」に保釈の権利を与えないのは、国際的な人権の基準に違反している(市民的及び政治的権利に関する国際規約9条3項)。

結論

カルロス・ゴーン氏の長期にわたる未決勾留と保釈の却下を契機として、わが国の刑事司法制度に対する批判が拡大している。批判は海外からだけではない。経団連の中西宏明会長も「日本のやり方が、世界の常識からは拒否されている事実をしっかりと認識しなければならない」と強い言葉で批判している(日経新聞2019年1月16日朝刊)。わが国の刑事司法が「人質司法」にほかならないことは半世紀近くにわたって内外の法曹関係者や国際組織から繰り返し批判されてきたことである。今日の事態についてすでに70年前に当時の国会議員が強い懸念を表明していた。彼らなりにその予防策を講じようとした。しかし、彼らの声は戦後日本の裁判官の耳には届かなかった。日本の司法は戦前と同じ過ちを繰り返してしまった。いまこそ、われわれ国民は抜本的な改革に乗り出すときである。このままでは日本は国際的に孤立してしまう。刑事司法がこの国の「カントリー・リスク」であることが知れ渡れば、資金も技術も人材もこの国から去っていくであろう。


plltakano at 00:40コメント(3)身体拘束保釈 

2018年07月08日

*これは2015年1月16日東京地方裁判所104号法廷で行われた弁護人の冒頭陳述の一部を当時のメモをもとに再録したものです。

I オウムは人生を真面目に考える若者を惹きつけた


1 人と宗教

皆さん、

人は死にます。必ず死にます。いまこの法廷にいる人のうち50年後に生存している人は半分もいないでしょう。100年後には誰一人としてこの世にはいないでしょう。

われわれはふだん自分の死というものを意識せずに忙しく働いています。死を意識しないために仕事をしているのかもしれません。しかし、ずっと自分の死を考えないなどということはできません。自分はいつか死ぬ;なのに生きている意味はあるだろうか;なんのために学校に通い勉強しているんだろう;どうせ死ぬのにあくせく働いて何になるんだ。

そうした疑問に答え、この生を意味あるものにするために、人類が生み出したもの、それが宗教というものです。古今東西の歴史のなかで、人類は様々な神を作り出し、崇拝してきました。そして、その神のために命を投げ出して戦ったりもしてきました。キリスト教でも仏教でもヒンズー教でも、肉体は滅びても魂は生き続けるという体系を持っています。死んだあと魂は別の世界へと旅立つのです。だから、人の死は終わりを意味しないとされました。

仏教では人の霊魂は死んだあと49日間闇の世界をさまよったあと、別の生き物として生まれ変わるとされます。生前に功徳を積んだ人はより高い世界――天界に生まれ変わり、神になる。逆に悪業を重ねた人は地獄に落ちる、あるいは動物に生まれ変わる。こうしてわれわれは生と死を無限に繰り返す、輪廻転生を何百回何千回と繰り返すのです。道端にうごめいているバッタは前世ではあなたの兄弟だったかもしれません。だから生き物をむやみに殺してはいけない。これが仏の教えです。

2 高度物質文明と心の闇
1980年代後半以降、日本は高度経済成長の末期に入りました。山手線の内側の土地の価格でアメリカ全土を買い取ることができるというような激しい資産価格の高騰、日経平均株価が35,000円を超えるような好景気のもとで、日本人は物質的な豊かさに酔いしれていました。しかし、そうした傾向に満たされない思いを抱く若者も確実に増えていきました。

超能力や超常現象、オカルトがブームとなりました。書店には「精神世界」のコーナーができ、宗教書や哲学書とともに、超能力やオカルト関係の書籍や雑誌が並びました。

3 終末論ブーム
この時代のもう一つの特徴は、若者の間に終末論が流行ったことです。『ノストラダムスの大予言』という本が200万部を超える大ベストセラーとなりました。「1999年7の月に恐怖の大王」が地上を襲い、人類は滅亡するというのです。「恐怖の大王」とは、環境汚染か、核戦争か、あるいは、大地震か。テレビや雑誌、マンガなどのメディアを通じて人類の滅亡、この世の終わりが繰り返し語られました。

この時代の若者のなかには、この世の終わりを信じる人がかなりいました。彼らにとって「人類の終わり」をどう生きるのかは切実な問題でした。20世紀末に起こる核戦争や大災害を自分は生き延びることができるだろうか。死後の自分はどうなるのだろうか。彼らは自分の生と死の問題に直面したのです。

4 オウム真理教の誕生
こうした時代にオウム真理教は誕生しました。

皆さん、

オウム真理教の教義は、麻原彰晃が発明したわけではありません。独創的なものでもありません。その内容は決して特異なものではありませんでした。むしろ、オウムの教義は伝統的な宗教や哲学に根ざしたものです。そのことを少し説明します。

源流としてのチベット密教
その教義は古い仏教の一つであるチベット密教をベースにしたものです。あらゆる生き物は6つの世界の間で輪廻転生を無限に繰り返します;6つの世界とは、より高い世界から「天界」「阿修羅界」「人間界」「動物界」「餓鬼界」そして「地獄界」と呼ばれます;われわれが人間界に生まれる前にも生があり、死んで人間界を去った後にも生があるのです;生前に修行を行い、戒律を守り、善業を積むことでより高い世界――阿修羅界や天界−−に転生することができます。

逆に、戒律を破ったり悪業を重ねたりした人は、死後により低い世界つまり「動物界」「餓鬼界」「地獄界」に落ちます。この3つを「三悪趣」と呼びます。悪業のことを「カルマ」と言います。殺生をしたり人の物を盗んだり他人の悪口を言うなどの悪業=カルマを重ねた人は、この世で修行を行い、カルマを落とさない限り、動物になったり、何百年も何千年もの間、飢えと渇きに悩まされ続けたり、火に焼かれ続けたりしなければならないのです。

人はこのままではこうした輪廻転生を無限に繰り返すことになります。それは気の遠くなる話であると同時に、とても虚しいことであり、そして非常に恐ろしいことでもあります。そこで仏教では修行を積むことでこの輪廻転生から解脱して悟りの境地に達することをめざします。この解脱の境地にはいくつかの段階=ステージがあります。

一つはヒナ・ヤーナ(小乗)です。 煩悩を捨て、修行をすることで修行者個人の解脱を目指すという考え方です。
もう一つはマハー・ヤーナ(大乗)の教えです。ヒナ・ヤーナの解脱を達成した行者が次に進むのは、一般大衆=衆生の救済です。自ら厳しい修行に耐えるとともに、法を知り、法を説き、お布施をさせるなどして、すべての人が悪業をやめ、善業を行うことへと導く。これがマハー・ヤーナ=大乗の教えです。

修行の基本はヨーガです。身体を清め、独特の呼吸法によって精神を集中します。そのうで、マントラを唱え、瞑想します。ヨーガによって身体の内部に眠っているエネルギーを覚醒させ、そのエネルギーを身体の中心にある管を通して上昇させます。このエネルギーをコントロールすることができた状態が解脱とされます。

このヨーガの行法にもいくつかのステージがあります。クンダリニー・ヨーガと呼ばれる行法は、身体の尾てい骨のあたりに眠っている精神エネルギーすなわちクンダリニーを覚醒させ、そのエネルギーを身体の中心を通る管を通じて頭の天辺まで上昇させるヨーガです。エネルギーが頭のてっぺんを突き抜けたとき、修行者は中空に飛び上がり、様々な光に包まれ、歓喜の状態、至福の状態に達すると言われます。

こうした修行は修行者一人で行うことはできません。必ず解脱を達成した指導者の下で行う必要があります。この指導者のことを「ラマ」あるいは「グル」と言います。密教の修行はグルと修行者の一対一の関係だと言われます。グルに対する絶対的な帰依がなければ修行は成就しないとされます。グルの指導に疑問を持つことは許されません。

阿含宗・『虹の階梯』
1970年代の終りころに、こうしたチベット密教に基礎をおき、ヨーガの修行による解脱を説く新宗教が既にありました。桐山靖雄という人が主宰する「阿含宗」です。そして、阿含宗の運営する出版社はチベット密教やヨーガに関する本を多数出版しました。その中の一つに『虹の階梯』という本があります。これは中沢新一という東大出身の宗教学者がチベット密教のグルの教えを直接受けて書いた本です。ここにはチベット密教の教えとその修行の方法が具体的に記されていました。この本も1980年代の中頃にベストセラーになりました。

『虹の階梯』はチベット密教における「ポワ」について詳しく解説しています。死者の魂は、生まれ変わるまでの間「バルドー」と呼ばれる中間的な世界をさまよっている。密教の修行を極めた指導者=グルは、この死者の魂が低い世界=三悪趣に落ちるのを防ぐことができる。この技法のことを「ポワ」と言います。自ら修行を積んで自らの死に際してポワを行う技法を身につけるならば、決して死は怖くない。むしろより高い世界に生まれ変われる貴重な機会でもある。『虹の階梯』はそう説いています。

オウム真理教の教祖となる麻原彰晃は、阿含宗の信者でした。彼はインドに渡り、ヨーガの修行をします。彼が後にオウム真理教の教義として掲げた項目の主なものはこの『虹の階梯』という書物に書かれていることです。

神智学・霊性進化論
似たような宗教哲学は西欧にもあります。その代表格が「神智学」あるいは「霊性進化論」と呼ばれる思想です。これは19世紀後半にヨーロッパに現れたブラヴァツキー夫人という霊媒師が考え出したものです。普通の人間の霊魂は輪廻転生を繰り返すだけだが、修行を積むことで霊魂は進化を遂げて、新しい人類として生まれ変わるという考え方です。この修業の方法も密教のヨーガの修行と基本的には同じです。そして、神に選ばれ進化した人種は高度の知性と超能力を身につけています。空中を浮遊したり、身体を離脱して、より高い世界とこの現実世界との間を自由に行き来できます。
この考え方は20世紀後半に世界中に生まれた新宗教に多大の影響を与えました。桐山靖雄の「阿含宗」もこの影響を受けています。オウムも「神智学」から多大の影響を受けました。

オウム真理教の誕生
1984年に麻原彰晃は都内のビルの一室で「オウム神仙の会」というヨーガ教室を始めました。心身の不調に悩む若者や自分の生きる意味を模索する若者たちが会員となりました。このヨーガ教室は徐々に宗教色を強めて行きました。翌年にはオカルト系の雑誌に麻原の空中浮遊の写真が掲載されました。また、その翌年1986年には麻原は『超能力――秘密の開発法』という本を出版しました。彼は、自分はチベットでグルのもとで修行を行い、最終解脱者となったと宣言しました。本の中でヨーガ修行の具体的な方法を説き、自分の指導の下で修行を積めばだれでも超能力を身に付けることができると言いました。

麻原は、都内の道場でヨーガの指導を行う他に、各地でセミナーを開きました。そうした折に、修行中の若者に麻原のエネルギーを直接注入する技法が行なわれました。それはシャクティ・パットと呼ばれる技法で、寝そべった修行者の額に麻原が自分の親指を当ててマントラを唱えながらエネルギーを注入するのです。シャクティ・パットを受けた参加者のなかには、光が見える、尾てい骨の辺りが燃えるように熱くなる、などの神秘体験をする人が続出しました。

1987年、「オウム神仙の会」は「オウム真理教」と名前を改めました。彼の道場やセミナーには多数の若者が通うようになりました。名前を改めるのと同時に出家制度が始まりました。家族や仕事を捨てて、全財産を教団に布施して体一つで教団施設に寝泊まりして、修行一筋の生活をする若い男女が集まりました。そして初期に出家した信者の中から、麻原の指導の下で過酷な修行に耐えた数名の男女がクンダリニー・ヨーガを成就し「解脱者」と認定されました。

オウム真理教は宗教界でも注目を集めました。中沢新一ら気鋭の宗教学者はオウム真理教と麻原を高く評価しました。そして、ノーベル平和賞受賞者でもあるチベット仏教の指導者ダライ・ラマ14世を始めとする、海外の聖職者も麻原を本物の修行者、高い能力を持ったグルとして賞賛しました。

こうして、オウム真理教とその教祖麻原彰晃は、自分の生と死の問題を真面目に見つめる若者の心を確実に捉えました。

II 高橋克也さんはオウムに希望を見た


1 高橋さんの人生の悩み
高橋克也さんのことを話します。

高橋克也さんは1958年(昭和33年)に横浜市で生まれました。父はサラリーマン、母はパートタイマー。4歳上の兄がいます。高橋さんは幼少のころから、両親は「長男」である兄の方を自分よりも大事にしているのではないか、というコンプレックスを持っていました。兄は小学校から高校まで進学校に進み、大学も国立大学に進み、親の仕送りで好きな勉強をしていました。高橋さんは中学卒業後、高専に進学しました。

20歳で高専を卒業すると家の近くにある電気関係の会社に就職しました。彼は、自分の仕事にそれなりにやりがいを感じていましたが、社内の人間関係にうまく対処できませんでした。大学出と差別されている;自分は兄や両親のせいで大学にいけなかったという思いに悩まされました。

高橋さんは会社を辞めてしまいた。再就職せずに自分のことをゆっくり考えようと思ったのです。彼は生きていることへの根本的な疑問を持っていました。心に裏表のある人の社会の中で、うまく立ち回れず、人を恨んで生きることに意味があるのか。もしも人生がこうした世界に一時居るだけなのだとしたら、食べて、年をとって、死ぬというだけだったとしたら、生きることに何の意味があるのだろうか。高橋さんは、現実社会を超越したものに関心をもちました。こうした汚れた世界以外にも純粋な世界があることを確信したかったのです。

2 阿含宗へ
高橋さんは阿含宗に入りました。瞑想とヨーガの修行を始めました。しかし、なかなかうまく行きませんでした。阿含宗には具体的な指導理論はなく指導者もいないと感じました。また、その道場の世俗的な雰囲気にも馴染めませんでした。仲間もできませんでした。阿含宗へは自然と足が遠のき、結局退会しましました。

3 オウムへ
あるとき、高橋さんは書店で麻原彰晃の『超能力「秘密の開発法」』を手にしました。そこにはヨーガの修行法が順を追って具体的に説明されていました。その通りに修行すればだれでも超能力を獲得できると書かれていました。実際に修行をして成就した人にしか書けない、試行錯誤が記録されていました。高橋さんは「オウム神仙の会」の本部に電話して、世田谷の公民館で行われたセミナーに参加しました。1987年春のことでした。

高橋さんは道場に通って、麻原や彼の弟子たちの指導のもとで、ヨーガの基本を学びましだ。体調が良くなり、人生に前向きになれたような気がしました。そして、麻原のシャクティ・パットを受けました。尾てい骨の辺りが熱くなり、目を閉じているのに明るい光が見えました。エネルギーが背骨を駆け上がる感覚がして、とても心地よいものでした。

麻原は信徒の心の中を読むことができました。視力がほとんどないのに、遠くの出来事を見通すことができました。麻原が特別な能力をもった解脱者であることは明らかでした。彼こそ、私の心を完全に理解し、私を導いてくれるグルである。高橋さんはそう確信しました。

4 出家
1987年7月、高橋さんは彼の全財産である自動車と現金300万円をオウム真理教に布施して、出家信者となりました。高橋さんは着の身着のままでオウムの道場に寝泊まりしました。多くの出家信徒は彼より若かったのですが、対等の仲間、家族であり、ともに解脱を目指して修行に励む同行者でした。高橋さんは、彼ら若い信徒と一緒に「バクティ」と呼ばれる奉仕活動に励みました。セミナーの準備の手伝いや新しい信徒への対応、九州支部の設立準備などの「ワーク」を精力的にこなしました。

III 教義の変質と武装化

1 グルイズム
チベット密教の修行は「グル」と呼ばれる指導者のもとで行なわれます。グルは解脱を果たした聖者であり、弟子に教義を説き、修行のための助言を与え、解脱へと導きます。弟子にとってグルは絶対的な存在です。その指示命令に背けば破門され、解脱への道は閉ざされるのです。

麻原彰晃はこのグルへの絶対的な帰依を信者たちに厳しく要求しました。修行途上にある信者はみな様々な欲望=煩悩を抱えています。不完全な存在です。そうした煩悩を打ち砕くためには自分を空っぽにして、そこにグルの情報を注入する、グルと合一化し、グルのクローンになる必要がある。それこそが解脱への早道であると麻原は強調しました。

信者にとってグルであり、尊師である麻原は絶対的な存在であり、その言葉に疑問を唱えたり、反抗することなど考えられないことです。そのような者はもっとも恐ろしい世界=「無間地獄」に落ちると弟子たちは信じていました。

2 マハー・ムドラー
チベット密教の修行方法の1つとして「マハー・ムドラー」というものがあります。これはグルが弟子に対して一見理不尽とも思える様々な無理難題を課し、弟子がそれを乗り越えることで、グルに対する帰依を深め、かつ弟子が心の奥底に持ち続けている煩悩やカルマ(悪業)を断ち切るというものです。これはグルへの絶対的な帰依を確かめる方法であると同時に、一種の荒療治として修行のステージを一気に高める効果もあるとされました。

例えば、麻原は説法の中でチベット密教の聖者ティローパとその弟子ナローパの逸話を引いて、その意味を説明しています。
ティローパがナローパに対して、塔に登ったときにね、「ここから飛び降りたらどうかな。きっとわたしの弟子はここから飛び降りるだろう」と独り言をいったと。それを聞いたナローパは、塔のてっぺんから飛び降りた。そして瀕死の重傷に遭い、3日3晩放置されたと。そこでティローパが登場してナローパを神秘の力によって回復させたと。これも一見、無謀なことをなしたように見えるけど、ナローパの持っていた殺生のカルマをね、ティローパが切ったんだ。

麻原は、このマハー・ムドラーをクンダリニー・ヨーガの上に位置づけました。クンダリニー・ヨーガを成就した者は次に、マハー・ムドラーの成就を目指したのです。出家信者はクンダリニー・ヨーガを成就すると「師」という尊称を与えられ、チベット密教の聖者にちなんだ「ホーリーネーム」が与えられました。

1990年代になると、クンダリニー・ヨーガを成就した出家信者は相当な数いました。しかし、マハー・ムドラーを成し遂げた信者はほんのわずかしかいませんでした。彼らは、救済者とされ、「正大師」という非常に高い地位が与えられました。

1990年代以降、麻原は、弟子たちの自分への帰依を確かめ、修行を積ませるために、マハー・ムドラーの一環として、一見理不尽な仕事を要求し、無理難題を課すようになりました。その内容はどんどんエスカレートしていき、単なる無理難題の域を超えて、違法行為、さらには犯罪になるようなことまで指示するようになりました。弟子たちは、それが自分たちのグルへの帰依が揺るぎないことを試す試練であり、マハー・ムドラーを成就するための重要な修行の機会であると信じて、それを実践しました。

3 ヴァジラヤーナ
出家信者による犯罪や違法行為を正当化する教義はまだありました。先ほど説明したように、チベット密教における解脱の教えとして、ヒナヤーナ(小乗)とマハー・ヤーナ(大乗)があります。実はもう一つ秘密の教えあります。それがヴァジラヤーナ(金剛乗)あるいはタントラ・ヴァジラヤーナ(秘密金剛乗)の教えです。

ヴァジラヤーナとは、解脱を達成して人の前世や来世を見通す能力があるグルによってしかできない救済方法です。グルはその絶対的な能力に基づいて、その人にとって最善・最速の救済を実行することができるとされます。ヒナ・ヤーナやマハー・ヤーナの教えでは、殺生や盗みや邪淫は厳禁です。しかし、ヴァジラヤーナの教えでは、グルは戒律違反を行うことも許されます。例えば、悪業を積み続ける魂を救済するためにその人を殺すこと、財力に任せて物や人をむさぼる人の魂を救済するためにその財産を奪うことです。こうした方法によってその人が今後も更に悪業を重ねて、三悪趣に落ちることを防ぎ、その魂をより高い世界に導くこと、つまりポワすることができるというのです。

麻原は次のような説法を行っています。
すべてを知っていて、生かしておくと悪業を積み、地獄へ落ちてしまうと。ここで例えば、生命を絶たせたほうがいいんだと考え、ポワさせたと。この人は一体何のカルマを積んだことになりますか。殺生ですかと、それとも高い世界へ生まれ変わらせるための善行を積んだことになりますかと。こうなるわけですよね。でもだよ、客観的に見るならば、これは殺生です。***しかし、ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、これは立派なポワです。


ヴァジラヤーナを行うことができるのは、麻原しかいません。なぜなら、他人の生き様を見通すことができるのは彼しかいないからです。弟子たちは彼の心と一体化し、彼の命じるままに理不尽な、非合法な、ときには犯罪に当たる行為を実践する以外にないのです。なぜなら、グルは絶対であり、グルの命じるままに行動する事こそが、マハー・ムドラーの修行に他ならないからです。

ヴァジラヤーナは、ヒナ・ヤーナ、マハー・ヤーナを超えた「最も早く最高の境地へ到達する」方法だとされたのです。麻原は、1990年代以降、このヴァジラヤーナの教えを教義の中心に据えました。それは、すぐそこに迫った「人類滅亡の日」に備える必要があったからです。マハー・ムドラーを成就し救済者となった信徒、いわば新しい種として生まれ変わった人類をそれまでに大量生産しておく必要があったのです。修行する信徒は次のような文句を繰り返し、何百回も何千回も何万回も、声に出して唱えることを求められました。
私は、完全なるヴァジラヤーナの実践を行うぞ。
わたしの心は、救済者であるグルの心と同一である。
いかなることがあろうとも、いかなる生においてもグルと一緒に転生し
すべての魂を高い世界へポワするぞ。


4 一般信徒は非合法活動・犯罪が行なわれていることを知らなかった
麻原は、説法の中で、ヴァジラヤーナの教義においては、非合法活動や犯罪ですらも正当化されることがある、と説いていました。だから一般の信徒はそうした教義の存在を知っていましたし、オウム真理教の救済の方法論の奥深さに感銘をうけたでしょう。

しかし、教団がこの教義の実践として、実際に犯罪行為を行っていることは極秘事項とされていました。それを知っていたのは、麻原から直接犯罪を指示された教団の幹部と、その幹部から指示されて犯罪を実行した一部の出家信者だけでした。彼らは、グルの指示に対しては絶対に従わなければならない;反抗したら三悪趣に落ちると信じていました。彼らには指示されたことを実行する以外に選択肢はありませんでした。

自分に命じられた行為がどのような動機に基づき、何を目的としているのか、自分が手を下そうとしている相手がどのような人なのか、という疑問を提起することも許されませんでした。彼ら最も早く解脱に達する修行すなわち「マハー・ムドラー」の実践として指示されたことを行ったのです。

5 ハルマゲドンと武装化
麻原彰晃は、「ハルマゲドン」と呼ばれる世界規模の戦争が1997年に起こり、人類の大部分は滅びると予言しました。自分は救世主としてこの戦争に勝利して、行き残った出家信者とともに新しい国家を建設するのだと宣言しました。

麻原は、自分たちに対する攻撃は既に始まっている;ユダヤ人の一派であるフリー・メーソンがアメリカや日本のスパイ組織を通じて自分たちに毒ガス攻撃を仕掛けているなどと、説法で言うようになりました。

そして、麻原は、極秘のうちに自分の側近のみを集めて、ハルマゲドンに備えて、銃火器や爆発物、さらには生物・化学兵器を製造する準備をするように指示したのです。

6 一般信徒は武装化を知らなかった
麻原は、ハルマゲドンが起こるという予言や教団が毒ガス攻撃を受けているということを説法や著作のなかで公に述べていました。しかし、兵器を製造しようとしているということは、もちろん公表しませんでした。この事実を知っているのは、麻原の指示を受けて実際に兵器開発を行っているごく一部の出家信者だけでした。一般信徒はもちろん、出家信徒でも日常的に麻原と接する機会のない者には知るすべはありませんでした。

7 出家信者の間のコミュニケーションの特殊性
オウム真理教の出家信者の間で行われるコミュニケーションは、われわれ一般人のそれとはかなり異なります。先ほど説明したように、グルは絶対的な存在です。信者は自らを空っぽにしてそこにグルのエネルギーを注いで、グルと合一化しなければなりません。その指示に逆らうことはできません。逆らったら無間地獄に落ちてしまいます。だから、麻原から何か指示されたら、その指示をそのまま実行しなければなりません。それに疑問を提起することなどありえません。何かをやるように指示されたら、その理由や目的を問うこと自体が教義に反するのです。

自分の上司である出家信者から指示を受けた下位の出家信者も同じです。上司はグルの意思のもとで部下に指示を与えているのですから、その指示に背くということはありえません。その指示の理由や目的を問うこともないのです。

もう一つ、信者間のコミュニケーションで特徴的なのは、他の信者が行っていることに口を出したりしないということです。オウム真理教のなかではグルと信者は1対1の関係です。グルに帰依した修行者は直接個人として帰依しているのです。それぞれが直接グルとつながっているのです。他の修行者はグルの意思を直接体現しているのですから、他の修行者はその人に何をしているのか、なぜそんなことをしているかなどと問いかけることもないのです。言い換えると、出家信者は別の出家信者の行動に対して極めて無関心なのです。一人ひとりの出家信者は、自分とグルの関係しか考えず、自分の修行に専念するだけなのです。

IV そのころの高橋さんの生活

1 高橋さんは井上の部下=運転手
高橋さんは1987年の夏に出家しました。麻原のシャクティ・パットを受けてクンダリニーの覚醒を体験しました。その後も修行に励みました。しかし、修行はなかなか進みませんでした。彼がクンダリニー・ヨーガを成就したのは1990年に入ってからでした。

オウム真理教の信者の序列は、修行がどこまで進んでいるかによって決められます。年齢には関係ありません。また、入信時期が早いか遅いかにも関係ありません。入信の時期が遅くても、また、年が若くても、修行が進んだ人はホーリーネームが与えられ、高い尊称が与えられます。逆に、入信時期が早くても年齢が上でも、修行が進まなければいつまでも下位の地位に甘んじなければなりません。
高橋さんは出家後、教団内の「車両班」に配属されました。教団幹部の自動車を運転したり、自動車の整備をする係です。高橋さんは若くして教団幹部となった井上嘉浩の運転手となりました。

井上は、年齢は高橋さんよりも若いですが、修行の進行が非常に早く、若くして教団の幹部となりました。高橋さんは井上の運転手として、彼の指示にしたがって日本全国を車で駆け回っていました。こうした仕事は「ワーク」と呼ばれ、これも修行の一環でした。もちろん給料などもらえません。教団が提供する「オウム食」と呼ばれる粗末な食事をとり、まとまった睡眠をとることもなく、井上からの指示のままに、ひたすら車を運転するのです。

2 省庁制後も基本は同じ
1994年6月に教団は「省庁制」というものを始めました。井上嘉浩が「諜報省」の長官になりました。高橋さんはそのまま井上の部下として諜報省に配属されました。「省」という名前がついていますが、高橋さんの仕事の内容はそれまでと変わりませんでした。なにか事務的な仕事をするということもありませんでした。高橋さんは井上の指示にしたがって、車を用意し、運転し、整備する。ひたすらそういう日々を送っていたのです。ほとんど睡眠をとらないこともそれまでと同じでした。

3 非合法活動への関与
高橋さんは、もちろんヴァジラヤーナの教義を知っていました。しかし、出家信者が麻原の指示で実際に犯罪までを行っているということは知りませんでした。教団施設の中で爆発物や化学兵器が作られているということも知りませんでした。

しかし、1994年夏に省庁制が始まり、諜報省のメンバーとして井上嘉浩の指示で自動車の運転をする中で、非合法活動が実際に行なわれているのを目の当たりにすることになります。そしてさらに、彼自身が非合法活動に加担させられることにもなりました。

行方不明になった信者の行方を探すために、その親族の家の電話を盗聴したり、教団のための情報を入手するために他人の住居や事務所に無断で侵入したりするようになりました。もちろんこれらは、井上嘉浩の指示によって行なわれたものです。

1994年12月には、水野さんにVXをかけるという事件に関わることになりました。井上から「尊師の指示で中野に住む水野という人にVXをかけることになった」と言われ、車の運転と見張りをするように指示されました。高橋さんは、麻原の説法などからVXが猛毒の化学兵器であることは知っていました。しかし、見たことはもちろんありませんでしたし、どうして教団がそれを用意できるのかもわかりませんでした。水野という人が誰なのか、なんのためにその人にVXをかけるのかも知りませんでした。

「尊師の指示」である以上、そして、自分の上司である井上の指示である以上、疑問を唱えることはもちろん許されません。高橋さんは、言われたとおり、車を運転して井上や新實たちを水野さんの自宅付近に連れて行きました。

彼らの話によれば、水野さんにVXをかけることには成功したようでした。その結果水野さんがどうなったのか、高橋さんは知りませんでした。しかし、水野さんが亡くなったとか、重傷を負ったという話もありませんでした。

この件を皮切りに、高橋さんはVXであるとか、レーザー光線であるとか、ボツリヌス菌だとかを使った事件に運転手や見張りとして関わるようになりました。しかし、高橋さんの知る限り、どの事件でも科学技術省が開発したものは「兵器」としての役割をまったく果たしませんでした。

4 ヴァジラヤーナの実践・武装化についての高橋さんの認識は曖昧なものだった
一連の体験を通じて、高橋さんは、麻原が説法で言っているヴァジラヤーナの教えが、ただの喩え話ではなく、教団の上層部の人たちが現実に実践しているのだということを知りました。しかし、彼らが殺人まで行っている事実は知りませんでした。

高橋さんは、また、教団の「科学技術省」のメンバーが毒物や化学兵器を作ろうとしているということをうすうす知りました。しかし、それは非常に幼稚な代物であり、人を殺すようなものではなく、「兵器」というには程遠いものだと理解しました。

V 本件各事件は「教祖の犯罪」であり、高橋さんの犯罪ではない

それでは、高橋克也さんが罪に問われている事件についてお話します。詳しい説明は、これから行なわれる審理の過程で事件ごとに詳しい冒頭陳述を行います。ここでは事件の簡単なあらましだけをかいつまんで説明します。

1 VX事件
高橋さんの経験と認識
濱口事件
1994年(平成6年)12月のある日、高橋さんは、井上から、新實智光と一緒に大阪に行くよう指示されました。何をしに行くのか説明はありませんでした。高橋さんは、すぐに大阪に向かいました。

大阪では、新實の指示に従い、山形明と一緒にホテルに行きました。そこで、井上は、「公安のスパイにVXをかける」と言っていました。実行役である山形と新實を車で現場に連れて行くことを指示されました。

井上は他の人にも色々と指示をしていましが、高橋さんは自分に対する指示を記憶することに集中しました。ほかの人に対する指示は聞いていませんでした。関心もありませんでした。この会議の間、意見を述べたことは一度もありませんでした。ほかの人から意見を求められたり、質問をされたりもしませんでした。話し合いは10分程度で終わりました。

これまでの経験に照らして、高橋さんは、VXと呼ばれる液体をかけても人が死ぬことはないと思いました。

ホテルでの会議が終わると、車を運転して現場に行きました。山形と新實がサラリーマン風の男性に近づいていました。直後に、2人はその男性に追いかけられて、どこかに行ってしまいました。そうした光景をただ見ていました。その後井上に指示されて、1人で車を運転してホテルに戻りました。

その後、濱口さんがどうなったのか、高橋さんは誰からも知らされませんでした。実際には10日後に濱口さんは亡くなりました。が、その事実を高橋さんは知りませんでした。相変わらずVXなるものは人を殺すようなものではないと彼は信じていたのです。

永岡事件
しばらくして、井上嘉浩から、「オウム真理教被害者の会」会長である永岡弘行さんかその息子で元信者である辰也さんにVXをかけるから、手伝うように指示されました。このときも井上の指示はそれだけです。計画の詳しい内容は聞かされませんでした。高橋さんから細かな理由や方法を尋ねることもありませんでした。

実行の直前に、今回は山形明のサポートをするように指示されました。他のメンバーは永岡さんに顔を知られているということでした。

高橋さんは、指示された通りに、注射器に入った液体を持っている山形明の横に付き添いました。そして、傘を広げて永岡さんが自分たちの顔を見ることができないようにしたりしました。

高橋さんは、永岡さんがどうなったのか、誰からも聞いていません。尋ねてもいません。VXで永岡さんが死ぬとは思いませんでした。

主張の概要
濱口事件にしても、永岡事件にしても、「VXをかける」というのは麻原彰晃が発案し、新實や井上に命じたことです。なぜ二人にVXをかけなければならないのかは麻原にしかわかりません。新實と井上は、ヴァジラヤーナの教義の実践として、そして、マハー・ムドラーの修行の一環として、グルの指示に従ったのです。新實と井上は麻原の発案と指示にしたがって、具体的な計画を立てました。

高橋さんは、この犯罪の計画には一切関わっていません。新實らが用意したVXなる液体が人を殺す威力を持っていることなど、考えていませんでした。もちろん、彼には濱口さんや永岡さんに対する殺意もありませんでした。

これは高橋さんの犯罪ではありません。グルの犯罪を行う弟子たちの手助けを、それと知らずにしてしまっただけです。

VX事件について、高橋さんを殺人や殺人未遂の共同正犯に問うことはできません。

2 假谷事件
高橋さんの経験と認識
1995年(平成7年)2月終わり、高橋さんは、疲れて今川の家で寝ていました。井上嘉浩に起こされました。「いなくなった信者がいる。その居場所を知っている人から居場所を聞き出す。その人を連れてくる手伝いをするように」。そう言われました。

言われたのはそれだけです。いなくなった信徒というのは誰なのか。その居場所を知っている人というのは誰なのか。どこに連れて来るのか。どうやって居場所を聞き出すのか。何も知らされませんでした。

寝ていたところを起こされた高橋さんは、言われるまま車に乗り込みました。現場についてから、連れて来る人を車の中に押し込む役を指示されました。

一緒に待機していた中村昇が、一人の老人を見つけると、車を飛び出していきました。高橋さんは、井田善広と一緒にその後を追いかけました。中村が老人にタックルしました。高橋さんはその体を持ってワゴン車に押し込みました。

高橋さんの役目はそこまでで終わりでした。それ以上の指示はされていませんでした。高橋さんは、拉致された老人と一緒に車に乗り込みました。これからその人がどうなるのか、知りませんでした。どうやって彼から居場所を聞き出すことになるのか、知りませんでした。

老人は車の中で暴れました。すると、中川智正が何かを注射しました。男性は大人しくなりました。中川が注射した薬剤が何なのか、高橋さんは知りませんでした。

高橋さんたちの車は世田谷区にある芦花(ろか)公園に着きました。そこで、高橋さんは車を山梨県上九一色村の教団施設まで運転するよう指示されました。高橋さんは、指示されたとおり運転しました。

上九一色村につくと、老人は「第2サティアン」の瞑想室という部屋に寝かされました。その後、高橋さんは一歩も瞑想室の中に入っていません。その老人がどうなったのか、高橋さんは全く知りません。瞑想室の中で何が行われたのか、高橋さんは全く知らされていませんでした。高橋さんは、雑用をしたり、車の中で寝たりしていました。

数時間が経ち、高橋さんが眠っていると、起こされました。中川智正は、老人が死んでしまったと言いました。高橋さんにとっては寝耳に水でした。高橋さんは、なぜ亡くなったのか、意味が分かりませんでした。

その後、高橋さんは井上から、亡くなった男性のご遺体を焼却するのを見守るように指示され、指示通り見守りました。

主張の概要
假谷さんを拉致して「ナルコ」と呼ばれる、麻酔薬を使った尋問で彼から仁科さんの居場所を聞き出すというのは麻原彰晃の発案です。麻原から指示を受けたのは井上と中村です。井上たちが具体的な犯行の計画を立てました。

高橋さんは、假谷さんの名前も知りませんでした。彼にナルコが行われることも知りませんでした。井上の指示で彼をワゴン車に押し込んだり、車を運転しただけでした。假谷さんの死亡に全く関わっていません。高橋さんが関わった行為すなわち假谷さんを車に押し込んだり、自動車を運転したことと、假谷さんの死亡との間にはなんの関連性もありません。

この一連の出来事は、グル麻原彰晃の犯罪です。如何なる意味でも高橋さんの犯罪ではありません。高橋さんが逮捕監禁致死罪や死体損壊罪の共同正犯に問われるいわれはありません。

3 地下鉄サリン事件
高橋さんの経験と認識
教団がサリンを作ろうとしているということを知っているのは、ごく一部の麻原の側近に限られていました。高橋さんはもちろんそんなこと知りませんでした。ましてや、麻原が自らの預言を実現するために、大量のサリンを散布して無差別殺人を行おうとしていることなど、知るよしもありませんでした。

1995年(平成7年)3月19日、高橋さんは、井上に呼ばれて、杉並区今川にある諜報省の拠点、通称「今川の家」に行きました。今川の家に行くと、井上から、そのとき今川の家にいた出家信者を渋谷にある拠点「渋谷ホームズ」に案内するように言われました。

渋谷ホームズに行くと、井上から「豊田享を車で地下鉄中目黒駅に連れて行くように」と指示されました。

このとき「何かを撒く」というような話がありました。しかし「サリン」という言葉は聞きませんでした。

日付が変わり、3月20日未明に、林泰男らが渋谷ホームズに茶褐色の液体が入ったビニール袋を持ってくるのを見ました。高橋さんは、それが何かわかりませんでした。だれも説明しませんでした。高橋さんは、その液体を用いてなにか騒ぎを起こすのかもしれないと思いました。しかし、その液体で人を殺すなど思いもよりませんでした。

そして、自動車を運転して豊田を中目黒駅に送り届けました。車中でも豊田から何をしに行くのか説明はありませんでした。

主張の概要
地下鉄にサリンを撒くというのは麻原彰晃が考えたことです。その具体的な手順は麻原と彼の側近である村井秀夫や井上嘉浩が考えたことです。これはグル麻原の犯罪です。高橋さんの犯罪ではありません。

豊田享を自動車に乗せて中目黒駅に向かっているとき、彼がサリンを駅で撒くのだということを、高橋さんは知りませんでした。そのことを誰かと共謀したことなどありません。

高橋さんがこの事件の共同正犯であるわけがありません。

4 都庁爆発物事件
高橋さんの経験と認識
地下鉄サリン事件から1ヶ月ほど経過したころ、高橋さんは、井上から「八王子の家」に呼び出されました。

井上から「警察の捜査を攪乱するために騒ぎを起こす。本を用いた爆発物を使うので、起爆装置を作ってください」と指示されました。高橋さんが説明を受けたのはこれだけです。高橋さんが電気関係に詳しいので起爆装置の作成を頼まれたというのは理解できました。しかし、具体的なことは何も説明されませんでした。「捜査を撹乱するために騒ぎを起こす」という以外に高橋さんは何も聞かされませんでした。

高橋さんは井上に指示されたとおり、部品や工具を調達して、起爆装置となる電気回路を作りました。

起爆装置をセットする際に、中川からプラスチックケースに入った爆薬を受け取りました。しかし、それがなんという爆薬なのか、その威力はどの程度のものなのかなどの説明は一切ありませんでした。

主張の概要
都庁事件もグル麻原が発案し命じたものです。彼が井上たちに「騒ぎを起こせ」と命令し、井上たちはその命令にしたがい、具体的な犯行を計画したのです。如何なる意味でもこれは「高橋さんの犯罪」ではありません。

中川が高橋さんに渡した爆薬は人を殺すような威力はありませんでした。井上や中川が意図していたのは「騒ぎを起こして捜査を撹乱すること」です。彼らには人を殺す必要も理由もありませんでした。

高橋さんにしても同じです。この爆発物を受け取った人の命を狙おうなどと考えたことは一度もありませんでした。

高橋さんを殺人未遂の共同正犯というのは間違いです。


plltakano at 11:59コメント(3)オウム真理教事件 

2017年05月12日

4月17日付で上告趣意書を提出しました。

控訴審判決は→こちら


plltakano at 20:39コメント(0)トラックバック(0)高橋事件 

2016年10月19日

ちょうど70年前に公布された日本国憲法は、すべての個人に黙秘権(自己負罪拒否の特権)があることを認めています。しかし、日本国の現状はこれとは程遠いものであり、江戸時代の御白州のようにお上は刑事訴追された民に罪の告白を強要しています。この現実をなんとか改善しようと考える弁護士のグループが、いまから20年前に「ミランダの会」という団体を作りました。ミランダの会は2000年代の10年間ウェブサイト上でさまざま情報を発信していました。毎月1回トップページに「今月の言葉」を掲載して、刑事司法に思いを致すよすがとして古今の文献の一節を引用しました。ミランダの会は現在その活動を休止し、ウェブサイトも閉鎖されていますが、読者からの要望にお応えして、「今月の言葉」を復刻することにしました。

2010年1月
起訴する、起訴しないは、検察官の権限です。でもそれは、有罪、無罪を決めるという意味ではない。裁判でそれを決めてもらうべき容疑者、つまり、ある程度の証拠が集まっている容疑者をどんどん起訴するのが、検察官の役目のはずです。それが、いつのまにか、裁判権みたいなものにすりかわっている。有罪/無罪の分岐点が、裁判の手前にあることになり、検察が実質的な裁判権をもってしまっている。これを憲法違反と言わなくてなんと言いましょう。
――橋爪大三郎『裁判員の教科書』(ミネルヴァ書房2009)、213頁。

2010年2月
しかし、陪審が評決を宣告するまでは告訴人は告訴人に過ぎないはずである。犯罪が行われたことそして被告人がその犯人であることを陪審が決定するまでは、法律上「被害者」なるものは存在しえない。建国の祖たちは告訴人の氏名が公表されることによって彼らの過去の虚偽告訴や悪行が明らかになることが必須であると考えた。これに対して、今日われわれは、幾つかの州において告訴人を匿名にしてジョンとかジェーンとかの偽名を使うことを許して、対決権を徐々に譲り渡している。今では、裁判官や陪審が告訴人を「本当の」被害者と認定していないにもかかわらず、検察官が告訴人を「被害者」と呼ぶことさえも許されている。自由と秩序の均衡は微妙であり複雑である。政治の風向きが変わるのに合わせてこの均衡は揺れ動くものである。しかし、いまわれわれが目撃しているのは、ただの風ではなく、「即時の満足」司法という新しいモデルを求める無謀な政治的機会主義のすさまじい旋風である。
――ブレア・バーク、ロサンジェルスの刑事弁護士。Blair Berk, “Ruminations on a Doe-Eyed Puppy”, in LARRY KING ED., BEYOND A REASONABLE DOUBT (Phoenix Book, 2006), at p139.

2010年3月
彼[イギリス国王ジョージ3世]は、その任期や俸給の額や支払い方法を通じて、裁判官たちを意のままにした。
 ――アメリカ独立宣言(1776年)

2010年4月
こうして、ある種の被告人のデュー・プロセスの権利は重大な侵害を受けている。手続を同時通訳することが原則となっている国、関連する言語の組み合わせの通訳人に同時通訳を行う訓練が行われ、かつ、通訳人が法廷通訳の職業倫理に精通している国で逮捕されるという幸運を得た人だけが、訴訟手続を理解し自らの防御に積極的に参加する権利を保障されるにすぎない。そのほかの被告人はみな、完全にあるいは部分的に暗闇の中に置かれるのである。
――ホリー・ミッケルソン(アメリカの法廷通訳)Holly Mikkelson, The Court Interpreter as Guarantor of Defendant Rights (1998), http://www.acebo.com/papers/GUARANTR.HTM (last visit on May 15, 2010)

2010年5月
供述調書からは、被疑者の叫び声も、うめき声も、またため息も聞くことはできないのである。涙にぬれた被疑者の顔や、苦痛にゆがめられた表情を見ることもできないのである。供述調書は、取調の経過を記載するものではなく、どのような経過で供述されたにしても、供述されたものを要約して記載するにすぎないのである。そして、要約である限りは、取捨選択の行われることは当然であって、その過程において要約する者の頭脳、すなわちその主観を通して表現された供述となることはやむを得ないのである。
――青木英五郎「事実誤認の実証的研究−自白を中心として」『青木英五郎著作集機戞陛槌書店・1986年)236頁)

2010年6月
三月十八日の午後六時十八分、夜の取調べが始まってすぐ、神垣検事が突然取調室を出ていった。二十分ほどして、取調室のドアを勢いよく開け、再び中に入ってくると、バタン! と大きな音を立ててドアを閉めた。私はただならぬ気配を感じた。
検事はすぐに私のそばに寄ってきて、声を荒らげて言った。
「おまえは嘘をついていた。眞藤はさっき落ちた! 眞藤はお前から直接電話を受けたと話している! これまで俺に嘘をついていたな! 俺にこんな態度をとったのはお前が初めてだ!」
言うや否や、私の椅子を窓側の横から蹴り上げた。その勢いでキャスターが横に滑り、私は頭から反対側に転げ落ちかけたが、素早く検事が反対側に回り私の身体を支えた。その身のこなしから、検事の動作は計算ずくだ、と思った。
検事はたたみかけるように怒鳴った。
「立て! 窓側に移れ!」
取調室の窓側で、私は検事と向き合う形となった。
「俺に向って土下座しろ!」
検事は私に殴りかからんばかりの剣幕であった。恐怖心から抵抗できず、私は屈辱的な思いで床に座った。命じられるままに、検事に向かい手をつき、頭を下げた。そのような姿勢を続けているうちに、私は検事のマインドコントロール下に入っていった。
「お前は眞藤に直接電話している。忘れているだけだ。思い出したか。・・・・・
思い出したなら席に着くことを許す」
私はこれまでにずっと真実を述べてきていた。だが、恐怖心に捕らわれた私は、悲しいことに、小声で「分かりました」と答えた。
すると、検事は事務官に口述をして次のような調書を作成した。
「私は、検事に土下座してお詫び申し上げます。いままで検事に対し、眞藤さんに直接声をかけたことはない、村田さん個人にお譲りしたものであるなどと嘘を申し上げてきました」
抵抗する気力を失い、私は言われるままに調書に署名した。私が署名を終えると、「よし、これでよい」と検事は急いで取調室を出ていった。
二時間ほどで戻ってきた検事は満足げな表情で言った。
「よし、調べは終わりだ。下がってよい」
悪夢のような体験だった。房に戻されたが、房はいつもより寒々としていた。

保釈後、房内ノートを見ながら新聞記事のスクラップファイルを操っていたところ、「江副の株譲渡持ちかけ 眞藤に直接だった 収賄罪成立、確実に」という、毎日夕刊の一面トップの大きな見出し記事が目に留まった。
「今までの調べや関係者の証言で明らかになった」との記事だが、日付は三月十四日。私が土下座させられ調書を取られた四日前の報道である。合同会議あたりでそのようなシナリオがあらかじめできていた、と私は思った。
――江副浩正『リクルート事件・江副浩正の真実』(中央公論新社・2009年)155頁〜157頁

2010年7月
御承知の通り、警職法2条1項というものを何度読み返してみましても、職務質問の要件を確認するために職務質問が出来る、という事や、いわんや、その事のために、今申し上げました3つの要件がいる等という事は、どこからも出て来そうにないわけでございます。非常に自由な法解釈でございます。これでは、警職法の条文は、まるで打出の小槌のようなものであるという感想をいだくわけでございます。***ところで、話変わりまして、これも御承知の通りの証拠の事前開示の問題になりますと、この物判りのよさが一変するわけでございます。自由法学がとたんに不自由法学になるわけでございます。最高裁の決定を読んでみますと、要するに、規定がないから証拠閲覧命令は認められない、条文がないからだ、というように云っているわけでございます。自由法学から、非常に厳格な概念法学に一変しているわけです。しかし、別に驚くことはございませんので、結局、秩序維持の結論をとるために、解釈技術を上手に使い分けておるということにすぎないわけです。人権より秩序を重んずるという感覚、そのような裁判官の意識・無意識の態度が、そういった結論をとらせていることは明白だと思います。
――下村幸雄「法曹の人権感覚」同『刑事裁判を問う――在官30年の思索と提言』(勁草書房1989、初出1967)、186〜187頁

2010年8月
裁判官が初めて普通の人にわかる「言葉」で裁判を語り始めたときに、何か変化が起きるんじゃないかとすごく期待しているんです。初めて裁判が一般の人に「開かれる」。今までは「公開が原則」ということで、誰もが傍聴できたわけですが、裁判官も検察官も弁護士も、傍聴人にわかるようには裁判してこなかった。自分たち専門家がしっかりやっているから大丈夫だけど、見たかったらどうぞという、裁判をわかってもらおうとはしていない「公開」だった。裁判は「開かれた」ものではなかったんです。だけど今度は少なくとも裁判官は一般の人を説得しなきゃいけないわけですからね。裁判官が自分の思い通りにやりたかったら、「裁判員」である一般の人を説得しなければいけない。裁判所は、裁判を「開かれた」ものにしなければならないんです。少なくともアメリカの陪審員のように、傍聴人にもわかる裁判が始まる可能性がある。
――周防正行(映画監督)。周防正行『それでもボクはやってない−日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!』(幻冬社2007)、310頁

2010年9月
しかし、適切な問いは、死刑が「相応しい」と思えるケースがあったのかどうかということではなかった。正しい問いは、死刑が相応しい事件だけを捉え、決して死刑が相応しくない事件を誤って捉えてしまうことのない法制度を構築することがわれわれに可能であったのか、というものであった。死刑が相応しくない事件とは、何人かの私の依頼人のように無実の人、あるいはまた別の依頼人のようにいかなる比例の感覚に照らしても死刑に相当する罪を犯したとは言えない人の事件である。われわれは未だにそのような制度を構想できたことがないということに私は気付いた。
――スコット・トゥロー(アメリカの小説家、弁護士)。Scott Turow, “Doubting the Death Penalty”, in LARRY KING ED., BEYOND A REASONABLE DOUBT (Phoenix Book, 2006), at p286.

2010年10月
さらに信用性を持たすために、わざと事実とは違ったことを調書に書き込んでおくわけ。……たとえば椅子の配列があるとする。もちろん、実況見分しているからこっちは正確なデータが分かっているんだけれども、そこをわざとちょっといじるわけね。2つあった椅子をわざと3つにしてみたりだとか、4つあったのを1つにしてみたりだとか。そうやって少しだけ間違いを作っておいたほうがかえって信憑性が増すんだよ。そういうのは図面だけでなくて、調書の文章の中でもやる。たとえば佐藤慶の「優」を「勝」とわざと書き間違えたり、田中森一の「森一」を「守一」としたりするわけだ。その調書を被疑者に読み聞かせれば、被疑者は「いや、佐藤マサルのマサルはこうじゃないんですよ、田中モリカズのモリは違いますよ」と、こうなるじゃない?で、そこを訂正しておけば、もう検察の思うつぼ。というのも、それで実際に裁判が始まって、ある争点に関して被疑者が「いや、私はそんなこと言った覚えはありません。事実はこうなんです」と言ったところで、判事は「あなた、そんなこと言うけども、この中でわざわざこんな誤字脱字まで訂正しているじゃないか。文字の間違いを検事はちゃんと直してくれたんでしょ?名前まで直してくれているじゃない。それなのに自白を強要されたというわけ?」と聞くわね。こうなってしまえば裁判所は検事の調書の信用性を否定することができなくなるんだ。
−田中森一・佐藤優『正義の正体』(集英社インターナショナル・2008年)45〜〜46頁

2010年11月
わたしはと言えば、常々、依頼人が当該の案件についてわたしに詳しく情報を与えてくれるよう努力し、また、その人に自由に語ってもらうためにその場に誰もいないようにするよう努め、さらには、わたしが相手方の立場に立って弁護し、その人には自分の立場に立って弁護してもらったり、依頼人が自分の案件についてどう考えているか胸襟を開いて語ってもらうように努力している。だから、依頼人が去ると、まったく公平な心をもってわたしは1人で3役、つまり、弁護人としてのわたしと、相手方と、陪審員の3役を演じるのである。−キケロー/大西英文訳「弁論家について」『キケロー選集7』(岩波書店・1999年)184頁−

2010年12月
弁護人によって予め与えられた助言でさえ、密室の取調べによって容易に打ち敗かされてしまうのである。したがって、第5修正の特権を保護するための弁護人の必要性というのは、取調べの前に弁護人と相談する権利のみならず、被告人が望むならば取調べの間弁護人を立会わせる権利をも包含するのである。
――アール・ウォレン連邦最高裁首席裁判官、ミランダ対アリゾナ法廷意見


plltakano at 01:03コメント(0)トラックバック(0)刑事司法全般 
ちょうど70年前に公布された日本国憲法は、すべての個人に黙秘権(自己負罪拒否の特権)があることを認めています。しかし、日本国の現状はこれとは程遠いものであり、江戸時代の御白州のようにお上は刑事訴追された民に罪の告白を強要しています。この現実をなんとか改善しようと考える弁護士のグループが、いまから20年前に「ミランダの会」という団体を作りました。ミランダの会は2000年代の10年間ウェブサイト上でさまざま情報を発信していました。毎月1回トップページに「今月の言葉」を掲載して、刑事司法に思いを致すよすがとして古今の文献の一節を引用しました。ミランダの会は現在その活動を休止し、ウェブサイトも閉鎖されていますが、読者からの要望にお応えして、「今月の言葉」を復刻することにしました。

2007年1月
どうか私たちをあなたたち自身が裁いて欲しいと思うやり方で裁いてください。わたしのいうことはそれだけです。
――アフェニ・シャクール 元ブラックパンサー党地区代表、トゥーパック・シャクール(ラッパー、1996年9月ラスベガスで何者かに射殺された)の母親。1971年6月、ニューヨーク州最高裁判所(事実審裁判所)にて、警察署に爆弾を仕掛けた容疑でパンサー党員13名が起訴された「パンサーの13人」事件の被告人の1人として、陪審に向けて自ら行った最終弁論の1節。出典:アンジェラ・デービス編著(袖井林二郎監訳)『もし奴らが朝にきたら――黒人政治犯・闘いの声』(現代評論社1972)、311頁)。

2007年2月
We defend everybody.(われわれは誰でも弁護する。)
――アール・ロジャーズ(Earl Rogers 1869-1922アメリカの伝説的な刑事弁護士。21年間の弁護士生活で189件の無罪評決を獲得した。77件の殺人の公判で74件の無罪を得ている。)の口癖。Adela Rogers St. Johns, “Final Verdict” (Doubleday, 1962).

2007年3月
1人の奴隷の根拠のない意見によって人類全体の自由と運命とを片付けてしまうわけにはいかない。
――ジョン・ロック John Loke, The Two Treatises of Government, ed., Peter Laslett (Cambridge University Press, 1988[1698]), p177. 1st Treatise §51.

2007年4月
憲法の保障には何がしかのコストが伴うというのは自明の理である。
――スカリア裁判官Coy v. Iowa, 487 U.S. 1012 (1988), at 1020.

2007年5月
たまたま弁護士資格のある人が法廷で被告人の隣に座っているというだけでは、憲法の要請を満足させるに充分という訳にはいかない。
――サンドラ・D・オコナー判事Strickland v Washington, 466 U.S. 668 (1984), at 685.

2007年6月
裁判の手続は、その古めかしく奇妙であることを旅行者によって賞賛されるべき、歴史的展示物ではない。それは、法の下の正義を推進する力量によって評価されるべき、必須の政府機関である。
――DAVID PANNICK, JUDGES (Oxford University Press, 1987), at p146.

2007年7月
訴訟法は裁判所の執務の安易や簡便のために設けられているものでない。
――小谷勝重最高裁判事。最高裁大法廷昭和28年4月1日判決における補足意見。刑集7-4-713、724頁。

2007年8月
この事件の判決をどうするか考えているとき、私は、ある素人の友人に、事実と法が、有罪を宣告され死刑を言渡されたある男に対して再審を認めることを私に要求しているようだ、と言った。
「彼は殺っているのか」とその友人は尋ねた。
私はただこう答えた。「彼が公正な裁判を受けるまでは、それはわからない」と。
この偉大な国において、公正な裁判を受けていない人々が処刑されようとしているときにわれわれがそれから目を背けてしまうようなことは、決してあってはならない。この事件ではまさにそれが起ろうとしていたのだ。
――フランク・シャイ、オクラホマ東部地区連邦地裁判事、1995年9月19日ロナルド・ウィリアムソン死刑囚の再審を許可する判決において。Williamson v Reynolds, 904 F.Supp. 1529 (E.D.Okla.1995), at 1676-77, cited in, JOHN GRISHAM, THE INNOCENT MAN: MURDER AND INJUSTICE IN A SMALL TOWN (Doubleday, 2006), at 277.この判決の4年後、1999年4月15日、DNA鑑定によってウィリアムソン氏の無実が証明され、彼は死刑囚監房から釈放された。

2007年9月
いったい裁判官が裁判をするにあたっては事件を審理した上で結論が先に出るのだろうか、それとも法文と理屈とが先に出てその推理の結果ようやく結論が出るものだろうかという問題です。この問題は日本の裁判官はもちろん外国の裁判官にもしばしばたずねてみました。ところがこれに対する答えはほとんど常に「結論が直感的に先に出る、理屈はあとからつけるものだ」というものでした。
――末弘厳太郎『嘘の効用』(日本評論社1954[初出1923])、136頁。

2007年10月
刑訴143条は「裁判所はこの法律に特別の定ある場合を除いては何人でも証人としてこれを尋問することができる」と規定し、一般国民に証言義務を課しているのである。証人として法廷に出頭し証言することはその証人個人に対しては多大の犠牲を強いるものである。個人的の道義観念からいえば秘密にしておきたいと思うことでも証言しなければならない場合もあり、またその結果、他人から敵意、不信、怨恨を買う場合もあるのである。
そして、証言を必要とする具体的事件は訴訟当事者の問題であるのにかかわらず、証人にかかる犠牲を強いる根拠は実験的真実の発見によって法の適正な実現を期することが司法裁判の使命であり、証人の証言を強制することがその使命の達成に不可欠なものであるからである。従って、一般国民の証言義務は国民が司法裁判の適正な行使に協力すべき重大な義務であるといわなければならない。
――最高裁大法廷昭和27年8月6日判決(石井記者事件)、最高裁判所刑事判例集6巻8号974頁、976-977頁。

2007年11月
アメリカ人の目からみると、被害者の参加制度が裁判員制度とほぼ同時に採用されるというのは、皮肉であるとともに、まさに衝撃的である。有罪・無罪の判断と量刑判断が段階を分けられておれば、被害者は量刑判断の段階で自らの意見を述べることもありうるだろう。しかし、有罪無罪を判断する段階にまで被害者の積極的な参加を認めるとなると、これは、裁判員と裁判官とを問わず、事実認定者を、偏見を抱かせるような無数の危険にさらすに等しい。これが合衆国であれば、有罪・無罪の判断の段階での被害者の積極的な参加が、被告人に公正な裁判への権利を保護する観点から、違憲審査で認められるとはまず考えられない。
――ダニエル・フット(溜箭将之訳)『名もない顔もない司法−−日本の裁判は変わるのか』(NTT 出版2007)、310 頁。

2007年12月
この地球上でもっとも危険な人物は、あまりにも長いあいだ偏見を持ち続けてきたために偏見がその心根にしっくりと馴染んでしまった独善的な学者気どりたちである。
――ジェリー・スペンスGerry Spence, Win Your Case: How to Present, Persuade, Prevail—Every Place, Every Time (St. Martin’s Press, New York, 2005), at p118.

2009年1月
もし、私が裁判員裁判の弁護人となり、捜査段階での被告人の自白が強制されたものであると主張する場合には、取調べの全過程を録音・録画できるのに、していないことを徹底的に突くであろう。
――後藤昭「裁判員制度をめぐる対立は何を意味しているか」世界2008年6月号90、95頁。

2009年2月
私モ四十三年ノ司法官生活中随分間違ッタ裁判ヲ為シタコトノアルハ勿論ダガ、併シ自分ノ考ガ理屈ニ捉ハレ一種ノ型ニハマリ真相ニ適シナイ事実ノ見方ヲ為シ居ルトハ気付カナカッタノデアル。今ヤ民間ニ下リ局外ヨリ裁判ノ当否ヲ傍観スルニ従来耳ニシタ世間ノ批評モ成程ト肯カルヽコトガアル。古人ノ語ニ「五十年ニシテ四十九年の非ヲ悟ル」ト云ヘルコトアリ。私ノ在野法曹トシテノ感想は全ク此ノ語句ノ通リデアリマス。
――三浦順太郎『陪審裁判松島五人斬事件之弁論』(1931)、60頁。三浦は明治から昭和にかけての裁判官。昭和4年に定年退官して弁護士。

2009年3月
「起訴のタイミングは、私にかかってる。捜査一課長は、急げ、急げ、言うてるけど、そんなもん、関係あらへん。私の事件や、これは。あんたは、私の仕事相手なんや。自分をもっと大事にせんとアカン。誠実に、直向きに生き直すチャンスなんやで。つまらん素人考えで、あんたは、取り返しのつかん間違いを犯そうとしとる。見て見ぬフリはでけんやろ?あとで、あん時、あの刑事の言うこと聴いて、ちゃんと自供しとったらて、どんだけ後悔しても始まらんのやで!完黙なんかしてみたところで、何にもならへん!起訴して、有罪になるだけの証拠はもう揃ってるんやから。今の裁判では、一人殺しただけじゃ死刑にならん。二人殺せば50パーセント。三人殺せば、確実に死刑。――そうなっとる。けど、あんたの場合、事件が事件や。西麻布の死体遺棄事件もあんたが関係してるんかどうか、それは分からん。けど、世論はどんどん、厳罰化の方向に向かっとる。判事もそれに従いだした。あんたも知っとるやろ?態度次第では、死刑だってあり得る。死ぬんやぞ!絞首刑や。想像してみ。どんだけ無惨な死に方か。――死に急ぐことはあらへん。生き延びることをまず考え!すべてはそっからや。きちっと自供すれば、絶対に悪いようにはせえへん。私らはそんな、弁護士みたいに高給取りでもなし、あんたを自供させて懐が温かくなるわけでもなんでもない。けど、刑事とかなんとか言う前に、ひとりの人間として、私の誇りにかけて一生懸命なんや。あんたが、どっちを信じるか。――完黙とか、怠慢な方法であんたを唆して、ほったらかしてる人間を信じるか、あえて恨まれるようなことでも言って、あんたの将来のことを真剣に考えてる私らの方を信じるか。」
――平野啓一郎『決壊(下)』(新潮社2008)、179-180頁。

2009年4月
サード・ディグリーの時代と同じように、取調べを行う警察官の第一の目標は、真実の探求それ自体ではなく、被疑者に罪を認めさせて、有罪の証拠を固めて裁判で有罪判決を獲得する手助けをすることである。また、取調べは依然としてしばしば秘密裡に行われている。現代アメリカの警察官は当事者主義の規律に見事に順応した。しかし彼らは、先人たちと同様に、決して公正中立な事実探究者になろうなどとは考えていない。むしろ、彼らは依然として本質的に検察官の代理人である。そして、彼らは、当事者主義のシステムが用意したチェックとバランスが有効に機能する前に、刑事司法制度の入口において権力をほとんど独占し、被疑者自身を操って自らにとって致命的な供述証拠を引き出すという仕事を続けているのである。
――Richard A. Leo, Police Interrogation and American Justice (Harvard University Press, 2008), at 77.

2009年5月
今の裁判制度では、弁護士が裁判官に対して「無罪の推定」について必死に説いても、裁判官は仕事柄、その言葉の真意について少々マヒしているかもしれない。しかし、これからは裁判員が、弁護士の援助を得ながら、無罪の推定など刑事裁判の本質的な部分をその都度、素人の新鮮な目で見極めるようになれば、裁判員制度は本当に画期的な制度になるかもしれない。
――コリン・P.A.ジョーンズ『アメリカ人弁護士が見た裁判員制度』(平凡社2008)、219-220頁。

2009年6月
罪を自認することを拒否する特権は、われらの自由の発展の歴史において重要な飛躍――人類が自らを文明化するための戦いにおける偉大なる道標の一つ――を示している。それは、われわれの基本的な価値と崇高なる願望の多く――犯罪の嫌疑を受けている人々を、自己弾劾か偽証か法廷侮辱かという過酷な三重苦に追い込むのを避けたいというわれわれの気持ち;糾問的な刑事司法制度よりも弾劾的な刑事司法制度を好むわれわれの選好;非人道的な方法や虐待によって罪を自認する供述が引き出されることへのわれわれの恐怖;介入を正当化する十分な理由が示されるまでは政府は個人に介入してはならず、個人との対決においては政府に全責任を負わせなければならないとすることによって、政府と個人との間に公正なバランスをもたらそうとするわれわれのフェアプレイの感覚;個人の人格や私生活の領域への権利の不可侵性というものへのわれわれの敬意の念;自己批判的な供述というものに対するわれわれの不信感;そして、この特権が、時として「犯罪者の避難所」であるとしても、しばしば「無実の人の防壁」であるというわれわれの認識――を反映している。
――アメリカ連邦最高裁判所、マーフィ対ウォーター・フロント委員会(1964年)、Murphy v. Waterfront Commission, 378 U.S. 52 (1964), 55.

2009年7月
善人の盾となるルールのほとんど全ては、同時に悪人の剣ともなる。これは[表現の自由を保障する]第1修正についての真実であり、また、[黙秘権を保障する]第5修正についての真実でもある。マーティン・ルーザー・キング・ジュニアを保護しながらデービッド・デュークを保護しないルール、あるいは、ジェームズ・ジョイスの盾となりつつ、ラリー・フりントの剣とならないルールを考案できた人はいない。法、とりわけ権利章典は、外科手術用のメスではない。それは斧である。それは過剰に保護するか、不十分に保護するかのどちらかである。
――アラン・ダーショウィッツAlan M. Dershowitz, Is There a Right to Remain Silence?: Coercive Interrogation and the Fifth Amendment After 9/11 (Oxford University Press, 2008), at 141.

2009年8月
通常の語法では「非有罪(Not Guilty)」という言葉はしばしば「無罪(innocent)」と同義と考えられている。しかし、アメリカの刑事法では、これらは同義ではない。「非有罪」というのは、検察官が証明責任を果たさなかったという陪審の法的判断に過ぎないのであり、たとえ彼らがそう信じていたとしても、被告人が無罪であるということを意味しない。被告人が有罪(guilty)なのか無罪(innocent)なのかは明らかにすべての刑事裁判において最も重要な道徳上の論点であり、また、それは法的にも重要な論点であるに違いない(だからもしも陪審が被告人は無罪だと思えば彼らは「非有罪」の評決をしなければならない)。しかし、陪審が決定すべき究極の法的論点は、検察側が合理的な疑問を入れない程度に有罪を証明する責任を果たしたかどうかを決定することである。もし陪審がこの決定的に重要な区別を十分に理解していないならば、彼らは事実認定者としての機能を十全に発揮する能力を損なわれているというほかない。
――ヴィンセント・バグリオシ(ロサンジェルスの検察官・小説家)。

2009年9月
一人の無実の者を罰するよりも、10人の有罪の者を逃す方が良い。
――サー・ウィリアム・ブラックストン(18世紀イギリスの偉大な法律家)。

2009年10月
一人の有罪の者を逃すよりも、10人の無実の者を処刑した方が良い。
――フェリクス・ジェルジンスキー(ロシアの革命家、ソビエト秘密警察の創設者)。

2009年11月
記録を精査し、当審で取調べた証拠を検討したが、被害者の半袖下着に付着していた犯人の精液を資料にして判定されたABO式血液型、ルイス式血液型の2種の血液型ばかりでなく、MCT118法によるDNAの型が、被告人のそれと合致すること、被告人の性向、知的能力、生活振り、本格的事情聴取の初日に早くも被告人が自白し、捜査官の押し付けや誘導などがなかったことを被告人自身認めながら、犯人であればこそ述べ得るような事柄について、客観状況によく符合する具体的で詳細な供述をしたことなど、本件の関係証拠を総合すれば、被告人の原審の審理後半以降当審にいたる犯行否認の供述にもかかわらず、被告人が被害者花子をわいせつ目的で誘拐して殺害し、遺棄したことを認定するについて、合理的疑いを容れる余地はないというべきである。
――裁判長裁判官高木俊夫、裁判官岡村稔、裁判官長谷川憲一(足利事件控訴審判決、東京高裁平成8年5月9日判決)。高木俊夫は、東電OL殺し事件で、一審無罪判決を破棄してゴビンダ氏に無期懲役刑を言い渡した。後に中央大学法科大学院教授に就任した。

2009年12月
実際のところ、刑事弁護士ならだれでも、カクテルパーティで最も頻繁に尋ねられる質問は、「どうしてあんな連中の弁護ができるのか」というものだと言うだろう。この質問は繰り返し何度も尋ねられる。ほかの弁護士がこんな風に答えているのを耳にする。「有罪の人の権利のために立ち上がることは、無実の人の権利を守ることだからだ。」あるいは、「被告人があなたの息子さんや娘さんだったとしたら、あなたはその質問をしないでしょう。」あるいはまた、「裁判は当事者が対立するものだ。私は自分の役割を果たしているに過ぎない。」これらの答えはどれも決して間違ってはいない。
しかし、いずれの答えも、私が毎朝起きあがり仕事に向かう理由の本質的な部分を捕らえてはない。刑事被告人の弁護を30年以上続けてきた現在も、私は、法律家の仕事の中でこの刑事弁護という仕事に対する情熱を失ってはない。そして私は、私がしていること――私がやろうと全力を尽くしていること――が正しいというだけではなく、私の信念の中核をなしているものだと感じている。私の信念とは、すなわち、被告人が誰であれ、どんな容疑で訴追を受けたのであれ、また、被告人が実際何をしたのであれ、彼らの尊厳のために立ち上がること、これこそが私の仕事だということだ。彼らに対して人間としての敬意を払えと要求すること、これこそが私の義務である、そう私は信じている。
***
刑事被告人の尊厳と彼らへの敬意のために立ち上がるということは、つまり、すべての事件を徹底的に繰り返し調査するということであり、調査報告書や記録を丹念に調べることであり、科学的証拠の再検査をすることであり、検察側のケースセオリーを再検討することである。それは、依頼人とその家族の話を聞くことであり、依頼人がどんな人かを知ることである。それはまた、些細な事柄の中に現れる。たとえば、依頼人の手錠を外し、他の事件の当事者と同じように、彼や彼女を弁護人席に着席させよと、裁判官が廷吏に命じるように働きかけるというような、ときとして単純な事柄である。ときには、貧乏な依頼人のためにスーツを買うことである。ときには、著名な依頼人のために公判までの数カ月間、彼らの自宅の平穏を確保してやることである。世論やセンセーショナルな記事にもかかわらず、一人ひとりの依頼人に無罪が推定されるのだという感覚を取り戻させることである。それは、金持ちであれ貧乏人であれ、有名人であれ悪名高い人であれ、すべての依頼人が、まずその弁護人によってついで司法制度によって、尊厳と敬意をもって扱われることを実現することである。
――ロバート・サンガー:カリフォルニアの刑事弁護士。マイケル・ジャクソンの児童に対する性的虐待事件の弁護人の一人。Robert Sanger, Human Dignity and Respect, in Larry King ed., “Beyond a Reasonable Doubt” (Phoenix Book, 2006), at pp111-114.


plltakano at 01:02コメント(0)トラックバック(0)刑事司法全般 
ちょうど70年前に公布された日本国憲法は、すべての個人に黙秘権(自己負罪拒否の特権)があることを認めています。しかし、日本国の現状はこれとは程遠いものであり、江戸時代の御白州のようにお上は刑事訴追された民に罪の告白を強要しています。この現実をなんとか改善しようと考える弁護士のグループが、いまから20年前に「ミランダの会」という団体を作りました。ミランダの会は2000年代の10年間ウェブサイト上でさまざま情報を発信していました。毎月1回トップページに「今月の言葉」を掲載して、刑事司法に思いを致すよすがとして古今の文献の一節を引用しました。ミランダの会は現在その活動を休止し、ウェブサイトも閉鎖されていますが、読者からの要望にお応えして、「今月の言葉」を復刻することにしました。

2005年1月
若し単に自白獲得の爲めに勾留が執行されるならば、恐らく冤罪者は、嘘自白を提供して一時的にせよ此責苦より遁げ出でんと踠がくであらう。何となれば勾留は往昔弱者に対して自自搾取の爲めに行はれたる水責、火責等々の怖ろしき拷問と比べて、實質的相違が余り認められないからだ。其形式に於て彼は身體にあり、是れは精紳に關すと雖、人間は物心両界の綜合的統一體の存在であるのみならず日に月に精神生活向上しつゝある現代文明人は、痛苦の肉體的たるよりは寧ろ精神的に受くるを以て一層の激烈さを體験する。彼等は恐らく二・三時間の縛り敲きの肉體的拷問を受くるよりは、数十日間に亘る絶え間無き精神上の痛苦を感ずる事が、どの位耐え難いか判からないだらう。試みに未だ自白をしない現代の被告人をして、「笞杖の拷問」と「二十九日間の警察拘留」と何れかを自由に選択せしめて申出でしめんか、恐らく大多数の者は、一時的の肉體的拷問を志願するでもあらう。それ程實質的に責苦と云ふ点は、両者同様であり、而かも拘留の方が深刻である。
――南波杢三郎『弁護学:科学的弁護と防禦技術』(新光閣1935)452頁。

2005年2月
「ときどき思うんですが、イランでしているように、腕を切り落とすというような厳罰を加えるべきではないでしょうか。そうすれば、私たちも安心でしょう」と彼は言う。「たぶんね。でもそうなったら、あなたはこの国で暮らしたいですか」と私は答えた。
――ワハード・ゼア(西村春夫ほか監訳)『修復的司法とは何か――応報から関係修復へ』(新泉社2003)、198頁。

2005年3月
時には望ましい目的のためでさえ権力を行使できないこともあることを認めないかぎり、権力の濫用を防止することは決してできないだろう。
――F・A・ハイエク(西山千明訳)『隷属への道』(春秋社1992)[1944]、325頁。

2005年4月
弁護人がいない間は、刑事被告人の黙秘する権利はすべての防禦を放棄する権利に他ならなかった。実際のところ、死刑が多用されたシステムにおいては、黙秘する権利は文字通り自殺する権利に等しかった。弁護人が登場して彼らが沈黙する被告人を防禦できるように刑事公判を再構築することに成功したとき、はじめて、自己負罪拒否の特権はコモンロー裁判所の手続において実践可能な権利となり得たのである。現代英米法において知られているその特権は、被告人ではなく第三者証人を保護していた特権を拡張することによって、19世紀を通じて形成されたものである。
-- John H. Langbein, The Origins of Adversary Criminal Trial, (Oxford University Press, 2003), pp278-279.

2005年5月
実際のところ自律的な理性的判断と思っているところのものが、じつは伝統的な法学教育のなかで培われてきて私たちに期せずして押しつけられている概念を、ただ無自覚に操っているだけだ、と言えるようなばあいが少なくない。「リーガルマインド」というとき、じつは専門や経験をおなじくしているサークルにかぎって通用するジャーゴン(仲間うちの隠語)を使用することへの慣れという、それ自体ではとうてい「理性」作用とは言えないものが、まことしやかに混在しているのである。
――奥平康弘『憲法の想像力』(日本評論社2003)、16頁。

2005年6月
私は来た手札を受け入れた。私はそのゲームに最善を尽くした。私は誠実に、男らしく戦おうと努めた。自分のために、そして仲間のために、私はできるかぎりのことをした。この先も私は最後までゲームを続けるだろう。その最後がどのようなものであろうとも。
――クラレンス・ダロウ、1912年8月15日、カリフォルニア州上級裁判所ロス・アンジェルス郡支部にて。陪審に賄賂を渡した嫌疑による彼自身に対する刑事裁判の最終弁論の一節。GEOFFREY COWAN, THE PEOPLE V. CLARENCE DARROW :THE BRIBERY TRIAL OF AMERICA’S GREATEST LAWYER (Times Books, 1993), p425.

2005年7月
自白の問題は、日々の裁判の現実において最も重要な憲法問題の一つである。
――最高裁判所大法廷昭和23年(1948年)7月29日判決(刑集2-9-1012、1014頁)

2005年8月
自由と秩序についての一般的な前提には、もうひとつ誤りがある。ほぼいつの時代も、秩序とは規則と罰、つまり公式なコントロールであると考えられている。だが歴史を振り返ってみると、秩序は非公式なコントロール、すなわち信念の体系、社会的な圧力や義務、同調への報酬によって維持されてきたことを忘れている。このことはまた、日常生活についてもいえる。秩序は単に法と刑罰に由来するものと考えると、社会をまとめているものを見失うことにもなる。
――ワハード・ゼア(西村春夫ほか監訳)『修復的司法とは何か――応報から関係修復へ』(新泉社2003)、198〜199頁。

2005年9月
多くの世人にとって、被嫌疑者の権利と自由は他人事である。将来自らが被嫌疑者となるようなことは危惧していないのが普通である。しかし良く世情を観察すれば、なるほど強、窃盗や殺人の被嫌疑者になることはないにしても、どんな嫌疑で、どんな事件に連座しないとは限らないのである。決して他人事ではない。しかし、仮に他人事であるとしても、被嫌疑者の自由と権利とが正しく保障されている国家においては、一般市民の自由と権利も、必ずよりよく保障されているはずである。最も犯されやすい被嫌疑者の人間的尊厳すら保障されているのであれば、一般市民の人間的尊厳も、必ずよりよく保障されているはずである。憲法第13条前段は、「全て国民は、個人として尊重される。」と規定している。最も尊重され難い個人は被嫌疑者である。その意味で被嫌疑者の尊重は、個人尊重のバロメーターであり、被嫌疑者の自由と権利は、決して他人事ではないのである。人はときに「被嫌疑者の権利よりも、善良なる市民の権利を尊重することが大切である。」などという。まことに近視眼的である。被嫌疑者に自由のない国家においては、一般市民もまた自由が無いことに思いを致さねばならない。
−−毛利与一『刑事訴訟法序説』(法律文化社1959)、12頁。

2005年10月
検察の慎重な公訴提起と相まって、有罪率は年々99パーセントを超え、日本の刑事司法はその効率性を誇ることができた。いわゆる精密司法の正の側面である。しかし、「記録の読み直し」に専心するという裁判はほとんど世界に類がなく、何かおかしいのではないかという疑問が次第に増幅する。19世紀の前半、チャールズ・ダーウィンは、南米大陸から1000キロ離れたガラパゴス諸島を訪ね、どことも異なる独自の生態系が繁栄しているのを見出して強烈な印象を受け、それが後の進化論の構想につながったといわれる。進化論の当否はともかくとして、現在の日本刑事訴訟の「成功」は、その特異性の点で一種のガラパゴス的状況を混在させているのではないかという懸念が払拭しきれない。
――松尾浩也「刑事訴訟の課題」松尾浩也・井上正仁編『刑事訴訟法の争点(第3版)』(有斐閣2002)、4、6〜7頁。

2005年11月
[保釈に関する]現在の実務の流れをどこかでくい止めなければ、今にどうにもならない事態に逢着するのではないかと、私は危惧感を持っています。現状は、いわゆる「人質司法」となっており、このままでは被告人が公訴事実を否認することが事実上できなくなってしまうのではないかと心配しています。
――木谷明『事実認定の適正化:続・刑事裁判の心』(法律文化社2005)93頁。

2005年12月
[終戦直後の10年間は]日本刑事裁判史上最も正しく裁判が行われた時代として顕著であるというように思います。昭和20年8月に日本は敗戦という有史以来の大悲劇を見終わったわけですが、悲劇というものを見終わった時に、人間というものは誰でもが非常に謙虚になる。日本人全部が謙虚になったということを経験しております。裁判官も検察官も警察も例外ではありませんでした。……そこから貧しいながら同胞が互いに抱き合う、人の哀れを自分の哀れとする、人の悲しみを自分の悲しみとすることができました。そこに自他一如、……そういう諦観が生まれたということを私は実感いたしました。多くの裁判官は肩をいからすのはやめまして、そして人の心をもって人の心を見るということができるようになりました。虚心平明に被告人を見る、少なくとも法を正しく運用していこうという、そういう心がありありと見えるようになりました。
――関谷信夫「刑事弁護哲学――自他一如」関谷先生無罪判決集出版委員会編『無罪への道――関谷信夫先生無罪判決集』(ぎょうせい1989)16頁。

2006年1月
米国には今猶私刑の遺習ありて、刑法も亦瞠若たるにあらずや。星移り物変りて、主権者の権威漸くにして強大を加ふるや、政府となり、法廷となり裁判となる。即ち知る、国家司法権の淵源は、民に在りて国家にあらざることを。形式上国家は裁判権を保有すと雖も、実体上民に代りて民を理する所以の根本観念を忘るべからず。古往今来、国民なき国家の存在すべき理由なし。官民不和、上下隔離二者互に相敵するに至らば、国家は遂に分裂破壊すべし。形式に存して実体に空しからん。国民にして国家の司法権に参与するの権なくんば、司法権は有司の私権なり。之を国家の司法権と云ふべからず。嗚呼我司法の現状果して如何。
――花井卓蔵『人生と犯罪』(廣文堂書店1915)、22-23頁。

2006年2月
「自己の情動的な性質の道を踏み外させる影響に」最も強く支配されている裁判官に限って、屡々、最も神妙に威圧的な機械的論理の言葉を用いるものであり、自分はただ現行の規範を発見して、それを実施するだけにすぎないという粧いで巧妙に自己を包みかくすものである。もしすべての判決意見が、判決の実際の根拠となったものを全部さらけ出して述べられるならば、判事席に在る暴君、偏屈者、不正直者は、彼等の仮面を失い、その本性を暴露するであろう。***われわれは、いかに望んでみたところで、所詮司法の運用における情動的要素を除去し得るものではない。われわれが望み得る最上のことは、事実審裁判官の情動が繊細で、平衡がとれており、且つ彼自身の吟味を受けるということである。自己の持つ権能の性格と自分自身の偏見及び弱点とについて、能う限り完全な知識をもった誠実な十分訓練された事実審裁判官こそ、正義の最上の保証となる。賢明な方針は、「個人的要素」が必然的に存在することを認め、それに従って行動することである。
――ジェローム・フランク(古賀正義訳)『裁かれる裁判所(下)(新装版)』(弘文堂1970[1949])、668-669頁

2006年3月
昔、子供だったときに、ある日、川を水死人が流れてくるのを見た。翌日になって新聞を二つ読んでみたら、二つとも水死人の着物の柄をまちまちに書いていた。記者が水死人を見てどんな感想を書こうが、それはその記者の主観の自由であるが、一人の水死人の着物の柄が事実とまったくちがって活字になるというのは、いったいどういうことなのだろう。後世には水死人が消えてこの誤報の記事だけが伝えられてゆく。それがこの水死人についての“歴史”となってのこされてゆく。一人の水死人についてすでにこうであってみれば、一国一世の巨大な事業については、どれほどの嘘の歴史が書かれてゆくことであろうかと考えた。
それ以来、彼は、文字になった“歴史”というものを、子供心に、ことごとく割引いて考えるようになった。
――開高健「阿波踊り」同『路上にて:開高健全ノンフィクション掘戞癖檎砂媾1977[1963])、412頁。

2006年4月
私は、37年間の検察官としてキャリアのなかで、陪審の評決に不平を言ったことはただの一度もない。今日はじめてそれを言うつもりもない。
――サンタ・バーバラ・カウンティ地方検事トーマス・スネドン、2005年6月14日、カリフォルニア州上級裁判所の陪審がマイケル・ジャクソンに無罪評決を出した直後のコメント。
http://www.cnn.com/2005/LAW/06/13/jackson.trial/

2006年5月
政府機関が多大のプレッシャーの下で重要な利益を保護するのに必要と判断される臨機の行動をとるのと、裁判所が刑事手続のなかでその行動を回顧的に審査したうえでそれに憲法的な正当性を承認するのとでは、全く意味が異なる。ロバート・H・ジャクソン連邦最高裁判事が第2次世界大戦中の日本人強制収用事件における反対意見の中で述べているように、政府の役人が憲法に違反したとしても、「それは一つの出来事に過ぎない」が、その行動を裁判所が承認したならば、「その一過性の出来事は憲法上の教義になるのである。それは自らの生産力を持ち、それが創り出すものはすべて独自のイメージを持つに至るであろう。」
――アラン・ダーショウィッツAlan M. Dershowitz, “The Best Defense” (Vintage Books, 1983), p80.

2006年6月
いかなる者であれ被告人が告発人と面と向かって対面し、訴追について防禦する機会を与えられないままに彼を処刑するというのは、ローマ人のやり方ではない。
――使徒行伝25章16節

2006年7月
昔或吟味方の役人、予て上手と云はれし者、或日感ずる所ありて、家に帰り、役服のまゝにて、下男を呼び出し、汝は我手許の金子を盗取り、不届けなりと問ひしに下男は驚き、其覚なき旨、申し披きしに段々理非をもって責問ひ、或は憤り、或は諭せしかば、終に下男、申し開き尽き服罪せり。依て役人大に驚き、我は是まで、如何なる囚人にても、白状させずといふ事なかりしに今全く覚なき下男、我調べを受け伏罪せしを見れば、是まで冤罪を出し候事多かるべしと、只今思当れり。余り此方の詞強く、少しもゆるみなく責め問へば、愚人は終に閉口し、罪に落ちる事、此僕の如し。恐るべき事なりとて、其役人は自分と職を辞し、隠居せしと云う事あり。去れば、吟味方程大事の者これ無し、口問ですら斯くの如くなれば、拷問などは尚更に候。
――佐久間長敬『吟味の口伝』原胤昭・尾佐竹猛解題『江戸時代犯罪・刑罰事例集』(柏書房1982[1930])268~169頁。佐久間長敬(1839-1923)は幕末の江戸町奉行与力。明治維新後は裁判官として活躍し、司法権少判事に任ぜられ、足柄裁判所長となり、後に東京裁判所に転勤したが、明治6年12月征韓論のとき同志とともに辞職した。

2006年8月
3 粘りと執念を持って「絶対に落とす」という気迫が必要
   調べ官の「絶対に落とす」という、自信と執念に満ちた気迫が必要である
4 調べ室に入ったら自供させるまで出るな。
○ 被疑者の言うことが正しいのでないかという疑問を持ったり、調べが行き詰まると逃げたくなるが、その時に調べ室から出たら負けである。
***
12 被疑者は、できる限り調べ室に出せ
○ 否認被疑者は朝から晩まで調べ室に出して調べよ。(被疑者を弱らせる意味もある)
――「被疑者取調べ要領」愛媛県警察本部警察学校における講義用レジュメ。http://y-nakamoto.cocolog-nifty.com/docs/miketsu/ehime-manual.html 同本部刑事部捜査1課所属のA警部(42歳)のパソコンから流出したファイルの一つ。愛媛県警察本部平成18年6月16日付「調査結果報告書」 https://www.police.pref.ehime.jp/soumu/ryusyutu_chousa.pdf

2006年9月
実際のところ、私には友愛という言葉を自発的という言葉と分断することができない。自由を法的に破壊せずに、すなわち正義を法的に踏みにじることなしに、友愛を法的に強制する方法があるとは思えない。
――フレデリック・バスティア『法』(1850年パリで出版された)。Frederic Bastiat, “The Law” (Filliqarian Publishing, LLC, 2005), at p23.

2006年10月
私は、決して自分の疑問を押しつけるつもりはありませんが、しかしあえてもう一度お伺いしたいと思います。今まで申しましたようなアメリカの判例の動向を背景として考えますと、私は、日本の憲法上の強制による自白を排除する法則と公判前の勾留・取調の手続とを調和させて考えるのに非常な困難を感じるのであります。もし、私が日本の勾留・取調手続を正しく理解しているとしますならば、私には、取調のため長い間勾留しておけるという手続そのものが、実質的には、一種の強制ではないか、との議論も可能なように思われるのであります。
――ジョン・B・ハールバット、1960年6月21日司法研修所にて。司法研修所編『日米比較刑事訴訟手続――ハールバット教授セミナー記録』(1961年)、131頁。ハールバット(John B. Hurlbut)は、スタンフォード大学ロースクール教授。日米法学交流委員会とフルブライト委員会による交換教授として来日した際に、司法研修所で彼を講師として当時の指導的な裁判官、検察官、弁護士、研修所教官らとのセミナーが開かれた。上記の発言に対して受講者の1人であった横川敏雄(東京地裁部総括判事)は「自白の任意性についてはもう少し裁判所として厳格に解釈する必要があるんじゃないかということは、実践的には非常に感じるのですが、今までの最高裁・高裁の判例で、任意性なしとするには脅迫がある場合とかある程度固まっておりますので、そういう判例の線をはなはだしく逸脱するということは実際上できない」と答えた。

2006年11月
重罰化に、教育機能や、特別予防効果があると考えるのは刑法上のお伽話であり、裁判官が判決を書く際の気休めに過ぎない。そんなことは、刑務所や少年院での実務を経験し、受刑者や非行少年と日々生活を共にすれば、すぐに分ることである。しかし、残念ながら、日本の刑事司法の専門家の多くは、刑罰信仰の中に生きている。
――浜井浩一『刑務所の風景――社会をみつめる刑務所モノグラフ』(日本評論社2006)、iv.

2006年12月
裁判所は犯罪と闘うために存在するのではない。裁判所は正義を実現するために存在するのだ。
――2006年11月、あるアジアの都市で開かれた国際会議で香港のバリスターが中国本土の裁判官に向けて言った言葉。


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ちょうど70年前に公布された日本国憲法は、すべての個人に黙秘権(自己負罪拒否の特権)があることを認めています。しかし、日本国の現状はこれとは程遠いものであり、江戸時代の御白州のようにお上は刑事訴追された民に罪の告白を強要しています。この現実をなんとか改善しようと考える弁護士のグループが、いまから20年前に「ミランダの会」という団体を作りました。ミランダの会は2000年代の10年間ウェブサイト上でさまざま情報を発信していました。毎月1回トップページに「今月の言葉」を掲載して、刑事司法に思いを致すよすがとして古今の文献の一節を引用しました。ミランダの会は現在その活動を休止し、ウェブサイトも閉鎖されていますが、読者からの要望にお応えして、「今月の言葉」を復刻することにしました。

2003年2月
それは何人も自らを訴追することはないという国の法に照らして違法である。それは汝自身にそむくなかれという神の法に照らして違法である。それは全ての人は自らを保持すべしという自然の法に照らして違法である。***訴追を受ける人に対しては、何故に訴追されたかが知らされなければならず、彼を訴追する者を連れてきて彼に対面させなければならない。自らを訴追することを求められたとき、彼の答えは、イエス・キリストのそれと同じでなければならない――「汝ら何故に我に問うか。我を知る者に赴け」。――ジョン・リルバーン、1638年2月9日スターチェンバーにて、キーパー卿から「なぜ宣誓を拒むのか」と尋ねられて。Pauline Gregg, Free Born John: A Biography of John Lilburne (George G. Harrap & Co., 1961), p60.

2003年3月
権利章典の草案者たちは、刑事事件において何人も自らに対立する証人とされてはならないという彼らの禁令を、弾劾主義的な刑事司法制度の中心的な特色の一つとみなしていた。無実の者を処罰する可能性を最小限にする制度を永続させることに深く献身するとともに、少なくともそれと同じ程度に、彼らは基本法が犯罪者に対しても示すべき人間性というものを考慮していたのである。何よりも、[黙秘権を保障する合衆国憲法]第5修正は、個人の尊厳に基礎をおく自由社会においては、有罪無罪の決定は公正な手続によってなされ、訴追を受ける者は自らの有罪のために不本意な貢献をなすべきではないということの方が、有罪の者を処罰することよりも大切であるという彼らの判断を反映しているのである。――Leonard W. Levy, The Origins of the Fifth Amendment: The Right Against Self-Incrimination (Macmillan, 1986), p432.

2003年4月
世に現れた誤判のほとんどは、理解力の欠陥というよりは意思の欠陥によるものであるから、司法を良く運営するためには博識の人よりも高潔の人を選ぶように注意しなければならない。――ジョン・ロック Mark Goldie ed., Locke: Political Essays (Cambridge University Press, 1997), p273.

2003年5月
デラ・ストリートは、椅子から立ちあがって窓まで行き、外を覗いてみた。
「警察の車だわ」彼女はメイソンに言った。
メイソンは顔をしかめた。「タイディングス婦人」彼は言った。
「あなたに約束してもらいたいことが1つあります。絶対に供述をしてはなりません。いかなる質問にも答えを拒否してください。」
「メイソンさん、あなたまさか……。」
窓辺からデラ・ストリートが言った。「ハルコム警部と、もうひとり出てきた。こっちに向かってるわよ。」
「私に約束してくれますか?」メイソンは尋ねた。
「はい。」
「覚えておいてください。あなたの人生はこの約束を守ることにかかっているということを。」
--E. S. Gardner, “The Case of the Baited Hook” (Ballantine Book, 1986; originally published 1940), p170.

2003年6月
自らの肉体を防衛しないことを約束する規約は無効である。したがって――
 主権者が、たとえ正当な目的に発したものであっても、個人に対して、彼自身を殺し傷つけあるいは不具にすることを命じ、あるいは食べ物、空気、薬などそれなしでは彼が生存できない物の利用を禁じる命令を発したとしても、なお、彼にはその命令に従うのを拒否する自由がある。
 個人が自らの犯罪について主権者やその権限をもつ者によって取調べを受けるとき、彼には、恩赦の保障がない限り、それを自白する義務はない。なぜなら、何人も規約によって自らを訴追する義務を負わせられることはないからである。
――トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』第21章。

2003年7月
しかし、習慣や伝統というだけでは、憲法上の異議申立に対する十分な回答とは言えない。
――ブラックマン判事 Justice Blackmun, for the court, Bates v. State Bar of Arizona, 433 U.S. 350, 371 (1977).

2003年8月
アメリカの弁護人は制度上有罪無罪の決定に参与する。すなわち、独自に事実関係を調査し中立の事実認定者の前で検察側の証拠に疑義を提起するために、弁護人への意味のあるアクセスが被告人に保障されなければならない。検察側が被告人の有罪を証明する前に刑罰や矯正が開始されることは、憲法に適合するとはいえない。これに対して、日本では、訴追機関が被告人の有罪を信じて自白を引き出した時点で、矯正が始まる。日本の当局者は、自白は「被疑者に道徳的責任を受け入れさせる手段」であり、更生の出発点であると考えている。このアプローチが被告人の弁護権における力点の差を導く。アメリカのモデルを見て、日本の市民、政策担当者そして刑事司法当局者が、取調べへの弁護人の在席は、有罪判決を減少させるだけでなく、望ましい矯正過程を阻害するだろうと考えるのは自然である。要するに、自白に対するいかなる障壁も、被告人が道徳的責任を取ることを妨げ、彼らの社会復帰を阻害すると考えるのである。
――David A. Suess, Paternalism Versus Pugnacity: The Right to Counsel in Japan and United States, 72 Ind. L.J. 291(1996).

2003年9月
我邦今日詞訟ニ代言人ヲ許サルルハ、其能ク詞訟本人ノ情ヲ尽シテ其権利ヲ暢ベ、之ヲシテ枉屈ニ陥ラシムルナキニ在ルナリ。其社会ニ益アル亦少ナカラズ。然リト謂モ、詞訟ノ関係スル所ハ多ク是レ財物金銭ノ得喪ニ過ギズ。之ヲ刑獄ノ関係スル所ニ比スレバ、其軽重大小固ヨリ日ヲ同フシテ語ルベカラズ。抑々刑獄ハ栄辱ノ属スル所、死生ノ岐ルル所、裁判一タビ其當ヲ失フトキハ、人其罪ニ非ズシテ長ク囹圄ニ繋ガルルノ苦ヲ受ケ、其甚キニ至テハ、身首處ヲ殊ニシ、復タ日月ヲ見ザルノ惨ニ遭フヲ致ス。其関係スル所豈至大至重ト謂ハザルベケン哉。然而シテ刑獄ノ原告タル者ハ堂々タル官吏ニシテ、学力知識ニ富ムノ人ナリ。之ニ反シ、其被告タル者ハ大概愚昧卑賎ノ民ナリ。其囚ハレテ獄庭ニ到ルヤ、畏懼ニ勝ヘズ。自ラ其辭ヲ尽シ、其情ヲ明ニシ、以テ原告ノ論ズル所ヲ破ルヲ得ルハ萬ニ一ヲ望ムベカラズ。其ヲシテ呑恨泣冤ナカラシメント欲スルハ蓋シ甚ダ難シトス。知ル可シ、其代言辯護ヲ要スル切ナル、亦詞訟人ノ比ニ非ズ。今ヤ我邦獨リ詞訟ニ代言ヲ許サレ、未ダ刑獄ニ之ヲ許サレズ、豈一大缺典ト謂ハザル可ケンヤ。因テ速ニ刑事代言人ヲ御差許相成度。
――磯辺四郎(司法省修法課起草委員)の明治12年(1879年)6月27日付「刑事代言人ヲ許スノ議上申案」。委員10人中8人の反対で否決された。賛成したもう1人の委員は箕作麟祥。

2003年10月
次に三十九條でありますが、この規定によりますと、弁護人が被疑者にもつくことは許されておるのでありますが、その弁護人が立会人なくして被疑者と接見し、書類とか物の授受ができることが規定されていますが、被疑者の取調べに立会うという規定が書かれていない。この被疑者の取調べに立会うか立会わぬかということは、きわめて重大なことであります。もしも被疑者につけられたる弁護人が、被疑者の取調べに立会えないとすれば、弁護人を被疑者につけるという意味は、大部分抹殺されてしまうだろう、こう考えておるのであります。この点について、政府としてはどう考えていられるか。この点について改正に應ぜられる意思があるや否や、お伺いしたい。
――中村俊夫、1948年6月21日衆議院司法委員会で「刑事訴訟法を改正する法律案」についての質問。政府委員野木新一は「取調べに際しましては、弁護人側を立会わせるということは、今の日本の段階におきましては、そこまでさせることは、捜査の敏活に差支えがあると考えまして、この案ではまだそこまでは至つていないわけであります」と答弁した。

2003年11月
又盗賊火付ケなどを吟味する時、覺えなき者も、拷問せられて、苦痛の甚しきにえたへずして、僞りて我也と白状する事あるを、白状だにすれば、眞僞をばさのみたゞさず、其者を犯人として、其刑に行ふやうの類もありとか、是又甚あるまじき事也
――本居宣長『秘本玉くしげ』天明7年(1787年)

2003年12月
一 重犯−山賊・海賊・夜討・強盗−の輩の事
 右、彼の輩の者は重犯なり、禁ぜざるべからず、須く罪科に處す。但し重犯の者は、贓物を露顯せしめ、證據分明の輩の事なり、嫌疑をもって左右無くその身を搦め捕り、拷訊に及び壓状を責め取り、白状と稱して断罪せしむるの條、甚だ然るべからず。若しこの儀に背き、理不盡の沙汰に致す者は、地頭代と云えども、沙汰人と云えども、その職を改易せしむべきなり。
――建長5年(1253年)10月1日鎌倉幕府「諸國郡庄園の地頭代、存知せしめ且つ沙汰に致すべく條々」(佐藤進一・池内義資編『中世法制資料集第1巻』(岩波書店1955)171-172頁)。現代語試訳:「一 重犯すなわち山賊・海賊・夜討・強盗について。右にあげた者は重犯であり、しっかりと禁じて、処罰しなくてはならない。但しこれらの重犯者は、贓物を発見され、証拠が明らかになった者のことであり、嫌疑によって無理やりその身柄を拘束し、拷問に及び強引に調書に署名させ、それを白状と称して処罰することは、決してあってはならない。もしこの規則に背いて、理不尽な評定をした者は、地頭代といえども、また、沙汰人といえども、その職を解かれるべきである。」

2004年1月
われわれはまた、歴史から次のような教訓を親しく学んだ――自分の憲法上の権利を知らないために市民がその権利を放棄することに依存してその有効性を保つような刑事司法は永らうことはできないし、また永らうべきでもない、と。弁護士と相談することを許されれば被告人がこれらの権利に気付き、彼らが権利を行使するだろうことを恐れなければならないような制度は、存続するに値しないのである。もしも憲法上の権利の行使によって法執行制度の有効性が阻害されるのだとすれば、その制度の何かが非常に間違っているのである。
――アーサー・J・ゴールドバーグ、アメリカ連邦最高裁判事(Justice Arthur J. Goldberg, in Escobedo v. Illinois, 378 U.S. 478, 490 (1964).)

2004年2月
先例であることそして先例であることのみが裁判所の作り出したルールを支える論拠の全てであるとき、そのときこそ、ルールの作成者自身がそのルールを打ち破るときである。
――ヒューゴー・L・ブラックアメリカ連邦最高裁判事(Justice Hugo L. Black, Francis v. Southern Pacific Co., 333 U.S. 445, 471 (1948) (dissenting opinion).

2004年3月
社会が勝利するのは罪を犯した者が有罪を宣告されるときだけではない。刑事裁判がフェアに行われるときにも社会は勝利するのだ。われわれの司法運営システムは、いかなる被告人がアンフェアに扱われたときにも傷を受ける。***被告人を免罪しあるいはその刑を軽くする傾向を持ちうる証拠をその要求にもかかわらず検察官が秘匿することは、被告人を圧迫する公判手続を作り上げるのを助ける。それは、検察官に正義の基準にそぐわない手続の指揮者としての役回りを割りふるのである。
――ウィリアム・O・ダグラスアメリカ連邦最高裁判事(Justice William O. Douglas, in Brady v. Maryland, 373 U.S. 83, 87-88 (1963))

2004年4月
このヴィデオカメラとテープレコーダーの国において、警察の取調室だけは機械とは無縁の場所である。
――Justice in Japan: The People Come to Court, Economist.com, Mar 4th 2004, http://www.economist.com/world/asia/PrinterFriendly.cfm?Story_ID=2479774

2004年5月
刑事裁判所において法律家は必需品であって贅沢品ではない。
――ヒューゴー・L・ブラック アメリカ連邦最高裁判事Justice Hugo L. Black, in Gideon v. Wainwright, 372 U.S. 335, 344 (1963).

2004年6月
皆さんは次のことをご存知のことと思います。すなわち、拷問される者は拷問尋問の最大の責任者の側に立ち、結局はそうした者を喜ばせるようなことを話してしまうということをです。なにせそうした者の中にのみ救いはあるのですから。そしてそれはとりわけ自分が嘘の非難をなそうとする者がその場にいない場合にそうなるでありましょう。
――アンティフォン(前480年ころ−411年)『ヘローデース殺害に関して』高畠純夫訳「アンティフォン弁論集」富山医科薬科大学一般教育研究紀要14−1(1992)、37頁。

2004年7月
ある種の裁判、すなわちそれは神判であるが、それが行われたのは、上原御嶽(ウイバルウタキ)のなかであった。盗みをしたとかその他、人びとが考えて、悪いことを犯したと判断された被疑者は、一般の人びとにより左縄をめぐらした刳舟にのせられ、イビヌメー[威部の前]までつれて行かれた。イビヌメーに着くと、被疑者たちは一人一人、当時まだあった神屋(カミヤー)に呼ばれ、神人(カミンチュ)たちが居ならぶ前で、尋問が行われた。神屋にはビトローと称する神が祭られており、この神が神人を通して神判を下す神であった。神屋には神人だけしかおらず、一般村民が立ち入ることはできなかった。こうしたなかで被疑者は、神人から被疑内容について尋ねられた。被疑者が真犯人であるならば、かならず白状してしまったという。当時の神への信仰は絶対であり、かつまた殺人を犯したことが世に知られれば、その罪は子々孫々にも及び、子孫の結婚やその他の生活にも及ぶ、厳しい時代であった。真犯人がしかし、神前で罪をみとめたからといって、そこで白状してしまえばその後に罰があったわけではなく、懺悔してしまえば犯人に罰は課されなかった。むしろ真犯人の名を、神人が一般村民にもらしたりすると、神人そのものに死罪という神罰が加えられた、という。
――渡辺欣雄「沖縄の祭礼:祭場・祭司・祭儀に関する東村内諸村落の調査報告」武蔵大学人文学会雑誌18-3-1(1987)、243-244頁。

2004年8月
被疑者の取調べは、取調室という密室内で行われるので、その状況を知るものは、原則として、当該被疑者と取調官及びその補助者以外にはいない。従って、かりに密室内で違法・不当な取調べが行われたとしても、もし捜査官側が、口を合わせてこれを否定する供述をする限り、被告人が自らの供述のみによって、違法・不当な取調べの存在を立証することは、容易なことではない。しかし、このように、被告人側を、ほとんど防禦の方法を与えないに等しい状況のもとに置きながら、その供述が捜査官の供述と抵触し他にこれを支えるべき証拠がないというだけの理由により、これを排斥するのは相当でない。このような事実認定の方法が許されることになると、密室内において行われた不正義(違法・不当な取調べ)を被告人側が自白のもとにさらすことができないまま、無実の被告人が不当に処罰されるという事態の発生を防止し得ないと思われるからである。近時、そのような問題意識に基づき、「捜査の可視化」が提唱され、少なくとも、被疑者の取調べ時間等については、留置人出入簿等の簿冊類により比較的容易に把握し得るようになったが、それ以上の可視化(例えば、取調べ状況のテープ録音、弁護人の立会の許可等)の提案は、捜査官側に容易に受け容れられそうもない。そこで、現状においては、従前どおり、取調べ状況に関する被告人及び取調官の各供述を対比し、その信用性を比較検討するほかないのであるが、もともと、自白の任意性については、これに疑いがないことについても、訴追側が立証責任を負担しているのに、捜査官において、取調べが適正に行われたことを客観的に明らかにすべき可視化の方策を講じていないことなどにかんがみ、右各供述の信用性の比較検討は、特に慎重、かつ、厳密に行う必要がある。
――木谷明判事、浦和地方裁判所平成3年3月25日判決、判例タイムズ760号261頁。

2004年9月
この世の中において皆さんが自分たちの自由を守ることができるのは、ほかの人の自由を皆さんが守ることによってのみです。皆さんが自由なのは私が自由なときだけです。私を捕らえるものは次には皆さんを捕らえために使われるかもしれない。
――クラレンス・ダロウ、1920年7月シカゴ刑事裁判所にて「共産主義者裁判」における最終弁論Arthur Weinberg ed., Attorney For The Damned: Clarence Darrow in the Courtroom, University of Chicago Press, 1989[1957], p140.

2004年10月
人間の弱さに寛大さをもって臨むことは、公正なことである。また、法にではなく、立法者に、つまり、法の条文にではなく、制定した人の立法の精神に注目すること、また、行為そのものではなく、行為の意図するところに目を向け、事の一部ではなくその全体に対して、また、被疑者が今どのようであるかではなく、彼は常に、もしくは大抵の場合どのような者であったか、に目を向けるのが公正というものである。また、蒙った被害よりも受けた恩恵のほうを、自分が与えた恩恵よりも自分が受けた恩恵のほうを想い出すのも、公正なことである。また、不正を受けてもこれに耐える、というのもそうである。また、直接行動に訴えるよりは言論によって黒白をつけようとすることも、公正なことである。また、法廷の判決を仰ぐよりは調停にもって行こうとすることも、そうである。なぜなら、調停に立つ者は公正に目をやるが、裁判官のほうは法に目を向けるからである。調停者の制度が発案されたのも、じつにこの目的、つまり公正さを強固なものにするためなのである。(アリストテレス・戸塚七郎訳『弁論術』岩波文庫138頁)

2004年11月
取調べ状況について、被告人と取調官のとの間での水掛け論に持ち込まれた場合は、捜査官側の負けと割り切る必要がある。
――木谷明『刑事裁判の心――事実認定適正化の方策(新版)』(法律文化社2004)、59頁

2004年12月
法の発展ということがもしあるとすれば、それは、ほとんど常に特殊・具体性を帯びたケースを切り口として「想像力」をはたらかせて橋頭堡を築き、それがやがて一般化され普遍化されるという性格のものである。
――奥平康弘『憲法の想像力』(日本評論社2003)、14頁


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ちょうど70年前に公布された日本国憲法は、すべての個人に黙秘権(自己負罪拒否の特権)があることを認めています。しかし、日本国の現状はこれとは程遠いものであり、江戸時代の御白州のようにお上は刑事訴追された民に罪の告白を強要しています。この現実をなんとか改善しようと考える弁護士のグループが、いまから20年前に「ミランダの会」という団体を作りました。ミランダの会は2000年代の10年間ウェブサイト上でさまざま情報を発信していました。毎月1回トップページに「今月の言葉」を掲載して、刑事司法に思いを致すよすがとして古今の文献の一節を引用しました。ミランダの会は現在その活動を休止し、ウェブサイトも閉鎖されていますが、読者からの要望にお応えして、「今月の言葉」を復刻することにしました。

2001年4月
検察側が証拠方法として強制的な自己開示( compulsory self-disclosure )に頼ることを常とするのを認める司法制度は、それゆえに自ら道徳的に傷つかざるを得ない。この傾向は、もっぱらそのような証拠を信頼し、他の証拠についての捜査が不完全でもかまわないという態度を生み出す。供述を得ようとするための権力の行使は、 その権力の正当な限界を忘却させる。単純で穏やかな訊問の手続が、いじめや腕力あるいは拷問に頼る下地を育む。答えを得る権利があることから、やがて、期待通りの答えを得る権利−−即ち犯罪の自白を得る権利−−もあるように思えてくる。かように、合法的な権限の行使が不正なる濫用と化していく。そしてついには、無実の者が有害な制度に侵害される危険を被る。この特権を認めない法律制度が経験した筋道は、こういうことだったように思える。
−−ジョン・H・ウィグモ ア

2001年5月
「『何人も自らを訴追することを強いられない』(Nemo tenetur prodere seipsum)とは貴職らの法ではないか」――ジョン・ランバート 1532年、異端の嫌疑により宗教裁判所の尋問を受けて。

2001年6月
「沈黙を保つことをもって如何なる法を犯したとすることもできないし、如何なる罪も反逆も成立しない。神のみがわれらが心に秘めた思いの裁き人であるから。」――トーマス・モア 1535年、国王至上法に基づく誓約を拒んだ罪による訴追に対して。

2001年7月
「いかなる種類の自由であれ、それが一挙に失われるということは滅多にありません。自由に慣れ親しんでいる人々にとっては隷従は世にも恐ろしい身の毛のよだつような顔をしています。ですから、そのような人々に受け容れられるようになるためには、隷従は必ず徐々に忍び寄ってゆき、しかも、無数の姿に身をやつさなければなりません。」――デイヴィッド・ヒューム「市民の国について」より

2001年8月
「アテナイ人諸君、私にメレトスの訴状にいうような罪過がないことは、多くの弁明を要すまいと思う。……しかし最初に述べた通り、私に対する多大の敵意が多衆の間に起こっていることが真実であることは確かである。そうしてもし私が滅ぼされるとすれば、私を滅ぼすべきものはこれである。それはメレトスでもなくアニュトスでもなく、むしろ多衆の誹謗と猜忌とである。それは既に多くの善人を滅ぼして来た、思うにまた滅ぼして行くであろう。私がその最後だろうというような心配は決して無用である」(プラトン・久保勉訳「ソクラテスの弁明」岩波文庫34頁)。

2001年9月
「或る問題に関して相対立する意見のうち単に一方のみが弁護者をもっているという場合には、―しかもその双方の意見の間に立って賢明な判決を下すという裁判官的能力ほど稀れな精神的特質はまずないといってもよいのであるから―問題のあらゆる側面、すなわち、真理の断片を体現するあらゆる意見が、単に弁護者をもつというに止まらず、人の傾聴をかちうるように弁護されて、それらの側面の間に均衡を見出すということに比例してしか、真理はその顕現の機会をもちえないのである。」(ジョン・ステュアト・ミル「自由論」岩波文庫106頁)

2001年10月
「もし弁護士が、正義の炎を燃え続けさせることを怠るようなことがあったとしたら、およそ被告人は、いかに憎むべき罪に問われていようと、必ず弁護してもらう権利を有しており、彼のために合法的に弁じうる全てのことが立派に語り尽くされなければならない、という文明国に相応しい考え方を国民に納得させることのできる者は、果たして誰であろうか。もしわれわれが、この理想と戦って護るに価するものであることを国民に納得させることができないとしたら、われわれが知っているような自由はもはや終焉を告げる。」ロイド・ポール・ストライカー(古賀正義訳)「弁護の技術」青甲社215頁

2001年11月
人間というものは、よく見ているつもりで実は何も見てはいない。それなのに、いざ何を見たかとたずねられると、全然でたらめな印象を平気で喋りたてるものなのだ。……そういう目撃者たちが、裁判の証人になるとどうだ?証人たちはつぎつぎに証言台に立って、誰も彼もまるで謄写版で刷った原稿を読み上げるように、同じ言葉を並べ立てる。むろん誰だって全然なんにも見なかったわけじゃないだろう。それを警察に行って喋る。すると警察ではその男に、かれの話と他の証人たちの話の食い違いを指摘してみせる。ばかりではなく、“こうであったに違いない”真相を話して聞かせる。それからもう一度よく考え直してみろと言い、その後であらためて陳述のし直しをさせる。それから他の証人たちと話し合わさせる。つぎに警察は証人たちを事件の現場に連れて行き、“事件を再演”してみせる。というわけで、その証人がいよいよ証人台に立って申し立てることは、事実かれが見たことと、“見たと思う”ことと、他の誰かから見たと“教えられた”ことと、かれが物的な証拠から判断して“見たはずだと思う”こととのよせ集め以外の何ものでもなくなってしまうのだ(E・S・ガードナー/田中融二訳「怪しい花婿」ペリイ・メイスン・シリーズ早川文庫219頁以下)。

2002年1月
逮捕時から弁護士つけよ
米で画期的な判決
被告側の権利を大幅に広げる
〔ワシントン=浜田特派員発〕米最高裁は13日、刑事事件の容疑者に対する警察当局の取調べ権限を大幅に制限する、世界の刑法史上画期的な判決を下した。……民主的な法治国家における基本的人権の一つとして認められた黙秘権の保護を強化し、人権保護を一層前進させたものだが、容疑者を隔離状態においたうえで、尋問を行うという、警察当局の従来の取調べ環境を否認するものだけに、大きな波紋を呼びそうである。……ウォーレン最高裁長官ら多数派が下した判決は、〕撞深圓蓮⊇蠶蠅亮蠡海鬚悗覆す感愧罎龍―匳颪鬚發箸冒閉匹気譴襪海箸呂覆ぁ↓⇒撞深圓麓萃瓦戮棒萠ち、黙秘権があること、弁護士を呼ぶ権利があることを通告されねばならない、M撞深圓呂海譴蕕慮⇒を自発的にのみ放棄できる、い靴し、容疑者が取調べなどの段階ででも、なんらかの形で弁護士と相談したい意思を表明した場合、弁護士との相談の前にはいかなる尋問も許されない、テ瑛佑僕撞深圓単独で供述したくないとの意思を表明した場合、当局はそれ以上尋問を行ってはいけない、というもので、関連の4事件につき有罪の証拠となった被告人の自白の法律的有効性を全てくつがえした。……最高裁の多数派がこの歴史的新判例を作った背景には、隔離状態におかれた容疑者の取調べには、まだまだ肉体的・精神的ごう門の要素が残っているとう深い疑問があったものと思われる(『朝日新聞』昭和41年6月15日)

2002年3月
実際のところ、今日殆んどすべての警察官や刑事たちは、ミランダ以外の法を知らない。この30年の間に、警察の取り調べについてなされる道徳的なそして法的な対話を再定義することによって、ミランダはアメリカの警察が身柄拘束下の取調べの法的あるいは道徳的意味について考え、議論し、理解する仕方を永久に変えてしまったのである。要するに、ミランダは警察の感受性を変えたのである。――Richard A. Leo, The Impact of Miranda Revisited, 86 J. Criminal Law & Criminology 621, at 671(1996).

2002年5月
日本の刑事司法は非常に強く自白に依存している。それゆえに、ある種の状況下において、検察官は、自白を得るために、答弁取引、調書の作文、サード・ディグリーというような、あからさまな違法手段を用いる。彼らがそうした行動をとるのには様々な理由があるが、一番の理由は、それが可能だということである。自白を得るために捜査官が殆んどなんでもできるところでは、捜査官は自白を得るために殆んどなんでもするであろう――その「必要」があれば。David T. Johnson, The Japanese Way of Justice, Oxford University Press, 2002, p264.

2002年12月
数年前、ある日本人の学者がミランダの会と呼ばれる日本の弁護士グループに関する新聞記事を私に送ってきた。この弁護士グループは、弁護士の立会いのない取調べを拒否するように一部の依頼人に助言している。***
***その記事はミランダの会を紹介し、彼らの目標の1つが合衆国の基準と似たものを日本に導入しようとするものであると説明している。そして、記事の執筆者は、弁護人が依頼人に黙秘を助言することは違法であると日本の検察官は主張していると報告していた。私はそれまで取調べと自白についての日本の伝統の強さを知っていたつもりであったが、憲法上の権利を行使することを依頼人に助言することが違法だと言われることがあるのを知って、ショックを受けたことを認めなければならない。Daniel H. Foote, Reflections on Japan’s Cooperative Adversary Process, in Malcolm M. Feeley, et. al., ed, The Japanese Adversary System in Context: Controversies and Comparisons (Palgrave, 2002), p30.


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2016年09月13日

刑法21条は「未決勾留の日数は、その全部又は一部を本刑に算入することができる」と定めている。これは裁判で刑の言い渡しを受けるまでに警察署や拘置所に拘禁されていた被告人に対して、その期間の全部または一部を刑期に算入して刑の執行を受け終わったものとみなす制度である。未決勾留は刑罰そのものではないが、社会から隔離され自由を拘束されるという意味で、刑罰と異ならない。犯罪に対する制裁は予め法律に定められた刑罰に限られるというのが近代法治国家の大原則である。未決拘禁期間を刑期に算入するという制度は、この原則にしたがって個人に対して裁判所が適法に宣告する刑罰以上の苦しみを与えないようにする制度であると言える。言い換えると、適正な裁判を実現するために未決拘禁という苦痛・害悪を被った個人に対して、裁判終結時にその害悪に対する補償をする制度である。無罪の裁判を受けた被告人には未決拘禁期間に応じた金銭的補償を受ける制度がある(憲法40条、刑事補償法1条)。未決算入制度は、有罪の被告人に対してこの補償を与えようという制度である。

刑法は「その全部又は一部」と言っている。しかし、わが国の現代の裁判実務では、未決勾留日数の「全部」が刑に算入されることは全くない。皆無である。それは、現代の圧倒的多数の裁判官が、いわゆる「一部算入説」にしたがって、「事件の捜査・審理に必要な期間」を除いた未決勾留日数しか刑期に算入しないからである。そして、この「事件の捜査・審理に必要な期間」については、司法研修所が作成したマニュアルに掲載された計算式 (1)を使うのが一般的であった。裁判員法が施行されててから、刑事裁判の審理スケジュールが従来のものと異なるものとなったので、最近は「司法研修所方式」とは異なる計算式が考案されるに至っている (2)。いずれにしても、実務が「一部算入説」で運用されていることは変わりない。

60年ほど前に、この実務に異論を唱え、未決勾留日数は原則として全部本刑に算入されるべきであるという「全部算入説」を提案する裁判官が現れた(3) 。この考え方に追随する裁判官もいた(4) が、彼らは多数派にはならなかった。2009年に日本の刑法に強い影響を受けた刑法典を持つ韓国の憲法裁判所が、未決拘禁日数の全部を算入しないのは同国憲法が定める適法手続条項や無罪推定原則に違反するとして、「全部又は一部を本刑に算入する」と定める同国刑法57条1項のうち「又は一部」の部分は無効であると宣言した(5) 。この違憲判決はわが国の実務には全く影響を与えなかった。

一部算入説が実務上盤石の地位を占めていることは疑いがない。しかし、その正当性の根拠については、これまでほとんど議論されてこなかった。われわれ実務家は実務の大勢がそうだからというだけの理由でこれに従ってきたのである。このままわが国の実務を支配し続けることは正しいのか。裁判員裁判では、普通の市民がこの判断に加わるのである。「これまでの実務がこれだ」というだけで市民をそれに従わせるのは不当である。原点に帰ってこの問題を考え直す必要がある。

“未決拘禁の不利益は甘受されるべきだ”という考え方

一部算入説は、適正な刑事裁判の実現のために必要があるとして未決拘禁された人々はそれによる不利益を甘受すべきであり、刑事裁判終結の際にその不利益を精算されるのは当然だとは言えない;だから、全部算入説には無理がある、という (6)。しかし、未決拘禁の要件が認められた者はそれによる不利益を甘受すべきだというのあれば、無罪となった場合に未決拘禁期間に対する補償が受けられること(憲法40条)の説明がつかないであろう。有罪の者と無罪の者との間に、未決拘禁がなされる根拠において差異があるわけではない。いずれの場合も犯罪の嫌疑があり、逃亡や罪証隠滅のおそれも認められる(と裁判官が判断した)という点も同じである。あとで無罪になったらといって、未決拘禁の判断が間違っていたということにはならない。無罪の者が被った不利益は補償されるが、有罪の者には補償がなされず、犯罪の法的効果である刑罰に加えて未決拘禁による不利益も耐え忍ばなければならないという差別を設ける根拠はどこにもない。未決勾留を本刑に算入するという考え方を最初に示した明治34年刑法改正案30条を審議した帝国議会貴族院特別委員会(1901年)において、富井政章は、こうした規定を設けるならば「犯人ガ若シ無罪ノ宣告ヲ受ケタ場合ニハ、賠償シテヤラナケレハナラヌトイウコトニナッテ来テ、其場合ト権衡ヲ得ナイ」と言って反対した。これに対して、政府委員石渡敏一は「公用徴収ノ如ク國ノ必要ニ応シテ取ルモノテモ、其土地相当ノ代償ヲ払フノハ素ヨリ認メテ居ルノテ、被告人ハ國ノ必要ノ為ニ未決勾留ヲサレルト云フケレトモ、出来ルナラハソレ相当ノ倍賞ヲスルカ至当テハナイカ」と言って反論した (7)。現行刑法成立(1907年)の24年後、1931年に制定された旧刑事補償法(昭和6年4月2日法律60号)によって無罪の者に対する補償制度が実現した。未決勾留日数の本刑算入という概念にも刑事補償という考えにも、公共の利益のために私権が犠牲にされた個人に対する正当な補償(日本国憲法29条3項参照)と共通する公正の理念があるのである。

未決拘禁の理由である犯罪の嫌疑――罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由――があるということは、拘禁による不利益を最終的に個人に帰属させることを正当化しない。それを認めることは「一種の嫌疑罰ないし不従順罰を容認することとなるからである」 (8)。そして、未決拘禁のもう1つの根拠である逃亡のおそれや罪証隠滅のおそれも、未決拘禁の不利益を個人に負担させる理由とはならない。

事件が重罪である場合には判決の結果として重い刑罰が予想されるから、一般的には、逃亡のおそれはかなり高いと考えられるであろう。しかし事件が重罪であることから、直ちに被告人が未決勾留を甘受すべきであるという結論はでてこない。又被告人は定まった住居がないとか、独身であるとか、定職がないとか、船員のような転々する職業を持つとか、無産者であるとか等が、しばしば逃亡のおそれを理由づけるであろう。これらの事情のために、被告人が未決勾留を甘受しなければならないとすることは法の前の平等の原則に反するから、これまた、到底許されない。***罪証隠滅のおそれの判断は逃亡のおそれの判断に比べるといっそう困難である。これを直接認めるべき資料が非常に少ないことが普通であるといっても決して過言ではないであろう。罪証隠滅のおそれは、結局、被疑者、被告人の年齢、境遇、犯罪の軽重、態様、証拠関係その他諸般の事情から推認するほかない。従って、罪証隠滅のおそれ自体に被告人の責任を認めることは、逃亡のおそれの場合よりも、さらに不当であるといわなければならない 。(9)


要するに、有罪であること(罪を犯したこと)に対する制裁は刑罰に尽きるのであり、有罪者に対して刑罰を超える自由の剥奪を正当化することはできないのである。無罪の者に対して未決拘禁期間の補償を与える以上、有罪の者に対しても未決拘禁期間の補償をするのは当然である。

この論理に対して、全部算入が正しいのであれば、未決勾留期間が刑を超過する場合には超過部分を補償しなければならないが、わが実定法上そのような法規は存在しないとか、執行猶予判決(猶予が取り消されない場合)についても同様の問題が生じるという反論がなされている(10) 。しかし、これは反論になっていない。未決拘禁期間が刑期を超越する場合というのは、要するに、未決拘禁の害悪を全部補償するための通貨(原資)である刑期が足りないということである。返済資金が足りないからと言って債務の一部しか弁済しないことが正当化されるいわれはない。未決勾留期間が宣告刑を超過する場合に、算入しきれない部分を、未決算入以外の方法で補償するというのは正しい。その実現のために立法が必要であるというのなら、そうすべきである。

“捜査・審理に必要な期間は算入されない”という考え方

一部算入説は、起訴前の拘禁期間は「捜査に必要な期間」であるから算入されないという(11) 。そして、起訴後の拘禁についても「当該事件の審理に必要と認められる期間」は――その計算方法については様々な考えがあるが――算入されないという (12)。なぜ事件の捜査や審理に必要な期間は当然に被拘禁者の負担とされなければならないのだろうか。戦後に公刊された文献でこの点を説明するものは皆無である。「われわれは現在のところ、***これを被告人の負担に帰せしめたとしても、公平の理念に反するものとは考えない」という宣言(13) 以上の説明をする論者はいない。裁判官の多くは、司法研修所が定めた方式だからとか、東京地裁の多く裁判官が行っているからなどという、法令の解釈として通用するはずのない、いわば惰性によってこの説にしたがっているのである。

ところで、“事件の捜査・審理に必要な期間は算入されない”という説は、横川敏雄判事が1943年に発表した論文 (14)で提案したものである。横川判事は「我が国文化の現段階及その現に当面する情勢下に於いて、通常の設備ありと看做さるべき裁判所並に普通の能力ありと信ぜられるべき司法官を標準とし、当該事件の捜査及審理に付、通常一般の例として、幾何の勾留期間を不可欠なりやと判断し、現実の勾留日数より、右日数を控除して、その残余の日数を算入すべし」と提案した(15) 。横川氏は、この説の根拠を説明するために10ページ(連載頁割り当ての半分!)を割いている。彼は、国家(統治する者)と国民(統治される者)とを対立的に捉えるのは誤謬であり、両者は「二にして一、対偶にして調和たるを本質とする」「不可分的全一体」である(16) ;とりわけ「国家の道義的、政治的、法律的中心として、他国に比なき万世一系の天皇がおはしまし、国家的統一、国民的一体感が特に強固」な我が国においてはそうあらねばならないと、説く(17) 。

かくの如くして、両者間の対立と摩擦を最小限度に食い止めつゝ、しかも尚国家の存立と発展のために、国民に対し或程度犠牲の強要がやむを得ざるものであり、その結果を国家或は国民のいづれかに負担乃至還元せしめなければならぬとすれば、かゝる犠牲はよろしく国民の側に負担せしむるのが、この場合、法の要請する最も妥当なる解決と信ずるものである。蓋し、国民が国家、否自らの存立と発展のために、この程度の犠牲を負担するは当然だからである。***かく考へるならば、国家の名に於て捜査審理の衝にあたるものは、常に国家の要請、司法本然の使命及国民の立場に深く思を致し、国家の現に当面する政治的、経済的乃至文化的諸状勢或は治安の状況に照し、能ふ限り国民の人格を尊重し、その権利を保障するやう努むると共に、不幸犯罪の嫌疑に問はれたるものも、自ら国家の要員たる光栄と義務に徹し、夢寝にも、国家の要請、司法の使命が奈辺に存するかを忘るゝことなく、被疑者又は被告人として、なし得る限度に於て、すゝんでその行動に協力し、以て、共々「正しき刑罰権」の実現を期するべきであるが、しかも尚捜査審理の過程に於てまぬかれ得ざる不利益は、萬やむを得ざるものとして後者に負担せしめるのが相当であると思ふのである 。(18)

横川判事は、こうした「国家観」に基づく「純理」に立脚するだけではなく、「更に現実的にも、現に捜査審理に携はりつゝあるものが、しかくその権力を濫用するの虞なしと信ぜられることと犯罪の嫌疑を受けて勾留せられるものが、ほとんど大半有罪者と認定せられつゝある現実を斟酌した結果でもある」という(19) 。

横川判事の提案は、明治憲法体制の末期に横行した「君臣一如」の天皇制国家論(20) にもとづき、被告人は「正しき刑罰権」の実現のために自ら進んで奉仕すべきであるという国家主義的訴訟観を反映するものである。それと同時に、捜査訴追機関による権力濫用はないという権力への盲信と、大部分の被疑者被告人は有罪であるという有罪推定論を基礎にしているのである。いずれの議論も、日本国憲法を採択し、かつ、国際人権規約を批准した現在のわが国において成り立つようなものではないことは多言を要しないであろう。

「捜査・審理に必要な期間は算入しない」という考え方には、こうした根本的な問題点のほかにも、様々な問題がある。そもそも、捜査・審理に必要な期間がどれくらいなのかを決定することはほとんど不可能である。司法研修所方式にしても東京地裁方式にしても、恣意的であり、根拠は薄弱である。第1回公判前の30日あるいは期日間の10日というのは「近時多くの地方裁判所」における「申し合わせ」が根拠であるに過ぎない(21) 。こうした様々な計算方式が提案されていることからも分かるように、実際にはそれは1つのフィクションであり、単なる「想定」に過ぎないのである。そのうえさらに、実際に行われた捜査や審理期間と拘禁が正当化される期間が同一であるという保証もないのである。

勾留の要件は、かなり漠然としたものであり、これを判断する資料も限られており、又その要件の判断はその時々において急速に行われるものであるから、そこにはある程度の裁量の余地がある。従って勾留はすべて客観的に捜査・審理に絶対不可欠なものであるとはいえない場合もあることは否定できないであろう。このことは次のようなことを考えれば明らかである。勾留された被疑者に対し公訴が提起されないことがあり又起訴されても無罪となるものも皆無ではない。さらに有罪とされた者の中にも実際逃亡又は罪証隠滅により訴追を免れようなどとは夢想だにしない者も含まれているであろう。他方いわゆる在宅のまま起訴される者もいる。又保釈保証金を調達できないため権利保釈の権利を有しながら勾留を甘受しなければならない者も決して少なくはない。かようにして未決勾留自体は、必ずしも、捜査・審理のために必要不可避のものではなく、捜査・審理という「合目的的性のための手段であり一種の応急措置(eine Art Notbehelf)」に過ぎないものといわなければならない。従って未決勾留を捜査・審理のために必要不可避なものとして被告人の負担に帰せしめる実質的根拠は薄弱である 。(22)

自白事件よりも否認事件の方が審理期間は長くなる。検察官が証拠請求した証拠書類の取調べに同意しなければ、その供述者を公判廷で尋問することになるので、その分審理期間は長くなる。被告側の請求により尋問や鑑定が行われる場合も、その分審理期間は長くならざるをえない。審理に必要な期間は算入されないというのであれば、被告側は審理期間をできる限り短くしようとするだろう。検察官請求の書証に同意したり、弁護側の証拠請求を控えたりするだろう。そして、たとえ無実であっても、自白に転じようとする人がでてこないとも限らない。要するに、一部算入説は、刑事被告人に憲法上法律上の権利を放棄させる圧力として作用するのである。

“被告人の責に帰すべき事由により延長した勾留期間は算入しない”という考え

わが国においては、一部算入説だけではなく、「全部算入説」と呼ばれる論者も、被告人自身の責に帰すべき事由で勾留期間が伸びた場合はこれを算入しないと言っている(23) 。これに対して一部算入説に立つ谷口正孝判事がこう批判していた。

然し、この場合であっても、これを除外する論理上の必然性はないとしなければならない。被疑者、被告人に対し、犯罪に対する法律効果としての刑罰を超過する害悪を加うべき合理性がないことは、この場合であっても、同様であるからである。捜査、審理を遅延させたことにより生ずる勾留期間の延長は当然、被疑者、被告人において甘受すべしというのであれば、それは審理を遅延させたことに対する制裁を法によらずして科するにひとしい 。(24)

韓国憲法裁判所は、まさにこれと同じ考え方から、被告人の責に帰すべき事由によって増加した拘禁期間も含めて全期間を算入しないことは憲法に違反するとしたのである。

たとえ拘束被告人が故意に裁判を遅延させたり不当な訴訟行為をしたとしても、これを理由に未決拘禁期間のうちの一部を刑期に算入しないのは処罰されない訴訟上の態度に対して刑罰的要素を導入して制裁を科するものであって、適法手続の原則および無罪推定の原則に反するというべきである 。(25)


刑法21条は「全部」算入を規定している

「捜査・審理に必要な期間」がゼロということはあり得ない。そうすると、一部算入説に立つ限り未決勾留期間が全部刑期に算入されることはないことになる。刑法21条の「全部」という文言は死文と化する。これは刑法21条の明文に相反する解釈である(26) 。

谷口判事は「事後的に勾留の必要が勾留当時存在しなかったと認められる場合」とか「一部通算の結果残刑が極めて僅少であって、刑の執行の目的が無意味となるが如き場合」には全部算入されるべきだという(27) 。しかし、事後的に勾留の必要がないことが判明した場合は、勾留自体を取り消すべきであり(刑訴法87条)、未決勾留の本刑算入によって解消する問題ではない。また、勾留の必要がない場合というのは、無罪でなければ執行猶予か罰金になる可能性が高く、こうした場合にむしろ、未決通算を全くしないか、既に保釈されていて通算すべき未決勾留期間が少ないのが大半であって、これを理由に全部算入した例は皆無である(28) 。一部通算では「残刑が僅少」というのは、全部算入すればもっと残刑は僅少となるはずである。これは結局、算入の対象となる未決勾留の期間が宣告刑よりも長くなる場合に「刑に満つるまで」算入せよと言っているだけであり、むしろ「全部算入」が不可能な場合に他ならない。いずれにしても、残刑が僅少だから全部算入したという事例も皆無であり(29) 、一部算入説では刑法21条が死文化することに変わりはない。

逮捕留置期間が算入されないこと

一部算入説は起訴前の未決拘禁は無条件に「捜査に必要な期間」と考えるから、逮捕留置の期間(最大72時間=3日間)は当然に算入しない。この点は全部算入説も同じである(30) 。その理由は刑法21条が「未決勾留の日数」と言っているからであろう。しかし、逮捕と勾留で差別する理由はない。勾留という身柄拘束による害悪を最終的に被告人に負担させることが不合理であるならば、逮捕による不利益を被告人に負担させることも不合理であろう。無罪になった者に対してはその「抑留又は拘禁」すなわち逮捕留置期間を含む全未決拘禁期間に対して補償がなされる(憲法40条、刑事補償法1条)。有罪となった者に対する補償制度である未決算入において逮捕留置期間を除く理由はどこにもない。これは不合理な差別と言わなければならない。

刑法21条は「未決勾留の日数」と言っているのであるが、刑法の制定者がこの日数から逮捕留置期間を除く意思であったとは考えられないのである。そのことは、刑法制定の歴史的経緯を考えれば明らかである。刑法典が制定されたのは明治40年(1907年)である。その当時、現行刑事訴訟法(昭和23年(1948年)制定)はおろか、大正刑訴法(大正11年(1922年)制定)も存在しなかった。当時存在したのは明治23年(1890年)制定の刑事訴訟法である。この明治刑訴法には「逮捕留置」という概念が存在しなかったのである。被告人を逮捕した巡査らは「速ニ」司法警察官に被告人を引致することになっていたが(59条1項)、起訴権限のある検事に事件送致すべき期間の定めはない。検事から予審請求を受けた判事は被告人に召喚状を発して尋問するか、逃亡や罪証隠滅のおそれがあるときに勾引状を発して尋問する(69条、72条)。勾引状が執行されて引致されてきた被告人を尋問し、禁錮以上の刑にあたる罪を犯したと考える時に勾留状が発せられる(75条)。現行刑訴法の下で警察や検察の「持ち時間」と考えられているような「逮捕留置」期間に相当するような仕組みは刑法典制定当時には存在しなかったのである。

憲法と国際人権法

未決勾留日数の本刑算入を定めた刑法21条は「未決勾留の日数は、その全部又は一部を本刑に算入することができる」と言っているが、どのような方針や基準に基づいて算入するのかについて何も述べていない。『政府提案理由書』によれば、「全ク之ヲ判事ノ自由裁量ニ委スルコトトセリ」ということである(31) 。法はこれらの事項についてルールを作ることを最高裁判所や司法研修所などに委任してはいない。それは「判事ノ自由裁量」とした法の趣旨に反する。裁判員裁判においては、法の適用と量刑は裁判官と裁判員が対等の権限で評議して決めるべき事柄であるから、裁判員と裁判官の自由裁量というのが法の趣旨ということになる。最高裁や司法研修所には、算入方式を制定してこれを全国の裁判官や裁判員に適用することを求める権限などない。それは越権行為である。

刑法21条の解釈適用の指針とされるべきなのは、最高裁や司法研修所などの組織の定めた通達やルールではなく、また、大方の裁判官が依拠している「実務感覚」や「実務慣例」でもない。国民の量刑感覚などでももちろんない。現在のわが国の憲法秩序と法体系においてわれわれが依拠すべき解釈基準は、刑法より上位の法である憲法と国際人権法でなければならない。そして、刑法21条をいかに合理的に解釈してもこれら上位の法と整合しないというのであれば、刑法21条の全部または一部は無効とされなければならないのである。

昭和20年代の最高裁判例

最高裁判所は、日本国憲法が施行されて数年の間に一連の判決を通じて、刑法21条は未決拘禁期間を刑期に算入するかどうか、算入するとして何日算入するかを裁判官の裁量に委ねているのであり、そのことは新憲法下においても変わらないと宣言した。曰く、「原則として未決勾留日数の全部を本刑に通算するのが憲法の精神であるということは、憲法の何れの条規からも推論し得ない」(最大判昭23・4・7刑集2-4-298、302頁);「刑法21条は、未決勾留日数の全部又は一部を本刑に算入することは、裁判所の任意であることを規定している。***新憲法下においても、右刑法規定を所論のように必ず算入することを要するものと解すべき理由はない」(最1小判昭24・2・17集刑7−419、420頁);「刑法21条は、裁判所に対し諸般の事情を参酌してその勾留日数の全部又は一部を本刑に算入することを許容するに過ぎない。そして、その法理は新憲法下においても毫も変更を認めることはできない」(最1小判昭24・10・13集刑14-187);「憲法36条にいわゆる残虐な刑罰とは不必要な精神的肉体的苦痛を内容とする人道上残酷と認められる刑罰を指称すること当裁判所の判例とするところであって原判決が未決勾留日数を本刑に通算しないことが右にいわゆる残虐な刑罰に当たらないこと亦明らかである」(最3小判昭26・2・27刑集5-4-475、476頁)。

しかし、これらの判例は単に結論を述べているだけであり、理由と呼べるようなものをほとんど述べていない。憲法のテキストとその背後にある歴史や政策についての洞察を展開した判例は存在しない。これは上告趣意があまりにも簡潔であるために (32)、最高裁もそれに対して短く応答せざるをえなかったのかもしれない。

いずれにしても、憲法施行から70年が経過し、その間に、世界人権宣言を採択した国連に加盟し、国際人権規約を批准し、主要先進国(G8)の一員として国際社会において責任ある地位にある現在のわが国の憲法判例としてふさわしいとはとうてい思えない。少なくとも、現代の人権論とりわけ国際人権法の観点からこれらの先例には見直しが必要である。これらの先例は、われわれ21世紀の日本の法律家が「これがわが国の憲法判例だ」と国際社会に胸を張って語れるような内実を備えているとはとうてい思えない。単なる惰性で「一部算入説」に寄り添い続けるのは、法曹としての堕落以外の何ものでもない。

韓国憲法裁判所の判決

韓国刑法57条1項は「判決宣告前の拘禁日数はその全部または一部を有期懲役、有期禁固、罰金もしくは科料に関する留置または拘留に算入する」と定めている。日本刑法21条と異なり、「拘禁日数」を算入する点及び必ず算入しなければならないとする点で違いがあるとはいえ、条文上一部算入を肯定している点は同じである。韓国憲法裁判所は、2009年6月25日、未決拘禁の日数は憲法上全部算入しなければならないのであり、刑法57条1項の「または一部」という部分は違憲無効であると判示した(33) 。この違憲判決によって、韓国では未決拘禁期間は全部刑期に算入されることになった。この判例はわが国の未決算入制度と憲法・国際人権法との関係を考えるうえで、極めて示唆に富むものである。

韓国憲法裁判所は、同国憲法が規定する適法手続条項(34) と立法限界条項(35) から、「法律による刑罰権の行使であるといっても、身体の自由の本質的な内容を侵害し得ないだけでなく、比例の原則過剰立法禁止の原則に反しない限度内においてのみその適正性と合憲性が認められる」とした。そして、同裁判所は、同国憲法27条4項が規定する無罪推定原則(36) は、単なる証拠法上の規定ではなく、「捜査手続から公判手続に至るまで刑事手続の全過程を支配する指導原理として、人身の拘束自体を制限する原理として作用する」という。

有罪の確定判決があるまで、国家の捜査権はもちろん、公訴権、裁判権、行刑権等の行使において被疑者または被告人は無罪と推定され、その身体の自由を保障しなければならないという無罪推定の原則は、人間の尊厳性を基本権秩序の中心として保障している憲法秩序内において刑罰作用の必然的な羈束原理になるばかりでなく、このような原則が制度的に表現されたものとしては、公判手続の立証段階において挙証責任を検事に負担させる制度、保釈および拘束適否審等の人身拘束の制限のための制度、そして被疑者および被告人に対する不当な待遇の禁止等がある。

そうして、この適法手続条項(比例の原則と過剰立法禁止)と無罪推定原則(有罪確定前の身柄拘束の制限)から、未決拘禁の通算が憲法上の要請として求められるのである。

捜査の必要上または裁判手続の進行上不可避に被告人を拘禁するとしても、このような未決拘禁は無罪推定の原則にもかかわらず身体の自由という重要な基本権を制限するものであるから、先に見たように適法手続の原則により身体の自由の本質的な内容を侵害し得ないだけでなく、過剰禁止原則に反しない正当な限度内に制限すべきである。

さらに被疑者や被告人が上のような国家の刑事訴訟的必要によって適法に拘禁されたとしても、未決拘禁は被疑者または被告人の身体の自由を剥奪している点で実質的に自由刑の執行と類似するので、無罪推定の原則によりその拘禁期間に対する正当な評価と補償がなされなければならない。すなわち、拘禁された被告人が無罪判決を受ける場合、刑事補償法等によって未決拘禁日数による金銭的補償を受けることができ、有罪判決を受ける場合には未決拘禁日数を本刑に通算することになる。

濫訴や訴訟遅延行為を予防するために被告人の責に帰すべき事由によって裁判が遅延した場合には未決算入をしないことができるという主張に対して、法廷意見は次のように反論している。

刑事訴訟手続上の事由によって左右される拘禁期間の長短を被告人の帰責事由に正確に対応させることも容易ではないばかりか、たとえ拘束被告人が故意に裁判を遅延させたり不当な訴訟行為をしたとしても、これを理由に未決拘禁期間のうちの一部を刑期に算入しないのは処罰されない訴訟上の態度に対して刑罰的要素を導入して制裁を科するものであって、適法手続の原則および無罪推定の原則に反するというべきである。
***
被告人の上訴権は憲法第27条の裁判請求権に含まれる被告人の正当な権利として憲法第37条第2項の比例の原則によってのみこれを制限し得るところ、刑法第57条第1項部分が上訴提起後の未決拘禁日数の一部が法院の裁量で算入されないようにして被告人の上訴意思を萎縮させることをもって濫上訴を防止しようとするのは、立法目的達成のための適切な手段であるということはできない。
すなわち、刑事裁判において人身が拘束され、検事に比べて不利な状態にある被告人としては、裁判手続で自分に有利な弁論や証拠申請をしようとしても、上の刑法第57条第1項部分のせいで正当な証拠申請を諦めることもありうる。***原審判決に不服がある拘束被告人が、上訴審で未決拘禁日数のうち一部のみが算入され、事実上拘禁期間が延長される不利益を被らないために上訴を躊躇することにもなり得る。これは結局、濫上訴を防止するという名目で、むしろ拘束被告人の裁判請求権や上訴権の適正な行使を阻害することになるのである。
***拘束の目的は刑事訴訟手続の実効性、すなわち適正な事実調査および訴訟手続での出席確保と判決後の刑罰の執行を担保しようとすることにあり、このような目的以外の他の目的を追求することは許されない。それゆえ被疑者や被告人が拘束された状態を利用して訴訟の遅延や濫上訴の防止という司法運営上の目的を達成しようとするのは拘束制度の本来の目的に符合しないというべきである。

無罪推定の権利、適法手続の保証

わが国の憲法31条は「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」と規定し、適法手続の保障を明言している。この規定によって罪刑法定主義――国会が制定した明文の法律によって宣言された犯罪とそれに対応する刑罰によるのでなければいかなる刑罰をも科せられない――が保障されることは明らかである。さらに、憲法34条が正当な理由のない身体拘束を受けない権利を保障しており、わが国においても、比例原則や身体不拘束原則が保障されていることも明らかであろう。

日本国憲法には無罪推定原則を定めた明文規定はない。しかし、国連が採択した世界人権宣言11条1項は「犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律にしたがって有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する」と定めている。そして、わが国が批准した市民的及び政治的権利に関する国際規約14条2項は「刑事上の罪に問われているすべての者は、法律に基づいて有罪とされるまでは、無罪と推定される権利を有する」と定めている。この国際人権法上の無罪推定の権利は、単なる証拠法上のルールではなく、有罪の裁判が確定する前に官憲が個人を犯罪者として扱うことを禁止しようとする規定である(37) 。過剰な未決拘禁が人権規約14条2項に違反するとされた例もある(38) 。条約と確立した国際法規の誠実順守を宣言する日本国憲法(98条2項)の下において、これらの権利は憲法と同等の法的拘束力をもつというべきであり、これに違反する法律や官憲の処分は無効とされなければならない。

日本国憲法40条は、裁判の結果無罪とされた者に対してその受けた未決拘禁に対する補償を受ける権利を規定している。これは無罪の場合は刑期に算入する仕方で未決拘禁に対する補償をすることができないので、別途金銭による補償が必要であることを憲法上の補償として明記したものである。韓国憲法裁判所が指摘するように、無罪推定原則と法定手続の保障の趣旨からすれば、無罪の者に対して刑事補償をするのと同じように有罪の者に対しても未決拘禁に対する補償をしなければならないのである。

結論

日本国憲法の施行から70年が経ち、日本が国連に加盟して60年が経ち、人権規約を批准して40年が経った。現代においてこの国の圧倒的多数の裁判官は、「被告人が犯罪を犯し、このような事態を招いた以上当該事件の捜査・審理に通常必要な身柄拘束は甘受すべきである」 (39)などという単純素朴な感情論にしたがって、未決拘禁期間の全部算入を拒み続けている。そして、法令上の根拠がまるでないにもかかわらず、算入の計算式を勝手に作り、それを、刑事裁判における対等の判断者であるはずの裁判員に一方的に押し付けようとしている。

未決拘禁は被疑者被告人が招いたものでもなく、罪を犯した結果とも言えないことは、先に引用したとおり、中島卓児裁判官が60年前に指摘したとおりである。彼の言葉をもう一度引用しよう。

犯罪の法律的結果は刑罰である。そして未決勾留は、断じて刑罰ではない。従って有罪と認定された者に対しては刑罰を科すれば足りる。かような者に加えられた未決勾留は過剰な害悪といわなければならない。国家はかような害悪に対し補償をなすべきである 。(40)

現代の裁判官の単純素朴な感情論の起源は何か。それも既に論じた。横川敏雄裁判官の戦前の論稿が雄弁に語っているもの、それこそが起源である。

***不幸犯罪の嫌疑に問はれたるものも、自ら国家の要員たる光栄と義務に徹し、夢寝にも、国家の要請、司法の使命が奈辺に存するかを忘るゝことなく、被疑者又は被告人として、なし得る限度に於て、すゝんでその行動に協力し、以て、共々「正しき刑罰権」の実現を期するべきである 。(41)


刑事被告人として国家から訴追されている個人に対して、訴訟当事者として防御の権利を付与するのではなく、崇高な国家目的に進んで協力し犠牲となることを求める、そうした国家観が、現代のわが国の裁判実務を支える「公平の理念」の正体なのである。

【注】
(1) 「起訴後の勾留日数−{30+10×(公判期日の回数−1)}」。司法研修所『刑事第1審公判手続の概要(解説)(平成19年版)』92-93頁。

(2) 例えば、「起訴後の未決勾留日数−(仝判前整理手続の定型的審理必要期間[自白事件では40日ないし60日程度。一般的な否認事件では80日ないし90日程度]+公判期日の日数)」。芦澤政治「第1審における未決勾留日数の本刑算入の在り方」『植村立郎判事退官記念論文集:現代刑事法の諸問題(第2巻)』(立花書房2011)19、38頁。

(3) 中島卓児『勾留及び保釈に関する諸問題の研究』司法研究報告書第8輯第9号(司法研修所1957)、470頁以下。

(4) 仲戸川隆人「未決勾留日数の算入について――全部算入説への展開」『小野慶二判事退官記念論文集:刑事裁判の現代的展開』(勁草書房1988)、59頁以下。

(5) 大韓民国憲法裁判所2009年6月25日判決(山本宜成訳)。原文及び英訳は韓国憲法裁判所のウェブサイトで読める。山本宜成氏による全訳は、同判決を解説するものとして、石田倫識「未決勾留日数の全部算入――韓国憲法裁判所の違憲決定を手がかりに」季刊刑事弁護61-113(2010)。

(6) 谷口正孝「未決勾留日数の本刑通算」河村澄夫・柏井康夫編『刑事実務ノート(第2巻)』(判例タイムズ社1969)、256、264頁;芦澤・前注2、23-24頁。

(7) 松尾浩也増補解題『増補刑法沿革総覧』(信山社1990)675-676頁。強調は引用者。

(8)中島・前注3、463頁。

(9)同前、463-464頁。

(10)谷口・前注6、262頁;

(11)小林充「未決勾留日数の本刑算入の基準」『岩田誠先生傘寿祝賀――刑事裁判の諸問題』(判例タイムズ1982)、98、105-106頁

(12) 谷口・前注6、264頁;小林・前注、106-107。

(13)谷口・前注6、264頁。強調は引用者。

(14)横川敏雄「刑事裁判に於ける二・三の基礎的問題に就いて(5)」法学志林45-12-936(1943)。

(15)同前、943頁。旧漢字を当用漢字に改めた(以下同じ)。

(16) 同前、944-945頁。

(17) 同前、946-947頁。

(18) 同前、948-951頁。強調は原文。

(19) 同前、951頁。強調は原文。

(20)例えば、「臣民ハ絶対ニ、無限ニ、国権ニ服従ス。此ノ完全ナル服従アルカ故ニ、亦完全ナル保護ヲ受ケ、完全ナル保護アルニ由リテ権能ノ享有ヲ全ウスルコトヲ得ルナリ。権力ナケレバ服従ナシ、服従ナケレバ保護ナシ、保護ナケレバ権能ナシ」。穂積八束『憲法提要』(有斐閣、修正増補5版、1935年)201頁。

(21) 小林・前注11、106頁。

(22) 中島・前注3、461-462頁。

(23) 中島・前注3、472-475頁;仲戸川・前注4、71-72頁。

(24)谷口・前注6、262-263頁。

(25)前注5の大韓民国憲法裁判所2009年6月25日判決。

(26)中島・前注3、471頁。

(27)谷口・前注6、265−266頁。

(28) 仲戸川・前注4、66頁。

(29)同前。

(30)中島・前注3、475頁。

(31) 松尾・前注7、2133頁。

(32)昭和23年大法廷判決の上告趣意は「原則として未決勾留日数の全部を本刑に通算するのが憲法の精神なりと思う」というだけである。刑集2-4、302頁。昭和24年の二つの判決の上告趣意も同様に新憲法の精神を語るだけで、憲法の具体的な条文を引用すらしていない。集刑7、423頁;集刑14、189-190頁。昭和26年判決の上告趣意は、憲法11条と36条を引用するだけで、根拠を示して解釈論を展開することもしていない。刑集5-4、477頁。

(33) 前注5の韓国憲法裁判所2009年6月25日判決。

(34)憲法12条1項後文「何人も法律によらなくては逮捕・拘束・押収・捜索または尋問を受けず、法律と適法な手続によらなくては処罰・保安処分または強制労役を受けない」;同条3項「逮捕・拘束・押収または捜索をするときは、適法な手続により検事の申請によって裁判官が発付した令状を提示しなければならない」。

(35)憲法37条2項「国民の全ての自由と権利は国家安全保障・秩序維持または公共の福利のために必要な場合に限り法律で制限することができ、制限する場合にも自由と権利の本質的な内容を侵害することができない」。

(36) 憲法27条4項「刑事被告人は有罪の判決が確定するまでは無罪と推定される」。

(37)規約人権委員会の一般的見解General Comment 13/21 §7(1984).

(38)Cagas et al. v. The Philippines, No. 788/1997, §7.3.

(39)和田真「刑事訴追に必然的に伴う負担と量刑」判タ1269-84(2008)、88頁。強調は引用者。

(40)中島・前注3、464頁。

(41)横川・前注14、951頁。



plltakano at 11:58コメント(0)身体拘束未決勾留 
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高野隆

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